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2008年04月30日

内田さんたちと懇談

晴天

過ごしやすい気候。

午前7時起床。

午前中、ベトナム事務所・支援者からのメールを読み、
必要な返事を出す。

午後12時、自宅を出発し新宿へ。
内田さんたち4人と懇談。

午後3時過ぎ、懇談会を終わる。
その後、次男家族と懇談。

夜、読書「コーランを知っていますか」

夜テレビを見る。「暫定税率が復活」したとのこと。
自公は庶民の逼迫した生活を理解していない。
庶民の政党ではなくなった。
一度下げて、再度値上げするなど真っ当な政治家の
することではない。

投稿者 koyama : 21:08 | コメント (0)

2008年04月29日

成田着:国際ソロプチミスト東京ー東の皆さんと懇談

晴天

今日午前0時05分 ホーチミン発のベトナム航空機で成田へ。
午前7時40分成田着。千葉の気温は13度。寒い。

昨日から今日にかけて13時間半ほど座っていた。フエ空港の待合室
で2時間、飛行機1時間半。 ホーチミン空港で4時間(夕食含む)、
成田まで6時間。成田から乗ったスカイラーナーでは、
お尻が痛かった。

東京も寒き感ずる。長袖がないと寒い。

午後2時、上野の国立博物館へ。「国宝 薬師寺展」
今までどうしても見たかった
奈良薬師寺の日光・月光菩薩の特別展。今年は奈良遷都
1300年。史上初めて日光菩薩・月光菩薩の2体を同時に
門外にだしての特別展。
上野の山へ行く。すごい人出。今日は休日だった。
国立博物館へも多くの参観者。入館まで長蛇の列。
ほとんどの参観者は「前期高齢者」。50代、60代の夫婦連れが多い。

今回の特別展で最大の見ものは、日光・月光菩薩2体の同時参観と
2体の背中についている金色の「背光」を外し、2体の仏像の背中
を見ることが出来ること。

実際に参観し、素晴らしかった。特に「ライト(照明)」の上手な使い方。
広い展示場に日光・月光菩薩が適度のライトの中に浮かんでいる。
参加場所も近く仏像を見ることも出来るし、2メートルほどの
舞台が出来ていて、遠くから、上から仏像を見ることも出来る。

1300年ほど前に日本人は素晴らしい仏像(銅製)を作っている。
30分ほど、遠くでライトアップされた2体の仏像を見ていた。
「癒し」という言葉があるが、日光・月光菩薩は最高の癒しである。
腰を薬師如来(今回は薬師寺にある)に振っている。素晴らしい
装身具・本当の裳と勘違いするような柔らかな衣類。
腰を曲げる技法は4世紀頃のインドのものとのこと。
顔はアルカイックスマイルの影響も受けている。

2体の背中には、素晴らしい飾りが浮き彫りになっていた。
シンガポールでサリーを作った時にお店に飾ってあった
インド人の使っている飾りと似ている。

私が最初に薬師寺に行ったのは中学校の修学旅行
だった。その後、新婚旅行。家族でと数回行っている。
最初は薬師寺の東塔を見に行っていたのだが
金堂にある薬師三尊を見て圧倒された。
威厳と慈愛の薬師如来、優しさの日光菩薩、優しさの中に
強さを持っている月光菩薩。1500円の入場料は安かった。
2時間ほど滞在。人が多く疲れた。

午後6時。ホテルニューオータニへ。国際ソロプチミスト東京ー東
の皆さんと懇談。寄付金の贈呈式。1997年、フエの市立病院
の一角に「フエ市障害児医療センター(ベインビエン)を建築
して頂いた。その後、更に増築工事もして頂き、今日の
障害児医療センターの基礎を作って頂いた皆さんである。
ホテルニューオータニ内「なだ万」で季節の日本料理を
ご馳走になる。10年間のお付き合いである。
国際ソロプチミスト東京ー東の皆様方に心から感謝。
午後9時まで懇談。

昨日から今夜にかけては長い時間だった。

投稿者 koyama : 08:16 | コメント (0)

2008年04月28日

静岡大学一行ホーチミン市へ:次男結婚式参加ニュージーランドへ

曇り

気温28度 少し蒸し熱い。
午前7時朝食。
午前7時半、「ハイリーホテル」へ静大の皆さんが車で来訪。
同行し、フエ空港へ。バオミンさんと静岡大学の皆さんを
見送る。
パソコンのトップ画面が出ない。故障。業者を呼ぶ。
私も部屋にいなければならない。今日の午後、日本へ帰国する。
帰国の荷物の整理をする。
洗濯物が溜まっている。洗濯をする。乾燥機が壊れているので
屋上に干す。

午前中かけてパソコンを直す。Cドライブにウイルスが入ったとのこと。
「直りました」と言って業者は帰る。確かにデスクトップの画面は
出てきた。しかし、一番な「アウトルックイクスプレス」が削除されていた。
ベトナム事務所に入るメールが読めない。一番肝心なメールを
削除されてしまう。午後4時半にフエ空港へ行く。時間がない。
今回はこれ以上のパソコンの修理はやめることにした。


午前11時半、昼食。リー君が来ない。

午後12時半、帰国の荷物準備。
午後2時半、ベトナム事務所へ。リー君を呼ぶ。私の不在中の
生活態度について注意をする。

テト以降、真面目に仕事をしていない。仕事をして給料をもらい
それで生活するというのが、大人の生き方。現在のリー君の
生活は、小学生と同じ。前回注意をし、勤務時間中にいなくなったら
給料をカットすると話した。土曜日のリー君の出勤は午後5時。
午後2時半に出勤しなければならないのに。出勤後も
日本料理店にいないで、近くのお店にいる。これでは日本料理店
の店員ではない。リー君はもう21歳だ。大人。大人になっても
子供のような生活は直しなさい。嫌でも午後2時半には日本料理店
にきて、午後9時半まで仕事をするように。
2番目に自分の収入に合わせた生活をするように。給料を使ってしまい、
更に翌月の給料を前借りし、それも使ってしまい、更に借金を
要求する、その上、友達のハイ君の給料をよこせといい、挙句の果てに
ハイ君に命令し「石鹸を買うので10万ドンかして」とハンさんに言いに
行かせ、そのお金まで取ろうとしている。今のリー君は、仕事もしないで
贅沢な生活をしたいと思っている。大きな間違い。自分のもらっている
55万ドンの給料の水準で生活するように。
本来、リー君は200万ドン以上の給料をもらているのだ。
「ハイリーホテル」の家賃、3食はただにしている。本来、給料から
出すべきもの。そうした優遇されていることに全く感謝の気持ちをもって
いない。こんな出鱈目な生活と仕事が続くならば、日本料理店の
店員を解雇する。これは口だけではない。私がやるといったら本当に
やる。今、リー君は、日本料理店を辞めたら生きてゆけない客観的な
状況にあることを理解しなければならない。

第3。「ハイリーホテル」を勝手に使わないように。
リー君は部屋でタバコを吸い、吸殻を部屋に捨てている。
1階の食堂でもタバコを吸い、部屋の中に捨てている。
「ハイリーホテル」の玄関、庭でもタバコを吸い、大量のタバコを
捨てている。今まで1回も掃除したことはない。
以前、リー君の部屋の掃除を私がした。数日前に「ハイリーホテル」の
回りを掃除したが、リー君の捨てたタバコがたくさん落ちていた。
また、リー君は1階の食堂に靴下やシャツ、個人の持ち物などを
置いているが、リー君に貸しているのは2階の部屋だけ。
1階のトイレを使っているが、リー君はそこいら中に小便をひっかけ
そのままにしている。1階がアンモニア臭で充満している。
今後、1階のトイレを使うことを禁止する。トイレは、自分の部屋の
物を使い、自分で掃除をするように。

第4。昼間着たままの服装で寝ないように。寝る時は「寝巻き」
を着るように。又、洗濯をするように。リー君の生活を見ていると
昼間着た服装でそのまま夜も寝て、数週間そのままで生活する
ので異臭を放つ。リー君は衣類・洗濯物をビニール袋に捨てて、
新しい衣類を買っている。こうしたもったいないことはしてはいけない。
3日か4日毎に洗濯をするように。


こんな話をリー君にした。「リー君、何か言いたいことはあるか?」と聞く。
リー君の答え。「JASSで借りた自転車を質屋に入れて15万ドン借りた。
すいません」とのこと。どこまでも「お金に洗脳されてしまった」リー君である。
お金に目がくらんでいる人間はリー君だけではないが、性懲りもなく
金・金・金病にひどく侵されている。

その後、日本料理店の女子を呼んで、いくつかの注意をする。
第1は、仕事に責任をもつ気風がなくなってきた。一人ひとり
自分の仕事、日本料理店全体の仕事に責任をもつように。
第2に勤務時間中に遊ばないこと。勤務時間中、お客さんが
いないと皆でテレビを見ている。勤務時間中のテレビは禁止している。
いつお客さんが来るか分からない。勤務時間中は仕事である。
仕事をして給料をもらっているのだ。テレビをみたり、ダーカウを
して遊んだりしてはいけない。いつ、お客さんが来ても対応できる
ように待機していること。
第3に清潔に注意すること。爪はいつも切っておくこと。
髪を顔にたらさないこと。髪は必ずまとめて、布で覆っておくこと。
第4。自家発電機は、リー君に触らせないように。女子で頑張って
自家発電機の操作をするようい。

急いで「ハイリーホテル」に戻る。既に午後4時。あと30分しか
時間がない。荷物の整理。

午後4時半。「ハイリーホテル」からフエ空港へ。2時間前に
フエ空港へ。直ぐにチェックインを終わり、空港待合室で
2時間ほど待つ。読書。「あなたはイスラム教を知っていますか」

午後6時50分フエ空港発。午後8時過ぎ、 ホーチミン空港着。
ホーチミン空港で簡単夕食。午後9時半、 ホーチミン空港チェックイン。
2時間半空港で待ち、4月29日午前0時05分発のベトナム航空機で
成田へ。

投稿者 koyama : 13:28 | コメント (0)

2008年04月27日

静岡大学入試「個人相談会」:ティエンムー寺ー王宮:省・市幹部・校長先生との懇談

曇り

気温22度。寒い

午前5時目覚める。
「ハイリーホテル」のパソコンが故障。パソコンが開けない。

午前7時、「ハイリーホテル」を出て、「フォー」を食べる。
17000ドン(100円強)。私がフエに来た初めの頃は、
4000ドンから5000ドンだった。この10数年で物価が
3倍から4倍になっている。公務員の給料は、2倍から3倍程度
上がっているが、一般庶民、特に農民の収入はそれほど
上がっていない。貧富の格差が一層広がった。
ベトナム事務所へ。ベトナム事務所には既にバオミンさんが
来ていた。
ベトナム事務所のパソコンで受信メールを確認。必要なメールを
送信。

午前8時半、バオミンさんと一緒にフォンザンホテルへ。
静岡大学の皆さんと一緒に静岡フエ青年交流会館へ。
バオミンさん・ハンさん・フーンさんが通訳をする。
午前9時から静岡大学入試「個人説明会」を開会する。
合計5人の個別相談者来訪。松本先生・和田先生・
滝下さんをはじめ関係者が懇切丁寧に対応。
個別相談者が少なかったのは、既に3つの高校で
十分な説明が行われ、その後高校でも質問・相談を
行ったためだと推測される。

午後12時入試相談会終了。

バオミンさん・ハンさん・フーンさんは、ベトナム事務所員の
ゴックさんの結婚式参加へ。
私とソン君は静岡大学の皆さんと一緒に「チャオバンカン」を
食べに行く。
午後2時過ぎ、千草先生から結婚式が無事終了との連絡あり。
午後2時、チャオバンカンを食べ終わった静岡大学の皆さんを
案内してティエンムー寺へ。
その後、王宮を案内。午門・大和殿などを参観。
午後4時過ぎ、全ての日程を終わり、静大の皆さんは
フォンザンホテルへ帰り、暫時休憩。
私は午前7時から午後4時過ぎまで9時間連続の仕事。
ベトナム事務所で明日帰国するための残った仕事を
整理する。

午後5時45分、静大の皆さんと一緒にフォンザンホテルを出て
ベトナムレストランへ。
フエ省教育局次長、ハイバーチュン・ファンダンルー高校校長、
フエ市共産党人事部長・外務部員などの皆さんと
静大関係者との「入試説明会成功報告」懇談会が始まる。
工学部長補佐の松本先生から、静大入試説明会が3校で行われ
今日は個別相談会を実施。大きな成功を収めた、フエ省教育局、
フエ市人民委員会・共産党、そして3つの高校の校長先生に
心から感謝した。今後、実際の入試などさまざまな日程が
控えている。皆様方のご協力を心よりお願いしたい。
改めて、入試説明会の成功のために協力して頂いたフエの
皆様にお礼を申し上げる。

フエ省教育局次長から今後も静岡大学への留学が進むことを
願っているとの挨拶がある。
トウアンフエ市共産党人事部長の乾杯の音頭で交流会が
スタート。開始時刻を40分ほど遅れて開会。ベトナム時間。

その後、午後8時半まで様々な話題で交流が深まる。

今日は合計11時間半という長時間の仕事となった。
かなり疲れる。

「ハイリーホテル」に戻りインターネットで山口2区補選で
自民・公明の候補者が惨敗との報道を見る。
民主主義の真っ当な判断だと思う。保守王国山口で
民主党が勝利した意味は大きい。
今回の選挙は「日本を姥捨て山国家」にするのかどうかを
山口県民が判断したものと思う。「後期高齢者医療制度」という名
の「姥捨て山政治」を許すのかどうかが実際上問われた選挙であった。
自民・公明に国民の「鉄槌」が下った。今回の選挙の影の功労者は
共産党である。いつも「オリンピック精神(参加することに意義がある)」
で自公・民主に対抗して立候補していた。名目は「反自民」だが、
事実上、自民の当選に手を貸していたのも共産党である。
今回は「大人の判断」で立候補をしなかった。そのお陰で民主への
票が増大し当選と言う結果になった。これで、自公が進めている
お年寄りいじめの「後期高齢者医療制度」に直近の衆議院選挙の
意思が表された訳である。
私は民主党を支持してる者ではないが、それでも政権政党の
出鱈目な政策に対して、闘っている野党の民主党の勝利には
良かったという感想をもつ。
後期高齢者医療制度の眼目は、「団塊の世代」が75歳になった
時である。年寄りからお金を剥がし取り、医療を極端制限する
ことで「医療費」を抑えるという。後期高齢者の医療費が1兆2千億円だ
だそうだ。高級官吏の天下りのための法人・財団への税金の支援は
10数兆円。「お金がないからお年寄りから医療費を徴収する」という
姥捨て山の医療方針を出した自公がいかに「人間」を知らないかが
分かるというものである。公明党は福祉の党と言う看板を既に
捨て去っている。
山口2区補選の結果を受けて日本の社会が変わることを祈る。

投稿者 koyama : 10:01 | コメント (0)

2008年04月26日

ファンダンルー高校静大入試説明会:「子どもの家」訪問

曇り

気温22度。寒い。

朝6時、テレビで長野市の聖火リレーの中継を見る。
テレビで見ていると「調和の旅」という
聖火リレーのスローガンとはおよそ縁遠いものとなっている。
あえて言えば「茶番」という言葉が出てきてしまう。
長野の一般市民は、扉を閉ざし家の中に。中国人やチベット・
ウイグル自治区の人々が、沿道で旗を振る。
中国の指示で大量の中国人留学生が全国から動員され
長野に結集。中国国旗を振っている。日本では思想・表現
の自由が憲法上は保障されているので違法ではない。しかし、
この大量動員の中国人留学生の長野結集という中国当局の
方針は、政治的には大きなミス方針。却って日本人や
世界の人々に不信感を与えてしまった。
日本で中国国旗を掲げ、集会を開き、デモを行う自由を行使し
していながら、自分の国では「集会の自由」「思想・表現の自由」
を抹殺しているダブルスタンダード国家に対する不信感である。
日本人が中国で同じように集会・デモをすることは許されない
中国である。長野聖火リレーを中国はもう少し静かに見守るべき
だった。KYの象徴ともいえる中国当局の情勢判断である。

午前7時45分、「ハイリーホテル」に車。フォンザンホテル。
午前8時過ぎ、静岡大学の皆さんと一緒にフエ郊外の
純農村地帯にある「ファンダンルー高校」へ。
今日は高校の試験。別棟で『静岡大学入試説明会』が
行われた。高校2年生で理系の生徒60人が参加。
地元フーバン郡の郡長、PTA会長など役員も参加。

松本先生、和田先生の説明。約1時間半。
その後質疑応答。
生徒からいくつかの質問が出た。

その後、校長先生・副校長先生・PTA会長・役員の
皆さんと懇談。以下のような意見がでる。
・ファンダンルーはフエ市の郊外にある。生徒は市内よりも
 純粋で真面目である。
・農家が多く日本での生活費750ドル~900ドルは
 払えない。是非、奨学金・学費免除などの支援をして欲しい。
・こうした海外の大学から直接話を聞くのは初めての機会だった。
 ありがたい。感謝している。

午後11時過ぎ、昼食。

その後、1時間半ほど休息。

午後2時過ぎ、電動バイクでフォンザンホテルへ。
静大の皆さんと縫製研修センターへ。縫製研修センターは
かなり増強工事が進んでいた。佐藤理事長が陣頭指揮で
増強工事を行っていた。

続いて「子どもの家」へ。「子どもの家」代表に子どもたちへの
お土産のお菓子を渡す。その後、私の案内で「子どもの家」の
各施設を回る。

「子どもの家」を後にして、ドンバ市場へ。市民生活の視察。
午後5時ホテルへ戻る。

午後6時から日本料理店「子どもの家」でベトナム事務所員と
懇親夕食会を行う。
子どもたちの作った日本料理に舌鼓を打つ。
残念ながらフダ生ビール工場の機械が故障。サーバー用の
ガスの供給が出来ないまま3日間たってしまった。今日も
様々な努力したが、結局サーバー用のガス届かず、生ビールが
飲めなかった。代わりにフェスティバルビール(フダビールの姉妹品)
を氷水で冷やして飲む。

午後9時半、懇親交流会は終了。

今日で3つの高校での説明会を無事終了。様々な教訓と経験を
積んだ。松本先生・和田先生をはじめ同行の諸先生方の
努力を高く評価したい。

明日は、静岡フエ青年交流会館で「個別の静大留学相談会」
が行われる。

投稿者 koyama : 08:06 | コメント (0)

2008年04月25日

ハイバーチュン高校:グエンフエ高校入試説明会

曇りのち小雨

午前7時気温24度。

午前7時朝食。チャオバンカン(小麦粉の手打ちうどん)

午前7時50分、「ハイリーホテル」に車が来る。フォンザンホテル
で静岡大学工学部の先生方と合流し、ハイバーチュン高校へ。
2009年10月入学の「入試説明会」を行う。

午前8時半過ぎ、高校の大きな講堂で開会。120人ほどの
理系を勉強している1年生・2年生が参加。

開会:校長先生の挨拶と静岡大先生方の紹介。
いよいよ静岡大学入試説明会が始まる。
はじめに工学部の松本先生から静岡大学・工学部について、
プロジェクターを使っての説明があった。バオミンさんが
ベトナム語に通訳。
NIFEE(National Interfacing Engineers Education
     Program)についての説明があった。高度の技術を
もち国際的にも通用するエンジニアの養成。
次に日本と静岡の位置、静岡大学が「静岡キャンパス」と
「浜松キャンパス」に分かれている事、工学部は浜松キャンパスに
あることが紹介された。
人口380万人の静岡県のGNP(国民総生産)が16兆7千億円。
人口8千300万人のベトナムのGNPは5兆3千万円。

静岡とフエとの交流の歴史。
1995年、フエの若者がJASSの招待で静岡を訪問・交流・
1996年、JASS静岡の会発足
1997年、静岡大学でダイオキシンシンポジューム。
       フエ中央病院・フエ大学の教授が参加。
2001年、静岡フエ青年交流会館開設(静岡市長など中心となり)
2005年、静岡市とフエ市が友好都市となる

静岡大学浜松キャンパスのある浜松は、日本の工学の
中心地である。SUZUKI、YAMAHA,HONDA,KAWAI.
EMKEI,ROLANDなどの発祥の地である。

浜松在中の外国人。
ブラジル人(19515人・外国人住民の59%)
中国人(3057人・9%)
ペルー人(2408人・7%)
ベトナム人(970人・3%)

静岡大学は1949年に設立。国立大学法人。6学部。
大学院は8学部・研究所1。
学生数9097人、大学院生1353人、留学生287人、
教職員1185人。

工学部には、
機会工学科(1学年定員150人・教員39人)
電気電子工学科(1学年150人・教員40人)
物質工学科(1学年145人・教員37人)


NIFEEプログラムの説明。
10月入学。半年導入教育を行う。(日本語・数学・物理)
ものづくり教育を行う。日本の技術の特別教育を実施。
専門教育も。4年、9月に卒業。

和田先生より日本での生活等の説明。
・家賃 3万円~4万円
・食事 33000円
・光熱費 11000円
・携帯電話代 5000円~
・合計  8万円~10万円程度

留学生には1年間だけは国際会館に住んでもらう。
静岡大学の留学生数

中国 147人
韓国  29人
マレーシア 20人
インドネシア 15人
バングラディシュ 12人
ベトナム9人

奨学金は成績次第で出す。2007年は留学生の
3分の1に出している。

授業料は年間535800円  入学金は282000円。
成績次第で授業料半額免除、一部免除の制度あり。
2007年度は24人が申請し19人が授業料の半額免除。

進路は大手の企業就職。・50%の卒業生は大学院へ。
その他、入試・試験科目・日本語・英語能力試験などの説明

約1時間半の説明を終わる。
数人の生徒から質問あり。

午前11時、皆さんと一緒に昼食。ベトナム料理。

午後12時半、「ハイリーホテル」へ。
1時間ほど昼寝。気温が急速に低下。体がだるい。
読書「コーランを知っていますか」(阿刀田高著:新潮文庫)
を読み始める。

午後1時50分、「ハイリーホテル」を出てフォンザンホテルへ。
静大の皆さんと一緒にグエンフエ高校へ。
午後2時半。理系の生徒80人、保護者70人。合計150人参加。
ハイバーチュンと同様の説明会。

午後4時過ぎ終了。

ハイバーチュン高校では、「入試の課題が多すぎる。英語、
日本語の試験を受けるのは大変」という生徒からの意見が
出た。

グエンフエ高校では、授業料、生活費などが高すぎ
留学できないと財政・経済問題からの意見が出た。
今後に課題を残した。

午後6時から静大の皆さん、バオミンさんと夕食。ベトナム料理。
午後8時半過ぎ夕食会を終了。

静岡大学の皆さんは、朝早くから1日中、仕事をこなしている。
頭の下がる思いである。税金の無駄遣いなど言われる
公務員も多いようだが、今回の静岡大学入試説明会は
内容の濃い「公務」を行っている。

投稿者 koyama : 19:20 | コメント (0)

2008年04月24日

静岡大学入試説明団フエ到着

昨夜から雨
明け方豪雨。
終日雨。寒い。

午前7時 気温24度。湿度94%。

午前4時頃、豪雨の音で目が覚める。
そのまま眠れず読書「新約聖書を知っていますか」
キリストの十字架刑、密告者ユダの存在とその後の
運命。聖母(生母)マリアの存在とキリスト刑死を
見たのか? イタリヤのサンピエトロ寺院の「ピエタ」
ミケランジェロ20歳代の最高傑作といわれている。
私も30歳代の頃、イタリヤ旅行で参観した。
聖母マリアが、刑死たキリストを抱いている像である。
マリアの顔はどうみても20代の若々しい顔。
刑死したキリストが30歳位だから、マリアがどうみても
50歳にはなっていたはず。マリアが、刑死したキリストの
遺骸を抱く機会があったかどうか、疑わしいとの説もあるそうだ。
「信ずる者は救われる」のである。信じない者は・・・・。
私など、救われない部類に入る。

キリストの復活。西暦30年4月7日午後3時過ぎ、
十字架刑にされた3日後、予言通り
キリストは、お墓のから抜け出し「復活」する。

午前7時。朝食。マカロニスープ。
しばらく停電。
午前11時まで「ハイリーホテル」で仕事。
関係者へのメール送信等。
バオミンさんと電話でいくつかの問題を相談。
日本の支援者から電話。

午前11時半、昼食。空芯菜のニンニク炒め、
きのこ・きくらげの煮物、野菜スープ。

午後12時半から1時間ほど昼寝。

午後2時読書。「新約聖書を知っていますか」読了。
ユダヤ教からキリスト教へ発展した裏には、ヘレニズム文化
と国際交流、ギリシャ・ローマへのキリスト教の進出があり、
そのことで世界宗教となった。イスラエルで発生したユダヤ教
がメシヤのイエスの出現でイエス・キリスト教となる過程を
垣間見る。キリスト教とはどのような出自でどのように発展し
どのような教義をもっているのかの概略を知る。

午後4時、ベトナム事務所へ。
バオミンさんと打ち合わせ。停電が多いので「自家発電機」
を買う。自家発電機の取り扱い責任者を決める。
使用決定者は、バオミンさん・税田さん。
具体的に自家発電機を使うのは、ホンニー店長とした。
その他、静岡大学入試説明会の最後の打ち合わせ。

午後5時過ぎ、バオミンさんと一緒のフエ空港(フーバイ空港)
へ。
午後5時50分、定刻通りホーチミン市からの飛行機が到着。
静岡大学工学部関係者など5人が到着。


車で市内フォンザンホテルへ。
ホテルで明日使用するプロジェクターと静大持込のパソコンの
接続を確認。その後、実際の説明会さながらの「リハーサル」を
行う。静大工学部の先生などが、日本語で説明。バオミンさんが
ベトナム語に通訳。専門用語等の確認。段取りを確認する。

午後7時半、静大関係者とバオミンさんは夕食へ。
私は次男が仕事でフエに来ている。日本料理店で5月連休中に
NZで行われる次男の結婚式の打ち合わせを行う。
日本料理店近辺は停電。早速、今日買った自家発電機を使う。
日本料理店・2階のベトナム事務所には煌々と明かりがつく。
日本料理店厨房の冷凍庫・冷蔵庫なども動いている。
午後9時半、日本料理店閉店。

護送船団方式で「ハイリーホテル」へ。「ハイリーホテル」到着後、
久しぶりにハイ君・リー君を連れて近くの大衆飲み屋で一杯飲む。
午後11時頃、「ハイリーホテル」へ帰宅。

投稿者 koyama : 11:52 | コメント (0)

2008年04月23日

フエ中央病院前医長・フエ市外務部長などと懇談

晴天 のち雨曇り       休肝日

午前7時 気温30度。湿度70%。

午前7時朝食。「春雨メン」。
リー君は昨夜飲み過ぎたのか朝食に来ない。子どもたちが
起こしに行く。やっと降りてくる。規則正しい生活が出来ない。
寝る時も普段の服装と靴下を履いたまま寝ている。そのまま
おきて1日の生活をし、そのままの格好でねてしまう。
長年路上で培った生活習慣なので直ぐには直らないが、
そろそろ「改善」の兆しが見えても良いのだが。
「ハイリーホテル」の1階や部屋の中、ホテルの周りに
タバコを捨ててしまう。先日も「ハイリーホテル」の回りの
タバコを掃除した。リー君の捨ててタバコがたくさん落ちていた。

午前8時過ぎ、バオミンさんから電話。ベトナム事務所は停電との
こと。日本人教師の皆さんに伝える。ベトナム事務所に行っても
仕事にならない。ベトナム事務所に電気がつくまでは、
「ハイリーホテル」で仕事をするように。

午前8時40分頃、ベトナム事務所へ。
フエ中央病院前医長のフオン先生がベトナム事務所へ。
1時間ほど懇談する。ACCL(アジア・チャイルド・ケア・リーグ)
の小児白血病支援プロジェクトの進捗状況・問題点・課題
などを話し合う。

その後、フエ市人民委員会外務部へ。当面の諸問題を
話し合う。

その後、某所で某氏と諸問題を懇談する。

午前11時半。「ハイリーホテル」で昼食。
小魚の唐辛子煮、冬瓜の醗酵海老とニンニク・唐辛子付け
ミットのスープ。

午後12時半から1時間ほど昼寝。

午後2時読書「新約聖書を知っていますか」(阿刀田高著)
最後の晩餐、12人の使徒、イエスの十字架刑。

午後4時、ベトナム事務所へ。

店長のホンニーさんが、ハンさんに「今夜は外泊する」と
言いに来たとのこと。理由は言わないと。
直ぐにホンニーさんを呼んで外泊の理由を聞く。
「ハイリーホテル」にいる4人は「子どもの家」から独立したから
自由な生活をしても良いのだが、私たちと一緒に住んでいる
からには、何か問題が起こったら私たちにも責任が生ずる。
外泊の理由を言わないのは良くない。理由は?と聞く。
弟がホーチミン市での仕事を辞めて帰ってきた。何か
悩んでいるようなので、今夜おばあちゃんの家へ帰り
弟の相談に乗ってやるとのこと。外泊を認める。

昨夜、生ビールがなくなった。ホンニーさんは今日の午後3時頃
ビール会社に電話をしたら「ガスがない」といわれ、今夜は
生ビールを出せないという。
私はホニンーさんを注意。どうして、今日の朝、ビール会社に
電話をしなかったの? 朝電話をして問題があれば、バオミンさん
やビール会社の上司などに連絡し今夜、生ビールをお客さんに
出せたのだ。電話をしたらそれでよいというのは、よくない。
明日はどうするの?と聞く。午後2時半に出勤してビール会社に
電話してみるという。それでまた、ガスがないとか言われたら
また、明日も生ビールが出せないよ。明後日は、10数人の
団体のお客が来て生ビールを飲むのをしっているでしょう?
こんな責任のないやり方は駄目だ。電話をしたからいい
などと言い訳は駄目。結果が大事。電話で駄目なら、様々な方法を
考えて、結果として、生ビールがその日に入るようにするのが
『責任』というもの。ホンニーさんのやり方は、自分はこう努力した
という言い訳を言っただけ。明日は、午前8時に自分の携帯電話で
ビール会社に電話をし、問題があれば、朝のうちにバオミンさんに
連絡をしなさい。そして、結果として明日の午後6時半の
開店までには、必ず生ビールを日本料理店に用意する事が
責任のある態度だと話す。


宇都宮縫製工業組合佐藤理事長と仕事をしていたバオミンさん
がベトナム事務所に戻る。当面の諸問題を話し合う。

午後5時半、夕食。久しぶりに「ブンボー」を食べる。
大量の生野菜と一緒に。

夕食中、リー君が「日曜日の食事代がない。お金を頂戴い」という。
君は4月20日の給料日の前に55万ドンの給料のうち49万ドンを
前借りして使ってしまったから、お金がないのでしょ?
自分で使ってしまって、お金がないから頂戴というのは、
物乞いと一緒だ。お金は上げない。何故、お金がないかを
じっくりと考えるように、と話す。
今日は、午後、耳が痛いといって「子どもの家」のタム医師と
フエ市立病院の耳鼻科に行った。医師の話では耳を不潔にしていて
黴菌が入ったとのこと。お風呂に入っていないので、さもありなん
と思った。抗生物質など20万ドンの薬代を出してやる。
今のリー君は、好きな時、好きな仕事して、気分が乗らないと
いなくなってしまう。昼間からお酒を飲み、仕事をしないと
言ったおよそ子どもと同じ行動様式・仕事の仕方である。
この性癖を何とか変えなければならない。仕事はしないが
お金だけ欲しい、贅沢な生活はしたというフエに蔓延している
風潮に侵されている。
お金を上げる事をきつく断り、注意をする。自業自得だと。

午後6時半、日本料理店開店。

午後7時45分、オーストラリア人2人来店。
大盛りと普通のお寿司を注文。

日本料理店のまん前に大型乗用車が停まっている。
リー君を呼んで「お客さんが日本料理店に入りにくい。
日本料理店のまん前に車を停めたら直ぐに注意を
しなければだめだ」と話す。リー君の弁明。
あの車は、隣の工事中のホテルのお客さんの送迎用車。
だから問題ないという。
「リー君、君が隣のホテルの警備員、車の運転手と
仲がよいのは問題ないが、仲がよいからと言って
日本料理店のまん前に車を停められたら、お客が
来なくなるよ」「リー君は日本料理店の店員なの、
隣のホテルの従業員なの。どこから給料をもらっているの?」
と話す。リー君は、隣のホテルの運転手と友達だという
ことで、日本料理店のまん前の駐車は問題視していないのである。
自分がどんな位置と立場にあるのかが、全く頭にない。
しばらく待つと運転手が来る。運転手に厳しく注意をする。

午後8時過ぎ、雨が降り出す。

午後8時過ぎ、5人のタイ人来店。
リー君がホンニー店長をサポートして、分かりにくいタイ人の
英語での注文を聞いていた。やる気になれば、素晴らしい
力を発揮するリー君ではある。

午後8時半、オーストラリア人が帰る。お礼を言う。
英語のガイドブック「ロンリープラネット」を読んで
古い住所の日本料理店に行ったが日本料理店はなかった、
色々なベトナム人に聞いてここまでたどり着いたとのこと。
転居の張り紙を何度も旧住所に貼ったのだが、直ぐに誰かが
破ってしまうのだ、と事情を説明。豪州のブリスベンから来たとの
こと。

午後9時過ぎ、5人のタイ人帰る。子どもたちと片づけをし、
「ハイリーホテル」へ帰ろうとした矢先、「豪雨」「強風」。
雨具がない。トゥオイさんがポンチョを貸してくれる。
豪雨の中、護送船団で「ハイリーホテル」へ帰る。
靴が雨でびしょ濡れ。

投稿者 koyama : 20:56 | コメント (0)

2008年04月22日

インターネット整備 

晴天

気温34度。

午前7時朝食。チャオバンカイン。(小麦粉の手打ちうどん)
午前8時半。ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所でバオミンさんと当面の諸問題について
協議。
インターネットが通じない。ベトナム事務所は通じている。
「ハイリーホテル」のインターネットに問題があることが
分かった。バオミンさんに頼み業者を「ハイリーホテル」
に行ってもらう。「ハイリーホテル」のインターネットの
モデムに問題があった。

午前11時半、「ハイリーホテル」へ。
昼食。

午後12時半。昼寝。
午後2時、読書。「新約聖書2お知っていますか」(阿刀田高著)
受胎告知・妖女サロメ・ガリヤラ湖。

日本から電話。

午後4時、ベトナム事務所へ。
バオミンさんと当面の諸問題を話し合う。

午後5時半、日本料理店で子どもたちと夕食。
夕食を始めたとき、宇都宮縫製工業組合佐藤理事長が
日本料理店へ。一緒に日本料理店で飲む。その後、ハイ君・
リー君・千草先生・いぶき先生・来客の大阪の大学生・
佐藤理事長と飲む。午後9時前日本料理店閉店。

護送船団方式で「ハイリーホテル」へ帰る。

投稿者 koyama : 23:22 | コメント (0)

2008年04月21日

星野さん帰国:「縫製研修センター」支援者の方と懇談

晴天

気温34度。湿度55%。

午前7時朝食。インスタントラーメン(野菜なし)

午前7時20分、星野さんとバオミンさんが「ハイリーホテル」へ。
一緒にフエ空港へ。
午前8時過ぎ、チェックインの続きが終わり、入場。


3泊4日という短い期間であったが、里子やベトナム事務所員
日本料理店員、「子どもの家」の子どもたちなどを励ましてくれた。
無事の帰国を祈る。深謝。

「ハイリーホテル」で読書。「源氏はおもしろい」
五木寛之(作家)、久保田淳(中世文学者)、八しま正治(中世文学
研究者)、三島由紀夫・竹西寛子(作家)
10人の対談を読んで、源氏物語の主人公は、光源氏ではなく源氏を
とりまく女性陣だという点では、共通していた。
また、源氏物語の基調には、当時の没落した藤原一族の
紫式部の勝利者である藤原主流派への柔らかな批判を
含んでいるいう指摘も学ぶ点があった。

洗濯。乾燥機が作動しないので、屋上に干す。

午前11時時ベトナム事務所へ。
宇都宮縫製工業組合佐藤理事長、ホーチミン市で縫製会社を
運営しているA社長なとど交流昼食会。バオミンさんも一緒に。
フエ郊外にある海産料理(海老・かに・イカ・貝・・・)の専門店。
近くのトゥオンアン海岸で取れた新鮮な魚介類を食べる。

午後1時、ベトナム事務所へ戻る。電動バイクで「ハイリーホテル」。
昼寝。

午後3時、読書「新約聖書を知っていますか」(阿刀田高著:新潮社)

部屋と隣の食堂の掃除。

午後5時、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所は午後2時半から停電。噂では午後9時過ぎまで
停電とのこと。
午後5時半、ろうそくの灯で夕食。暗い中での食事なので
味わいはない。

午後5時半オーストラリア人来店。午後6時半から開店と話す。
午後6時半、ガイドブック「ロンリープラネット」を読んだとのことで
日本料理店に来店。ろうそくの中でカツカレーを注文。
午後7時過ぎまで食事。私と少しボランティアなどについて
話し合う。
気温34度。高湿度。室内にいたので暑くていられない。
来客がないので日本料理店の前に出て、夜の少し涼しい風に
あたる。そのうち子どもたちが「ダーカウ」(けまり遊び)をはじめる。
注意をする。暑いから日本料理店前で涼を取るのは問題ないが、
勤務中「遊ぶ」ことは、問題あり。「勤務中、遊ばないように」と
注意。ベトナムではこの種の問題は日常茶飯事。公私の区別が
出来ないのは、お役所などが典型的。

その後来客なし。午後8時、日本料理店を閉店。
「ハイリーホテル」へ帰る。
「ハイリーホテル」は電気は点いていたが、インターネットが
通じなかった。

投稿者 koyama : 10:53 | コメント (0)

2008年04月20日

星野さんと食事会

晴天

気温36度。湿度50%。

午前8時起床。

昨夜、火焔樹日記を書いたのだが、アップ出来なかった。
ブログ容量満杯のため。

午前10時、星野さん、バオミンさん、日本人スタッフと
海鮮昼食を食べに行く。


午後12時半帰宅。昼寝。
午後1時半、佐藤さんから電話。

その後、読書。「源氏はおもしろい」(瀬戸内寂聴対談)
清水好子(平安文学研修者)、大庭みな子(作家)
秋山虔(東大名誉教授・源氏物語研究者)、氷室冴子(作家)
橋本治(作家)との対談。

善光寺が聖火リレーの出発所を辞退したという。
記者会見では「チベット仏教を暴力で弾圧していること」も
同じ仏教徒の仲間として返上の理由にあるといっている。
久しぶりに「筋の通った」記者会見の意見を聞いたように
思う。同じ仏教徒として、チベット仏教を武力で弾圧する
中国に抗議するというのは、当然の気持ちである。

投稿者 koyama : 19:42 | コメント (0)

2008年04月19日

ベトナム事務所員会議:星野さんとJASS関係者懇親会

晴天

気温32度。

午前7時朝食。フランスパン(玉子焼き入り)
午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。
午前8時半、ベトナム事務所員会議
バオミンさんの司会で進行。

(ソン)歯が痛いので気分が悪い。
    夏のスタディーツアーのための日本語の勉強。
    今週は「グエンフエ高校」での交流の際に使う
    日本語の整理
(フーン)観光基礎コースを週3回教えた
     初級コース募集中(現在28名応募あり)
(ハン)ブライセンへ研修に行ったTHI君・VUのために
    日本語の研修計画をベトナム語に直しブライセンに送った。
    手紙の翻訳
(ゴック)4月27日に結婚する。結婚式に参加して欲しい。
     招待状を手交。
      中級コースのテスト
(いぶき)月:初めてフエ高等師範大学で授業をした。学生が
      積極的に反応していた。日本語はだいぶ学生の反応が
      違う
      中級テスト(会話:一人一人学生と会話テストをしたが、
              それぞれのレベルの違いが大きかった)
(クアン)夏のスタディーツアーの際のガイドのための日本語の準備
     4月19日支給の給料用の日本円をドルに両替
(千草) 月・水・金 観光基礎コース(漢字・会話)
      中級から来た学生など2人の学生が観光基礎コースに入っ
      た二人に特別の課題を出し、観光基礎コースの他の学生と
      と同等の力をつける予定。
      木:フエ高等師範大学の授業 先週、「春の小川」の歌を
      教えたが、今週上手に歌った。
(ミン)「子どもの家」のコンピュータ教室の増強。4台のコンピュータ
    を入れる。国際ソロプチミスト京都ー西山の寄贈。
    コンピュータ教育のプログラムを作る
    新たに入所の予定の2人だが、学年末試験のため入所が
    遅れる。
     静岡大学入試説明会の準備が終わる。
    「縫製研修センター」増強工事の進捗状況。
    長島夫妻フエ訪問の準備を終わる。


ベトナム事務所員会議終了後、「ソン君」の誕生祝の会
ベトナム事務所員の寄せ書きを贈る。
ケーキとミートパイを贈呈。全員で記念写真。26歳になるという。
その後、30分ほど、会議室ソファーでケーキを食べながら
ソン君の仕事、ゴックさんの結婚式(4月27日)のはなしなど
雑談をする。

午前10時20分。バオミンさんと一緒に星野さんの泊まっている
ホテルへ。星野さんと一緒に「子どもの家」へ。
「子どもの家」でセン運営委員長と懇談。
その後、里子のランさん(11歳)ラム君(10歳)と懇談。
日本からの記念の衣類を渡す。二人は衣類を着替えて
星野さんと記念写真。

午前11時半。ランさん、ラム君、星野さん、バオミンさん、
子どもたちと一緒に昼食を食べる。海老の甘辛煮、空芯菜炒め、
野菜スープ。

星野さん・バオミンさんとベトナム事務所へ戻る。
星野さんに自転車を1台渡す。今日・明日と星野さんは
自転車で町を散策するという。

「ハイリーホテル」へ。既に子どもたちは昼食を済ませ
昼寝に入っているようだ。

午後1時過ぎ、昼寝。1時間。
読書「寂聴対談 十人十色 源氏はおもしろい」
①丸谷才一との対談。
②俵万智との対談
  ジェラシーが恋のエネルギーになる


午後3時、当面の日程の整理。部屋の荷物の整理

午後6時、日本料理店でベトナム事務所員・日本料理店
店員と星野さんとの交流夕食会。

ベトナム料理半分、日本料理半分。
星野さんからお土産に日本からの衣料が贈られた。7年前、
高校生でフエに来た高橋さんが、社会人になり会社の皆さんに
声をかけで集めてくれた服を星野さんがわざわざフエに持って
来てくれた。日本料理店の子どもたち、ベトナム事務所のスタッフ
へ必要な量の衣類が贈られた。スタッフや子どもたちは喜んで
星野さんが持って来てきれた衣類を選んでもらっていたい。
高橋さんに感謝。

午後9時半まで交流会は続く。


投稿者 koyama : 17:03 | コメント (0)

2008年04月18日

星野さん来訪

曇り のち晴天
少し寒くなった。

気温30度。湿度70%。

午前6時半、停電。

午前7時朝食。キャッサバ芋の粉メン。

バオミンさんと電話で打ち合わせ。

午前中、日本のNPOの方と何度かメールで連絡。

「ルポ 貧困大国 アメリカ」(堤未果著 岩波新書)
を読む。想像はしていたけれど、堤氏の具体的な
数字を列記したアメリカの貧困の実情を知るにつけ、
背筋が寒くなる。
第1章は「貧困が生み出す肥満国民」
1950年代・60年代のアメリカは、肥満は豊かさの
象徴でもあったが、今日では、肥満は貧困の象徴となった。
「民営化」路線は、政府の業務・責務を極端に縮小していく。
貧困家庭に対しての支援が大幅に削減。貧困家庭に
食事クーポンを政府は支給。金額が少なく、貧困なために
家庭に調理道具がない。貧困家庭は、スーパーで
調理済みの「チーズ・スパゲッティー」「ピザ」など
栄養がなく、高カロリーのジャンクフードを食べる。
肥満が増大する。貧困地域ほど肥満が多いという現象が
出現。

第2章 ハリケーン・カトリーナの被災を検証し、アメリカでは
命と安全すら保証されない貧困地域・家庭が増大していること
を暴いている。小さな国家、「官から民へ」という路線は、国家が
国民の安全と安心を守ることを放棄してしまったことを
国家の関係者自身が告白している。

第3章 一度の病気で貧困層に転落する人々
     小さな政府・民営化路線で国の医療費の大幅削減の
     結果、多くのアメリカ人が医療から排除されている。
     保険に入っていても医療費が異常に高い。
     盲腸の手術代: 日本は64200円
     入院費1日:12000円。
     日本では4日・5日ほど入院と盲腸の手術代で30万円以内
     ニューヨークでは1日の入院で 243万円もかかる。
     貧困層は盲腸の手術も出来ない。
     
      

午前11時半、昼食

午後12時半から1時間ほど昼寝。
午後2時から引き続き読書。「貧困大国アメリカ」

第4章  出口をふさがれた若者
      貧困層の若者は、軍隊の奨学金等のプログラム
      をもらうため入隊している。イラクに派遣されている
      多くの兵隊はアフリカ系アメリカ人やヒスパニック系。
      貧困層が多く、優秀でも学校へ行くお金がないので
      軍隊の作っている様々な特典を使うため入隊し、
      はからずもイラクに派遣され死んり、傷ついたり、
      精神を病んだりしている。

第5章  世界中のワーキングプアが支える「民営化された
      戦争」
       アメリカには戦争請負民間会社が多数存在し、
      貧困層を対象に多少高額な給与と引き換えに
      軍隊の代行をさせている。フィリピンやネパール 
      その他アジアの国々の貧困層を雇用して、
      イラク・アフガンでの戦争の「傭兵」としている。

一気に本書を読んだ。読み終わり「フーッ」とため息が出た。
自由と民主主義の国と思われていたアメリカの実態。
人間と人間の命と人生がまさに「商品」となっている。
階層格差が出来があり、生まれたときからどうしようもない
貧困の中から抜けられない社会システムになっている。
著者の堤氏は繰り返しこれが「新自由主義」の行き着く先と
指摘している。新自由主義(小さな政府・民営化)は、
結局、国民の命と財産、人生という国家が最低保障しなければ
ならない義務を放棄するものであると訴えているように
読み取れた。
今、日本で急速に進行している異常な社会現象。
年金が国家によって盗まれ、郵便局が民営化され、
後期高齢者医療保険が出来、75歳以上のお年寄りから
もお金をむしりとろうとしている。医療の質も低下する。
本書で現在進行形中の様々な出来ことが、アメリカで
既にその結果がでている新自由主義路線の結末で
あることが分かる。
多くの人に一読してもらいたい本である。
「ルポ 貧困大国アメリカ」(堤未果著 岩波新書 700円)
本書を贈呈してくれた京都「豊田観光」の豊田氏に深謝。

午後3時半、ベトナム事務所へ。ベトナム事務所は午後2時半から
停電とのこと。再び、「ハイリーホテル」へ戻り仕事。
午後5時過ぎ、バオミンさんが「ハイリーホテル」へ迎えに来る。
バオミンさんと一緒にフエ空港へ。上尾の星野さんの出迎え。
定刻より早く着陸。午後6時、出口に出てくる。

車でフエ市内のモーりンホテルへ。チェックイン。
その後、星野さん・バオミンさんとフォーサイゴンへ行き、夕食。
春巻き、豚の内臓炒め、チャーハンなどを食べる。

午後8時半、モーりンホテルへ戻る。日本料理店は、午後7時半
過ぎても停電。閉店とする。

午後9時、「ハイリーホテル」へ帰る。ハイ君が警備員として
待っていた。リー君と女子2名は、近くのインターネットカフェー
へ行き、チャットをやっているとのこと。

読書「源氏はおもしろい 十人十色」(瀬戸内寂聴対談)を読む。
瀬戸内寂聴と10人の源氏物語好きとの対談。
一人目は丸谷才一。
紫式部は藤原道長の愛人だった。当時の首相。道長との
寝物語に様々な「女性遍歴」を聞かされた紫式部が
その話をもとに作ったのが、「源氏物語」だというのが
丸谷才一氏の説。

投稿者 koyama : 08:49 | コメント (0)

2008年04月17日

与謝野源氏三巻読了:当面の打ち合わせ

晴天                休肝日


気温30度  湿度70%

午前5時起床。「与謝野源氏」を読む。
午前7時朝食。チャオバンカン。

リー君は昨日の注意に従って、5階から1階までの階段の
掃除をする。但し、集めたゴミは、1階に捨てたままで
どこかへ消えた。

午前8時過ぎ、バオミンさんから電話。「ベトナム事務所は
現在停電。予測では午前中は停電。あと30分ほどしても
停電が続いた場合は、ベトナム事務所員は家に帰って
仕事をしてもらう」とのこと。千草先生・いぶき先生にベトナム事務所
に行かないように連絡。「ハイリーホテル」で仕事をするようにと。

「ハイリーホテル」の自室で与謝野源氏を読む。
「手習い」の巻  横川の湯僧都一族に助けられた
浮舟は尼となる。
「夢の浮橋」の巻  薫、浮舟かどうかを確かめに行くが
会えないまま、源氏物語は終わる。最終章。

1巻680ページで三巻という大作。1ページの字数も800字程度。
岩波新書が550字。とにかく三巻を読了するには、かなりの
「体力」と忍耐力を要した。明治になって現代語訳の最初の訳本
であった。晶子の恐るべきエネルギーを感じる。かなり翻訳的な
硬直した感じの文章の部分もあるが、逆にしっかりとした尊敬語を
駆使しての文章でもある。あまりに尊敬語が多用され、読みにくく
なっているのも事実。登場人物名が官職・役職で表されるため
誰だかわからなくなっていまう。そのため、三種類の本の
源氏物語系図を側において、常に「この人は誰だ」「源氏とどんな
関係だ」と確認しながら読まなければならなかった。
1000年以上前にこうした物語が書かれたことに驚きを感じる。
基本的に今日の人間と全く同じ煩悩に苦しむ人間を
書き表わしている。恋愛を通して、人間が生きる苦悩=無常
を言いたかったのかななどと思う。
これで3人の作家の現代語訳を読んだ。瀬戸内源氏、田辺源氏、
そして与謝野源氏。入門としては、瀬戸内源氏が丁寧に書かれて
いてわかりやすかった。王朝の雰囲気が一番出ているのは
田辺源氏だった。与謝野源氏は54帖全てを書いているので
源氏物語の全貌を読み取れた。
本来、この後原典の源氏物語を読む予定だったが、
今、そのエネルギーがないのと、読みたい本が目の前に
転がっているので、方針変更。源氏はとりあえず、ここで
とめて置き、今後時間があったら谷崎源氏をどうしても
読んで見たい。今度、帰国したら神田の古本屋で
谷崎源氏を見つけてみることにする。

「ルポ 貧困大国アメリカ」(岩波新書 堤未果著)を
読みはじめる。著者は我が会の会員でもある
参議院議員の川田龍平氏と先日結婚した。


午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。
からし菜の炒め物、野菜、ミットのスープ。

午後12時半から昼寝。

午後2時。あるテレビ局からの取材申し込みへの返事を
書く。

当面の日程を改めて見直す。
明日からフエに来られるHさん、来週来訪する静岡大学
入試説明会。シュミレーションをして問題を確認。

午後3時過ぎ、ベトナム事務所でバオミンさんと
当面の日程に基づき、細かい点の最終打ち合わせ。
全ての日程が万全に遂行できるよう綿密に計画を立て、
再度見直す。

午後3時、「ハイリーホテル」を出ようとしたが、玄関の
ドアの鍵が開けっ放し。
ベトナム事務所につき、リー君と二人の女子を呼ぶ。
玄関入り口のドアの鍵を開けっ放しで日本料理店に
来たのでは、「ハイリーホテル」に泥棒が入る。
自分たちの行動に責任を持つように。ハイ君も警備員を
していなかったので、泥棒が入ったら、1階のテレビや
5階の台所にある荷物や貴重品などが盗まれる。
既に回りの家で泥棒の被害を受けている人たちが
たくさんいるとのことだ。女子2名が、鍵をかけないで
玄関を出たという。厳しく注意する。自分の家だと思って
行動するように。

ベトナム事務所でいくつかのメールへの返事を書く。

午後5時半日本料理店の子どもたちと夕食。
ナスのニンニク・唐辛子煮びたし、人参と豚肉の煮物。

午後6時に2人の日本人が来店。今日の来店は早い。
日本人のお客さんは日本料理店の入り口前の外の
テーブルで食事。子どもたちはカウンター上のテレビを
大きくつけて、ベトナムテレビの番組を見ている。
勤務時間中は、絶対にテレビなどを見てはいけないと
言う事になっているのに・・・・。
私が3階から降りていくとリモコンでテレビを消して、
何食わぬ顔をしている。「したたかな連中」「二重人格」
の基礎教養をしっかりと身に付けている子どもたちでは
ある。私の前では、きちんとしていても、見えないところで
は全く違う行動が出来る子どもたちだ。へなちょこな
日本人では到底御すことのできない連中でもある。
ベトナムで生活・活動するのは本当に大変なことである。
ベトナム人は『目が澄んでいて良い人ばかり』などと
能天気なことを言っている旅行者も多いが、このレベルで
生きているのが一番楽しいのかも知れない。
私たちはあまりに深くベトナム(正確にはフエに)
関わりすぎてしまった。

午後7時、宇都宮縫製工業組合佐藤理事長から電話。
日本料理店に来るとの話。日本料理店で軽く飲んで
くれる。千草先生・いぶき先生も加わり、午後9時半まで交流。
私は食事をしたので今日は飲まなかった。

午後9時半、日本料理店閉店。3人の来客。

護送船団で「ハイリーホテル」。
午後9時50分到着。

「ハイリーホテル」自室で受信メールへの返信をする。

投稿者 koyama : 17:04 | コメント (0)

2008年04月16日

JASS特集番組全国放送:リー君との話し合い

晴天 休肝日

気温34度。

午前4時起床。読書。与謝野源氏。

午前7時朝食。マカロニスープ。

午前8時半、ベトナム事務所へ。
2階会議室へ入るとハイ君が座っていた。
バオミンさんもいる。事情を聞く。

ハイ君が午前8時過ぎにベトナム事務所に来て、
「石鹸がなくなった。10万ドン(700円)貸して欲しい」と
会計のハンさんに言ってきたそうだ。1階日本料理店の
入り口にはリー君がいてミンさんに「今、ハイが2階に行った」
などと怪しげなことを言っていたとのこと。

急いで、ハイ君に事情を聞く。

「石鹸がないくらいでどうして
10万ドンも必要なのか?」「本当のことを言いなさい」と。
ハイ君の返答。「リー君に脅かされ、10万ドンベトナム事務所
で借りて来いと言われた」とのこと。
4月20日にもらう給料のほとんどを前借りして使ってしまい、
更にお金が欲しくなり、ハイ君の給料ももらおうとしたリー君。
それも断られると、今度は、ハイ君を脅し、嘘をつかせて
10万ドンを手に入れようとしていた。ハイ君を厳重注意。
今後、リー君に何を言われても、嘘をついて悪いことをしては
行けないこと、リー君にお金を貸さないこと。今まで、どの位の
お金をリー君に取られているのか聞いてみる。喫茶店に入って
コーヒーを飲んだ時は全てハイ君にお金を出させていたとのこと。
15万ドン程度お金を使っていると言っていた。
とにかく、2月のテト正月にホーチミン市からやって来た母親に
「何がしかのお金」をもらった後、携帯電話を買い、その後は
真面目に仕事もしない。昼間からお酒を飲み、遊び歩いている。
給料の前借り、ハイ君の給料の横取り、ハイ君にお金を
出させる、挙句の果てに「ハイ君に10万ドンの借金をさせ、
そのお金でまた遊ぼう」と企てているリー君。
お金ですっかり人間が変になってしまった。

直ぐにバオミンさんと協議し、午後3時にベトナム事務所で
リー君を注意する事にした。急いで、ソン君にリー君に午後3時の
件を伝えるよう依頼する。困ったものである。

午前9時。ヤーホイ高校の校長先生とホーチミン青年団担当の
先生がベトナム事務所を訪問。先日の静岡大学入試説明会
打ち合わせを「すっぽかした」件で謝罪に来た。
様々な事情を説明。校内のいくつかの問題・事情があったことが
分かった。

ホーチミン市にいる知り合いの人からバオミンさんに電話。
「今、ホーチミン市にいるが、小山さんの特別番組がホーチミン市
で放送されているよ」とのこと。
急いで、ベトナム事務所のテレビをつける。日本料理店の
グエットさんへのインタビューの場面だった。ハノイの中央テレビから
全国放送されていた。ベトナム事務所員の皆さんと途中から見る。
縫製研修センター・日本料理店・障害児支援・「子どもの家」での
活動、3枚の表彰状も映っていた。(大統領からの友好勲章・
知事表彰・愛国表彰)これでJASSが、ベトナムで大きな役割りを
果たしていることが全国的に明らかにされた。
ベトナム政府・ベトナム共産党からきちんとした評価を
得たともいえる。JASSが15年間フエで頑張ったことが高く評価され
た今回の「ベトナム全土解放33周年記念特別プログラム」。
今回の「全土解放33周年記念特別番組」で顕彰された
2人の外国人の一人に私が入ったことは、JASSとしても誇りに
思える出来事である。

午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。

午後12時半、昼寝。

午後1時半、読書。「与謝野源氏」(浮舟)
(蜻蛉かげろう)。浮舟は、薫と匂宮との間で悩みぬき、
宇治川に入水自殺する。

午後3時、ベトナム事務所へ。
バオミンさんと一緒にリー君に注意を与える。
2月テト以来のリー君の行状・問題行動を具体的に話す。
「今後日本料理店で仕事をしたいのか、したくないのか?」
今のように昼間からお酒を飲んで仕事に来ない、勝手に
どこかへいてしまうなど、およそ仕事をする姿勢にない。
このままでは日本料理店での仕事を認めることは出来ない。
今の生活と仕事の態度を変えられないのなら、日本料理店
を辞めて欲しい」と話す。
リー君は「仕事をしたい」と答える。仕事をしたいと言っても
今までのような「なめた」態度で仕事をするのであれば
認められない。日本料理店の他の子どもたちも仕事を
する気持ちがなくなる。今後、仕事に対する態度を
改善できるのか?
真面目に仕事をするとのこと。
勤務時間を再度確認する。「午後2時半から午後5時半」
『午後5時半から午後6時半』は夕食休憩。
「午後6時半から午後9時半」まで仕事。1日の勤務時間は、
6時間。

今後、万一、無断欠勤をした場合は、1日分の給料をカットする。
1時間勤務を放棄した場合は、1時間分の給料をカットすることを
話す。「ノーワーク、ノーペイ」の原則。

更に生活態度を直すように話す。「仕事をしないで、楽をして過ごそう」
などという考えをもたないように。回りの友達が、朝から喫茶店で遊び、
美味しい物を食べ、お金を持って暮らしている人がいても、リー君は
そうした環境にない事を客観的に理解しなければならない。
一所懸命働き、お金を稼ぎ、生きていかなければならない環境に
ある。これは、私もミンさんもベトナム事務所の人たちはみんな同じ
ことである。『人間は自分の力で働ける間は働き、給料をもらい
生きていくものである」。働かないで楽をして生きて行こうなどと
夢にも思ってはいけない。
ハイ君を使って悪いことを絶対にしてはいけない。もし、今度、
ハイ君を脅し、悪い事をしたら、私はリー君を絶対に許さない。

約1時間の『お説教』。リー君に自分で思う事を言うように促す。
リー君の言葉。
①自分は、JASS日本料理店の決りに明確に違反した。
②ハイ君を使って悪い事をしない。
③勤務時間をしっかりと守る。

私たちは人間を尊敬するからこそ、厳しい要求も出すのである。

午後5時半から日本料理店の子どもたちと夕食。
魚のフライ、インゲンの炒め物、野菜スープ。


午後6時半、日本料理店開店。
リー君はてきぱきと仕事をしていた。
欧米系2人。その後、更に欧米系2人が来店。
午後8時半、フランス人、イギリス人。
合計6人の来客。

午後9時20分日本料理店閉店。
護送船団方式で「ハイリーホテル」へ帰る。
午後9時40分、「ハイリーホテル」着。

投稿者 koyama : 18:08 | コメント (0)

2008年04月15日

伝説のフン・ヴォン王を祝う祝日

快晴 晴天

今日は伝説の国王「フン・ヴォン」の祭しの日。
今から4000年ほど前のベトナムを建国したという
伝説と説話の初代国王の祭し。ベトナム各地に
「フン・ヴオン通り」「フン・ヴォン高校」などの名前がある。
昨年、ベトナムの国会で決定され、2008年から国民の休日に
なった。旧暦3月10日である。今年は新暦4月15日。
毎年休日は変わる。


気温34度。

午前7時、朝食。
インスタントラーメン。おいしくない。10%程度食べる。
昨夜、自転車を日本料理店前においてどこかへ消えた
リー君。昨夜、午後10時半頃、べろべろに酔って
「ハイリーホテル」へ帰宅したとのこと。
昨日は午後、どこかで誰かと飲み、仕事をすっぽかして
午後10時半頃、一緒に飲んだ人物のオートバイで
「ハイリーホテル」まで送ってもらい帰宅したという訳である。
最近のリー君は「人生と仕事」をなめている。誰かが
鉄槌(てっつい)を加えなければならない。
明日、リー君を呼んで「何を考えているのか?」を聞き、
厳しく注意する予定。勤務時間をすっぽかしたら
時給で給料をカットすることにする。勤務時間は
午後2時半から午後5時半。1時間の食事休憩。
午後6時半から午後9時半。
現在、3食と「ハイリーホテル」の家賃はだだである。
食事と家賃がただと言うのは、最高に恵まれた生活で
ある。リー君は自分のおかれた今の生活のありがたさが
「当たり前」と思っている節がある。
私たちが「善意」で支援することが、子どもたちや
一部のベトナム人には「当たり前」のこと、と取られることを
支援者は理解しなければならない。

千草先生・いぶき先生・ホンニーさん・トゥオイさん・ハイ君と
インスタントラーメンの朝食。しばらくして、酔っ払いリー君が
出てきた。朝食も摂らずに1階の椅子に座っていたい。
「人生に悩んでいるのか?「はたまた、お金のことを考えている
のか?」。

昨年12月15日から今日まで私が飲んだ缶ビール、水のペットボトル
を貯めていた。子どもたちに言って「業者に売りなさい。代金は
1階の金魚のえさ代。残ったらニーさんが保管しておくこと」と話す。
業者を呼んで売る。ビールの空き缶1本2円。1リットルのペットボトル
1本2円。小さい水のペットボトル1円。
業者からもらったお金は200円程度。

部屋に戻り「与謝野源氏」を読む。至福の時間。
光源氏の子ども「薫」の情人になった「浮船」。
同時に源氏の子どもの「匂宮」とも関係をもってしまう。
複雑な男女関係。

午前10時過ぎ、冷えた缶ビールを飲む。小樽からもらった
ソフト鮭トバ。札幌や東京で色々な鮭トバを食べたが、
小樽の特製鮭トバが一番おいしい。小さくカットして
冷凍庫に入れておくと1年間位はもつ。

午前10時半頃、宇都宮縫製工業組合佐藤理事長
から電話。今後の「縫製研修センター」の増強工事に
ついての話。ありがたいことである。すぐにバオミンさん
に電話。佐藤理事長からの電話の内容を伝え、必要な
手を打つ。

缶ビールを4本飲む。日本にいた頃は、日中お酒を飲む事
には、強い「罪悪感」を持っていた。
昨年還暦を迎えこれからそれほど長くは生きられないと
得心。もうこれからは「飲みたいものを飲みたい時に飲む
生まれながらの権利がある」と勝手に決めてしまった。
しかし、時々「アル中」ではとの根拠のない不安感が
襲う。週に何度かお酒を飲まない日を作っている。
火炎樹日記に「休肝日」と書くのは、自分自身の
挑戦である。休肝日とかくことによって、「アル中ではない」
と自己確認している。
今は、ビールを飲む時、スルメか簡単なおつまみがあれば
十分。食事をする食欲はなくなった。
子どもたちが「リサイクル業者に缶ビールの空き缶を売る
ようになった」ので、頑張って「缶ビール」を飲む理由と
必然性が出来た。「飲む」時には、飲む理由と必然性が
あると「美味しく」飲める。江戸落語を聴くと「今日は天気が
良いから一杯飲もう」「今日は、寒いから一杯飲もう」
「今日は桜がきれいだから一杯飲もう」「今日は金がないから
一杯飲もう」と飲む時には「理由とその必然性」が必要である。

午後1時、昼寝。

午後2時から与謝野源氏を読み切ろうとがんばる。
バオミンさんから電話。ベトナムの海外放送のテレビ(英語版)
で私の特集番組が放映されたとのこと。
4月23日に全国放送がある。これでJASSの活動も
ベトナム政府・社会から認められたことになる。


午後4時半頃、宇都宮縫製工業組合佐藤理事長から電話。
夕食を一緒にとのお誘い。バオミンホテルまで行き、
歩いて「コードー」レストランまで。午後9時近くまで
「縫製研修センター」のことなど話し合う。
ありがたいことである。忙しい中、何ヶ月もフエに滞在し
「縫製研修センター」のミシン増築など様々な支援をしてくれている。
口では何でもいえるが、こうして実際にフエに来て仕事を
してくれる人はそうざらにはいない。感謝。私と同年齢の
猪年。


「ハイリーホテル」へ戻る。リー君・ハイ君が待っている。
5階まで上がり、部屋に入ろうとすると後ろからハイ君が
「先生、おなかがすいた」とやってくる。
リー君の入れ知恵で「おなかがすいた」と言って、私から
お金をもらい、二人で飲もうという算段であるのは、明白。
今日は断る。二人とも給料をもらい、家賃・食事代は無料と
いう優遇された環境にいることの意味がわかっていない。
もらった給料を貯金することもせずに無駄遣いし、お金が
なくなると私や日本人に「頂戴」と言えばくれると思っている
ようでは困る。自分の身の丈の範囲で生活することを
覚えなければならない。
ここには「支援の功罪」の本質が見える。支援は人を救うことも
あれば、人を駄目にすることもある。愛と規律が必要。
支援の基本は、自立と自尊心を持たせることである。
人にこびへつらって、何かをもらい生きていこうとする
人間は大成しない。
我が家が倒産し、土地・家など全てを失しない、貧乏だった時、
母親が「人間はぼろは着てても心は錦じゃなきゃだめだ」
といつも言っていた。ベトナムで支援をしてみてこの言葉の
本当の意味がわかった。海外支援に「私は貧しいです。
助けてください」と言って支援をもらい、心では感謝もしない、
自分だけが良くなればよいと思っているような人間を支援しても
仕方がないと言うことである。自立し、自分で生きて行く人間、
心にプライドを持った人間を育てることが海外支援の本当の
目的である。海外支援では多くの人が「私は貧しいです」と
言ってやってくる。しかし、自分で努力して生きようとはしない
人間も多い。Aさんからの支援が終わったら、すぐにBさんと
次の人に移り変わる人々。支援で自立できた人がいつのまにか
「自分が優秀で力があったからだ」と勘違いしてしまう人間。
こうした種類の人々は、結局、支援に本当の感謝の気持ちを
持っていない。「心に錦」がないのである。心に錦をもった
人たちは、今度は、自分が貧しい人たち、困った人たちの
ために「ひと肌脱ごう」という気持ちになるのである。
自分と家族だけが贅沢な生活をするだけの人間は結局、
人からの信頼もなくし、最後は、昔の貧しい生活に戻って
しまうのである。
海外支援をして15年。様々な体験をした。今、海外支援
の最終的な目標は、人間の心の中に「錦」をもつ人を
育てることである。自分だけの幸せではなく、他人の
幸せのために努力できる人間を育てること。ただ物を
あげる支援は意味がない。人間の心の中にある
「他人を思いやる心」に灯をつけることである。
リー君・ハイ君の心に灯が点くのか、点かないのか?
点けてもすぐに消えてしまうのか? 自分で消してしまうのか?
それは私たちの取り組み次第である。


後期高齢者医療制度で混乱が広がっている。
厚生労働省は「長寿医療制度」と名前をつけたそうだが、
これほど、中身と名前の一致しないものも珍しい。
長寿医療と言っても年金月額4万円程度の75歳以上の
お年寄りから数千円のお金を天引きするという。
今まで子どもたちの扶養家族となっていた高齢者からも
保険料を取るという。
75歳といえば、1945年の敗戦時には13歳である。
その後、日本の復興に一番努力してきた世代だ。
自民党は「愛国心」「とか「道徳教育」などと言っているが、
今回の後期高齢者医療制度はまさに「お年寄りいじめ」
そのものである。敬老の精神をかなぐり捨てた典型的な
悪い制度である。本来は、種々工面して、「75歳以上の
皆さんががんばってくれたので今日の日本があります。
是非長生きしてください。医療費は75歳以上になれば
無料です」というべきなのだ。これが本当の敬老精神で
あり、道徳教育の見本なのだ。
田中角栄などの時代なら、こうしたことはなかったように
思われる。自民党ももうすこし苦労した人たちが政治の
中心にいた。今は、苦労をしないお坊ちゃん政治家ばかりが
巾をきかしている。
自民・公明政権は、言ったことに誰も責任をもたない。
安部元首相が「2008年3月31日までに最後の一人まで
年金問題を解決する」と選挙演説で言っていた。
この言葉に安部元首相は責任を持つべきである。
未だに何ら自己批判すらしていない。山口2区補選に
ずうずうしく出て行って演説をしている。厚顔無恥とは
こういうことをいうのだ。安部元首相「恥を知れ」。
公明党が「100年安心年金」と言っていた翌日に
その根拠が崩れた。今、日本人で年金が100年安心と
思っている人はいない。100年不安の年金である。
公明党も何らこの問題で自己批判していない。
政権政党は権力を握っている。それなりに責任は重い。
真摯な自己批判が必要である。自己批判をないなのなら、
次回の選挙で痛烈な鉄槌を加えるしかない。

投稿者 koyama : 12:21 | コメント (0)

2008年04月14日

オアシスの会プロジェクト推進

晴天


気温32度。

午前7時、朝食。リー君も参加。

午前8時半、ベトナム事務所へ。オアシスの会プロジェクトの
件でフーハウ診療所長と懇談。今までの活動状況を聞き、
今後の活動についての計画などを話し合う。
難聴の子どものための補聴器を買うことにする。

昨日の日曜日午後12時45分にフエテレビとハノイの
中央テレビフエ支局の二つのテレビ局で私の特集番組が
放映されたとのこと。日曜日のお昼時なので私の番組を見た
フエ市民は多いと思われる。肝心の私たちが見ていなかった。
「子どもの家」では子どもたちがみんな見ていてそうだ。
昨日、「子どもの家」に遊びに行っていた「ハイリーホテル」の
住人の子どもたちからの報告。

午前10時、散髪屋へ。15年間通っている馴染みの散髪屋。
店主が私の髪を切ってくれるのだが、今日は席に座った途端、
「昨日、テレビを見たよ」という。その後は、隣の店員に
「この人は15年前にフエ師範大学で日本語教え、今は
ストリートチルドレンを支援したり、日本語学校を運営しているだ」
などと話していた。
4月23日には、ハノイから同じ番組が全国放送されることになっている。
散髪代2万ドン(150円)。

ベトナム事務所でバオミンさんと当面の諸問題を打ち合わせ。

メールの送受信。

午前11時過ぎ、「ハイリーホテル」へ。
昼食。リー君も来ていた。空芯菜のニンニク・唐辛子炒め、
野菜の漬物の炒め物。、野菜スープ。


午後12時半、昼寝。

与謝野源氏(下)を読む。やっとあと3分1で終わる。
宇治10帖。源氏の子ども、匂宮・薫の時代になり、
子どもたちの恋愛物語が展開されている。

午後2時半、ベトナム事務所へ。
途中、豚肉と小麦の手打ちうどんを買う。
日本料理店で明日食べるうどんの付け汁を作る。
豚肉を油で炒め、塩・だし汁・醤油で味付けする単純な
付け汁だが、小麦手打ちうどん(500グラム30円)を
茹でて水洗いをして食べると美味しい。
明日は、ベトナムの「休日」。明日の休息計画の一環。

午後2時半から日本料理店は仕事を始めるが、
リー君は来ない。夕食もこなかった。気分が乗れば
仕事をし、気分が乗らないとどこともなく消えてしまう。
日本料理店の他の子どもたちから、リー君は仕事を
しないので良くない、との声が上がっている。
その通りではあるが・・・・。

午後5時半日本料理店の子どもたちと夕食を開始した途端に
ベトナム人など2人の来店。太巻き寿司を注文。
ハイ君と私以外の子どもたちは全員、直ぐに食事を中断し
厨房に入り、注文を作り始める。

午後9時過ぎ閉店。
ベトナム人1人、日本人3人、タイ人2人。韓国人1人。
合計7人。

リー君は、日本料理店前に自転車を置いたまま消えてしまった。
自転車を日本料理店の中にしまい、「ハイリーホテル」へ
帰る。数日前、「ハイリーホテル」玄関内の植木の花瓶が割れていた。
夜中の2時か3時頃、「ハイリーホテル」に帰ってきたリー君が、
玄関横の窓をこじ開けて室内に入った際、花瓶を割ったことが
判明。2月テトで母親に会って、小金をもらって以来、携帯電話を
買い、物・物・金・金の生活に入りつつある。責任をもった仕事は
しなくなっている。困ったものである。仕事をしないで、月給の
前借り、果てには、ハイ君の月給まで使おうとしている。
何を考え、何をしているのだろうか? 仕事をしないで
甘い汁を吸おうなどという考え自体が間違っているのだが、
この種の人間がフエには、多発している。身近にもたくさんいる。
悲しい現実ではある。近日中にリー君を呼んで厳しく注意する
つもりだ。

午前中、ベトナム事務所は停電。
午後4時から「ハイリーホテル」が停電。
長時間停電のため「ハイリーホテル」の冷蔵庫の中の
食品がおかしくなっていた。
日本料理店・ベトナム事務所・「ハイリーホテル」と
順番に長時間の停電。突然の停電には困り果てている。
事前に担当者やお偉いさんは知っているはずである。
公表すべきだ。ベトナムの主人公は一体誰なのか?
主権者は誰なのか? 腹が立ってくる。特にビールが
暖かくなっている現実を見ると、理屈ぬきに腹が立つ。

投稿者 koyama : 17:54 | コメント (0)

2008年04月13日

休日

晴天


気温34度。

午前8時起床。テレビ朝日「サンデープロジェクト」を見る。
午前9時半、ベトナム事務所近くの「ほか弁」屋に行くが
開店していない。午前10時からとのこと。
以前、バオミンさんから教えてもらったフエ科学大の先に
ある「ほか弁」屋へ。15000ドン(100円)。
玉子焼き、キュウリと香菜の和え物、豚肉の甘辛煮。

午前10時、入浴。バスタブにお湯をため、ゆっくりと入浴、

ほか弁のおかずをつまみにフダ缶ビール1本。ほか弁を半分程
食べる。

与謝野源氏(下)「東屋」を読了。
源氏の息子薫、匂いの宮の妻中の君に恋をする。
中の君の異母妹を見つける。
「浮舟」。薫、中の君の異母妹を宇治の別荘に住まわせる。

午後2時、洗濯。
5階フロアーの掃除。
部屋の掃除。荷物の整理。

与謝野源氏を読む。下巻の3分の2ほど読了。

午後5時前、夕飯を買いに行く。途中で気分が
変わり、某大衆食堂でベトナムのおつまみで
フェスティバルビールを飲む。氷で冷やしながら飲む。
冷えるまで結構時間がかかる。
小瓶フェスティバルビール7本ほと。飲む。
途中、宇都宮縫製工業組合佐藤さんから電話。
日本語教師の皆さんと昨夜、インド料理を食べる
約束をしたとのこと。今、待っているが来ないとの電話。
日本語教師の皆さんの電話がわからないので、
バオミンさんに頼んで日本語教師に連絡してもらう。


千葉県八千代市の県立八千代西高校で入学金を後日
払うと言う保護者の師弟が入学式への出席を拒否されたと言う。
入学金を払わないのだから「当然だ」という意見もある。
私はこのニュースを聞いて、これからの日本が進む道を
垣間見たような気がした。お金がなければ学校へ行けない。
お金がなければ病院もいけない。お金がなければ学校も
病院も全てのことが出来なくなる社会がすぐ近くに来ている
わが日本である。既に労働者の3分の1が、年収250万円
以下の国である。若者の多くは「派遣労働」、携帯電話で
連絡があった時だけ仕事をして、インターネットカフェで
寝てその日をすごしている若者も多い。団塊の世代の
ホームレスも急増している。
何か「人情」のなくなった日本社会である。「決まりだから」
との一言で「入学式」にも出席できない千葉県の公立高校。
これから、お金のない家庭の子どもたちは、こうした形で
学校や社会から排斥されていくことが推測できる。
子どもたちに何も責任はないのだ。
もちろん馬鹿な親もいる。しかし、親は親だが、子どもたち
には未来がある。
今、私たちJASSが付き合っている子どもたちは、様々な事情で
親に捨てられたり、幼児期から青年期まで行方不明だった親が
成人した頃に突然出没する。
親に捨てられた子どもたちは、お金もない。県立八千代西高校
や千葉県教育委員会の考えでは、私たちが今、付き合っている
子どもたちは、入学式だけでなく、入学そのものが拒否される
ようになっているということである。日本は人情がなくなり、
お金が全てという社会になってきた。弱い人たちが社会の
隅に追いやられ、親が金持ちとか、親が名士、代議士などという
人間が、自動的に裕福な生活を享受する社会になってきた。
国会議員の多くの人たちが、二世。、三世の議員である。
自分の力ではなく、親の力で議員になっている。この種の
議員は貧しい人などの気持ちを理解できない。生まれた
時から「お坊ちゃん」なのだ。
京都の豊田さんから送られた「ルポ 貧困大国アメリカ」(堤未果著)
には、超格差社会のアメリカの現実が書いてあるように思う。
早く与謝野源氏を読了して、この本を読みたい。
新自由主義のアメリカの現実は、小泉「構造改革」の行く先を
暗示している。千葉県立八千代西高校の入学式に参加させない
という、およそ教育とは縁もゆかりもない教育委員会と学校の措置は
けして千葉県だけのものではない。小泉構造改革・新自由主義路線
の帰結である。
既にわが日本では、40年間もかけた年金が行方不明になり、
その上に「後期高齢者」と区分された「戦後の日本を作ってくれた
功労者」から、年金天引きで保険を取るようになっている。
弱い者でお金を払えない人は「排除」し、弱者からお金をむしり取る
路線が「小泉構造改革」である。小泉「郵政民営化」選挙で多くの
国民が小泉構造改革路線を支持したのである。責任は国民にある。
馬鹿な国民に支持されて馬鹿な政治家がいるのだ。
最終責任は主権者の国民にある。「騙された」なといういう言葉は
63年前に聞いている。
子どもたちや若者には、無限の未来がある。出来るだけ成長する
チャンスを作ってやることが、国家・社会の重要な任務であるのだが・・・。

千葉県立八千代西高校の入学金・初回の授業料は総額9万円。
9万円の支払いがないからといって、合格通知を出し若者を
入学式から排除した我が日本国家である。二人の生徒の総額は
18万円である。
国家が盗み取った年金は一体いくらなのだ。
自分たちは、国民の血税・国民のお金を湯水のように
無駄遣いしていながら、たった9万円の入学金を後日
支払うと言っている生徒を入学式に出席させないなどと
いう国家は信用できない。「冷たい国家」というのは、
こうした国をいうのだ。未来ある若者を応援し、成長させる
ことこそ、国家の基本的な任務である。

たった9万円の入学諸費用が納入していなかった生徒を
入学式に参加させなかった校長・教職員・教育委員会の
皆さん。あなた達は、自分の子どもは進学塾に入れ、
お金をかけて「勝ち組み」に入れようとしているのでしょう。
9万円の入学諸費用を支払えない生徒にあなた達は、
少しでも「心を寄せ」「共感し」「ともに生きよう」とする
気持ちがありましたか? 自分の子どもは「勝ち組」
に入れたいが、他人の子どもたちはどうでも良いと
思うのなら、あなた達は即時教員を辞職すべきだ。

改悪された教育基本法でも以下のような規定である。
経済的な理由での差別は禁止されている。
親が支払いをしないことと、子どもたちを入学式に出席
させないこととは別問題である。
改悪教育基本法4条3項で「3  国及び地方公共団体は
、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に
対して、奨学の措置を講じなければならない。 」と規定しいる。

県立八千代西高校は、二人の生徒の能力を認め、入学を許可した
のである。経済的な事情があるのなら、「経済的理由によって修学が
困難な者に 対して、奨学の措置を講じなければならない。 」のである。
入学金を後日支払うと言っている家庭とは十分話し合い、経済的な
問題があれば、奨学措置を取る義務が校長や教育委員会など
行政にあるのである。自らの責任を自覚しない校長やj教育委員会
はいつから「サラ金業者」になってしまったのだろうか?
あなた達は、法律に基づき、子どもたちの成長と自立のために
仕事をする義務を負っているのである。


(教育の機会均等)
第  四 条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2  国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
3  国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に 対して、奨学の措置を講じなければならない

投稿者 koyama : 16:02 | コメント (0)

2008年04月12日

ベトナム事務所員会議

晴天


気温35度。

午前7時朝食。マカロニスープ。
今日はリー君も朝食に出て来た。
最近のリー君は仕事に来たり、時々行方不明に
なったりとしている。テト正月の際、母親に会い、
何がしかのお金をもらって以来、携帯電話を買い、
お金・お金という風潮・態度が濃厚になって来ている。
月給が55万ドン。毎月20日が月給日である。
4月20日に55万ドンの月給を上げるのだが、既に
会計のハンさんに「前借り」を申し出て、48万ドンの
前借りをしてしまっている。4月20日の月給日には、たった
8万ドンしか渡せない。8万ドン(500円)で4月20日から
5月20日まで過ごせる訳がない。
テト正月の際、母親から『まとまったお金』をもらったため、
その後、「ハイリーホテル」での朝食・昼食は摂らず、
母親にもらったお金で好きな食事をしている。洗濯をしないで
衣類は捨てて買っている。お金のない人間が、少しお金が入り、
「贅沢な」生活をしてしまうと、その癖が抜けなくなり、
お金がなくなると「サラ金」で借金をしてでも贅沢な生活を
するようになる。5月20日からの月給日からリー君への
「前借り」を止めることにする。お金は本当に人間の心と
行動を変えてしまう「魔物」である。
ハン会計部長に「ハイー君の月給も自分に渡せ」と言いにいった
そうだ。
自分の前借りができなくなったら、「ハイリーホテル」に同居して
いるハイ君の給料を自分が持っていくと言っている。こうなると
お金に見境がなくなっている状況である。
15年間もリー君を捨てていた母親がたまに出て来て
多少の「まとまったお金」などをあげるものだから、リー君の
頭は「金・金・金」「物・物・物」に固まってしまったのである。
無責任な母親といわざるを得ない。これからも愛情と厳しさ
を持ってリー君に接していく必要がある。

午前7時半過ぎ、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所1階では、日本料理店の子どもたちが
英語の勉強をしていた。

午前8時過ぎ、バオミンさんと「ハイリーホテル」の諸問題に
ついて意思統一。

午前8時半、ベトナム事務所員会議。
バオミン・JASSベトナム運営委員長の司会。
(ソン)ベトナム事務所2階の会議室の模様替えをした。
    会議室と応接室の間に本棚を置いて、荷物をもっとたくさん
    おけるようにした。
    「ハイリーホテル」の荷物整理をした。
(いぶき)月・火・木は観光基礎コース(新しい教科書を使う。少し、
      難しいようだった)
    水・金 日本語学校中級(しゃべるのが早いと学生に言われた)
(フーン)週3回 観光基礎コース。
(ハン)里子の手紙を翻訳。縫製研修センター研修生希望の申し込み
    があった。
    日本料理店の会計は今まで税田さんがしていたが、現在は、
    ホンニー店長がしている。完璧な計算と整理の仕方だ。
    安心して会計を任せられる。
(ゴック)月 日本語学校中級(来週テスト)
     火・木 観光基礎コース
(千種)月・木  フエ高等師範大日本語学科
     水・金  観光基礎コース
(クアン)「ハイリーホテル」の荷物整理
     手紙翻訳
(ミン)「子どもの家」入所決定の二人の子ども。
    家庭に必要な書類がないので現在作成中。入所が若干
    遅れる。
    縫製研修センター。2階の電気増築工事が終わる。
    オアシスの会の活動(奨学金・障害児支援)
    具嶋先生里子のアン君の家の屋根とドアの修理。
    見積もりを取る。
     4月18日から上尾のHさんが来訪。協力して応対したい。
    4月19日(土)夕方、ベトナム事務所員全員・日本料理店
             の子どもたち全員でHさんと交流夕食会。
    4月24日から静岡大学が来訪。
    4月15日(火)は伝説の建国の王様「フンブオン」の日。
    今年から休日になったそうだ。ベトナム事務所も4月15日は
    休日とする。日本料理店も休みとなるのだろう。
 
午前11時半。「ハイリーホテル」で昼食。
チャオバンカン(小麦粉の手打ちうどん)

午後12時半から1時間ほど昼寝。

「与謝野源氏(下)」。
「宿り木」読了。源氏の子ども薫は、匂君と結婚した中の君
に横恋慕。
「東屋」の巻を読み始める。
何とか今日・明日で「与謝野源氏」を読み上げ、次の本に
進みたい。読みたい本がたくさんある。1月の帰国で古本屋などで
20冊ほど本を購入。「ハイリーホテル」の部屋で読まれるのを
待っている。知り合いの豊田さんも本を送ってくれている。
この本も読みたい。時間と体力がなくなっている。

午後4時、ベトナム事務所へ。必要なメール送受信。

午後5時半、日本料理店で夕食。

阪神の金本知憲選手の2000本安打。おめでとう。
素晴らしい。19打席目だった。史上37人目の偉業

午後6時半、日本料理店開店。
午後7時、日本人来店。
午後9時半閉店。日本人6人。ベトナム人1人。欧米2人。
合計9人。

本を読んでいると「蚊が飛んでいるようなものが見える」と
昨日の火炎樹日記に書いた。「飛蚊症」(ひぶんしょう)
という目の病気の可能性があるという。ありがたいことだ。
ブログで書いたことにきちんとした医学的な知識を教えて
くれる人がいる。感謝。帰国の際、眼科に行ってみよう。

投稿者 koyama : 18:45 | コメント (0)

2008年04月11日

当面の諸日程の準備

晴天   休肝日


気温37度。

午前5時半目が覚めるが、しばらく横になっている。

午前7時、朝食。春雨麺。今日はリー君も朝食に参加。

午前8時から静岡大学入学試験説明会の準備。
洗濯。

午前9時、ベトナム事務所へ。バオミンさんと当面の問題
で懇談。いくつかの緊急問題についての対応を考える。

午前11時過ぎ、「ハイリーホテル」へ。
「ハイリーホテル」1階の天井ペンキ塗りで
こぼれ落ちたペンキをハイ君が掃除してくれた。
完璧にきれいにはなっていないが・・・。感謝。

午前中洗濯機で洗濯をしたが、乾燥機が故障していて
50%程度の乾燥率。屋上に再度干す。

午前11時半昼食。精進料理のお汁(油揚げ、野菜)に
ブン(米のめん)をつけて食べる「ブンのつけ麺」。
私の大好物。美味しい。

午後12時半。昼寝。
午後1時半、読書。『与謝野源氏(下)」。
「早蕨(さわらび)」読了。

午後2時、屋上に干した洗濯物を取り入れる。

午後3時過ぎ、ベトナム事務所へ。
静岡大学関連・来週、フエを訪問される支援者の方の
日程、その他の事務処理を行う。この間、溜まっていた
メールの返信。5月、私の不在中の仕事の諸準備をする。

最近、視力と体力が相当減退していることを実感する。
源氏物語の細かい字が霞んで読めない。右目に「蚊」が
飛んでいるようなものが常時見えるようになった。

午後5時半、日本料理店で子どもたちと夕食。
豚の耳と野菜、太刀魚の煮物、野菜スープ。

午後6時半、日本料理店開店。
午後7時過ぎ、アメリカ人2人。その後、欧米系3人、ベトナム人1人。
合計6人の来客。

午後9時、日本料理店閉店。帰宅。

投稿者 koyama : 18:49 | コメント (0)

2008年04月10日

静岡大学入試説明会下準備(2つの高校訪問)

晴天           休肝日


今日の最高気温37度。
熱い、真夏。


午前7時朝食。リー君が所在不明。

チャオバンカン(キャッサバ粉の麺)

午前8時ベトナム事務所へ。

午前9時、バオミンさんとフエ郊外のファンダンルー高校へ。
校長先生・副校長先生と懇談。4月下旬に行われる
静岡大学入試説明会の下準備・打ち合わせを行う。
70名の生徒と保護者が参加するとのこと。
説明会に大きな期待を持っているようである。

続いてハイバーチュン高校へ。
校長先生と懇談・打ち合わせ。静岡大学入試説明会は、
約200人程度の生徒と保護者が参加するとのこと。

午前10時過ぎ、「子どもの家」へ。セン運営委員長と懇談。
縫製研修センターに追加の「子どもの家」の子どもたち研修生
の件について打ち合わせ。ミシン研修をしていない子どもたちで
縫製研修センターで新たに研修をしたい子どもも受け入れるとの
話をする。

その足で縫製研修センターの増強工事の現状を視察。
佐藤さんは仕事で他所に行っていたが、縫製研修センター
事務所の工事の様子、縫製研修センター1階、2階の
新たに日本から持ち込まれたミシンの設置状況などを視察した。
宇都宮縫製工業組合の佐藤理事長が思うようには進展して
いないようだが、ベトナムの現状からすると、佐藤理事長が
この2週間に相当頑張った効果が大いに出ていた。
当初予定を1ヵ月半ほど延ばし、5月20日頃、研修生の
採用試験、6月中旬頃、増強工事をした縫製研修センターの
始動という新たな計画を立案した。

午前8時から午前11時過ぎまで実際の気温40度近くの中を
フエ市内・郊外を動き回り、通訳を交えての話し合いを行った。
正直、相当の疲労感。

午前11時20分、「ハイリーホテル」着。
5階の部屋に帰り、ベッドで一休み。そのまま眠り込む寸前に
ハイ君がドアをノック。目覚める。
1階に戻り、日本語教師のお二人、子どもたち(リー君所在不明)
と昼食を摂る。アヒルの玉子焼き。空芯菜のニンニク炒め、野菜スープ。

午後12時半から昼寝。1時間。

オアシスの会の会活動の中間報告を書きあげる。
国際ソロプチミスト京都ー西山への報告書を書きあがる。
静岡大学に4月末の「入試説明会」の現地準備状況の
詳細を報告。

3つの報告原稿用紙20枚程度。

午後5時、ベトナム事務所へ。
午後5時半、日本料理店で子どもたちと夕食。
夕食も昼食と同じ、アヒルの玉子焼き、イカの煮物、
うりの塩辛付け。

午後6時半、日本料理店開店。

となりのホテルの夜間工事。騒音とエンジンの排気ガスで
日本料理店に入られないほど。

午後9時、日本料理店閉店。来客なし。残念。

子どもたち・日本語教師と護送船団で帰宅。


今日は本当に暑い1日だった。仕事も多かった。
午前8時から外回り半日。文書書き半日、そして、
午後5時半から午後9時半までは日本料理店。
日本料理店が出来てからは、1日の仕事の
終わりが午後9時半となり、自宅・「ハイリーホテル」に戻るのは
午後9時半から10時。仕事の時間があまりにも長すぎる。
現状ではいかんともしがたい。時間があれば、寝ているしかない。
念願の源氏物語を思う存分読んでみたいと夢想する。

ーーーー
日本という国が「崩壊」に一路突き進んでいる。
年金が国家によって詐欺される。
今度は、後期高齢者保険証が届かない高齢者が続出とのこと。
きちんとした事務処理すら出来なくなった日本国である。
保険料だけは年金から天引きするという悪知恵だけは
持っている。
保険証がなくても身分を証明する自動車の免許証でも
保険証にかえるそうだ。きちんとした「事務処理」すらできなくなった。
鳩山法務大臣は10人目の死刑を執行。「機械的に死刑執行」
ができないか、などと発言。人間の命をあたかも「物」のように扱う
法務大臣。国家が国家としての体をなしていない。

投稿者 koyama : 21:22 | コメント (0)

2008年04月09日

ゴック先生誕生会:グエンフエ高校訪問

晴天       休肝日


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