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2008年06月03日

フエ市人民委員会との打ち合わせ:オアシスの会打ち合わせ

晴天

気温36度。

午前6時、近くで大きな音楽が聞こえ目を覚ます。
後で聞くと朝5時からの「騒音」だという。
朝食の際、子どもたちが「近くで結婚式がある」と言っていた。
昔、学校で運動会などがあると朝から花火があがったは
そんな感じで『結婚式があるよ』と近所の人に知らせる
音楽大音量なのか?・・・・・・

午前7時、朝食。インスタントラーメンのお湯入り。

午前7時半からメールの送受信。
午前8時半「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所へ。
午前9時、フエ市人民委員会で外務部長と懇談。
フエフェスタッフバル参加に関する話し合いを行なう。
2時間ほどの話し合いを終えて「ハイリーホテル」。

昼食。チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)

今日は朝食からリー君が「行方不明」。昼食も不在。
朝からどこへいったのだろう?

午後12時半、昼寝。
午後2時読書「哀歌(上)」(曽野綾子著)
どうしよもない民族の殺し合い。どうしようもない
貧しさ。その中でボランティアをする意味、そして
人間とは? 宗教とは何かを問いかけている。
主人公の修道女は、かなりアフリカ人、アフリカ、自らの
信じる宗教に対しても「客観的」冷静に分析している。


午後3時、大塚さんとオアシスの会の今後の活動に
ついて話し合う。

午後5時、「子どもの家」の卒業生の「THUYさん」が
子どもを見せに日本料理店にやってきた。
THUYさんは「子どもの家」の第1期生である。
12歳で「子どもの家」に入所、17歳まで在籍。
その後、 ホーチミン市の親戚に引き取られるが、
実際には ホーチミン市の親戚におらず、筆舌に尽くしがたい
苦労と苦しみを味わった。数年前、 ホーチミン市から
私宛に手紙が来た。「苦しい毎日だ、助けて欲しい」との
内容。直ぐにフエに戻るように返事を出す。
フエに戻り、料理の勉強をしたいとの希望を受け入れて
ハノイの料理学校に入れる。1年間の勉強ののち、
私の紹介でフォンザンホテルの厨房で働くようになった。
その後、結婚し今は安定した生活を送っている。
お子さんは8ヶ月の男児。THUYさんは25歳。
こうして「子どもの家」の子どもたちが成長し、結婚し
子供が生まれ幸せな家庭を築いている様子を見ると、
私たちのしてきた15年の歩みもけして意味のない
ものではなかったと実感した。



午後5時半日本料理店で夕食。
日本人スタッフは札生ビールが明日2週間となり
発行が進んでいるとの判断で、今夜から明日にかけて
発酵しすぎの生ビールを皆で呑むことにした。

午後9時過ぎ、日本料理店閉店。
JASが貸していた自転車を質屋に入れ「質流れ」させて
しまったリー君は帰りの乗り物がない。
結局、私の電動バイクに乗っていくことになる。
今日はかなり「フダ生ビール」を飲んだので
電動バイクの運転が怪しい。リー君に運転を頼み、
私は後ろに乗り「ハイリーホテル」へ帰宅。

投稿者 koyama : 2008年06月03日 18:52

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