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2008年05月31日

ベトナム事務所員会議:国際こどもデー:レロイ小学校終業式

曇り・雨

午前5時起床。
体がだるい。倦怠感。風邪の初期症状。

午前7時、朝食。「玉子焼き入りフランスパン」。今日は
日本料理店の子どもたちが午前8時から英語を勉強する。
そのため準備の時間がないので簡単な朝食にするとの
理由付けのようだは、私にはイマイチ腑に落ちない。
フランスパンを食べる時間もチャオバインカインを食べる
時間もそう変わらないと思うのだが・・・・。
それとも英語教室は7時半からなのだろうか?

今日は午前8時からベトナム事務所員会議。
朝食後、急いでベトナム事務所へ。

1階日本料理店で日本料理店の子どもたちが
英語の勉強をしていた。

リー君も英語の基礎勉強を
すれば良いのだが。「俺は英語ができる」と豪語している
リー君ではあるが、「耳学問」からの英語では、限界が
ありすぎる。何事もたいくつだが「基礎」が一番大事。
リー君の英語は、夜遅く欧米系の観光客が行くビリヤード
などで耳にした「実践的な」英語ではあるが、単語数も
少なく、発展がない。学ぶということは、経験だけでは
だめで、基礎教育・学ぶということがどうしても必要。
日本料理店の欧米系のお客の英語もある程度は分かるが、
少し難しい単語になると(中学程度)、リー君は分からなく
なってしまう。もう一度、基礎から英語を勉強して欲しいものである。
何回か「英語を勉強しなさい」と助言はしたのだが「俺は英語ができる」
と根拠もない自信過剰状態。

午前8時、ベトナム事務所員会議。今日は午前9時から
「世界子どもデー」のお祝いと「子どもの家」終了式があるので
30分で終わる。


(ミン)花田さんと「アクセサリー研修センター」の件で行動を
    供にした。
    昨日、マン・フエ省共産党委員長の父親の葬儀に参加。
    フエ市新市長、新副市長と懇談。
(千種先生)月  観光クラス
       火  初級クラス
       木  フエ高等師範大学会話テスト
(いぶき先生) 
       月  日本語学校中級クラス
       火  日本語学校観光クラス
       木  フエ高等師範大学会話テスト
(ゴック先生)  日本語学校観光クラス
(ソン)      奨学生の手紙の翻訳
(フーン先生)  月 日本語学校授業
(ハン)      奨学生のお礼状翻訳
          「子どもの家」・在宅支援の子どもたち
          の夏の里親へのメッセージの翻訳
(税田)     フエフェスティバルの参加する津軽三味線
          の山本竹勇さん関連の連絡
         石狩の菊先生の秋の「子どもの家」作品展
         関連の準備
(クアン)    翻訳
         花田さん出迎え
         「子どもの家」での活動

ベトナム事務所員会議終了後、ベトナム事務所員全員で
記念写真を撮る。

急いで「子どもの家」へ。各自、自転車・オートバイ・電動バイクで。

フエの町は6月日から開催される2008年フエフェスティバル
で一色。


午前9時。「子どもの家」で「6月1日世界子どもデー」
「2007年~2008年終了式」のお祝いを行う。

世界子どもデーは以下の歴史がある。
1940年~44年までナチスドイツ・ヒトラーがソ連や
東欧諸国を侵略占領。大虐殺を行う。
1942年ポーランド。侵略したファシストのナチスドイツは
1942年6月9日に88人の子どもたちを虐殺した。
1944年6月10日のチェコ。1日に200人もの子どもたちを
ナチスは虐殺した。
1952年4月。当時の社会主義諸国が集まり、ファシズムに
より尊い子どもたちの命が奪われたことを悼み、偶然6月に
ポーランドとチェコで多くの子どもたちの命が奪われたことを
忘れないため、毎年6月1日を「世界子どもデー」とし、
世界の平和、ファシズムを阻止し、子どもたちが健やかに
成長できることを祈る日と決めた。

その後、50年以上が経過し、社会主義諸国が崩壊。
更に6月1日を『世界子どもデー』と制定した当時の
初心が忘れ去れて行き、今日のベトナムでは
子どものお祝いの日となっている。

明日6月1日から子どもたちが「晴れて」3ヶ月の夏休みに
入る。

初めに子どもたちの踊り




続いてセン委員長の挨拶。

・明日は6月1日、世界子どもデー。
 今日は2007年~2008年の学期末のお祝いの会。
 成績優秀者の表彰式を行う。
・「子どもの家」には現在56人の子どもたちがいる。
 39人が小学校から大学へ通学している。
 17人が職業訓練を行っている。
・2007年~2008年の学業の結果は成績最優秀と
 優秀をあわせて24人、61%に上る。「子どもの家」が
 設立されて最優秀・優秀をもらった子どもたちの割合は
 今年が最高である。(最優秀は昔の日本で言えばオール5。
 優秀はオール5に4がいくつかあるという成績。
 この成績の基準はハノイ文部省が設定した絶対評価で行う。)
 最優秀・優秀が24人。普通12人。再試験3人。

特にニーさんは小学校から中学卒業まで全て最優秀だった。
今年、フエ省の科学テストに参加し、「奨励賞」を受賞した。
姉は、フエ医科大学通学中。

小山挨拶。夏休みを楽しんで欲しい。

続いて成績最優秀・優秀賞の子どもたちの表彰式。

最優秀は10点満点で9点以上の成績。
今年は9人の子どもたちが受賞。過去最高の人数である。
学ぶこと・勉強することは子どもたちの「人生」を大きく変える
契機となる。

●最優秀受賞者一覧表(9人)

  ・小1 HOANG VAN TY
  ・小2 TRAN NHAN TU TAM
  ・小3 TRAN THI MY TAM
  ・小3 LE VAN DUY
  ・中3 PHAN QUOC THANG
  ・中3 TRAN THI THUY NHU
  ・中4 TRAN HONG NHI
  ・高2 HOANG THI HONG NHAN(高校2年だがフエ科学大で学ぶ)
  ・大2 TRAN THI HUYEN PHUNG(フエ医科大学)

今日の最優秀賞授賞式には、学校の授業で欠席した5人を
除き、4人の子どもたちが参加。


●成績優秀(15人)  10点満点で8点以上

・小2 NGO VAN THANH
・小2 NGUYEN THI HIEU THAO
・小5 LE THI THAO LY
・小5 LE CONG TRUNG
・小5 PHAM QUOC HIEU
・小5 NGUYEN NGOC LAM
・小5 LE THI THU THUY
・中3 NGUYEN THI NGA
・中3 NGUYEN THI BICH PHUONG
・中4 NGUYEN THI BICH THAO
・高1 LUU THI THANH
・高1 DOAN THI TRUC LY
・高2 LE THI PHUONG THAO
・高3 PHAN THI THUY
・大3 NGUYEN THI THUY DUONG(フエ高等師範大学)

●優秀賞受賞の小学生



●優秀賞受賞の中学生


●優秀賞受賞の中高校生

●受賞者と参列者全員で記念写真


授賞式が終わり、「国際子どもデー」お祝いのお菓子を
贈呈



今回優秀賞を受賞したNGUYEN THI BICH THAOさん(15歳)
は10数年前、諸般の家庭事情があり「子どもの家」に入所した。
私は1999年「火炎樹の花」という本を小学館から出版した。
「火炎樹の花」の表紙の裏に「THAOさん」を抱っこした
写真を載せた。今日、中学4年生(日本の中3)になった
THAOさんが優秀賞を受賞した場面を見て、感慨深いものを
がある。小さな取り組みではあるが「子どもの家」は
子どもたちを成長させていることを実感した。

●1997年当時のTHAOさんと私
  

●2008年のTHAOさんと私


午後2時半、レロイ小学校の終了式に招待され参加。
ベトナム中部の「エリートコース」は、レロイ小学校→
グエンチフン中→コックホック高校→フエ師範大
といわれている。レロイ小学校は「学区域」がなく、
市内どこからでも入学でいる。先生も多い。
小学校でフランス語、英語を教えている。
フエの上流階級といわれている家庭の師弟の
多くが入学している。

今日の終了式はフエ共産党の講堂で行われた。

(校長先生の挨拶)

レロイ小学校には765人の児童が通学している。
2007年~2008年の成績は
・成績最優秀 630人
・優秀     100人
・普通      30人
・再試験    ゼロ

最優秀の児童が異常に多い。

今日の授賞式・終了式には、700人以上の子どもたち
と数百人の父母が参加。1000人規模の大きな集会と
なった。

●校長先生と小山

●成績最優秀者に認定書と記念品を渡す。

数百人の受賞児童を見ていたが、異常に「肥満」の子どもたち
が目に付く。


レロイ小学校終了式典会場の前には、高級車が「目白押し」
に並んでいた。多くの肥満の子どもたちと高級外車と
「子どもの家」の子どもたちとの関連を考えながら、会場を後にした。

午後4時頃退場。体調が悪い。風邪のためだるくて立っているのも
つらい。そのまま「ハイリーホテル」に戻り、寝ていた。
午後6時頃、ハイ君が日本料理店から夕食をもってきてくれた。
ブン(米の粉のうどん)の唐辛子野菜つけ麺。
今日は早めに寝る。

===============
1月から5月までの読書録

(1月・2月・3月)「与謝野晶子訳源氏物語」(上中下 角川文庫)
          「枕草子」(講談社)
          「なぜ日本人は劣化したか」(香山リカ著:講談社)
          「日本論」(佐高信著:角川書店)
          「噺家のカミサン繁盛記」(郡山和世著:講談社)

(4月)「旧約聖書を知っていますか」(阿刀田高著:新潮社)
    「新約聖書を知っていますか」(阿刀田高著:新潮文庫)
    「コーランを知っていますか」(阿刀田高著:新潮社)
    「あなたはイスラム教を知っていますか」(阿刀田高著:新潮社)
    「寂聴対談 十人十色 源氏は面白い」(講談社)
    「ルポ 貧困大国アメリカ」(堤未果著:岩波新書)

(5月)「国を思うて何が悪い」(阿川弘之著:光文社)
   「パンツの面目、ふんどしの沽券」(米原万里著:ちくま文庫)
   「青い月のバラード」(加藤登紀子著:小学館)
   「我、拗ね者として生涯を閉ず 上下」(本田靖春著:講談社)
   「江戸っ子だってねえー浪曲師廣澤虎造一代記」(吉川潮著:講談社)
   「浮かれ三亀松」(吉川潮著:講談社)

投稿者 koyama : 18:47 | コメント (0)

2008年05月30日

花田氏ハノイへ:マン・フエ省共産党委員長ご尊父の葬儀参列

晴天 夕方小雨

気温38度。夕方かなり涼しくなる。気温の変動が大きい。

昨夜、花田さんとフランス料理を食べ、ワインを2本あける。
ボディーブローのようにかなり効いている。

午前6時起床。少し熱めのお湯に入る。
午前7時朝食。春雨の麺。


午前8時から部屋の掃除。洗濯。
メールの受信・送信。

鼻水が出る。風邪を引く。体がだるい。

午前10時過ぎ、花田氏が空路ハノイへ。
3日間のフエ滞在、お疲れ様。
花田さんの支援で実施する「アクセサリー研修センター」
の事業が成功することを祈りたい。

午前11時半、昼食。チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)
私の一番好きな食事。

午後12時半から昼寝。ぐっすり寝る。
完全に風邪を引く。体がだるい。熱あり。

午後2時、読書『超訳「資本論」』。
その後、夕方まで寝ている。

午後5時、バオミンさんと一緒にフエ省共産党委員長の
マン氏の父親が亡くなりお葬式に参列。
フエ市内から車で40分ほど。かなり田舎。

フエ市人民委員会外務部長のニエン氏と一緒に
参列。JASS名の花輪を持っていく。

マン省共産党委員長の亡くなった父親も共産党の幹部。
お祖父さんも共産党の幹部とのこと。マンさんの母親は
ベトナム戦争中、フーコック島の「トラの檻」監獄に
入れられ解放後出所したが、既に病気が重くなり亡くなった
そうだ。フエ省のトップの父親の葬儀には多くの省・市の
幹部、共産党の役員などが多数参加していた。

家族・親族は白い衣装と白い鉢巻をする。


たくさんの省・市の共産党・人民委員会の幹部が列席する
中でマン省共産党委員長は私の席に来てかなりの時間
様々な話をしてくれた。


前フエ市長のカオさん(現フエ省副知事)、新フエ市長、
新フエ副市長と同席し、今後もJASSと共同して活動を
行うことを確認。バオミンさんが、JASSベトナムの代表
と共産党・人民委員会幹部に紹介。

マンフエ省共産党委員長のご尊父への弔意を表す。


午後7時過ぎ、葬儀を終了し日本料理店へ戻る。
小雨。今日は風邪を引き微熱あり。大塚さん、税田さん
の許可を得て早めに「ハイリーホテル」に戻り休む。
バオミンさんに頼み「風邪薬」を買ってもらう。

午後7時半、「ハイリーホテル」へ。
ハイ君が私の夕ご飯を日本料理店から持って来てくれていた。
日本料理店の大塚さん・子どもたちが作ってくれたとのこと。
ありがたいことである。魚の煮物、野沢菜のような野菜の
漬物の油いため、空芯菜スープ。

夜8時半頃、日本の支援者Uさんから励ましの電話あり。
いつも励ましの電話を頂く。「また頑張ろう」という気持ちになる。
長い付き合いである。深謝。

日本共産党が中国四川地震への自衛隊輸送機の派遣を
認める記者会見行う。私が日本を離れて15年。こんな時代に
なったのか、との感慨も深い。日本政府が自衛隊輸送機の
派遣を見送った中での日本共産党の「自衛隊輸送機派遣容認」
の委員長記者会見。奇異に感じるのは私だけだろうか?
憲法9条を守る運動を推進している中で「地震支援」という
名目であれ日本共産党が自衛隊機の海外派遣を容認すると
の会見を行うのは、やはり議論を呼ぶものではある。

投稿者 koyama : 12:45 | コメント (0)

2008年05月29日

パソコン修理:花田さんとの晩餐会

快晴

午前6時半。気温33度。
午前11時半。気温38度、湿度40%。

昨夜、大塚さんの作ってくれた「りんご風」酒。
コップに2杯ほど飲んだが、かなり効いたようだ。
多少、二日酔い気味。
近頃の暑さと来客案内等で多少体力減少気味。

午前7時朝食。「お湯かけインスタントラーメン」。

午前8時半、昨日、またまた使えなくなってしまった
パソコン。ソン君と業者が早速来て「解剖」修理。
詳細不明だが、電気の接続部分が「どうのこうの」
という説明を受けたが、パソコンが使えるようになれば
良いと勝手に決め込み、パソコンの問題説明は馬耳東風状態。

洗濯物が溜まった。未だに正解が見つからない「乾燥機付き洗濯機」。
最後挑戦。朝食の際、いぶき先生より耳寄りな話。
洗濯をしていて「適当な時間に電源を切ったら乾燥していた」
とのこと。2時間半と設定していたのだが、それではということで
洗濯機作動1時間程度で電源を切ってしまう。5分ほど経つと
「クンカラ・キンカラ」と音がする。蓋を開けると見事に衣類が
乾燥されていた。屋上に乾かした衣類と乾燥機で乾燥した
衣類とは、フワフワさが違う。屋上天日干しは、ガバガバ状態
だが、乾燥機はフワフワ。

関係者に長文のメールを書く。
2009年2月の講演会の依頼を受ける。ありがたいことである。

午前11時半昼食。
空芯采のニンニク炒め、もつのえび塩辛付け、野菜スープ、ご飯。
至って健康な昼食である。

午後12時半から昼寝。この間の諸活動の疲れが出た。
体力が落ちているように感じる。何でもない「ほか弁」
を食べて「下痢」「吐き気」をもようするようでは、真っ当な
活動はできない。昨夜、花田さん、バオミンさんと
一杯飲んだが、その後、下痢・吐き気はなくなった。
やはりお酒の「洗浄効果か?」。
2時間ほど熟睡。

読書。「パンツの面目、ふんどしの沽券」(米原万里著:ちくま文庫)
を読了。
米原万里の本は、どれを読んでも学識に裏付けられたユーモアが
ある。普通なら下品な「下ネタ」と排斥されそうな内容も
学識と教養、多量の参考文献を突きつけられると、なんとなく
納得してしまう。今回も褌(ふんどし)が、日本独特のものではなく
衣服史に見れば、世界の多くで使われていたことがわかる。

午後5時半、花田さんの投宿している「LA RESIDENCE」へ。
このホテルは、フランスがベトナム中部を植民地にした際の
「中部総督府」。現在のホテルは、元総督府をそのまま利用し
内装を改良しホテルとした。4つ星だが、5つ星の「インペリアホテル」
よりも数倍サービス、内容が充実している。

 夕方のホテルは、フエの自然と静けさ、品格を体験できる。


ロビーで今後の「アクセサリー研修センター」の運営等の
最後の詰めの打ち合わせをする。1時間。

午後6時半過ぎから「LA RESIDENCE」のレストランで
夕食。ビール、赤ワインでフランス料理を食べる。
午後10時半終了。

バオミンさん・税田さんと日本料理店へ戻る。既に日本料理店は
閉店しスタッフは帰宅している。しかし、リー君は私の帰りを
日本料理店前で待っていてくれた。「小山先生が酔っ払って
帰って来るので、電動バイクを乗るのは危ない。自分が
運転して「ハイリーホテル」へ連れて帰る」ということのようだ。
リー君の電動バイクの運転で「ハイリーホテル」へ帰る。
今夜は、赤ワイン2本を飲み干す。「酩酊」の域にはいりつつ
あるように思える。部屋に入り、歯を磨いた後の記憶は
喪失していた。

花田さんは明日、ハノイへ。

投稿者 koyama : 18:17 | コメント (0)

2008年05月28日

「アクセサリー研修センター」の準備

晴天

午前7時、気温33度。湿度40%。
日中は37度。暑い。いるだけで相当エネルギーを消耗する。

午前7時朝食。チャオバンカン(小麦粉の手打ちうどん)

昨夜、コムディア(ほか弁)を食べた。何かが「あたった」ようだ。
昨夜からひどい下痢と吐き気。朝食のチャオバンカンを何とか
食べる。

午前8時40分、バオミンさんが「ハイリーホテル」へオートバイで
迎えに来てくれる。
バオミンさんと一緒に「アクセサリー研修センター」
を支援してくれる花田さんの投宿しているホテルへ。

タクシーで「アクセサリー研修センター」へ。室内の整備・準備状況の
視察。

その後、「子どもの家」へ。子どもたちにお土産を持って来てくれた。
「子どもの家」を視察。


その後、数日前に出来たフエ最大の「スーパーマーケット」
を視察。ドンバ市場の隣りに出来た。確かに大きな
スーパーだ。スーパーというより東京で言えば「赤札堂」。


午前11時半。「ハイリーホテル」。
昼食。やはり気持ちが悪い。さすがに肉は食べる気にならず、
ご飯とスープの野菜を少し。

午後12時半昼寝。1時間半ほど熟睡。

午後2時半、ベトナム事務所で花田さんと「アクセサリー研修センター」
の今後の運営について話し合う。

午後5時半、子どもたちと日本人スタッフの夕食。
夕食もチャオバンカン。私は花田さんとの夕食のために
子どもたちとの夕食はやめる。


午後6時半、花田さん・ミンさんとと一緒に日本料理店で夕食。

ニュースを見る。船場吉兆が廃業とのこと。特別の感慨なし。
そもそも私はブランドに興味がない。船場吉兆の食事より
池袋の「ぶくろ」のホッピーとおつまみの方が美味しいと勝手に
思っている人間である。残念ながら船場吉兆で食事をする
財政的な余裕はない。
ブランドや家柄などに頼って生きている人間の惨めな
末路を見た思いがする。

午後9時半、日本料理店終了。護送船団方式で
「ハイリーホテル」へ帰る。
大塚さんがベトナムの「りんご」風の果物から
「果実酒」を作ってくれた。


日本料理店を終わった子どもたちと日本人スタッフ
で「大塚果実酒」を試飲・堪能する。

投稿者 koyama : 19:23 | コメント (0)

2008年05月27日

フエ中央病院前小児科医長懇談、アクセサリー研修センター支援花田氏来訪

晴天

午前6時の気温32度。日中の気温37度、湿度40%。

午前7時朝食。春雨麺。
午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。20分。真夏の
熱暑の中歩くのはかなりきつい。

午前9時、フエ中央病院前小児科医長フオン先生が
ベトナム事務所訪問。懇談。


7月末にベトナム中部の「エイズ対策セミナー」を行なう。
9月18日・19日にベトナム中部「看護師セミナー」を行なう。
150人程度の看護師をフエ中央病院に集め、小児の
看護に関する研修を実施するとのこと。その運営等に
ついて話し合う。約1時間。

その後、バオミンさんと当面の諸問題について協議。
午前11時過ぎ、ベトナム事務所を出て徒歩で
「ハイリーホテル」へ。

午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。
ご飯、アヒルの卵焼き、野菜の漬物、スープ。

午後12時過ぎ、昼寝。

午後2時、読書。「パンツの面目、ふんどしの沽券(こけんん)
米原万里著。
資本論を読んでいたのだが、ビールを飲みながら本書を
読み始めたら面白いのでつい読んでしまう。
磔(はりつけ)の刑になったキリストのはいたのは、
パンツかふんどしか、はたまた腰巻か?
結論はパンツだとのこと。

午後3時、メールを書く。
午後4時、ソン君が業者を伴って来室。50センチほどの
小さな蛍光灯しかついていなかった部屋に1メートル
程の蛍光灯をつけてくれる。明るくなり夜本を読むことが
出来るようになった。

午後6時、フエ駅近くの「れ・デジデンスホテル」へ。
「アクセサリー研修センター」を支援してくれる
花田さんが来訪。打ち合わせ。

今日は気温37度。暑い。じっとしているだけでも
暑い。
夜、相当な疲労を感ずる。

「ハイリーホテル」のパソコンがまたウイルスの侵入で
壊れる。シャットダウン。画面が開けない。

投稿者 koyama : 00:24 | コメント (0)

2008年05月26日

リー君「善行」賞

晴天

午前7時、気温31度。湿度55%。

午前7時朝食。野菜入りチャオバンカン。美味しい。

午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。暑い。
猛暑の中、ベトナム事務所まで20分歩く。
ベトナム事務所でバオミンさん・税田さんと
当面の諸問題について話し合う。2時間半。
午前11時半、徒歩「ハイリーホテル」。
昼食。

午後1時半、バオミンさんと一緒に知り合いの
うちにいく。

午後3時、「ハイリーホテル」へ戻る。
パソコンは完全のシャットダウン。ウイルスに侵される。
業者を呼んで直してもらう。ソン君も同行。
なかなか直らず、結局、午後6時までかかる。
日記関係、写真関係、短縮など全て消える。

午後6時過ぎ、日本料理店へ。大塚さんといくつかの
問題を話し合う。

既に子どもたちは夕食を終わっている。
今日は1日暑かった。よく仕事をしたと勝手に自分で
言い聞かせ軽く生ビールを飲む。


日曜日、リー君はベトナム事務所付近をふらついていた。
通りすがりのお婆さんが、ブレスレットを落とした。
それをリー君が見つけ、拾ってお婆さんに届けた。
お婆さんは「これは、80万ドン(6500円)もするブレスレット
だった。落としてしまい困っていた。貴方はわざわざ持ってきて
くれて感謝している。拾ってくれたお礼に30万ドン(2000円)
あげる。今は、10万ドンしかもってないので、明日20万ドン
渡す」と言われたそうだ。
夕方、リー君はベトナム事務所にお婆さんから今しがた
もらった追加の20万ドンを見せに来た。

色々と問題を起こすリー君ではあるが、こうした良いところも
たくさん持っている。80万ドンのブレスレットを拾ったら
売ってお金にすることも出来たはずである。しかし、リー君は
真っ当な精神をもっていた。落としたお婆さんにわざわざ届けた
のである。子どもを育てるということは「手間暇」かけてこそ
できるものである。ただお金を渡すだけの海外支援から
「人を育ている海外支援」へ発展したJASSの活動ではあるが、
「言うは易し、行うは難し」である。
螺旋階段を上るがごとき、子どもたちの成長である。
その場その場の行動・出来事だけに目を奪われず、
長い見通しを持って子どもたちを育てて行きたいものである。

投稿者 koyama : 11:55 | コメント (0)

2008年05月25日

長島夫妻 ホーチミン市へ

晴天  真夏

午前7時起床。
午前7時半朝食。昨夜、日本料理店の子どもたちが
朝食のおかずを作ってくれた。冷凍ご飯(5勺)の
3分の1を食べる。食欲なし。

午前8時半、ウオーキングへ。「ハイリーホテル」付近の
川沿いを歩く。途中で魚釣りをしているベトナム事務所の
クアンさんとソン君に出会う。小さな魚を何匹か釣って
いた。往復30分のウオーキング。
灼熱の太陽。そらはどこまでも澄んだ青空と真夏の雲。


洗濯。新しく買った乾燥機付き洗濯機の使い方が
未だに解明できない。仕方がないので1時間半の
洗濯だけで屋上に干す。

午前11時。ソン君が車で迎えに来る。
ソン君と一緒に長島夫妻が泊まっているホテルへ。
長島夫妻は、今日でフエ滞在をを終えて ホーチミン市。
フエ空港まで行く途中、フエ名物「ブンボーフエ」を食べる。
フエ空港はまだお客があまりいない。チェックインが始まる。
簡単にチェックインの手続きが終わる。

6日間という短いフエ滞在だったが、かなり多様な活動を
行なった。10年間支給を続けているフエ高等師範大学の
奨学生の勤務先を訪問。支給していた奨学金がどのように
活用され、奨学生がそのような学校でどんな仕事をしているのか
という実態を調査。海外支援をする人は、機会があったら支援の
実態をこうした形で調査することが必要である。
本当に支援金が有効に使われているのかを知るのは、支援者の
権利であるからだ。NGOも常時、支援者に対して全ての活動・
会計を公開している責任がある。

研究対象の農村の実態、合作社訪問、バイックマー国立公園
の事態調査など、今までの訪問者とは一味違ったフエ滞在であった。
里子のタムさんとの面会、「子どもの家」の視察、子どもたちとの
昼食。ベトナム事務所員、日本人スタッフとの懇談、ドンバ市場視察
フエ最大のスーパーマーケット視察など、たった6日間ではあるが
多様な活動を行なった。

今日はフエから ホーチミン市。 ホーチミン市では、クーチトンネル、
ミトー視察などが予定されている。
無事な視察旅行になることを祈っている。忙しい中での
フエ訪問・激励に感謝。

午後12時半、「ハイリーホテル」へ戻る。「ハイリーホテル」の
カギを忘れ、税田さんに電話。あけてもらう。

午後1時、屋上の洗濯物を取り入れる。昼寝。

午後2時半読書。「超訳 資本論」(的場昭弘著)
一般的価値形態、貨幣形態。ここで商品とは何かを知る。
商品の二つの性格。使用価値と交換価値。
ゆっくりと内容を確認しながら読む。資本論そのものを
読んでいるのではないので理解はしやすい。
それでも資本論はかなり「論理的」思考、理系の思考が
必要である。

午後4時、ミネラルウオーターと缶ビールを買いに行く。
1・5リットル3本、缶ビール10缶で770円。

午後6時、停電。しばらくして電気が点く。
冷蔵庫の電源が切れていた。ビールを飲もうとしたら
暖かかった。急いで電源を入れる。冷凍室に2本ばかり
いれて、急速冷凍を試みる。午後6時半、フダ缶ビールを
飲み始める。さすがに「資本論」を読みながらビールは飲めない。
「パンツのめんもくふんどしの沽券」(米原万里著:ちくま文庫)
米原万里のパンツ、下着に関する薀蓄(うんちく)集。
彼女の著書はほとんど読んだ。
ビールを飲みながら読むには最適の本。こういう機知があり
博学の人が早世することは本当に残念。
「本書流」にいえば「米原万里 美人履くめえ」と言った所。
終戦前後、ロシア人はパンツを履いていなかった、
排便後紙を使っていなかった。
「ソ連は唯物論の国だからカミはないのさ」とのこと。
一応解説させて頂くと、『神』(それは宗教を否定していた)
と『紙』(お尻を拭く紙)をかけている。
「パンツ」と「ズロース」の違いをお分かりだろうか?
「パンツ」は股下程度の短いもの、ズロースは更に長いもの、
今で言う「スパッツ」。

「ハイリーホテル」の私の部屋には50センチほどの蛍光灯が
点いているだけ。薄暗く本を読む明るさにではない。困ったものだ。


投稿者 koyama : 18:23 | コメント (0)

2008年05月24日

バイックマー国立公園視察

晴天

午前7時朝食。マカロニスープ。
午前8時半、長島夫妻・バオミンさんが「ハイリーホテル」
まで車で来てくれる。

フエ市内から2時間ほど。バイックマー国立公園案内所へ。
バイックマー国立公園の模型、生き物などが展示されていた。


更に車で40分ほど。元南ベトナム大統領「ゴージンジェム」の
別荘へ。今は簡単なレストランになっている。


今日の昼食を前もって頼んでおく。メニューがない。
バオミンさんが、午後1時頃食事をするとして、何種類かの
料理を頼む。
更に車でで数分、「モーーリンサイゴンビラ」へ。
そこから徒歩でバイックマー山頂へ。徒歩30分ほど。

山頂には、観音様の像と鐘があった。



更に徒歩15分ほどで元米軍のペリコプター基地へ。
ここにも将来大きな観音様を作る計画のようだ。

バイックマー・ハイバン国立公園は、1925年、フランス
植民地主義者によって開拓され、1930年代には
139戸の別荘(ビラ)が作られ、マーケットや郵便局も
あったそうだ。
その後、1991年7月15日、バイックマー国立公園と
して正式に設立された。22030HAという広大な
山岳地帯を抱えている。ベトナムとラオス国境に
またがったベトナム側の公園でもある。トラや多種の
生き物、植物が生息している貴重な自然の宝庫でも
ある。ベトナム政府・トゥアティエン省は「エコツアー」を
呼びかけている。

午後12時半、ゴージンジェム元南ベトナム大統領の
別荘を改装した簡素なレストランで昼食。

午後4時前にフエ市内に戻る。

午後6時半、長島夫妻招待の夕食会。
5人の日本人スタッフ、クアンさん、ソン君が参加。
長島夫妻フエ滞在最終日を楽しみ親交・交流を深めた。

投稿者 koyama : 19:25 | コメント (0)

2008年05月23日

長島夫妻「子どもの家」で昼食

晴天

午前6時起床。昨夜痛飲。
少し熱めのお湯に入浴。

午前7時朝食。フランスパン(卵入り)
通常は早朝に英語の勉強をする土曜日がパンなのだが。
大塚さんはボランティアの仕事で既に出かけていた。

午前8時半、ベトナム事務所へ。既に長島夫妻は
ベトナム事務所3階の刺繍みやげ物店で買い物。
ソロプチミストの仲間などに刺繍を買ってくれる。
ありがたいことである。

長島夫妻・クアンさんと一緒に職業研修センターへ。
「縫製研修センター」、「オートバイ研修センター」
「アクセサリー研修センター」などを視察。



「子どもの家」へ。「子どもの家」で色々と話し合う。
午前11時半、「子どもの家」で里子のタムちゃんと
一緒に昼食を摂る。


午後1時「ハイリーホテル」へ戻る。
昼寝。

読書『超訳「資本論」』(的場昭弘著)
資本論第1巻 初版序文・商品とは。使用価値と交換価値。
相対的価値形態と等価価値まで読む。やさしく解説して
ある。イギリス社会を実例にして「資本」とは何か?
を明らかにしたマルクスだが、更に現代の私たちの
分かり易い実例を示しての解説は助かる。

午後6時、訪問者と会食・懇親。

投稿者 koyama : 17:00 | コメント (0)

2008年05月22日

フエ高等師範大学奨学金贈呈式・・・・・・

晴天 夕方小雨

午前7時朝食。チャオバンカン。

午前8時過ぎフォンザンホテルへ。長島夫妻・バオミンさんと
合流。フエ高等師範大学へ。

長島夫妻は10年間にわたりフエ高等師範大学の学生に
奨学金を贈っている。今回初めて贈呈者から直接の
贈呈式。


現在、20人の学生に奨学金を贈っている。

長島夫妻・フエ高等師範大学学長・日本語学科講師の
千草先生・いぶき先生などと記念写真。

贈呈式後、フエ高等師範大学の教室を訪問。
コンピュータ教室に行くと偶然日本語学科の
学生たちがコンピュータの授業をしていた。
教室に入り、日本語学科学生と日本語で
若干のやりとり。

午前11時、フエ高等師範大学長の招待で
昼食。フエの伝統的な家庭料理専門店で
食事をする。


午後1時半過ぎ、フエ高等師範大学へ。
長島夫妻がこの10年間奨学金を贈呈した
学生の中で実際に教職についている奨学生
の現場訪問へ。

フエ市内から車で30分。山岳地帯の麓の
「DUONG HOA]小学校・中学校へ。
3年前までフエ高等師範大学の長島奨学金の
奨学生だったHOANG先生(25歳)を訪問。
HOA先生はフエ高等師範大学で美術を専攻。
フエ市教育委員会の指示で山間の小中学校
合同の学校へ赴任し3年目である。
「私は教師として未熟なので頑張ってよい教師に
なりたい」と語っていた。


その後、HOA先生の実家へ。車で20分ほどの
純農村地帯にあった。
父親は53歳で既に退職。母親はHOA先生が8ヶ月
の時に22歳で急死。青年期に近所の人に
「あなたは、8ヶ月で母親が亡くなり、近所の人の
おっぱいで育ったのだよ。大人になったら社会や
他の人たちのために生きる人間にならなければ
だまだよ」といわれていたとのこと。教師志望の
最大の理由は自分の生い立ちであると語っていた。

HOA先生も一緒に地域の「合作社」へ向かう。
従兄弟の長島氏は、農業地理学などの研究者。
ベトナム農村の合作社の実態を知りたいとのことで今日の
訪問となった。


合作社は既にかつての勢いはなくなり、現在は
肥料の分配などを行っている。訪問した合作社では
独自に「きのこ」の栽培を行っていた。


午後5時半過ぎ、市内フォンザンホテルへ戻る。
朝からかなりの日程であるが、長島夫妻は疲れも
見せず、視察などを行った。

午後6時半、日本料理店で夕食会。私、大塚さん、
税田さん、千草先生、いぶき先生とフダビールを
飲みながら3時間ほど懇談。
私はフダビールを7杯(記憶にあるところで)飲む。

投稿者 koyama : 10:06 | コメント (0)

2008年05月21日

2組の来訪

快晴

午前5時起床。
午前6時入浴をしようとしたが、お湯の電気がつかない。
しばらく操作を繰り返し、お湯が出る。バスタブにお湯を
入れて少し熱めの入浴。目が覚める。

午前7時朝食。春雨麺。美味しい。


午前7時半、バオミンさんが車で「ハイリーホテル」へ
迎えに来る。税田さんと一緒にフエ空港へ。
昨日、フエに来る予定だった従兄弟夫妻と地球の歩き方
ミニスタディーツアーの皆さんが今朝8時20分にフエ空港へ
到着予定。出迎えに行く。

税田さんは地球の歩き方ミニスタディーツアーの方を
私とバオミンさんは従兄弟夫妻の出迎え。


従兄弟(いとこ)夫妻と一緒にフオンザンホテルへ。
朝が早かったため1時間ほどホテルで休息。
その後、バオミンさん、従兄弟夫妻と一緒にベトナム事務所へ。
ベトナム事務所の皆さんと挨拶交流。お土産をもらう。


その足で「子どもの家」へ。「子どもの家」でセンさんと懇談。
長島夫妻は長年フエ高等師範大学に奨学金を贈呈してくれて
いる。毎年30万円。この10数年継続して奨学金を
支援してくれている。
ちょうど、フエ高等師範に通っている「子どもの家」の
ユオンさんが帰って来たので交流。ユオンさは、9月から
フエの小学校の先生になる。


従兄弟の奥さんは千葉ソロプチミストの元会長。
里子のタムさん(7歳)を支援している。
里子のタムさんと面会。お手玉のお土産を渡す。

「子どもの家」の施設を私が案内。
昼食の様子を視察。

視察後、フォーサイゴンでフォーを食べる。


午後2時半、電動バイクで「子どもの家」へ。
地球の歩き方ミニスタディーツアーのお二人と1時間半ほど
話す。「子どもの家」の歴史、現在の到達点、人生などを
話す。


ベトナム事務所へ戻り、メールの受信・送信。

午後5時半、日本料理店で子どもたちと夕食。
今日、新しい生ビールを入れる。味がどうなったか?
実際に飲んで確認する。

日本人来店。ハノイの故近藤紘一氏の友人の方。
近藤氏を知っている方に会えて本当に嬉しかった。


投稿者 koyama : 19:00 | コメント (0)

2008年05月20日

ダナンへ洗濯機を買いに行く

★この1ヶ月ほど写真の掲載が出来なかった。
  今回、教え子の手島君の支援で写真掲載可能となった。
 過去1ヶ月間の出来事のいくつかの写真を追加掲載した。
 これからも時間を見つけては、過去1ヶ月間の写真を
 随時掲載していくつもりである。機会があったら、
 4月・5月の日記を振りかって見ていただければ幸いである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

晴天 午後曇り

午前6時起床。昨夜、遅くまで残った生ビールを飲んだので
少し二日酔い気味。

午前7時朝食。チャオバンカン(小麦粉の煮込みうどん)


午前8時、バオミンさん、税田さんと一緒にダナンへ。
以前買った洗濯機の乾燥機部分が故障。フエの何人かの
専門家に見てもらったが直せなかった。

フエの主な電機屋さんへ行ったが「乾燥機能付き」洗濯機は
1台もなかった。仕方がないのでダナンの大きなお店で
買うことにした。また、日本料理店のお寿司用の「マグロ」
がなくなってしまった。買出しもかねている。
車で2時間半ほどで、ダナン最大のスーパー「メトロ」へ。
日本・欧州・韓国などの洗濯機が多数おいてあった。
しかし、ここでも1台も乾燥機能付きの洗濯機はなかった。

仕方がないので「マグロ」を買う。冷凍のマグロ。1キロ100円程度。

その後、更に市内の大きな電気屋へ行くが乾燥機付きの
洗濯機はない。やっと1軒の電気屋にたった1台だけ
乾燥機付き洗濯機があった。韓国製。
使い方を聞くが店員も使ったことがなく、「でたらめな」説明に
終始。仕方がないので、説明書をもらい、フエで熟読することに
する。現在5人の日本人がいる。暑い毎日である。洗濯物が
たくさんでる。皆さん忙しいので洗濯だけに時間をとられる
訳にもいかない。また、10月からは雨季に入り、太陽が
出ない。乾燥機がないと「異臭漂う」衣類の着用となってしまう。

午後12時過ぎ、ダナン市内で昼食。(運転手さんも含め4人で)。
今日は大安なのか? 主なレストランでは結婚式が行われて
いた。私たちの入ったレストランも3階で結婚式。大音量の
カラオケ大会と相成っていた。大きな部屋には、満杯状態の
お客。家族と学校帰りの小学生・中学生が制服姿で食事を
していた。多くの子どもたちが「肥満」そのもの。
ダナンは景気が良いと聞いていたが、ここでも「一時成金」
家族が、昼間から学校帰りの子どもたちとステーキや
贅沢な食事をしていた。多くの大人は一杯飲んでいる。
昼間から家族で「宴会状態」。

午後3時過ぎ、フエに戻る。ベトナム事務所からクアンさん、
ソン君。それにリー君、ハイ君に手伝ってもらい車に積んである
洗濯機を5階まで上げてもらう。
業者を呼んで洗濯機の設置をする。水道工事から始まり、
電機の接続など長時間かかる。税田さん・ソン君が
監督役。結局全て終わったのが、午後6時半。
その後、洗濯機の工事をした部屋を掃除。
午後7時に自室に戻る。

こうした緊急な仕事が入った時、ベトナム事務所のみなさんは
本当に一致団結し、仕事にあたってくれる。リー君・ハイ君も
張り切って荷物の運搬などを手伝ってくれた。関係者に
深謝。

長い1日だった。

私は日本料理店での夕食を止めて、部屋で軽く飲み、
日曜日に買ったチャオバンカン(小麦粉の手打ちうどん)
が若干残っていたので、それで夕食とする。

ーーーーーーー
今日、フエを訪問する二つのツアーが、成田から
ホーチミンへの飛行機が遅れ、フエへ来られなくなった。
1つのツアーの半分は関空から。関空組は定刻に
関空を出発。午後5時50分フエ空港へ到着。
成田組はホーチミン市からの飛行機が名古屋空港まで
しか来られなかった。その後、2時間ほど遅れて
成田へ到着。2時間遅れで成田を出発。ホーチミン市着も
2時間遅れ。その時点では、ホーチミン市→フエ行きの
最終便が出てしまっていた。2組のツアーの皆さんは
仕方がないのでホーチミン市のホテルへ。
航空定款で「地震・台風などの自然災害の場合の
保障はしない」ことになっているそうだ。
可愛そうに成田組のお客さんは、自分の費用で
ホーチミン市のホテルを追加支払いをせざるを得なく
なった。
ベトナム専門の観光会社ピースインツアー
との共同企画のツアーである。
ピースインツアー http://www.pitt.jp/
           電話 03-3207-3690

(ピースインツアーは本当に親切にベトナム・カンボジア
等の旅行の切符からホテル、観光内容とうのお世話を
してくれる)

ピースインツアーと連絡を取り合い、今夜フエに泊まる
予定のホテルに無料キャンセルの交渉をする。

午後5時50分、バオミンさんがフエ空港へ関空組の
地球の歩き方ミニスタディーツアーのお客さんの
出迎えに行く。

投稿者 koyama : 18:57 | コメント (0)

2008年05月19日

118回故ホーチミン主席生誕日

午前中快晴・午後曇り時々雨

午前5時起床。
昨日夕方から今朝9時位までインターネットが
切れてしまい、ベトナム事務所も「ハイリーホテル」も
どこでも使えなかった。

読書「国を思うて何が悪い」(阿川弘之著)読了。
副題に「自由主義者の憤慨録」とある。
言いたいことのある部分は同感する点もある。
20年前の著書だが、ソ連の崩壊などかなり
予測が当たっている部分あり。

午前7時朝食。
インスタントラーメンにお湯をかけたもの。
一つ15円程度のものだそうだ。



午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。
途中、火炎樹の花が咲きはじめていた。
いよいよ真夏の暑い季節到来。

ベトナム事務所付近の路上でリー君に遭遇。
月給を前借りし、私たちが貸している自転車を
質屋に入れてしまったリー君。お金を頂戴いと
言っても誰も「あげない」「貸さない」という方針
である。困ったら誰かに言って助けてもらえば良い
との考えは21歳の彼には、不適である。
自らの行動と生活には自らが責任を持たなければ
ならない。結局、「ハイリーホテル」とベトナム事務所
の間を徒歩で歩かざるを得ないのである。



リー君と私は現在「徒歩仲間」。リー君に聞く。
「何分かかる?」。15分とのこと。私より5分ほど早い。
明日はリー君待望の給料日。

ベトナム事務所で仕事。バオミンさんといくつかの
問題で打ち合わせをする。

午前11時過ぎ、徒歩でベトナム事務所を出て「ハイリーホテル」へ。

昼食。

午後1時、昼寝。

読書「超訳『資本論』」(的場昭弘著:祥伝社)
を読み始める。


午前中、業者が私の部屋のカーテンを直してくれる。
今までカーテンらしきものはついてはいたが、窓の
半分の長さ。仕方がないので不足分にバスタオルを
ホチキスで付け足していた。
今日は3箇所の窓に新しいカーテンを取り付けてくれた。
ありがたい。昼食後部屋へ戻ってカーテンを確認。
1箇所は、20センチほど長く床に垂れ下がっている。
1箇所はほぼ適正。外からの「目隠し」になるという
目的は達成されているのだが・・・・・・。

急に曇りだし、強い風が吹く。雨の予兆。
カッパをもってベトナム事務所へ。

ベトナム事務所のパソコンに新しい写真保存WEBを入れるが
なかなかインターネットと繋がらない。何が問題なのか
分からない。教え子の手島君に電話するが、直接見ないと
分からないようだ。

たくさんのメール受信。必要なメールを送信。

午後5時半、日本料理店の子どもたち、大塚さん、税田さん、
千草先生と夕食。いぶき先生は日本語学校で遅れる。

午後8時58分、7人の来客で閉店寸前。
日本料理店の前を二人の西欧人が通りかかる。
最近仕事にやる気を出し始めたリー君が二人を誘う。
二人が来店。それから1時間。午後10時までビールを
飲みお寿司を食べる。

フダ生ビール。既に2週間以上を経過し、発酵が進んでいる。
先週の土曜日に飲んだら酸っぱかった。
これ以上、お客さんには出せない。
最後の来客が帰り閉店した午後10時から、日本人と
リー君で残りの酸っぱくなった生ビールを飲む。
捨てるのももったいない。
午後11時終了。「ハイリーホテル」帰宅午後11時半。

投稿者 koyama : 17:43 | コメント (0)

2008年05月18日

第5回世界仏教徒会議

晴天

気温33度。湿度55%。

午前5時半起床。しばらくボーッとしている。
午前6時半、ウオーキング。「ハイリーホテル」の近くを
流れる川に沿って30分ほど歩く。
午前8時朝食。昨晩、日本料理店の子どもたちが作ってくれた
生野菜、脂を落とした豚肉を食べる。
洗濯3回。屋上に干すと2時間ほどで乾く。
毛布を干す。スニーカーを洗う。

午後12時過ぎ、チャオバンカン(1キロ15円)を茹でる。
午後1時、昼寝。
午後2時半、読書。「国を思うて何が悪い」(阿川弘之著)
阿川氏は世間一般の評価は、「右より文化人」。
確かに天皇、君が代、日の丸などについて熱弁を振るっている。
相当なアナクロニズム。陸軍は馬鹿で、阿川氏が所属した海軍は
合理主義的・知的人間集団というのが、阿川氏の主張。
「目くそ鼻くそを笑う」の類。
主要な主張は「進歩的文化人」の無節操さへの糾弾。
特に中国の文化大革命の際の朝日新聞の肩入れについては
容赦ない批判を加えている。
「進歩的文化人」と称される人間の「日和見主義」は私も阿川氏に
同感な所がある。1945年8月15日まで「天皇万歳」を唱え、翌日から
「左翼」へ変身した人たちをたくさんみている。頭の中が天皇から
「左翼」に代わっただけで、人間そのものは、相変わらず戦前の
軍国主義者と思しき人間を多数見、付き合ってきた。
ソ連が崩壊した後、進歩的文化人と称する人々の中で「新自由主義」
への痛烈な批判をする人が減ってきている。


日記に写真を載せられないままでいた。原因は1GBのブログ容量に
多くの写真を掲載したためブログの容量が満杯になってしまったこと。
教え子の手島君が新しい火炎樹日記作成の方法を考えてくれた。
写真とブログの文章を分離し、写真は写真専用の無料のブログを使い、
日記文章は今まで通りとする方法を考えてくれた。
この方法で行くと多少面倒で複雑な手続きがいる。常に写真用ブログと
日記文章用ブログを開いておかなければならない。
手島君から電話で操作方法を聞き、何とか二つのブログを使いながら
大量の写真を火炎樹日記に掲載する方策を見つけることが出来た。
手島君に感謝。

午後3時過ぎ、床屋へ。1ヶ月ぶり。髪を出来るだけ短く切り、刈り上げて
もらう。


昨日から2日間の日程で第5回世界仏教徒大会が
フエで行われている。海外から2000人ほどの
仏教徒も参加。
昨日からフエの町中が世界仏教徒大会のお祭りで賑わっている。
今日は、何台もの仏教の「花自動車」が町中を練り歩いていた。
ブッダの歩んだ道を分かりやすく解説する「花自動車」である。



夕方からインターネットが「不通」となる。ベトナムでは、
「種々の事情」でプロバイダーが一方的にインターネット接続を
切ってしまったり、インターネットが繋がらなくなることが多々ある。

投稿者 koyama : 10:33 | コメント (0)

2008年05月17日

ベトナム事務所員会議

晴天

気温30度。湿度40%。ちょうど過ごし易い気候。
午前6時起床。
午前7時朝食。フランスパン(玉子焼き入り)

午前7時半、「ハイリーホテル」を徒歩で出てベトナム事務所へ。
途中、大通りや橋を通る時、トラックの排気ガスと埃(ホコリ)
が多かったが、約20分でベトナム事務所へ到着。

「ハイリーホテル」へ引っ越して4ヶ月半。宿舎から少し遠く
なったのでベトナム事務所まで電動バイクで通っていた。
フエに来て15年。最初の5年間ほどは、毎朝5時に起きて
1時間のウオーキングをしていた。その後忙しくなり、
仕事の終わった後、ドンバ市場まで歩いたり、トンチンカンホテル
からベトナム事務所まで歩いたりと毎日歩いていた。
この4ヶ月半、電動バイクでの移動でほとんど歩いていない。
足の筋肉が相当衰えているのを感ずる。
今後、出来る限り歩くようにする。スタディーツアーが入り、朝から
夜遅くまでの仕事が1ヶ月、2ヶ月と続くと、ウオーキングをする
気力と体力がなくなってしまう。「可能な範囲」で
「ハイリーホテル」からベトナム事務所までの徒歩を続ける
ことにする。

午前8時半、ベトナム事務所へ。
1階日本料理店で子どもたちが英語の勉強中。

午前8時半からベトナム事務所員会議。
ゴック先生が体調を崩し欠席。

バオミンさん「JASSベトナム運営委員長」の司会で
会議は始まる。


(ソン)ベトナム事務所で仕事。
    「ハイリーホテル」に住むようになった大塚さんの部屋の
    整備。(カーテン、パソコン等の設置)
    「子どもの家」のパソコンの修理

(千種)月・水・木 観光コース(漢字・文法)
     火 初級コース(59人)
     金 観光コーステスト
(フーン)月・水・木・金 観光コース
(税田)大塚さんの「ハイリーホテル」居住準備
    縫製研修センター関連の仕事
    バンベ関係の整理
    来週「竹とんぼ」を送る
(ハン)バンベ関連の翻訳
    里親への手紙の翻訳
    奨学生の手紙関係の連絡を学校へした
    今後、約500通の里子・奨学生等の手紙の
    翻訳を行う。5月23日在宅支援・「子どもの家」
    の子どもたちなどの写真を撮る。
(いぶき)火  観光コース
     水・金 中級
     目   フエ高等師範大学
(クアン)スタディーツアー等の日程調整・計画
     子どもたちの手紙を翻訳
     子どもたちスタッフのバンベー原稿翻訳
(ミン)バンベ原稿諸準備
    5月20日ミニスタディーツアー、S夫妻来訪
    6月22日北海道教育大スタディーツアー
    ピースインツアーよりいくつかのツアーの提案あり
    5月22日(木)S夫妻との夕食会

ベトナム事務所員会議終了後、日本から持ち帰った
支援金など財政関係の打ち合わせを行う。
ハン財政部長、税田さん、バオミンさんと。今後の財政見通し、
2008年1月から5月までの財政の現状などを話し合う。
午前11時過ぎまで話し合いが続く。
その後徒歩で「ハイリーホテル」まで。20分。

午前11時半過ぎ昼食。
ご飯、スープ、小魚の煮物・・・・・。

午後1時、昼寝。
午後2時、読書「国を思うて何が悪い」(阿川弘之著)
午後4時、電動バイクでベトナム事務所へ。
今後の支援についての問い合わせなどへの解答
必要のメールの送受信。

午後5時半、リー君が「夕食です」と部屋まで迎えに
来る。
12人で夕食。千草先生は、日本語学校で少し
遅れる。最終的には13人。

生ビールが2週間を過ぎてもかなり余っているという。
飲んでみると既に「発酵」が進み「酸っぱく」なっていた。
飲める人はなるべく飲むようにする。税田さん、いぶき先生
などと一緒に。私はグラス5杯の生ビールを飲む。

午後7時過ぎ、部屋で仕事。火炎樹日記の再開に向けて
教え子の手島君がア多々な提案をしてくる。
写真だけ別の大容量のサイトにしまい、文書はまた別の
サイトで書き込むというもの。出来るだけ早く写真が
掲載できるよう努力中。

午後9時半、最後のフランス人NGOグループが帰り
閉店。この頃の来店者は毎日10人以上。ほとんどが
欧米系。
護送船団で「ハイリーホテル」へ帰る。
リー君は私たちが貸している自転車を「質屋」へ入れて
しまい、自転車がない。友達やハイ君の自転車に乗せて
もらい「ハイリーホテル」へ帰っているようだ。
5月20日が給料日。質にいれた自転車を出すと言うが、
皆さんの話では既に「質流れ」の状況。新たに自転車を
買って返してもらう必要がある。50万ドン位はかかるとのこと。

今日から「世界仏教フェスティバル」がフエで行われる。
花などで飾った「花自動車」やフオン川に灯篭を流すなどの
諸行事が今日と明日の二日間行われる。


   

投稿者 koyama : 18:59 | コメント (0)

2008年05月16日

掃除・洗濯・当面の諸問題打ち合わせ

晴天   休肝日


気温32度。湿度50%。

午前5時起床。
午前7時朝食。大塚さんも「ハイリーホテル」に
泊まることになり、9人の共同生活となった。
子どもたち(男子2名、女子2名)、日本人(5人)
朝食、チャオバンカン。
しばらくぶりで子どもたちと会う。リー君も落ち着いた
顔つきとなっていた。

3週間ほど部屋を閉め切っていたため、カビと異臭が漂う。
ベッドのシーツ、衣類もかびてしまい臭い。
午前中、3回に分けて洗濯。晴天なので屋上に
洗濯した衣類を干す。2時間ほどで乾く。

部屋にはヤモリの糞がたくさんおちている。部屋の掃除。
箒で掃き、モップで拭く。午前中、汗びっしょりで洗濯・掃除。
その間、壊れたパソコンを直してもらう。

昼食。ご飯、アヒルの玉子焼き、きゅうりの海老塩辛付け、
ミットスープ。

午後1時から1時間ほど昼寝。
午後2時読書「国を思うて何が悪い」(阿川弘之著:光文社)

午後3時、ベトナム事務所へ。
バオミンさん・税田さんと不在中の活動、子どもたちのこと、
今後の諸問題について「突っ込んだ」話し合いを行う。
2時半半ほどの話し合い。

午後5時半、日本料理店の子どもたち、大塚さん、
税田さん、千草先生と夕食。いぶき先生は日本語学校。

午後6時頃アメリカ人が来店。豚肉生姜焼き定食。
その後7人の来客。全員欧米系。昨日は13人の来店。
最近は日本料理店への来客が多くなったとのこと。
午後7時から午後9時まで、ニュージランドに行っている
間に受信したメールへの返信を書く。

中国の地震、中々崩壊した家屋の下敷きになっている
人たちの救援が進まないようだ。
ビルマ(ミャンマー)では、コレラが発生したとのこと。
被災者への手厚い救援を望む。

投稿者 koyama : 22:20 | コメント (0)

2008年05月15日

フエに戻る

午前8時半、日暮里発のスカイライナーで成田空港へ。
午前10時半成田発。満席。午後2時半(ベトナム時間)
ホーチミン空港着。午後4時半 ホーチミン空港から
フエ空港へ。フエは25度。曇り。

「ハイリーホテル」着午後6時。荷物を部屋に置き
日本料理店へ。大塚さん、税田さん、千草さん、いぶきさん
などが子どもたちと一緒に働いていた。最近は来客も多いとの
こと。
午後8時過ぎ、宇都宮縫製工業組合佐藤さんが来店。
午後9時半、13人の来客が帰る。子どもたちと一緒に
「ハイリーホテル」へ。

朝のスカイライナー、成田→ ホーチミン市、
ホーチミン市→フエの機中で読書。

「江戸っ子だってねえー浪曲師 廣澤虎造一代」(吉川潮著)
江戸時代後期から始まった浪曲が明治・大正・昭和と
大人気を得る歴史を知る。それは、私の父親の誕生と
浪曲の大人気の経過と重なっている。
浪曲を聞くと心が落ち着く。癒しでもある。

「青い月のバラード」(加藤登紀子著:小学館)
新左翼系「全学連」委員長の藤本敏夫氏との恋愛。
獄中結婚。など加藤登紀子の人生観を克明に
記している。単なるアイドルではない加藤登紀子の
人生が分かる。加藤登紀子も中国からの引揚者。
引き上げを通して「人生の何か?」を知る。
夫藤本氏との何度もの「離婚」騒動を経て、藤本氏の
ガンでの死亡へ。
1960年代の「70年安保」を闘った人々のそれぞれの
思いを知る。浅間山荘事件などで死亡した若者の
多くが加藤・藤本氏の仲間だったとのこと。
加藤登紀子もそれなりに新左翼運動に入り込んで
いたことが分かる。
加藤登紀子も藤本氏も結局は当時のエリートである
「裕福な家庭のお坊ちゃん・お嬢さん」であったことは
事実である。
御茶ノ水を「カルチェラタン」にするなど称して、
暴力を繰り返す彼らの運動に私は終始批判的だった。
同時に1960年代後半に青春を迎えた若者の多くが
参加した70年安保闘争への立場を超えた共感も
感ずる。

投稿者 koyama : 22:50 | コメント (0)

2008年05月14日

休息

午前中雨 午後曇り

ニュージーランド9日間滞在中読書。
3冊の本を読んだ。3冊とも大雑把に言えば「伝記物」。
「我、拗(す)ね者として生涯を閉ず」(本田泰春著:上下 講談社)
本田氏は私より10歳ちょっと年上。朝鮮から引き上げて来た
「引揚者」。帰国後、父親の仕事が順調に行き、お坊ちゃん育ち。
その後、仕事に失敗し貧困生活を体験する。また、
戦後民主主義教育の第1期生。早大新聞学科から読売新聞
社会部に入社。売血の「黄色い血チャンペーン」の主導者。
本田氏のキャンペーンで「売血」が終わる。売血で血清肝炎
(今日のC型肝炎)になる人が多かった。
売血の中心は、薬害エイズのミドリ十字(中国での人体実験の
元731部隊の幹部)が経営していた。
また、社主の元警察官僚である正力松太郎に徹底して
反抗。途中で抗議の気持ちを込めて退職と言った経歴。
不当・不正義なことがあれば、ついカーッとなって反抗する
気質があるようだ。
本田氏の人生を見ているとその出生はほぼ私と似ている。
また、性格的もにかなり似ているように思う。本田氏の主張は
「人間は生きてきたら、社会に何らの役割を果たせ。自分や
家族だけの幸せを追求するだけの人生ではいけない」。
基本的には「浪花節」の世界なのである。義理と人情と
困った人をみたら黙っていられないという性格である。
私たちの父親の世代にはこうした人は多かったように思う。
今は、「口先だけ」で「行動」が伴わない。
本田氏を尊敬するのは、行動が伴っていたことである。
必ずしも本田氏の行動を全て支持することは出来ないが、
その基本は、賛同できる。
最後は糖尿病で片目失明、両足切断。大腸がんなど
様々な病魔と闘いながら、「野糞のように生きる」と断言している。
野糞は、誰にも影響を与える程の力はないが、間違って「踏んで
しまうと、靴にくっつき面倒なことになる」「自分はその程度の
抵抗と反抗はする」「憲法を守りたい。特に第9条は死守すべき」
と遺言を言っている。

「浮かれ三亀松」(吉川潮著:講談社)
柳家三亀松の伝記。
東京深川で生まれた三亀松。入ったお金は
全て人のために使う。自分でお金をためるなど江戸っ子の
恥としている。
生涯、人のために「散財」した芸人。最後の江戸芸人と
言っている。私も中学・高校時代柳家三亀松の「音曲」を
テレビで何度も見た。相当「キザ」な芸人というイメージが
あったが、本書を読むと、三亀松も本田靖春も人生と
社会に「反抗」し「自分の生き方」を損得を抜きに貫いたという
点で私は高く評価する。浄瑠璃・清元・新内などの詳しい歴史と
説明がある。

午前中池袋の本屋へ。吉川潮氏の」「江戸っ子芸人三部作」
のうち、春風亭柳朝(林家正蔵・後彦六の弟子)は読んだ。
今回、音曲の柳家三亀松を読み、三部作で残った
「江戸っ子だってねえー浪曲師 廣澤虎造一代」(吉川潮著 講談社)
を買う。浪曲で大正・昭和を風靡した。私も子どもの頃、父親が
大好きでラジオを通して良く聞いていた。
その後、浪曲が好きで「廣澤虎造」の清水の次郎長の全巻の
テープを買って何度も聞いている。浪曲も講談と同様「読む」と
いうのだそうだ。落語は「語る」。
虎造は芝白金で生まれた。虎造の清水の次郎長は関東の
浪曲。啖呵が身上。「旅行けば、駿河の国に茶の香り・・・・」
から始まり、初代「お蝶」の死、石松代参、荒神山、石松閻魔堂
・・・・。浪曲は一度聞く価値のあるものだ。
視力が相当低下。00鏡なしには、本が読めなくなった。

中国で史上最大規模の大地震発生。犠牲者・被災者の
皆さんにお悔やみと早期の回復の言葉を伝えたい。
神戸の地震の32倍のエネルギーだったそうだ。
1万5千人近くの方が亡くなっているようだ。
地震があった日に中国政府は盛大な聖火リレーを挙行している。
人間の命より、「国家」の体面が大事なようだ。
(その後、聖火リレーを縮小するようだが)。
学校がもろくも崩壊している。共産党本部・行政などの施設の
被害は相対的に少ないようだ。
海外からの支援金と物資はもらうが、人が来るのは拒否との
こと。ビルマ(ミャンマー)の軍事独裁政権もサイクロン被害
への国際支援を拒否している。友好国だけの支援を受け入れるという。
独裁国家は、人権や命より自らの政治の地位の安定と保身が重要
なようだ。
テレビ・新聞が中国四川地震・ビルマ(ミミャンマー)サイクロンへの
義捐金を呼びかけている。人道的な支援は必要。
同時にこれらの支援金や支援物資が本当に被災者に届くかどうか
は大いに疑問が残るところ。15年間の海外支援の経験から
痛感しているところである。支援金や物資を送った国は、
それらのお金や物資が被災者に届いたのかを見る権利と
支援金・物資を寄付してくれた人に報告する義務がある。

この国の急激な経済発展が「金権主義」と共産党一党独裁
の中で遂行され、一部「成金」と「特権階級の繁栄」を
もたらしたが、それが汚職と賄賂にまみれた「いびつな」
繁栄であることは、今回の地震を通して一層鮮明になった。
オリンピックの成功を望むと共に、内陸部で「繁栄」から
取り残された庶民、言論と思想の自由のない国家には
未来のないことを痛感した。私の身の回りにもこれに
似た国がなくもない。


もっとも神戸の地震の際の村山首相は、地震当日の夜も
赤坂かどこかで宴会をしていたそうだ。あまり他国の
ことは言えないが・・・・。

投稿者 koyama : 15:07 | コメント (0)

2008年05月13日

夕方成田へ帰国

午前4時起床。
午前5時、オークランドのホテルを出発し、オークランド空港へ。
午前8時半、オークランドを出発し、11時間飛行機に乗る。
午後7時半(NZ時間)に成田着。時差3時間のため午後4時半。
スカイライナーで日暮里へ。

約10日間のNZ滞在。7ヶ月、1歳半、6歳の子どもたちを
連れての旅行。長男・次男の嫁さんがしっかりと子どもたちの
面倒を見てくれていたので安心。NZは冬にはいりつつあり
寒い。

とにかく疲れた10日間であった。

次男夫妻、結婚式を祝い、オークランドで
「逆バンジー」に挑戦。

投稿者 koyama : 21:03 | コメント (0)

2008年05月10日

次男挙式

曇り時々雨

午後4時半、タウランガ市にある教会で挙式。
参会者60人ほど。
18年前(高校1年・2年)と2年間タウランガ男子高校に
留学していた。REDDYさんの家でお世話になる。
次男の高校時代の知り合いの人たちも多く参加。
牧師さんの司会・進行で式は進む。
牧師さんの「説教」。二人への「質問」「確認」。「00を誓うか?」
というような質問。かなり長い内容の質問もあった。

指輪交換となったが、「係り」が指輪を忘れてくる。
急遽、REDDYさんが、どこからか適当な指輪を
もってきて無事終了。


所要時間1時間ほど。

その足で市内にある公共施設で結婚パーティー。
40人ほどの人がお祝いに駆けつけてくれる。
午後6時半から9時まで結婚記念のダンスパーティー。
はじめにREDDYさんが挨拶。続いて次男が参会者に
お礼の挨拶。ここまではおおよその予定に範囲。
その後、急に私が紹介され挨拶をする。
乾杯をしながら用意された夕食を堪能する。1時間ほど。

いよいよダンスパーティー。
次男夫妻のワルツで開幕。その後は、延々と各種ダンスが
続く。終了は午後9時。

ホテルに戻り、引き続き結婚式の『反省会』。

投稿者 koyama : 06:38 | コメント (0)

2008年05月09日

ニュージーランド着 結婚式の準備

5月5日早朝、無事オークランド空港到着。11時間の
飛行中、子どもたちが騒がないか心配をしたが
8ヶ月の赤ちゃんも泣かずに11時間を耐えぬいた。

5月5日はオークランドに一泊。
5月6日、DOOR TO DOORのワゴン車で3時間。
北島中部のタウラン市に到着。次男が2年間過ごした
REDDYさんの家へ。

その後、花嫁の衣装、靴の準備、花婿の洋服等の準備。
更に参加者(私も含む)のタキシードなどを貸衣装屋さんで
借りる。NZの人は背も高く、太っているので私に会うタキシード
やズボンなどがない。何とか短く縫い直す。

5月8日夕方。私の知り合いや家族が私の
還暦のお祝いの会を中華料理店で行ってくれる。


5月9日、早朝から豪雨。
午後、孫たちと温泉プールへ遊びに行く。新郎新婦は
明日の教会での結婚式の打ち合わせ・リハーサルへ。

NZのタウランが市へ来てインターネットカフェーへ行く。
日本語が出来るパソコンがあるか聞く。「出来る」と言う。
早速、試してみる。速度が遅い。確かに日本語の「読み取り」
は出来るのだが、書き込みが出来ない。

宿泊ホテルの説明書には、「インターネット可能」と書いてある。
スタッフに聞く。電話線をつなげとのこと。

やっとレセプションに1本だけ「ランケーブル」があるとの情報をキャッチ。
昨日の夜、レセプションに確認に行き、使えることが分かった。

明日午後から次男の結婚式。その後、お祝いのダンスパーティー。

投稿者 koyama : 13:37 | コメント (0)

2008年05月04日

次男結婚式参加のためニュージーランドへ

曇りのち晴れ

肌寒し。

午前7時起床。

午前中、NZ行きの最後の荷物整理。
ビデオ、デジカメ、ワイシャツ、革靴など結婚式グッズを持って
行かなければならないので、結構荷物が増える。

読書「我、拗(す)ね者として生涯を閉ず」(本田靖春著:講談社文庫)
以前、上製版を本屋で見た。上製版は値段が高い。また、本が重い。
文庫本化するのを待っていたい。昨年末文庫版がでた。
本書の冒頭、京都の高級料亭に行き、店の主人が薀蓄(うんちく)を
長々と語ったそうだ。最後に「お客さん、何を召し上がりますか?」と
聞かれ「何でもいいから、なるべく能書き(のうがき)のつかないものを
ちょうだい」と答えたそうだ。大阪吉兆ではないが、ブランドに乗っかり、
能書きと解説ばかりの料亭に庶民の立場から痛烈な批判を加えた
訳である。「拗ね者」の真骨頂である。
読み始めて、引き込まれた。読書の醍醐味だ。読書は最大の娯楽。

午後2時過ぎ日暮里からスカイライナーで成田第2ターミナルへ。
今回は長男一家(3人)、次男一家(3人)、そして長男の嫁さん
妹と長男という赤ちゃん、子ども軍団同伴の旅。
7ヶ月、2歳、6歳。

午後6時過ぎ、NZ機に搭乗。一路オークランド空港へ。
飛行時間11時間。長い。
明朝、NZに着く予定。

NZで火炎樹日記がかけるかどうかは、分からない。
何とか書けると良いのだが・・・・・・・。

投稿者 koyama : 09:15 | コメント (0)

2008年05月03日

日本語教師希望者との面接:第61回憲法記念日

午前中曇り 夕方晴れ


午前8時起床。
昨日の受信メールをチェック。必要な返事を出す。
再度、フエで活動しているNGO団体の諸問題について
長文の私見を書き、日本のNGOの代表の方に送る。

午前10時自宅を出て新宿へ。新南口付近の喫茶店で
日本語教師希望の方と面接の予定。
新南口改札に行ったつもりだったが、どうしても待ち合わせの
喫茶店がない。もえ子から電話。場所が分かる。
日本にいないということは、こうした日々の東京の変化が
分からなくなるということである。1967年から69年の2年間。
自宅から新宿を経由して中央線で武蔵小金井まで通った。
行き帰り、新宿を徘徊した。隅から隅まで知っていたのだが。
フエ滞在15年。東京は大きき変化してしまった。

JASS日本代表委員会委員長の福田もえ子さんと一緒に
日本語教師希望者の面接を行なう。様々な話をする。
2時間ほど。結果は後日、連絡することとなる。

明日から次男の結婚式のためNZに行く。夕方、次男家族と会う。

読書「コーランを知っていますか」(阿刀田高著)読了。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の関係が良く分かった。
3つとも一神教。唯一絶対の神を信ずるかどうか。
ユダヤ教はイスラエルの建国から滅亡の歴史。
キリスト教はユダヤ教で明示されている預言者としての
キリストの出現以降の歴史。イスラム教は、
ユダヤ教・キリスト教を包摂し、最後の最終の預言者としての
マホメッドが唯一絶対の神であるアラーの言葉を代弁したもの。
というような概略を知った。イスラム教は、ユダヤ教もキリストも
否定はしていない。これらをが予言する何人かの預言者が
出たが(キリストも含む)最後の最終の預言者がマホメッドとの
立場。
旧約聖書・新約聖書・イスラム教の概略を知ると、イスラエル人が
約2000年間祖国をなくし世界に広がっていたが、イスラエル人
としての民族の自覚を失わなかったのは、偏にユダヤ教という
共通の宗教に拠ったものと推測する。
3つの宗教に共通するものは、唯一絶対の神を
信じない人は「地獄に行く」と相当排他的・攻撃的なものを
感じた。仏教の考えに多少馴染んでいる私などは、かなり
抵抗がある。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は共通の信仰
と歴史的な基盤を持っている。同時に近親だからこそ一層の
憎悪をお互いが持っていることも理解できるような気がする。

イスラエルを含む「中東問題」の複雑且つ歴史的な根源を見た
思いがする。

イスラム教には同調できない点も多々あるが、貧者への
共感がその根底にあることは良く分かった。
また、現世は最終審判の過程であり、死んでも最後の審判での
判断こそが一番大事だという考え。聖戦(ジハード)で『特攻隊』
となり死んで行く若者たちの精神的な根底には、最後の審判が
あり、死ぬことも生きることも最後の審判への過程であり、最後の
審判で天国へ行くか地獄へ行くかこそが、イスラム教の信徒に
取っては一番大事なことのように思えた。戦前の特攻隊が
天皇のために自己犠牲をするということに対し、イスラム教の
ジハードは、自爆をすることにより、最後の審判で自分が
幸せな世界に入りたいとの願望か? 同じ特攻でも
天皇のためと最終的には「自分のため」と目的は違うように
思われた。

イスラム教は「金利」を否定している。働かないで金儲けをすると
いう考えを否定している。そして弱者への施し。
今日、食料までもが世界のマネーファンドの金儲けの対象と
されている。人間の存在、命、食料など人間そのものが
金儲けの対象とされている。イスラム教のこの考えは、今日の
新自由主義の金儲け万能主義への警告を含んでいると
私は読み取ったのだが・・・・・・。

夜、明日からのNZ旅行のための荷物の整理。必要な持ち物の整理を
する。

今日は憲法記念日。日本国憲法の素晴らしい理念を理解できる
人たちが段々と減ってきた。数百万人の日本人の犠牲、2000万人の
アジアの人々の犠牲の上に出来上がった日本国憲法。主権在民・
平和主義・基本的人権の尊重・地方自治など世界に誇る憲法である。
日本本国憲法をアメリカの押し付け憲法と誹謗しながら、アメリカの
子分になっていた前某お坊ちゃん首相。日本国憲法の本当の意味と
重要性を理解できない人間である。だからこそ、途中で政権を
投げ捨ててしまった。2008年3月31日までに「最後の最後の
一人まで盗まれた年金を探し出す」と選挙で国民に公約した人が、
辞任した後は、口を噤んでしまった。日本国憲法には個人の権利
と責任がはっきりと明記されている。けして権利ばかりを主張している
訳でもない。権利ばかりをふりまわしているのは、某お坊ちゃん
前首相である。

投稿者 koyama : 19:59 | コメント (0)

2008年05月02日

アクア村上氏と懇談

曇りのち雨

午前中、受信メールを読み必要な返事を出す。
フエで活動しているNGO団体の現地での活動上の諸問題
について、相談を受ける。私見をまとめる。なかなか複雑な
背景のある問題である。
明日、フエに戻る税田さんに電話。フエに帰ってからのいくつかの
問題、NGO問題なとについて意見交換。

午後池袋へ。火炎樹日記用のデジカメが故障。このデジカメは
青少年教育の会のKさんが、スタディーツアーでフエに来た際、
古くなったデジカメをバオミンさんにあげたものを私が「借りて
使って」いた。既にこの1年間ほど、充電電池がもたなくなって
来ていた。1日に何回か充電しながら使っていた。さすがに
寿命がきたようだ。青少年教育の会のKさんに感謝。
池袋のBICカメラへ。デジカメ売り場に行くとあまりにたくさんの
デジカメがあり、選べない。係りの人に相談。結局、値段と
機能で買う。値段は一番安いもの、機能は少し古い機種で
単純なもの、複雑な機能が一切付いていないものと希望を出す。
係りの人が「これは、初心者の入門用のものです。すぐに
飽きてしまいますよ」と言って示してくれたデジカメを買う。
1万円強。私にとってはこれで充分。火炎樹日記用に
使うだけ。複雑な機能は一切必要なし。540×180位の
大きさの写真が1回に50枚程度写れば充分。
池袋東口にはたくさんの人出。
数時間いるだけで本当に「人に酔って」しまい疲れてしまった。
池袋から大宮へ。午後6時、大宮駅改札前「豆の木」前で
アクア村上氏と合流。村上氏が予約してくれていた日本料理店へ。
アクアは小型モーターでは世界一のマブチモーターの会長さんが
創設。現在は長男の方が理事長。アジアの青年の教育・育成を
目的にして慈善団体。
フエの高校生の日本留学、不登校引きこもりのフエでの受け入れ、
フエ高等師範大学日本語学科への支援問題などを話し合う。
午後9時、終了。アクアの村上さんもかつて海外支援を行った方
なので私と通じるところが多い。現地で苦労している私たちの
気持ちと活動を本当に良く理解している方である。
こうした方が日本からの支援を担当してくれるのは心強い。

投稿者 koyama : 08:59 | コメント (0)

2008年05月01日

通院:テレビディレクター懇談

晴天

丁度過ごしやすい気温。

午前6時起床する。
午前8時自宅を出て都庁前NSビルへ。
心臓の治療。予約が出来なかったので半日かかる。
心電図、診療後、2ヶ月分の薬をもらう。5000円。
午前11時半終了。


午後2時、テレビディレクターのKさんと懇談。
Kさんとは11年前に1997年「原田大二郎親子ベトナムへ行く」
(90分番組)を作った。Kさんがその時のディレクター。
3時間ほど、私のフエでの活動、その意味、その動機などを話す。

投稿者 koyama : 18:46 | コメント (0)