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2008年04月13日

休日

晴天


気温34度。

午前8時起床。テレビ朝日「サンデープロジェクト」を見る。
午前9時半、ベトナム事務所近くの「ほか弁」屋に行くが
開店していない。午前10時からとのこと。
以前、バオミンさんから教えてもらったフエ科学大の先に
ある「ほか弁」屋へ。15000ドン(100円)。
玉子焼き、キュウリと香菜の和え物、豚肉の甘辛煮。

午前10時、入浴。バスタブにお湯をため、ゆっくりと入浴、

ほか弁のおかずをつまみにフダ缶ビール1本。ほか弁を半分程
食べる。

与謝野源氏(下)「東屋」を読了。
源氏の息子薫、匂いの宮の妻中の君に恋をする。
中の君の異母妹を見つける。
「浮舟」。薫、中の君の異母妹を宇治の別荘に住まわせる。

午後2時、洗濯。
5階フロアーの掃除。
部屋の掃除。荷物の整理。

与謝野源氏を読む。下巻の3分の2ほど読了。

午後5時前、夕飯を買いに行く。途中で気分が
変わり、某大衆食堂でベトナムのおつまみで
フェスティバルビールを飲む。氷で冷やしながら飲む。
冷えるまで結構時間がかかる。
小瓶フェスティバルビール7本ほと。飲む。
途中、宇都宮縫製工業組合佐藤さんから電話。
日本語教師の皆さんと昨夜、インド料理を食べる
約束をしたとのこと。今、待っているが来ないとの電話。
日本語教師の皆さんの電話がわからないので、
バオミンさんに頼んで日本語教師に連絡してもらう。


千葉県八千代市の県立八千代西高校で入学金を後日
払うと言う保護者の師弟が入学式への出席を拒否されたと言う。
入学金を払わないのだから「当然だ」という意見もある。
私はこのニュースを聞いて、これからの日本が進む道を
垣間見たような気がした。お金がなければ学校へ行けない。
お金がなければ病院もいけない。お金がなければ学校も
病院も全てのことが出来なくなる社会がすぐ近くに来ている
わが日本である。既に労働者の3分の1が、年収250万円
以下の国である。若者の多くは「派遣労働」、携帯電話で
連絡があった時だけ仕事をして、インターネットカフェで
寝てその日をすごしている若者も多い。団塊の世代の
ホームレスも急増している。
何か「人情」のなくなった日本社会である。「決まりだから」
との一言で「入学式」にも出席できない千葉県の公立高校。
これから、お金のない家庭の子どもたちは、こうした形で
学校や社会から排斥されていくことが推測できる。
子どもたちに何も責任はないのだ。
もちろん馬鹿な親もいる。しかし、親は親だが、子どもたち
には未来がある。
今、私たちJASSが付き合っている子どもたちは、様々な事情で
親に捨てられたり、幼児期から青年期まで行方不明だった親が
成人した頃に突然出没する。
親に捨てられた子どもたちは、お金もない。県立八千代西高校
や千葉県教育委員会の考えでは、私たちが今、付き合っている
子どもたちは、入学式だけでなく、入学そのものが拒否される
ようになっているということである。日本は人情がなくなり、
お金が全てという社会になってきた。弱い人たちが社会の
隅に追いやられ、親が金持ちとか、親が名士、代議士などという
人間が、自動的に裕福な生活を享受する社会になってきた。
国会議員の多くの人たちが、二世。、三世の議員である。
自分の力ではなく、親の力で議員になっている。この種の
議員は貧しい人などの気持ちを理解できない。生まれた
時から「お坊ちゃん」なのだ。
京都の豊田さんから送られた「ルポ 貧困大国アメリカ」(堤未果著)
には、超格差社会のアメリカの現実が書いてあるように思う。
早く与謝野源氏を読了して、この本を読みたい。
新自由主義のアメリカの現実は、小泉「構造改革」の行く先を
暗示している。千葉県立八千代西高校の入学式に参加させない
という、およそ教育とは縁もゆかりもない教育委員会と学校の措置は
けして千葉県だけのものではない。小泉構造改革・新自由主義路線
の帰結である。
既にわが日本では、40年間もかけた年金が行方不明になり、
その上に「後期高齢者」と区分された「戦後の日本を作ってくれた
功労者」から、年金天引きで保険を取るようになっている。
弱い者でお金を払えない人は「排除」し、弱者からお金をむしり取る
路線が「小泉構造改革」である。小泉「郵政民営化」選挙で多くの
国民が小泉構造改革路線を支持したのである。責任は国民にある。
馬鹿な国民に支持されて馬鹿な政治家がいるのだ。
最終責任は主権者の国民にある。「騙された」なといういう言葉は
63年前に聞いている。
子どもたちや若者には、無限の未来がある。出来るだけ成長する
チャンスを作ってやることが、国家・社会の重要な任務であるのだが・・・。

千葉県立八千代西高校の入学金・初回の授業料は総額9万円。
9万円の支払いがないからといって、合格通知を出し若者を
入学式から排除した我が日本国家である。二人の生徒の総額は
18万円である。
国家が盗み取った年金は一体いくらなのだ。
自分たちは、国民の血税・国民のお金を湯水のように
無駄遣いしていながら、たった9万円の入学金を後日
支払うと言っている生徒を入学式に出席させないなどと
いう国家は信用できない。「冷たい国家」というのは、
こうした国をいうのだ。未来ある若者を応援し、成長させる
ことこそ、国家の基本的な任務である。

たった9万円の入学諸費用が納入していなかった生徒を
入学式に参加させなかった校長・教職員・教育委員会の
皆さん。あなた達は、自分の子どもは進学塾に入れ、
お金をかけて「勝ち組み」に入れようとしているのでしょう。
9万円の入学諸費用を支払えない生徒にあなた達は、
少しでも「心を寄せ」「共感し」「ともに生きよう」とする
気持ちがありましたか? 自分の子どもは「勝ち組」
に入れたいが、他人の子どもたちはどうでも良いと
思うのなら、あなた達は即時教員を辞職すべきだ。

改悪された教育基本法でも以下のような規定である。
経済的な理由での差別は禁止されている。
親が支払いをしないことと、子どもたちを入学式に出席
させないこととは別問題である。
改悪教育基本法4条3項で「3  国及び地方公共団体は
、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に
対して、奨学の措置を講じなければならない。 」と規定しいる。

県立八千代西高校は、二人の生徒の能力を認め、入学を許可した
のである。経済的な事情があるのなら、「経済的理由によって修学が
困難な者に 対して、奨学の措置を講じなければならない。 」のである。
入学金を後日支払うと言っている家庭とは十分話し合い、経済的な
問題があれば、奨学措置を取る義務が校長や教育委員会など
行政にあるのである。自らの責任を自覚しない校長やj教育委員会
はいつから「サラ金業者」になってしまったのだろうか?
あなた達は、法律に基づき、子どもたちの成長と自立のために
仕事をする義務を負っているのである。


(教育の機会均等)
第  四 条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2  国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
3  国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に 対して、奨学の措置を講じなければならない

投稿者 koyama : 2008年04月13日 16:02

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