« 休日 | メイン | THINH君誕生会 :ある葬儀に参列 »

2007年08月13日

宇都宮マルサ工場長案内

晴天

33度。 湿度60%。(夕方5時半の廊下)

朝起きたら頭痛・喉痛・倦怠感。風邪の症状。

午前7時朝食。フォー。食欲あり。

午前8時、ベトナム事務所へ。
午前8時半、縫製研修センターを支援してくれている宇都宮の
縫製会社マルサ(佐藤裕信社長)の松田工場長夫妻来訪。
1時間ほど、縫製研修センターやJASSの取り組みを話す。

マルサ佐藤社長より縫製研修センターへの支援金支給。


病気で日本へ治療帰国していた後藤先生が
元気に帰国。しばらくは体調に気をつけてとお願いする。

午前10時。ベトナム事務所を出て縫製研修センターを視察。
今後、マルサを中心に宇都宮縫製工業組合から縫製研修センター
の技術指導・経営指導を受けることになっている。

その後、「子どもの家」を訪問。セン委員長と懇談。
私が「子どもの家」の各施設を案内する。

午前11時半。トンチンカンホテルに戻る。
体調悪化。倦怠感、頭痛・喉痛が更に進行する。いよいよ
今週から10月はじめまで休みなしのスタディーツアー受け入れが
始まる。体調を崩す訳にはいかない。
ハンさんに頼み、ベトナム風邪薬を買ってきてもらう。
頭痛と倦怠感緩和の薬。15000ドン(110円)。

昼食。土曜日に買った「チャオバインカイン」(小麦粉の手打ちうどん)。

昼寝。2時間。
読書「説教節を読む」を読む。「信徳丸」。
河内の国、高安の信吉長者(氏を統括する人)の長男信徳丸。
13歳で四天王寺で舞を踊り人生の頂点を迎える。
その時、乙姫という違う長者の娘に一目ぼれ。ラブレターを
書く。乙姫は密かに信徳丸を夫と思う。
しかし、母親が「観音様は嘘つき」と言ったために、母親は急死。
長者は後妻をもらう。後妻に子供が生まれる。後妻は
先妻の子信徳丸が後取りにならないように京都各所の
お寺に136本の釘を生木を打ち、信徳丸が「異例」になるよう
呪詛する。信徳丸は、目が見えなくなり、人が顔を背けるよう
な顔になってしまう。父親は信徳丸を四天王寺に捨てるよう
指示し、捨ててしまう。室町・江戸時代頃の四天王寺は
貧しい家庭の子どもや障害児が捨てられた場所だったようだ。
四天王寺は聖徳太子が建てた寺である。四天王寺に捨てられ
れば、誰から助けてくれると思われていたようである。
信徳丸が盲人になり3つの病気を患い四天王寺に捨てられた
ことを知った乙姫は信徳丸を助けに四天王寺まで行き、観音様
にお祈りし、信徳丸の目が見えるようになる。信徳丸の父親は
後妻と次男の首を切って捨てさせた、というあらすじ。
説教節は社会の最底辺で生きていた庶民が泣いて笑い
仏教の有難さを知るという当時の最大の娯楽だったようである。
筋書きもかなり単純であり、苦しみ・苦しみ、耐えに耐えて、
最後は幸せになるという、実際の社会で苦しみぬいている
庶民にとっては、理想の最後・HAPPYENDとなる。

午後3時。マルサ工場長夫妻をフエ空港まで見送り。
バオミンさんと。飛行機の出発が遅れ、チェックインが
しばらくできず、空港内で待っていた。
午後4時半過ぎになってチェックイン開始。

午後5時過ぎにトンチンカンホテルに戻る。体調悪し。
ベトナム事務所に行き、体調が悪いので部屋で寝ている旨話し
帰宅。以後、休養。

洗濯。

バオミンさんや外務部員などの話だと、フエでは風邪が
流行っているとのこと。症状は頭痛・喉痛・倦怠感とのこと。
私の症状と同一。こんな場合は休むしかない。


2007年8月12日東京新聞社説は意義深い内容である。
以下、全文を紹介したい。ほぼ私見と同じ内容である。

『週のはじめに考える 権力の重さと怖さ』


 参院選で権力者としての重い責任を問われた安倍晋三首相は、権力の怖さを発揮することでそれに応えました。その最終判定は最高権力者である国民の責任です。

 安倍首相は参院選の最中も「美しい国」について抽象的な説明に終始しました。改憲を企図し果たせなかった祖父・岸信介元首相と自分を重ね合わせた発言はあっても、体系的な政治思想や理念が語られることはありませんでした。

 それは、「美しい国」の形をどうするかについて、自分に白紙委任を求めたようなものです。

 しかし、一九三三年、「全権委任法」をヒトラーに与えたドイツのような過ちを、日本の有権者は犯しませんでした。

 意欲だけが先走る政権
 この法律によりナチスは、当時、最も民主的といわれたワイマール憲法を棚上げし、ファシズムの道を突っ走ったのでした。

 作家の堺屋太一さんは安倍内閣を「知識と能力に欠ける」と断じ、「政治家の知識と能力が欠け、意欲だけが先走るのは一番困った現象」(「文芸春秋」八月号)と嘆きました。選挙結果は同じ思いの人々の多さを示しているようにみえます。

 国会運営や、閣僚の失言、「政治とカネ」、年金など噴出した問題への対応で、国民は予測される「美しい国」の姿に気づいてしまいました。

 他の政治家や末端の公務員を悪者にして自分は逃れようとする無責任さ、民意を汲(く)み取れず対応が後手後手に回る無能ぶり、「私の内閣」や「首相指示」を乱発する権力意識の強さ…権力者の責任の重さ、それ故に求められる謙虚さを首相が自覚しているとは思えません。

 目立つのは祖父に学んだかのような強引さです。選挙前の国会で相次いだ採決強行は、岸政権末期の一九六〇年、警官隊を導入して新しい日米安保条約の批准承認採決を強行した混乱に似ていました。

 想起させる「声なき声」
 選挙に惨敗しても「基本線は国民に理解されている」と強弁して政権に居座る姿も、数十万人のデモ隊に国会を包囲されながら「声なき声は自分を支持している」と言い放った岸元首相を想起させます。

 大衆はナショナリズムの鼓吹で一時的な熱狂を見せても、本質を見破る目は持っています。

 拉致問題に関する安倍首相の「毅然(きぜん)たる姿勢」で北朝鮮に対する優越感にしばし浸った人たちも、「戦後レジーム(体制)からの脱却」に危うさを感じるまでにそう時間はかからなかったのではないでしょうか。

 日本は歴史上、少なくとも二度の大きな脱却を経験してきました。

 明治維新は封建体制の国家から資本主義の近代国家に転換する脱却でした。それから八十年近く後、近隣諸国民と同胞に大きな犠牲を強いたすえに戦争に敗れた結果として、軍国主義を脱し民主国家として新生することができました。

 いずれも、負の遺産を清算し過去を克服するために、それまでの体制と断絶したのです。未来を切り開くための、前を向いた変革でした。そうしてできたのが「戦後レジーム」であり、日本国憲法です。

 日本の政治家なら、まずこの歴史認識からスタートしなければなりません。ところが、安倍首相が三度目の脱却として目指す「美しい国」には戦前回帰のニオイがします。

 かつてと同じ愛国心押しつけになりかねない新教育基本法、「昔はよかった」式の議論で教育勅語の世界に戻そうとしているのではとさえ思わせる教育再生会議、新憲法制定…国民が求めているものとの間には大きな隔たりがあります。

 十九世紀の資本主義をほうふつさせる格差拡大容認の政策は、富の分配に配慮しながら全体を底上げしてきた戦後日本の思想とは異質です。挑戦する機会さえ与えられず格差の淵(ふち)に沈んだ若者の目には、再チャレンジ政策が言葉遊びと映ります。

 おまけに支持率が極端に下がってからの首相のあたふたぶりは、統治能力の欠如を露呈しました。

 表面的には「政治とカネ」、年金問題ですが、根本的には歴史と現実に対する安倍首相の認識と統治能力が問われたといえましょう。

 それでも政権を手放さないのは権力の怖さを物語ります。同時に、有権者が情緒や感性で政治的選択をすることの危険性も示しています。

 近代日本を築いた指導者たちは、青い空に輝く雲を目指して坂を上りました。彼らには歴史の進歩への信頼と重い責任の自覚がありました。

 いまは青空も光り輝く雲も容易には見えない時代ですが、坂道は逆戻りするのではなく、進歩を信じて上り続けたいものです。

 不安や怒りを持続し
 そのためには未来を政治家に一任するわけにはゆきません。

 それだけに今度の参院選を一時の“祭り”や“禊(みそ)ぎ”に終わらせてはなりません。不安や怒りを持続しながら政治家と政治を厳しく監視し、コントロールしてゆくのは最終権力者である有権者の責任です。

朝青龍問題から見える異文化無理解国家日本

朝青龍が腰痛治療のため夏の巡業を辞退していたが、
内緒でモンゴルに帰国し、中田とサッカーをしていたことが
判明。日本相撲協会は、2場所出場停止と謹慎処分を
行った。朝青龍は「ノイローゼー」になり、自宅に閉じこもる毎日
とのこと。精神科医が何人か往診し、[急性ストレス障害」と
診断されたという。診断した医師の一人は、「包茎」専門医院の
医師で、「包茎専門医師が精神問題を診断できるのか?」
などと論議があらぬ方向へ向かってしまう一幕もあった。
8月11日には和田アキ子がニッポン放送「アッコのいいかげんに
1000回」で、朝青龍に対して「いい加減にしろよって感じ」と厳しく
批判した。「職場放棄してるんですよ。罰を受けて当然でしょ」と。
、「私が(説得をしに)マンションに行きたいよ。誰か場所を教えて」と
話したという。(インターネット検索による)


産経新聞は「朝青龍3つの非」と題する論文を掲載。
①朝青龍自身の自覚のなさ。
②高砂親方責任
③日本相撲協会の責任


私は今回の朝青龍問題の本質は、「異文化」についての
相互の理解がなかったことが最大の問題だと思っている。
この日記にも書いたが、ベトナムの結婚式に参加すると
1時間程度の開会遅れは「常識」である。また直ぐにカラオケ大会に
移行し、大音量の音声が流れる。私はベトナムに来て一番
嫌なのが「音」である。大音量は頭が痛くなるが、ベトナム人は
音には私から見て鈍感である。
日本料理店で子どもたちと一緒に食事をすれば、「立てひざ」で
「ビチャビチャ」音を立てながら食事をする。

こんな風に国が違えば「常識」も違うのである。これが「異文化」。
朝青龍は何も知らない日本に来て、『国技』の相撲に入門。
多分、朝青龍の人生からすれば、「強い」ことが一番良いこと
と思ったのではないかと思う。一般的に言えば、スポーツは
強かったり速かったりすることが評価の第一の対象となる。
日頃の生き方、生活態度などは問題にならない。オリンピックが
良い例である。試合で出た結果だけが評価の対象であり、
日頃の生き方や生活態度などは関係ない。
朝青龍は他の横綱不在の中何十回も優勝している。一人横綱で
頑張った。朝青龍としては、日本語も出来ない中で自分が
日本の相撲を支えたという自負があると思う。
朝青龍の20数回の優勝で相撲が支えられたことも事実である。
朝青龍からすれば、相撲で勝って、20数回の優勝をしたのだから
自分のすることにとやかく言われる筋合いはないと言いたい
のではないか。
オリンピックで優勝した人が日頃の態度がどうのこうのなどとは
言われないと言う気持ちを持っていたように思われる。
和田アキ子が「朝青龍にお説教をするから住所を教えろ」などと言って
いるのは物事の本質を全く理解していない、妄言としか思えない。
朝青龍に日本人社会から見て問題があったことは事実だが、
朝青龍に高砂親方が日本流の常識をしっかり教えていたのか?
朝青龍は今までも大分ひどいことをしている。しかし、日本相撲協会
は「国技」相撲を支えるために朝青龍を注意すらしていない。
何も注意をせず、国技の相撲についてしっかりとした指導すらしていない
高砂親方、日本相撲協会にこそ第一の非があるように思えてならない。
朝青龍はモンゴルの常識からすれば、何故日本人が怒っているのか
理解できないかもしれない。それは、私が大音量のカラオケは非常識と
言ってもベトナム人が理解出来ず、1時間遅れの結婚式が非常識と
言ってもベトナムでは常識である。朝青龍にしてみれば、
モンゴルでは常識なこと(強いことが最高に評価される)が何故
日本でこれほどまでに問題視されるのかが、分からないのかも
知れない。朝青龍が「急性ストレス障害」になるのも可哀想な
気もしなくもない。私は個人的には朝青龍は以前から「大嫌い」
であるが、今回の問題は馬鹿な高砂親方と無能な相撲協会に
こそ大きな問題と責任があるように思う。和田アキ子が文句を
言いたいのなら、朝青龍に言う前に高砂部屋に行き元朝汐に
文句を言い、相撲協会理事長の元北の湖に文句を言うべきである。
日本人は日本のものさし(常識)でこの問題を見ようとしているが、
異国の人間は違う物差しを持っていることを理解すべきである。


投稿者 koyama : 2007年08月13日 19:24

コメント