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2008年06月30日
バンベ33号の校正
曇り・晴天
午前中、部屋の掃除。書類の整理。フエ帰国時の持ち物の
整理。
午後はJASS機関誌「バンベー」33号の原稿公正を行う。
読書「教師格差」。かなり詳しく教育現場の実態を述べている。
7月5日午後に行われる茨城火炎樹の会講演会の
内容を準備し、必要なビデオを揃える。
ベトナム事務所からからいくつかのメール受信。
日本へ帰って来て3週間。毎日のように「殺人事件」がある。
殺伐とした日本社会である。罰則を強化し、死刑執行を増やす
ことで「抑止力」となる可能性はあるが、人が人を殺すという
行為を本質的になくすことは出来ない。何故人間が人を殺すに
至ったのか? 何が人間を殺人へ導いたのかを究明する必要が
ある。「子どもの家」で親から捨てられた子どもたちと付き合って
15年。幼児期の養育と愛情、その後の育成の仕方などの
総合的な結果が子どもたちに強く影響を与えている。
幼児期の養育と困難な環境が全て「悪影響」を与えるとも
限らない。その困難を成長のバネにして大きく成長している
子どもたちもいる。同時に幼児期の複雑な家庭環境が子どもたちの
人間性に強い問題を残すこともある。人間はなかなか複雑な存在で
ある。
夕方テレビを見ていた。『大食い競争』。
寿司と焼肉の食い競争。若い男性は1時間ほどで寿司を
105皿210巻。8キロの寿司を食べた。
若い女性は40人前の焼肉4キロを食べた。
馬鹿馬鹿しい。馬鹿食いをする若者を責めるより、
こうした番組を作るテレビ局の連中の馬鹿さ加減には
言葉が出ない。何の意味がある番組なのだろうか。
私など回転寿司に行ったら5皿~6皿程度しか食べられない。
105皿・210巻を食べてどうしようというのだろう。自慢したいのか?
たくさん食べられる人は偉いといいたいのか? 過食をすることで
苦しんでいる人をテレビで見て視聴者が喜んでいるというのだろうか?
本当にこの種の番組の意味が分からない。
2008年06月29日
JASS青少年教育の会懇談
大雨
午前中、ベトナム事務所関係者にメール。
午前11時、「JASS青少年教育の会」の森田さん、
加藤さん、山田さんと懇談。
8月のスタディーツアーについての相談。
読書「教師格差」(尾木直樹著:角川)を読み始める。
2008年06月28日
休日
久しぶりの休日
考えてみると2週間ほど続けて活動が続いた。
さすがに疲れた。
アレルギー抑制剤の副作用(?)でこの数日、体調がかなり
おかしい。
午前11時過ぎから午後2時過ぎまで「板橋温泉」へ。
ゆっくり休む。
読書「曽根崎心中他」(近松門左衛門著:河出書房新書)読了。
女殺油地獄(おんなころし あぶらのじごく)
国姓爺合戦(こくせんやかっせん)。
小学校か中学校の頃学校の図書館で読んだ記憶があるのだが、
こんな内容だという記憶はない。中国の話でありながら、
日本を巻き込み、中国の王朝再興の話。現実的にはありえない
話ではあるが。中国の故事をある程度知っていないと、理解が
難しい部分がある。「范蠡(はんれい)」(越王の家臣)。
私が「はんれい」という人物の名前を知ったのは
児島高徳と後醍醐天皇の「天勾践を空しうすること莫れ、
時に范蠡の無きにしも非ず」の言葉が出てきた吉川英冶の
「私本太平記」を読んだ時だった。
ベトナムのバオミンさんに電話。いくつかの問題について
打ち合わせ。
税田さんたちにメールを書く。
読書「教師格差ーダメ教師は何故増えるのか」
(尾木直樹著:角川ONEテーマ21)
本書に惹かれたのは「副題のダメ教師は何故増えるのか?」
という著者の不遜とも思える態度が引っかかったからである。
著者が練馬区の中学校教師時代を知っている者としては、
気にかかる副題である。
静岡県磐田市の新任教師「木村百合子さん」の『自殺』事件
の支援をしている関係で本書を読む気になった。
関係者に手紙を書く。
2008年06月27日
横浜市立並木中学校講演会
晴天
午前6時起床。2日間飲んだアレルギー抑制剤の副作用か?
終始体が眠っている。薬物の怖さを知った。
午前8時過ぎ自宅を出て京浜東北線田端駅へ。田端から京浜東北線
で1時間半弱。「新杉田駅」へ。新杉田駅で横浜新都市交通
(無人モノレール)で「幸浦(さちうら)駅」へ。自宅から2時間半。
JASS青少年教育の会の加藤さんと待ち合わせをしたが、
車で東京方面からやってきた加藤さんは、途中渋滞に巻き込まれ
定刻到着は無理との電話。
徒歩で今日の講演会場である横浜市立並木中学校へ。
並木中の周りにはたくさんの紫陽花(アジサイ)がきれいに
咲いていた。
校長室で佐野昇司校長先生と懇談。生徒数は300人程度。
私とほぼ同い年の温厚な校長先生だった。来年定年退職
とのこと。
午後12時45分、生徒さんが迎えに来てくれる。体育館へ。
今日は「横浜市立並木中学校 道徳・人権教育活動講演会」。
既に昨日、1977年にテレビ東京で放映された「ドキュメンタリー
人間劇場」を全校生徒が見ている。
約1時間の講演。
1時間の講演後、何人もの生徒から質問が出た。なかなか
的を射ている質問である。よく話を聞いていてくれた。
ありがたいことである。並木中学校での講演の感触。
学校全体がしっとりと落ち着いた雰囲気を感じる。
校長先生以下、先生方の協力体制ができているように
思えた。それが子どもたちにも良い影響を与えている
ように思えた。
講演会後、生徒は教室に帰り、全員感想文などを書く。
40分ほど待ち、午後3時20分位から40分ほど、
懇談を希望する生徒と話し合う。5人の生徒が参加。
今年の夏のJASSスタディーツアーに参加したいという
意見も出る。
午後4時過ぎ、並木中をあとにする。
JASS青少年教育の会の加藤さんが話があるとのことで
近くのフェミリーレストランで1時間ほど懇談。
8月のJASSスタディーツアーの内容についての相談。
午後5時過ぎ、私は電車、加藤さんは車で帰る。
午後8時過ぎ自宅へ着く。
ベトナム事務所からいくつかの問題についての
緊急問い合わせがメールで来ていた。
緊急度の高い内容と判断し、税田さんに直接電話。
問題の本質、私たちの対応方針の基本、今後の
対応の具体化などについて私見を述べる。
やはり薬の副作用か?。体中がだるい、眠い。
その他、いくつかの当面処理すべき問題について
メールが来る。協力してくれているJASS日本の責任者に
メールで私見を述べ返事をだす。
私の手の届かない所で苦労しながら活動しているJASSの
皆さんに感謝の気持ちをもつ。
2008年06月26日
原田虎太郎君懇談:東京学芸大講演会
曇り
起床午前8時。
昨日の通院でもらったアレルギーを抑える薬。効きすぎる。
いつまでも眠く、頭がボーッとしている。
朝食後、それでも言われて通り1錠のアレルギー抑制剤を
飲む。更に体が脱力し起きていられない。しばらく横になる。
12時前、自宅を出て新宿へ。午後1時、JASS会員の
虎太郎君と懇談。
虎太郎君とは、1997年テレビの取材で出会う。
11年間の付き合いである。今後の会の活動など1時間
ちょっと話し合う。直球で生きている若者である。
依然頭がボーッとしている。とても眠い。
新宿から中央線で吉祥寺へ。今日は午後5時半から
東京学芸大学での講演会を依頼されている。
午後2時半から午後4時半まで吉祥寺の喫茶店で
休息。薬というものは本当に怖いものである。
たった1錠の薬ではあるが、何も考えることもできず、
ただただ眠くなってしまう。このままでは、東京学芸大
での講演会ができない。とにかく眠気とだるさを
覚まさなければならない。水気をたくさん取り、
排出するしかない。
午後5時前、吉祥寺を出て武蔵小金井駅へ。
40年前に通った駅である。全く当時とは変っていた。
駅前に「セイユー」が残っているところだけは当時の
ままで。
駅前からバスで学芸大正門前まで。途中のバス停の
名前は40年前と変わっていなかった。
5時10分過ぎ、学芸大学へ到着。
正門を通ってキャンパスに入ってみる。
1967年。この正門は机と椅子でバリケードが築かれていた。
あれから40年。
キャンパスは当時と全く変わっていた。
私は学芸大を出てから初めて学芸大にきたのである。
40年ぶりの大学はきれいに整備され、静寂だった。
40年前の大学とあまりにも変わっている。
私が入学した1997年。入学式に出席したが、
「入学式粉砕」を呼号した学生集団の投石と乱入で
入学式は中止。当時の高坂正顕学長(期待される人間像を
作成)を学生が取り囲み小競り合い。そのうち高坂学長が
失神気絶。救急車がやってくる。いつの間にか私は
その小競り合いの渦中にいた。
1週間後、大学側は高坂学長失神事件の責任を追及する
として7人(?)の学生を退学処分にする。
学生自治会の委員長、書記長、各学生運動派閥のトップを
退学処分にする。ただちに学生大会。何度も何度長時間
続く学生大会。全学投票で無期限ストライキに突入する
ことが決定。正門をはじめいくつかの門に机と椅子で
バリケードが築かれる。全ての授業が中止となり、
学内のキャンパスなどで討論会などが行われるなど
騒然とした入学式前後を思い出す。入学して4年間、
学芸大学はそんな騒然とした学園の状態が続いた。
当時の時代背景がそんな時代であったのだが・・・・・。
今年の春、スタディーツアーで「子どもの家」を訪問した
Aさんの呼びかけ、準備で今夜の講演会は行われる。
Aさんとボランティアなどに興味を持っている学生の
皆さん11人が参加。
午後6時から午後8時45分まで講演会を行う。
Aさんをはじめ学芸大の学生に皆さんが熱心に
国際支援・ボランティアなどについて考えている
ことは素晴らしいことである。
中央線で新宿へ。自宅着午後11時。
2008年06月25日
病院へ
午前中曇り、午後晴れ。
午前9時、近くの総合病院へ行く。
半年ほど前から講演会中などに耳がおかしくなり
自分の声が「ガーン」と大きく聞こえてしまい、
講演会が出来なくなることが度々会った。
また、1時間半ほど講演会をすると声がかれてしまうことも
多々あった。
目に蚊が飛んでいるようなものが見える。
と言うことで耳鼻咽喉科と眼科にかかった。
病院はじいちゃん、ばあちゃんがたくさんいた。
かなり待たされ、耳鼻咽喉科。鼻から通し喉を見る内視鏡で
検査。声帯ポリープなど大きな問題はないとのこと。
何らかのアレルギーで鼻と喉が反応を起こしているとの診断。
アレルギーを押さえる薬をもらう。
続いて眼科。「飛蚊症」とのこと。加齢で水晶体の中に水泡の
ようなものができてしまい、それが反射して「蚊が飛んでいる」ように
眼球に写るとのこと。
精密眼底検査をする。目薬を差して30分ほど待たされる。
今後、6時間ほどは目が見えにくいですから。車の運転は
止めてくださいとのこと。
30分ほど経って眼底検査。特に目の異常はないとのこと。
蚊が飛ぶのは治らないそうだ。「そのうちなれます」といわれる。
その後、近くの薬局で薬をもらう。
結局、半日仕事となる。ベトナムではなかなか治療が難しい
ので少し異常を感じたら日本にいる間に治療をしておくしかない。
1万円ほどかかる。高いか安いか?
午後、読書をするが、確かに目が霞んで小さな次は読みにくい。
近松門左衛門を読む。「心中天の網島」(じんじゅう てん のあみじま)
紙屋の治兵衛(28歳)と女郎小春(19歳)の心中話。家族、親戚など
回りの人々の動きと反応。人間はそれほど変わっていないと感ずる。
ここまで読んで、まさに現代のテレビのワイドショーの話題そのもの
である。近松の話は、殺人、心中など今でも「人の興味と話題」
になるような内容を取り上げている。
「女殺油地獄」(おんなころし あぶらのじごく)を読む。
野崎参りで有名な野崎参り道中から話が始まる。
アレルギーの薬を飲むと「眠くなりますよ」と医者が言ったが、
確かに午後、眠くなる。
明日の夜の東京学芸大での講演会の内容を検討整理する。
2008年06月24日
読売新聞取材
晴天
午前中、必要ないくつかのメールの送信。
この1週間ほどの間に送られて来たメールを
熟読。返信。
午後2時、大手町の読売新聞本社を訪問。
医療功労賞受賞後の私の活動について
インタビュー。2時間程のインタビューを終わり
読売新聞内で写真を撮ってもらう。
8月末に記事が新聞に掲載されるとのこと。
読書「近松門左衛門」
曽根崎心中。徳兵衛とお初の心中話。
この話は、先代桂文楽の「船徳」の原本になった話である。
堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)
江戸へ夫が参勤交代で1年間行っている間に
ふとしたことで妻が鼓の先生と懇ろになる話。
その後、夫が妻を殺し、鼓の先生を「妻敵き打ち」
(めがたきうち)するというストーリー。
現代の週刊誌の内容をすでに300年前に
近松は書いているのだ。
2008年06月23日
長男・次男一家と岳温泉へ
曇り・雨
6月22日・23日にかけて長男家族・二男家族と
福島県の岳(だけ)温泉で家族交流。
長男の娘と次男の息子と1泊2日の旅行を楽しむ。
2008年06月21日
故木村百合子さんの裁判を支援する会参加
雨
午前9時自宅を出て東京駅へ。東京から静岡県掛川駅へ。
掛川から東海道線で磐田駅。午前12時半磐田駅へ到着。
少し時間があったので駅前の喫茶店でコーヒーを飲みながら
関係者へのメール文章を書く。
喫茶店を出ようとして「自動ドア」が開いていると思い、
顔面を自動ドアのガラスに強打。顔面を打つ。
鼻血と上唇を切り、出血。遠近両用の眼鏡をなくし、古い近眼
だけの眼鏡を使っていたので、目の前の状況が良くわからない。
直ぐにトイレに行き、鼻血と上唇の出血を止める。
予定されていた磐田市文化振興センターへ。しかし故木村百合子
さんの裁判を支援する会は行われていなかった。
笠井さんに電話。会場が変わったとのこと。徒歩で30分、
会場を探しやっと到着。午後2時。既に午後1時半から
「故木村百合子さんの裁判を支援する会」が行われていた。
参加者は約50名。
テレビ局3局、新聞社2紙が取材に来ていた。
・木村百合子さんのご両親の挨拶
・塩沢・小笠原弁護士の報告
・故木村百合子さんの公務災害認定を求める裁判を支援する会会則承認
・次に私から木村百合子さんさんとの出会い、この裁判の大きな意義について
個人的な意見を述べる
・続いて橋本正紘さん(静岡県働くものの安全と健康を守るセンター事務局長)の話
その他質疑応答。
最後に磐田市議の玉田氏の閉会の挨拶で午後4時過ぎ終了。
木村百合子さんは、静岡大学時代からJASS静岡の会員になり
2度も「子どもの家」に来ている。JASS静岡の会にも積極的に
参加。こどもたちに心を寄せる素晴らしい若者だった。
静大を卒業し静岡県磐田市の小学校の教員になった。
新任の教員にADHD(注意欠陥・多動性障害)の子どもも2人、
日系の子ども2人のいるクラスを担任。
常識的にはこうした場合は、指導の大変な
こどもたちは経験豊かなベテラン先生が担当するのが当たり前。
ところが木村百合子さんの勤めた学校では、ベテラン教師が
指導困難なこどもたちの担任をしないで「新任教師」に担当させる
という常軌を逸した学校運営であった。木村百合子さんは
週案(1週間の教育指導計画)を書き、毎週校長先生や
学年主任、指導の先生に提出していた。その中には
多動性のこどもたちが授業に集中できず、大変だとの
悲鳴にも似た訴えを書いている。しかし、管理職などは
「おまえは給料をもらっているのだから、指導するのは当たり前だ。
おまえは給料泥棒だ」などという心ない言葉を浴びせている。
真面目な木村百合子さんは多動性のこどもたちが、いうことを
聞かないのは自分の力量がないと自分を責めるようになる。
繰り返し、管理職からの無指導・心ない罵声はパワハラとも言える
常軌を逸したものだった。
こどもたちが大好きでフエの「子どもの家」まで来てこどもたちの
支援をしてくれた木村百合子さんである。
こうした真面目な若者を自殺に追い込んだ犯人は、
無責任な無指導の管理職であり、管理職をそうした
無責任体制に追い込んだ教育委員会の責任でもある。
彼らは、木村百合子さんの心が弱いなどとの理屈をこねて
自らの管理職との責任を認めていない。無責任社会を
象徴する出来事である。
24歳の若さ。教員になって半年の若者が駐車場で
自らにガソリンをかけて自殺するなどということがあるわけが
ない。無責任な大人に追い込まれた「憤死」である。
私は何としても木村百合子さんの無念な気持ちを晴らしたい
のである。今回の裁判は木村百合子さんの「仇討ち」という
気持である。24歳で自らの命を絶たざるを得なかった木村百合子さん
の無念な気持ちを誰かが代弁しなければならない。
「死人に口なし」を決め込んでいる無責任な連中がいる。
学校は最も人権を尊重し、自由と民主主義がなければならない。
その学校で人権侵害が半年も続けられ、24歳の若者を
死に追い詰めた関係者がのうのうとしている。
公務災害での死亡と請求を公務災害基金に出したが、
審査委員長が県知事ということで「仲間内」での処理となって
しまった。客観的第三者の調査審査はなかった。
校長や学校関係者の最高の任命権者(採用者)が
問題の調査委員会の委員長というおよそ普通の社会では
考えれないシステムである。亡くなった木村百合子さんは
今は何も言えない。生き残った関係者が木村百合子さん
の無念を晴らす、私はこの一点で「故木村百合子さんの
裁判を支援する会」の呼びかけ人に名を連ねてのである。
人間として黙っていられない心の中の何かが
ふつふつと燃え上ってきた。こんなことがこの世の中で
起こっていること自体が異常だと・・・・・・。
「木村百合子さんの裁判を支援する会」に協力をしてくれる方は
年会費1000円である。
連絡先は蓮井康人さん(TEL 0538-32-8063)
会員になることだけでも理不尽な今の教育の社会に
異議申し立てをすることができる。真っ当な教育を
取り戻したいものである。
その後、JSS静岡の会の滝下さん、笠井さんと1時間かけて静岡駅へ。
笠井さんは義父の看病のため病院へ。私と滝下さんは、静岡駅の
ライオンへ。静岡大学留学生問題について協議。2時間。
午後7時40分静岡発の新幹線で東京へ。自宅着午後10時。
新幹線車中で「近松門左衛門」を読む。
『冥途の飛脚』
亀屋忠兵衛(24歳位)飛脚屋の養子。
槌屋梅川(22歳位) 大阪新町の女郎。
二人は恋仲になり、飛脚屋で預かったお金を
忠兵衛は、女郎の梅川につぎ込んでしまう。
最後は横領でつかまる。そのあとは書いて
ないが、獄門磔か?
男女の、理屈ではどうしても割り切れない仲を
具体的に描いている。
『曽根崎心中」を途中まで読む。これも男女の
不可思議な仲を描く。男女の仲は理屈や道徳では
割り切れないという人間の煩悩を描いているとも
思える。人を好きになるということは、理屈や
損得などはどこかに飛んで行ってしまうという
ことを近松は言っているのだろうか?
300年前の近松が今日でも十分理解される
内容を持っている。近松のすごさを感じる。
2008年06月20日
栃木県小山市立城南小学校講演会
晴天
午前6時起床。
午前7時半、車で福島駅まで送ってもらう。
新幹線で1時間20分。栃木県小山市(おやまし)へ。
車内で今日の講演会の内容を再チェック。
午前9時22分、小山駅着。駅で城南小学校のIさんなど
PTAの皆さんの出迎え。車で学校まで連れて行ってもらう。
今日の講演会は小山市立城南小学校PTA主催の講演会。
Iさんが中心となり講演会を実現してくれた。
午前10時半~12時過ぎまで50人程のPTAの皆さんを対象に
講演会を行なう。
子育ての大切さ、子どもたちの成長は螺旋階段のような成長だ
等の話をする。
今回の城南小学校の講演会はJASS栃木の会の
佐藤清子先生が、数年前に小山市の「街角美術館」で
子どもたちの絵画展と私の講演会を企画してくれた。
この講演会にお越しになった城南小のIさんが
今回の城南小学校PTAの講演会を企画。
更に校長先生に話し、6年生の子どもたちにも
30分の講演会も企画してくれた。
Iさんの行動力には脱帽する。
学校側のご好意で6年3組で給食を一緒に摂る。
久しぶりに給食を頂く。ご飯、野菜の炒め物、スープ、
冷凍みかん、牛乳。栄養のバランスもしっかりとれている、
地元の野菜、お米を使っての給食は「今日的」に大きな意義の
あるものである。自校方式の給食も素晴らしい。
城南小学校は児童数900人以上と言う大規模校。
給食後、6年生100数十人を対象にベトナムの話をする。
城南小学校の6年生は実に純朴で素直な子どもたちだった。
地域と家庭の実情を反映しているように思われる。
PTAの方に送ってもらい小山駅へ。小山駅から池袋直通の
列車に乗り帰宅。
今日は、楽しい一日だった。PTAの皆さんと子どもたち
との交流は久さしぶりに私に元気を与えてくれた。
子どもたちの成長を心から祈りたい。
また、今日の講演会を企画してくれたIさんを中心とした
城南小学校PTAの皆さん、校長先生をはじめとした
教職員の皆さんにも感謝。
午後6時過ぎ自宅着。
明日の憤死した木村百合子さんの会関連の資料を読む。
読書「近松門左衛門集」(河出書房新書)を読む。
・冥土の飛脚
・曽根崎心中
・堀川波鼓
・心中天の綱島
・女殺油地獄
300年ほど前に近松門左衛門の作品。
冥土の飛脚を読み始める。現在の人間の煩悩と
300年前に近松時代の人間の煩悩とはそれほど
違いがないことが分かる。
2008年06月19日
スーパー銭湯で過ごす
晴天
午前中、バンベ(JASS機関紙)の全ての原稿を校正し、
ベトナム事務所のミンさんに送信する。
ベトナム事務所から来たいくつかのメールへの返信。
午前10時過ぎ、徒歩で福島駅前のスーパー銭湯「極楽湯」へ。
徒歩30分。ちょうど良い運動となる。
途中、道が分からなくなり、道路を歩いているお婆さんに道を聞く。
お婆さんは私を見て「知らない」と言い早足で逃げていってしまった。
どうも私の格好が怪しいオジサンとみえたようだ。
長男の家のドアのカギをクビにかけ、キャップの帽子と
ジャージとポロシャツという出で立ち。秋葉原の事件などもあり、
お婆さんは「知らない、少し怪しそうな人」とは口を聞かないと
いう方針のようだ。嫌な世の中になったものだ。
会員(450円)。6種類の湯とサウナ。
露天風呂もある。ゆっくりとジェット風呂に入る。その後、露天風呂で
外の空気を吸う。
2時間ほど入浴したり涼んだりを繰り返す。
午後12時、入浴を終え、極楽湯に併設されている食堂で食事。
生ビル(中)1杯。おつまみ三点セット・・・・・。
読書「ロゼッタストーンの解読」を読みながら飲む。
そのうち眠くなる。畳の食堂なので皆さん「ゴロゴロ」
と畳で寝ている。知らず知らずのうちに寝てしまう。
気付くと1時間ほど寝てしまう。
再度読書「ロゼッタストーンの解読」読了。
翻訳の木原武一氏の訳がうまいので大変読みやすい。
ロゼッタストーンはナポレオンのエジプト遠征の際、
エジプトのロゼッタ(地中海に面した港町)で発見された
石なのでそう呼ばれている。
ロゼッタストーンは、ヒエログリフ(絵で描かれた表音文字・正式文字)
とヒエラティク(筆記体)とギリシャ語の3つの言葉で書かれた石である。
ナポレオン遠征で発見されたが、英仏戦争の影響もあり、結局
ロゼッタストーンはイギリスに取られてしまった。現在大英博物館
においてある。
ロゼッタストーンが発見されたことでエジプトの歴史が直ぐにでも分かる
と思われていた。多くの言語学者、エジプト学者がその解読に挑戦。
しかし、なかなか解読が出来なかった。特に絵文字である
ヒエログリフは象形文字と理解され、絵そのものにそれえぞれ意味が
あると考えられ、多くの学者が絵解きに取り組む。
そんな中でイギリスのヤング医師とフランスのシャンポリオンは
ヒエログリフを表音文字と考えつつあった。
特にシャンポリオンは、表音文字と考え、エジプトの古語「コプト文字」
の解読を通して、絵文字であるヒエログリフが一字ずつ音があることを
解明。
シャンポリオンの新発見に対して、嫉妬や恨みをもつ学会の重鎮などが
反対の大運動を始める。
本書を読む前はシャンポリオンがどんな苦労をしてヒエログリフ(絵文字)
を解読して行ったのかが書かれていると思ったが、実は、シャンポリオン
に嫉妬したり学説に反対する学者たちの意地悪、陰湿な陰謀、失脚を
図る策謀などとの強烈な闘いの歴史を綴った本であることが分かった。
どんな社会でも真っ当なことをする人に対して、心の狭い人間の
嫉妬、意地悪、策謀、足引っ張りなどの実に「人間的な」動きが
あるのだということを知った。
シャンポリオンの功績の一つは、キリスト教の天地創造の歴史を
根本からひっくり返したということもある。
エジプトの文字を解明し、オベリスクやパピルス、陶器などにかかれた
文字を解読するこちにより、キリスト教の天地創造の1000年以上前に
エジプトには高度の文明があり、その社会で生きる人間が存在して
いたことを、結果として証明してしまったのである。
シャンポリオンは、1789年のフランス革命とその後の反革命、
そしてその反動などフランスの王制と共和制派の相克の歴史に
振り回されながらも自分の学問に自信をもち、日和見を起こさず
学問的見解を最後まで堅持したことは人間の生き方として
学ぶところ多し。シャンポリオンは天才中の天才。17歳で
大学の教授になっている。おそるべき才能である。
出る釘は打たれる。死ぬまで政敵の攻撃との闘いであった。
兄の存在を抜きにはシャンポリオンの業績は確立できなかった。
読んで生きる力の出てくる本である。
夕方、明日の講演会(栃木県小山市立城南小学校)の
内容をまとめる。明日はPTAの保護者の皆さんへの話。
「子どもの家」を通して見える日本の子育ての問題点と
あるべき姿などというテーマを考え、レジュメを作った。
2008年06月17日
会津城・白虎隊参拝
晴天
車で1時間半。会津城(鶴ヶ城・若松城)へ。
1967年戊申戦争の末期。会津での戦いの主戦場。
●会津城
明治藩閥政府は、会津城を解体し、競輪場にしてしまった。
それほど、薩長土肥は、会津を徹底して弾圧したとも言える。
白虎隊が自刃した場所から会津城を臨む。
多くの参拝者が自刃した白虎隊兵士にお線香を手向けていた。
140年前の戊申戦争から東北列藩同盟の戦争。
最後まで幕府について戦った会津藩(100万石)への尊敬の
気持ちを持っている人もかなり多いようだ。
アジア太平洋戦争中は、会津の日新館精神が軍国主義
ファシズムに利用された歴史も持っている。
2008年06月16日
栃木県立小山西高校後援会
快晴
午前10時過ぎ福島発の新幹線で郡山経由小山駅まで。
午後12時過ぎ、小山西高校のT先生とお会いし、T先生の
車で県立小山西高校へ。
栃木県立小山西高校は甲子園にも出た経験があり、
進学も頑張っている「文武両道」をめざしている高校でも
ある。
校長先生の話ではクラブ活動の参加率は80%を超えると
いう。
校長室で昼食を御馳走になり、午後2時半から講演会
開始。700人ほどの生徒・保護者・教職員。
約1時間半の講演会を終わる。その後、T先生の司会で
生徒さん10人ほどと懇談。ボランティア・海外支援・
人生などについて話あう。
その後、講演会に参加された「じゃむじゃむ」・JASS
栃木の会の代表でもある佐藤さんの経営する
レストランで懇談。6月20日に行う栃木県小山市立
城南小学校の先生と講演会内容の打ち合わせ。
先日フエフェスティバルで」津軽三味線を演奏された
山本竹勇さんが面談・交流した佐藤さんの里子の
写真がレストランじゃむじゃむに掲示してあった。
小山西高校のT先生、城南小の先生、佐藤さんなど
お世話になった皆さんに感謝。
午後8時前、福島の長男宅へ帰宅。
次回、20日の小山市立城南小学校での講演会
まで数日、休息をとる予定。
2008年06月14日
岩手・宮城内陸地震
晴天
16日(月)・20日(金)栃木県の高校・小学校で講演会がある。
2日前に近くの福島へ行くつもりで上野へ。
午前8時に自宅を出て上野から新幹線で福島へ行く予定だった。
しかし、8時40分頃、岩手県・宮城県地方に大地震があったとの
情報が入り、上野駅の新幹線(東北・上越・秋田)は全面運休。
駅員に聞いてもいつ再開運転となるのかわからない。
既に9時過上野発の新幹線切符は買ってある。
係員は、「いつ再開するか不明」を繰り返すだけ。
仕方がないので上野駅改札を出て昼食。
その後、常磐線の待合椅子で「ロゼッタストーンの解読」を読む。
結局、午後2時半に東北新幹線再開第1号が出るとの放送が
あった。東北新幹線乗り場へ。たくさんの人たちが行列を作っている。
新幹線が到着。東京駅から既に満席状態で乗っている。
そこに上野から更にたくさんの人たちが乗車。列車の通路はもちろん
ドア付近まで人・人・人。私もドア入口付近に立つ。
一駅着くごとに次の駅に新幹線が停車いているため発車できず。
上野駅から福島駅まで2時間半立っていた。疲労困憊。
6時間半待たされ、2時間半立ちっぱなしでの福島行きだった。
福島に午後4時半過ぎ到着。直ぐに駅にある「極楽湯」(スーパー
銭湯)へ行く。
それにしても岩手・宮城地震で6人の方々がなくなり、11人の
方々が行方不明。各集落に孤立している人たちも多いという。
亡くなられた方々には心から哀悼の意を表したい。また、被災者の
いち早い復旧を願う。
メールの送受信。
2008年06月13日
メガネを買いに
晴天
気温が30度近く上がる。
池袋にメガネを買いに行く。メガネ屋へ行く途中、路上で寝ている
人が結構いた。
先日、都庁前のNSビルの病院に行った際も50人位の
人たちが都庁前で寝ていた。午前11時頃である。
時間が多少あったので全員の顔と様子を見て回った。
ほとんど男性で50歳代以上。既にお酒を飲んでいる人、
ラジオを聴いている人、新聞を読んでいる人、寝ている人、
お菓子を食べている人・・・・・・・・・。
私とほとんど同世代の男性が都庁前でホームレスとなっている。
けして怠慢でここでねているのではないと思う。それぞれの
人生の中で何かがあったのだあろう。
池袋と言い、新宿都庁前と言い、多くの前期高齢者か
それに準ずる人たちが路上に寝ている姿を見ると
日本という国がどうしてこうなってしまったのかを考えて
しまう。直接的には政治の問題だが、政治を支えているのは
主権者である国民である。国民の意識の大きな変化が
その根底にあるのだろうか? 秋葉原で7人を刺殺した
25歳の若者を見ていると何かが狂っていることが分かる。
本人に責任があるのは当然だが、彼をそうした行動へ
駆り立てたものは一体何だったのか?
人間総体としての「劣化」としか言えないように思う。
我慢が出来ない、想像力の欠如・・・・・。人間としての
基礎的な能力の欠如ともいえる。進学がどうのこうのと
言った次元の問題ではないように思う。
様々な体験と挫折の経験を多くすることが子どもたちや
若者には一番必要なこと。文部省や教育委員会の
路線は体験と挫折克服の人生経験を教育の中で
学ぶということは全く逆の方向に行っている。
メガネ屋で遠近両用、チタンのフレーム、
調光レンズという3つの条件。
遠近両用は年齢のため致し方ない。普通の生活をするためには
どうしても必要なもの。食事をするにも老眼鏡がないとご飯が
見えない。私はひどい金属アレルギーのため、チタン以外の
金属のフレームだと汗で金属が溶け出し、顔が赤くなり
アレルギー症状を起こし、その後、皮膚にしみ状のものが
できてしまう。
調光レンズは日光(夏場の半年)が強い時には目が開けられない。
光を感じたらそれなりに光を避けるシステム。8万円強。うーん?
考えても仕方がないが、私の1ヶ月分の給料を超えている。
しかし、ベトナムで生活していくためには仕方がない。
読書「ロゼッタストーンの解読」(木原武一訳:新潮文庫)
私がロゼッタストーンの解読に成功したフランス人のシャンポリオン
を知ったのは中学2年生の時だった。
美術の岩田と言う先生が美術史が好きだったようで、授業中
様々な美術の歴史について話してくれた。私は絵を描くのは
自慢ではないが本当に才能がない。しかし、岩田先生の
美術の授業は、私のような絵を描くの下手な生徒にも
興味を持たせるものだった。岩田先生はその後慶応幼稚舎の
先生になった。
岩田先生から学んだことで今覚えているのは、エジプトの
象形文字(ヒエログリフ)をはじめて解読し、人類が忘れていた
エジプト文明の発見のきっかけを作ったシャンポリオン。
シュリーマンのトロイの遺跡の話。これも話を聞いているうちに
どうしても本を読みたくなり、学校の図書館で読んだ記憶がある。
そして、奈良薬師寺の薬師三尊と東塔がいかに素晴らしいものか、
日本人が世界に誇れる美術だとの話であった。
先日、薬師寺展に行き、日光・月光菩薩を見に行ったのも
45年前に学んだ岩田先生の影響である。教育とは30年後
40年後に結果が出るものである。
シャンポリオンがエジプトの象形文字の解読が出来たのは
ナポレオンのエジプト遠征である。1795年頃。1789年に
フランス革命があった。
読んでいくうちに引き込まれる本である。
2008年06月12日
日本へ帰国
雨
気温18度。寒い。
今朝、0時05分、 ホーチミン発のベトナム航空機で成田へ。
昨日フエ空港で2時間、 ホーチミン空港で4時間、
飛行機内で7時間ほどの時間があり、読書。
「人民中国の終焉」(清水和美著:講談社)読了。
主題は、中国は社会主義なのか? 中国の国内格差の
異常な増大の現状の解明。そして、今後の中国がどうなって
いくのか?
1949年中華人民共和国成立。社会主義国家となる。
労働者・農民(貧農と小・中農)の同盟に基づく社会主義政権、
権力は労働者・農民と位置づけられた。それまでの資本家・
貴族・地主などは、排斥・弾圧された。
1960年代の文化大革命。労働者・農民が権力をもった国家
との位置づけのもとに「貯金」をしただけで「資本主義の道を
歩む反革命分子」とのレッテルが貼られ、弾圧された。
1979年12月、鄧小平副主席は「改革・開放」路線を確立。
その後、私営企業を認め、豊かになる人は先に豊かになる
との「平等社会」の思想が廃絶されていく。
1949年の国家成立時から「農村戸籍」と「都市戸籍」
と国民を戸籍で差別するシステムが今でも生きている。
都市住民と国民の80%を占める農民の収入格差は
5倍以上に達する。更に「新富人」という階層が発生。
日本の大企業以上の収益をあげている超大企業が
発生。10億円の邸宅に住み、海外に高額の資金を
貯めている新しいエリート金持ち階級の発生。
これらの多くは共産党の幹部である。また、目先の
聞く庶民が大もうけをし、権力を握る共産党幹部と
提携し、権力を使い、利益を独占している。
中国の富豪100人のうち半分は土地不動産で儲けた
人々だそうだ。共産党や権力を握っている人たちと
結託し、一方的に地域を「都市開発地域」に指定。
住民を低価格の保証金で追放し、高級住宅を
たて、10倍近い値段で販売し、大もうけをしている
「新富人」。
今や新富人の意向を無視しては、中国の政治が進まないほどの
影響力をもつに至った。
既にこれら新富人を共産党に入党させる規約改正も行なっている。
社会主義の名を借りた国家独占資本主義が成立したと分析。
人口の20%の都市住民のその一部が超贅沢な生活をしている
反面、農村戸籍のために都市への移動を禁止されている
多くの農民が都市難民とそて大都市に流入し、低賃金労働者と
なっている実態を統計と数字、中国の新聞・雑誌などを駆使して
報告している。中国の大都市に行くと高層ビルの谷間で
低賃金で働く農村からの流民と子どもたちの物乞いが目につくと
言う。
都市と農村の格差、都市の中でも農村から流民となって入って
来た人々との大きな格差。
動労者・農民の国家として誕生した中国社会主義の現実は
労働者・農民の国家と謳いながら、実態は、大資本家と
共産党官僚の独占する国家であると結論付けているように
読めた。中国の拝金主義のすごさも知った。
本書を読んで私が住んでいるアジアの某社会主義国の
近未来が想像できるのである。社会主義の名を借りた
一部特権階級と資本家の結託した国家。農民と
真面目に働く人たちが馬鹿を見る社会。
午前7時40分、成田空港到着。 ホーチミン市から成田まで
5時間半ほどの飛行時間。
その足で新宿の心臓病院へ。心電図、採血、診療。
血圧を測ったが、150、95と高いと言われた。
昨日の午後4時半から今朝7時40分まで多くの待ち時間と
椅子に座っている時間の長さ。飛行機の中での睡眠不足
などの影響か?
成田から新宿、自宅で読書。
自宅着、午後1時半。
直ぐに支援者への刺繍等を宅急便で郵送。
「粗にして野だが 卑ではないー石田禮助の生涯」(城山三郎著:
文春文庫)読了。
5代目の国鉄総裁石田禮助の伝記。三井物産の石田禮助が
池田首相の懇請で困難な国鉄総裁に就任。
一言居士の人物ではあるが、勲一等を固辞し、葬式をしないなど
自分のポリシーをもった人物。率直な人柄で政敵にも理解者が
多かったようだ。戦前三井物産のアメリカや中国の支店長などを
勤めている。本書の中で中国山西省太原出張所長の経済違反
行為がデッチあげられ、軍法会議にかけられる場面がでてくる。
我が家がいた場所が山西省太原だった。
今の政治家や大企業の経営者にはいない清貧な人物でも
あったようだ。一人の人間の人生をみると紆余曲折、ドラマが
あり、人間の個性と生き方があることがわかる。人間を政治的立場
だけで色眼鏡で見ないことの重要さを再認識。城山三郎の
財界人の伝記は人間味があって面白い。
夜、ホッピーを買って来て飲む。
2008年06月11日
「縫製研修センター」拡充工事後、本格始動:小山帰国
晴天
午前6時、気温34度。湿度55%。
午前6時過ぎ、シャワーを浴びている時、
宇都宮縫製工業組合佐藤理事長より電話。
今日、午前7時半より「縫製研修センター」が
本格始動するとのこと。
私たちも立ち会うことにする。
急遽、午前7時からの朝食を止めてバオミンさんと
一緒に「縫製研修センター」へ。
午前7時半、「縫製研修センター」の研修生が集合。
佐藤理事長より、「縫製研修」に様々な仕組み、決まりなどに
ついて説明。
「私たちは文化・歴史的に養われたフエファッションの土壌の
中で世界一の品質と素晴らしい感度のファッション商品を
より経済的価格で作れるよう研修し、世界および地域社会
に貢献することを目的としている」「お互い助けあって
研修に励もう」との挨拶があった。
続いて、JASSを代表して私からも挨拶。
宇都宮縫製工業組合佐藤理事長の技術指導を得ながら
「縫製研修センター」を軌道に乗せて行きたい。皆さんの
協力をお願いしたい。
その後、各部門に分かれて研修活動に入る。
●裁断研修グループ
午前11時半、「ハイリーホテル」へ。
昼食。
午後4時半、「ハイリーホテル」を出てフエ空港へ。
フエ空港からホーチミン空港へ。
6月12日午前0時05分、ホーチミン空港発の
VN便で成田へ。
明朝、7時過ぎに成田着の予定。
今回の帰国は1ヶ月。各地の小学校・高校・大学等で
で講演会を行う。
2008年06月10日
「縫製研修センター」拡充工事完成式典
快晴
気温37度。
午前6時半朝食。春雨麺。
リー君とハイ君は隣同士には座らなかった。
今日は午前8時から「縫製研修センター」拡充工事完成式典
がある。午前7時20分ベトナム事務所集合で「縫製研修センター」
全員が「縫製研修センター」へ行く。
午前8時、「縫製研修センター」で拡充完成式典開始。
「縫製研修センター」は既に昨年から操業を開始しているが、
今回、宇都宮縫製工業組合・マルサさんから75台の
工業用ミシン等を日本から送ってもらった。それに伴い
「縫製研修センター」を更に整備拡充のための工事を行った。
初めにフエ市人民委員会副市長のタン氏の挨拶。
続いて宇都宮縫製工業組合佐藤理事長(マルサ社長)
の挨拶。立派な「縫製研修センター」拡充工事も終わり
いよいよ研修が始まる。最高の品質の製品が作れるように
なるまでしっかりと研修をして欲しい。
最後に小山の挨拶。
ODA(政府開発援助)で「縫製研修センター」
が建てられた。宇都宮縫製工業組合から50台の工業用ミシン等が
既に寄贈されていたので、昨年から小規模の「縫製研修センター」
を開始していた。ボランティア貯金からの支援もある。
今回、新たに75台のミシン、裁断機など専門の
機器を日本から送って頂いた。宇都宮縫製工業組合(マルサ社長)
の佐藤さんには心から感謝したい。
これから、貧しい地域の子供たちなどを中心の日本の最高度の
縫製技術の研修を受け、結果として最高水準の製品を作り上げ
日本へ輸出などもしたい。皆さんの奮闘を心より期待する。
拡充工事完成式典には地元のテレビ局(2社)も取材に来ていた。
既に「縫製研修センター」の選考も終わっている。明日から
研修事業が開始される。
ホーチミン市の日系縫製工場の工場長の方も来賓として
出席された。
●拡充工事が完成した2階の「縫製研修センター」
その後、午前11時過ぎまで佐藤さん、バオミンさんなどと
今後の「縫製研修センター」の運営の進め方などを
協議。
午前11時30分、「ハイリーホテル」へ帰る。
昼食。空芯菜のニンニク炒め、茹でたモツ。
午後12時半 昼寝。疲労と熱暑で相当体がだるい。
午後2時、読書「人民中国の終焉」。中国の新富人が
どのように中国共産党・権力と癒着し、人民の財産を
収奪して行ったかと言う過程をつぶさに追っている。
わが身の回りを見回してしまった。
その後、明日日本へ帰国する荷物の整理・部屋の整理。
最後の洗濯を行う。
午後5時、バオミンホテルへ。津軽三味線の山本竹勇さん
ご家族が帰国される。フエ空港まで見送る。
●バオミンホテル前で
丁度1週間の演奏会だった。「子どもの家」・フエ高等師範大
コックホック高校・JASS日本語学校で演奏会を行う。
合計1000人ちょっとのベトナム人に津軽三味線を紹介し
その素晴らしい演奏を堪能してもらった。
山本さんご家族・お弟子さんに心から感謝したい。
午後5時半、フエ空港着。ホーチミン市の縫製工場長のY氏
も一緒にホーチミンへ旅立つ。
午後6時半、フエ空港から帰り、日本料理店で夕食。
フエ滞在最後の晩餐。日本人スタッフで軽く一杯。
午後8時半頃、リー君が「先生、今晩ヤギ肉で一杯やりましょう」
と言ってくる。一昨日の日曜日、ハイ君に暴力を振るい、
私に厳しく注意されたリー君である。今晩はハイ君も呼んで
リー君と仲直りが必要と「飲む理屈」を自作し、リー君提案を
受諾。
午後9時過ぎ閉店。
そのまま。リー君の運転で「ハイリーホテル」前のヤギ肉やへ
直行。リー君が「ハイリーホテル」で警備員をしているハイ君を
呼びに行く。3人でヤギの炭火焼を食べながらフダビールを
飲む。リー君・ハイ君に「君たちは一緒に部屋に寝ている仲間だ
子供の家で10年以上も一緒に生活した兄弟のようなもの。
けんかなどしないで仲良く、助けあっていくように」と話す。
午後10時半まで私も付き合うが、疲れが出た。
あとは二人で仲良く飲むようにと必要なお金を渡して
「ハイリーホテル」に戻る。
2008年06月09日
マルサ佐藤社長フエ到着:山本竹勇さん一行最終演奏会
快晴
午前6時、気温34度 湿度50%。
午前7時朝食。
朝食に「ハイリーホテル」警備員のハイ君がいない。
昨日の日曜日に何かあったようだ。
正確な情報はないが、リー君がハイ君を殴ったことが原因で
「ハイリーホテル」に帰っていないようだ。
リー君は数分間で朝食を食べ、どこかへ行ってしまう。
バオミンさんに連絡し、「子どもの家」にいないか確認して
もらうが、いない。ハイ君はどこへ行ったのだろう?
何があったのだろう。軽い知的障害を持っているハイ君が
行く場所は「子どもの家」かお姉さんの家くらいである。
午前8時半、ベトナム事務所へ。アクアの村上さんと
スタッフ総勢3人が、ベトナム事務所を訪問。
一緒にフエ高等師範大学へ行く。日本への留学の件で
学長と懇談。
その後、フエ省でトップの進学校グエンフエ高校を訪問。
校長先生と日本への留学の件で懇談。
昼食、チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)
ハイ君がいない。居所も不明。
食後、リー君に聞く。ハイ君を2発殴ったとのこと。
理由は「ハイ君が嘘をついたから」とのこと。
午後12時半、昼寝。
午後2時半ベトナム事務所へ行こうと「ハイリーホテル」の
1階に行くと「ハイリーホテル」の外にハイ君と女性がいる。
鍵がないので入室できないようだ。
鍵を開け二人を迎え入れる。ハイ君にどうして昨夜、
「ハイリーホテル」に帰ってこなかったのかを聞く。
リー君に殴られ怖くなって帰れなかったという。
詳しく聞くと女性はハイ君の姉とのこと。
姉は「弟がリー君に殴られた。責任者はしっかり
自分の弟を守って欲しい、と言われる。
そう言われれば確かに責任者の私の不徳の致すところ。
弟のハイ君をリー君が殴ったことは申し訳ないと謝罪する。
一緒にベトナム事務所へ行くよう勧める。
午後2時45分、ベトナム事務所へ到着。
「子どもの家」卒業生で現在フエ経済大学3年生の
メンさんが来ている。夏の諸行事の件で懇談。
その後、日本料理店で開店の準備をしていたリー君を
2階会議室に呼び出す。ハイ君・姉、バオミンさん、
私の4人で昨日の日曜日に何があったのかを話し合う。
以下、リー君の言い分。日曜日は、アヒルを食べる日。
(日本の土用の丑の日にうなぎを食べるようなもの)
土曜日にハイ君を誘い、リー君のお父さんの家へ行って
アヒルを食べようと約束した。(リー君のお父さんは
アヒルの飼育業)。ところが昨日の日曜日、リー君が
ハイ君にアヒルを食べに行こうと言ったら、ハイ君は
行きたくないと言った。だからは俺は頭にきてハイ君を
殴ってやったのだ、とのこと。
(小山)何回殴った?
(リー君)2回。
以下、ハイ君の言い分。
確かに土曜日、リー君とアヒルを食べに行くと話したが
日曜日に行きたくなくなったので断った。
そしたらリー君が頭を2発、顔を2発殴った。怖くなったので
姉の家へ逃げた。
(小山)リー君、今、ハイ君が言った事は事実か?
(リー)事実です。
(小山)リー君、ハイ君の頭を2発、顔を2発殴ったのを
認めるか?
(リー君)認める。
(ハイ君)リー君はいつも僕を殴る。怖くて一緒に生活したく
ない。
(小山)何でハイ君を殴るのだ。
(リー君)ハイ君は嘘をつくので教育のために殴っている。
(小山)ハイ君、君はリー君に嘘をついているのか?
(ハイ君)リー君は僕に部屋の掃除をしろ、何を持って来い
などと命令する。僕は嫌なので言うことを聞かないと
リー君は殴る。
(小山)リー君、今、ハイ君が言ったことは事実か?
(リー君)事実だ。
こんなやり取りがあった。結局、リー君は年上のハイ君を
使いっぱしりとして使っていたということだ。
リー君は自分の非と暴力を認める。
(小山)暴力を振るったこと、年上のハイ君を子分のように
扱ったことについて、ハイ君に謝罪しなさい。
(リー君)ハイ君、ごめんなさい。
(小山)リー君。今回の出来事は、リー君に責任がある。
ハイ君はリー君の一番近い友達だ。その友達を
殴ったり、馬鹿にしたりするのは許せない。
これからは、仲良く生活するように。
(リー君)反省している。
ハイ君のお姉さんは、JASSに対してリー君の
暴力、ハイ君が安心して生活できないことを詰問していた。
お姉さんのいうことはその通りである。
しかし、10数年間、軽度の知的障害のハイ君を「子どもの家」
で面倒をみ、その後、「ハイリーホテル」の警備員として
採用し、給料と住居・食事を無料で与えていることへの
お礼は何もなかった。これが、海外支援実態である。
午後5時、日本語学校へ。今夜、津軽三味線の山本竹勇さん
一行の最後の演奏会が静岡・フエ青年交流会館で行われる。
事前の準備。
1階では「いぶき先生」が観光基礎コースの学生に
日本語を教えていた。
午後6時。山本竹勇さん家族(奥さん・息子さん)の演奏会が
始まる。聴衆は日本語学校の学生50人。
マルサの佐藤社長と友人の縫製工場の社長もわざわざ
演奏会に参加してくれた。感謝。
午後8時演奏会は終了。その後、関係者と反省会。
今日は朝から夜遅くまで色々と問題があり、心身ともに
疲労の極地に達した。
自民党は相当病んでいる。
秋葉原の無差別殺人事件を経て町村官房長官は
「ナイフ」の規制を考えると言っている。
そんな対症療法で解決する問題ではないでしょう?
と言いたい。
沖縄県議選挙。自公与党は大敗。
不支持率70%を超えている福田政権である。
古館氏の「報道ステーション」の報道内容が
気に入らないとして、自民党はテレビ朝日の
取材を拒否するとのこと。
今や自民党に「知恵者」がいなくなった。
沖縄県議選挙の敗北は沖縄だけの問題ではない。
自民党の最大の支援者である高齢者が怒って
いるのだ。そうした社会の深層を福田・町村・伊吹
など自民党の執行部は理解していない。
今、日本社会の深部で大きな政治的変化が
起こっていることを町村などのアンテナはキャッチ
していないのだ。悲しい自民党になってしまったもので
ある。
2008年06月08日
休日
晴天
午前6時目覚める。1時間ほど横になっている。
午前7時、5勺のお米を炊飯器で炊く。
昨夜、日本料理店で朝食のおかずを作ってくれた。
アヒルの玉子焼き、きゅうりの胡麻和え。
午前8時過ぎ、簡単な朝食を摂る。
部屋の掃除。荷物の整理。
洗濯。
布団を屋上に干す。
今日は日曜であり特に仕事もない。体調もイマイチなので
終日部屋で読書。
「胸の中にて鳴る音あり」(上原隆著:文芸春秋)読了。
私は上原隆の本が好きだ。強いて言えば、今日(こんにち)の
藤沢周平のようなルポ本である。
初めて読んだ上原の本が「友がみな我よりえらく見える日」
だった。今までこうしたトーンの本を読んだ記憶がないので
かなり衝撃を受けた記憶がある。
「喜びは悲しみのあとに」「雨にぬれても」。
何でもない市井の庶民のなんでもない日常の生活をルポする
という表現形式が新鮮に思えた。
「胸の中に・・・」の冒頭は東大構内、安田講堂前の法文2号館
地下で70数年間、時計の修理屋をしている88歳のおじいさんの
話。ぶっきら棒なところのある時計修理士。しかし、70年以上
も同じ場所で仕事をしているその重みが老人の一言一言に
出ている。
殺人未遂で懲役刑を受けた男の思い。
サッカー日本代表として桧舞台で活躍した松原良香(31歳)
の成功と挫折の人生。そして今をルポしている。
12月31日大晦日から翌日の新年を東京蒲田駅の
「まんが・ネット喫茶 1時間百円」ですごしたルポ。
どんな人がどんな気持ちで年末年始を「ネットカフェ」で
すごさざるを得ないのか? 上原はそこに泊まり、
ルポを書いている。華やかに見える東京でこうした
年末年始を送らざるを得ない人々を丹念に取材している。
会社が倒産し離婚。家族と別れ日雇いで生活している
50代の男性・・・・・。
昼食は摂らずに午後1時半、床屋へ。さすが日中の暑い中、
誰もお客はいなかった。今週、日本へ帰る。その前に床屋へ。
前回床屋へ行ってから1ヶ月以上経過している。
2万ドン(120円)。
帰りにミネラルウオーターを買う。1軒目の店では、
1本7000ドン(45円)。高いので2軒目の店へ。
3500ドン。同じ水が半額だ。石鹸1万ドン(60円)を買う。
「ハイリーホテル」へ戻り、読書。
夕方、夕飯のコムディア(ほか弁)を買いに行く。
15000ドン(90円)。数週間前から50%の値上がり。
今年に入り、フエ(多分ベトナム全体的にだと思うが)は
大幅な物価の上昇をきたしている。
お米1キロが4000ドン→15000ドン。3倍の値上げ。
ガソリンも1ℓ 5000ドン→15000ドンへ3倍の値上げ。
庶民の日常生活に関わる品物が半年で軒並み3倍、4倍
という異常な大幅な値上げ。労働者・農民の生活は
かなり苦しくなった。
一方でドンバ市場の隣にフエ最大のスーパーが出来た。
多少高めの品物やそれなりに高給品を買っていく層も
出現している。『二重階層社会』が出来つつある事は
明らかである。
「2008 フエフェスティバル」の町の様子を電動バイクで
探訪。多くの人々、オートバイ、車が町中を「彷徨」
していた。
昨日の山本竹勇さんたちのコックホック高校前での
演奏会を日記にアップしようとしたが、ベトナム事務所
のデジカメ写真がパソコンに取り込めない。
夜、読書「人民中国の終焉」(清水和美著:講談社)
鄧小平の「四つの近代化」路線が切り開いた
「新富人」。労働者・農民の党である中国共産党
・社会主義中国がどこへいくのか?東京新聞論説委員
の著作。「日本記者クラブ賞受賞」作品。
読んでいくうちにベトナムの近未来を暗示する中国社会
の変貌を知る。
秋葉原の17人殺傷事件。7人の方が亡くなる。
世の中が嫌になり、人を殺したかったと犯人は
言っているそうだ。こんな人間に突然命を奪われた
7人の方の無念な気持ちは察するに余りある。
日本は本当に異常な世の中になってきている。
やりきれない気持ち、言葉が出ない。
青森県内有数の進学校に通っていた加害者。
「犯人」の心の闇の中に何がうごめいていたのか?
麻薬や精神疾患を持っていた人間でもなさそうだ。
この10年、この種の無差別殺人事件が多発している。
社会的な現象となっていることは事実である。
若者や人間の心の奥底に恐ろしい魔物が住み着きはじめた
今日の日本社会である。単純に政治悪い、社会が悪いと言った
程度の総括・批判では何も解決しない問題。
人間総体が病んでいる社会が今、私たちの目の前に出現している。
沖縄県議会議員選挙。与野党逆転を果たす。
自公のでたらめな政治に対する県民の率直な
気持ちだろう。後期高齢者問題、年金問題と
何も手を打てない政権政党への痛打。
2008年06月07日
ベトナム事務所員会議:アクア村上氏懇談:竹勇さん一行演奏会
曇り
気温が下がる。
午前7時朝食。フランスパン(玉子焼き入り)
午前7時50分、ベトナム事務所へ。
1階の日本料理店では日本料理店の子どもたちが
英語の勉強中。今日からリー君も英語勉強に参加。
いつまで続くか? などという考えは持つべきではない
と思いつつ・・・・・。頑張って継続して英語の勉強を
続けて欲しい。
午前8時半、ベトナム事務所員会議。
バオミンさんの司会で進行
フーン先生は家庭の事情で休暇。
(ゴック)月 日本語学校中級
火 観光基礎コース
木 初級コース
金 観光基礎コースのテスト
(いぶき)月・火 観光基礎コース
水・金 中級コース
(観光、中級クラスの生徒に6月9日日本語学校で
行われる山本竹勇さんの津軽三味線の話をした)
(千草)火 初級コース(60人) カタカナを教える
水・木 観光コース
土 初級
(ソン)夏のスタディーツアーの日程表作り
木・金 山本竹勇さん一行の演奏の手伝い
(VTR、写真を撮った)
(ハン)子どもたちの手紙翻訳。フエ高等師範大で
山本竹勇さんたちの演奏会の通訳
(クアン)夏のスタディーツアーの日程
子どもたちのお礼の手紙の翻訳
(ミン)山本竹勇さん一行演奏会のお世話
長島夫妻依頼の「子どもの家」メンテナンスの見積もり
縫製研修センターは6月10日午前8時から
縫製研修センター拡充工事完成式典を行う。
式次第
・フエ市長挨拶
・越日交流委員会委員長報告
・宇都宮縫製工業組合佐藤理事長挨拶
・JASS代表小山挨拶
ソン・クアンさんに夏のスタディーツアーの日程調整を
してもらっている。
バンベ原稿収集中。来週、日本へ送る計画。
今夜、山本竹勇さん一行はコックホック高校前で
演奏会を行う。午後7時半から午後8時半。
私と小山代表は来客との懇談があり不参。
税田さんが責任者でソン君、ハンさん、クアンさんが
お手伝いをする。
午前中、ベトナム事務所で仕事。壊れたパソコンを修理する。
メールの送受信。
午前11時半、「ハイリーホテル」。
昼食。チャオバインカイン(沢蟹入り)美味しい。
午後12時過ぎ昼寝。1時間ほど。
午後1時半読書「哀歌(下)」(曽野綾子著)読了。
ルワンダの内戦に巻き込まれやっとのことで出国。
日本へ帰った主人の鳥飼春菜。
後半の筋立てはかなり理屈っぽく無理があるように
感じた。ウガンダの内戦で修道院も焼け、多くの
人々が殺される現場を見た修道女の主人公。
そのドサクサの中庭男にレイプされる。日本へ帰国し
妊娠している事が分かる。レイプ男の子どもを
生むべきかどうか?が後半のテーマ。
キリスト教的にはどうなのか? 神父さんなどの
意見、建前など種々出てくるが、結局、生むことに
し、主人公は日本の修道院に「退院届」を出し
修道女を辞める。ルワンダで殺人現場を見、
レイプされるという人間の極限状態を体験した
主人公が、日本へ帰り、その極限状態を話し
理解してもらえる日本社会がないことに気づく。
「平和」ボケの日本への警告が込められている。
午後3時過ぎ、ベトナム事務所。
アクアの村上さんと午後3時に懇談をする予定だったが、
ベトナム事務所へ来る時間が遅くなるとのこと。
ベトナム事務所で仕事をしながら待つ。
午後4時半、アクア村上氏一行3人がベトナム事務所へ。
2時間ほど、日本の大学留学生への奨学金支給について
話し合う。アクアは、小型モーターでは世界1のシェアを
誇る馬渕モーター関連のNGO。アジアの若者を日本の
大学へ招請し奨学金を出そうというプロジェクト。
午後6時。アクア村上さん一行と日本語学校視察。
日本語学校では、先日開講したばかりの初級クラスの
生徒45人ほどがひらがななどの勉強をしていた。
最年少は小学校5年生、そして6年生の子どもたちも
日本語学校に通っていた。
初級コースで勉強している学生の熱気を感じた。
午後7時過ぎ、村上さん一行と日本料理店で夕食交流。
バオミンさんも一緒。
リー君は帰ったお客さんの食器などを片付ける仕事を
自主的に「黙々」とやっていた。
その間、2008フエフェスティバルに参加している津軽三味線
の山本さん一行は、コックホック高校前で演奏会。700人
もの聴衆が山本竹勇さんたち3人の津軽三味線に聞き入って
いた。
午後9時半、津軽三味線のお世話をしていた税田さん・いぶき先生
が日本料理店へ戻る。バオミンさん・大塚さん・リー君・ホンニー店長
税田さんたちで簡単な「ご苦労さん会」を行う。
午後10時、「ハイリーホテル」へ。
2008年06月06日
山本竹勇さん一行 フエ高等師範大で演奏会
快晴 午後豪雨
1日で気温が10度ほど変化する。終日頭痛。
体調悪し。
午前7時朝食。
チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)
昨夜38度以上の発熱をしていたリー君であるが、今朝は
かなり熱が下がったようだ。
午前中、部屋とトイレの掃除。
バンベー原稿のチェック。誤字脱字・原稿全体の統一を
取るよう必要な部分の修正。
午前11時半。昼食。
「カエルの煮物」(私は食べられず)、卵、野菜スープ。
午後12時過ぎ、昼寝。2時間。
午後2時半読書「哀歌(下)」。読んで意味のある本だとの
認識を持った。
午後3時頃、豪雨。雷。30分ほどで終わる。
気温が10度ほど急降下する。
夕方までメールの送受信。
バンベー原稿のチェック。結構時間がかかる。
午後4時半、「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所へ。
山本竹勇さん一行と一緒にフエ高等師範大学へ。
大講堂へ入り、午後6時からの演奏会の準備。
●ベトナム事務所スタッフ一同
●ベトナム事務所のハンさんの司会・通訳で
演奏会は始まる。
初めにフエ高等師範大学長の挨拶。
会場には200人ほどの学生・教職員が集まっていた。
●初めにフエ高等師範大学学生の歓迎の歌
●学長より山本竹勇さんへ花束贈呈
●続いて山本竹勇さんグループの演奏
・津軽じょんから節
・なかじょんから節
(雪の青森の風景が浮かんで来た)
・新じょんから節
・ソーラン節
・花笠音頭
・さいたろう節
・相馬盆歌
・さくら
・即興演奏
と続く。
さすがプロである。昨日の「子どもの家」の演目と
今日のフエ高等師範大学の演目は大きく変わっていたい。
午後8時半、演奏会は終了。
その後、フエ高等師範大学校庭で立食パーティー。
しばらく立食パーティーに参加し、途中で退席。
今日は日本料理店警備員・副店長リー君の21歳の
誕生会。急いで日本料理店へ帰りリー君の誕生会を
挙行。
1987年生まれのリー君。21年の人生で誕生会をしてもらう
機会もそれほどないはず。オアシスの会の大塚さんの提唱で
日本料理店の子どもたちの誕生会をするようになった。
リー君は「今日は僕の21回目の誕生日。有難う」と
挨拶をする。何でもない普通の家庭の誕生会の風景では
あるが、リー君に取っては人生で貴重な体験となったので
はないのか?
今日は気温が10度も変化した。朝から体がだるい。
頭痛。朝から夜まで体調が悪かった。
しかし、山本竹勇さん一行の津軽三味線の演奏が
大成功を収め、夜にはリー君の誕生会ができてと
良い出来事の多かった1日でもあった。
午後9時過ぎ、護送船団方式で「ハイリーホテル」へ
帰る。
2008年06月05日
山本竹勇さんたちのフエフェスィバル始まる
快晴 気温34度
午前7時朝食。春雨麺
午前9時、フエ市人民委員会外務部へ。
大塚さんたちの主催している「オアシズの会」の
活動について、外務部長、私、大塚さん、バオミンさん
で話し合う。今後、新たな方策で「医療船」活動を継続
することを確認。オアシスの会大塚さんの医療船に対する
強い情熱が活動を継続する要因になったと思われる。
午前11時半昼食。
ベトナム風「ナスの漬物」、魚の佃煮、野菜スープ。
健康食品。
午後12時半昼寝。かなりの疲れが出る。気候の変動も
一因か? 2時間ほど寝てしまう。
読書「哀歌(上)」を読了。人間、人生を考えさせられる
内容。さらに海外支援とは何かという本質的且つ根本的な
問題提起をしている。異文化は理解できるのだろうか?
海外支援とは何か? という本質的な問題提起をしている。
午後4時半、「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所へ。
バオミンさん・税田さん・いぶき先生、山本竹勇一家の
皆さんと「子どもの家」へ。
午後5時過ぎ、子どもたちの夕食。
海の魚の煮物、茹でジャックフルーツ、野菜スープ。
午後6時から山本竹勇さんグループの皆さん3人の
津軽三味線の演奏。
会場には今年7月にフエ芸術大油絵科を受験する
フック君も参加していた。
初めにセン運営委員長の挨拶
山本竹勇さんと息子さん、お弟子さんの演奏。
竹勇さんの解説。津軽三味線は、昔目の見えない
人たちが「門付け」として家々を回り、三味線を演奏し
何がしかのお金をもらって生活していた所から
出発した。また、アジア・太平洋戦争中は目の見えない
人へのひどい差別の中で作られた音楽だとの解説が
あった。
全てで10曲ほどの曲を3人で演奏。
子どもたちも「貧しい人」から出発した津軽三味線に
興味を持って最後まで聞いていたい。
山本竹勇さんとご家族・お弟子さんに感謝。
約1時間の演奏を終わる。
子どもたちも初めの津軽三味線の演奏に聞いて何か
心に打たれたものがあったようだ。
特に少数民族出身の男子は最後まで聞き入っていた。
明日はフエ高等師範大学で演奏会。
山本竹勇さん来訪:フエフェスティバルを祝う
晴天 快晴
午前7時朝食。「マカロニスープ」。
朝食後、メールの送受信。
午前9時、フエフェスティバルに参加する津軽三味線の
山本竹勇さんグループ(4人)がベトナム事務所を
訪問。バオミンさん・税田さん・ハンさん・日本語実習生
(フエ外大日本語学科)などを交えて、フェスティバル
中の演奏会計画を説明。
その後、竹勇さん一行と実際に津軽三味線の演奏会を
行う会場の下見に行く。
最初にフエ高等師範大学。ここでは6月6日午後6時から
200人ほどの学生・教職員の前で演奏会を行う。
次に静岡フエ青年交流会館付属日本語学校へ。
日本語を学ぶフエの若者(80人)ほどを対象に演奏。
6月9日に演奏会。
続いて「子どもの家」へ。6月5日に70人の子どもたち
スタッフを対象に演奏会。
最後にOFF会場である「コックホック高校」前の会場を視察。
6月7日午後6時から演奏会が行われる予定。
午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。
午後12時過ぎから昼寝。
午後1時半、読書「哀歌」(曽野綾子著)
午後3時、JASS関係者と懇談。税田さん、バオミンさん
も参加。1時間。
昨日から「2008 フエ フェスティバル」開会。
日本料理店の子どもたちからフェスティバルを参観
したいとの希望が出たので今日は日本料理店を休店。
日本料理店の子どもたちの多くはフェスティバル参観へ。
残った子どもたち(リー君・ハイ君)と日本人スタッフで
夕食も兼ねて簡単なフェスティバル祝賀会を行う。
大塚さんが手作りの料理を作ってくれる。
「サーモンのカルパッチョ」、餃子、かまぼこなどを
つまみながら、手作り和風「カレーライス」を堪能する。
フダ生ビール「完飲」に協力するリー君
同ハイ君
午後8時半終了。「ハイリーホテル」へ。
フエ生ビールは既に2週間を立ち、発酵が進んでいた。
捨てるのももったいないのでみんなで飲みきる。
2008年06月03日
フエ市人民委員会との打ち合わせ:オアシスの会打ち合わせ
晴天
気温36度。
午前6時、近くで大きな音楽が聞こえ目を覚ます。
後で聞くと朝5時からの「騒音」だという。
朝食の際、子どもたちが「近くで結婚式がある」と言っていた。
昔、学校で運動会などがあると朝から花火があがったは
そんな感じで『結婚式があるよ』と近所の人に知らせる
音楽大音量なのか?・・・・・・
午前7時、朝食。インスタントラーメンのお湯入り。
午前7時半からメールの送受信。
午前8時半「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所へ。
午前9時、フエ市人民委員会で外務部長と懇談。
フエフェスタッフバル参加に関する話し合いを行なう。
2時間ほどの話し合いを終えて「ハイリーホテル」。
昼食。チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)
今日は朝食からリー君が「行方不明」。昼食も不在。
朝からどこへいったのだろう?
午後12時半、昼寝。
午後2時読書「哀歌(上)」(曽野綾子著)
どうしよもない民族の殺し合い。どうしようもない
貧しさ。その中でボランティアをする意味、そして
人間とは? 宗教とは何かを問いかけている。
主人公の修道女は、かなりアフリカ人、アフリカ、自らの
信じる宗教に対しても「客観的」冷静に分析している。
午後3時、大塚さんとオアシスの会の今後の活動に
ついて話し合う。
午後5時、「子どもの家」の卒業生の「THUYさん」が
子どもを見せに日本料理店にやってきた。
THUYさんは「子どもの家」の第1期生である。
12歳で「子どもの家」に入所、17歳まで在籍。
その後、 ホーチミン市の親戚に引き取られるが、
実際には ホーチミン市の親戚におらず、筆舌に尽くしがたい
苦労と苦しみを味わった。数年前、 ホーチミン市から
私宛に手紙が来た。「苦しい毎日だ、助けて欲しい」との
内容。直ぐにフエに戻るように返事を出す。
フエに戻り、料理の勉強をしたいとの希望を受け入れて
ハノイの料理学校に入れる。1年間の勉強ののち、
私の紹介でフォンザンホテルの厨房で働くようになった。
その後、結婚し今は安定した生活を送っている。
お子さんは8ヶ月の男児。THUYさんは25歳。
こうして「子どもの家」の子どもたちが成長し、結婚し
子供が生まれ幸せな家庭を築いている様子を見ると、
私たちのしてきた15年の歩みもけして意味のない
ものではなかったと実感した。
午後5時半日本料理店で夕食。
日本人スタッフは札生ビールが明日2週間となり
発行が進んでいるとの判断で、今夜から明日にかけて
発酵しすぎの生ビールを皆で呑むことにした。
午後9時過ぎ、日本料理店閉店。
JASが貸していた自転車を質屋に入れ「質流れ」させて
しまったリー君は帰りの乗り物がない。
結局、私の電動バイクに乗っていくことになる。
今日はかなり「フダ生ビール」を飲んだので
電動バイクの運転が怪しい。リー君に運転を頼み、
私は後ろに乗り「ハイリーホテル」へ帰宅。
2008年06月02日
打ち合わせ:諸準備:フエフェスティバル前日
晴天 快晴 休肝日
気温36度。
午前5時起床。
読書「哀歌」(曽野綾子著)
午前7時朝食。チャオバンカン。
今日は珍しくリー君が「任務」となっている5階から1階までの
階段掃除をしていた。「やる気」が出てきたのか?
午前中、ベトナム事務所でバオミンさん・税田さんと当面の
問題などについて協議。
チャンティエン橋の袂(たもと)に火焔樹の花がきれいに咲いていた。
火焔樹の花の季節なった。
明日から「2008 フエフェスティバル」。
橋前の交差点の空中に何故か「白馬」の模型が釣り下げられていた。
午前11時半、昼食。
午後12時半、昼寝。体調はほぼ回復。先週末と日曜日に
かなりの時間休息できたのが良かった。更に薬が効いたのかも
知れない。ベトナム事務所員日本料理店の皆さんに迷惑をかけた。
午後2時、読書「哀歌」
アフリカのウガンダに赴任した日本人の修道女が
ツチ族とフツ族の部族間抗争に巻き込まれる。
修道女の目を通した「支援」の実態、異文化を
どう理解するか、私たちの活動にも重なる
重い問題をテーマになっている。
今回の中国四川地震への日本政府の対応、レスキュー隊、
医療チームの実際の「効用」がどうだったのか?
オリンピックと同じで「参加することに意義がある」だけでは
通用しない世界になった。実際に派遣の効果があったのかが
問われる。地元の大使館の情報収集能力、現地で活動している
NGOと外務省・大使館との連携などの実態が如実に現れる。
吸い込まれるように読み続けた。面白い。
午後4時、ベトナム事務所へ。
午後5時半、日本料理店で子どもたちと夕食。
今夜は大塚さんが何種類かのバリエーションにした
おかずを子どもたちに指導。
午後6時半、日本料理店開店。
午後7時。フエの町を電動バイクで一周。かなり多くの
人たちが町に出ていた。
隣のホテルの改修工事が延々と続いている。今日は
9階建てにクレーン車を入れて、午後9時まで轟音を
響かせて工事をしている。日本料理店にとっては
営業妨害である。
午後9時半、最終のお客さんが帰る。
フランス人2人、ベトナム人1人、タイ人3人。合計6人の来客。
護送船団方式で「ハイリーホテル」へ帰る。
2008年06月01日
風邪で1日寝込む
晴天
朝7時に起きて簡単な朝食。風邪薬を飲み、そのまま
1日中寝ていた。体がだるく、活動する意欲なし。
読書「超訳『資本論』」(的場明広著 祥文社)読了。
資本論は今から150年ほど前に書かれたものだ。
ほんの「さわり」を読んだだけだが、それでも、今日の
世界の人々が本質的には
150年前のイギリスの子どもたち・婦人・労働者と
基本的には同じ状態に置かれていることが分かる。
かなり論理的な著作なので、難解さもある。
しかし、今日の勤務時間をフりーにした労働が
けして労働者の生活を向上させ、幸福にしないことを
記している。資本論は、商品とは何かから解き明かし、
価値とは? 使用価値と交換価値。そして、商品の
一つである「人間の労働力」というものを見つける。
労働力の二面性。使用価値と交換価値。
そこから「剰余価値」が生まれると説く。
資本の本質は飽くなき自己増殖であると言う。
資本主義というシステムを学問的に解き明かしたもの。
現在の派遣労働、携帯電話呼び出し労働、
ワーキングプアーを知るための理論的な武器に
なることは確かである。21世紀初頭の日本の
労働者の実態が、明治維新直前に書かれた
資本論から学ぶことは多いと思われる。
最近、小林多喜二の「蟹工船」が多くの若者に
読まれているという。時代は変化しても
資本主義の本質は変わっていないのかも知れない。
更にマルクスが予見したように資本の蓄積が一層進み
グローバリズムの波に世界中が飲み込まれてゆくの
であろうか? 同時に資本の蓄積は自らの制度
そのものの墓堀人を育成することにもなるのである。
新しい世の中、みんなが自由に平等に生きていける
世の中を作りたいものである。
朝7時に簡単な朝食を摂り昼食の食欲なし。
夜、フエフェスティバル準備の町を電動バイクで散策。
(6月3日~11日まで)
コムディア(ベトナム風ほか弁)を買う。100円。
「哀歌(上)」(曽野綾子著:新潮文庫)を読み始める。
曽野綾子の体験を通したアフリカでのボランティア支援の
話。