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2008年05月30日

花田氏ハノイへ:マン・フエ省共産党委員長ご尊父の葬儀参列

晴天 夕方小雨

気温38度。夕方かなり涼しくなる。気温の変動が大きい。

昨夜、花田さんとフランス料理を食べ、ワインを2本あける。
ボディーブローのようにかなり効いている。

午前6時起床。少し熱めのお湯に入る。
午前7時朝食。春雨の麺。


午前8時から部屋の掃除。洗濯。
メールの受信・送信。

鼻水が出る。風邪を引く。体がだるい。

午前10時過ぎ、花田氏が空路ハノイへ。
3日間のフエ滞在、お疲れ様。
花田さんの支援で実施する「アクセサリー研修センター」
の事業が成功することを祈りたい。

午前11時半、昼食。チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)
私の一番好きな食事。

午後12時半から昼寝。ぐっすり寝る。
完全に風邪を引く。体がだるい。熱あり。

午後2時、読書『超訳「資本論」』。
その後、夕方まで寝ている。

午後5時、バオミンさんと一緒にフエ省共産党委員長の
マン氏の父親が亡くなりお葬式に参列。
フエ市内から車で40分ほど。かなり田舎。

フエ市人民委員会外務部長のニエン氏と一緒に
参列。JASS名の花輪を持っていく。

マン省共産党委員長の亡くなった父親も共産党の幹部。
お祖父さんも共産党の幹部とのこと。マンさんの母親は
ベトナム戦争中、フーコック島の「トラの檻」監獄に
入れられ解放後出所したが、既に病気が重くなり亡くなった
そうだ。フエ省のトップの父親の葬儀には多くの省・市の
幹部、共産党の役員などが多数参加していた。

家族・親族は白い衣装と白い鉢巻をする。


たくさんの省・市の共産党・人民委員会の幹部が列席する
中でマン省共産党委員長は私の席に来てかなりの時間
様々な話をしてくれた。


前フエ市長のカオさん(現フエ省副知事)、新フエ市長、
新フエ副市長と同席し、今後もJASSと共同して活動を
行うことを確認。バオミンさんが、JASSベトナムの代表
と共産党・人民委員会幹部に紹介。

マンフエ省共産党委員長のご尊父への弔意を表す。


午後7時過ぎ、葬儀を終了し日本料理店へ戻る。
小雨。今日は風邪を引き微熱あり。大塚さん、税田さん
の許可を得て早めに「ハイリーホテル」に戻り休む。
バオミンさんに頼み「風邪薬」を買ってもらう。

午後7時半、「ハイリーホテル」へ。
ハイ君が私の夕ご飯を日本料理店から持って来てくれていた。
日本料理店の大塚さん・子どもたちが作ってくれたとのこと。
ありがたいことである。魚の煮物、野沢菜のような野菜の
漬物の油いため、空芯菜スープ。

夜8時半頃、日本の支援者Uさんから励ましの電話あり。
いつも励ましの電話を頂く。「また頑張ろう」という気持ちになる。
長い付き合いである。深謝。

日本共産党が中国四川地震への自衛隊輸送機の派遣を
認める記者会見行う。私が日本を離れて15年。こんな時代に
なったのか、との感慨も深い。日本政府が自衛隊輸送機の
派遣を見送った中での日本共産党の「自衛隊輸送機派遣容認」
の委員長記者会見。奇異に感じるのは私だけだろうか?
憲法9条を守る運動を推進している中で「地震支援」という
名目であれ日本共産党が自衛隊機の海外派遣を容認すると
の会見を行うのは、やはり議論を呼ぶものではある。

投稿者 koyama : 2008年05月30日 12:45

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