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2007年08月27日

第5回「子どもの家」労働組合総会

晴天 蒸し暑い

午前6時起床。

午前7時朝食。フォー。

午前8時、徒歩でベトナム事務所へ。

バオミンさん・税田さんと当面のスタディーツアーのこと、
今後のベトナム事務所の諸問題など当面の問題と
中長期的諸問題を話し合う。午前11時半まで。

午前12時昼食。一昨日のJASSツアーの残りご飯で
おじやを作る。

午後1時から30分昼寝。

午後1時30分過ぎ、バオミンさんと一緒に「子どもの家」へ。
午後2時から第5回「子どもの家」労働組合総会に参加。


                 JASSの会
  37グエンチャイ労働組合第5回大会
    2007年~2009年度

初めに国家斉唱。
続いて来賓紹介。トゥアティエンフエ省労働総同盟副委員長、
私、バオミンさん。
大会議長にセン運営委員長、ロック寮長が、書記にキムアンさんが
選出される。

議事に入る。
セン運営委員長より、2005年~2007年までの活動総括、
2007年~2009年までの方針が提案される。



ロック寮長より「フエ市労働組合連合第8回大会決定が
読みあげられる。

続いて、総括と方針についての討論に入った。

●コンピュータのマン先生
 提案は全て100%正しいです。賛成します。
 「子どもの家」では労働組合の活動の場が少ない。
 スタッフの健康診断費用を組合が出して欲しい。

●警備員のブイさんの意見
 「子どもの家」を退所し、仕事をしたりしなかったりしている
 子どもたちが夜「子どもの家」に入って、他の子どもたちに
 悪いことを教えている。人民委員会で何とかして欲しい。

●寮母のティエンさんの意見
 子どもたちが段々大きくなっていく。子どもたちの自立のために
 仕事をする場を見つけて欲しい。

討論を終わり。総括と提案が全員一致で可決。

セン運営委員長の挨拶。
・皆さんの団結で総会は成功した。これからも協力して仕事を
 して行こう。
・「子どもの家」の運営費には限度がある。希望を生かしたいが
 難しいものもある。今後も努力して行きたい。
・他地域の「子どもの家」などを視察しながら「職員旅行」を
 したいのだが・・・。

続いて来賓挨拶。

●トゥアティエンフエ省労働総同盟副委員長
 ★ベトナムの労働組合はベトナム共産党の一元的な
  指導下にあり、労働総同盟は唯一の労働組合の
  全国組織である。


  ・この「子どもの家」のスタッフは少ない。 もっと増やしなさい。
  ・給料が安い。毎年給料を上げなければ駄目だ。
   フダビール会社やフエ郵便局の給料は「子どもの家」
   の2倍以上だ。こんなに安い給料は改善しなさい。
  ・労働組合費がなければだめだ。
  ・「子どもの家」に共産党の支部を作らなければ
   いけない。
  ・「子どもの家」の労働組合の委員長はロック寮長に
   しなさい。
  ・以下、お説教になる。人間は真面目に生きなければ
   ならない。人間は努力が大事だ・・・・・・・。
   延々30分以上の無内容な話をする。

  (30分以上この副委員長の話を我慢して聞いた。
   この男は、指導者意識丸出しだ。粗野で無教養なこの男
   は自分は偉いと思い込んでいる。
   『空気が読めない』という言葉があるが、まさにこの副委員長
   のためにある言葉だ。
   こんな暑い日の午後2時過ぎ。延々と意味のない話し、
   人間はどう生きなければならないか、などと言うお説教
   をし続ける男の顔をじっと見ていて、ベトナムという社会で
   生きている庶民が可哀想になった。こんな馬鹿男の
   話をハイハイとうなずきながら聞かなければいけない
   のだ。共産党の幹部・お偉いさんに楯突けない社会構造。
    「子どもの家」の給料が安いなどといえるこの男の
   無教養・厚顔無恥さに呆れる。日本の庶民の支援金で
   運営されているボランティア施設である。
    まず最初にこの男は、「日本の皆さんのご支援
   のお陰で、ベトナムの子どもたちが助かっています。
   日本の皆さんに心からのお礼を申し上げたい」というべき
   なのである。本来、ストリートチルドレンや貧しい子どもたち
   を助けるのは、貴方たち共産党の仕事でしょ。「子どもの家」に
   共産党の支部を作れなどというヒマがあるのなら、
   ストリートチルドレンや貧しい子どもたちを助ける計画でも
   考えろといいたい。そのためにお前は高給を取って
   贅沢な「労働貴族」の生活をしているのだろうに。
    フダビールや郵便局の職員の給料が「子どもの家」の
   スタッフの2倍だから、もっと給料を上げろと言っている。
    ばか者。「子どもの家」と利益を追求するビール会社などと
    同列視し、比較する人間がどこにいますか?
 この副委員長は、民主主義という基本概念すら理解して
   いない。この後、無記名秘密投票で役員を選出するのだが、
   挨拶で、ロックさんを委員長をしなさい、などと指示している。
    「子どもの家」のスタッフは賢明であった。副委員長の
   指示を見事に無視して、ロックさんは役員を辞退して
   しまい、全く違うスタッフ3人を役員に選出している。
    もっともこの役員選挙も、事前に全て筋書きが出来ていた
   選挙ではあったが・・・・。
   こんな常識も分からない人間が、共産党の幹部で、
  指導者風を吹かせ、人間の生き方は・・などとお説教を
  垂れているのだ。迷惑なお説教を垂れるヒマがあったら
  1分以内にお前の挨拶を止めた方がよっぽど「子どもの家」
  のためになる。参加者は疲れている。無駄な時間。
  結局、この副委員長は総会で出た組合員の意見や
  要望には何も答えなかった。意見は無視された。
  彼の頭は、総会で偉そうにお説教を垂れるのが自分の
  仕事と思っているのである。多分、今までそうしてきたの
  であろう。どこに行っても共産党の幹部・お偉いさんと扱
  われているのだ。こんな無教養の人物が労働総同盟の
  県の副委員長であるということが、そもそもベトナム社会
  の不幸である。この男の偉そうな馬鹿話しを聞きながら
   怒りがわいてきた。)

●来賓挨拶の次は私。
 この際、粗野な労働総同盟副委員長に「嫌味」「皮肉」の一つも
 言ってやろうと思い、以下のような挨拶をする。

  ・13年間、「子どもの家」を運営している。総額で1億5千万円
   程のお金だ。このお金は日本の庶民からの貴重な寄付である。
   日本の学校で講演会をするが、私の話を聞いた日本の
   子どもたちからの寄金も入っている。
    大変安い給料で申し訳なく思っているが、日本人からの
   浄財であるということを理解して欲しい。
    昨年、1昨年と給料を引き上げている。
  ・マンさんの意見である「スタッフの健康診断」の件は、
   当然の意見である。JASSとしても出来るように検討する。
  ・警備員のブイさんの、卒業した子どもの中で生活態度の
   よくない子どもが「子どもの家」に来て、子どもたちたに
   悪い影響を与えている件。センさんと何度も相談して、
   必要な場合には、警察とも連絡を取る様にしている。
  ・ティエンさんの「子どもたちの自立のための職業訓練所
   を作って欲しい」との意見。
    私たちは日本政府と協力して縫製研修センターを
   作った。2008年1月から実際に稼動する予定。
   「子どもの家」の子どもたちや地域の貧しい子どもたちを
   採用・研修させて、利益が上がる縫製研修センターに
   したいと思っている。
    また、2008年1月から「アクセサリー研修センター」
   を始める。これは、花田啓一さんという方のご好意で
   「アクセサリー研修センター」が始まる。ここにも
   「子どもの家」の子どもたちや地域の貧しい子どもたちを
   入れて自立のために仕事をするシステムを作っている。
  ・セン運営委員長の「各地域の関連施設を訪問・視察しながら
   職員旅行をしたいとの提案。財政的な問題もあり、今後
   検討したい。

  こんな話をした。労働総同盟副委員長は私の言った本当の
  意味を理解できなかった。ばか者。
  直ぐにセン運営委員長が来て、「子どもの家」スタッフの
  要望はフエ省の労働総同盟への要望で、小山さんへの
  要望ではないです、とバオミンさんに言いに来た。
   さすがにセン委員長は賢い人間だった。私の言った
  馬鹿労働総同盟副委員長への「当てつけ」をしっかり
   聞き取り理解していた。
  肝心の副委員長は全く私の言うことの裏の意味を理解
  する能力がなかった。大ばか者。

役員選挙。
推薦で4人の候補者となる。その後、投票。投票者数11人。
3名連記。
馬鹿副委員長に指名されたロックさん(今までの委員長)は、
役員立候補を辞退すると発言した。

会計のハンさん(10票)
寮母のキムアンさん(6票)
医師のタムさん(7票)
寮母のティエンさん(7票)

以上の結果、ハン・タム・ティエンの3人が
執行部となった。

続いて、2005年~2007年の間に「子どもの家」の仕事で
頑張った人の表彰。医師のタムさん、寮母のニエムさん
食事作りのムオイさん。
私から見ても順当な表彰だった。


最後にキムアンさんが、今日の総会の決定事項を朗読。
既に総括・方針・人事案が事前に印刷されたものを
キムアンさんが読んでいた。ということは、今日の全ての
議事と決定は事前に決められていたものだ。

最後に全員の写真を写し閉会。


午後6時半、日本料理店で舟山さん一家と懇談・夕食会。


舟山さんは私の事務所に来た最初のボランティア支援者だった。
1996年から4年間、私たちの仕事を手伝ってくれた。
地元フエ市の女性と結婚。2児の父親でもある。


舟山さんのご両親も家族も心優し人々だった。
午後9時、全て終了。


投稿者 koyama : 2007年08月27日 19:00

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