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2014年09月30日

終日、休んでいた

一昨日から昨日朝まで続いた『下痢」の
後遺症。体力を消耗。

今日・明日は、食事を作ってくれるセンさんに
食事つくりを断っている。

午前中は、起きられなかった。
朝食兼昼食のために「おかゆ」を炊飯器で
炊いていたら「停電」になる。

室内気温は35度になる。

食事は作れない、暑い室内でとにかく横になっていた。

午後停電が回復。炊飯器で「おかゆ」を作り、お茶碗1杯
を食す。「ねぎ味噌」で。

その後も体がフラフラするので、寝ていた。

投稿者 koyama : 19:23 | コメント (0)

2014年09月29日

故木村百合子さん10回忌を行う

2004年9月29日 24歳と言う若さで自死した
木村百合子さんの10回忌をフエ市内に建設した
「木村百合子記念寄宿舎」で行った。

●1979年11月14日 木村百合子さんは、静岡県磐田市
               で生まれた。
●1998年3月 静岡県立磐田南高校を卒業。
●1998年4月 静岡大学教育学部入学
●1999年3月 静岡大学教育学部の授業で 
           JASSのストリートチルドレン支援活動を
          知り、フエ市の「子どもの家」でボランティア
          活動を行う。
          JASS会員となる。
●2002年3月 静岡大学教育学部を卒業
●2004年4月 静岡市磐田市内の小学校教諭に就任。
●2004年9月29日 学校の管理職等の「いじめ」に遭い
          自死する。
          ○その後、ご両親が学校の管理職等の
            「いしめ」が原因だとして、公務災害
           申請をおこなうが、公務災害基金が
          拒否。
           ご両親は、裁判に訴え、静岡地裁で
          勝訴。そして、東京高裁で最終勝訴し
          勝訴が確定。
●2013年8月19日
          公務災害裁判で勝訴し、公務災害認定
          され、支給されたお金の一部を
          JASSに寄贈。
          JASSは、一生教員で人生を終わる予定
          だった木村百合子さんの遺志を受け継ぎ、
          フエ市内に大学生の寄宿舎」として
          「木村百合子記念寄宿舎」を建設。
   

2014年9月29日 今日、10回忌と「木村百合子記念
            寄宿舎」を視察し、寮生の希望などを聞く。



現在、24人の大学生が入寮している。(満室)

木村百合子記念寄宿舎からオートバイ・自転車で
大学へ通学。

一つの部屋を訪問。フエ市より一つ北の県
「クアンチ省」から来たフエ農業大学の学生

部屋には、薄型テレビもあり、木村百合子
寄宿舎での生活を満喫していると言う。

木村百合子さんの「無念な気持ち」を想像すると
いつまでも「この世に木村百合子さんという人間が
いた」ことを誰かがどこかで思い出すことも
追悼の気持ちの一つかと思っている。


午前11時、木村百合子寄宿からベトナム事務所へ
帰る。

今日から日本料理店長のトゥオイさんが
ホーチミン市に1週間行く。母親が孫の
トゥオイさんの娘をホーチミン市で行われる
結婚式に連れて行くことになった。
トゥオイさんは、娘が心配だとのことで、
母親と1週間の結婚式参加のためホーチミン市に
行くとのこと。

店長兼調理主任ががいないので、調理は新人の
ハンさんのみ。日本料理店を開店することが
出来ない。仕方がないので、調理主任の
トゥオイさんがホーチミンから帰ってくるまで
日本料理店を閉店する。

日本料理店が閉店されると日本料理店で夕食を
摂っている石井君と私が夕食がなくなる。

石井君をベトナム事務所に呼ぶ。
事情を話し、今日から1週間夕食は自分で好きな店
で摂るように話し、一週間分の夕食用の費用を渡す。

===============

午前6時半、起床。

昨夜、ひどい「下痢」で一晩中苦しくて眠れなかった。
前日の土曜日に料理のセンさんが日曜日分の
食事1回分を作っておいてくれる。

昨日の食事は、日本の『ラーメン』のような麺と
豚肉のスープだった。
脂っぽいものが喉を通らないので、昨日、
「ラーメン風の麺」に日本のうどんの「つゆ」を
入れて食事とした。

これが「食中毒」の原因だった。
この「ラーメン風の麺」は一度茹でてあるので、安心
して、「そばつゆ」を入れてそのまま食べたが、
バオミンさんの話では、一度茹でてはあるが、
不潔なものなので、再度食事の際には、茹でなおして
黴菌を殺して食べるそうだ。
私も今までは、肉入りのスープにこの「ラーメン風の麺」
を入れて、熱湯で煮沸して食べたていたのだが、
疲れていて、脂っこいものが食べられず、「日本のソバ」
のようなものが食べたいとの欲求に負けてしまった。

午前0時を過ぎた頃から吐き気と下痢が続く。
朝5時頃まで10数回のトイレ行きとあいなった。

吐き気と下痢は、続き、一晩中眠れなかった。

ーーーーー
石井君に1週間分の夕食代を渡し、宿舎へ
帰る。


今日の昼食は料理のセンさんに頼まず、
自分で「おかゆ」を作り、「ねぎ味噌」(カツブシ入り)
を作り、お茶碗一杯分食す。食欲なし。
力が出ない。

その後、2時間程昼寝。

午後4時過ぎ、電動バイクで「静岡フエ青年交流会館」
へ。JASS日本語学校中級クラスの授業。

午後4時14分から午後6時15分まで。

中級の生徒は8人。大半の生徒は
私も知っている。

午後7時まで宿舎へ。

日本語学校へ行く途中、手打ちウドンを
市場買う。

午後8時。小麦粉の手打ちウドンを茹でて、
そばつゆで食べる。

何人かの方からメール受信。熟読し、色々と
考える。

体がだるい。昨夜一晩下痢で眠れなかった。
酷い下痢だったので、体力もかなり消耗している。

今後2日間、センさんの食事を断る。
下痢の食事も脂が入っているので
到底食べられない。今後2日間は、自分でおかゆなどを
作り食べることにする。体力回復が最大の課題。

火炎樹日記用の「デジカメ」をいれたカバンを
路上におとしてしまう。デジカメのガラスの部分に
ヒビが入る。パネルのタッチ機能が使えなくなる。
パソコンにつなぎ何とか写真が見られる。
火炎樹日記に乗せることが出来るが、
もう直ぐに使えなくなることは明らかだ。
10年間使ったが、残念。

投稿者 koyama : 13:09 | コメント (0)

2014年09月28日

多少長い文章を書く

終日快晴

午前8時起床

朝食を摂らず、午前10時までベッドで
横になり読書。

午前11時、フダビールを冷やしたものを
飲む。
起き抜けの『一杯』は飲む価値あり。
飲む権利がある、などと自己理由をつけて
3本飲む。

今日は1日外出する仕事がない。

飲みながら、かなり長い文章を書く。


午後2時、昼寝。

午後、引き続き文書を書く。


昨夜から生まれて初めて「歯が痛く」なった。

今日も右の奥歯が痛くて食事がしにくい。

ベトナムの歯医者は怖いので(バオミンさんの言)
いきたくない。いつも行っている我が家の近くの
かかりつけの歯医者に行けば、簡単に治せるの
だが・・・・・。次回の帰国まで2ヶ月程、フエで
我慢しなければならない。

歯が抜ける、歯が悪くなるのは、動物が一歩、一歩
死に近づいている証拠である。
ものが食べられないのはつらい。出来たら、急いで
帰国し、我が家の近くの「インプラント」3本を入れた
かかり付けの歯科医に行きたい。
ベトナムに20年住んで、この種の問題が一番大きな
悩みではある。

投稿者 koyama : 20:38 | コメント (0)

2014年09月27日

バオミンさんと当面の課題について協議

快晴

午前6時起床。

午前7時朝食。

フエ名物「ブンボー・フエ」(牛肉米麺)

午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。

1週間ぶりにJASSベトナム事務所へ戻り、
一安心のバオミンさん


久し振りにバオミン委員長がベトナム事務所に
戻ったので、多少「緊張気味」のベトナム人スタッフ。
(ハン財政部長は、体調を崩し休み)


その後、ベトナム事務所会議室で「当面の課題」に
ついて、バオミンさんと協議。
大きな課題がいくつかある。


午前11時405分、昼食。


全部食べ切れなかった。

その後、2時間程昼寝。

午後読書「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日(初版)」
(カール・マルクス著 平凡社ライブラリー)

ルイ・ボナパルトはナポレオンの甥。帝政を復活。
ブリュメールは、1789年の「フランス革命」後に
キリスト教紀元をやめて「革命暦」を作る。
革命暦の2月で「霧月」。
そのまま訳すと「ルーボナパルトの2月18日」となる。

マルクスの本は、ギリシャ神話からローマ、キリスト教
やヨーロッパの古典文学などの引用が多く、博学すぎて
理解が難しい。私としては結局この本でマルクスは何を
言おうとしているのか、を探っている。
それは、安部政権の歴史的な位置づけにも関連する。

午後6時、日本料理店へ。既に石井君は夕食を摂って
バオミンホテルへ帰宅。

日本料理店のスタッフ3人が仕事。

来客は欧米系2人、日本人1人。

現在は、観光の「OFFシーズン」。
街をお客さんが歩いていない。

店長兼調理中主任のトゥオイさんと
調理のハンさん。二人とも「子どもの家」出身の
子どもたちだが、既に二人とも結婚し、それぞれ一児の
母親になっている。



接客主任のグエットさん。いつも真面目に
仕事をしている。

観光のOFFシーズンはそれほどたくさんの
来客はないが、コツコツと仕事をすることが大事。


午後9時過ぎ最後のお客さんが帰り閉店。

子どもたちがオートバイで帰宅。私は徒歩で
帰宅。

宿舎でギンギンに冷えたビールを「くさや」を
おつまみに飲む。

明日は日曜日。料理のセンさんも休み。
朝7時に朝食を摂らなくてもいい。

今日は少し、ほんの少し多く飲んでも
良いと自分で決めて、冷えたフダビールを
数本飲んだ。

最後は、「福島県二本松市」の「大七酒造」の
「大七生酛(きもと)梅酒」をほんの少々嗜む。
本当に美味しい「梅酒」である。氷を少し入れて
最後の「飲酒仕上げ」に飲むのには、最適。

投稿者 koyama : 19:30 | コメント (0)

2014年09月26日

通常業務

終日快晴

午前6時起床。

午前7時朝食。

ハノイ名物「フォー・ガー」(鶏肉米麺)

午前8時半、徒歩30分の所にある理髪店へ。
20年間通っている。黙って座れば、全て
調髪してくれる。 200円。

午前10時帰宅。

いくつかの仕事をする。

読書「ルイ・ポナパルトのブリューメル18日」(マルクス)
を読み始める。

昔読んだのだが、再読。現在の世界資本主義や
安部政権がどのような性格の政権か?
本書を読んでなにか掴めるものがあるかないか?

午前11時半、昼食。

「マカロニスープ」


食後2時間程昼寝。

仕事が多く、多岐にわたるためか、疲労感が強い。

日本から電話あり。フエにいる若者の件。

2つの長文の文書を書き始める。


午後6時、徒歩で日本料理店へ。

富岡先生が一時帰国したため、残っている日本人は
私と石井君。石井君は夕食中。しばらく、「人生」
について話し合う。

その後、来客有。

午後9時半、閉店。

午後10時帰宅。

いくつかの文章を書く。

投稿者 koyama : 23:49 | コメント (0)

2014年09月25日

18年ぶりの日本語教育

午前中曇り・午後雨

午前6時起床。

朝食。「カニ団子入り小麦うどん」



午前中、いくつかの問題解決のため
ホーチミンにいるバオミンさん等と電話で
打ち合わせ。

午前11時半、昼食。

「海老入りおじや」を半分食す。


その後、2時間程昼寝。

昨夜、富岡先生が帰国。

約1ヶ月間、代わりに日本語学校で日本語を
教えることになった。

午後4時過ぎからの授業の準備。


午後4時、電動自転車で「静岡フエ青年交流会館」
内にある日本語学校へ。

上級の上の「特上級」クラスの授業を行う。


フエ外国語大日本語学科を出た生徒2名。
日本に留学した生徒1名。

日本語の会話や読み取りもかなり進んでいるが、
日本人と普通の会話が出来るレベルには至って
いない。

今日は、読解の授業をしたが、800字程度の
文章の趣旨・テーマを問う問題だったが、
個々の文字や文章・語彙の学習能力が
水準に至っていないため、細かいところに
頭が行き、800字程度の文章の趣旨・テーマを
大づかみに読み取ることは出来なかった。
語彙力と全体を『大きく読み取る練習』が必要なことが
分かった。

午後6時半、電動自転車で日本料理店へ。

富岡先生が日本へ一時帰国したので、日本料理店
は私一人となった。何の仕事をするわけではないが、
子どもたち人だけでは、お客さんとのトラブルなどへの
対応が出来ない。

私が日本料理店に帰ったら、店長のトゥオイさんが
サーモンの刺身を生ビールのおつまみに出してくれた。


合わせて、私の好きな「フエのスルメ」を焼き、
醤油をかけ、一晩冷蔵庫に入れておい「スルメ焼き」
とピーナッツの油いため潮入りを作っておいてくれた。

軽く生ビールを飲みながら、来客の様子を見る。

午後9時までに5人の来客あり。

午後9時過ぎ閉店。

帰宅後、ホーチミンにいるバオミンさんから電話。
打ち合わせを行う。

投稿者 koyama : 23:25 | コメント (0)

2014年09月24日

四国・香川から来訪の日本語教育体験者案内

終日雨。

今日は旧暦の「9月1日」。

ベトナムでは、旧暦の1日と15日に精進料理を食べる。

午前7時、朝食。「精進ブン麺」

午前7時45分、宿舎の近くに車が迎えにきてくれる。
車で香川から来られた日本語教育体験のA氏・B氏
が投宿しているホテルへ。

本来は、ベトナム事務所のAさんの担当だったのだが、
Aさんが体調を崩し、私が代役をすることになった。


バオミンさんとソン君はブライセン関連の案内業務。
富岡先生は、今日の午前中フエを発って一時帰国の
徒へ。


A氏たちの投宿しているホテルから
ベトナム事務所へ。ベトナム事務所員と対面・挨拶。

昨年も来られたAさんなのでベトナム事務所員とは既に
顔見知り。


ベトナム事務所で今日の日程を確認し、日本語教育
体験の目的ないどを伺う。

更にベトナム事務所の応接室で、2時間程、日本に来ている
海外子女の日本語教育などについて話し合う。

在日の外国人子女への日本語教育について、熱い
お気持ちを持っているお二人である。日本に
こうした熱い気持ちを持っている方々がいることに
安堵の気持ちを持つ。

「子どもの家」へ。

1時間程かけて「子どもの家」を案内。
刺繍みやげ物店も参観。

午前11時50分頃から子どもたちと一緒に
昼食を摂る。


今日の昼食は

①空芯菜のスープ
②野菜入りの卵焼き
③インゲン豆と豚肉の炒め物
④ご飯

成長盛りの子どもたちには、一応、適量の
食事と考えている。
正確な英語をなら「ダイエット」料理と言える。

香川・丸亀から来られたBさんも子どもたちと
一緒に食事をしながら、話し合う。


チーラン通りの「子どもの家」から来た12人の
子どもたちと私はお互い知らない同士。

42人の中の12人なのでかなり高率で
私を知らない子どもたちがいる。


左のH/Nさんは、フエ医科大学薬学部の学生。
右のAQ君も「子どもの家」は長い。
久し振りに子どもたちと一緒に昼食を摂る。

チーラン通りの子ども(左・新人)とグエンチャイの子ども


左(チーラン通りの新人)

こんな小さな子どもが「子どもの家」に預けられるのは
深い事情があるのだろう。私は未だチーラン通りの
子どもたちの家庭の深い事情までは聞いていない。
チーラン通りの「子どもの家」が、ベトナム政府の
強引なビザ発給政策に抗議し、「子どもの家」を
閉鎖したのは、つい先日。
小さい子どもたちが、我が「子どもの家」で健やかに
成長することを祈るのみである、

右のTさんとは、非常に古い付き合いだ。
20年近く前からの付き合い。小学校1年か
2年生位の頃、「子どもの家」に入所した。
現在はフエ師範大の化学学科を卒業し
高校・中学の化学教師の就職活動を行っている。

「子どもの家」の数少ない男子。

午後12時半過ぎ、雨の中、車でホテルまで
見送る。その足で宿舎へ。

2時間程、昼寝。


午後、里親への各種の手紙を書く。


午前11時15分・フエ発ホーチミン行きの
飛行機で富岡先生は一時帰国。

午後6時半。日本語教育体験ツアーのお二人が
ソン君の案内で日本料理店へ。

午後9時半まで日本語教育から平和の
問題など様々な分野の話をする。

日本にもまだ「知的」で「良心的な人々」が残っていることに
安堵の気持ちをもつ。

午後9時45分日本料理店を出て、宿舎へ。

投稿者 koyama : 09:26 | コメント (0)

2014年09月23日

ハンさんと打ち合わせ:日本語の先生と打ち合わせ

午前5時起床。

昨日の疲れが未だ取れない。

午前7時朝食。「フォーボー」(牛肉入り米麺)

午前9時、ベトナム事務所へ。
バオミンさんはブライセン関連の案内でダナンで活動。
9月26日まで滞在する。

日本で頂いた支援金・奨学金などを
財政担当のハンさんに手渡す。寄贈者に領収書を
送るように話す。


午前9時。日本語教育部長のフーン先生、富岡先生
と3人で日本語教育の打ち合わせ。

9月24日から1ヶ月程、富岡先生が一時帰国する。
既に川原先生が大学へ戻り帰国しているので、
9月24日以降、日本人は私一人になってしまい
日本人の日本語教師がいなくなる。ということで、
9月25日から週2回午後4時半から2時間、
私が日本語の授業をすることになった。

今日は、9月25日からの私の日本語教育の
分担と今までどのような形で日本語教育をして
いたのかをフーン部長、富岡先生に教えてもらう。

昼前にベトナム事務所を出て宿舎へ帰ろうと
したら雨。


昼食 「肉団子入りの小麦うどん」

午後2時間程昼寝。

今日は2回洗濯をする。

その後、当面の諸問題について「課題」と「解決方策」
を考える。


退所した「子どもの家」の里親の皆さんへのお礼の
手紙などを書く。


午後6時、徒歩で日本料理店へ。

富岡先生、石井君が日本料理店で活動。
明日、日本へ一時帰国するのに最後の日まで
仕事をしてくれて感謝。



日本の支援者から送られた「大島のくさや」
の臭いをかいで喜ぶ石井君。


私が代行して食べてみたが、品があるくさやで
一味違い美味しい。


午後9時過ぎ閉店。

午後9時20分、宿舎着。

軽く「福島県二本松市」の「大七酒造」の
「大七生酛(きもと)梅酒」をほんの少々嗜む。

何ともいえない高貴な香りがする。
最高の梅酒ではある。


投稿者 koyama : 18:51 | コメント (0)

2014年09月22日

フエ帰国

午前5時起床。

午前6時半に自宅を出て日暮里へ。

午前7時半のスカイライナーで成田空港第一ターミナル
へ。

午前8時半、成田第1ターミナル着。

午前9時半、成田発ホーチミン行きの
飛行機に乗る。

午後1時半(日本時間午後3時半)ホーチミン着。

ホーチミンの国内空港は大改修中。

2時間半程空港で待ち、午後3時50分(日本時間
午後5時50分)発フエ行きに乗る。

午後5時10分(日本時間午後7時10分)、フエ空港着。

フエの気温は30度。

宿舎へ。

荷物の整理。石井君へ渡すように頼まれた
チーズなどかなりの量のお土産を袋に入れ
日本料理店へ。

来客1人あり。

富岡先生、店長のトゥオイさん、調理のハンさん、
接客のゴエットさんに挨拶。不在中の状況を
聞く。富岡先生と少し話をする。

奈良県から来られたお客さんと話す。

今日、「子どもの家」を見学されたとのこと。
わざわざ日本料理店に来て食事をして頂き
感謝。

ベトナムの実情、子どもたちのことなどを
話し合う。午後9時前にお客さんとの
話を終わる。直ぐに閉店。

午後9時半、宿舎へ帰る。

室温32度。暑い。

荷物の整理。部屋の掃除と片付けなどを
する。

バオミンさんは、9月26日までダナンに滞在し
お客さんの案内。

長い1日だった。日本時間で計算すると
午前5時に起きて、翌日の午前1時頃寝るという
1日だった。長い1日ではある。

改めて日本とベトナムの間の行き来の回数を
考えてみた。

1年間に3回程度帰国している。
年間6回程度日越間を飛行機で移動している。
20年間にすると120回程度、日越間を行き来
したことになる。

日越間の飛行機の旅は家から成田空港まで
時間がかかり、かなり疲れる。

これからしばらくフエでの活動となる。

いくつかの問題を整理し、回答を出さなければ
ならない。

26日にバオミンさんが帰って来てから
突っ込んだ話し合いをする予定。


投稿者 koyama : 23:23 | コメント (0)

2014年09月17日

バオミンさんと連絡

バオミンさんと電話でいくつかの件について
打ち合わせをする。

投稿者 koyama : 14:25 | コメント (0)

2014年09月16日

アムネスティー・インターナショナル関係者と懇談

曇り

諸般の事情で忙しく、日記を書く時間がない。

午後6時、「アムネスティー・インターナショナル」の方と
池袋でお会いし、講演会等の話をする。

私が東京の現場教員をしている時、お会いした「アムネスティー」
の方も世田谷区で教員をしていた仲間だったことを知る。

ほぼ同じ世代。教員を退職した後もこうした形で
社会活動していることに「同じ気持ちを持った同士」だとの
感慨を深くする。

投稿者 koyama : 14:18 | コメント (0)

2014年09月05日

東京→香川(丸亀)

午前6時自宅を出て、午前8時10分東京発の
新幹線に乗り、岡山へ。岡山から瀬戸大橋線
で丸亀駅へ。午後1時過ぎに丸亀駅着。

協同組合共栄のAさんの会社へ。

Aさんと実習関係のBさんと懇談。


今後、協力して仕事をするための打ち合わせをする。

午後6時過ぎから丸亀市内の京極家の別館だった
中津万象園の料亭で会食。



特に夜の中津万象園の夜景は素晴らしいものであった。

投稿者 koyama : 20:14 | コメント (0)

2014年09月03日

8月29日~9月3日

自宅の整理。休養

ベトナム事務所との間で何度か連絡を取り合う。

投稿者 koyama : 11:08 | コメント (0)