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2008年08月31日

大学生協講演会:地球の歩き方ホーチミン市へ

晴天  快晴  外気温40度を超える


起床午前7時。昨夜、地球の歩き方晩餐会で遅くなり、
その後、リー君とハイ君と午後10時半まで飲んだので
さすがに疲れが出て、起きられない。

朝食を作る時間がない。

午前7時45分、ベトナム事務所へ。TF(VIETNAM)
のI社長さんがベトナム事務所を訪問。
私がフエ師範大日本語クラスで教えた第1期生の
トン・アンさんが、10年前から勤めている
会社である。排水管関連の会社。

午前8時前社長とトン・アンさん、そしして
関係者の皆さんがやってくる。

ベトナム事務所でI社長さんと名刺交換。
I社長さんは日本国籍をもったベトナム人。1980年代
ボートピープルとして沖縄にたどり着いたという経歴を
もった方である。苦労されたことと思う。
若干話し合いをし、「子どもの家」へ案内する。
セン委員長と挨拶。各施設案内をする。

午前9時過ぎ、I社長さんたちは訪問を終わり、次の
仕事へ。「子どもの家」への寄付金を頂く。感謝。



教え子のトン・アンさんも15年たち結婚し、
6歳と4歳のお子さんがいると言う。時間の流れを
感じる。

午前9時、大学生協スタディーツアーの皆さん12人が
「子どもの家」へ。

はじめに「子どもの家」の子どもたちと文化交流会。

セン委員長の挨拶。

子どもたちの歓迎の踊り。





全国大学生協スタディーツアーの皆さんの出し物。
「エブラハムと00人のこども」を子どもたちと一緒に
踊る。



交流会終了後、バオミンさんが、大学生協の皆さんを
各施設へ案内・説明。


グエンフエ高校の理系で優秀な成績を残しているターオさん。
日曜でも勉強していた。


●どういう訳だか「ハイリーホテル」のハイ君とリー君が
 「子どもの家」に来ていた。やはり自分の帰る家は
 「子どもの家」なのだろうか?
  何もすることがない時は、よく「子どもの家」に来ている。
 「ハイリーホテル」警備員のハイ君の弟は、「子どもの家」
 から職業研修センターに通っている。


午前10時。私の講演会。2時間。
今日のようにに急激に気温があがると、体温も上昇する。
耳の中と外の気圧が微妙に変化するようで、こうした
気候の時には、耳が聞こえなくなる。正確には、
自分の声だけが大きく聞こえ、自分がどの程度の大きさの
声で話しているのかが全く分からなくなる。
いつもは、ジャーに氷と冷水を入れたものを持ってきている。
体温の急激な上昇の際には、「冷たい水」を飲むと耳の
異常もしばらくすると解消する。今日は、冷たい水がない
ため、ミネラルウオーターをたくさん飲み体温を下げる。
10分後には、何とか声がでるようになる。
日本ではめったに「発症」しない耳の現象だが、ベトナムでは
常習化しつつある。困ったものだ。6月に耳鼻科に行ったのだが
異常はないという。しかし、実際には、異常がでてくるのだが・・・。


「子どもの家」の成立、国際支援についての考えたかの
変遷。人生。生きること。人生の運ということ。人との出会い。



午後12時過ぎ、バオミンさんと大学生協の皆さんと
一緒に市内のベトナムレストランで昼食。

午後1時半、「ハイリーホテル」へ戻る。
今日は気温も高く、蒸し暑い。5時間ほど、この蒸し暑さの
中で活動するとさすがに疲労困憊。

「ハイリーホテル」で1時間半昼寝。

午後4時、「ハイリーホテル」を出て、地球の歩き方Ⅲ班の
泊まっているホテルへ。地球の歩き方Ⅲ班は今夜、フエ空港
からホーチミン市へ。

30人近くのお客さんを引率してのスタディーツアーは色々と
ハプニングも起こり、添乗員さんは大変である。
今回の添乗員さんは、接客の態度もよく、全体の運営、
ホテルなどへのクレームもしっかりとつけるなど、
なかなか良く仕事をしていた。

6日間のフエ滞在を満喫したスタディーツアー参加者。


最後に全員で記念写真


私は地球の歩き方スタディーツアーの皆さんと別れ、
夕食のコムディア(ベトナムほか弁)15000ドン(100円)
を買い、「ハイリーホテル」へ戻る。

午後6時から夕食。軽くフダビールを飲む。

7月22日からスタディーツアーが続いている。
今日の日曜日の仕事で8月17日・8月24日・8月31日
と3回連続、日曜日がない。ほぼ4週間連続しての
仕事が続いている。かなりきつい。
今日も「子どもの家」講演会前の15分間は
椅子を並べて寝ていた。あと1ヶ月間、スタディーツアー
は続く。スタディーツアーは、私たちJASSにとっても
子どもたち、「子どもの家」にとっても様々な意味で
大きな意義のあるものである。
今後、ベトナム事務所でスタディーツアーを担当する
スタッフなどの増員なども考える必要あり。
バオミンさんも同様に1ヶ月間ほど連続の仕事である。

読書「少女の器」(灰谷健次郎著:新潮文庫)
本書を読んで多少の違和感がある。今までの私の読んで
いる灰谷作品とは違う。どこが違うか考えて見た。
結局、この本は現実を見ずに「理屈」で書かれた本なので
リアリティーがないように思われる。何か空虚で、嘘の
ように感ずる。一人の作家が書く本は色々なものがあるのだろう。

投稿者 koyama : 18:53 | コメント (0)

2008年08月30日

獨協大学視察団案内:地球の歩き方Ⅲ班晩餐会

晴天  暑い


午前6時起床。

午前7時朝食。
ハイ君が「行方不明」。朝食にいない。

午前7時半、バオミンさんから電話。
今日、午前8時過ぎに「獨協大学」の学生が
ベトナム事務所に来ると言う。
朝食を急いで済ませ、ベトナム事務所へ。
午前8時半。獨協大学学生8人がベトナム事務所へ来る。

ベトナム事務所で「どんな話をすれば良いですか?」と
聞く。「私たち、分からないです。大学の先生に
行けと言われたの来たのですが・・・」。
「どんなところを見たのですが?」と聞く。
「わからない・・・・・?」との返事。ホーチミン市で
大学の先生と別れてしまい、自分たちは、先生に
JASS事務所に行けと言われたので来たのだとの
返事。困ってしまう。

若干話をし、それでは「子どもの家」を見学しますか?
と聞く。賛同を得たので、タクシーを2台呼び、
「縫製研修センター」を案内する。

新しい婦人ブラウスが出来ている。

「子どもの家」を案内する。



2時間ほど獨協大学の学生を案内。

ベトナム事務所には、日本料理店のAさんと母親を呼んでいる。
Aさんは、一昨日、自宅に泥棒が入り、貴金属類(祖母から預かっ
ているもの)を盗まれたとのこと。地元の警察はあまり真剣に
調査をしていないとの話を聞いたので、直接母娘を呼んで
盗難の状況を聞く。
亡くなった夫の母親の貴金属を夫の弟が預かっていたそうだ。
しかし、夫の弟は家を改築し、物騒なのでしばらく貴金属を
預かって欲しいと言われ、Aさんの家で預かっていた。

泥棒は1時間半ほどの間に貴金属だけを盗んでいった。
部屋は全くあらされていなかった。家の奥のたんすの
中の分からないところに隠してあっ貴金属だけが盗まれ、
他の場所には一切手をつけていないとのこと。
不思議な盗難事件である。一般的に言えば、家中を探し回り
貴重品を盗むのが泥棒。今回のAさん宅の泥棒は
最初から「特定の場所に隠してあった貴金属」だけを狙い撃ち
して盗んでいる。Aさんの夫の親戚から、Aさんのお母さんは
責められているとのこと。バオミンさん・大塚さんも同席。
母親からの話を聞いて、今後の対策を協議する。


昼食。

午後1時から1時間昼寝。

メールがかなり入っている。いくつものメールに返事。
10月に帰国するが、10月帰国日程の講演会などが
かなり埋まってきている。
今回は日本帰国前に3分の2ほどの日程が既に
埋まっているが、この15年間の経験からは初めてのこと。

ある長文の文書を書き上げ、JASS日本の関係者に
送信。

午後6時半、地球の歩き方Ⅲ班の晩餐会に出席。

バオミンさん・リー君のメニュー説明。



男子学生の乾杯の音頭で晩餐会は始る。





午後9時、地球の歩き方Ⅲ班の晩餐交流会は終わる。
交流会には、ベトナム事務所のフーン先生・中島先生・石上先生
バオミンさん・私が参加。料理は大塚さんと子どもたち。

午後9時半、日本料理店閉店。
リー君と一緒に帰る。「ハイリーホテル」に着き、リー君から
「先生、ヤギ肉で飲みしょう」と誘われる。
ハイ君も呼んで3人でヤギ肉で飲む。

私の好きな『豚肉』の揚げ物。


焼いたヤギ肉



私は10時半前に「ハイリーホテル」に戻る。
リー君とハイ君は引き続く飲む。


投稿者 koyama : 19:08 | コメント (0)

2008年08月29日

地球の歩き方Ⅲ班とナムドン山岳地帯へ

晴天

ナムドンは市内より更に暑い。午後、雷と雨。


午前5時起床。昨日の日記を書く。

午前7時朝食。フォー。


ある文書を関係者に送り意見を聞く。いくつかの意見が
届く。貴重な意見を取り入れ文書を仕上げる。

午前9時過ぎ、ベトナム事務所へ。ベトナム事務所で
バオミンさんといくつかの件について打ち合わせ。

JASS栃木の会(じゃむじゃむ)のビン君がベトナム事務所
を訪問。時間が取れたのでフエに来たとのこと。
明日から2週間ほどベトナム事務所で「日本語」を教えてもらう
ことにした。

地球の歩き方スタディーツアーの皆さんの
泊まっているホテルへ。
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんは今日、ナムドン
山岳少数民族との交流。

バオミンさんとナムドン「専門家」(自称)のリー君、私が
担当。
既にリー君はホテルに来ていた。既に「やる気満々」状態。

地球の歩き方・29人の参加者全員がホテルロビーに集合。

午前10時ホテルを出発。1時間半車に揺られ、ナムドンの
中腹に着く。午前11時半昼食。

ここでもリー君は配膳など熱心に体を動かし仕事をした。えらい。

午後1時。レストランを出発し、ナムドン山岳少数民族の村
トゥオンロー村へ。

車から支援物資を運び、交流会場へ。

いよいよ交流会。
はじめにカトゥー族の村長さんが、歓迎の挨拶。

続いて支援物資の贈呈式。衣類・食料品・医薬品など。



交流会場の庭には多くの村人が集まっていていた。

カトゥー族の皆さんの歓迎の踊り



お返しに日本側の出し物(幸せなら手を叩こう・・・・)



その後、カトゥー族の皆さんとスタディーツアー参加者と一緒に
カトゥー族のお祭りの踊りを楽しむ。

子どもたちも踊りに見入っていた。


その後、交流会場前庭で村人と交流。たくさんの村人が
集まっている。



そのうち、太い縄が出てきた。カトゥー族と日本人との
綱引き対決となる。両者とも必死。3回戦。
カトゥー族の2勝1敗。


雨が降ってきたので再度交流会場に入り、交流宴会。
いよいよリー君の出番・本番。カトゥー族手作りの
焼酎をみんなで飲む。日本の参加者には20歳未満の
飲酒は禁止と厳しく言う。

リー君は何度もカトゥー族の村に来ているので村人の
人気者になっている。あちこちで声をかけられる。焼酎も
大分入り、上機嫌。


カトゥー族の文芸団長も焼酎が効いて来たのか「踊りだす」。


午後4時。別れを惜しみながらナムドンを後にする。


午後5時半、フエ市内に戻る。地球の歩き方の皆さんは
今夜は自由行動。JASSベトナム事務所で作成した
フエ市内レストランマップを見ながら自由に食事にでかける。

午後7時半。私は地球の歩き方の添乗員さんと今後の
地球の歩き方スタディーツアーのあり方、今までの
反省などについて、真剣に討論する。


ナムドンの昼間は本当に暑かった。
1日ナムドンにいるとさすがに疲労が溜まる。
しかし、日本の若者が少数民族の皆さんとの
「心と心」の交流を通して何かを掴んでくれれば
心地よい疲れにと変わる。

午後9時。読書「少女の器」(灰谷健次郎著:新潮文庫)

姫井由美子民主党参院議員が「改革クラブ」参加を断念し、
民主党に残ると記者会見したそうだ。
その理由が振るっている。「新党(改革クラブ)は、
自民党による民主党切り崩しの受け皿だとわかった。」からだそうだ。
私はこのニュースをインターネットで見て、腹が立つ気持ちすらなくなった。
日本の政治家の質のあまりにもひどい低下・劣化を見た思いがした。
私のような政治に素人の人間でも「改革クラブ」が、そのうち自民党に
合流することは、分かりきったことである。その掲げた理念を
見れば、改革クラブが自民党の別働隊であることが分かる。
政治家と自称する姫井議員が改革クラブの旗揚げに賛同し、
旗揚げの記者会見の寸前まで改革クラブが自民党の別働隊で
あることすら分からなかったとは、情けない。
(政治家は言葉である。記者会見のことばがが全てだ)
この程度の人間がいる民主党自体がおよそこの程度の
政党なのである。民主党は姫井議員を除名すべきなのである。
除名理由は「政治家として無能」。
もっともこうした理由で民主党が議員を除名し始めると
民主党に残る議員がいなくなるという問題も残るが・・・・・。

投稿者 koyama : 19:56 | コメント (0)

2008年08月28日

受信メールの整理・必要な送信

晴天

午前6時起床。

下痢は収まる。

午前7時朝食。「精進料理ブン麺」。



午前中、この半月位の受信メール等の整理。
読売新聞朝刊についての何人かからのメールへの返信。

ある文書の作成。かなりの文書・資料等に目を通して作成。
関係者に送付。


昼食。

午後1時から1時間昼寝。熟睡。

午後2時から読書「少女の器」(灰谷健次郎著:新潮文庫)
今までの灰谷文学の中では一風変った小説。
離婚した両親と一人娘のやりとり。あまり深刻な所まで
入らない程度に筆を進めながら、離婚しそれぞれ新しい
パートナーを見つけ、更にその関係が破綻する家庭を
娘が冷静沈着に観察批評する場面が「微笑ましい」。

午後4時、日本からの「子どもの家」参観希望者が
ベトナム事務所に来ているとの連絡。
急いでベトナム事務所へ行く。埼玉県の中3の女性生徒と
母親。タクシーで「子どもの家」へ。「子どもの家」を案内。

「子どもの家」では子どもたちが地球の歩き方スタディーツアー
の皆さんと夕食を摂っていたい。

●ソン君が地球の歩き方スタディーツアーの皆さんを案内


午後5時過ぎ、埼玉県の参観希望者母子は帰宅。

地球の歩き方は、夕食終了後、シクロで投宿ホテルへ。


私はソン君のオートバイの後ろに乗ってホテルへ。

昨日、日本料理店の副店長の実家に泥棒が入ったそうだ。
今日、警察の現場検証があり副店長は日本料理店へ出勤できない
とのこと。
税田さんからの連絡で「今日は日本料理店は閉店」とのことだった。
夕食が日本料理店で食べられなくなってしまった。


夕方、地球の歩き方添乗員さんと「今後の地球の歩き方
スタディーツアーのあり方」「現在のスタディーツアーの問題点」
など業務上の打ち合わせをする。


午後8時過ぎ、「ハイリーホテル」へ。
午前中作成し関係者に送信した「ある文書」について、いくつかの
修正追加意見が届く。全てもっともな意見なので受け入れ、
書き直す。

投稿者 koyama : 16:26 | コメント (0)

2008年08月27日

地球の歩き方ツアーⅢ班:JASSスタディーツアーホーチミン市へ

非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)が
拉致され殺害されたことに強い憤りを感ずる。伊藤さんのご冥福を
お祈りする。

私たち海外NGOは大なり小なり「命の危機」を感じながら
活動をしている。殺人だけでなく、熱帯伝染病など
命に直結する危機を常に感じながらの活動である。
犯人を憎む。殺害された伊藤さんの父親は私と同い年。
父親と家族の気持ちを考えると心が痛む。
父親は『受け入れがたい』と言っているそうだ。その気持ちが
私には、よく分かる。

=========================

今日の読売新聞朝刊に私に関連する記事が
掲載された。
昨年、第35回読売新聞医療功労賞と厚生労働大臣表彰を
受賞している。その後の受賞者の活動という内容の記事である。



晴天

午前6時半起床。
疲労と睡眠不足で起きられず。

午前7時朝食。

午前7時半、「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所へ。
地球の歩き方第3班(30人)がベトナム事務所で
ベトナム事務所員と対面。

ベトナム事務所員の自己紹介



●地球の歩き方(旅行会社ピースインツアー)添乗員の方と
  参加者


30人のスタディーツアーはさすがに多い。


バス2台で「子どもの家」へ。午前8時半到着。
はじめに私の講演会。90分間の話をする。
15年間でたどり着いた海外支援とは?
人生とは人の出会いであるという二つのテーマを話す。




午前10時、講演会終了。

その後、ハンさんとソン君に別れて「子どもの家」の施設案内。

ソン君の視察案内に同行したが、なかなか案内の仕方がうまくなった。


ハンさんの施設案内

午前10時40分から「子どもの家」の歓迎会

最初にセン委員長の歓迎の挨拶(通訳はハンさん)



子どもたちの歓迎の踊り

●「軍人」という踊り。いかにもベトナムらしい軍事国家の出し物


「子どもの家」の仲間の踊りを楽しむ子どもたち

スタディーツアーの出し物は歌。「一つだけの花」(?)


午前11時半、「子どもの家」を出発し、市内のベトナムレストランへ。
昼食は「ミーサオ」。日本流に言えば「かたヤキソバ」。
野菜と肉がたっぷり入っている。


午後12時45分、投宿のホテルに戻る。
添乗員さんとソン君からホテルでの生活の緒注意。
「子どもの家」で子どもたちと交流する際の内容の確認などが
行われた。


午後1時過ぎ「ハイリーホテル」へ戻る。

久しぶりに昼寝。1時間。
その後、ある関係の長文を書き始める。


「ハイリーホテル」のインターネットが使えない。
プロバイダーのせいなのか? 理由は不明。

仕方がないのでベトナム事務所へ。

メールの受信。今日の読売新聞朝刊に出た私の記事について
多くの方々から「読売新聞を読んだ」との励ましの
言葉を頂く。皆様に感謝。

午後5時半、日本料理店の子どもたちと久しぶりの
夕食。

魚のフライのトマトケチャップ和え

午後7時過ぎ、ベトナム事務所である長文の続きを書く。

火炎樹日記を書こうとしたが、写真を取り込むコードを
「ハイリーホテル」に忘れてくる。
午後8時、日本料理店を出て「ハイリーホテル」へ戻る。

火炎樹日記を書く。

ある問題についての文書の続きを書く。

読書「男こそ顔だ」(大石静著:文春文庫)読了
私が大石静の名前を知ったのは、NHKテレビの朝の
連続ドラマ「二人っ子」だった。

本書は大石静のエッセー集。
米原万里のエッセーと比較すると、米原が「切れ味の良い
真剣」なら大石は「なまくらな刀」と言った感じ。
米原もかなり「下ネタ」が好きなほうだが、米原の下ネタが
博学と知識・教養がみなぎっているので、それほど嫌らしいさ
を感じない。大石の下ネタは

投稿者 koyama : 18:39 | コメント (0)

2008年08月26日

JASSスタディーツアー講演会:大学生協ツアー晩餐会

8月27日(水)『読売新聞朝刊』に私やJASS関連の
記事が載ります。障害児支援関連。友人知人にお知らせを。


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快晴

午前6時起床。体がだるい。喉痛・下痢。風邪の症状。

午前7時朝食。
ブンボー。本物は美味しい。



昨夜バオミンさんに買って来てもらった風邪薬を飲む。


午前中、2007年ボランティア貯金完了報告書の最終チェック。
約3万字の文章の内容を最終的にチェックする。
この数週間、この報告書作りに追われた。1年間の
障害児医療センターの活動、障害児父母の会の活動、
「縫製研修センター」の活動、「アクセサリー研修センター」の
活動などの詳細を報告。活動の経過、成果、問題点、
地元の評価など・・・・・を文章にまとめ、必要な写真(38枚)を
添付した。

昼前最終的な確認を終わり、日本の山西さん・渡辺さんに
メールで送信。写真38枚は5回に分けて送信した。
一応、確認のためベトナム事務所にもCCで送信した。
どうしても5回目の送信がベトナム事務所に入っていない。
何度か試みたが、プロバイダーの何らかの『事情』あり。
個人YAHOOで送ったが、やはり半分がベトナム事務所では受信
出来なかった。それでも何とか、この半月、作成の力を入れた
完了報告書(400字詰め原稿用紙70枚程度)が完成し、
日本の担当者に送信できて正直ほっとしている。
たくさんのスタディーツアーの合間を縫って書き上げた報告書である。

昼食。

豚肉と厚揚げの甘辛煮、瓜の落花生和え、野菜スープ。



午後2時過ぎ、電動バイク(ソン君が直してくれた)で
「子どもの家」へ。

JASSスタディーツアーの皆さんに1時間ほどベトナムでの
活動について話す。風邪で声が「ガラガラ」状態。
1時間話をしたら、声がかすれてしまった。



その後、森田さんと「JASS青少年教育の会」や心臓病の
話など。

JASSスタディーツアー参加の中学生とこどもたちとの
交流。




案内担当のハンさんとこどもたち

「子どもの家」のこどもたちがJASSツアーの演じた
「さるかに合戦」の寸劇をもう一度見たいという。
JASSツアーの中学生の皆さんが再演。

案内かかりのソン君が地球の歩き方ツアーⅢの出迎え
のためフエ空港へ。
JASSスタディーツアーのこどもたちとお別れの挨拶



午後5時過ぎ「子どもの家」を出て、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所でメールの受信をチェック。
いくつかの大事なメールが入っていたい。急いで
返事を出す。

午後6時半、全国大学生協スタディーツアーの皆さんと
日本料理店で夕食会。

リー店長・グエット副店長から今日のメニューの紹介


接客主任のグエットさんが書いた「今日のメニュー」。
こうしたメニューを書くのも子どもたちの勉強であり成長でも
ある。

●乾杯



全国大学生協スタディーツアー晩餐会終盤。

リー店長とグエット接客主任のメニュー紹介


日本料理店スタッフの紹介。

リー店長の自己紹介。リー君は店長になって1ヶ月ちょっと。
いつ「駄目になるか?」などと思っていたが、今日まで頑張って
いる。以前はお昼にギャンブルをしたり、飲酒をして問題を
起こすことが多かった。しかし、店長になってからは、その種の
問題を一回も起こしていない。自覚が出てきた。
子どもを育てると言うことは、自覚と促すこと以外に方法はない。
本人がいかにやる気になるかを引き出す作業が「教育」、
人間を育てるということである。

●THUY副店長・調理主任
  調理主任になって人間が変った。落ち着き、大人になった。
  仕事に対する責任感が強くなり、美味しい日本料理を作ると
  いう「自覚」が強くなってきた。


●グエット接客主任
  今まではH店長の下で仕事をしていたが、H店長が
  某偽日本料理店の引き抜きにあい、退職、結局
  就職も出来なかった。
  そのお陰でグエットさんは接客主任になった。
   今まで頭を抑えられていたのだが能力を持った子である。
  計算から注文を取ることなど立派にこなしている。
   わが日本料理店から子どもたちを引き抜こうとした
  某偽者日本料理店の責任者に感謝申し上げたい。
  お陰さまで残った子どもたちが、本当に才能と能力を
  発揮できる環境が出来、楽しんで仕事をしていると。


●ヒエウさんも退職騒動の後、明るく素直に調理の仕事をしている。


●チャンさんは自由人。
 調理の仕事にも熱心に取り組んでいる。


●日本料理店の全ての指導をしてくれている「オアシスの会」の
 大塚さん

午後8時半、晩餐会終了。全員で記念写真


投稿者 koyama : 16:04 | コメント (0)

2008年08月25日

JASSスタディーツアーとナムドン山岳地帯へ

8月27日(水)『読売新聞朝刊』に私やJASS関連の
記事が載ります。障害児支援関連。友人知人にお知らせを。


このところ、連日3つ~4つのスタディーツアーを受け入れている。
その案内だけでベトナム事務所はフル回転。
関係者からのメールを読む時間もない。やらなければならない
仕事、連絡も多いがなかなか期待に応えられる仕事になっていなく
心苦しい毎日である。ベトナム事務所関係者はかなり暑さの中
体力も消耗している。
関係者への返事の遅れ、仕事の遅滞など多々発生している。
関係者の皆様には心よりお詫びする次第である。
スタディーツアーが終わるのは10月01日。
あと1ヶ月間ほどは、休みなしの毎日である。スタディーツアーの
お世話などの収益は全て子どもたちや関係するスタッフに
関する費用となる。これもストリートチルドレン・障害児支援には
必要な活動である。


快晴

午前6時起床。体がだるい。「ハイリーホテル」5階で32度。

午前7時朝食。ブンボー。3分の1程度残す。

午前8時過ぎベトナム事務所へ。

午前8時45分、JASSスタディーツアーが投宿している
フォンザンホテルへ。

午前9時。バオミンさんと私でJASSスタディーツアーの
皆さん(8人)を案内してドンバ市場へ。既に外気温は
40度を越えている感じ。湿度も非常に高い。
1時間ほど、ドンバ市場で買い物。

午前10時半、ベトナム事務所へより昼食の「お弁当」
と水をもらい「ナムドン山岳地帯」へ。
日本料理店の店長リー君、大塚さん、税田さん、日本料理店の
子どもたちが午前7時半から出勤し、JASSスタディーツアーの
昼食の和食お弁当を作ってくれた。深謝。


車中1時間半。午後12時過ぎナムドン山岳地帯の
中腹に到着。レストランを借りて日本料理店の作った
お弁当を戴く。


「おむすび3つ・ゆで卵・鳥のから揚げ・野菜とピーナッツの
和え物」。デザートはランブータン(チョムチョム)。
若者用に良く工夫されている。大塚さんと子どもたち
で「研究工夫」したもの。本当に美味しかった。


昼食を食べ終わると、子どもたちと引率の加藤さんたちは
近くの市場に行く。私とバオミンさんは、お茶を飲んで休む。

午後1時、レストランを出てカトゥー族の村へ。
暑い中、カトゥー族の皆さんが歓迎の音楽を演奏し迎えて
くれた。


支援物資を持って歓迎会場へ

村長さんの歓迎の挨拶。

「カトゥー族のトゥオンロー村は世帯数120。人口560人」
とのこと。


JASSスタディーツアーから関東近辺の中学校で使っていた
卒業生の残した学校用シューズを寄贈。

合わせて、食料品を寄贈。



カトゥー族の若者が歓迎の踊りを踊る。

長老が、若者が若い女性に「愛を告白する」時に使う
フエとヤギの角笛を吹いてくれる。少数民族の皆さんは
「奥ゆかしい」。直接「好きだ」などと声をかける事は
はしたない行為と思っているようだ。近くで竹笛を吹いたり
ヤギの角笛を吹く事で「愛の告白」となるようだ。
もっともこれは、かなり以前の風習のように思われる。


次に日本側の出し物。

「どらえもん」などを歌う。





最後に日越の子どもたち同時でカトゥー族の伝統の
お祭りの踊りを踊る。


しばららく交流を続ける。


午後2時半過ぎ、村人と一緒に近くの滝に行く。



滝で自生のバナナやご馳走を食べ、交流を深める




午後3時半、ナムドンを後にする。

途中、私がひどい下痢に襲われる。昨日の豪雨の際、
気温が急に下がり「風を引いた」模様。
途中、バスを止めてもらい、古ぼけた喫茶店で用を足す。

午後5時20分、フエに戻る。

午後6時半から午後8時半まで日本料理店で夕食。


今晩のメニュー。大塚さんが中学生の男子向きに
特別のメニューを考えてくれる。




●パパイヤサラダ


●空芯菜の炒め物


●特製 ロールキャベツ



かなりの量の夕食を「完食」する


日本料理店スタッフの自己紹介


●店長のリー君と副店長・調理主任のトゥイーさん


●調理のヒエンさんとチャンさん


●接客主任のグエットさんと日本料理店責任者の大塚さん
 大塚さんは(「オアシスの会」代表:同会は船上生活者の
 医療支援を行っている)



最後にJASSスタディーツアー参加者の個々人の感想と反省。


森田団長の挨拶

加藤事務局長の感想発表



バオミンさんのJASSベトナム事務所としての感想発表



JASSスタディーツアーの夕食・反省会は午後8時半終了。

私は気分が悪くなり、ベトナム事務所で休息。
やはり風邪を引いたようだ。

午後9時過ぎ、「ハイリーホテル」へ帰る。
電動バイクの電気系統が故障。結局、こいで「ハイリーホテル」
まで帰る。

起きているのがつらい状況。

バオミンさんにベトナムの風邪薬(4種類)を買ってもらい、飲む。
効くのか効かないのかは結果を見なければ分からない。


投稿者 koyama : 20:06 | コメント (0)

2008年08月24日

全国大学生協スタディーツアー:JASSスタディーツアー

晴天  日中は外気温40度以上。夕方、大雨。
     急に涼しくなる。


午前6時起床。1合のご飯を炊く。
昨日地球の歩き方ツアー夕食会で残ったおかずを
大塚さんや子どもたちがパックに詰めてくれた。
5勺のご飯と昨夜のおかずで朝食。

午前8時、「ハイリーホテル」を出て全国大学生協スタディーツアー
の泊まっているホテルへ。10分ほど待っても誰も出てこない。
今日、私と一緒に担当するハンさんも来ない。ホテルを間違えた
と思い、バオミンさんに電話。やはり間違えていた。
急いでTホテルへ。ハンさんが来ていた。

15人の参加者と一緒に「子どもの家」へ。

午前9時、「子どもの家」到着。
私の講演会を行う。私は毎回話の内容を変えている。
初めに話をしてみて、スタディーツアー参加者の反応を
見ながら話の内容を変えている。

1時間ちょっとの講演会を終わる。
ハンさんが、「子どもの家」の施設案内。
ハンさんの視察案内を聞いていると本当に慣れてきたと
いう実感を持つ。上手に「子どもの家」の各施設を説明している。

午前10時50分。子どもたちとの交流会。

セン運営委員長の歓迎の挨拶。



「子どもの家」の子どもたち。歓迎の踊りの出番を待っている。



いよいよ子どもたちの歓迎の踊り



大学生協スタディーツアー参加者の出し物。
子どもの幸せを願う歌と「大きな栗の木の下で」

午前11時半、子どもたちとの交流会を終わり、昼食へ。

ベトナムの伝統家庭料理。ハンさんと私で案内

午後1時前、「ハイリーホテル」へ帰る。
受信メールのチェック。必要なメールの送信。


午後3時、電動バイクで「ハイリーホテル」を出て
「子どもの家」へ。「子どもの家」では、JASSスタディーツアーの
皆さんが「夏祭り」の準備中。



「子どもの家」の子どもたちと一緒に協力しながら
夏祭りの準備をする。

子どもたちは「輪投げ」の練習

夏祭りの準備もひと段落。
子どもたちは庭でベトナム流のボール取りゲームの
興じていた。



台所付近ではJASSスタディーツアーの子どもたちが
「クレープ」の準備を進めていた。

午後4時頃、大スコール。

子どもたちは部屋で夏祭りの準備


職員室前では、クレープ作りが始る。クレープ作りの
専門家:加藤さんの指導でクレープを上手に作っていた。






今回のJASSスタディーツアーのバスの運転手は
私が14年前にフエ師範大学日本語クラスで日本語を
教えていた時、1年生20人を連れて1年の授業終了の
記念旅行でニャチャンーホーチミン市ーダラット旅行を
した。その時の運転手の弟さんである。
運転手の兄はその後、50歳の初めに癌で亡くなった。
弟の彼は当時26歳だった。それから14年ぶりに今日
「子どもの家」であった。40歳のお父さんになっていた。
時間の流れは早く、重みのあるものだ。


豪雨の中、子どもたちはJASSスタディーツアーの皆さんが
日本から持ってきた「シャボン玉の鉄砲」を楽しんでいた。

日越の子どもたちは「指差しベトナム語会話」を使って
それなりの会話を行っていた。

投稿者 koyama : 19:51 | コメント (0)

2008年08月23日

JASSスタディーツアー:地球の歩き方ツアー晩餐会

快晴   気温高し。

仕事をしなくても生活しているだけでエネルギーを消耗する毎日
である。

午前6時起床。

午前7時朝食。キャッサバ芋の「チャオバンカン」。
大塚さんはオアシスの会の船上生活者支援のため7時前に
出かける。



午前8時、ベトナム事務所へ。「ハイリーホテル」のパソコン
にウイルスが侵入し、この4日間ほど使えなかった。
業者を呼ぶ。私が不在中の部屋の見張りをハイ君に頼む。
ハイ君がパソコン業者の修理中、私の部屋で「監督」。

私はベトナム事務所でパソコンをしようとしたが、停電。
バオミンさんといくつかの問題で打ち合わせ。

昨日は4つのスタディーツアー、今日は3つ。
ベトナム事務所員全員が手分けして案内などを担当。
このところ、ベトナム事務所員が顔を合わせる機会が
少なくなっている。当面する最低限必要な打ち合わせを
行う。

ベトナム事務所が突然停電となったので再度「ハイリーホテル」
でボランティア貯金完了報告書を作成。

昼食。

午後2時半、JASSスタディーツアーの皆さんと
「ファン・ソン・ナム中学校」へ。
中学生との交流。

初めに森田団長の挨拶。


続いて、ファン・ソン・ナム中学の生徒と会議室で話し合い。


その後、校庭でゲームをして遊ぶ。




午後4時半に「ファン・ソン・ナム中学校」との交流を終える。
続いて、船上生活者の船の家庭を訪問、交流。
フエ市中心部を流れるフオン川には。8000人程度の
船上生活者がいる。100年、200年前から家族代々
の船上生活者多い。私たちは船上生活者の師弟の多くが
通っている「フールー小学校」を14年間にわたり支援している。
校舎増築、校庭の舗装、図書室寄贈、夜間の分校寄贈・・・。
今日は、フールー小学校校長先生の紹介で2つの船の
家庭を訪問。副校長先生、少年先鋒隊担当の先生も同行。




午後6時半。地球の歩き方2班の晩餐会。
全員がアオザイ姿で登場。


大阪から来た男子学生の発声で乾杯


投稿者 koyama : 20:02 | コメント (0)

2008年08月22日

神奈川県ツアー帰国・JASSツアーフエ着:小児白血病父母の会

快晴  外気温40度を越す

午前6時起床。体が動かない。

今日は4つのスタディーツアー。
地球の歩き方、神奈川県スタディーツアー、
JASSスタディーツアー、ACCL。

午前7時朝食。
大塚さんは「オアシスの会」主催の船上生活者医療支援のため
午前7時前に出かけている。
税田さんも仕事で7時前に「ハイリーホテル」を出た。

フォーを食べる。美味しい。これを食べると何故だか落ち着く。


午前9時前、ベトナム事務所へ。1階日本料理店では大塚さんと
子どもたちで23人前の和食弁当を作っていた。神奈川県の
スタディーツアーの皆さん(神奈川県教育委員会主催:
神奈川県青少年協会実施)の昼食用のお弁当。

午前9時過ぎ、「子どもの家」へ。
「子どもの家」には、「子どもの家」創立時から入所していた
メンさん(左)とユオンさんがいた。メンさんは、フエ経済大生・
ユオンさんはフエ教育大を7月に卒業。9月から小学校の
先生になる。


「子どもの家」では神奈川県青少年協会スタディーツアーの
最終日。「子どもの家」でのお別れ交流会が行われた。

●セン運営委員長のお別れ挨拶

●神奈川県青少年協会スタディーツアー団長の小松さんの挨拶


●小山、感謝の挨拶

●神奈川県の子どもたちのお別れの踊り

●神奈川県スタディーツアーの皆さんが補修してくれた
 「子どもの家」の塀(絵を描いてくれた)の前で全員記念写真


神奈川県青少年協会スタディーツアーの皆さんは日本料理店の
お弁当を持ち、フエ空港へ。時間がないため、空港内で
日本料理店の「おむすび弁当」を。

直ぐにベトナム事務所に戻り、NHK制作部ディレクターの
方を案内し、「子どもの家」へ。「子どもの家」を案内し、
子どもたちと一緒に昼食を摂る。

午後1時「ハイリーホテル」へ戻る。
午後1時45分、フエ中央病院小児科へ。今日は、
ACCL(渡辺和代代表)が支援している『ベトナム中部小児
白血病父母の会』の総会がある。
ACCLは渡辺代表をはじめ、T医師・A医師・S鍼灸師・Aさん
Bさんなどが参加。

●小児白血病父母の会総会の看板

●ACCL渡辺和代代表の挨拶(通訳はベトナム事務所ハンさん)

●日本から参加の皆さん


●日本の医師などの皆さんが小児白血病についての知識、
  患者の日常生活の諸注意(特に感染症に注意)などを
  プロジェクターを使って説明。

ACCLの皆さんは、フエ中央病院小児白血病棟を子どもたちが
喜ぶような明るい部屋になるように動物の絵を貼ったり
千羽鶴を飾ったりときれいに模様替えをした。


患者の子どもたちの感染症を防ぐために歯ブラシ、歯磨き粉、
石鹸などを全員にプレゼント

最後の全員記念写真


毎年、こうして現地に着ての支援は立派なことである。
口では何でも言えるがこうして行動することには頭が下がる。
ACCLの皆さんがフエで活動することで多くの白血病の
子どもたちが助かっている。これからも引き続きのご支援を。

私がACCLの小児白血病プロジェクトのお手伝いをするのは
私の弟が16歳で白血病で死んでいるということも一因ではある。

「JASSスタディーツアー」の皆さんがフエに到着。
午後5時、「子どもの家」で夕食。

団長の森田さん、事務局長の加藤さん


●JASSスタディーツアーの参加の中学生など

●午後6時半から「JASSスタディーツアー」歓迎会

セン委員長歓迎の挨拶

「子どもの家」の子どもたちの歓迎の踊り

●JASSスタディーツアーからの出し物「猿かに合戦」
 「子どもの家」の子どもたちに大うけ。筋が単純なこと、
 勧善懲悪な内容が子どもたちに受けたようだ。


●関東周辺の中学校等で集めて「学校の体育館履き」などの
 靴を子どもたちにプレゼント


JASSスタディーツアーとの交流会には、「子どもの家」の卒業生が
遊びに来ていた。丁度学校が夏休みということもあって。

●メンさんとトゥーイさん姉妹

 二人は「子どもの家」が出来た時から兄と3人で入所。
 両親が船が沈み亡くなったという家庭環境。
 しかし、姉妹は努力家だ。「子どもの家」で一生懸命
 勉強し、姉はベトナム中部で最高の経済学の大学「フエ経済大」
 4年生。妹は、9月からフエ県トップの名門高グエンフエ高校から
 ベトナム中部最大の名門大学フエ師範大の化学科・生物科と
 二つの学科に合格し、化学科に入学した大学1年生。秀才姉妹。
 姉妹の幸せを祈る。

●トゥオン君は「子どもの家」設立の初期に入所し、
 中学校の終わりの頃急に「仏門に入りたい」と言い出し、
 お寺に入門。現在フエ師範大生。仏教で使う漢字を勉強している。
  立派なお坊さんになって庶民を救済して欲しい。


 


今日は4つのツアーと1人の訪問者の案内をした。
なかなか忙しい1日だった。
夜中、「ハイリーホテル」に着いた時には体が固まってしまった。

投稿者 koyama : 12:38 | コメント (0)

2008年08月21日

ACCLの皆さんとフエ中央病院小児科へ

晴天   気温40度以上。

数日前からパソコンにウイルスが入り起動しない。
火焔樹日記が書けない。
同時に訪問者が相次ぐ。今日は3つのスタディーツアー。


午前6時起床。疲れが溜まったのか起きられない。

午前7時朝食。フォー。


午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。その後、ACCLの
泊まっているホテルへ。代表の渡辺和代さんを
はじめ7人の皆さん・バオミンさんと一緒にフエ中央病院へ。

小児白血病病棟を視察。

フエ中央病院院長と30分ほど懇談。

ACCLの小児白血病の子どもたちへの支援に感謝するとの
言葉あり。

ACCLからは、渡辺和代代表、3人の医師、患者関係者などが参加。


日本から小児白血病患者のための各種の薬を持って来て
寄贈。


1時間半ほどACCLフエ滞在中のフエ中央病院
小児科白血病病棟での活動について打ち合わせ。


その後、再度、小児白血病病棟を視察。


午前11時50分、「ハイリーホテル」へ戻る。

昼食。


昼寝をする時間がないまま、ベトナム事務所へ。
10数年、在宅支援をているAさんがフエ外国語大学中国語学科
に合格したとの報告に来た。
A子さんは父親がいない。家が貧しく、障害の妹を持っている。
必死に働いている母親の収入も微々たるもの。
それでも家族3人で必死に生きていたこの10数年間の
結果が、長女の大学進学という夢を実現した。
JASSが「夢の実現」のほんの一部のお手伝いが出来たことに
感謝している。



午後2時、神奈川新聞の取材を受ける。2時間。
今後、7回ほどの連載記事を書くとのこと。

午後4時。ビーザー診療所看護師の息子さんの結婚式に
参加。大塚さん・税田さん・ハンさん・私。
ビーザー診療所は、オアシスの会の船上生活者支援を
行っている。毎週土曜日、フオン川の中州にあるフールー
小学校の分校である夜間学校を借りて、船上生活者の
健康診断・治療・投薬を無料で行っている。



新郎新婦を囲んで


新郎とオアシスの会の船上生活者支援に協力している
母親の看護師さん。

午後5時半、日本料理店へ戻る。子どもたちと日本語学校教師
の皆さんは夕食中。


大塚さん・税田さんと
3人でお客になり、日本料理を注文。味・盛り付け・接客等の
チェックを行う。

投稿者 koyama : 10:37 | コメント (0)

2008年08月19日

神奈川県スタディーツアーナムドン山岳地帯へ

朝から雨  夕方豪雨

午前5時起床。
昨日のバーベキュー大会の日記を書く。

午前7時、朝食。キャッサバの「チャオバンカン」。


午前8時からボランティア貯金完了報告書作成。
写真・地図への関係箇所の記入などを行う。完成までには
まだかなりの時間が必要。

午前9時半、電動バイクで神奈川県青少年協会のスタディーツアー
が投宿しているホテルへ。
皆さんと一緒にナムドン山岳少数民族の皆さんとの交流へ。
フエ市内から約70キロ。車で1時間半。

午前11時半、ナムドンの中心地に到着。昼食を摂る。
スタディーツアーの皆さんは中学生と高校生。
一部成人も。食欲の旺盛さに驚く。元気溌剌の皆さん。



昼食後、1時間ほど休憩し午後1時に昼食レストランを出発
しようとした時、雷と豪雨。



車で15分、カトゥー族の住んでいる「トゥオン・ロー村」に到着。
雨はまだ降り続いている。
交流会場近くまで車をつけてもらい、雨の中交流会場へ。


カトゥー族の皆さんが交流会場で歓迎


カトゥー族の皆さんに支援物資贈呈



たくさんの村民が集まっていた。


交流会が始る。


村長さんの歓迎の挨拶

カトゥー族の踊りを一緒に踊る




しばらくすると雨も止む。

交流会場前の庭で神奈川県スタディーツアーは
「ソーラン節」などの踊りを披露。村人の皆さんも
手拍子。


その後、雨上がりの庭で交流。

午後3時半、交流会を終えて帰宅との途へ。


午後5時、ホテル到着。途中で豪雨。


午後6時半、日本料理店で本物の日本料理を堪能。
税田さん・リー店長、グエット接客主任の出迎え。


大塚さんが若者用に作った「串揚げ」「コロッケ」。
本物の家庭料理の日本食である。



日本料理店スタッフの自己紹介。


日本料理店責任者の大塚さんの挨拶。

神奈川県青少年協会佐野さんより日本料理店へ記念品。
リー店長が代表して頂く。


●招き猫(千客万来:左手の手招き)


●ベトナム事務所へも招き猫を頂く。
  右手の手招き(金運隆盛)

●午後8時半、日本料理店での会食を終了。
日本料理店前で全員の記念写真


その後、ベトナム事務所3階の刺繍みやげ物店で刺繍作品を
大量に買い上げてくれる。ありがたいことである。

午後9時過ぎ、日本料理店を後にする。

今日は午前9時半から午後9時半まで休みなしの仕事が
続いた。疲労の極地に達する。

睡眠導入剤として「男こそ顔だ」(大石静著:文春文庫)

投稿者 koyama : 19:20 | コメント (0)

2008年08月18日

恒例の「大バーベキュー大会」

快晴  夕方雷と雨

午前9時の「ハイリーホテル」5階の日陰36度。

午前5時起床。読書「文芸春秋2008年8月号」
『創価学会が脅えた私の「極秘メモ」矢野じゅん也著』
なかなか読み応えのある内容。1970年代・80年代
竹入委員長と矢野書記長のコンビは、公明党の顔だった。
藤原弘達の言論抑圧問題、共産党・創価学会協定など歴史的な
出来事に関与した二人である。
どんな事情があって、竹入元委員長と矢野書記長が
公明党・創価学会から人格を否定されるような攻撃が
加えられるのか?不思議であった。
矢野元書記長・委員長の本書の論文は抑制の効いた
理性的な内容と読み取った。公明党・創価学会側に
何か矢野氏の存在と過去の資料に「隠したいもの」が
あったのではないかと思える。
組織と言うものは恐ろしい本質を持っている。
組織内にいると「仲間」であるが、ひとたび、組織から
「問題者」との烙印を押されると、徹底的に排除され、
「悪魔」の烙印を押されてしまう。昨日まで仲間だった
竹入氏・矢野氏を創価学会・公明党は「悪の権化」と
機関紙で中傷する。組織とは本質的に「組織を守る」
という防衛本能がある。組織に不利益をもたらす人間は
矢野氏のように「意味もわからないうちに」糾弾され、
排除されてしまう。矢野氏は公明党を相手に裁判を
行っている。詳細は本書を。


「妻・曽野綾子がうつに罹った時」(三浦朱門)
率直な内容。二人の夫婦生活、親族との関係、
若いうちに文学賞をもらった綾子にとって、日本という
存在そのものが「ストレス」だったとのこと。
いつも海外に行くことを本能的に望んでいた綾子。
それを受け入れた朱門。
与謝野鉄幹(晶子の夫)の歌に「妻を娶らば才たけて
顔(みめ)うるわしくなさけある」というのがある。
朱門は「妻を娶らば 曽野綾子」といっているそうだ。
綾子は「妻を娶らば、曽野綾子 後は野となれ
山となれ」といっているとのこと。その程度が
うつの危機を乗り越える秘訣だと結んでいる。

午前7時、朝食。

午前8時、ボランティア貯金完了報告書作成。

午前9時半、ベトナム事務所へ。
バオミンさんと当面の諸問題を打ち合わせ。

午前11時45分、「ハイリーホテル」で昼食。

午前12時半、昼寝。1時間。

午後2時、ベトナム事務所へ。

午後4時、訪問者と懇談。1時間。

午後5時、「子どもの家」へ。「子どもの家」では
「恒例の大バーベキュー大会」が開かれる。
神奈川県青少年スタディーツアーも参加。

セン運営委員長の挨拶。
続いて私の挨拶。「今日のバーベキュー大会は
日本の支援者である内田さん・高橋さん・柳沢さん・景山さん
のご支援によるもの。皆さん、たくさん牛肉・鶏肉・豚肉を
食べて、暑いや夏を元気に過ごしましょう。8月20日からの
新年度に備えましょう」。


バーベキュー大会が始る。

「子どもの家」スタッフも楽しみにしているバーベキュー大会。

いよいよ「焼肉大会」が始る。


牛肉 15キロ
豚肉 20キロ
鶏肉 20キロ




10数年間「在宅支援」をしていた子が今年「フエ外国語大学中国語科」
に合格したとのこと。おめでとう。父親がいない。家が貧しく、JASS
からの在宅支援小中高校を卒業し、見事に大学に入れた。
これも長年のJASSの支援


ベトナム事務所員もバーベキュー大会を堪能していた。



「子どもの家」スタッフも恒例のバーベキュー大会を楽しみに
していた。



「子どもの家」の子どもたちを焼肉大会を待ちわびていた。







焼肉の煙の中、子どもたちも大人もつかの間の「焼き肉大会」
を楽しんでいた。



●日本料理店のグエットさんもミシン研修のヒエウさんも



●煙もなんのその


●ベトナム事務所・子どもの家「3大美人」かどうかはわからない。


●「飲むほどに 何故か 広がる 枯れすすき」(よちゃの ふそん)


●「一気飲み できなくなって はや 三十路?」(よちゃの 飽き子)





午後8時、バーベキュー大会は終了。同時に雷と雨。

改めて支援者の内田さん・高橋さん・柳沢さん・景山さんに
感謝。毎年、恒例の素晴らしい機会を作って頂き深謝。

投稿者 koyama : 21:47 | コメント (0)

2008年08月17日

神奈川県教育委員会青少年海外派遣スタディーツアー

快晴  午前7時「ハイリーホテル」5階の日陰35度。

午前5時起床。「阿修羅のごとく」(向田邦子著:文春文庫)
読了。

本書は、読んで行くうちに「テレビドラマ」の画面が頭に
浮かんでくる。せりふと場面転換などまさにテレビの
画面が目に浮かぶような小説である。
「阿修羅」とは「インドの民間信仰の神様で、外側は
仁義礼智信を標榜しているが、気が強くて、人の悪口
言うのが好きで、怒りや争いのシンボル」(本書P174)
と書いている。4人姉妹を中心にした「家庭ドラマ」である。
姉妹の両親と姉妹の夫など男性が登場。
何でもない老夫婦と4人の姉妹の付き合いと日常の
出来事を淡々と書いている。しかし、その中に70歳の
父親の浮気、長女(夫を亡くしている〕の浮気、次女の
夫の浮気などがそれとなく登場。4姉妹の見栄の張りっこ
など普通の家族の日常をつぶさに観察して描いた
ホームドラマ。問題のちょっとした提起はあっても
本質をえぐるほどまでは、掘り下げないのが向田作品の
真骨頂と見た。
題名が「阿修羅のごとく」とあるように表面的には
4姉妹の「女」の裏表を描いているが、私には
主人公は「うん」「そうか」などしか話さない寡黙な
父親恒太郎と見た。

ご飯1合を炊く。
午前7時朝食。昨夜の日本料理店の残りをおかずに「5勺」
のご飯を食べる。

午前7時半、「ハイリーホテル」を出て神奈川県教育委員会主催
の青少年海外派遣スタディーツアーの投宿しているホテルへ。

既に今日の担当のバオミンさん・ソン君が来ていた。

午前8時30分、「子どもの家」に到着。
「子どもの家」には先日、フエ師範大学化学科・生物科に合格した
THUY(トゥーイ)さんが親戚から帰ってきていた。
志望大学合格おめでとう。

初めに「子どもの家」の子どもたちとの交流会。

セン運営委員長が挨拶。


神奈川県スタディーツアーはお揃いの水色のTシャツを着ている。


歓迎のピップポップを踊る男児。


「子どもの家」の子どもたちも熱心に子どもたちの踊りを鑑賞



続いて神奈川県派遣団からの出し物




交流会の最後に佐野さんから「子どもの家」へ贈り物


午前9時過ぎ、文化交流会を終了。

続いて、バオミンさん・ソンによる施設案内。

午前10時から私の講演会。90分。午前11時半まで。
ボランティア・国際支援・ベトナム・人間の幸せとは・・・



神奈川県教育委員会主催青少年海外派遣スタディーツアーは
神奈川県青少年協会が実施している。
2年前に同協会の理事としてスタディーツアーに参加した
東海大学のK教授の里子である「NGA(ガー)」さんへ
K教授からプレゼント。

午前11時50分、Sホテルのレストランでベトナム料理の昼食。


昼食が終わり、バスでホテルへ戻ったのが午後1時過ぎ。
私はホテルから電動バイクで「ハイリーホテル」へ戻る。
午後1時半、昼寝に入ろうとした時、電話。
仙台の高校の英語のアンナ先生から。「今フエに着いた。
ホテルにいるが会えるか?」とのこと。
15分後にHホテルのロビーで会うことにする。
急いで着替え、ベトナム事務所近くのHホテルへ。
アンナ先生と1時間ほど話し合う。その後、「子どもの家」を
訪問。「子どもの家」を案内。

仙台の高校での講演会・12月末の生徒の「子どもの家」訪問などの
打ち合わせをする。

午後4時半、「ハイリーホテル」に戻る。途中、夕食のコムディア弁当
(90円)を買う。
今日は朝8時から午後4時過ぎまで休みなく気温40度の空気に中で
活動。さすがに疲れる。

午後4時半、文言春秋を読みながらベッドで休んでいる。
税田さんから電話。リー君などと夕食に行こうとのこと。
今日は完全にダウン状態。部屋で休むことにする。
明日も仕事。明後日は1日中、ナムドン山岳民族へ。

午後5時半、フダ缶ビールを飲みながらコムディアを
食べる。

文芸春秋(2008年8月号)を読む。

「貧困大国ニッポン」読み出のある内容。
日本が「メルト状態」に陥っていると警告している。
中曽根・小泉「改革」のもたらした現実を実証的に
検証している。ホワイトカラー・中間層の没落が
日本という国家そのものを崩壊されると警告している。


「皇太子・雅子妃 両殿下への手紙」
保坂正康、友納尚子、斉藤環、福田和也、
猪瀬直樹、茂木健一郎
見るべき内容なし。

阿川弘之「わたくし眼日記」は面白い。
白内障の手術の闘病記。


投稿者 koyama : 20:06 | コメント (0)

2008年08月16日

石上先生、ベトナム事務所員と対面:フエ高等師範大学打ち合わせ

快晴 

午前8時過ぎの「ハイリーホテル」5階日陰の気温36度。
日中の外の気温は40度を越す。

午前5時起床。読書「阿修羅のごとく」(向田邦子著)

午前7時、室温35度。(エヤコンを使っていない)

朝食。フォー。美味い。


午前8時半、ベトナム事務所で新任日本語教師の
石上先生とベトナム事務所員との対面式。

ベトナム事務所員の自己紹介。





続いて石上先生の自己紹介。埼玉出身。家の仕事の関係で
下関や長野に住んでいたいこともあるとのこと。



その後、日本語教師とバオミンさん・税田さんとで今後の
日本語学校の授業等の打ち合わせ。



午後10時。「ハイリーホテル」へ戻る。壊れてしまった
「ハイリーホテル」のパソコンを直してもらう。
5年前に購入したパソコンなのでIC関連の部品が古くなって
壊れてしまったとのこと。1時間ちょっとの修理作業。
ベトナム事務所員のソン君が部屋にきてパソコン修理人の
通訳をしてくれた。感謝。パソコンは直る。このパソコンに
ボランティア貯金やODA縫製研修センター報告書関連の
資料や写真等が入っている。これが使えないので仕事が
出来ない。やっと直ったので、急いでボランティア貯金報告書等
の作成を再開。

午前11時半、昼食。

大塚さんはオアシスの会の仕事でフーハウ地区の船上生活者の
支援へ行った。船上生活者を束ねる「親分」が感激して大塚さんに
生きた大きな鯉を一匹くれる。早速、「ハイリーホテル」の料理の
女性に鯉を調理してもらう。




午後12時半、昼寝。あまりの暑さと疲労蓄積のため1時間半
寝てしまう。

読書「阿修羅のごとく」

午後2時45分ベトナム事務所へ。バオミンさんと一緒に
フエ高等師範大学へ。
新任の石上先生と日本語関係の先生(フーン主任・松田・中島先生)、
バオミンさん、税田さん、私が参加。
フエ高等師範大学側は学長、外国学部部長、日本語学科主任が参加。

初めに私から新任の石上先生を紹介。


2008年8月18日の新年度から
石上先生・松田先生・中島先生の3人の先生がフエ高等師範大学
日本語学科で教える事を説明。ベトナム人教師3人と合わせて
6人の教師で1年生60人、2年生49人の授業を行う事になった。


その後、新任の石上先生の自己紹介。学長からの挨拶などがある。
顔合わせが終わり、私とバオミンさんとは学長室へ行き、当面の
様々な問題を打ち合わせする。
税田さん・フーン主任・松田先生・中島先生・石上先生は、
ベトナム人教師と今後の授業の進め方、カリキュラム、時間割
などの細部についての打ち合わせを行う。

午後3時半、日本料理店へ。店長のリー君が日本料理店の
机を修理していた。やる気になっている。素晴らしいことだ。

午後4時半、日本料理店に新しいフダ生ビールが届く。


私はベトナム事務所で仕事をしていた。リー店長がやって来て
「生ビールがおかしい」という。おかしいと言っても何がどう
おかしいのか分からない。とにかく日本料理店に来いという。
日本料理店に行くとコップに生ビールがついである。
リー君は一口「試飲」した模様。私に飲んでみろという。
軽く飲んでみる。「酸っぱい」。既に生ビールの醗酵が進んでいる。
新しく入れて1週間後位の醗酵度。この3年間の経験で、
新しく生ビール60リットルを入れると2週間で醗酵が進み、
酸っぱくなってお客さんに出せなくなる。
この3回ほどフダビール会社は既に相当醗酵の進んだ
古い生ビールを持っていている。一度は、新しく入れて
3日後には酸っぱくて飲めなくなる。
急いでバオミンさんに電話。フダビールの古い生ビール
持ってこないように。今、持ってきた生ビールは直ぐに
取り替えるように電話をしてもらう。

ベトナム事務所で仕事。


午後5時半、日本料理店でこどもたちと夕食。

大塚さんと子どもたちが、海老の頭をフライにし塩をつけて
おつまみに出してくれた。これから日本料理店の「おつまみ」
に出したいとのこと。美味しい。


夕食は「野沢菜漬けの炒め物」「ゆで野菜」・・・・・。

バオミンさんから電話。フエ生ビールの件。
生ビールのサーバーの掃除を定期的にしていないため、
冷却機に生ビールがあまり入らず、冷え方が足りなく
なっていているため温度が上がり、急速に発酵してしまう
とのこと。月曜日に業者に来てもらい、サーバーの掃除を
定期的にしてもらうことにした。こうした一つ一つの「つまづき」
を通して、仕事を覚えていく。素人の日本料理店はそんな
ものだ。


神奈川県教育委員会青少年海外派遣団のフエ到着が
1時間半ほど遅れる。バオミンさん、税田さん、ソン君が
フエ空港へ出迎え。午後8時半、バオミンさんに電話を
する。オンターオレストランで食事中とのこと。
団長の佐野さんと電話話をする。

仙台の高校で英語を教えている「アンナ」さんから電話。
明日(日曜日)午後2時過ぎに列車でフエに着くとのこと。
夕方位に電話を入れるような話。
アンア先生は仙台の高校で英語を教えている。
今年の年末に生徒を連れて「子どもの家」を訪問したいとの
メールが来た。現在、個人でベトナム旅行中。フエに行くので
会いたいとのメールがあり、私の携帯電話を教えたという経過
がある。必要なら10月に仙台で講演会があるので、その際、
アンナ先生の高校で講演会をしますよとメールを打った。
明日は、フエに着き、夕方頃、連絡があるような感じだった。
明日の日曜日は午前8時から神奈川県教育委員会青少年
海外派遣団(23人)をホテルに出迎えに行き、「子どもの家」を
案内。午前10時から1時間半「子どもの家」で講演会。
その後、皆さんと一緒にベトナム事務所近くのレストランで
昼食を摂る予定。


午後9時過ぎ、閉店。

スペイン3人、ニュージーランド人1人。合計4人。

投稿者 koyama : 18:14 | コメント (0)

2008年08月15日

日本語教師の石上先生赴任

晴天  終日真夏。外の気温はゆうに40度を越える。

午前5時半起床。昨日の日記を書く。
「ハイリーホテル」のパソコンが壊れてしまい昨夜は書けなかったが
今朝はパソコンが起動した。中々「気まぐれ」なパソコンではある。
この種の性格の人とは長く付き合っているので、扱いには
慣れている。

午前7時朝食。今日は精進料理を食べる日。
「精進料理入りそうめん」。美味しい。


野菜と「豆腐の原型」(正に腐った豆腐)などが出る。


午前9時ベトナム事務所へ。
ボランティア貯金完了報告書作成。
縫製研修センター報告書作成。

午前11時半、「ハイリーホテル」に戻る。

昼食。今日の朝、新任の日本語教師 石上先生が
赴任した。「ハイリーホテル」1階の昼食会場で挨拶。
「ハイリーホテル」住人もそれぞれ挨拶。
千葉県出身の女性。これから1年間、フエ高等師範大学
日本語学科を中心に日本語教育を行ってもらうことになる。
体に気をつけて、ベトナム・フエの「暑く」「寒い」生活を
エンジョイしてもらえれば幸いである。

昼食は「豚肉の脂落とし」「厚揚げの甘辛煮」「醗酵したもやし」
「野菜スープ」。


午後12時半から30分ほど昼寝。

読書「あ・うん」読了。
向田邦子唯一の長編小説とのことだが、けして長編とは
思えない。この本を読んでの感想。長谷川町子の
「サザエさん」を文字にしたような家庭と時代背景がある。
日本が高度成長に入る以前の時代。1941年の
真珠湾攻撃から対米英戦争に突入した時代である。
徴兵で入隊し隣のベッドになった仲間が除隊した後も
家族以上の深い付き合いをするところから起こる様々な
悲喜劇。この二人の男性の関係を捉えて「あ・うん」。
狛犬の「あ・うん」から取ったとのこと。
向田邦子という作家の文章は、落語を聞いているようだ。
解説や情景描写の代わりに「会話」だけで話が進んでいく。
会話を読みながら情景描写や心理を想像するように書かれた
不思議な小説である。単純な戦時中の普通の家庭生活を
描きながら、人生、人間が生きるということから起こる様々な
苦労や問題をきちんと位置づけている。何でもない日常の
家庭生活を描く事で、一層人間の持つ心の奥底の
どろどろしたものが、浮き彫りにされてくる。

午後3時過ぎ、フエ市立病院へ。院長・副院長と懇談。

午後4時。京都の豊田旅行の豊田さんから荷物が
届く。本の差し入れ。『文芸春秋』2008年8月号。
これからゆっくりと楽しみながら読もうと思う。
京都の豊田旅行の豊田さんに感謝。何度も本の
差し入れを送ってくれている。

目次を見る。豊田さん推薦の論文は「貧困大国ニッポン」
(ホワイトカラーも没落する) 湯浅誠「NPO法人
自立生活サポートセンター・もやい事務局長)。

その他に興味があり読んでみようとする論文あり。
①創価学会が脅えた私の「極秘メモ」(矢野じゅん也)
 --元公明党委員長の告発手記ーー
②皇太子、雅子妃両殿下への手紙
 --保阪正康・・・・・
③妻 曽野綾子がうつに罹った時(三浦朱門)

午後5時。ベトナム人の友人の招待され自宅で会食。

・骨付き鶏肉


・半生のするめ

・ムキ海老の甘辛唐辛子煮

・仕上げは『キャッサバ芋の粉の麺の鶏肉スープ』

どの料理も美味しかった。


午後9時、「ハイリーホテル」へ戻る。

●日本料理店来客9人。


読書「阿修羅のごとく」(向田邦子著)

投稿者 koyama : 18:08 | コメント (0)

2008年08月14日

日本・ベトナム学生会議の皆さん「子どもの家」訪問

晴天  真夏・猛暑


午前5時起床。昨日の日記を書く。


午前7時朝食。午前7時には真夏の太陽が顔を出し、
コンクリートを照らしている。

朝食 キャッサバ芋の「チャオバンカン」。カニのだしが
効いて美味しい。


オアシスの会の大塚さんをはじめ、ベトナム事務所スタッフ、
ハイ君、リー君とも暑さに負けず元気に仕事をしている。
私がだけは暑さに多少負けている。毎晩、フエ生ビールを
飲んで元気をつけているのだが。飲み方が足りないのかも
知れない。

「ハイリーホテル」でボランティア貯金完了報告書を作成。
「ハイリーホテル」のデスクトップパソコンが故障。
たくさんの写真や資料が入っているのだが、開けず
困る。

午前9時過ぎ、電動バイクで「子どもの家」へ。
途中、王宮のお堀のピンクの蓮の花が咲いていた。


9時半、「子どもの家」に到着。「ハイリーホテル」から電動バイクで
15分程度。

既に「日本・ベトナム学生会議」の皆さん17人が「子どもの家」を
訪問中。税田さんとソン君が二手に分かれ「子どもの家」を案内。



「子どもの家」には先日の大学・高校入試で見事合格した
子どもたちが何人かいた。THUYさんは親戚に合格を
報告に行っていた。

●コックホック高校合格 NHIさん
 ・「子どもの家」では15年間で初めてコックホック高校の
  合格者がでた。


●フエ芸術大学絵画科合格 PHUC君
 ・「子どもの家」ではじめての合格者


●フエ師範大学小学校課程合格 NHIさん


午前10時、「子どもの家」2階会議室にて「日本・ベトナム青年会議」
の皆さんにベトナム・子どもたち・ストリートチルドレン・ドイモイ・
ボランティア・人間の幸せとは・・・などについて90分間話す。




午前11時半過ぎに講演会は終了し、学生会議皆さんは
「子どもの家」を後にした。

「子どもの家」食堂では、THINH(ティン)君12歳の
誕生を祝う会が行われた。ティン君の日本の里親である
Uさんからの寄贈で「子どもの家」の子どもたち全員に
誕生ケーキ(大型3つ)が送られた。

HAPPY  BIRTHDAY
 CU THINH

14 08 2008


里親のUさんから贈られた12歳の誕生祝の『帽子』と『Tシャツ』
を喜んでいるティン君。


誕生ケーキに点灯



12本のロウソクの火が点される


●3つのケーキと誕生プレゼントを前に12歳の誕生を祝うティン君

  ティン君も含めて多くの子どもたちが家庭で誕生祝いをして
  もらった経験がないか、少ない。
   こうして時々日本の里親から『一度でも良いから 
  里子の誕生を「子どもの家」の子どもたち全員とお祝いさせたい』
  との希望が寄せられる。
   ベトナム事務所でもこの問題をかなり熟慮してきた。
  一部では「誕生祝をしてもらえる子ともらえない子が出たら
  不平等でかわいそう」との意見もあるのは事実である。
   この意見に従えば、常に「子どもの家」の子どもたちは
  全て何事も「同じ」にしなければならい。
   しかし、現実の社会は『不平等』だらけである。「子どもの家」
  だけを特別な「聖域」とし、全て平等の理想社会を作ると言う
  意見もあるだろう。しかし、私たちは、ベトナムという現実の
  社会で強く生きていく子どもたちを育てたい。
   自分の里親は誕生会をしてくれなくても、「友達が誕生会を
  してもらえて良かった」と思える子どもたちを育てたいものである。
   いつか、自分にも何か他のことで良いことがあるかもしれない、
  友達の「喜びを一緒に分かち合おう」という気持ちになってくれれ
  ば良いと思っている。全て平等という考えは、日本の運動会で
  1等・2等などと優劣を付けるのは差別だとして、ゴールで
  全員が一緒にテープを切るという漫画のような結末を迎え
  てしまう。里親が「子どもの家」を訪問することもある。
   里親が手紙をくれることもある。世の中は様々である。
  実際、ベトナムの学校へ行けば、共産党の幹部の子どもや
  お金持ちの子どもたちは、きれいな洋服を着て、高い持ち物
  で身を固めている。こうした現実社会の中で子どもたちは生きて
  いるである。「子どもの家」だけを特別な理想社会にすること
  はできない。
   私たちに、こうした不平等の現実を隠すことは出来ない。
  子どもたちに不平等な現実をしっかりと認識してもらい、
   そうした不平等な社会を直していく子どもたちになって欲しい
  と念願している。
   日本のいくつかのNGOでは、里親が現地の「子どもの家」などを
  訪問すること、手紙を出すこと、直接子どもたちと会うことなどを
  一切禁止しているところもある。機械的平等主義の思想がその
  背景にはある。こうしたところでは、結局『何もしないこと』が
  一番の平等になってしまうのである。
  

昼食を子どもたちと一緒に摂る。
昼食後、テイン君の誕生ケーキを子どもたち全員で食べる。
里親のUさんに感謝。






午後12時半過ぎ、「ハイリーホテル」へ戻る。

1時間ほど昼寝。気温40度近い「子どもの家」2階の
音楽室で90分間話をするのは、相当疲れる。

午後2時読書「父への手紙」(窪島誠一郎著:筑摩書房)読了

「両親の体格と自分の体格」の大きな相違に疑問をもった
著者。その後、手術をした際、両親のA型・B型と自分の
O型との血液型の相違を知り、医者に「家庭に何か
問題があったようですね」との話を聞かされる。高校時代。
その後、自分探しの人生の旅を続ける。35歳になった頃、
「両親」が明大前で靴の修理屋をしており、2階3室を
下宿にしていたことを思い出す。明大に行き卒業生名簿から
当時の下宿学生の名前を調べ、静岡県磐田市・大分県
中津市出身の学生にたどり着き、そこから、最終的に
作家「水上勉」が実父であることを知る。
1942年頃の水上勉は東中野の貧しい家族の住む
「コトブキ・ハウス」というアパートに女性と住んでいた。
売れない小説を書いていたが、収入もなく結核にかかり
血を吐くという状況だったようだ。そんな時、子どもが
出来て、育てられず、伝を頼って明大で靴直し職人を
していた窪島夫妻に3歳になった子どもを引き取って
もらう。それは、窪島誠一郎氏あり、
水上勉の子ども「水上りょう」だったのである。
1977年にそうした事実を突き止め、窪島誠一郎氏は
水上勉氏に宛て紙を書く。本書の最後にその手紙の
全文が掲載されている。水上勉氏から返事がきたのか
こなかったのか?は本書では明らかにされていない。
水上勉氏は、1976年に我が子『水上りょう』との別離を
書いた小説を発表している。

午後3時、ベトナム事務所へ。
バオミンさんといくつかの打ち合わせ。
ボランティア貯金完了報告書作成。

午後5時半、日本料理店の子どもたちと夕食。

豚肉と海老の甘辛煮、冬瓜と落花生の和え物

すっかり店長が板に付いた感のあるリー店長


これで「何杯目・・・・」と言ってフダ生ビールを持ってきてくれる
接客主任のグエットさん


午後6時半から日本料理店開店。

途中、3度ほど電気が消える。電流が時々強烈に
強く流れることがある。ストッパーが作動し電気が消えて
しまう。今夜は異常に強い電流が流れたり、弱くなったりを
繰り返している。その度にストッパーが作動し、電気が
消えてしまう。

日本人2人、ベトナム人2人来店。

午後9時15分閉店。

「ハイリーホテル」に帰る。

読書「あ・うん」(向田邦子著:文春文庫)

投稿者 koyama : 18:12 | コメント (0)

2008年08月13日

フエ高等師範日本語学科打ち合わせ

晴天  終日真夏の青空。暑い


午前4時起床。昨日の火炎樹日記を書く。
フエ市国際交流センター設立式典の模様など・・・・。


午前7時朝食。フエ名物「ブンボーフエ」。美味。


野菜もたっぷり



読書「少年A この子を生んで・・・」(少年Aの父母著:文藝春秋)
を読み終える。

1997年5月27日、土師淳君の頭部が神戸市須磨区友が丘中
正門前で発見され、口に警察への挑戦状が入れられ、
「酒鬼薔薇聖斗」(さかきばらせいと)と名乗り、ナチスの十字架
のようなマークがついていた。異様な事件の犯人である少年A。
逮捕後、以前1997年2月10日、通りすがりの小学生の
女児をショックハンマーで殴り怪我をさせ、翌日2月16日には
小学生の山下彩花さんをショックハンマーで殴り殺害している。
これらの殺害を凶行ノートに「人の壊れやすさを確かめるため」
「聖なる実験」と書いている。
少年Aは被害者を「僕が殺した死体であり、僕の作品」といい、
遺体を切り裂き、血を飲んだことを「僕の血は汚れているので
純粋な子どもの血を飲めば、その汚れた血が清められる」
と思ったからと言っている。少年Aが14歳の犯行である。

本書は少年Aの両親が少年Aが生まれ、どのように育てて
来たかを冷静・率直に書いている。
結論的には、少年Aがこうした犯行の犯人だとは逮捕される
まで全く想像すら出来なかった、と言っている。
土師淳君が行方不明になり、中学校の校門にその
頭部が置かれている報道を家族が食事をしながら
テレビで見ていたが、両親は自分の長男の犯行とは
夢にも思っていなかったと書いてる。

本書を読んで感じることは二つ。

一つは、少年Aの両親は普通のどこにでもいる家庭の親だ
ということである。父親は鹿児島県の離島から中学を卒業し
大阪に就職。真面目に努力し、神戸の須磨に家を買い、
家族5人(3人の男児)で「幸せに」暮らしていた。
趣味はゴルフなどで口数の少ない、仕事熱心な父親。
母親は子どものためにと専業主婦になり、子どもたちの
成長と教育を願い、一生懸命に生活している。
一般的に言えば、日本のどこにでもありそうな家庭である。
両親は少年Aの犯行を最後まで信じていなかった。
逮捕された後も誤認逮捕かもしれないと思っていたほどで
ある。こうした親を責めることは出来ないように思えた。
勿論、被害者の親の立場に立てば、そんな「甘いことは
いえない」との反論もでてくるだろうが・・・・。


第2に少年Aが2人の殺人とハンマーで女児の頭を殴り
頭蓋骨陥没という重症を負わせた事件の「前兆」があったのか
ということである。
本書を読むと中学入学前後から少年Aは、手に腕時計の
金具のバンドを巻きつけて友達の顔を殴り前歯を折ったり、
万引きを繰り返したり、女子を家まで追いかけたり
学校や家で小刀を持っていて見つかったりと様々な
問題を行動を起こし、学校に親が呼ばれ、教師と話し合いを
している。土師淳君を殺害した時も学校に行かず、教育相談所
に通っていたのである。
こうした前兆を的確に掴んでいれば、何か手を打てたのかどうか?
その辺の所は誰もわからない事件でもある。

逮捕され精神鑑定を行なっているが、脳に異常もなく精神病的な
症状もないとの診断・鑑定がでている。性的サディズムの傾向が
あり、「直感像素質者」(一度見たものを数年後でも鮮明に思い出し
再現できる資質)であること。

両親も学校の教師も教育相談所の相談員も見えないもう一つの
少年Aの存在を見抜くことが出来なかった。

本書を読んで親は何故気付かなかったのか?という疑問は
残る。しかし、この事件を分からないと闇に葬り去るのではなく
こうした形で親がどんな育て方をしたのかを親の立場で社会に
公表することは、社会的に意味のあることのように思えた。
文藝春秋社の努力も評価したい。

先日は草薙厚子著の少年Aに関する本も読んだ。
しかし、この事件の真相は藪の中である。
その後、この種の「動機不明」な少年事件が続発している。
子どもたちや若者の心の中に私たちが想像できない
闇が出来ている社会になっているのだろうか?
子どもたちが『自立』することの難しくなった社会でもある。

ボランティア貯金完了報告書に添付する写真をパソコンから
探すがなかなか見つからない。

洗濯。洗濯機の電気が切れてしまう。

午前9時、ベトナム事務所へ。フエ高等師範日本語学科の
先生と懇談。フエ高等師範大学日本語学科の今後の
運営、カリキュラム、時間割、日本人教師の授業などについて
詰めた話し合いをする。フーン先生・バオミンさん・税田さん参加。


午前11時半、昼食。
厚揚げの甘辛煮。ミットの炒め物。海老入り野菜スープ。

午後12時半から昼寝。
この1ヶ月ほどの疲れが出る。午後2時半まで横になっている。

読書「父への手紙」(窪島誠一郎著:筑摩書房)


午後3時半、ベトナム事務所へ。

ボランティア貯金関連の写真をパソコンで探すがどこにあるのか
分からない。

午後5時半、日本料理店で子どもたちと夕食。

人参と骨付き豚肉の煮物、インゲンの煮物。



午後6時半、日本料理店開店。

欧米人、ベトナム人など来店。


午後9時閉店。大塚さん・税田さん・リー君の4人で
「ハイリーホテル」へ帰る。


読書「父への手紙」(窪島誠一郎著)
背の低い父親と母親の子として育った窪島氏だが、
自分は大男で体格も良いことに疑問を持つ。
中学の頃手術をした際、血液型の検査をする。
父親と母親はA型とB型。自分はO型であることを
知り、自分の出生に疑問を持ち始める。
アルバムがある。半ズボンとスーツを着た窪島氏が
プラスチックの模型飛行機を持っている写真が
写っている。三才位の写真である。どうして、オムツを
した自分、赤ちゃんの頃の自分と両親の写真がないのか
更に疑問を深める。
そこから窪島氏の「親探しの旅」が始まる。

投稿者 koyama : 07:40 | コメント (0)

2008年08月12日

日本語学校関係室開設:フエ市国際交流センター設立祝賀会

晴天

北部ハノイ80キロ付近の山岳地帯では台風の影響で
山崩れ、洪水に見舞われ100名以上の方々が亡くなり
多くの方々が行方不明となっている。心から哀悼の意を
表するとともにお見舞い申し上げたい。

午前5時起床。「少年A この子を生んで」を読む

午前7時朝食。ハノイ名物「フォー」。
フエのフォーも本当に美味しい。
つい先日までフォーのお店では1杯5000ドン(30円)だったが
今では20000ドン(130円)。4倍近い値上がり。


午前8時、ベトナム事務所へ。
8月15日に新しい日本語教師の石上先生が赴任する。
日本語担当の先生方は5人となる。ベトナム事務所に
入りきれなくなり、新たに「日本語学校関係室」を作る。
今日は、旧会議室に日本語学校関係者の机等をの引越し。

バオミン運営委員長の指揮の下、リー君や全ての
スタッフが協力して引越しが行われる。
口だけの参加は私だけ。








2時間ほどで引越しが終わり、「新日本語学校関係室」が
出来上がる。


ベトナム事務所員の団結の力はすばらしいものあり。
短時間での引越し作業で終わった。

午前11時半、昼食。

野菜サラダ、魚の煮物、野菜スープ


午後12時半から1時間ほど昼寝。

読書「少年A この子を生んで」

ボランティア貯金完了報告書の資料集めと全ての資料に
目を通す作業が終わり、書き始める。

「縫製研修センター」建築報告書の作成。写真、申請書等の
資料を集める。


午後5時半、フエ市内の「フェスティバルホール」にて
「フエ市国際交流センター設立式典」が挙行された。
「フエ市国際交流センター」は、旧「フエ市外務部」が
衣替えをしたものである。
ベトナム政府の決定でベトナム全土の各市にあった
「各市外務部」は全て廃止され、省(日本の県)外務局が
一括して外交関係の業務を行うこととなった。
これに伴い、フエ市外務部も廃止されたが、フエ市は
国際都市である。毎年多くの海外政府使節団・高官が
訪問する。そのためベトナムで唯一フエ市だけに
旧フエ市外務部が存続し、名称を「フエ市国際交流センター」
としたものである。

●会場の看板「「フエ市国際交流センター設立式典」


式典は「フエ市国際交流センター」副所長に就任したイックホアン氏
の司会で始った。イックホアンは、私が15年前にフエ師範大学で
日本語を教えた教え子である。バオミンJASSベトナム運営委員長と
高校・大学とも同級生。



フエ市長より、「フエ市国際交流センター」は
旧フエ市外務部と何ら変らない仕事を行う。
今後とも宜しくお願いいたしたい、との挨拶があった。

続いて、私の挨拶。15年間フエに滞在し、様々な問題が
起こったが、フエ市人民委員会・フエ市外務部の支援で
何とか諸問題を解決し、子どもたちや貧しい人々、
障害児などの支援をすることが出来た。
新たに設立された「フエ市国際交流センター」の
ニエン所長・ホアン副所長と協力して引き続き、子どもたちや
貧しい人々のための活動をしていきたい。
「フエ市国際交流センター」は、私たち海外から来た
NGO/NPOには必要な組織である。
「フエ市国際交流センター」の設立をお祝いしたい。


挨拶は、市長と私の二人だけと言う簡単な式典であった。
会場には約70名のトゥア・ティエン・フエ省・フエ市共産党幹部、
行政の幹部、警察の幹部などが参加。
今日の「フエ市国際交流センター」設立式典に参加した
外国人は私たちJASSのメンバーとフランス人だけであった。
今日の式典は新しく設立された「フエ市国際交流センター」を
トゥア・ティエン・フエ省・フエ市の共産党、行政の幹部に
お披露目することを主な目的としたものであった。
そうした意味ではJASSを代表して私が挨拶し、市長の
挨拶と合わせて二人だけの挨拶の意味は大きい。


その後、1時間半ほど関係者の交流となる。

●ニエン「フエ市国際交流センター」所長とJASSベトナム事務所
スタッフ一同。

フエ市人民委員会財政部長。フエ市の年間予算数十億円の
管理を行っている財政の最高責任者。今年1月末、東京での
「現地報告会」に参加。

●フエ市警察本部長・副本部長
 副本部長と今年1月末の「現地報告会」に参加


●ミン・フエ省観光副局長
  ミンさんは私が15年前にフエに来た時には、フエ市外務部
 のスタッフでニエン外務部長の部下だった。

●右側(新フエ市長)、左側(15年前のフエ市長だったアン氏)

●トゥア・ティエン・フエ省外務局長と飲む

●フエ市警察本部長と

●フエ市共産党人事部長と
  人事部長も1月末東京北区で行われた「現地報告会」に
  参加

●解散した旧フエ市人民委員会外務部スタッフ

●ベトナム版「CIA」副長官


●トゥア・ティエン・フエ省警察本部長


●その後、壇上でカラオケ大会や踊りの披露が始る。
 我が方からは大塚さんが参加し、踊りを披露。

午後8時半、「フエ市国際交流センター」設立式典とパーティーは
閉会となった。

今日は10数回の「一気飲み」を決行。かなり疲れる。
これも「子どもたちを助けるための仕事」かどうかは不明だが、
楽しいひと時であった。

投稿者 koyama : 06:03 | コメント (0)

2008年08月11日

火焔樹日記6周年

2002年8月2日から火炎樹日記を書き始めて6年目を経過した。
この間、様々なご意見・ご批判を頂いた。
それぞれにごもっともなご意見である。6年間、基本的には
毎日書き続けて来た「継続」だけでも意味のあることかな?
などと思いながら毎日頑張って書いてきた6年間であった。
火炎樹日記は私の私的な日記である。同時に私の
教え子である手島守君が寄贈してくれている日記でもある。

http://shirokuma.tejimaya.com/


http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060726/244367/


火焔樹日記は、JASSの公式の日記でもない。あくまで
私の私的日記である。今後もこの基調は変える気はない。
様々なご意見を伺いながらも私的日記・勝手な「妄想」の
日記という基調は変えないで行こうと思っている。
6年間毎日書いて来て多少疲れてきたのも事実である。
時々、火焔樹日記休暇を取ろうかとも思っている。
その際は、休暇で数日休んでいると思っていただければ
幸いである。今後も出来るだけ「子どもの家」の
子どもたちのこと、ベトナム事務所のこと、海外ボランティア
の様々な問題などを紹介していきたいと思っている。
関心のある方は、たまには火焔樹日記をクリックして
して頂ければ、更に頑張って火焔樹日記を書こうと言う
気持ちになる。『継続は力』をモットーに書いていくつもりである。
今後とも御愛読の程、宜しく。
●火焔樹日記へのご意見は下記のメールへ。

koyamavn@dng.vnn.vn


========================
晴天  時々雨  北部へ台風の影響で気温・気圧の変化大。

午前5時起床。
読書「少年A この子を生んで」

午前7時朝食。「精進そうめん ベトナム風」。


午前9時、ベトナム事務所へ。
在宅支援の子どもの進路等について相談。


ベトナム事務所で「ボランティア貯金完了報告書」関連の仕事


午前11時半昼食

骨付き豚肉、空芯菜のニンニク炒め、精進スープ。



午後12時半から1時間ほど昼寝。

読書。「少年A この子を生んで」

ボランティア貯金完了報告書作成関連資料収集
「縫製研修センター」報告書資料収集等


午後4時過ぎベトナム事務所へ。

ベトナム事務所には、バオミンさんさんの娘さんが
遊びに来ていた。9月から小学校1年生。

午後5時半日本料理店で子どもたちと夕食。


午後9時、日本料理店閉店

投稿者 koyama : 21:02 | コメント (0)

2008年08月10日

休日

晴天

午前7時起床。

午前10時、一昨日の日本料理店の残りの『串揚げ』
と野菜スティックをおかずに冷凍うどん(チャオバンカン)。

読書「昭和特高弾圧史 庶民に対する弾圧」読了
(赤石博隆・松浦総三編:太平出版社)

非常に興味のある本である。
1936年から1945年の敗戦までの間、特別高等警察
が関係者に発行した「特高月報」「特高外事月報」
「特高月報原稿用紙」を松浦総三氏がアメリカ議会図書館・
国立公文書館で発掘したものである。
特高警察は、内務省直属の思想犯罪、社会運動などの
弾圧を専門としていた。15年戦争中は庶民の反戦・
厭戦・皇室に対する不敬罪などの摘発に当たっていた。
この数日で340ページに上る「庶民に対する弾圧」を
焦点にした1冊を読了した。

この本は、特高月報に書かれていることを淡々と
記述しているだけの「資料本」である。何の解説もない。
しかし、客観的な資料を熟読するほどに、戦前の
天皇制支配体制がいかに庶民の「呼吸」そのものを
標的にスパイ網を広げていたかが良くわかる。
この本の内容は60年・70年前の日本の異常な戦時下の
出来事というだけではなく、現在でも某アジアで社会主義を
名乗る国で行われている現実であることに注目する必要がある。
けして特高月報が過去の出来事ではないのである。

以下、特高月報に紹介されている摘発事例を紹介する。
この本を読むと戦前、天皇制支配体制の下で
共産党も組織的な活動が出来なくなり、一方的に
戦争に駆り立てられていたものと思っていたが
庶民はしたたかであった。

「便所への落書き」「塀への張り紙」「東条英機・警視総監」
「陸軍大臣」などへの差出人不明の手紙など様々な方法を
駆使して戦争に反対していた事実を知る。

●1937年(昭和12年)
  ・住所不定 似顔絵師 川崎義夫(35歳)
   8月10日午前11時頃香川県下白鳥本町国鉄白鳥駅
   事務室に於いて同駅駅長小野久太郎外2名に対し
   「資本家は税金を出すのみで実際戦争に行って死ぬのは
   我々のような下の者のみだ。今度の事変は欧州大戦  
   より大きくなる。支那兵も皆死んで仕舞ってからいかに
   戦争が悲惨なるかを知ればよい。今度の事変は
   日本の領土的野心から起こったものであるが、支那全部
   を取っても統一は出来ぬ」と反戦的言辞を弄す・
   (陸刑違反として身柄共送局)

 ・昭和12年12月11日。長崎県佐世保市元町佐世保鎮守府
  下士官集会所内便所其の他に「打倒 帝国海軍」
  「打倒帝国」と落書きあるを発見。(憲兵隊と協力捜索中)

 ・3月23日、大阪市港区天保山桟橋待合室共同便所に
  「諸君よ戦争をやめよ。なぜなるか このたびの戦争は
  大の虫を助けて小の虫を殺すなり。もしこの戦争を続けるなら
  皇室と皇族の財産をもってなすよう要求しよう、そうして
  国民の幸福をはかろう、国内で人一人を殺しても大罪人。
  戦争は神よりみて大罪人」落書きあるを発見す。 
  (捜索中)

●1939年(昭和14年)
  ・国旗冒涜
   愛媛県 浜田善秀(23歳)
  「本月3日、補充兵として松山連隊に応召入隊に際し、
   日の丸をふんどしの代用に使用す」。(左翼思想に
   関係なきことと判明に付き釈放)

  ・香川県 歩兵二等兵  三浦忠治(22歳)
  「先月入営当日、御真影は偶像であるから奉拝せぬ」
  と不服に亘る言辞をなしたり。(本月16日、第11医師団
  軍法会議に於いて懲役2年の判決あり。服役)
 
  ・蔵座袈人(21歳)
   3月17日兵役を免れる目的を持って「なた」で
   左親指を切断せり。(熊本県)
   (本月18日、人吉裁判所に於いて懲役6ヶ月の
    判決言い渡しありたり)
 
●1940年(昭和15年)
  ・山梨県南巨摩郡硯島村雨畑120 農業 大野長作(63歳)
   先月23日、南巨摩郡硯島村妙法寺に於いて、
   住職福本義省の住所披露宴の席上村民15・6名の面前にて
   「戦争は天皇がさせるのだから天皇が止めるように命令すれば
    止むのである。天皇陛下が戦争させるから益々人民が
   困るのである」と不敬並びに反戦言動を弄す。
   
  ・8月24日付けの消印ある。内務大臣宛の差出人 
  「世界を家とする自由の使徒」なる左の如き投書あり。
  「私は自由を最も貴いものと教え込まれもし、また、自身も
   そう信じています。個人の自由を束縛し国家のために
   個人を犠牲に供することは間違ったことと思います。
   弾圧・弾圧で国家の為に強く押さえつけようとする
   ことに反感以外のことを覚えません。自由のない所
   には幸福はありません。国を不幸にすることが愛国者
   の道でしょうか? あまり無茶な圧制はしないでください。
   国家主義と軍国主義には絶対に反対するものです。
   弱肉強食の戦、獣の様な戦争など誰が賛成できる
   ものですか?よく胸に手を当ててお考えください。
   貴方にしたところで賛成できないでしょう。私の信念
   はどんな弾圧を受けても変りません。自由主義・
   平和主義・自由学園の誰しもがそれをのみ心の
   中に貴んでいます。〔捜索中)

●1941年(昭和16年)
  ・不敬言辞
   和歌山県海郡和佐村大字和佐中307 上野喜人(19歳)
    本年4月25日居村駄菓子商中村敏三方店舗に於いて
    中地敏三他3名と共にラジオ聴取中、当時執行の
    靖国神社臨時大祭にあたり、天皇陛下御親拝の実況
    を放送せらるるや前記4名に対し
    「お召し車で行くとはもったいない。天皇陛下も足があるの
    だから歩けばよい、云々」と放言。
     本年7月20日頃、前記中村敏三方店舗も於いて、
    中村敏三他3名と欧州戦局に関する交談中、
    「ドイツが強いのはヒトラー自ら戦線に出て指揮を
     しているからだ。日本の天皇陛下は指揮も執らず
    何もして居らぬではないか。くそにもならん。」と不敬言辞を
    弄す。(8月27日不敬罪により所轄検事局に送致す)

1945年の敗戦が近づくに連れてこの種の検挙が続出している。
東条英機への匿名の「戦争やめろ」の手紙も続出。

    
午前10時。以前買った「チャオバンカン」を冷凍して
いたものを解凍して食べる。

午後12時、2時間ほど昼寝。

その後、ボランティア貯金完了報告書作成作業。
日記の記述・日にちなどの整合性を一つ一つ確認
していく作業は気の遠くなるものである。


ODA「縫製研修センター」支援の報告書作成。
これも2年前からの活動の軌跡をなぞりながらの
報告書作成である。
    
夕方、コムディアを買い、フダビールを飲む。

読書「少年A この子を生んで・・・・」(少年Aの父母著:文芸春秋)

家族から電話あり。

投稿者 koyama : 23:14 | コメント (0)

2008年08月09日

DAT(ダット)君退所式:高校・大学受験者全員合格

晴天 
    しかし、タインホア省(中部の北端)への
    台風の影響で、中部の各地は気候不安定。
    気圧も不安定。終日、体がだるく、頭が痛い。

●午前7時の空模様

午前5時起床。

午前7時朝食
フエ名物「ブンボーフエン」。美味しい。食べ慣れると
やみつきになる味。


午前8時前ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所3階に刺繍みやげ物転では、京滋YOUの会
の皆さんが刺繍の買い物。


バオミンさんと一緒に「子どもの家」へ。
今日は「子どもの家」に7年間在住したDAT(ダット)君17歳の
退所式がある。

「子どもの家」へ到着。
退所式を行う。セン委員長・ロック寮長・小山・バオミンさんが参加。


ダット君(17歳)は父親が死亡。母親は行方不明。
7年前に北部タインホア省の「児童保護委員会」からの依頼で
入所を認めた。姉と一緒に入所。

今日はタインホア省で石の小さな工場を営んでいる叔父さん(父親の
弟)とフエに住んでいる兄嫁の合意でタインホア省の叔父さんが
石工場で働くことを条件に同居することとなった。

(兄嫁)7年間もの長い間お世話になった。感謝している。
     ダットは、勉強が嫌いだ。17歳で体もしっかりしてきた
     ので叔父の石工場で働き自立させた。

(叔父)自分の工場で働かせたい。自分の家族は妻と二人の
    子供がいる。ダット君もこどもと同様に可愛がりたい。

(ダット)7年間、お世話になりました。「子どもの家」は僕の
     故郷です。どんな時も思い出します。
      これからは石工場で頑張って自立したいと思っている。
      本当に長い間、お世話になりました。


セン運営委員長と兄嫁が退所関連の書類にサイン。
退所が成立。

叔父さんは今からタインホア省の石工場に連れて行くという。
乗合バスで12時間。

ダット君は身の回りの持ち物をまとめて持ってきた。
小さなリュック一つだった。



退所にあたり最後に全員で記念写真を撮る。


ダット君の幸せを祈るのみである。


「子どもの家」には京滋YOUの会の皆さんが日本帰国の
挨拶に来ていた。



午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。




午後12時半、30分ほど昼寝。


その後、ボランティア貯金完了報告書の作成。
縫製研修センター報告書関連の資料に目を通す。

午後3時半過ぎ、「ハイリーホテル」を出て京滋YOUの会
の皆さんの帰国を見送る。


午後5時半、日本料理店でこどもたちと夕食。
今日はパン食。

大塚さんが私のビールのおつまみを特製で作ってくれる。
サッポロビール園「クラシック館」のおつまみとほぼ同等。


午後6時、JASS栃木の会のS先生の高校の教え子のビン君と
妹さん、同僚の日本人が日本料理店を訪ねてくる。


真面目な若者である。

午後9時、日本料理店閉店。
1週間真面目に働いたリー君を慰労するため軽く生ビールを
飲む。


今日はベトナムの大学の合格発表の日。
「子どもの家」の大学受験者3人、高校受験者2人とも
全員合格した。

大学・高校合格者も今日「子どもの家」を退所し石工場で
働くダット君も日本料理店店長のリー君も私に取っては
全く同じ存在。自らの能力と特徴を生かして自分の人生に
挑戦している若者である。
全員の幸せと平和を祈るものである。


ーーーーーーーー

今日の地元新聞の大学合格者名簿が掲載されていた。
「子どもの家」の受験者全員が合格していた。
また高校受験者2名も全員高校に合格した。
高校・大学受験者全員が合格したのは「子どもの家」創立以来
初めての快挙である。



●THUYさん(姉はフエ経済大学生)
  ・フエ師範大学化学科合格
  ・フエ師範大生物科合格

●PHUC君
  ・フエ芸術大学絵画科合格

●NHIさん
  ・フエ師範大学小学校課程合格

●NHIさん
  ・グエンフエ高校合格

●THAOさん
  ・ブイティースアン高校合格


フエ師範大学はベトナム中部の最難関大学。
グエンフエ高校はトゥア・ティエン・フエ省の最難関高校。

高校(2名)・大学(3名)合格者の今後の奮闘を祈る。


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北京オリンピック開会
63回目の広島・長崎原爆忌
グルジアとロシア戦争状態に突入

7月から始ったスタディーツアー、そしてボランティア貯金
完了報告書作成、「縫製研修センター」報告書作成と
忙しい毎日を送っている。

平和の祭典などと言われている五輪開会式当日に
グルジアとロシアが戦争に突入。
ロシアは国連常任理事国。
悲しい世界政治の現実である。

こうした現実になかなか目がいかない毎日でもある。

投稿者 koyama : 12:30 | コメント (0)

2008年08月08日

「京滋YOUの会」との交流夕食会

晴天 気温が少し低くなる。34度。

北部の台風の影響で空は多少荒れ模様。

午前5時起床。
昨日の日記を書く。

午前7時朝食。キャッサバ芋の粉の「チャオバンカン」。


午前中、ボランティア貯金完了報告書作成関連の資料収集、
書類作りの資料読みなどを行う。

縫製研修センター報告書の作成関連の資料を探す。
報告書の作成を始める。

日本の支援者から電話。

午前11時半、昼食。


午後12時半から30分昼寝。

午後2時半、ベトナム事務所で打ち合わせ。
税田さん・バオミンさん・ハンさん。

午後5時、ハイ君を呼んで注意。「ハイリーホテル」の
警備員の仕事をしないで、時々所在不明の時がある。
また、決められた警備員としての勤務時間を守らない
ことがある。仕事をするということはどういうことか?
人間の責任とは? 給料をもらうということはどういうことか?
などを話す。


午後7時前、ベトナム事務所1階の日本料理店だけ停電となる。
皆さんが色々調べても原因不明。大騒ぎとなる。
バオミンさんが調査。某日本料理店長の若干の勇み足で
ベトナム事務所1階日本料理店の電気の大本の電源が
切られていた。感電を防ごうと元の電源を切っていたことが
判明。善意の過失。

午後7時過ぎ、クアンビン省の洞窟に行っていた『京滋YOUの会』
の皆さんがフエへ戻ってくる。日本料理店でベトナム事務所員との
交流・夕食会。

「京滋YOUの会」F事務局長の挨拶


バオミン・JASSベトナム運営委員長の挨拶


乾杯懇談に入る




●夕食メニューを説明するリー店長とグエット接客主任


●今晩の料理

・串揚げ(先日、大塚さんが開発した新しい料理)

・巻き寿司

・おすまし


●最後に日本料理店員紹介


懇親・交流会は午後8時半まで続く。

最後に子どもたち・「京滋YOUの会」・ベトナム事務所スタッフ
全員で記念撮影


その後、日本料理店の片づけをし午後9時、「ハイリーホテル」へ
帰る。

投稿者 koyama : 19:41 | コメント (0)

2008年08月07日

「京滋YOUの会」夏祭り

晴天

午前7時朝食。精進料理そうめん。

午前中、「ハイリーホテル」で仕事。途中1時間ほど
停電。

ボランティア貯金完了報告書作成資料収集等。

読書「昭和特高弾圧史ー5・庶民に対する弾圧」(松浦総三等編)

午前11時半、昼食。

午後12時半から昼寝。この数日、北部の台風の影響で
気温の高低が激しい。一昨日は、少し寒く(30度)、昨日は
暑く(40度)、今日は少し寒い(30数度)。
朝から頭痛と倦怠感が激しい。

午後、「縫製研修センター」報告書作成用の写真を探す。
4000枚程度の中から1枚1枚を調べ、必要な写真を
ピックアップする。神経と目を使う単純作業。

ボランティア貯金報告書作成用の文書を熟読。
(ボランティア貯金発行)
ボランティア貯金完了報告書添付に必要な写真を
やはり4000枚の中から探し出す。

午後4時、「ハイリーホテル」を出て、電動バイクで
「子どもの家」へ。
「子どもの家」では、「京滋YOUの会」が「夏祭り」
の準備真っ最中。「子どもの家」スタッフ、子どもたち
などと協力し、「スーパーボールすくい」「ソースせんべい」
「ダーツ」「ヨーヨーすくい」「輪投げ」そして「お菓子セットコーナー」。
「子どもの家」スタッフの皆さんは「子どもの家」の庭に何本もの
蛍光灯を臨時に設置。マイクなどの音響もセット。

午後5時、子どもたちと少し早めの夕食を摂る。

午後6時、「子どもの家 夏祭り」開会。


●初めに「京滋YOUの会」から「開会の挨拶」。

●子どもたちは首にカードをかける。1箇所のゲームを
 終わったら印鑑が押される。

●最初に「繁盛」したのは、ソースせんべいコーナー。
 「京滋YOUの会」事務局長のFさんと里子のHさんが担当。
 子どもたちは日本の「ブルドックソース」が好きなようだ。


●「よーよーつり」コーナー

●「スーパーボールつりコーナー」
 ここでは、一部の男子が「手づかみ」で大量をの
 スーパーボールを持っていくとい椿事が発生。
 このコーナーは極短時間で景品がなくなってしまった。


●輪投げコーナー
  今年は輪投げコーナーにロープを張り、中に入って輪投げ
  をするという不届きものを排除。かなり時間がかかり、
  子どもたちは輪投げゲームを楽しんでいた。

●ダーツコーナー


●各種の景品をもらい、3ヶ月の夏休みのひと時を
 楽しんでいる子どもたち

・姉(高校2年生ーフエ科学大)、妹(コックホック高校)

・「子どもの家」スタッフのAさんと靴作りの研修をしているP君

・山岳少数民族からやってきたH君

・ハノイからやって来たNさん。名前は「ロシア」という名前。

・山岳少数民族からやって来て既に13年。T君。
 絵がとてもうまい。

・ごく最近入所

・1997年フジテレビの取材の際は、大人の片腕に
 抱かれていたH君。

・5歳で入所したが、今度3年生になる。子どもたちの成長は
 早いものである。

・数年前のTBSテレビ「学校へ行こう」の取材中に入所したLさん。
 入所当初は「子どもの家」に慣れずに苦労していたが、
 今ではすっかり「子どもの家」での生活をエンジョイしている。


・年上のお兄さん

 

・一番元気の良い女の子たち

・小局様たち(こつぼね)。「子どもの家」の女子は大学に行っている
 女子が「お局様」(おつぼねさま)。
 写真の女子は将来の「お局」を狙っている「小局」(こつぼね)。

夏祭りの最後は、全員で「マイムマイム」「ジェンカ」を
踊る。


★本日の「メーインイベント」は花火大会



午後8時過ぎ、「京滋YOUの会」夏祭りは終了する。
「京滋YOUの会」の皆さん、「子どもの家」のスタッフ、
ベトナム事務所のスタッフの皆さん、お疲れ様。

子どもたちは夏祭りが終わってもその「余韻」を楽しんでいる
ようだった。


「京滋YOUの会」・ベトナム事務所スタッフは車で帰る。
私は電動バイクで日本料理店へ。

日本料理店では既に「京滋YOUの会」とバオミンさん・
税田さんたちが今日の「夏祭り」についての「深刻」な
反省会を行っていた。「深刻度」にあわせて生ビールの
回数が増えていった。


●「京滋YOUの会」からベトナム事務所へ寄金を頂く。
 一つは、「京滋YOUの会」が行ったバザーなどの収益金。
 一つは「京滋YOUの会」の若者組織「SAOの会」
 の皆さんが大阪のワンワールドフェスティバルなどでフォー
 などを売っての収益金である。
  「京滋YOUの会」の皆さんに感謝。


●日本料理店の子どもたちにも今日の「夏祭り」の
 景品贈呈が行われる。

  


午後9時過ぎ閉店。
今日は、日本人・欧米系のお客が多く、来客18人。

リー君たちと「ハイリーホテル」へ帰る。
さすがに疲れる。直ぐに横になる。

投稿者 koyama : 09:27 | コメント (0)

2008年08月06日

「京滋YOUの会」「子どもの家」訪問

晴天  気温40度を越す

午前4時半起床。昨日の日記を書く。

午前7時朝食。フォー。とても美味しい。



午前8時前、「京滋YOUの会」の皆さんが泊まっている
バオミンホテルへ。今日の案内の担当であるハンさん・
税田さんは既に到着。



皆さんと車で「子どもの家」へ。
「子どもの家」では、こどもたちが歓迎会の準備をして待って
いた。

●男子のヒップポップを踊るグループ


●はじめにセン運営委員長の歓迎の挨拶




続いてこどもたちの歓迎の踊り。今回は新しい出し物が
多く出た。



●こどもたちは歓迎の踊りを楽しんで踊っていた。
 人に見てもらうということもこどもたちの喜びの一つかも
 知れない。


●男子のヒップホップ


●女子の踊り



●京滋YOUの会の出し物
  「かえるの夜回り」を歌い手踊り。
  こどもたちも一緒に手踊りをして楽しむ。




最後に全員で記念撮影



茨城の「火炎樹の会」より贈られた支援物資を頂く。


交流会終了後、こどもたちと一緒に近くの「タイ・ロック市場」
へ昼食の食材を買いに行く。


市場には豊富な食材が所狭しと並べられていた。

●豚の足



●カツオ

こどもたちの案内で市場で買い物



午前10時、買い物終了。「子どもの家」へ戻る。
こどもたちと一緒に昼食つくり。

私は昨日の「寒さ」と今日の「暑さの復活」で体調を崩す。
立っているのがつらくなり、男子の部屋のベッドで休む。

午前11時半、こどもたちと一緒に昼食をとる。



午後12時過ぎ、昼食終了。車でバオミンホテルまで。
バオミンホテルから「ハイリーホテル」までは電動バイク。

午後1時、昼寝。今日はかなり体力を消耗。疲れた。
1時間ほど熟睡。

午後2時過ぎ読書。「正蔵・三木助集」読了。

午後3時過ぎからいくつかの大事な文章を作成。
関係者に送信する。

午後5時過ぎ、ベトナム事務所へ。
午後5時半、日本料理店で子どもたちと夕食。


午後7時過ぎ、欧米系の来客数組。
午後8時半、「京滋YOUの会」の方が二人来店。
大塚さん・税田さんも交えて懇談。

リー店長に京都のTシャツのプレゼント。

午後9時半閉店。

今日の来客は11人。

「京滋YOUの会」は明日「子どもの家」で『夏祭り』。

投稿者 koyama : 18:46 | コメント (0)

2008年08月05日

「子どもの家」・縫製研修センターへ・訪問者との懇談・「京滋YOUの会」来訪

快晴  天気予報36度。
北部に台風が来ているとのこと。その影響で昨日は雨が降ったり
風が強かったりした。今日は、またいつもの真夏に帰った。

午前5時起床。
読書 三木助  「崇徳院」。崇徳院の「瀬をはやみ 岩にせかるる
滝川の われても末は逢わむとぞ思ふ」の歌がテーマ。
大店の息子とまた他の大店の娘の恋愛騒動。

午前7時朝食。


リー君を先頭にハイ君も朝食の準備の手伝いを
するようになった。


朝食は典型的なフエ郷土料理「ブンボー」。
大きな肉とカニのミンチ。

野菜もたっぷり。特に香草類。
ブンボーを食べ慣れてしまうと、日本へ帰った途端
ブンボーを食べたくなる。

午前8時過ぎ、「子どもの家」へ。

途中、フエ市人民委員会前。10年前にピースボートから
もらいフエ市人民委員会(警察)に寄贈した消防車が
まだ「現役」で活躍していたい。こうして寄贈品が
大事に使われているのを見るのはうれしいことである。
とかく、人から物をもらうこと、お世話になっても利用する
だけで「感謝の気持ち」を失っているベトナム人が多い中で
10年前の消防車を丁寧に使ってくれてるのを見て、
色々な人間がいること改めて思い知る。

「子どもの家」では、日本で開かれる「子どもの家絵画展」の
作品作りが行われていた。書いているフック君は今年
フエ芸大を受験した。8月8日に合否の結果が出る。
合格することを祈る。

「子どもの家」では、大掃除中。先生たちスタッフと
子どもたち総出で大掃除。

約2時間、「子どもの家」で子どもたちやスタッフと交流。

その後、「縫製研修センター」を視察。

週に3回から4回ほど、バオミンさんや税田さんが「縫製研修センター」
を訪れ、「縫製研修センター」のベトナム人スタッフと協力して
研修を進め、製品を作成している。


業務の記録を日本語でパソコンに入れるやり方を
教えている税田さん。

出来上がった製品の袋詰め作業

それぞれのパートに分かれて50人の研修生が
研修に励んでいる。


製品の襟につけるJASS製品のタグ

午前11時半、昼食
厚揚げと豚肉の甘辛煮、野菜サラダ

午後12時半から30分昼寝。

その後、読書。
桂三木助「近日息子」「饅頭こわい」。
江戸時代、甘いものは最高級品。
そこで最高級品の「饅頭」がでてくる。
「おせんべいこわい」では当時、意味がなかったのだ。
今日、何故「饅頭」なのか?との思いもするが、落語には
そうした時代背景を知ることも必要。

午後2時、ベトナム事務所へ。
バオミンさん・税田さんと「当面の重要問題」を
協議する。協議中の午後3時、「子どもの家」から
電話。日本人が「子どもの家」にきていると言う。
電話で話す。次男の大学の恩師だった。
協議から私だけ抜け出し、電動バイクを駆使して
「子どもの家」へ。
東京外大東南アジア課程ベトナム語専攻教授の今井昭夫先生。
「子どもの家」で先生と2時間ほどベトナムや
ボランティアなどの話をする。

午後5時過ぎ、ベトナム事務所・日本料理店へ。

午後5時半、子どもたちと日本料理店で夕食。


大塚さんが「串揚げ」8種類の試作品を作る。
①セロリとチーズのサーモン巻き
②じゃが芋とチーズ
③ねぎの魚巻き(ゴマ味)
④オクラのとび子入りのイカ巻き
⑤インゲンと鶏肉のカレー風味
⑥まいたけの海老すり身入り
⑦ズッキーニのベーコン巻き
⑧豆腐の豚肉巻き

8種類の試作品を全て食べて「感想」と個人的な
点数をつける。
最高点はまいたけの海老のすり身入り。絶品。
全て合格点。美味しい。

ベトナムには、日本料理店と称しても実際には
日本料理が作れないお店がある。
ニセモノの日本料理店である。私たちの日本料理店
は本当の日本料理を出す。日本人の私が食べて
美味しいと思う。うそはいつかはばれるもの。


午後8時まで生ビールを飲みながら8種類の試作品を
食べると言う重要業務を行う。この種の「重要業務」は
毎日でもしたいものである。

日本料理店の来客の中に千代田区の中学の先生がいた。
しばらく交流。

税田さんから電話あり。「京滋YOUの会」スタディーツアー
の皆さんが遅れてフエ空港へ到着。現在、フエ市内の
食堂で夕食中。「京滋YOUの会」の夕食に合流しては?
とのこと。車を回してもらい「京滋YOUの会」の夕食に
合流。バオミンさん・税田さんが交流中。
「京滋YOUの会」の皆さんと飲みながら交流。

午後9時前、交流を終了しホテルへ到着。私は日本料理店へ。

しばらくして日本料理店閉店。バオミンさんと税田さんも
日本料理店に戻ってくる。大塚さん・リー店長も交えて
午後10時まで日本料理店の「反省会」を行う。

「ハイリーホテル」到着午後10時半。

長い1日だった。疲労困憊。

投稿者 koyama : 19:20 | コメント (0)

2008年08月04日

「子どもの家」スタッフとの懇談会

曇りのち雨  蒸し暑い

「ハイリーホテル」5階からの遠景

午前5時半起床。
読書「正蔵・三木助集」
正蔵:首提灯

少し寒く感じる。5階日陰の気温28度。

午前7時朝食。キャッサバ芋の「チャオバンカン」美味しい。

午前8時、ベトナム事務所へ。バオミンさん・税田さん・
ハンさんと一緒に「子どもの家」へ。
「子どもの家」では毎週月曜日の朝、スタッフの打ち合わせを
している。今日はベトナム事務所スタッフも参加し、当面の
いくつかの問題について、「子どもの家」スタッフと意見交換を
した。

最初に私の方から2007年3月のJASS第13回総会
で決まった内容を説明。


JASSはJASSベトナムとJASS日本とで成り立っている事。
JASSベトナムの運営委員長はバオミンさん、JASS日本の
代表委員会委員長は福田もえ子さん。JASS全体の代表が
私。

続いて、JASS全体としての目標について説明。
「自立」ということ。今後、20年間、「子どもの家」が続くように
財政的にも自立させる事が重要。
日本からの支援金だけで運営する方式を
財政自立方式に徐々に移行していきたいと話す。
その中核となる事業がスタディーツアーである。
年間、1000人近い若者をフエに招請し、「子どもの家」、
ナムドン、農村ホームステー、日本語学校での交流・
ベトナム語講座、地元高校生・大学生との交流などを
通して、日越青年交流を進め、現地のJASSのボランティア
活動への理解を一層深めながら、財政的にも収入を上げ
自立するというシステムを説明。
夏・春などのスタディーツアー受け入れは、「子どもの家」
スタッフの生活を金銭的に支える意味でも重要である点を
強調。一部のスタッフは、スタディーツアーなどは、
JASSベトナム事務所の仕事で「子どもの家」スタッフは
それに協力・手伝いをするという認識を持っている。
今日の打ち合わせ交流会でこの意識をどうしても変えて
もらいたというのが、私の狙い。

続いて、「子どもの家」の各部屋・施設などの掃除が行き届いて
いないことを指摘した。日本人の誰かがまた支援金を出して
改装してくれるのだから適当で良いとの考えが一部スタッフの
中になくはない。今回、長島弘道・和子夫妻が100万円もの
大金を寄贈し、「子どもの家」A棟の子どもたちの部屋の
全てのペンキの塗り替え、ベッドの板の交換、ロッカーの
修理、トイレの回収・ペンキ塗りをおこなったことを報告。
日本人にとっても100万円と言う金額は大金であること。
そうした善意の上に成り立っているJASSの支援といういことを
十分理解して欲しい。各施設の使い方が乱暴・乱雑な時がある。
ものを直ぐに壊してしなわないように子どもたちを指導して欲しい。

「子どもの家」スタッフからは、これからスタッフと年上の子どもたち
とよく話し合って子どもたちの部屋をきれいにするよう話し合う。
スタディーツアーはとても良い企画だ。私たちも協力し、良い
スタディーツアーになるよう努力する。
スタディーツアーは、「子どもの家」スタッフと子どもたち全体の
仕事だと思っている。心を込めてスタディーツアーを迎え入れたい。
子どもたちの生育歴にも問題があり、トイレを使った後、水を
流さない子どもたちもいる。これは「子どもの家」に来るまでに
家庭で教育されていない子どもたちだ。一部、問題のある
子どもたちもいるが、みんなで教育を徹底したい。
セン委員長と協力してスタディーツアー参加者が満足するような
受け入れ態勢を作っていきたい。

1時間半の懇談会を終わる。

その後、「子どもの家」の子どもたちと交流。

先日、「子どもの家」のターオちゃんの妹が入所してきた。
8歳2年生。姉妹は天涯孤独の身の上である。


午前10時。雨。


子どもたちは食堂でテレビを見ている。


昼食の準備をしている子どもたちもいる。




卓球をしている男子も。


意味があるのかないのかわからない遊びをしている男子も

部屋でスタッフの指導を受けて勉強している低学年の
子どもたちもいる。



今日は急に気温が5度ほど下がった。私も頭が痛い。
子どもたちの中にも頭が痛かったり、体がだるかったり
と横になっている子どももいる。

「子どもの家」スタッフは、夏休み中の自習のために
寄贈されたノートを子どもたちに配る準備をしている。




3ヶ月の夏休み。子どもたちが思い思いの生活を
楽しんでいるようだ。

午前10時半、散髪屋へ。

午前11時半、雨の中電動バイクで「ハイリーホテル」へ
戻る。


昼食。


午後12時半から30分ほど昼寝。
気温は30度程度。急に寒くなったので頭が痛い。
体もだるい。

読書「正蔵・三木助集」
正蔵:鰍沢(かじかざわ)
日蓮宗と身延山、お題目の意味がわからないと
サゲもわからない。

夕方まで必要なメール、資料作りを行う。

午後4時、ベトナム事務所へ。

日本の新聞社から電話。インタビューを受ける。

午後6時、夕食。


午後7時過ぎ、日本人の来客。
日本の先生でJICAの研修を受けているという。
JASSの活動を紹介。


午後9時、閉店。


投稿者 koyama : 18:35 | コメント (0)

2008年08月03日

休日:ハイ君・リー君と夕食

うす曇 昼小雨。 湿度は高い

午前6時起床

読書「正蔵:火事息子」。親子の情愛が滲み出る。

部屋の掃除。床拭き。荷物の整理。洗濯。

昼前、買い物に行く。大学で日本語を教えていた頃からの
知り合いのベトナム人が会いたいという。昼にかけて会い、
お子さんのことなど色々なことについて話し合う。

午後12時半、昼寝。
読書「正蔵:首提灯」。

メール送受信。

ボランティア貯金完了報告書作成の手順と骨子を
考える。
「縫製研修センター」報告書関連の資料を揃える。

午後5時、ハイ君、りー君と夕食を食べに行く。近くの
大衆食堂。

ハイ君の好きな「すずめの様な小鳥」の姿焼き


途中で税田さん・大塚さんに連絡し同席してもらう。

鶏の姿焼き



海産なべでブンとご飯を食べ解散。午後7時45分

投稿者 koyama : 14:00 | コメント (0)

2008年08月02日

ベトナム事務所員会議

晴天  天気予報では37度

午前5時起床。
読書:正蔵 「こんにゃく問答」

午前7時朝食。「フォー」。



ミント・もやしなどの香草野菜たっぷり。

午前8時半、ベトナム事務所でベトナム事務所員会議。

バオミン・JASSベトナム運営委員長の司会で始る。

(ゴック)月・木は体調が悪く仕事を休んだ。
      中級と初級の文法などを教えた。

(千種)月・水は観光コース 
     火は初級の授業をした
(ソン)地球の歩き方スタディーツアーを「子どもの家」へ
    案内した。
    金曜日は2人の日本人を「子どもの家」へ案内。

(税田)北海道のSさん一家を案内した。
    北海道の雄武(おうむ)に住んでいる菊さんへ送る
    荷物の整理。JASS函館の会の川人さんへ100点
    程の絵画などを送る。  
     「縫製研修センター」に何度か行き、関係者と懇談

((フーン)月・水・木・金 中級を教えた
      教科書の半分程度を終了。
      

(いぶき)月・金 中級
      火・木 観光コース
      木曜日には、北海道のSさんが授業に参加。

(クアン)地球の歩き方スタディーツアーを案内してナムドンへ
     行った。

(ミン)入所希望が出ていた子どもたちの家庭調査を行い
    最近4人入所した。現在、「子どもの家」には62人
    が在籍。
     「縫製研修センター」に週3回ほど行っている。
    現在「縫製研修センター」では10種類ほどの 
    ブラウスなどのサンプルが出来ている。
     地球の歩き方スタディーツアー参加者などに
   も買ってもらえるように準備をしている。
     現時点で夏のスタディーツアーは200人ほどに
   上る。皆さんの協力でスタディーツアーを成功させよう

ベトナム事務所員会議後、バオミンさん・税田さんと
「当面の諸問題」を話し合う。

午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。

午後12時半から1時間ほど昼寝。外気は40度以上。
いるだけで疲れる。

午後2時から読書「正蔵・三木助集」。
「中村仲蔵」。これは歌舞伎の話。仮名手本忠臣蔵が
落語の中心テーマ。歌舞伎の知識が多少ないと
この話はわからない。
30歳代の頃、真山青果の「元禄忠臣蔵」の
通し狂言(全11幕)を歌舞伎座に見に行ったことがある。
午前8時か9時頃から始まり、午後9時過ぎに終わったような
記憶がある。「大序」から始まり、「二段目」「3段目」「4段目」
「5段目」となり昼食時となる。中村仲蔵の話は、5段目の
弁当幕。観客はお弁当を食べて芝居は見ない。
5段目の地味な役柄だった斧定九郎を派手な役に作り変え
た中村仲蔵の話。この話を聞くだけで歌舞伎社会の
基本的なシステムがわかる。「淀五郎」も同様。

夕方まで「縫製研修センター」関連の資料を作る。
この2年間ほどの間に撮った「縫製研修センター」関係の
写真を調べる。火炎樹日記の2年分を調べ、必要な
写真をストックする。
日本のある団体にJASSを紹介する長文のメールと
資料・写真等を送信する。3時間ほどかかる。

午後5時半、日本料理店で夕食。


午後6時半日本料理店開店。

午後7時半、ベトナム事務所で仕事。
急に豪雨となる。

午後9時、5人のフランス人が来店。
午後10時、閉店。

護送船団で「ハイリーホテル」へ。
その後、ハイ君とリー君を連れて「ハイリーホテル」近くの
飲み屋で一杯飲む。
二人と飲むのは久しぶりだ。
リー君も店長となって2週間以上。予想外にと言っては
失礼だが、非常に真面目に仕事をしている。
たまには、ご褒美が必要。

洗面器に氷を入れてビールを冷やすがなかなか冷えない。

リー君が「鶏肉」「牛肉」「たけのこの煮物」を頼んでくる。

久しぶりで3人で飲んだ。
リー君は父親の家に行った話をしていた。
父親はフエ郊外で2000羽のアヒルを飼っているとのこと。
当初は貧しくて大変だったようだが、やっと落ち着いた
と話していた。新しい奥さんが出来、リー君の異母兄弟も
生まれている。
母親はホーチミン市にいる。時々、電話でホーチミン市に
来いというが、俺は絶対に行かない。
両親とも俺が小さかった時に俺を捨てた。育ててくれたのは
小山先生だ。感謝している。どんなことが起こっても
俺は、小山先生と一緒に暮らすつもりだ、などと話していた。
ハイ君。「子どもの家」に行ったら日本料理店を辞めた
HNさんの話を聞いた。文字に表せない生活をしているようだ。
私は疲れたので午後11時に切りあげて「ハイリーホテル」へ
帰る。二人は更に親交を深める。
明日も午後5時過ぎから3人で夕食を食べる約束をする。

投稿者 koyama : 18:22 | コメント (0)

2008年08月01日

ビーザー診療所医師・看護師との交流会

晴天

天気予報37度。

午前5時起床。読書「正蔵・三木助集」
正蔵;山崎屋、一眼国、淀五郎

午前7時、朝食。
今日は、精進料理を食べる日。
「そうめん入り精進料理どんぶり」。


午前中、日本の海外技術者派遣NGOへ電話。
「縫製研修センター」関連の連絡メールを書く。

午前11時半、昼食。

昼寝。読書。
「ハイリーホテル」停電。

午後3時、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所停電。途中から自家発電機を使う。
今日は午後6時半から「ビーザー地区診療所スタッフ」
との交流会。日本料理の準備をしなければならない。
途中で発電機のガソリンが切れる。

午後4時から午後6時まで「ハイリーホテル」に戻り
昨日の日記を書く。

午後6時半、ビーザー地区診療所スタッフが来店。
今日は、オアシスの会が主催している
船上生活者の医療支援活動を行っているビーザー地区
診療所長、医師・看護師を呼んで、大塚さんが関係者を
慰労する会。

ビーザー地区には多くの船上生活者が生活している。
私たちが支援しているフールー小学校もビーザー地区にある。
オアシスの会の船上生活者支援プロジェクトは毎週土曜日、
フオン川の中州にあるフールー小学校付属夜間識字教室を
使って行われている。先週、私も視察してきたが、毎回
80人前後の船上生活者に医療を施している。無料である。

ビーザー地区診療所の医師・看護師

今晩はバオミンさんとハンさんが通訳として参加。
大塚さん、私、税田さん参加。


はじめにオアシスの会代表の大塚さんの挨拶。
「ビーザー地区診療所の皆さんの熱心な医療活動で
船上生活者への医療支援はうまく進んでいる。感謝している」


小山、乾杯の音頭


大塚さんと日本料理店の子どもたちが作った日本料理店を
楽しみながら2時間ほどの懇談交流会を行う。

今夜のメニューは私たちの日本料理店でなければ
作れないメニューが多く出た。どれも美味しい。
舌鼓を打つ。

●枝豆


●脂の乗っている「豚の角煮」

●野菜の胡麻和え

●豆腐に梅や野菜をのせた和え物

●てんぷらセット

●ごぼうのてんぷら
  私は個人的には「ごぼうのてんぷら」が一番好きだ。
 ベトナムのミネラルたっぷりな塩をつけて食べると最高の味。
 フダ生ビールに最適。


●お寿司の盛り合わせ


●太巻きと裏巻きの海苔巻き


診療所の男性医師・看護師・船上生活者団体の責任者
たちは、フダ生ビール、吟醸酒、日本の麦焼酎を飲む。
吟醸酒は甘いと言い、麦焼酎が一番美味しいとのこと。


交流懇親会の最後にビーザー地区診療所長の挨拶



午後8時半に交流会は終了。後片付けをして、「ハイリーホテル」
へ帰る。

投稿者 koyama : 07:21 | コメント (0)