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2008年08月31日
大学生協講演会:地球の歩き方ホーチミン市へ
晴天 快晴 外気温40度を超える
起床午前7時。昨夜、地球の歩き方晩餐会で遅くなり、
その後、リー君とハイ君と午後10時半まで飲んだので
さすがに疲れが出て、起きられない。
朝食を作る時間がない。
午前7時45分、ベトナム事務所へ。TF(VIETNAM)
のI社長さんがベトナム事務所を訪問。
私がフエ師範大日本語クラスで教えた第1期生の
トン・アンさんが、10年前から勤めている
会社である。排水管関連の会社。
午前8時前社長とトン・アンさん、そしして
関係者の皆さんがやってくる。
ベトナム事務所でI社長さんと名刺交換。
I社長さんは日本国籍をもったベトナム人。1980年代
ボートピープルとして沖縄にたどり着いたという経歴を
もった方である。苦労されたことと思う。
若干話し合いをし、「子どもの家」へ案内する。
セン委員長と挨拶。各施設案内をする。
午前9時過ぎ、I社長さんたちは訪問を終わり、次の
仕事へ。「子どもの家」への寄付金を頂く。感謝。
教え子のトン・アンさんも15年たち結婚し、
6歳と4歳のお子さんがいると言う。時間の流れを
感じる。
午前9時、大学生協スタディーツアーの皆さん12人が
「子どもの家」へ。
はじめに「子どもの家」の子どもたちと文化交流会。
セン委員長の挨拶。
子どもたちの歓迎の踊り。
全国大学生協スタディーツアーの皆さんの出し物。
「エブラハムと00人のこども」を子どもたちと一緒に
踊る。
交流会終了後、バオミンさんが、大学生協の皆さんを
各施設へ案内・説明。
グエンフエ高校の理系で優秀な成績を残しているターオさん。
日曜でも勉強していた。
●どういう訳だか「ハイリーホテル」のハイ君とリー君が
「子どもの家」に来ていた。やはり自分の帰る家は
「子どもの家」なのだろうか?
何もすることがない時は、よく「子どもの家」に来ている。
「ハイリーホテル」警備員のハイ君の弟は、「子どもの家」
から職業研修センターに通っている。
午前10時。私の講演会。2時間。
今日のようにに急激に気温があがると、体温も上昇する。
耳の中と外の気圧が微妙に変化するようで、こうした
気候の時には、耳が聞こえなくなる。正確には、
自分の声だけが大きく聞こえ、自分がどの程度の大きさの
声で話しているのかが全く分からなくなる。
いつもは、ジャーに氷と冷水を入れたものを持ってきている。
体温の急激な上昇の際には、「冷たい水」を飲むと耳の
異常もしばらくすると解消する。今日は、冷たい水がない
ため、ミネラルウオーターをたくさん飲み体温を下げる。
10分後には、何とか声がでるようになる。
日本ではめったに「発症」しない耳の現象だが、ベトナムでは
常習化しつつある。困ったものだ。6月に耳鼻科に行ったのだが
異常はないという。しかし、実際には、異常がでてくるのだが・・・。
「子どもの家」の成立、国際支援についての考えたかの
変遷。人生。生きること。人生の運ということ。人との出会い。
午後12時過ぎ、バオミンさんと大学生協の皆さんと
一緒に市内のベトナムレストランで昼食。
午後1時半、「ハイリーホテル」へ戻る。
今日は気温も高く、蒸し暑い。5時間ほど、この蒸し暑さの
中で活動するとさすがに疲労困憊。
「ハイリーホテル」で1時間半昼寝。
午後4時、「ハイリーホテル」を出て、地球の歩き方Ⅲ班の
泊まっているホテルへ。地球の歩き方Ⅲ班は今夜、フエ空港
からホーチミン市へ。
30人近くのお客さんを引率してのスタディーツアーは色々と
ハプニングも起こり、添乗員さんは大変である。
今回の添乗員さんは、接客の態度もよく、全体の運営、
ホテルなどへのクレームもしっかりとつけるなど、
なかなか良く仕事をしていた。
6日間のフエ滞在を満喫したスタディーツアー参加者。
最後に全員で記念写真
私は地球の歩き方スタディーツアーの皆さんと別れ、
夕食のコムディア(ベトナムほか弁)15000ドン(100円)
を買い、「ハイリーホテル」へ戻る。
午後6時から夕食。軽くフダビールを飲む。
7月22日からスタディーツアーが続いている。
今日の日曜日の仕事で8月17日・8月24日・8月31日
と3回連続、日曜日がない。ほぼ4週間連続しての
仕事が続いている。かなりきつい。
今日も「子どもの家」講演会前の15分間は
椅子を並べて寝ていた。あと1ヶ月間、スタディーツアー
は続く。スタディーツアーは、私たちJASSにとっても
子どもたち、「子どもの家」にとっても様々な意味で
大きな意義のあるものである。
今後、ベトナム事務所でスタディーツアーを担当する
スタッフなどの増員なども考える必要あり。
バオミンさんも同様に1ヶ月間ほど連続の仕事である。
読書「少女の器」(灰谷健次郎著:新潮文庫)
本書を読んで多少の違和感がある。今までの私の読んで
いる灰谷作品とは違う。どこが違うか考えて見た。
結局、この本は現実を見ずに「理屈」で書かれた本なので
リアリティーがないように思われる。何か空虚で、嘘の
ように感ずる。一人の作家が書く本は色々なものがあるのだろう。
2008年08月30日
獨協大学視察団案内:地球の歩き方Ⅲ班晩餐会
晴天 暑い
午前6時起床。
午前7時朝食。
ハイ君が「行方不明」。朝食にいない。
午前7時半、バオミンさんから電話。
今日、午前8時過ぎに「獨協大学」の学生が
ベトナム事務所に来ると言う。
朝食を急いで済ませ、ベトナム事務所へ。
午前8時半。獨協大学学生8人がベトナム事務所へ来る。
ベトナム事務所で「どんな話をすれば良いですか?」と
聞く。「私たち、分からないです。大学の先生に
行けと言われたの来たのですが・・・」。
「どんなところを見たのですが?」と聞く。
「わからない・・・・・?」との返事。ホーチミン市で
大学の先生と別れてしまい、自分たちは、先生に
JASS事務所に行けと言われたので来たのだとの
返事。困ってしまう。
若干話をし、それでは「子どもの家」を見学しますか?
と聞く。賛同を得たので、タクシーを2台呼び、
「縫製研修センター」を案内する。
新しい婦人ブラウスが出来ている。
2時間ほど獨協大学の学生を案内。
ベトナム事務所には、日本料理店のAさんと母親を呼んでいる。
Aさんは、一昨日、自宅に泥棒が入り、貴金属類(祖母から預かっ
ているもの)を盗まれたとのこと。地元の警察はあまり真剣に
調査をしていないとの話を聞いたので、直接母娘を呼んで
盗難の状況を聞く。
亡くなった夫の母親の貴金属を夫の弟が預かっていたそうだ。
しかし、夫の弟は家を改築し、物騒なのでしばらく貴金属を
預かって欲しいと言われ、Aさんの家で預かっていた。
泥棒は1時間半ほどの間に貴金属だけを盗んでいった。
部屋は全くあらされていなかった。家の奥のたんすの
中の分からないところに隠してあっ貴金属だけが盗まれ、
他の場所には一切手をつけていないとのこと。
不思議な盗難事件である。一般的に言えば、家中を探し回り
貴重品を盗むのが泥棒。今回のAさん宅の泥棒は
最初から「特定の場所に隠してあった貴金属」だけを狙い撃ち
して盗んでいる。Aさんの夫の親戚から、Aさんのお母さんは
責められているとのこと。バオミンさん・大塚さんも同席。
母親からの話を聞いて、今後の対策を協議する。
昼食。
午後1時から1時間昼寝。
メールがかなり入っている。いくつものメールに返事。
10月に帰国するが、10月帰国日程の講演会などが
かなり埋まってきている。
今回は日本帰国前に3分の2ほどの日程が既に
埋まっているが、この15年間の経験からは初めてのこと。
ある長文の文書を書き上げ、JASS日本の関係者に
送信。
午後6時半、地球の歩き方Ⅲ班の晩餐会に出席。
男子学生の乾杯の音頭で晩餐会は始る。
午後9時、地球の歩き方Ⅲ班の晩餐交流会は終わる。
交流会には、ベトナム事務所のフーン先生・中島先生・石上先生
バオミンさん・私が参加。料理は大塚さんと子どもたち。
午後9時半、日本料理店閉店。
リー君と一緒に帰る。「ハイリーホテル」に着き、リー君から
「先生、ヤギ肉で飲みしょう」と誘われる。
ハイ君も呼んで3人でヤギ肉で飲む。
私の好きな『豚肉』の揚げ物。
焼いたヤギ肉
私は10時半前に「ハイリーホテル」に戻る。
リー君とハイ君は引き続く飲む。
2008年08月29日
地球の歩き方Ⅲ班とナムドン山岳地帯へ
晴天
ナムドンは市内より更に暑い。午後、雷と雨。
午前5時起床。昨日の日記を書く。
午前7時朝食。フォー。
ある文書を関係者に送り意見を聞く。いくつかの意見が
届く。貴重な意見を取り入れ文書を仕上げる。
午前9時過ぎ、ベトナム事務所へ。ベトナム事務所で
バオミンさんといくつかの件について打ち合わせ。
JASS栃木の会(じゃむじゃむ)のビン君がベトナム事務所
を訪問。時間が取れたのでフエに来たとのこと。
明日から2週間ほどベトナム事務所で「日本語」を教えてもらう
ことにした。
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんの
泊まっているホテルへ。
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんは今日、ナムドン
山岳少数民族との交流。
バオミンさんとナムドン「専門家」(自称)のリー君、私が
担当。
既にリー君はホテルに来ていた。既に「やる気満々」状態。
午前10時ホテルを出発。1時間半車に揺られ、ナムドンの
中腹に着く。午前11時半昼食。
ここでもリー君は配膳など熱心に体を動かし仕事をした。えらい。
午後1時。レストランを出発し、ナムドン山岳少数民族の村
トゥオンロー村へ。
いよいよ交流会。
はじめにカトゥー族の村長さんが、歓迎の挨拶。
続いて支援物資の贈呈式。衣類・食料品・医薬品など。
交流会場の庭には多くの村人が集まっていていた。
カトゥー族の皆さんの歓迎の踊り
お返しに日本側の出し物(幸せなら手を叩こう・・・・)
その後、カトゥー族の皆さんとスタディーツアー参加者と一緒に
カトゥー族のお祭りの踊りを楽しむ。
子どもたちも踊りに見入っていた。
その後、交流会場前庭で村人と交流。たくさんの村人が
集まっている。
そのうち、太い縄が出てきた。カトゥー族と日本人との
綱引き対決となる。両者とも必死。3回戦。
カトゥー族の2勝1敗。
雨が降ってきたので再度交流会場に入り、交流宴会。
いよいよリー君の出番・本番。カトゥー族手作りの
焼酎をみんなで飲む。日本の参加者には20歳未満の
飲酒は禁止と厳しく言う。
リー君は何度もカトゥー族の村に来ているので村人の
人気者になっている。あちこちで声をかけられる。焼酎も
大分入り、上機嫌。
カトゥー族の文芸団長も焼酎が効いて来たのか「踊りだす」。
午後4時。別れを惜しみながらナムドンを後にする。
午後5時半、フエ市内に戻る。地球の歩き方の皆さんは
今夜は自由行動。JASSベトナム事務所で作成した
フエ市内レストランマップを見ながら自由に食事にでかける。
午後7時半。私は地球の歩き方の添乗員さんと今後の
地球の歩き方スタディーツアーのあり方、今までの
反省などについて、真剣に討論する。
ナムドンの昼間は本当に暑かった。
1日ナムドンにいるとさすがに疲労が溜まる。
しかし、日本の若者が少数民族の皆さんとの
「心と心」の交流を通して何かを掴んでくれれば
心地よい疲れにと変わる。
午後9時。読書「少女の器」(灰谷健次郎著:新潮文庫)
姫井由美子民主党参院議員が「改革クラブ」参加を断念し、
民主党に残ると記者会見したそうだ。
その理由が振るっている。「新党(改革クラブ)は、
自民党による民主党切り崩しの受け皿だとわかった。」からだそうだ。
私はこのニュースをインターネットで見て、腹が立つ気持ちすらなくなった。
日本の政治家の質のあまりにもひどい低下・劣化を見た思いがした。
私のような政治に素人の人間でも「改革クラブ」が、そのうち自民党に
合流することは、分かりきったことである。その掲げた理念を
見れば、改革クラブが自民党の別働隊であることが分かる。
政治家と自称する姫井議員が改革クラブの旗揚げに賛同し、
旗揚げの記者会見の寸前まで改革クラブが自民党の別働隊で
あることすら分からなかったとは、情けない。
(政治家は言葉である。記者会見のことばがが全てだ)
この程度の人間がいる民主党自体がおよそこの程度の
政党なのである。民主党は姫井議員を除名すべきなのである。
除名理由は「政治家として無能」。
もっともこうした理由で民主党が議員を除名し始めると
民主党に残る議員がいなくなるという問題も残るが・・・・・。
2008年08月28日
受信メールの整理・必要な送信
晴天
午前6時起床。
下痢は収まる。
午前7時朝食。「精進料理ブン麺」。
午前中、この半月位の受信メール等の整理。
読売新聞朝刊についての何人かからのメールへの返信。
ある文書の作成。かなりの文書・資料等に目を通して作成。
関係者に送付。
昼食。
午後1時から1時間昼寝。熟睡。
午後2時から読書「少女の器」(灰谷健次郎著:新潮文庫)
今までの灰谷文学の中では一風変った小説。
離婚した両親と一人娘のやりとり。あまり深刻な所まで
入らない程度に筆を進めながら、離婚しそれぞれ新しい
パートナーを見つけ、更にその関係が破綻する家庭を
娘が冷静沈着に観察批評する場面が「微笑ましい」。
午後4時、日本からの「子どもの家」参観希望者が
ベトナム事務所に来ているとの連絡。
急いでベトナム事務所へ行く。埼玉県の中3の女性生徒と
母親。タクシーで「子どもの家」へ。「子どもの家」を案内。
「子どもの家」では子どもたちが地球の歩き方スタディーツアー
の皆さんと夕食を摂っていたい。
●ソン君が地球の歩き方スタディーツアーの皆さんを案内
午後5時過ぎ、埼玉県の参観希望者母子は帰宅。
地球の歩き方は、夕食終了後、シクロで投宿ホテルへ。
私はソン君のオートバイの後ろに乗ってホテルへ。
昨日、日本料理店の副店長の実家に泥棒が入ったそうだ。
今日、警察の現場検証があり副店長は日本料理店へ出勤できない
とのこと。
税田さんからの連絡で「今日は日本料理店は閉店」とのことだった。
夕食が日本料理店で食べられなくなってしまった。
夕方、地球の歩き方添乗員さんと「今後の地球の歩き方
スタディーツアーのあり方」「現在のスタディーツアーの問題点」
など業務上の打ち合わせをする。
午後8時過ぎ、「ハイリーホテル」へ。
午前中作成し関係者に送信した「ある文書」について、いくつかの
修正追加意見が届く。全てもっともな意見なので受け入れ、
書き直す。
2008年08月27日
地球の歩き方ツアーⅢ班:JASSスタディーツアーホーチミン市へ
非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)が
拉致され殺害されたことに強い憤りを感ずる。伊藤さんのご冥福を
お祈りする。
私たち海外NGOは大なり小なり「命の危機」を感じながら
活動をしている。殺人だけでなく、熱帯伝染病など
命に直結する危機を常に感じながらの活動である。
犯人を憎む。殺害された伊藤さんの父親は私と同い年。
父親と家族の気持ちを考えると心が痛む。
父親は『受け入れがたい』と言っているそうだ。その気持ちが
私には、よく分かる。
=========================
今日の読売新聞朝刊に私に関連する記事が
掲載された。
昨年、第35回読売新聞医療功労賞と厚生労働大臣表彰を
受賞している。その後の受賞者の活動という内容の記事である。
晴天
午前6時半起床。
疲労と睡眠不足で起きられず。
午前7時朝食。
午前7時半、「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所へ。
地球の歩き方第3班(30人)がベトナム事務所で
ベトナム事務所員と対面。
ベトナム事務所員の自己紹介
●地球の歩き方(旅行会社ピースインツアー)添乗員の方と
参加者
30人のスタディーツアーはさすがに多い。
バス2台で「子どもの家」へ。午前8時半到着。
はじめに私の講演会。90分間の話をする。
15年間でたどり着いた海外支援とは?
人生とは人の出会いであるという二つのテーマを話す。
午前10時、講演会終了。
その後、ハンさんとソン君に別れて「子どもの家」の施設案内。
ソン君の視察案内に同行したが、なかなか案内の仕方がうまくなった。
ハンさんの施設案内
午前10時40分から「子どもの家」の歓迎会
最初にセン委員長の歓迎の挨拶(通訳はハンさん)
子どもたちの歓迎の踊り
●「軍人」という踊り。いかにもベトナムらしい軍事国家の出し物
「子どもの家」の仲間の踊りを楽しむ子どもたち
スタディーツアーの出し物は歌。「一つだけの花」(?)
午前11時半、「子どもの家」を出発し、市内のベトナムレストランへ。
昼食は「ミーサオ」。日本流に言えば「かたヤキソバ」。
野菜と肉がたっぷり入っている。
午後12時45分、投宿のホテルに戻る。
添乗員さんとソン君からホテルでの生活の緒注意。
「子どもの家」で子どもたちと交流する際の内容の確認などが
行われた。
午後1時過ぎ「ハイリーホテル」へ戻る。
久しぶりに昼寝。1時間。
その後、ある関係の長文を書き始める。
「ハイリーホテル」のインターネットが使えない。
プロバイダーのせいなのか? 理由は不明。
仕方がないのでベトナム事務所へ。
メールの受信。今日の読売新聞朝刊に出た私の記事について
多くの方々から「読売新聞を読んだ」との励ましの
言葉を頂く。皆様に感謝。
午後5時半、日本料理店の子どもたちと久しぶりの
夕食。
魚のフライのトマトケチャップ和え
午後7時過ぎ、ベトナム事務所である長文の続きを書く。
火炎樹日記を書こうとしたが、写真を取り込むコードを
「ハイリーホテル」に忘れてくる。
午後8時、日本料理店を出て「ハイリーホテル」へ戻る。
火炎樹日記を書く。
ある問題についての文書の続きを書く。
読書「男こそ顔だ」(大石静著:文春文庫)読了
私が大石静の名前を知ったのは、NHKテレビの朝の
連続ドラマ「二人っ子」だった。
本書は大石静のエッセー集。
米原万里のエッセーと比較すると、米原が「切れ味の良い
真剣」なら大石は「なまくらな刀」と言った感じ。
米原もかなり「下ネタ」が好きなほうだが、米原の下ネタが
博学と知識・教養がみなぎっているので、それほど嫌らしいさ
を感じない。大石の下ネタは
2008年08月26日
JASSスタディーツアー講演会:大学生協ツアー晩餐会
8月27日(水)『読売新聞朝刊』に私やJASS関連の
記事が載ります。障害児支援関連。友人知人にお知らせを。
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快晴
午前6時起床。体がだるい。喉痛・下痢。風邪の症状。
午前7時朝食。
ブンボー。本物は美味しい。
昨夜バオミンさんに買って来てもらった風邪薬を飲む。
午前中、2007年ボランティア貯金完了報告書の最終チェック。
約3万字の文章の内容を最終的にチェックする。
この数週間、この報告書作りに追われた。1年間の
障害児医療センターの活動、障害児父母の会の活動、
「縫製研修センター」の活動、「アクセサリー研修センター」の
活動などの詳細を報告。活動の経過、成果、問題点、
地元の評価など・・・・・を文章にまとめ、必要な写真(38枚)を
添付した。
昼前最終的な確認を終わり、日本の山西さん・渡辺さんに
メールで送信。写真38枚は5回に分けて送信した。
一応、確認のためベトナム事務所にもCCで送信した。
どうしても5回目の送信がベトナム事務所に入っていない。
何度か試みたが、プロバイダーの何らかの『事情』あり。
個人YAHOOで送ったが、やはり半分がベトナム事務所では受信
出来なかった。それでも何とか、この半月、作成の力を入れた
完了報告書(400字詰め原稿用紙70枚程度)が完成し、
日本の担当者に送信できて正直ほっとしている。
たくさんのスタディーツアーの合間を縫って書き上げた報告書である。
昼食。
豚肉と厚揚げの甘辛煮、瓜の落花生和え、野菜スープ。
午後2時過ぎ、電動バイク(ソン君が直してくれた)で
「子どもの家」へ。
JASSスタディーツアーの皆さんに1時間ほどベトナムでの
活動について話す。風邪で声が「ガラガラ」状態。
1時間話をしたら、声がかすれてしまった。
その後、森田さんと「JASS青少年教育の会」や心臓病の
話など。
JASSスタディーツアー参加の中学生とこどもたちとの
交流。
案内担当のハンさんとこどもたち
「子どもの家」のこどもたちがJASSツアーの演じた
「さるかに合戦」の寸劇をもう一度見たいという。
JASSツアーの中学生の皆さんが再演。
案内かかりのソン君が地球の歩き方ツアーⅢの出迎え
のためフエ空港へ。
JASSスタディーツアーのこどもたちとお別れの挨拶
午後5時過ぎ「子どもの家」を出て、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所でメールの受信をチェック。
いくつかの大事なメールが入っていたい。急いで
返事を出す。
午後6時半、全国大学生協スタディーツアーの皆さんと
日本料理店で夕食会。
リー店長・グエット副店長から今日のメニューの紹介
接客主任のグエットさんが書いた「今日のメニュー」。
こうしたメニューを書くのも子どもたちの勉強であり成長でも
ある。
●乾杯
全国大学生協スタディーツアー晩餐会終盤。
リー店長とグエット接客主任のメニュー紹介
日本料理店スタッフの紹介。
リー店長の自己紹介。リー君は店長になって1ヶ月ちょっと。
いつ「駄目になるか?」などと思っていたが、今日まで頑張って
いる。以前はお昼にギャンブルをしたり、飲酒をして問題を
起こすことが多かった。しかし、店長になってからは、その種の
問題を一回も起こしていない。自覚が出てきた。
子どもを育てると言うことは、自覚と促すこと以外に方法はない。
本人がいかにやる気になるかを引き出す作業が「教育」、
人間を育てるということである。
●THUY副店長・調理主任
調理主任になって人間が変った。落ち着き、大人になった。
仕事に対する責任感が強くなり、美味しい日本料理を作ると
いう「自覚」が強くなってきた。
●グエット接客主任
今まではH店長の下で仕事をしていたが、H店長が
某偽日本料理店の引き抜きにあい、退職、結局
就職も出来なかった。
そのお陰でグエットさんは接客主任になった。
今まで頭を抑えられていたのだが能力を持った子である。
計算から注文を取ることなど立派にこなしている。
わが日本料理店から子どもたちを引き抜こうとした
某偽者日本料理店の責任者に感謝申し上げたい。
お陰さまで残った子どもたちが、本当に才能と能力を
発揮できる環境が出来、楽しんで仕事をしていると。
●ヒエウさんも退職騒動の後、明るく素直に調理の仕事をしている。
●チャンさんは自由人。
調理の仕事にも熱心に取り組んでいる。
●日本料理店の全ての指導をしてくれている「オアシスの会」の
大塚さん
午後8時半、晩餐会終了。全員で記念写真
2008年08月25日
JASSスタディーツアーとナムドン山岳地帯へ
8月27日(水)『読売新聞朝刊』に私やJASS関連の
記事が載ります。障害児支援関連。友人知人にお知らせを。
このところ、連日3つ~4つのスタディーツアーを受け入れている。
その案内だけでベトナム事務所はフル回転。
関係者からのメールを読む時間もない。やらなければならない
仕事、連絡も多いがなかなか期待に応えられる仕事になっていなく
心苦しい毎日である。ベトナム事務所関係者はかなり暑さの中
体力も消耗している。
関係者への返事の遅れ、仕事の遅滞など多々発生している。
関係者の皆様には心よりお詫びする次第である。
スタディーツアーが終わるのは10月01日。
あと1ヶ月間ほどは、休みなしの毎日である。スタディーツアーの
お世話などの収益は全て子どもたちや関係するスタッフに
関する費用となる。これもストリートチルドレン・障害児支援には
必要な活動である。
快晴
午前6時起床。体がだるい。「ハイリーホテル」5階で32度。
午前7時朝食。ブンボー。3分の1程度残す。
午前8時過ぎベトナム事務所へ。
午前8時45分、JASSスタディーツアーが投宿している
フォンザンホテルへ。
午前9時。バオミンさんと私でJASSスタディーツアーの
皆さん(8人)を案内してドンバ市場へ。既に外気温は
40度を越えている感じ。湿度も非常に高い。
1時間ほど、ドンバ市場で買い物。
午前10時半、ベトナム事務所へより昼食の「お弁当」
と水をもらい「ナムドン山岳地帯」へ。
日本料理店の店長リー君、大塚さん、税田さん、日本料理店の
子どもたちが午前7時半から出勤し、JASSスタディーツアーの
昼食の和食お弁当を作ってくれた。深謝。
車中1時間半。午後12時過ぎナムドン山岳地帯の
中腹に到着。レストランを借りて日本料理店の作った
お弁当を戴く。
「おむすび3つ・ゆで卵・鳥のから揚げ・野菜とピーナッツの
和え物」。デザートはランブータン(チョムチョム)。
若者用に良く工夫されている。大塚さんと子どもたち
で「研究工夫」したもの。本当に美味しかった。
昼食を食べ終わると、子どもたちと引率の加藤さんたちは
近くの市場に行く。私とバオミンさんは、お茶を飲んで休む。
午後1時、レストランを出てカトゥー族の村へ。
暑い中、カトゥー族の皆さんが歓迎の音楽を演奏し迎えて
くれた。
支援物資を持って歓迎会場へ
村長さんの歓迎の挨拶。
「カトゥー族のトゥオンロー村は世帯数120。人口560人」
とのこと。
JASSスタディーツアーから関東近辺の中学校で使っていた
卒業生の残した学校用シューズを寄贈。
合わせて、食料品を寄贈。
カトゥー族の若者が歓迎の踊りを踊る。
長老が、若者が若い女性に「愛を告白する」時に使う
フエとヤギの角笛を吹いてくれる。少数民族の皆さんは
「奥ゆかしい」。直接「好きだ」などと声をかける事は
はしたない行為と思っているようだ。近くで竹笛を吹いたり
ヤギの角笛を吹く事で「愛の告白」となるようだ。
もっともこれは、かなり以前の風習のように思われる。
次に日本側の出し物。
「どらえもん」などを歌う。
最後に日越の子どもたち同時でカトゥー族の伝統の
お祭りの踊りを踊る。
しばららく交流を続ける。
午後2時半過ぎ、村人と一緒に近くの滝に行く。
滝で自生のバナナやご馳走を食べ、交流を深める
午後3時半、ナムドンを後にする。
途中、私がひどい下痢に襲われる。昨日の豪雨の際、
気温が急に下がり「風を引いた」模様。
途中、バスを止めてもらい、古ぼけた喫茶店で用を足す。
午後5時20分、フエに戻る。
午後6時半から午後8時半まで日本料理店で夕食。
今晩のメニュー。大塚さんが中学生の男子向きに
特別のメニューを考えてくれる。
●パパイヤサラダ
●空芯菜の炒め物
●特製 ロールキャベツ
かなりの量の夕食を「完食」する
日本料理店スタッフの自己紹介
●店長のリー君と副店長・調理主任のトゥイーさん
●調理のヒエンさんとチャンさん
●接客主任のグエットさんと日本料理店責任者の大塚さん
大塚さんは(「オアシスの会」代表:同会は船上生活者の
医療支援を行っている)
最後にJASSスタディーツアー参加者の個々人の感想と反省。
森田団長の挨拶
加藤事務局長の感想発表
バオミンさんのJASSベトナム事務所としての感想発表
JASSスタディーツアーの夕食・反省会は午後8時半終了。
私は気分が悪くなり、ベトナム事務所で休息。
やはり風邪を引いたようだ。
午後9時過ぎ、「ハイリーホテル」へ帰る。
電動バイクの電気系統が故障。結局、こいで「ハイリーホテル」
まで帰る。
起きているのがつらい状況。
バオミンさんにベトナムの風邪薬(4種類)を買ってもらい、飲む。
効くのか効かないのかは結果を見なければ分からない。
2008年08月24日
全国大学生協スタディーツアー:JASSスタディーツアー
晴天 日中は外気温40度以上。夕方、大雨。
急に涼しくなる。
午前6時起床。1合のご飯を炊く。
昨日地球の歩き方ツアー夕食会で残ったおかずを
大塚さんや子どもたちがパックに詰めてくれた。
5勺のご飯と昨夜のおかずで朝食。
午前8時、「ハイリーホテル」を出て全国大学生協スタディーツアー
の泊まっているホテルへ。10分ほど待っても誰も出てこない。
今日、私と一緒に担当するハンさんも来ない。ホテルを間違えた
と思い、バオミンさんに電話。やはり間違えていた。
急いでTホテルへ。ハンさんが来ていた。
15人の参加者と一緒に「子どもの家」へ。
午前9時、「子どもの家」到着。
私の講演会を行う。私は毎回話の内容を変えている。
初めに話をしてみて、スタディーツアー参加者の反応を
見ながら話の内容を変えている。
1時間ちょっとの講演会を終わる。
ハンさんが、「子どもの家」の施設案内。
ハンさんの視察案内を聞いていると本当に慣れてきたと
いう実感を持つ。上手に「子どもの家」の各施設を説明している。
午前10時50分。子どもたちとの交流会。
セン運営委員長の歓迎の挨拶。
「子どもの家」の子どもたち。歓迎の踊りの出番を待っている。
いよいよ子どもたちの歓迎の踊り
大学生協スタディーツアー参加者の出し物。
子どもの幸せを願う歌と「大きな栗の木の下で」
午前11時半、子どもたちとの交流会を終わり、昼食へ。
ベトナムの伝統家庭料理。ハンさんと私で案内
午後1時前、「ハイリーホテル」へ帰る。
受信メールのチェック。必要なメールの送信。
午後3時、電動バイクで「ハイリーホテル」を出て
「子どもの家」へ。「子どもの家」では、JASSスタディーツアーの
皆さんが「夏祭り」の準備中。
「子どもの家」の子どもたちと一緒に協力しながら
夏祭りの準備をする。
子どもたちは「輪投げ」の練習
夏祭りの準備もひと段落。
子どもたちは庭でベトナム流のボール取りゲームの
興じていた。
台所付近ではJASSスタディーツアーの子どもたちが
「クレープ」の準備を進めていた。
午後4時頃、大スコール。
子どもたちは部屋で夏祭りの準備
職員室前では、クレープ作りが始る。クレープ作りの
専門家:加藤さんの指導でクレープを上手に作っていた。
今回のJASSスタディーツアーのバスの運転手は
私が14年前にフエ師範大学日本語クラスで日本語を
教えていた時、1年生20人を連れて1年の授業終了の
記念旅行でニャチャンーホーチミン市ーダラット旅行を
した。その時の運転手の弟さんである。
運転手の兄はその後、50歳の初めに癌で亡くなった。
弟の彼は当時26歳だった。それから14年ぶりに今日
「子どもの家」であった。40歳のお父さんになっていた。
時間の流れは早く、重みのあるものだ。
豪雨の中、子どもたちはJASSスタディーツアーの皆さんが
日本から持ってきた「シャボン玉の鉄砲」を楽しんでいた。
日越の子どもたちは「指差しベトナム語会話」を使って
それなりの会話を行っていた。
2008年08月23日
JASSスタディーツアー:地球の歩き方ツアー晩餐会
快晴 気温高し。
仕事をしなくても生活しているだけでエネルギーを消耗する毎日
である。
午前6時起床。
午前7時朝食。キャッサバ芋の「チャオバンカン」。
大塚さんはオアシスの会の船上生活者支援のため7時前に
出かける。
午前8時、ベトナム事務所へ。「ハイリーホテル」のパソコン
にウイルスが侵入し、この4日間ほど使えなかった。
業者を呼ぶ。私が不在中の部屋の見張りをハイ君に頼む。
ハイ君がパソコン業者の修理中、私の部屋で「監督」。
私はベトナム事務所でパソコンをしようとしたが、停電。
バオミンさんといくつかの問題で打ち合わせ。
昨日は4つのスタディーツアー、今日は3つ。
ベトナム事務所員全員が手分けして案内などを担当。
このところ、ベトナム事務所員が顔を合わせる機会が
少なくなっている。当面する最低限必要な打ち合わせを
行う。
ベトナム事務所が突然停電となったので再度「ハイリーホテル」
でボランティア貯金完了報告書を作成。
昼食。
午後2時半、JASSスタディーツアーの皆さんと
「ファン・ソン・ナム中学校」へ。
中学生との交流。
初めに森田団長の挨拶。
続いて、ファン・ソン・ナム中学の生徒と会議室で話し合い。
その後、校庭でゲームをして遊ぶ。
午後4時半に「ファン・ソン・ナム中学校」との交流を終える。
続いて、船上生活者の船の家庭を訪問、交流。
フエ市中心部を流れるフオン川には。8000人程度の
船上生活者がいる。100年、200年前から家族代々
の船上生活者多い。私たちは船上生活者の師弟の多くが
通っている「フールー小学校」を14年間にわたり支援している。
校舎増築、校庭の舗装、図書室寄贈、夜間の分校寄贈・・・。
今日は、フールー小学校校長先生の紹介で2つの船の
家庭を訪問。副校長先生、少年先鋒隊担当の先生も同行。
午後6時半。地球の歩き方2班の晩餐会。
全員がアオザイ姿で登場。
大阪から来た男子学生の発声で乾杯
2008年08月22日
神奈川県ツアー帰国・JASSツアーフエ着:小児白血病父母の会
快晴 外気温40度を越す
午前6時起床。体が動かない。
今日は4つのスタディーツアー。
地球の歩き方、神奈川県スタディーツアー、
JASSスタディーツアー、ACCL。
午前7時朝食。
大塚さんは「オアシスの会」主催の船上生活者医療支援のため
午前7時前に出かけている。
税田さんも仕事で7時前に「ハイリーホテル」を出た。
フォーを食べる。美味しい。これを食べると何故だか落ち着く。
午前9時前、ベトナム事務所へ。1階日本料理店では大塚さんと
子どもたちで23人前の和食弁当を作っていた。神奈川県の
スタディーツアーの皆さん(神奈川県教育委員会主催:
神奈川県青少年協会実施)の昼食用のお弁当。
午前9時過ぎ、「子どもの家」へ。
「子どもの家」には、「子どもの家」創立時から入所していた
メンさん(左)とユオンさんがいた。メンさんは、フエ経済大生・
ユオンさんはフエ教育大を7月に卒業。9月から小学校の
先生になる。
「子どもの家」では神奈川県青少年協会スタディーツアーの
最終日。「子どもの家」でのお別れ交流会が行われた。
●セン運営委員長のお別れ挨拶
●神奈川県青少年協会スタディーツアー団長の小松さんの挨拶
●小山、感謝の挨拶
●神奈川県の子どもたちのお別れの踊り
●神奈川県スタディーツアーの皆さんが補修してくれた
「子どもの家」の塀(絵を描いてくれた)の前で全員記念写真
神奈川県青少年協会スタディーツアーの皆さんは日本料理店の
お弁当を持ち、フエ空港へ。時間がないため、空港内で
日本料理店の「おむすび弁当」を。
直ぐにベトナム事務所に戻り、NHK制作部ディレクターの
方を案内し、「子どもの家」へ。「子どもの家」を案内し、
子どもたちと一緒に昼食を摂る。
午後1時「ハイリーホテル」へ戻る。
午後1時45分、フエ中央病院小児科へ。今日は、
ACCL(渡辺和代代表)が支援している『ベトナム中部小児
白血病父母の会』の総会がある。
ACCLは渡辺代表をはじめ、T医師・A医師・S鍼灸師・Aさん
Bさんなどが参加。
●小児白血病父母の会総会の看板
●ACCL渡辺和代代表の挨拶(通訳はベトナム事務所ハンさん)
●日本から参加の皆さん
●日本の医師などの皆さんが小児白血病についての知識、
患者の日常生活の諸注意(特に感染症に注意)などを
プロジェクターを使って説明。
ACCLの皆さんは、フエ中央病院小児白血病棟を子どもたちが
喜ぶような明るい部屋になるように動物の絵を貼ったり
千羽鶴を飾ったりときれいに模様替えをした。
患者の子どもたちの感染症を防ぐために歯ブラシ、歯磨き粉、
石鹸などを全員にプレゼント
最後の全員記念写真
毎年、こうして現地に着ての支援は立派なことである。
口では何でも言えるがこうして行動することには頭が下がる。
ACCLの皆さんがフエで活動することで多くの白血病の
子どもたちが助かっている。これからも引き続きのご支援を。
私がACCLの小児白血病プロジェクトのお手伝いをするのは
私の弟が16歳で白血病で死んでいるということも一因ではある。
「JASSスタディーツアー」の皆さんがフエに到着。
午後5時、「子どもの家」で夕食。
団長の森田さん、事務局長の加藤さん
●JASSスタディーツアーの参加の中学生など
●午後6時半から「JASSスタディーツアー」歓迎会
セン委員長歓迎の挨拶
「子どもの家」の子どもたちの歓迎の踊り
●JASSスタディーツアーからの出し物「猿かに合戦」
「子どもの家」の子どもたちに大うけ。筋が単純なこと、
勧善懲悪な内容が子どもたちに受けたようだ。
●関東周辺の中学校等で集めて「学校の体育館履き」などの
靴を子どもたちにプレゼント
JASSスタディーツアーとの交流会には、「子どもの家」の卒業生が
遊びに来ていた。丁度学校が夏休みということもあって。
●メンさんとトゥーイさん姉妹
二人は「子どもの家」が出来た時から兄と3人で入所。
両親が船が沈み亡くなったという家庭環境。
しかし、姉妹は努力家だ。「子どもの家」で一生懸命
勉強し、姉はベトナム中部で最高の経済学の大学「フエ経済大」
4年生。妹は、9月からフエ県トップの名門高グエンフエ高校から
ベトナム中部最大の名門大学フエ師範大の化学科・生物科と
二つの学科に合格し、化学科に入学した大学1年生。秀才姉妹。
姉妹の幸せを祈る。
●トゥオン君は「子どもの家」設立の初期に入所し、
中学校の終わりの頃急に「仏門に入りたい」と言い出し、
お寺に入門。現在フエ師範大生。仏教で使う漢字を勉強している。
立派なお坊さんになって庶民を救済して欲しい。
今日は4つのツアーと1人の訪問者の案内をした。
なかなか忙しい1日だった。
夜中、「ハイリーホテル」に着いた時には体が固まってしまった。
2008年08月21日
ACCLの皆さんとフエ中央病院小児科へ
晴天 気温40度以上。
数日前からパソコンにウイルスが入り起動しない。
火焔樹日記が書けない。
同時に訪問者が相次ぐ。今日は3つのスタディーツアー。
午前6時起床。疲れが溜まったのか起きられない。
午前7時朝食。フォー。
午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。その後、ACCLの
泊まっているホテルへ。代表の渡辺和代さんを
はじめ7人の皆さん・バオミンさんと一緒にフエ中央病院へ。
小児白血病病棟を視察。
フエ中央病院院長と30分ほど懇談。
ACCLの小児白血病の子どもたちへの支援に感謝するとの
言葉あり。
ACCLからは、渡辺和代代表、3人の医師、患者関係者などが参加。
日本から小児白血病患者のための各種の薬を持って来て
寄贈。
1時間半ほどACCLフエ滞在中のフエ中央病院
小児科白血病病棟での活動について打ち合わせ。
その後、再度、小児白血病病棟を視察。
午前11時50分、「ハイリーホテル」へ戻る。
昼食。
昼寝をする時間がないまま、ベトナム事務所へ。
10数年、在宅支援をているAさんがフエ外国語大学中国語学科
に合格したとの報告に来た。
A子さんは父親がいない。家が貧しく、障害の妹を持っている。
必死に働いている母親の収入も微々たるもの。
それでも家族3人で必死に生きていたこの10数年間の
結果が、長女の大学進学という夢を実現した。
JASSが「夢の実現」のほんの一部のお手伝いが出来たことに
感謝している。
午後2時、神奈川新聞の取材を受ける。2時間。
今後、7回ほどの連載記事を書くとのこと。
午後4時。ビーザー診療所看護師の息子さんの結婚式に
参加。大塚さん・税田さん・ハンさん・私。
ビーザー診療所は、オアシスの会の船上生活者支援を
行っている。毎週土曜日、フオン川の中州にあるフールー
小学校の分校である夜間学校を借りて、船上生活者の
健康診断・治療・投薬を無料で行っている。
新郎新婦を囲んで
新郎とオアシスの会の船上生活者支援に協力している
母親の看護師さん。
午後5時半、日本料理店へ戻る。子どもたちと日本語学校教師
の皆さんは夕食中。
大塚さん・税田さんと
3人でお客になり、日本料理を注文。味・盛り付け・接客等の
チェックを行う。
2008年08月19日
神奈川県スタディーツアーナムドン山岳地帯へ
朝から雨 夕方豪雨
午前5時起床。
昨日のバーベキュー大会の日記を書く。
午前7時、朝食。キャッサバの「チャオバンカン」。
午前8時からボランティア貯金完了報告書作成。
写真・地図への関係箇所の記入などを行う。完成までには
まだかなりの時間が必要。
午前9時半、電動バイクで神奈川県青少年協会のスタディーツアー
が投宿しているホテルへ。
皆さんと一緒にナムドン山岳少数民族の皆さんとの交流へ。
フエ市内から約70キロ。車で1時間半。
午前11時半、ナムドンの中心地に到着。昼食を摂る。
スタディーツアーの皆さんは中学生と高校生。
一部成人も。食欲の旺盛さに驚く。元気溌剌の皆さん。
昼食後、1時間ほど休憩し午後1時に昼食レストランを出発
しようとした時、雷と豪雨。
車で15分、カトゥー族の住んでいる「トゥオン・ロー村」に到着。
雨はまだ降り続いている。
交流会場近くまで車をつけてもらい、雨の中交流会場へ。
カトゥー族の皆さんが交流会場で歓迎
カトゥー族の皆さんに支援物資贈呈
たくさんの村民が集まっていた。
交流会が始る。
村長さんの歓迎の挨拶
カトゥー族の踊りを一緒に踊る
しばらくすると雨も止む。
交流会場前の庭で神奈川県スタディーツアーは
「ソーラン節」などの踊りを披露。村人の皆さんも
手拍子。
その後、雨上がりの庭で交流。
午後3時半、交流会を終えて帰宅との途へ。
午後5時、ホテル到着。途中で豪雨。
午後6時半、日本料理店で本物の日本料理を堪能。
税田さん・リー店長、グエット接客主任の出迎え。
大塚さんが若者用に作った「串揚げ」「コロッケ」。
本物の家庭料理の日本食である。
日本料理店スタッフの自己紹介。
日本料理店責任者の大塚さんの挨拶。
神奈川県青少年協会佐野さんより日本料理店へ記念品。
リー店長が代表して頂く。
●招き猫(千客万来:左手の手招き)
●ベトナム事務所へも招き猫を頂く。
右手の手招き(金運隆盛)
●午後8時半、日本料理店での会食を終了。
日本料理店前で全員の記念写真
その後、ベトナム事務所3階の刺繍みやげ物店で刺繍作品を
大量に買い上げてくれる。ありがたいことである。
午後9時過ぎ、日本料理店を後にする。
今日は午前9時半から午後9時半まで休みなしの仕事が
続いた。疲労の極地に達する。
睡眠導入剤として「男こそ顔だ」(大石静著:文春文庫)
2008年08月18日
恒例の「大バーベキュー大会」
快晴 夕方雷と雨
午前9時の「ハイリーホテル」5階の日陰36度。
午前5時起床。読書「文芸春秋2008年8月号」
『創価学会が脅えた私の「極秘メモ」矢野じゅん也著』
なかなか読み応えのある内容。1970年代・80年代
竹入委員長と矢野書記長のコンビは、公明党の顔だった。
藤原弘達の言論抑圧問題、共産党・創価学会協定など歴史的な
出来事に関与した二人である。
どんな事情があって、竹入元委員長と矢野書記長が
公明党・創価学会から人格を否定されるような攻撃が
加えられるのか?不思議であった。
矢野元書記長・委員長の本書の論文は抑制の効いた
理性的な内容と読み取った。公明党・創価学会側に
何か矢野氏の存在と過去の資料に「隠したいもの」が
あったのではないかと思える。
組織と言うものは恐ろしい本質を持っている。
組織内にいると「仲間」であるが、ひとたび、組織から
「問題者」との烙印を押されると、徹底的に排除され、
「悪魔」の烙印を押されてしまう。昨日まで仲間だった
竹入氏・矢野氏を創価学会・公明党は「悪の権化」と
機関紙で中傷する。組織とは本質的に「組織を守る」
という防衛本能がある。組織に不利益をもたらす人間は
矢野氏のように「意味もわからないうちに」糾弾され、
排除されてしまう。矢野氏は公明党を相手に裁判を
行っている。詳細は本書を。
「妻・曽野綾子がうつに罹った時」(三浦朱門)
率直な内容。二人の夫婦生活、親族との関係、
若いうちに文学賞をもらった綾子にとって、日本という
存在そのものが「ストレス」だったとのこと。
いつも海外に行くことを本能的に望んでいた綾子。
それを受け入れた朱門。
与謝野鉄幹(晶子の夫)の歌に「妻を娶らば才たけて
顔(みめ)うるわしくなさけある」というのがある。
朱門は「妻を娶らば 曽野綾子」といっているそうだ。
綾子は「妻を娶らば、曽野綾子 後は野となれ
山となれ」といっているとのこと。その程度が
うつの危機を乗り越える秘訣だと結んでいる。
午前7時、朝食。
午前8時、ボランティア貯金完了報告書作成。
午前9時半、ベトナム事務所へ。
バオミンさんと当面の諸問題を打ち合わせ。
午前11時45分、「ハイリーホテル」で昼食。
午前12時半、昼寝。1時間。
午後2時、ベトナム事務所へ。
午後4時、訪問者と懇談。1時間。
午後5時、「子どもの家」へ。「子どもの家」では
「恒例の大バーベキュー大会」が開かれる。
神奈川県青少年スタディーツアーも参加。
セン運営委員長の挨拶。
続いて私の挨拶。「今日のバーベキュー大会は
日本の支援者である内田さん・高橋さん・柳沢さん・景山さん
のご支援によるもの。皆さん、たくさん牛肉・鶏肉・豚肉を
食べて、暑いや夏を元気に過ごしましょう。8月20日からの
新年度に備えましょう」。
バーベキュー大会が始る。
「子どもの家」スタッフも楽しみにしているバーベキュー大会。
いよいよ「焼肉大会」が始る。
牛肉 15キロ
豚肉 20キロ
鶏肉 20キロ
10数年間「在宅支援」をしていた子が今年「フエ外国語大学中国語科」
に合格したとのこと。おめでとう。父親がいない。家が貧しく、JASS
からの在宅支援小中高校を卒業し、見事に大学に入れた。
これも長年のJASSの支援
ベトナム事務所員もバーベキュー大会を堪能していた。
「子どもの家」スタッフも恒例のバーベキュー大会を楽しみに
していた。
「子どもの家」の子どもたちを焼肉大会を待ちわびていた。
焼肉の煙の中、子どもたちも大人もつかの間の「焼き肉大会」
を楽しんでいた。
●日本料理店のグエットさんもミシン研修のヒエウさんも
●煙もなんのその
●ベトナム事務所・子どもの家「3大美人」かどうかはわからない。
●「飲むほどに 何故か 広がる 枯れすすき」(よちゃの ふそん)
●「一気飲み できなくなって はや 三十路?」(よちゃの 飽き子)
午後8時、バーベキュー大会は終了。同時に雷と雨。
改めて支援者の内田さん・高橋さん・柳沢さん・景山さんに
感謝。毎年、恒例の素晴らしい機会を作って頂き深謝。
2008年08月17日
神奈川県教育委員会青少年海外派遣スタディーツアー
快晴 午前7時「ハイリーホテル」5階の日陰35度。
午前5時起床。「阿修羅のごとく」(向田邦子著:文春文庫)
読了。
本書は、


















































































































































































































































































































