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2008年04月15日

伝説のフン・ヴォン王を祝う祝日

快晴 晴天

今日は伝説の国王「フン・ヴォン」の祭しの日。
今から4000年ほど前のベトナムを建国したという
伝説と説話の初代国王の祭し。ベトナム各地に
「フン・ヴオン通り」「フン・ヴォン高校」などの名前がある。
昨年、ベトナムの国会で決定され、2008年から国民の休日に
なった。旧暦3月10日である。今年は新暦4月15日。
毎年休日は変わる。


気温34度。

午前7時、朝食。
インスタントラーメン。おいしくない。10%程度食べる。
昨夜、自転車を日本料理店前においてどこかへ消えた
リー君。昨夜、午後10時半頃、べろべろに酔って
「ハイリーホテル」へ帰宅したとのこと。
昨日は午後、どこかで誰かと飲み、仕事をすっぽかして
午後10時半頃、一緒に飲んだ人物のオートバイで
「ハイリーホテル」まで送ってもらい帰宅したという訳である。
最近のリー君は「人生と仕事」をなめている。誰かが
鉄槌(てっつい)を加えなければならない。
明日、リー君を呼んで「何を考えているのか?」を聞き、
厳しく注意する予定。勤務時間をすっぽかしたら
時給で給料をカットすることにする。勤務時間は
午後2時半から午後5時半。1時間の食事休憩。
午後6時半から午後9時半。
現在、3食と「ハイリーホテル」の家賃はだだである。
食事と家賃がただと言うのは、最高に恵まれた生活で
ある。リー君は自分のおかれた今の生活のありがたさが
「当たり前」と思っている節がある。
私たちが「善意」で支援することが、子どもたちや
一部のベトナム人には「当たり前」のこと、と取られることを
支援者は理解しなければならない。

千草先生・いぶき先生・ホンニーさん・トゥオイさん・ハイ君と
インスタントラーメンの朝食。しばらくして、酔っ払いリー君が
出てきた。朝食も摂らずに1階の椅子に座っていたい。
「人生に悩んでいるのか?「はたまた、お金のことを考えている
のか?」。

昨年12月15日から今日まで私が飲んだ缶ビール、水のペットボトル
を貯めていた。子どもたちに言って「業者に売りなさい。代金は
1階の金魚のえさ代。残ったらニーさんが保管しておくこと」と話す。
業者を呼んで売る。ビールの空き缶1本2円。1リットルのペットボトル
1本2円。小さい水のペットボトル1円。
業者からもらったお金は200円程度。

部屋に戻り「与謝野源氏」を読む。至福の時間。
光源氏の子ども「薫」の情人になった「浮船」。
同時に源氏の子どもの「匂宮」とも関係をもってしまう。
複雑な男女関係。

午前10時過ぎ、冷えた缶ビールを飲む。小樽からもらった
ソフト鮭トバ。札幌や東京で色々な鮭トバを食べたが、
小樽の特製鮭トバが一番おいしい。小さくカットして
冷凍庫に入れておくと1年間位はもつ。

午前10時半頃、宇都宮縫製工業組合佐藤理事長
から電話。今後の「縫製研修センター」の増強工事に
ついての話。ありがたいことである。すぐにバオミンさん
に電話。佐藤理事長からの電話の内容を伝え、必要な
手を打つ。

缶ビールを4本飲む。日本にいた頃は、日中お酒を飲む事
には、強い「罪悪感」を持っていた。
昨年還暦を迎えこれからそれほど長くは生きられないと
得心。もうこれからは「飲みたいものを飲みたい時に飲む
生まれながらの権利がある」と勝手に決めてしまった。
しかし、時々「アル中」ではとの根拠のない不安感が
襲う。週に何度かお酒を飲まない日を作っている。
火炎樹日記に「休肝日」と書くのは、自分自身の
挑戦である。休肝日とかくことによって、「アル中ではない」
と自己確認している。
今は、ビールを飲む時、スルメか簡単なおつまみがあれば
十分。食事をする食欲はなくなった。
子どもたちが「リサイクル業者に缶ビールの空き缶を売る
ようになった」ので、頑張って「缶ビール」を飲む理由と
必然性が出来た。「飲む」時には、飲む理由と必然性が
あると「美味しく」飲める。江戸落語を聴くと「今日は天気が
良いから一杯飲もう」「今日は、寒いから一杯飲もう」
「今日は桜がきれいだから一杯飲もう」「今日は金がないから
一杯飲もう」と飲む時には「理由とその必然性」が必要である。

午後1時、昼寝。

午後2時から与謝野源氏を読み切ろうとがんばる。
バオミンさんから電話。ベトナムの海外放送のテレビ(英語版)
で私の特集番組が放映されたとのこと。
4月23日に全国放送がある。これでJASSの活動も
ベトナム政府・社会から認められたことになる。


午後4時半頃、宇都宮縫製工業組合佐藤理事長から電話。
夕食を一緒にとのお誘い。バオミンホテルまで行き、
歩いて「コードー」レストランまで。午後9時近くまで
「縫製研修センター」のことなど話し合う。
ありがたいことである。忙しい中、何ヶ月もフエに滞在し
「縫製研修センター」のミシン増築など様々な支援をしてくれている。
口では何でもいえるが、こうして実際にフエに来て仕事を
してくれる人はそうざらにはいない。感謝。私と同年齢の
猪年。


「ハイリーホテル」へ戻る。リー君・ハイ君が待っている。
5階まで上がり、部屋に入ろうとすると後ろからハイ君が
「先生、おなかがすいた」とやってくる。
リー君の入れ知恵で「おなかがすいた」と言って、私から
お金をもらい、二人で飲もうという算段であるのは、明白。
今日は断る。二人とも給料をもらい、家賃・食事代は無料と
いう優遇された環境にいることの意味がわかっていない。
もらった給料を貯金することもせずに無駄遣いし、お金が
なくなると私や日本人に「頂戴」と言えばくれると思っている
ようでは困る。自分の身の丈の範囲で生活することを
覚えなければならない。
ここには「支援の功罪」の本質が見える。支援は人を救うことも
あれば、人を駄目にすることもある。愛と規律が必要。
支援の基本は、自立と自尊心を持たせることである。
人にこびへつらって、何かをもらい生きていこうとする
人間は大成しない。
我が家が倒産し、土地・家など全てを失しない、貧乏だった時、
母親が「人間はぼろは着てても心は錦じゃなきゃだめだ」
といつも言っていた。ベトナムで支援をしてみてこの言葉の
本当の意味がわかった。海外支援に「私は貧しいです。
助けてください」と言って支援をもらい、心では感謝もしない、
自分だけが良くなればよいと思っているような人間を支援しても
仕方がないと言うことである。自立し、自分で生きて行く人間、
心にプライドを持った人間を育てることが海外支援の本当の
目的である。海外支援では多くの人が「私は貧しいです」と
言ってやってくる。しかし、自分で努力して生きようとはしない
人間も多い。Aさんからの支援が終わったら、すぐにBさんと
次の人に移り変わる人々。支援で自立できた人がいつのまにか
「自分が優秀で力があったからだ」と勘違いしてしまう人間。
こうした種類の人々は、結局、支援に本当の感謝の気持ちを
持っていない。「心に錦」がないのである。心に錦をもった
人たちは、今度は、自分が貧しい人たち、困った人たちの
ために「ひと肌脱ごう」という気持ちになるのである。
自分と家族だけが贅沢な生活をするだけの人間は結局、
人からの信頼もなくし、最後は、昔の貧しい生活に戻って
しまうのである。
海外支援をして15年。様々な体験をした。今、海外支援
の最終的な目標は、人間の心の中に「錦」をもつ人を
育てることである。自分だけの幸せではなく、他人の
幸せのために努力できる人間を育てること。ただ物を
あげる支援は意味がない。人間の心の中にある
「他人を思いやる心」に灯をつけることである。
リー君・ハイ君の心に灯が点くのか、点かないのか?
点けてもすぐに消えてしまうのか? 自分で消してしまうのか?
それは私たちの取り組み次第である。


後期高齢者医療制度で混乱が広がっている。
厚生労働省は「長寿医療制度」と名前をつけたそうだが、
これほど、中身と名前の一致しないものも珍しい。
長寿医療と言っても年金月額4万円程度の75歳以上の
お年寄りから数千円のお金を天引きするという。
今まで子どもたちの扶養家族となっていた高齢者からも
保険料を取るという。
75歳といえば、1945年の敗戦時には13歳である。
その後、日本の復興に一番努力してきた世代だ。
自民党は「愛国心」「とか「道徳教育」などと言っているが、
今回の後期高齢者医療制度はまさに「お年寄りいじめ」
そのものである。敬老の精神をかなぐり捨てた典型的な
悪い制度である。本来は、種々工面して、「75歳以上の
皆さんががんばってくれたので今日の日本があります。
是非長生きしてください。医療費は75歳以上になれば
無料です」というべきなのだ。これが本当の敬老精神で
あり、道徳教育の見本なのだ。
田中角栄などの時代なら、こうしたことはなかったように
思われる。自民党ももうすこし苦労した人たちが政治の
中心にいた。今は、苦労をしないお坊ちゃん政治家ばかりが
巾をきかしている。
自民・公明政権は、言ったことに誰も責任をもたない。
安部元首相が「2008年3月31日までに最後の一人まで
年金問題を解決する」と選挙演説で言っていた。
この言葉に安部元首相は責任を持つべきである。
未だに何ら自己批判すらしていない。山口2区補選に
ずうずうしく出て行って演説をしている。厚顔無恥とは
こういうことをいうのだ。安部元首相「恥を知れ」。
公明党が「100年安心年金」と言っていた翌日に
その根拠が崩れた。今、日本人で年金が100年安心と
思っている人はいない。100年不安の年金である。
公明党も何らこの問題で自己批判していない。
政権政党は権力を握っている。それなりに責任は重い。
真摯な自己批判が必要である。自己批判をないなのなら、
次回の選挙で痛烈な鉄槌を加えるしかない。

投稿者 koyama : 2008年04月15日 12:21

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