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2008年06月26日

原田虎太郎君懇談:東京学芸大講演会

曇り

起床午前8時。
昨日の通院でもらったアレルギーを抑える薬。効きすぎる。
いつまでも眠く、頭がボーッとしている。

朝食後、それでも言われて通り1錠のアレルギー抑制剤を
飲む。更に体が脱力し起きていられない。しばらく横になる。

12時前、自宅を出て新宿へ。午後1時、JASS会員の
虎太郎君と懇談。
虎太郎君とは、1997年テレビの取材で出会う。
11年間の付き合いである。今後の会の活動など1時間
ちょっと話し合う。直球で生きている若者である。


依然頭がボーッとしている。とても眠い。
新宿から中央線で吉祥寺へ。今日は午後5時半から
東京学芸大学での講演会を依頼されている。
午後2時半から午後4時半まで吉祥寺の喫茶店で
休息。薬というものは本当に怖いものである。
たった1錠の薬ではあるが、何も考えることもできず、
ただただ眠くなってしまう。このままでは、東京学芸大
での講演会ができない。とにかく眠気とだるさを
覚まさなければならない。水気をたくさん取り、
排出するしかない。

午後5時前、吉祥寺を出て武蔵小金井駅へ。
40年前に通った駅である。全く当時とは変っていた。
駅前に「セイユー」が残っているところだけは当時の
ままで。

駅前からバスで学芸大正門前まで。途中のバス停の
名前は40年前と変わっていなかった。

5時10分過ぎ、学芸大学へ到着。


正門を通ってキャンパスに入ってみる。
1967年。この正門は机と椅子でバリケードが築かれていた。
あれから40年。
キャンパスは当時と全く変わっていた。
私は学芸大を出てから初めて学芸大にきたのである。
40年ぶりの大学はきれいに整備され、静寂だった。
40年前の大学とあまりにも変わっている。


私が入学した1997年。入学式に出席したが、
「入学式粉砕」を呼号した学生集団の投石と乱入で
入学式は中止。当時の高坂正顕学長(期待される人間像を
作成)を学生が取り囲み小競り合い。そのうち高坂学長が
失神気絶。救急車がやってくる。いつの間にか私は
その小競り合いの渦中にいた。

1週間後、大学側は高坂学長失神事件の責任を追及する
として7人(?)の学生を退学処分にする。
学生自治会の委員長、書記長、各学生運動派閥のトップを
退学処分にする。ただちに学生大会。何度も何度長時間
続く学生大会。全学投票で無期限ストライキに突入する
ことが決定。正門をはじめいくつかの門に机と椅子で
バリケードが築かれる。全ての授業が中止となり、
学内のキャンパスなどで討論会などが行われるなど
騒然とした入学式前後を思い出す。入学して4年間、
学芸大学はそんな騒然とした学園の状態が続いた。
当時の時代背景がそんな時代であったのだが・・・・・。

今年の春、スタディーツアーで「子どもの家」を訪問した
Aさんの呼びかけ、準備で今夜の講演会は行われる。
Aさんとボランティアなどに興味を持っている学生の
皆さん11人が参加。



午後6時から午後8時45分まで講演会を行う。

Aさんをはじめ学芸大の学生に皆さんが熱心に
国際支援・ボランティアなどについて考えている
ことは素晴らしいことである。

中央線で新宿へ。自宅着午後11時。

投稿者 koyama : 2008年06月26日 07:28

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