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2008年04月04日

終日 ベトナム中央テレビ取材

晴天     休肝日


3日ぶりに晴天。真夏。

午前7時、朝食。インスタントラーメン。

午前8時、ベトナム事務所へ。ベトナムテレビスタッフと合流。
具嶋先生の里子、アン君の家へ。フエの郊外。
重度の障害があるアン君。父親は土木工事労働者で遠方へ。
母親と粗末な家に住んでいる。
以前、里親の具嶋先生がアン君宅を訪問。布団類がなかったのを
知り、日本から布団・毛布・タオルケットなどを送ってくれる。
今日は、布団・タオル類をアン君に届ける。


しばらくアン君と交流する。
その後、フエ平和村を取材。

平和村取材後、「子どもの家」入所希望者の家を訪問。
入所を決める。

N君(10歳:小4年生)、Mさん(9歳:小3年生)。
父親はどこかへ行ってしまい、行方不明。
母親は片目が見えず、心臓も悪い。日雇い労働でその日を
しのいでいる。月収は平均して40万ドン(3000円)。
家は借りている。家賃は8万ドン(月350円)
母親は字が読めない。テレビで「子どもの家」の存在を知り、
自分で「子どもの家」へ行き2人の子どもの入所を申請した。
N君とAさんに「入所を希望するの?」と聞いてみる。
二人とも『希望する』との答え。母親も「二人がいなくなると
寂しいが、「子どもの家」で勉強して立派な人間になって
欲しい」ので我慢するとのこと。子どもたち二人とも成績は
優秀。
ロックさん、ミンさんと相談し、入所を決定する。


入所希望者の家を出て、「子どもの家」へ。
子どもたちと交流。

今年フエ芸術大学の入試を受けるフック君と一緒に
絵画教室でフック君の描いた絵の説明を聞く。


ベトナムテレビのインタビューを受ける。何箇所か
場所を変えてのインタビュー。

今回の番組は、4月30日の「ベトナム南部解放33周年記念」
の特集番組の一環である。

午前11時20分。子どもたちと一緒に昼食を摂る。

午後2時過ぎ、ベトナム事務所へ。

日本料理店の子どもたちの仕事の様子を取材撮影。
子どもたちへのインタビュー。接客のグエットさん。
「子どもの家」に入所して何年になるの?
「14年です」。日本料理店での仕事は? 「楽しい」。
どんなことを研修しているの? 「料理や日本語・英語
を勉強している」。

その後、私の仕事の様子を取材撮影。


午後4時半過ぎ、日本語学校へ。
千草先生の観光基礎コースの授業を取材撮影。
聞き取り・筆記の授業。


午後5時頃、縫製研修センターへ。
宇都宮縫製工業組合の佐藤理事長を中心に縫製研修センター
の増強工事が進行していた。
佐藤さんは一昨年、50台の工業用ミシンを寄贈してくれた。
昨年、50台の工業用ミシンを設置し、初期の縫製研修センター
を開講。先日、佐藤社長は更に70台の工業用ミシンを
日本から船で送ってくれた。
今回120台以上の工業用ミシンとなり、電気の取り付け、
ミシンの配置などを含め、本格的な縫製研修センターに
するため、大増強工事を断行。こんな話をベトナムテレビの
ディレクターに話す。


その後、少し仕事をして、ベトナム事務所へ戻り。今日の
取材撮影を終わる。

日本料理店前にリー君が元気なく座っていた。
聞くと体調が悪いとのこと。手で熱を診ると多少ありそう。
ベトナム事務所のハンさんが、リー君にビタミンCの錠剤を
買ってやったとのこと。
今日は、日本料理店でしっかりと夕飯を食べて、「ハイリーホテル」
へ戻り、薬を飲み、部屋でゆっくりと寝ていないと本当に
体をこわすぞ、と話す。リー君も「分かりました」と頷く。

ホンニー店長、フエン料理担当の二人が私の所に来る。
昨夜は9時前に日本料理店を勝手に閉店してすみませんでした
と謝りに来る。日本料理店の決まりはしっかりと守って欲しい
という。駄目な事は駄目なのだ。

国際ソロプチミスト東京ー東の方から電話。


午後5時半。夕食。

今日は、テレビの取材で天ぷらと生姜焼き定食を試作する。
試作品を夕食に出す。

グエットさんたちが「先生。今日は生ビールを新しくしました。
美味しいです」と言って生ビールを勧める。
朝から夕方までたちっ放しの取材。本当に疲れる。
ビールを飲む気力もなくなった。新しい生ビールを断り
夕食を摂る。

リー君は夕食を摂ったら「ハイリーホテル」へ帰ると
行って出て行った。

午後6時半からベトナム事務所で仕事。
「阪神ー巨人戦」を見ながら仕事をした。
今日は、フォードと今岡が本塁打。
6対1で巨人に打ち勝つ。

北海道雄武町の菊さんから早春のオホーツクの流氷の便りが
届いた。


午後6時半、日本料理店開店。

午後8時55分までに8人の来客。うち2人は日本人。
6人は欧米系。

午後9時に閉店の予定で閉店の心の準備を始めた
その瞬間、一人の欧米系の老人が来店。
ビールを頼む。ビールだけで帰るのかなと思ったら
お寿司を注文。お寿司で更にビールを飲む。
しばらくすると天ぷらを注文。結局、1時間ほど
日本料理店に滞在。閉店は10時。

その後、護送船団方式で「ハイリーホテルへ。
リー君は部屋で寝ている。

今日は朝8時からテレの取材が始まり、夜10時まで
日本料理店の仕事が続いた。

投稿者 koyama : 2008年04月04日 19:11

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