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2008年04月17日

与謝野源氏三巻読了:当面の打ち合わせ

晴天                休肝日


気温30度  湿度70%

午前5時起床。「与謝野源氏」を読む。
午前7時朝食。チャオバンカン。

リー君は昨日の注意に従って、5階から1階までの階段の
掃除をする。但し、集めたゴミは、1階に捨てたままで
どこかへ消えた。

午前8時過ぎ、バオミンさんから電話。「ベトナム事務所は
現在停電。予測では午前中は停電。あと30分ほどしても
停電が続いた場合は、ベトナム事務所員は家に帰って
仕事をしてもらう」とのこと。千草先生・いぶき先生にベトナム事務所
に行かないように連絡。「ハイリーホテル」で仕事をするようにと。

「ハイリーホテル」の自室で与謝野源氏を読む。
「手習い」の巻  横川の湯僧都一族に助けられた
浮舟は尼となる。
「夢の浮橋」の巻  薫、浮舟かどうかを確かめに行くが
会えないまま、源氏物語は終わる。最終章。

1巻680ページで三巻という大作。1ページの字数も800字程度。
岩波新書が550字。とにかく三巻を読了するには、かなりの
「体力」と忍耐力を要した。明治になって現代語訳の最初の訳本
であった。晶子の恐るべきエネルギーを感じる。かなり翻訳的な
硬直した感じの文章の部分もあるが、逆にしっかりとした尊敬語を
駆使しての文章でもある。あまりに尊敬語が多用され、読みにくく
なっているのも事実。登場人物名が官職・役職で表されるため
誰だかわからなくなっていまう。そのため、三種類の本の
源氏物語系図を側において、常に「この人は誰だ」「源氏とどんな
関係だ」と確認しながら読まなければならなかった。
1000年以上前にこうした物語が書かれたことに驚きを感じる。
基本的に今日の人間と全く同じ煩悩に苦しむ人間を
書き表わしている。恋愛を通して、人間が生きる苦悩=無常
を言いたかったのかななどと思う。
これで3人の作家の現代語訳を読んだ。瀬戸内源氏、田辺源氏、
そして与謝野源氏。入門としては、瀬戸内源氏が丁寧に書かれて
いてわかりやすかった。王朝の雰囲気が一番出ているのは
田辺源氏だった。与謝野源氏は54帖全てを書いているので
源氏物語の全貌を読み取れた。
本来、この後原典の源氏物語を読む予定だったが、
今、そのエネルギーがないのと、読みたい本が目の前に
転がっているので、方針変更。源氏はとりあえず、ここで
とめて置き、今後時間があったら谷崎源氏をどうしても
読んで見たい。今度、帰国したら神田の古本屋で
谷崎源氏を見つけてみることにする。

「ルポ 貧困大国アメリカ」(岩波新書 堤未果著)を
読みはじめる。著者は我が会の会員でもある
参議院議員の川田龍平氏と先日結婚した。


午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。
からし菜の炒め物、野菜、ミットのスープ。

午後12時半から昼寝。

午後2時。あるテレビ局からの取材申し込みへの返事を
書く。

当面の日程を改めて見直す。
明日からフエに来られるHさん、来週来訪する静岡大学
入試説明会。シュミレーションをして問題を確認。

午後3時過ぎ、ベトナム事務所でバオミンさんと
当面の日程に基づき、細かい点の最終打ち合わせ。
全ての日程が万全に遂行できるよう綿密に計画を立て、
再度見直す。

午後3時、「ハイリーホテル」を出ようとしたが、玄関の
ドアの鍵が開けっ放し。
ベトナム事務所につき、リー君と二人の女子を呼ぶ。
玄関入り口のドアの鍵を開けっ放しで日本料理店に
来たのでは、「ハイリーホテル」に泥棒が入る。
自分たちの行動に責任を持つように。ハイ君も警備員を
していなかったので、泥棒が入ったら、1階のテレビや
5階の台所にある荷物や貴重品などが盗まれる。
既に回りの家で泥棒の被害を受けている人たちが
たくさんいるとのことだ。女子2名が、鍵をかけないで
玄関を出たという。厳しく注意する。自分の家だと思って
行動するように。

ベトナム事務所でいくつかのメールへの返事を書く。

午後5時半日本料理店の子どもたちと夕食。
ナスのニンニク・唐辛子煮びたし、人参と豚肉の煮物。

午後6時に2人の日本人が来店。今日の来店は早い。
日本人のお客さんは日本料理店の入り口前の外の
テーブルで食事。子どもたちはカウンター上のテレビを
大きくつけて、ベトナムテレビの番組を見ている。
勤務時間中は、絶対にテレビなどを見てはいけないと
言う事になっているのに・・・・。
私が3階から降りていくとリモコンでテレビを消して、
何食わぬ顔をしている。「したたかな連中」「二重人格」
の基礎教養をしっかりと身に付けている子どもたちでは
ある。私の前では、きちんとしていても、見えないところで
は全く違う行動が出来る子どもたちだ。へなちょこな
日本人では到底御すことのできない連中でもある。
ベトナムで生活・活動するのは本当に大変なことである。
ベトナム人は『目が澄んでいて良い人ばかり』などと
能天気なことを言っている旅行者も多いが、このレベルで
生きているのが一番楽しいのかも知れない。
私たちはあまりに深くベトナム(正確にはフエに)
関わりすぎてしまった。

午後7時、宇都宮縫製工業組合佐藤理事長から電話。
日本料理店に来るとの話。日本料理店で軽く飲んで
くれる。千草先生・いぶき先生も加わり、午後9時半まで交流。
私は食事をしたので今日は飲まなかった。

午後9時半、日本料理店閉店。3人の来客。

護送船団で「ハイリーホテル」。
午後9時50分到着。

「ハイリーホテル」自室で受信メールへの返信をする。

投稿者 koyama : 2008年04月17日 17:04

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