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2008年08月13日

フエ高等師範日本語学科打ち合わせ

晴天  終日真夏の青空。暑い


午前4時起床。昨日の火炎樹日記を書く。
フエ市国際交流センター設立式典の模様など・・・・。


午前7時朝食。フエ名物「ブンボーフエ」。美味。


野菜もたっぷり



読書「少年A この子を生んで・・・」(少年Aの父母著:文藝春秋)
を読み終える。

1997年5月27日、土師淳君の頭部が神戸市須磨区友が丘中
正門前で発見され、口に警察への挑戦状が入れられ、
「酒鬼薔薇聖斗」(さかきばらせいと)と名乗り、ナチスの十字架
のようなマークがついていた。異様な事件の犯人である少年A。
逮捕後、以前1997年2月10日、通りすがりの小学生の
女児をショックハンマーで殴り怪我をさせ、翌日2月16日には
小学生の山下彩花さんをショックハンマーで殴り殺害している。
これらの殺害を凶行ノートに「人の壊れやすさを確かめるため」
「聖なる実験」と書いている。
少年Aは被害者を「僕が殺した死体であり、僕の作品」といい、
遺体を切り裂き、血を飲んだことを「僕の血は汚れているので
純粋な子どもの血を飲めば、その汚れた血が清められる」
と思ったからと言っている。少年Aが14歳の犯行である。

本書は少年Aの両親が少年Aが生まれ、どのように育てて
来たかを冷静・率直に書いている。
結論的には、少年Aがこうした犯行の犯人だとは逮捕される
まで全く想像すら出来なかった、と言っている。
土師淳君が行方不明になり、中学校の校門にその
頭部が置かれている報道を家族が食事をしながら
テレビで見ていたが、両親は自分の長男の犯行とは
夢にも思っていなかったと書いてる。

本書を読んで感じることは二つ。

一つは、少年Aの両親は普通のどこにでもいる家庭の親だ
ということである。父親は鹿児島県の離島から中学を卒業し
大阪に就職。真面目に努力し、神戸の須磨に家を買い、
家族5人(3人の男児)で「幸せに」暮らしていた。
趣味はゴルフなどで口数の少ない、仕事熱心な父親。
母親は子どものためにと専業主婦になり、子どもたちの
成長と教育を願い、一生懸命に生活している。
一般的に言えば、日本のどこにでもありそうな家庭である。
両親は少年Aの犯行を最後まで信じていなかった。
逮捕された後も誤認逮捕かもしれないと思っていたほどで
ある。こうした親を責めることは出来ないように思えた。
勿論、被害者の親の立場に立てば、そんな「甘いことは
いえない」との反論もでてくるだろうが・・・・。


第2に少年Aが2人の殺人とハンマーで女児の頭を殴り
頭蓋骨陥没という重症を負わせた事件の「前兆」があったのか
ということである。
本書を読むと中学入学前後から少年Aは、手に腕時計の
金具のバンドを巻きつけて友達の顔を殴り前歯を折ったり、
万引きを繰り返したり、女子を家まで追いかけたり
学校や家で小刀を持っていて見つかったりと様々な
問題を行動を起こし、学校に親が呼ばれ、教師と話し合いを
している。土師淳君を殺害した時も学校に行かず、教育相談所
に通っていたのである。
こうした前兆を的確に掴んでいれば、何か手を打てたのかどうか?
その辺の所は誰もわからない事件でもある。

逮捕され精神鑑定を行なっているが、脳に異常もなく精神病的な
症状もないとの診断・鑑定がでている。性的サディズムの傾向が
あり、「直感像素質者」(一度見たものを数年後でも鮮明に思い出し
再現できる資質)であること。

両親も学校の教師も教育相談所の相談員も見えないもう一つの
少年Aの存在を見抜くことが出来なかった。

本書を読んで親は何故気付かなかったのか?という疑問は
残る。しかし、この事件を分からないと闇に葬り去るのではなく
こうした形で親がどんな育て方をしたのかを親の立場で社会に
公表することは、社会的に意味のあることのように思えた。
文藝春秋社の努力も評価したい。

先日は草薙厚子著の少年Aに関する本も読んだ。
しかし、この事件の真相は藪の中である。
その後、この種の「動機不明」な少年事件が続発している。
子どもたちや若者の心の中に私たちが想像できない
闇が出来ている社会になっているのだろうか?
子どもたちが『自立』することの難しくなった社会でもある。

ボランティア貯金完了報告書に添付する写真をパソコンから
探すがなかなか見つからない。

洗濯。洗濯機の電気が切れてしまう。

午前9時、ベトナム事務所へ。フエ高等師範日本語学科の
先生と懇談。フエ高等師範大学日本語学科の今後の
運営、カリキュラム、時間割、日本人教師の授業などについて
詰めた話し合いをする。フーン先生・バオミンさん・税田さん参加。


午前11時半、昼食。
厚揚げの甘辛煮。ミットの炒め物。海老入り野菜スープ。

午後12時半から昼寝。
この1ヶ月ほどの疲れが出る。午後2時半まで横になっている。

読書「父への手紙」(窪島誠一郎著:筑摩書房)


午後3時半、ベトナム事務所へ。

ボランティア貯金関連の写真をパソコンで探すがどこにあるのか
分からない。

午後5時半、日本料理店で子どもたちと夕食。

人参と骨付き豚肉の煮物、インゲンの煮物。



午後6時半、日本料理店開店。

欧米人、ベトナム人など来店。


午後9時閉店。大塚さん・税田さん・リー君の4人で
「ハイリーホテル」へ帰る。


読書「父への手紙」(窪島誠一郎著)
背の低い父親と母親の子として育った窪島氏だが、
自分は大男で体格も良いことに疑問を持つ。
中学の頃手術をした際、血液型の検査をする。
父親と母親はA型とB型。自分はO型であることを
知り、自分の出生に疑問を持ち始める。
アルバムがある。半ズボンとスーツを着た窪島氏が
プラスチックの模型飛行機を持っている写真が
写っている。三才位の写真である。どうして、オムツを
した自分、赤ちゃんの頃の自分と両親の写真がないのか
更に疑問を深める。
そこから窪島氏の「親探しの旅」が始まる。

投稿者 koyama : 2008年08月13日 07:40

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