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2008年08月10日
休日
晴天
午前7時起床。
午前10時、一昨日の日本料理店の残りの『串揚げ』
と野菜スティックをおかずに冷凍うどん(チャオバンカン)。
読書「昭和特高弾圧史 庶民に対する弾圧」読了
(赤石博隆・松浦総三編:太平出版社)
非常に興味のある本である。
1936年から1945年の敗戦までの間、特別高等警察
が関係者に発行した「特高月報」「特高外事月報」
「特高月報原稿用紙」を松浦総三氏がアメリカ議会図書館・
国立公文書館で発掘したものである。
特高警察は、内務省直属の思想犯罪、社会運動などの
弾圧を専門としていた。15年戦争中は庶民の反戦・
厭戦・皇室に対する不敬罪などの摘発に当たっていた。
この数日で340ページに上る「庶民に対する弾圧」を
焦点にした1冊を読了した。
この本は、特高月報に書かれていることを淡々と
記述しているだけの「資料本」である。何の解説もない。
しかし、客観的な資料を熟読するほどに、戦前の
天皇制支配体制がいかに庶民の「呼吸」そのものを
標的にスパイ網を広げていたかが良くわかる。
この本の内容は60年・70年前の日本の異常な戦時下の
出来事というだけではなく、現在でも某アジアで社会主義を
名乗る国で行われている現実であることに注目する必要がある。
けして特高月報が過去の出来事ではないのである。
以下、特高月報に紹介されている摘発事例を紹介する。
この本を読むと戦前、天皇制支配体制の下で
共産党も組織的な活動が出来なくなり、一方的に
戦争に駆り立てられていたものと思っていたが
庶民はしたたかであった。
「便所への落書き」「塀への張り紙」「東条英機・警視総監」
「陸軍大臣」などへの差出人不明の手紙など様々な方法を
駆使して戦争に反対していた事実を知る。
●1937年(昭和12年)
・住所不定 似顔絵師 川崎義夫(35歳)
8月10日午前11時頃香川県下白鳥本町国鉄白鳥駅
事務室に於いて同駅駅長小野久太郎外2名に対し
「資本家は税金を出すのみで実際戦争に行って死ぬのは
我々のような下の者のみだ。今度の事変は欧州大戦
より大きくなる。支那兵も皆死んで仕舞ってからいかに
戦争が悲惨なるかを知ればよい。今度の事変は
日本の領土的野心から起こったものであるが、支那全部
を取っても統一は出来ぬ」と反戦的言辞を弄す・
(陸刑違反として身柄共送局)
・昭和12年12月11日。長崎県佐世保市元町佐世保鎮守府
下士官集会所内便所其の他に「打倒 帝国海軍」
「打倒帝国」と落書きあるを発見。(憲兵隊と協力捜索中)
・3月23日、大阪市港区天保山桟橋待合室共同便所に
「諸君よ戦争をやめよ。なぜなるか このたびの戦争は
大の虫を助けて小の虫を殺すなり。もしこの戦争を続けるなら
皇室と皇族の財産をもってなすよう要求しよう、そうして
国民の幸福をはかろう、国内で人一人を殺しても大罪人。
戦争は神よりみて大罪人」落書きあるを発見す。
(捜索中)
●1939年(昭和14年)
・国旗冒涜
愛媛県 浜田善秀(23歳)
「本月3日、補充兵として松山連隊に応召入隊に際し、
日の丸をふんどしの代用に使用す」。(左翼思想に
関係なきことと判明に付き釈放)
・香川県 歩兵二等兵 三浦忠治(22歳)
「先月入営当日、御真影は偶像であるから奉拝せぬ」
と不服に亘る言辞をなしたり。(本月16日、第11医師団
軍法会議に於いて懲役2年の判決あり。服役)
・蔵座袈人(21歳)
3月17日兵役を免れる目的を持って「なた」で
左親指を切断せり。(熊本県)
(本月18日、人吉裁判所に於いて懲役6ヶ月の
判決言い渡しありたり)
●1940年(昭和15年)
・山梨県南巨摩郡硯島村雨畑120 農業 大野長作(63歳)
先月23日、南巨摩郡硯島村妙法寺に於いて、
住職福本義省の住所披露宴の席上村民15・6名の面前にて
「戦争は天皇がさせるのだから天皇が止めるように命令すれば
止むのである。天皇陛下が戦争させるから益々人民が
困るのである」と不敬並びに反戦言動を弄す。
・8月24日付けの消印ある。内務大臣宛の差出人
「世界を家とする自由の使徒」なる左の如き投書あり。
「私は自由を最も貴いものと教え込まれもし、また、自身も
そう信じています。個人の自由を束縛し国家のために
個人を犠牲に供することは間違ったことと思います。
弾圧・弾圧で国家の為に強く押さえつけようとする
ことに反感以外のことを覚えません。自由のない所
には幸福はありません。国を不幸にすることが愛国者
の道でしょうか? あまり無茶な圧制はしないでください。
国家主義と軍国主義には絶対に反対するものです。
弱肉強食の戦、獣の様な戦争など誰が賛成できる
ものですか?よく胸に手を当ててお考えください。
貴方にしたところで賛成できないでしょう。私の信念
はどんな弾圧を受けても変りません。自由主義・
平和主義・自由学園の誰しもがそれをのみ心の
中に貴んでいます。〔捜索中)
●1941年(昭和16年)
・不敬言辞
和歌山県海郡和佐村大字和佐中307 上野喜人(19歳)
本年4月25日居村駄菓子商中村敏三方店舗に於いて
中地敏三他3名と共にラジオ聴取中、当時執行の
靖国神社臨時大祭にあたり、天皇陛下御親拝の実況
を放送せらるるや前記4名に対し
「お召し車で行くとはもったいない。天皇陛下も足があるの
だから歩けばよい、云々」と放言。
本年7月20日頃、前記中村敏三方店舗も於いて、
中村敏三他3名と欧州戦局に関する交談中、
「ドイツが強いのはヒトラー自ら戦線に出て指揮を
しているからだ。日本の天皇陛下は指揮も執らず
何もして居らぬではないか。くそにもならん。」と不敬言辞を
弄す。(8月27日不敬罪により所轄検事局に送致す)
1945年の敗戦が近づくに連れてこの種の検挙が続出している。
東条英機への匿名の「戦争やめろ」の手紙も続出。
午前10時。以前買った「チャオバンカン」を冷凍して
いたものを解凍して食べる。
午後12時、2時間ほど昼寝。
その後、ボランティア貯金完了報告書作成作業。
日記の記述・日にちなどの整合性を一つ一つ確認
していく作業は気の遠くなるものである。
ODA「縫製研修センター」支援の報告書作成。
これも2年前からの活動の軌跡をなぞりながらの
報告書作成である。
夕方、コムディアを買い、フダビールを飲む。
読書「少年A この子を生んで・・・・」(少年Aの父母著:文芸春秋)
家族から電話あり。
投稿者 koyama : 2008年08月10日 23:14