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2008年06月21日

故木村百合子さんの裁判を支援する会参加

午前9時自宅を出て東京駅へ。東京から静岡県掛川駅へ。
掛川から東海道線で磐田駅。午前12時半磐田駅へ到着。

少し時間があったので駅前の喫茶店でコーヒーを飲みながら
関係者へのメール文章を書く。
喫茶店を出ようとして「自動ドア」が開いていると思い、
顔面を自動ドアのガラスに強打。顔面を打つ。
鼻血と上唇を切り、出血。遠近両用の眼鏡をなくし、古い近眼
だけの眼鏡を使っていたので、目の前の状況が良くわからない。
直ぐにトイレに行き、鼻血と上唇の出血を止める。

予定されていた磐田市文化振興センターへ。しかし故木村百合子
さんの裁判を支援する会は行われていなかった。
笠井さんに電話。会場が変わったとのこと。徒歩で30分、
会場を探しやっと到着。午後2時。既に午後1時半から
「故木村百合子さんの裁判を支援する会」が行われていた。



参加者は約50名。

テレビ局3局、新聞社2紙が取材に来ていた。



・木村百合子さんのご両親の挨拶
・塩沢・小笠原弁護士の報告
・故木村百合子さんの公務災害認定を求める裁判を支援する会会則承認
・次に私から木村百合子さんさんとの出会い、この裁判の大きな意義について
 個人的な意見を述べる



・続いて橋本正紘さん(静岡県働くものの安全と健康を守るセンター事務局長)の話


その他質疑応答。

最後に磐田市議の玉田氏の閉会の挨拶で午後4時過ぎ終了。


木村百合子さんは、静岡大学時代からJASS静岡の会員になり
2度も「子どもの家」に来ている。JASS静岡の会にも積極的に
参加。こどもたちに心を寄せる素晴らしい若者だった。
静大を卒業し静岡県磐田市の小学校の教員になった。
新任の教員にADHD(注意欠陥・多動性障害)の子どもも2人、
日系の子ども2人のいるクラスを担任。
常識的にはこうした場合は、指導の大変な
こどもたちは経験豊かなベテラン先生が担当するのが当たり前。
ところが木村百合子さんの勤めた学校では、ベテラン教師が
指導困難なこどもたちの担任をしないで「新任教師」に担当させる
という常軌を逸した学校運営であった。木村百合子さんは
週案(1週間の教育指導計画)を書き、毎週校長先生や
学年主任、指導の先生に提出していた。その中には
多動性のこどもたちが授業に集中できず、大変だとの
悲鳴にも似た訴えを書いている。しかし、管理職などは
「おまえは給料をもらっているのだから、指導するのは当たり前だ。
おまえは給料泥棒だ」などという心ない言葉を浴びせている。
真面目な木村百合子さんは多動性のこどもたちが、いうことを
聞かないのは自分の力量がないと自分を責めるようになる。
繰り返し、管理職からの無指導・心ない罵声はパワハラとも言える
常軌を逸したものだった。

こどもたちが大好きでフエの「子どもの家」まで来てこどもたちの
支援をしてくれた木村百合子さんである。
こうした真面目な若者を自殺に追い込んだ犯人は、
無責任な無指導の管理職であり、管理職をそうした
無責任体制に追い込んだ教育委員会の責任でもある。

彼らは、木村百合子さんの心が弱いなどとの理屈をこねて
自らの管理職との責任を認めていない。無責任社会を
象徴する出来事である。
24歳の若さ。教員になって半年の若者が駐車場で
自らにガソリンをかけて自殺するなどということがあるわけが
ない。無責任な大人に追い込まれた「憤死」である。
私は何としても木村百合子さんの無念な気持ちを晴らしたい
のである。今回の裁判は木村百合子さんの「仇討ち」という
気持である。24歳で自らの命を絶たざるを得なかった木村百合子さん
の無念な気持ちを誰かが代弁しなければならない。
「死人に口なし」を決め込んでいる無責任な連中がいる。
学校は最も人権を尊重し、自由と民主主義がなければならない。
その学校で人権侵害が半年も続けられ、24歳の若者を
死に追い詰めた関係者がのうのうとしている。
公務災害での死亡と請求を公務災害基金に出したが、
審査委員長が県知事ということで「仲間内」での処理となって
しまった。客観的第三者の調査審査はなかった。
校長や学校関係者の最高の任命権者(採用者)が
問題の調査委員会の委員長というおよそ普通の社会では
考えれないシステムである。亡くなった木村百合子さんは
今は何も言えない。生き残った関係者が木村百合子さん
の無念を晴らす、私はこの一点で「故木村百合子さんの
裁判を支援する会」の呼びかけ人に名を連ねてのである。
人間として黙っていられない心の中の何かが
ふつふつと燃え上ってきた。こんなことがこの世の中で
起こっていること自体が異常だと・・・・・・。


「木村百合子さんの裁判を支援する会」に協力をしてくれる方は
年会費1000円である。
連絡先は蓮井康人さん(TEL 0538-32-8063)
会員になることだけでも理不尽な今の教育の社会に
異議申し立てをすることができる。真っ当な教育を
取り戻したいものである。

その後、JSS静岡の会の滝下さん、笠井さんと1時間かけて静岡駅へ。
笠井さんは義父の看病のため病院へ。私と滝下さんは、静岡駅の
ライオンへ。静岡大学留学生問題について協議。2時間。

午後7時40分静岡発の新幹線で東京へ。自宅着午後10時。


新幹線車中で「近松門左衛門」を読む。
『冥途の飛脚』
亀屋忠兵衛(24歳位)飛脚屋の養子。
槌屋梅川(22歳位) 大阪新町の女郎。
二人は恋仲になり、飛脚屋で預かったお金を
忠兵衛は、女郎の梅川につぎ込んでしまう。
最後は横領でつかまる。そのあとは書いて
ないが、獄門磔か?
男女の、理屈ではどうしても割り切れない仲を
具体的に描いている。

『曽根崎心中」を途中まで読む。これも男女の
不可思議な仲を描く。男女の仲は理屈や道徳では
割り切れないという人間の煩悩を描いているとも
思える。人を好きになるということは、理屈や
損得などはどこかに飛んで行ってしまうという
ことを近松は言っているのだろうか?

300年前の近松が今日でも十分理解される
内容を持っている。近松のすごさを感じる。

投稿者 koyama : 2008年06月21日 22:19

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