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2014年10月31日

バンベー46号編集

雨が降ったり晴天になったり、不順な天候

午前1時半に起きて、昨日使用不能にパソコンを再度使ってみる。

何とか使えた。いくつかのメールを送信し、火炎樹日記を
書く。

午前6時起床。

朝食「ブンボー」(フエ名物牛肉米麺)

午前中、バオミンさんと電話で日本料理店の打ち合わせ。

その後、バンベー46号に掲載する写真を古いパソコンから
時間をかけて探す。

この間、バンベー46号用に集めた写真は、数百枚に上る。

その1割程度を使用する。


午前11時半、昼食。

「魚入りおじや」

食後、1時間半程昼寝。気候不順のため体がだるい。

ソン君が、私のビザ取得のため宿舎までパスポートを
取りに来てくれる。バオミンさんは、ダナンでお客さんの案内。

引き続き、バンベー用の写真を探す。

依頼してあった各地の会からの原稿も残り1つとなった。
皆さん忙しいので、そんなに早く原稿を書き、送信することは
出来ない。

バンベー構成の試案を作り、ページの割り振り等を行う。

今日は1日中、3つのパソコンで写真を探し、文章を考えと
細かい仕事を進めた。結構、目と頭が疲れる。

投稿者 koyama : 19:55 | コメント (0)

2014年10月30日

石井君日本へ帰国:停電:日本語教育

午前6時起床。

今日は午前7時に石井君が日本へ帰国する。
現在、JASSベトナム事務所にいる日本人は、私と石井君のみ。

とういうことで、見送りに行く。

午前7時出発なので、午前7時の朝食は食べられないので、
昼食作りだけにセンさんに来たもらうのも申し訳ないので、
朝食・昼食を断る。

午前6時50分にバオミン・ホテルへ。石井君はなかなかホテルの
フロントに出てこない。20~30分ほど待つと帰国の用意をして
ホテルフロントに出て来た。これから車でダナンまで2時間、
その後、ダナン空港から成田へ。
途中でトラブルなども想定されるので、急いで
車に乗るようにする。写真を写す時間もなかった。
1年6ヶ月のフエ滞在で色々なことを学んだものと思う。
日本へ帰国後も元気に暮らして欲しい。

午前7時40分頃、バオミン・ホテルを電動バイクで出て、
路上の「フランスパンに野菜や卵焼きなど」を入れた
朝食を買う。1万ドン(50円)

部屋に戻り、コーヒーを湧かし、野菜・肉入りのフランスパン
1つを朝食とする。

午前8時過ぎ、バオミンさんから電話。日本料理店の件で
長時間打ち合わせ。バオミンさんは、ダナンへ。

午前9時過ぎ、ベトナム事務所ノハンさんと電話で打ち合わせ。
奨学金の件。

バンベー46号の編集作業。細かい仕事が続く。

昼食は用意されていないので、昼食抜きで横になる。

雨が降ると急激に気温がさがる。昼から晴天で太陽が
顔を出す。気温の寒暖差が大きい。
季節の変化に体がついて行けない。非常にだるい。
仕事をする意欲が低下する。

1時間程昼寝をしようかと思った途端「停電」。
外は真夏並みに太陽が照っている。

暑い室内で横になり、汗を拭きながら1時間程横になるが、
却って体に良くない。

結局、午後3時まで停電が続く。

この間、
読書「「満州国演義8 南冥の雫(なんめいのしずく」(船戸与一著)読了

午後4時15分からの日本語学校「特別上級クラス」の授業の予習をする。
一つの漢字・一つの事柄を教える時、出来るだけ関連する文字・意味
などを教えるようにしている。

午後4時、宿舎を出て「静岡青年交流会館」内のJASS日本語学校へ。

日本語能力検定試験の1級合格を目指しているクラス。
日本に滞在した経験のある生徒。フエ外国語大学日本語学科を
卒業した生徒など。

日本語能力試験に「会話」はない。実際に日本語を話す試験はない。
結局、文章の読解力などがあれば、日本語能力試験は合格して
しまう。実際の仕事の現場では、日本語の実践的な会話力が
求められるのだが。

午後6時半、日本語学校特別上級コースの授業を終え、帰宅。

いくつかの受信メールを読む。

今後の会運営についての色々な考えを文章にまとめる。

日本料理店が休みなので夕食はない。

軽く麦の液体を試飲する。

パソコンの調子が悪い。火炎樹日記などがパソコンに
出てこない。

リー君から電話あり。11月1日(土)の夜、飲もうとのこと。

疲れもあり、午後8時過ぎに就寝。

午前1時半に再度起床し、パソコンをチェックする。

パソコンが直っていた。火炎樹日記を書く。

11月1日フエへ帰国する予定だった富岡先生が、
飛行機の都合で帰国が1日遅れるとの連絡あり。

投稿者 koyama : 16:54 | コメント (0)

2014年10月29日

刺繍関連:バンベー46号編集等

午前6時半起床。

雨が降り寒い時と日が当たり暑い時が繰り返されている。
体がついて行けない状態。終日、体がだるい毎日。

午前7時朝食。

「豚肉とカニ団子入りブン麺」

午前9時、徒歩でベトナム事務所へ。

高校同級生から「刺繍入りのTシャツ」の注文を受ける。
ベトナム事務所に「刺繍みやげ物店」の先生を呼び、
細かく刺繍入りTシャツの注文内容を説明する。

その後、バオミンさんと日本料理店の件ともう一つの件について
話し合う。

2015年2月15日に東京で開催される「JASS現地報告会」について、
バオミンさんと突っ込んだ話し合いをする。


バオミンさんは今日から連続9日間、観光等の案内で
ダナン・ホイアン・ホーチミンに行く。

バオミンさん不在中のいくつかの件について、協議する。

洗濯をする。

午前11時半昼食。

「肉団子入り小麦麺」

仕事量が多く、疲労が溜まる。

数日前から20年ぶりに「喘息」が発症。
気管支から喉にかけて「ゼーゼー」言い出し、咳が止まらない。

20数年前に酷い喘息になり、仕事を1ヶ月休んだことがある。

フエの気候の変化が大きいことが原因か? 
以前の喘息は、「ハウスダスト・家ダニ」のアレルギーに
よる喘息だった。

朝から気管支を通って咳が続く。日本にいれば、喘息の
治療が直ぐ出来るのだが・・・・。

今回は歯痛と喘息と二つの問題と闘わなければならない。

日本へ一時帰国するまで2週間、何とか喘息と歯痛をごまかしながら
過ごさなければならない。

石井君から電話あり。今晩の夕食は日本料理店でありますか?と。

「今日は日本料理店を休みにするので、日本料理店での食事は
出来ない。近くの大衆食堂で・・・」と話す。

引き続き、バンベー46号の編集を行う。

投稿者 koyama : 20:01 | コメント (0)

2014年10月28日

バンベー46号編集:リー君たちと交流

終日豪雨。

午前5時起床。余りに雨の音がうるさいの
目が覚める。

午前7時朝食。

「肉団子入りキャッサバ麺」

午前9時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

日本料理店の問題その他について協議


午前11時半、昼食。

「春雨麺」(個人的には、好きではない)
少量食す。


午後1時間ほど昼寝。


午後5時まで「バンベー46号」の原稿書き。編集。


午後5時半、リー君と日本人の3人で一杯飲むつもりだったが、
諸般の事情で、日本人が来られなくなり、「子どもの家」の
卒業生をリー君と二人で飲む。

オクラ入りの野菜炒め。美味しい。

豚肉の茹でたものを「発酵した海老」で食べる。


しばらくして、リー君が日本語学校の生徒を電話で呼び出す。
男性3人(リー・ホア・チュン)は、「子どもの家」出身者。


午後8時まで一緒にのみ、私だけ帰る。リー君が
宿舎までオートバイで送ってくれる。


投稿者 koyama : 21:55 | コメント (0)

2014年10月27日

「子どもの家」へ:日本語学校教育

午前5時起床。晴れ。

午前7時朝食。

「フォー・ボー」(牛肉入り米麺)

午前8時過ぎ、電動バイクで「子どもの家」へ。

「子どもの家」では、「トイレの大改修工事」が行われていた。

重機を一切使わず、全て人力で行っている。


砂から小石・雑物をとる作業も全て手作業。

金属棒を金槌で叩き、1階の男子トイレを壊している。


便器等を壊した後、地下の汚物槽を改修する。


5歳から「子どもの家」で生活していたN君。
事情で祖母と同居するため最近「在宅支援」となった。

今日はN君の誕生日。里親のSさんから誕生祝いが
送られてきた。


午前9時過ぎ、電動バイクで「子どもの家」へ。


田舎の祖母の家から「子どもの家」へやって来たN君。

小学校入学前のN君。

里親のSさんからの誕生祝いや手紙。写真を渡す。

大きくなったN君に私も驚く。20年のフエ在住の意味を
改めて考ええる。

里親のSさんの家にあった腕時計を記念に渡す。


衣類3着を渡す

里親Sさんからの手紙を渡す

里親からの誕生祝いの手紙(ベトナム語訳付き)を渡す。



寮長のロックさん、N君担当だった寮母のニエムさん


N君への誕生祝い贈呈を終わり、刺繍土産物店へ行く。


高校受験に失敗した2人の女子が刺繍の研修をしていた。




今日は午前中「子どもの家」へ行くので昼食を断っておいた。

少し疲れる。

洗濯。


昼食を抜きに横になる。

午後、バンベー46号の編集。必要な文章を書き、
古い写真を集める。


午後4時、自宅を出て日本語学校へ。

午後4時15分から午後6時半まで日本語学校
で中級クラスの授業。

午後6時頃、バオミンさんから電話。

日本料理店長のTさんが連絡のないままに出勤して
いない。
バオミンさんが何度も電話しても店長のTさんに通じない。
事情は不明。

バオミンさんと相談し、事実上、Tさんがいないと日本料理店
の調理が出来ない。日本料理店を臨時休業とした。

21年ベトナムに住んでいるが、ベトナムを未だに
理解できないことが多々ある。今日の日本料理店の
店長の行動もその一つだ。

日本人は私と「I君」の二人。I君が夕食を摂ったか心配
なので、確認する。自分で適当なレストランで食事をした
とのこと。

私など町のレストランに行くのが嫌いなので、夕食を摂らない。
代わりに「琥珀色の液体夕食」を摂る。


チーラン通り「子どもの家」から来た子どもたち8人に
里親がいない。ベンベー46号に「里親募集」の記事を
掲載することとする。里親担当の渡辺さんと連絡を
取り合う。

投稿者 koyama : 17:39 | コメント (0)

2014年10月26日

バンベー46号関連

曇り時々雨


終日、バンベー46号関連の仕事。

関連写真収集、構成・・・・。

読書「満州国演義8「南冥の雫」(船戸与一著:新潮社)

ぐいぐいと引き込まれる。作者の資料調査力に敬服。
綿密な資料を読破して、書き上げたことが良く分かる。

戦争末期(インパール作戦・・・)には、A級戦犯で
絞首刑になった東条英機は、首相・陸軍大臣・参謀総長と
政治と軍部の実権全て握り、元関東軍憲兵隊の責任者だった
こともあり、政治と軍と事実上の警察権を握り、独裁体制を
作ったかに見える。当然、政府、軍部内での権力闘争も
あったが、太平洋の『絶対敵国防圏」の諸島が次々に「玉砕」。

対ソ連戦略のために満州に張り付いていた関東軍を
南方インパールに派遣する『インパーる作戦』に突入。
軍隊内部では、様々な反対意見もあったようだが、
東条英機の独裁的な権力で強行し、惨敗。敗戦へ。

軍隊内部の様々な動きを詳細に描いてるが、
東条英機の独裁体制に「ゴマをする」体制派が主流。
危惧を関しているが、東条の権力の強さに黙認する
グループ。東京から離れた満州・中国の現場で
「反対の思いを持つグループ」と人間社会である
軍隊の中にも様々な動きはあったが、結局、
「軍隊上層部」でも「強いものに巻かれ」「出生主義」
が横行していたことがわかる。

投稿者 koyama : 19:42 | コメント (0)

2014年10月25日

終日、バンベー46号編集:日本料理店

終日雨。

午前5時起床。

シャワーを浴びる。

当面の「仕事」と「日程」を考え調整する。
必要な仕事の一覧表を作る。

午前7時、朝食。

「牛肉大量入りブン麺」


バンベー46号に使う古いデジカメ写真を探す。

3台の古いパソコンを調べ、古いデジカメ写真を見つける。
一枚ずつデジカメ写真の保存機能から探すので、
時間と『神経』を使い、疲れる。


午前11時半、昼食。

「魚入りのおじや」


食後1時間程休む。外は雨。時々豪雨。

引き続き、バンベー46号の原稿を書く。

フエでのJASS創立20周年記念式典の原稿を書き始める。


午後5時半、雨の中徒歩で日本料理店へ。

石井君が夕食を終えていた。

雨の中、2人の来客あり。

その後7人の学生さんが来訪。

午後9時15分、閉店。

東京の学生さん・先生と一緒に記念撮影。

午後9時半閉店。

豪雨の中、傘をして帰宅。

帰宅後、いくtかの仕事をする。

[満州国演義8 南冥の雫」(船戸与一:新潮社)
90%読み終わる。

日本軍国主義が、どのようにして満州国をでっち上げ、
ビルマ・シンガポール、インドへの侵略を進めたのか?
日本軍国主義のアジア侵略の大義は何だったのか?

日本の中国・満州国建国、アジア侵略の『大義』は
欧米のアジア侵略からアジアを守る、との主張。
しかし、その実態は、欧米と同じようかそれ以上に
アジアの人々を見下し、暴虐を加えた歴史である
ということを、著者「船戸与一」は、具体的に記述している。

娯楽的な要素を加えながら、日本のアジア侵略戦争の
実相を詳細に記述している、一読の価値がある。

ーーー
阪神とソフトバンクの試合、阪神が勝ったと虎太郎君から
メールあり。バンザイ。

投稿者 koyama : 23:54 | コメント (0)

2014年10月24日

終日バンベー46号掲載の文書を整・校正する

豪雨・晴れ夕方雨。


午前6時起床。

シャワーを浴びる。

午前7時朝食。「精進料理」

今日は旧暦の9月1日。旧暦の1日と15日は、ベトナムでは
「精進料理」を食べる。


午前中、バンベー46号の編集。原稿を書いたり、この20年間の
写真をパソコンから引き出すなどの仕事。


午前11時半、食欲なし。昼食をストップする。


午後1時間ほど、昼寝。

午後5時半までバンベーの原稿、写真の収拾。

原稿を書く。


午後5時半、徒歩で日本料理店へ。

午後9時まで5人の来客あり。

帰宅中も雨。


投稿者 koyama : 23:37 | コメント (0)

2014年10月23日

バンベー46号編集・日本語学校

終日雨。途中昼に短時間晴れ。

午後から夜まで豪雨。

午前6時起床。

シャワー

午前7時朝食。

「フォー・ガー」(鶏肉米麺)

バンベー46号編集。


バオミンさんと行くt化の件で電話で打ち合わせ。

午前11時半、昼食。

「野菜サラダ」「魚のフライ」「ご飯」・・・


午後1時間ほど昼寝。


洗濯。

午後2時過ぎから夕方の日本語学校の準備・予習。

豪富の中、カッパを着て日本語学校へ。

午後4時15分から上級の上の「特上級」クラスの授業。

午後6時半終了。

雨の中、電動バイクで日本料理店へ。

午後9時閉店。3人の日本人の来客あり。

大阪から来た若者が私と話をしたいとのことで
1時間程ボランティアなどの話をする。

午後9時過ぎ、豪雨の中、電動バイクで帰宅。

投稿者 koyama : 23:22 | コメント (0)

2014年10月22日

バンベー編集その他

午前6時起床

シャワーを浴びる。

雨。

午前7時朝食。
「肉団子入り小麦粉の手打ちうどん」

午前中、メール受信・返信

バンベー46号の研修計画。原稿依頼。

私の原稿分の原稿草案を書く。
何度か書きなおす。

午前11時半昼食。

「海老入りブン麺」


食後1時間程昼寝。

午後2時、ソン君がパソコン業者を連れて宿舎に来てくれる。

宿舎にある古いパソコンが故障した。JASS機関紙「バンベー」用
の古い写真を探していた。

普段使わない2000年頃のデジカメ写真が内蔵されている
パソコン2台が故障して使えない。ソン君が案内し、パソコン
修理業者を連れてきてくれる。

午後5時までの3時間かけて、2台の古いデスクトップのパソコン
を修理し、直してくれる。

2台のパソコンの中にある大量の古いデジカメ写真を
まとめて「USB」に入れてくれるが、時間がかかるので、
パソコンからデジカメを保存している部分の機械を家を
持ち帰り、USBに入れて後日持って来てくれるとのこと。

午後5時。ソン君とパソコン修理の人が帰る。

午後6時前徒歩で日本料理店へ。

石井君は既に夕食を摂ってバオミン・ホテルへ帰っていた。

来客あり。

午後6時から午後10時の閉店まで読書。

「満州国演義8 南冥の雫」(船戸与一著 新潮社」を
読み始める。

京都の豊田さんから既に7冊の差し入れがあり、読んだ。

7巻で終わりと思っていたが、8巻目の 南冥の雫」が
あるとのことで、持って来てくれた。

日本軍国主義の満州国建設の歴史。安部首相の祖父の
岸信介が事実上の責任者となってでっち上げた満州国。

右下奥歯が痛く腫れてしまい、食事がうまく出来ない。

早く日本へ帰り歯科医に行きたいのだが・・・・。

仕方がなく、歯を使わない「液体」関係で体力を維持している。

歯の出血・腫れを止める「うがい薬」を使っている。

午後10時過ぎ、宿舎へ帰り、バンベー46号の原稿草案を
再度見直す。


投稿者 koyama : 00:08 | コメント (0)

2014年10月21日

終日宿舎で仕事

快晴

午前5時起床

午前7時朝食。

「カニ団子入りブンボー」

バンベー46号関連の仕事


午前11時半。昼食


「マカロニスープ」


1時間程昼寝。

午後も「バンベー46号」と2015年2月「現地報告会」
関係の諸準備。

午後5時半、徒歩で日本料理店へ。


石井君と日本帰国のビザ問題を話す。


午後9時過ぎに閉店。

来客あり。


投稿者 koyama : 18:45 | コメント (0)

2014年10月20日

バンベー(JASS機関誌)編集:日本語学校

午前6時起床。

シャワー。


午前7時朝食。

「ブン・ボー」(牛肉米麺)



しばらく前から歯痛。歯茎がはれてしまい、痛い。
ベトナムの歯医者には、行きたくない、というのか、怖い。

先日、フエに来た京都の豊田さんが、歯の止血剤入りの
うがい薬をもってきてくれる。

数日使うが、止血効果あり。痛みもかなりとれる。


午前中、バンベー46号の編集企画

関係者日本語学校メール連絡。

バオミンさんといくつかの件で電話連絡。


午後12時半、1時間程昼寝。

午後も引き続き「バンベー46号」の編集計画。
日本の関係者に連絡、打ち合わせ。

バオミンさんと電話でバンベー編集・校正等についての
意思統一。


午後4時、電動バイクで「静岡フエ青年交流会館」内の
日本語学校へ。

午後4時15分から午後6時半まで「中級クラス」8人の
授業を行う。

2時間の授業は結構疲れる。

授業は出来るだけ「一つのこと」から関連語彙を教える
ようにしている。

日本語会話の「省略」を出来るだけ教える。

日本語能力試験は、実際の会話はない。
全て文書上の「会話文」の理解度を調べるもの。
日本語能力試験の最大の問題点は、実際の会話が
出来なくても、1級に合格する可能性が十分あるという
ことである。

午後6時半過ぎ、日本料理店へ。今は、観光のOFF-ズン。
町にもあまり、観光客はいない。

観光客は大型バスで、特定のレストランへ直行してしまう。

午後9時半まで3人の来客あり。日本人の常連の方。

オランダからのご夫妻。

午後9時半閉店。

宿舎へ帰る。疲れる。今日は朝から午後10時近くまで
仕事の連続だった。

投稿者 koyama : 09:33 | コメント (0)

2014年10月19日

「子どもの家」へ

朝、肌寒い。午後太陽が出ると暑い。

午前7時起床。しばらく「うつら うつら」していた。


朝食を摂る気力なし。

午前8時45分、宿舎を電動バイクで出て「子どもの家」へ。

函館の会から依頼された「日本とベトナムの共通した子どもたち
の遊び」の写真を送って欲しいとのことで、写真を撮りに行く。


「子どもの家」では、1階(男子トイレ)、2階(女子トイレ)
が耐久年限を過ぎ、故障し詰まってしまっている。

静岡ライオンズクラブ(小嶋善吉前市長会長)が
トイレの改修費を寄付してくれる。

早速改修工事が始まっていた。今度のトイレ改修工事は
かなり大掛かりなものだ。1階のトイレを全て壊し、
地下にある「トイレ貯水槽』2つを作りかえるというもの。

大工事が始まるのかと思ったら、二人の工事人が
金槌と工作棒で床のタイルを壊している。

機械類は使っていない。

これから1ヶ月かけて「トイレの大改修工事』を行う。


日本の子どもたちとベトナムの子どもたちと共通の遊びを
函館の会が、函館の「フェスティバル」のような所で紹介する
とのこと。有難いことである。

調べてみると結構共通した子どもたちの遊びがあった。


①ビー玉(ベトナムでは「ビー」という)
 ビー玉を指で弾いて飛ばし、相手に当たると自分の
 ものになるようだ。日本よりも技術がいる。

ベトナムの「ビー玉」には、青とか黄色の色が着いている。


相手が自分のビー玉に当てるかどうかを見ている。

こうして指の力を使ってビー玉を飛ばす

子どもたちは、座ってビー玉をする。

女子は「石けり」

私が子どもの頃やった石蹴りとほぼ同じだ。

四角い枠を作り、石を投げ入れ、足でけって、順番に「価値のある」
枠に入れていくという遊び。


各枠に数字を書く

この「ドルマーク」に入ったら勝ちのようだ。


自分でけった石のところまで、片足で行く。


所々に「両足」をついてよい場所もある。


薄い小さな石を投げ入れるところから「石蹴り」が始まる。


日本の女子と同じように「ゴムダン」もやっている。



大縄跳び




折り紙(これは日本人の来客の影響かもしれないが)

男子2人は、最近、「チーラン通りの子どもの家」から移籍してきた。


指遊びを作る

鶴を折った



「子どもの家」にある大木を剪枝(せんし)した。


「子どもの家」の建物がよく見えるようになった。



「子どもの家」正面右側

左側の2本は残した。

これらの木(火焔樹の花)は、10数年前に「茨城の青年の翼」
で「子どもの家」に来た若者が、記念植樹したものである。

昼頃、「子どもの家」を出る。途中で昼食用に「ベトナムのほか弁」
を買う。3万ドン(150円)。肉、卵焼き、茹でた野菜、キャベツの
炒め物などが入っている。


食後、じばらく休む。


午後、日本の関係者にいくつかのメールを送る。

日本からのメールも受信。パソコンの調子が悪い。


夕方、食欲がないので、水分系の夕食を取る。
カンに入った「栄養食品」。

頂いた「くさや」で水分系の夕食を取ったが、なかなか
「おつな味」だった。

読書「古今亭志ん生(下巻)』を読む。

私の小中学生の頃の噺家さんの若い頃(前座。二つ目)の
生活様子などが、志ん生と一緒に「三どら・煩悩」に入れ込んで
いたことが詳しく書いてある。なかなか興味をそそる。


投稿者 koyama : 22:31 | コメント (0)

2014年10月18日

終日、当面の業務;日本料理店

終日雨・時々豪雨

午前6時起床。シャワー。

午前7時朝食

「フォー・ボー」(牛肉入り米麺)


午前中、JASS関係の文書作成。
バオミンさんと電話でいくつかの打ち合わせ。

午前11時半、昼食。

「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)


気温の変化が大きい。体がだるい。


1時間程昼寝。


夕方までJASS関連の文書・メール等を多数送信。


午後5時半、日本料理店へ。

石井君が日本料理店で夕食。


雨の中、3人の来客あり。


午後9時半閉店。

最近「日本語」に敏感になり、気になることが多々ある。

今日の天気予報で男性アナが「今日のお天気」と言っていた。
私の語感からすると「お天気」は女性の使う言葉で男性は
「今日の天気」だと思っていた。

また、「00さんの生き様」と使う「生き様」も汚らしい言葉
である。そもそもは「死に様」という言葉はあったが、
「生き様」はいかにも汚い言葉である。
言葉は変化する」とはいうが、やはり気になる。

アナウンサーのアクセントは、気にしても仕方がない。
正確な標準語を使っているアナウンサーはほとんどいない
現状。そうした時代になったということか?
言葉は変化する。通じれば良いのかもしれない。

投稿者 koyama : 23:48 | コメント (0)

2014年10月17日

「子どもの家」卒業生結婚披露宴参加

午前5時起床 小雨

午前7時朝食。「フォー・ガー」(鶏肉入り米麺)

午前中、11月に帰国した際の討議資料を作り始める。

午前11時15分。「子どもの家」卒業生のトゥオン君の
結婚披露宴に参加。私、バオミンさん、ハンさん、ソン君。

フエでは、結婚披露宴を数回する。親戚や大世話になった人たち
を招待しての披露宴に参加。

夕方からは、友人や知り合いを呼んでの披露宴を行う。

トゥオン君は26歳になる。
地元の「祖国戦線」の役員をしているとのこと。
祖国戦線とは、ベトナム共産党を支える「大衆組織」
ベトナム共産党と共にベトナム政治を運営している
という形になっている労働組合・宗教団体・知識人・商工業者
農民組合などで作られているが、実態は、ベトナム共産党の
政治を支える組織ではある。

トゥオン君は、両親が死亡し、中学生・高校生時代に
「子どもの家」で生活していた。高校を卒業して直ぐに
「仏門」に入った。
時々「子どもの家」に遊びに来ていたが、剃髪し、青々とした
丸坊主だったが、いつの間にか仏門を出て、政治の世界に
入ったようだ。

こうして26歳になり、成長したトゥオン君を見ると『20年間』の
「子どもの家」の歴史の重さを改めて感ずる。

トゥオン君は、弟と兄弟で「子どもの家」で生活していた。

親戚の人たちがたくさん集まっていた。


トゥオン君の弟。「子どもの家」時代と顔は変わっていない。
大人になった。


披露宴のセレモニー開始

ワインをグラスに注ぐ


会場入り口に飾られていた写真


昼過ぎに退席する。

外は豪雨。

宿舎へ帰り少し昼寝。

夕方から新郎新婦の友人を集めての披露宴がある。

日本料理店の子どもたちも参加するため、今日の
日本料理店は中止。


読書「志ん生一代(上巻)」(結城昌治著:朝日新聞社)

生まれてから噺家になり、二つ目まで昇進した位までの
話が上巻。

相当、いい加減な生活をしていた。著者の結城氏が
その時々の政治情勢(米騒動・関東大震災・・・)などの
歴史的な評価と情勢を取り混ぜながら、志ん生が
どんな人生を歩んだのかが分かる。

私が子どもの頃から、成人になるまでラジオ・テレビで
見ていた噺家の若い時代が出てくる。

「とんがりの林家正蔵(先代)」はが「三遊亭円楽」という
名前だったことも知った。

そして、落語界が、常に派閥と分裂を繰り返していたことも
分かる。

投稿者 koyama : 18:28 | コメント (0)

2014年10月16日

日本語学校→日本料理店

雨期に入る。

午前6時起床。昨夜はフエ市長との会食で飲みすぎ。

午前7時朝食。
「肉団子入り小麦粉手打ちうどん」


午前9時、パソコンが壊れたので業者に直してもらう。
ソン君が付きっ切りでパソコン修理を通訳してくれる。
深謝。


午前中は、今後のJASS関連の件で、いくつかの文章の清書。

昨日の「火炎樹日記」を書く。
業者が直してくれたパソコンは、全てベトナム語になってしまった。
大体の記憶で火炎樹日記を書き、写真を添付する。


午前11時半「海老入りブン麺」


午後1時間ほど昼寝。

その後、日本語学校特上級授業の準備

午後4時前に宿舎を出て「静岡フエ青年交流会館」へ。

上級の上の「特上級クラス」の授業。

午後4時15分から休み時間をなしにして午後6字15分時過ぎまで
2時間の授業。

その足で日本料理店へ。

日本帰国間近な石井君も夕食を摂っていた。


午後9時半まで3人の来客あり。

帰宅午後9時45分。


投稿者 koyama : 00:11 | コメント (0)

2014年10月15日

滋賀県からの市議一行と行動

午前6時起床。

午前7時朝食。「ブンボーフエ」(牛肉入り米麺)

午前中、ベトナム事務所へ。

バオミンさんは、滋賀県から来られた市議会議員と農業関係者
を案内。

ベトナム事務所でハンさんと「子どもの家」の子どもたちの
高校受験・「子どもの家」入退所の現状を打ち合わせをした。

今年の受験状態は、過去20年で最悪の結果である。

大学受験者1名→フエ観光大学合格
高校受験者5名→全員不合格

JASS,ベトナム事務所、「子どもの家」では、学校へ行くこと
だけを目的としていない。それぞれの子どもたちの持っている
能力を引き出し、『自立させる』ことを目標としている。

これまでも大学へ進学した子どもたちも多数いた。
また、中学卒業後、職業訓練をし『手に職』をつけて自立した
子どもたちも多い。

10年ほど前から子どもたちは、「子どもの家」の先輩が毎晩
遅くまで勉強している様子を見て、「こうすれば自分も大学へ
いけるかも知れない」と『努力』をする伝統が「子どもの家」に
出来上がってきた。

この10年間で高校受験生はほぼ100%近く合格。
大学受験生も1年ほど浪人する子どもも含めれば、
多くの「子どもの家」が大学進学・短大・専門学校進学を
果たしている。親のいない子どもたち・財産のない子どもたち
にとっては、学歴という一つの「武器」を持つことは、
自立への第1歩の「一つ」ではある。

こうしてこの20年。「子どもの家」では、大半の子どもたちが
高校を卒業し、一部の子どもたち」は大学を卒業し、自立して
行った。

「子どもの家」に取っての進学は、必ずしも世間体ではなく、
自らの人生の出発点をどこに置くかという問題でもあった。

今回、5人高校を受験した子どもたち全員が不合格となった
ことについて、ハンさんと論議した。

ハンさんの意見は、「今年の子どもたちは、勉強したり努力したり
することが嫌いか、苦手な子どもが多い」とのこと。

私見では、この数年、フエは目覚しく「発展」してきている。
町中に物が溢れる(まではいかないが、車とスーパー、
高級ホテル、街を歩く人の華美な服装などなどが目立つように
なってきたもの事実である。数年前には、想像も出来なかった
「子どもの家」の子どもたちが携帯電話やスマートホーンを
持つ時代になった。
こうして「贅沢」と「華美」「消費生活」→一言で言えば、資本主義的な
大量消費生活の社会に「子どもの家」の「子どもの家」も巻き込まれ、
努力しないで、毎日を楽しく遊び暮らす、という社会がベトナムの
都市部に出来上がってきているのである。

「子どもの家」の子どもたちも、以前のように毎日コツコツと努力し
勉強するより、毎日を楽しく遊び・その日を楽しく過ごすという
「刹那的」な日常生活に埋没してしまう子どもたちが多くなって
来たのは事実である。

ハンさんの話では、5人の高校受験生全員が、もともと勉強が
余り好きではない性格だったとも言っていた。

いずれにしろ、5人全敗だった高校受験。しかも5人のほとんの
子どもが、フエで一番入りやすい高校を受験して落ちたことに
時代の流れと「子どもの家」の子どもたちの今後の教育・育て方を
再度、論議する必要を感じた。

午前11時半、昼食。「マカロニスープ」


その後、洗濯

30分程、横になる。

午後3時過ぎ、宿舎の近くの道路へバオミンさんと滋賀県の市議
会議員、滋賀県の農業の方が、車で来る。

一緒にフエ市役所へ「タン市長を表敬訪問」。

今年の2月東京で「JASS創立20周年記念式典」が行われた。
フエ市かたらタン市長以下、4人のベトナム人の参加があった。

東京での式典を終え、フエ市と友好関係のある「静岡市長」
「京都市長」への表敬訪問を行った。
京都市長を訪問した夜、JASSの「京滋YOUの会」主催の
歓迎会があった。その歓迎会に滋賀県の自民党市議の方も
参加された。

今回は農業関係者とベトナム南部の「ダラット高原」の農業、
特に生花等の視察にこられたとのこと。
合わせて、フエの農業の実態の視察にこられた。

一緒にフエ市役所へ。

タン市長と懇談。


フエ市役所玄関で。


フエ市役所の応接室で1時間程、フエ音農業の実態、生花の状況
などの意見交換を行う。

フエ市側の参加者は、市長・外務部長、文化部長、副事務長・・・

1時間の懇談が終わり、市長よりフエ市からのお土産贈呈があった。

参加者全員で記念写真


引き続き、午後6時過ぎから船上レストランで
フエ市主催の歓迎会が行われた。

フエ市長と豊田観光社長


フエ市長より「ミンマン酒」を頂く。


午後9時過ぎ閉会。


滋賀県とフエ市との交流が今後も続くことを願っている。

投稿者 koyama : 16:13 | コメント (0)

2014年10月14日

2回病院へ

朝食を抜く。(医師の指示に従って)

午前8時、ベトナム事務所のソン君がオートバイで
迎えに来てくれる。

フエ中央病院へ。昨日、全ての検査が終わったのだが、
健康診断書作成最終責任者が「血液の中性脂肪が高い」
と言い出し、明日、もう一度採血する、朝食を摂らずに
来るよういと言われ、今朝病院へ。

雨の中ソン君のオートバイの後ろに乗せてもらい
フエ中央病院へ。再採血。そのまま帰宅。

健康診断料25000円を支払っているが、
今日の採血で、更に追加の費用を支払わせられた。
(25000円は、日本の10数万円程度の価値)

私は20年前から「高脂血症」と診断され、
通院と投薬を受けている。その事実を客観的に
「高脂血症」と健康診断書に記入すればいいのだ。
今日の通院は、全く意味のない、あえて言えば、
フエ中央病院の「金儲け」以外のなにものでもない。
「外国人料金」は、異常に高額な料金を取る。

今回は飽くまで健康診断。治療の依頼はしていない。
「ありのまま」に真実を記載すれば良いのに・・・・。

午前中、バオミンさんと電話いくつかの件に
ついて意見交換・打ち合わせ。

私の11月日本帰国日程の打ち合わせ。

今日は、料理のセンさんに朝食。昼食を作りを
断っておいた。

ご飯1合を炊く。インスタント味噌汁と「味噌付け」
で五勺分を食す。

30分程、昼寝。

午後2時、再度ソン君が宿舎へ迎えにきてくれる。
病院へ行く。「採血結果」がでた。正常値だとのこと。
昨夜、夕事と飲酒をせず、今日朝食を摂らずに行ったら
中性脂肪が正常値だという。その結果を記入し、
最終「健康診断書」が出来上がり、現場担当責任者の
サイン、最後に院長か副院長のサインをもらい、
やっと「健康診断書」1枚ができあがる。
ところが院長・副院長は、フエ中央病院の役員会議中。
いつ終わるか分からない。
付き添ってくれたフエ中央病院の関係者が、役員会議室に
「潜入」し、院長にサインをもらう。
これで全ての「健康診断」が終了した。6回も病院へ行く
とは、「官僚主義」とう言葉では表せない実態ではある。

健康診断書は、客観的に健康を調査するだけの
もの。1枚の健康診断書をもらうために「6回」も
病院へいかなければならない。
社会主義・官僚主義の極みのような実態である。

色々と話を聞いてみるとベトナムの健康診断書は
「就職」や「車の運転免許取得」の際に必要なもの
だそうだ。結局、客観的な健康の実態でなく、
「健康そのもの」との証明書に事実上なっている。
従って、少しでも健康に不安のある場合は、就職や
資格が取得出来なくなるので、病院側の対応が
「完全健康」との証明書発行となってしまう、という
傾向があるようだ。
日本のように「病気は病気」「健康は健康」と科学的・
医学的な検査結果を客観的に記入するものでは
ないようだ。

とにかく、健康診断書1枚(実際のベトナムの健康診断書
は10枚位あった)書くのに6回も病院に行かなければ
もらえないというのは、いかがなものか・・・・・。
これも今のベトナムの実態ではある。

6回の病院行きに付き合ってくれたソン君に
感謝したい。

午後4時半、宿舎へ帰る。疲れた。しばらく休む。

午後6時前、徒歩、日本料理店へ。

石井君が夕食を摂っていた。



石井君の話では、10月30日に日本へ帰国するとの
ことだった。


午後9時。今日は来客なし。

日本料理店の前の道を歩く人は余りいなかった。
今は、「観光のOFFシーズン}。

商い、「あきない」である。飽きないで忍耐強く
仕事は進めるのだ「コツ」だと思っている。

午後9時半、宿舎着。


投稿者 koyama : 10:42 | コメント (0)

2014年10月13日

フエ中央病院健康診断書作成

蒸し暑い

午前7時朝食。

「フォー・ボー」(牛肉米麺)

午前8時、ソン君が宿舎へ迎えに来てくれる。
健康診断の続き。オートバイでフエ中央病院へ。

先日接種した「ツベルクリン」の反応結果をはかる。
結核の調査。

その後、体重、胸囲など測定。

先日の血液検査の結果、「中性脂肪」が異常に高いの
で明日もう一度「血液検査」をする、朝食を抜いてくるように
とのこと。

当方としては、そのままの数値を書いても何も問題がない
のだが・・・・。健康診断の結果を出せばよいのだから・・。
善意の措置なのだろうが・・・・・・。
「高脂血症」は40歳からの持病なのだ。

明日、午前中に血液採集。その後分析。午後結果が出る。
その結果を「健康診断書」に書き、全ての健康診断が終わる。
明日は、午前中『採血」、午後は、『健康診断書」を病院に
取りにいくという面倒くさい日程である。

健康診断書をもらうのに6日間かかるということになる。
各科(耳鼻咽喉科・内科・歯科・・・)の結果は、それぞれの
科の科長か副科長のサインが必要と、形式ばかりが
重視されている。血液以外は、最短1分程度、ほぼ数分
の診察だっらのだが、形式ばかりが重んじられる
かなり怪しい「健康診断」ではあった。

明日は、最終「健康診断書」をもらう予定だが、院長か副院長
自らのサインが必要。
ベトナム社会主義社会の実情を反映している医院ではある。
形式と手続きばかりが重大になり、内容がない。

最後の「高脂血症」を指摘した血液科の医師だけが
真っ当な診断をしたともいえる。

午前10時、ソン君のオートバイに乗せてもらい帰宅。

バオミンさんから電話あり。

ベトナム事務所の「ANH(アン)さん」に女児(2・5キロ)
が今日、生まれたそうだ。おめでとう。ベトナム事務所
からハンさんんとフオン先生が、JASSベトナム事務所
を代表して病院へお祝いに行った。

昼食「魚入りおかゆ」とモンキーバナナ(美味しい)

午後3じ、ベトナム事務所で岡山大学の学生さんと
懇談。卒論に「海外の日本料理店」を取り上げている
そうだ。JASS日本料理店の話を聞きたいとのこと。

午後4時15分から6時15分まで日本語学校。

今日は「中級クラス8人」に教える。
出来るだけテキストのことだけでなく、日本語の
構造・歴史・関連語彙なども教えている。

午後6時半、日本語学校へ

午後9時閉店。

来客1人(常連の日本人)ありがたいことである。

今は、観光の「OFFシーズン」。街を歩いている
観光客が少ない。


日本に台風が来ているようだ。大きな被害が
出ないことを祈る。

地球全体のバランスが崩れてきたようだ。


投稿者 koyama : 11:54 | コメント (0)

2014年10月12日

いくつかの文章を書く

午前7時起床。

朝食を摂る意欲なし。しばらくベッドで
横になる。

洗濯。

読書「ルイー・ボナパルトのブリューメル18日」
(カール・マルクス 平凡社ライブラリー)読了

マルクスは、知識・読書量が半端ではないので
「比喩」についていけない。旧約聖書からギリシャ神話
、当時のフランスやヨーロッパの様々な出来事について
の詳細な知識。(何版かするうちに間違った記述も結構
あり、訂正や削除している)

1789年の「フランス革命」後のフランスの国会を
めぐり、新興勢力の「ブルジョアジー(資本家)」、
農民、貴族、プロレタリアート(労働者階級、)
王党派、大土地所有、などがそれぞれの政党を持ったり
支持したりしながら、フランス革命で勝ち取った
王政を打破し、「共和国」となったフランス革命
をどのように守るのかの抗争を詳述。
その中で新興勢力でも「労働者階級」が
どのような動きをしているのか、を詳述する。
1799年11月9日(革命暦「霧月(2月)18日)
にナポレオンのクーデターでフランスは、
フランス革命で勝ち取った共和制からナポレオンの
帝政に移行する。

本書は、フランス議会の各政党の抗争の裏に
新興資本家・労働者・ルンペンプロレタリア・
大土地所有者・小商店主・などを代表する
政党の抗争。

歴史は、その時点ではなかなか評価は出来ない
所があるが、本書は、フランスの時点で起こっている
フランス議会・フランス国内・フランスをめぐる
ヨーロッパの動きを階級的な視点で分析して
いる。

今の安部政権・今の日本の政治情勢をどのように
分析するのか? に参考にはなる。

何通かのメールを支援者に送信。

投稿者 koyama : 19:28 | コメント (0)

2014年10月11日

終日宿舎で仕事:リー君が来る

晴れ

午前6時起床。

午前7時朝食。

「ブン・ボー」(フエ名物牛肉米麺)

長文の文章の草稿を書く。

午前11時半。

昼食。「春雨麺」

食欲がなく、あまり進まない。

午後1時から昼寝。

午後2時頃、リー君から電話。

「どうしても緊急に先生に会いたい。宿舎に今から
行く」とのこと。断る暇もなく、電話が切れる。

10分後に宿舎前から「今、宿舎前に来ている」
との電話。

宿舎1階で話す。

リーの様子は、かなり興奮し、あわてていた。

「ダナンにいる弟が、サッカーのギャンブルで大金を
失い、重大な問題が起こっている。今すぐにバスで
ダナンに行く。お金がない。50万どん(2500円)
欲しい」とのこと。

詳しく内容を話すように言うが、興奮していて
何が何だかわからない様子。

私は、瞬間的に「ダナンの弟は関係ないな・・」と
思った。リーが、ギャンブルか何かで大金をすって
お金がなく、脅迫されているのか?
何かのトラブルでお金が必要になったが、お金がなく
暴力か「恐怖」につながる緊急の事態になったか?
と想像した。とにかく顔が赤く、しどろもどろのような
話しぶり。弟のインのことを詳しく話すように言っても
慌てて・急いでいる様子。リー君らしからぬ「何かに
怯えた」様子だった。
仕方がないので、50万ドン(2500円相当)の
お金を渡す。直ぐに出て行った。
何が原因なのかは不明だが、リーと付き合って
20年になるが、こんなに慌てて・怯えている様子は
初めて見た。大きな問題を起こさなければ良いのだが・・・。


その後、引き続き長文を書き、何度も読み直す。

6時、徒歩で日本料理店へ。

午後9時閉店。3人のお客さん。

徒歩帰宅。その後、いくつかの文章を書く。

投稿者 koyama : 19:19 | コメント (0)

2014年10月10日

健康診断書作成

晴れ  空気は肌寒い

午前6時半起床。急いでシャワーを浴び、午前7時朝食。

「肉団子入りチャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)

ピり辛で美味しい。

午前8時、ソン君が宿舎へ迎えに来てくれる。
ソン君のオートバイの後ろに乗せてもらい「フエ中央病院」へ。

健康診断書の作成のため。

今日は1日中、フエ中央病院の健康診断書作成にソン君が
同行、通訳・案内をしてくれた。バオミンさんは、お客さんの
観光案内。

先日、ベトナム外務省は、「海外NGO」や海外企業の
外国人を対象に「ビザ発給制度」の大改悪(私見)をした。

特に海外NGOに対しては以下の条件を付けた。

①ベトナムに来ている海外NGOは「専門職」だ。
②専門職である以上本国等の「大学卒業資格」が必要。
③同時に大学卒業後に「専門職」を生かした仕事の経験が
 必要
④三カ月ごとのビザ更新に当たっては、「健康診断書」の
 提出が必要。健康診断書は、北部は「バイックマー病院」
 中部は「フエ中央病院」、南部は「チョウライ病院」での総合的な
 健康診断を行い、診断書の提出が必要
⑤その他・・

ベトナムでビザを更新する際の手続きについて、
ハノイ外務省は上記のような方針を出した。

今日は、上記方針の④に従って、フエ中央病院での
総合健康診断を行った。

健康診断書作成費用は250ドル(25000円以上)という
法外な値段。ベトナムの一般公務員の月給を超えている。

外国人だから取れるだけ取ろうとの気持ちが「見え見え」。


各科での健康診断は午前8時から午後4時まで続いた。

レントゲン、心電図、血液採取、耳鼻咽喉、眼科、
皮膚科、採尿・検便、内科・・・・・・。

フエ中央病院はベトナム中部では最大最良の大病院。

どの科もたくさんの患者であふれていた。

日本のように「検診」は「検診」で別コースという方式ではない
ので、一般患者と「健康診断」の人と同じ科に並ぶ。
どの科も30人・40人と待っている。これでは、何日かかって
も健康診断書を作ることはできない。

このペースで行くと2日から3日はかかると判断。

ソン君が、気を利かしてGOOD IDEAをだし、実践。

それでも8時間かかってしまった。

待ち時間が多く、診療はどの科も数分。

心電図を取った。私は20年前から心臓が悪いので
心臓専門の病院にかかっている。フエ中央病院の
心電図の機械は驚くほど「古いもの」だった。検査中、
古い吸盤が取れてしまったが、そのまま検診は行われた。
どうも私の心臓は、「何も異常がない」との判定だったようだ。
ありがたいことである。フエでの活動が今後も続けられる。

一番驚いたのは、「検便」「検尿」である。

トイレは男女共同。トイレの個室に入ると「画用紙」の
ように厚い紙が置いてあるだけ。医師が私にくれた検便容器
にどのように便を入れたらよいのか。『はは・・?」「これは画用紙
のような紙の上に大便を少量だし、それを「ヤクルト大」の
検便容器にいれるのだ』、と判断。しかし、画用紙に乗せた大便を
どのように「ヤクルト大」の容器にいれるのか?
この辺からわけが分からなくなる。仕方がないので、画用紙を数センチ
大に破って、それで「何」を取り、ヤクルト大の容器に入れる。
さて困ったのは、この後だ。どのようにsて「おしり」の始末をするのか?
まさか? 画用紙でお尻を拭けというとことはないだろうし・・・・・。
丁度、テイシュペーパーを持っていたので、何とか「処理」できた。
一体、他のベトナム人はどのように処理しているのだろうか、
ベトナムの「七不思議のに一つがまた増えたようだ。


眼科の診断。この病院では、眼科で眼鏡も売っているのだ。
私の眼鏡は遠近両用且つ変調レンズ(光が強いと自動的に
サングラスになる)を使っている。
眼科医師は、このメガネはだめだ。眼鏡を変え、自分の後ろに
ある眼鏡を買うように私に言い出すが、私は断る。


どの科も「待ち時間」は長く、診断は数分、早いところが1分
だった。

最後に「認知症」テストをされた。さすがにそういう年に
なったのか?との深い感慨を持った。

『貴方は何年フエにいますか?』  『フエで何をしていますか?』

こちらは、幼稚園児じゃねえんだ・・・と思いつつ、これと同じこと
がこれから日本の病院でも質問されるのだと悟った。

『おじいちゃん、今日は何月何日ですか?』
『今朝の朝ごはんは何を食べましたか?』
『日本の首相は誰ですか?』

こんなことが、これから日本の病院で私が質問されることなのだ。

私は上記のような決まり決まった質問に対しては、決まり決まった
答えをしようと今から準備している。

『今日は何月何日』→「1月1日」。
『今朝の朝ごはんは何を食べましたか?』→「お金がないので
 朝食は食べていない。」
『『日本の首相は誰ですか?』→「日本共産党の
                    肥満な志位なんとかさん」

上記質問は、日本の病院でアルツハイマーになった母親を初めて
病院に連れて行った際に聞かれた質問である。

とにかく、ソン君とバオミンさんが色々と手をまわしてくれて、
何とか午前8時から午後4時までで全ての検査を終り、
結果は、10月13日の月曜に出るとのこと。

この結果をフエの警察本部に提出し、私の長期ビザが
発給される段取りになっている。

8時間という長い「闘い」だった。疲労困憊。


午後4時帰宅。疲れる。1時間程休む。

午後6時、徒歩で日本料理店へ。

来客あり。


午後9時過ぎ閉店。

今日は長時間のフエ中央病院検診で疲れ果てた。

ソン君・バオミンさんの力で、何とかフエ中央病院での
健康診断書を作れそうだ。

投稿者 koyama : 20:29 | コメント (0)

2014年10月09日

来客対応→日本語学校→日本料理店

曇り・晴れ。

午前7時、朝食。

「フォー・ガー・ハノイ」(ハノイ名物鶏肉米麺)

午前中、いくつかの課題を文章に整理する。

午前11時半昼食。

「野菜サラダ」「魚のフライ」・・・


午後2時、ベトナム事務所へ。

日本に留学していた親子(1年生の男児と母親)が
ベトナム事務所へ来る。2年間、日本の大学院に
留学していた。息子は、日本の保育園で生活した。
日本語が出来るようになった。せっかく日本語が
出来るようになったので、引き続き日本語の能力を
高めてやりたい。JASSベトナム事務所で息子に
日本語を教えて欲しい、との依頼の話。
2時間程、日本での生活、小1男児に何故、引き続き
日本語を習わせたいか?などの話を聞く。

午後4時前、電動バイクで「静岡フエ青年交流会館」に
ある日本語学校(現在4クラス開講中)の特別上級
クラスの授業を行う。2時間。

午後7時前に日本料理店へ。

来客あり。午後9時半閉店。来客5人。

明日は、健康診断あり。今夜の飲酒は、
ほんの少しにした。

投稿者 koyama : 23:46 | コメント (0)

2014年10月08日

バオミンさんと打ち合わせ

雨が降ったり・晴れたり。


午前5時起床。

午前7時、朝食。「精進料理」
今日は旧暦9月15日。
精進料理を食べる日。

午前中、いくつかの文章を仕上げる。


午前11時半昼食。

「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)

1時間程昼寝。

我が宿舎の隣の人が、いつも我が宿舎の
門前にオート-バイを置いてしまう。
私の電動バイクが出せない。
ベトナム人の所有感覚・他人との距離感が
理解できない時がある。
ここに自分のオートバイを置いてしまえば、
この家の人のオートバイを出すことは出来ない
と何故考えないのか? 不思議でならない。


午後4時、ベトナム事務所へ。

バオミンさんと打ち合わせ。

私の小型パソコンが調子が悪いので
直してもらう。

そのまま日本料理店へ。

午後6時頃、石井君が日本料理店へ。
夕食を食べる。いくつかの話をする。

今日の日本料理店の来客は7人。

午後9時過ぎ閉店。

投稿者 koyama : 23:29 | コメント (0)

2014年10月07日

「子どもの家」へ

終日雨。 雨期に入る。夜中まで豪雨。

これから「カビ攻撃」に悩まされる季節となった。

午前6時起床。

午前7時朝食。
「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)


午前中、バオミンさんといくつかの打ち合わせ

受信メールへの返信。

ある問題についての私見をまとめる。

午前11時、雨の中、電動バイクで自宅を出て
「子どもの家」へ。

子どもの何枚かの写真を撮りに行く。

その後、寮母さんから「子どもの家」や子どもたちの
様子を聞く。

「子どもの家」の門を出ようとしたら門前で
「子どもの家」卒業生の『フン君』が、
「空気入れ屋」をやっていた。

しばらく今の生活について話を聞く。

空気入れは、1回1000ドン(5円)。

夜になると警察に頼まれて、警察官ではないが
警察官と一緒に「夜回り」の仕事をしている
とのこと。1晩で10万ドン(500円)になる。

空気入れ屋と「夜回りさん」で何とか生活は
出来ているようで安心した。


午後12時半、ズボンがずぶ濡れになったが
宿舎に到着。

昼食を摂る気力をなくす。

そのまま横になる。

午後2時。支援を申し出てくれている
会社へ送信する子どもたちの写真を整理する。

午後5時半。日本料理店へ。

久し振りに石井君と会う。

1週間、店長のトゥオイさんがホーチミン市での
姉の結婚式に参加していたため、日本料理店は
閉店していた。

日本料理店控え室で読書。

「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日}

フランス革命以後のフランス国民議会内での

王党派、地主派、資本家、労働者階級などを
代表する各政党の離合集散の経過を
詳細に描写。

午後9時過ぎ閉店。

今日は3人の来客あり。

午後8時過ぎから豪雨。

傘を差しては歩けない程の豪雨が続く。



豪雨の中、びしょ濡れで徒歩帰宅。


午後9時半、宿舎着。体中が雨で濡れてしまう。

投稿者 koyama : 19:09 | コメント (0)

2014年10月06日

「子どもの家」へ。日本語学校授業

終日雨

朝 気温25度、湿度90%。
急に寒くなる。

午前7時、朝食。

「フォー・ガー」(ハノイ名物鶏肉米麺)


午前9時半、雨の中、電動バイクで「子どもの家」へ。

チーラン通り「子どもの家」から来た子どもたちは
未だ私のことを良く知らない。

小学校1年生の子どもの教科書を見せてもらった。
ベトナムでは1年生から英語の教科書があり、
英語をしっかりと勉強している。

1年生でこのレベル(昔の日本の中1)の英語の
勉強をしている。


小学校入学前から「子どもの家」に入所していたTさんも
大きくなった。


ある仕事があり、「子どもの家」へ行った。

午前11時過ぎ、学校から帰って来た子どもたちは
順次、昼食を摂っていた。


昼食の献立

ご飯、魚の煮物、野菜と肉炒め、海老だしの野菜スープ。



20年間、「子どもの家」の運営をして来た。
色々な問題があるが、基本は毎日3食の栄養のある
食事を用意することに尽きる。
「毎日3回の食野の用意」は「言うは易し、行うは難し」
である。
12人の新人が「子どもの家」に入所したので
今未だ見たこともない子どもたちがいて多少、戸惑う。
彼らも「このおじさん 誰だろう」と訝しがっている様子が
手に取るようにわかる。


午前11時過ぎ。「子どもの家」から電動バイクで
宿舎へ帰ろうとした時「豪雨」。
びしょ濡れで宿舎へ帰る。


昼食。「魚入りのおじや」。3分の1食す。

午後4時前宿舎を出て、「静岡フエ青年交流会館」
の日本語学校へ。中級クラスの授業を2時間行う。

午後6時半、日本料理店へ。

1週間の休みがあった日本料理店ではあるが、
今日はトゥオイ店長・グエット接客主任、ハン調理の
3人が仕事にはいていた。

午後6時半時点で既に2人の来客があった。

午後9時半閉店。今日は5人の来客あり。

帰宅するが引き続き雨。雨の中を濡れながら
電動バイクで帰る。

宿舎へ帰り、いくつかのメールを受信。

午後11時、就寝。

長い1日だった。午前7時の朝食から午後9時半の
日本料理店閉店までの永続的な仕事は、さすがに
体力を極度に消耗する。いつまで体が持つのか?
自分でもわからない。

投稿者 koyama : 13:31 | コメント (0)

2014年10月05日

リー君と一杯飲む:日比谷フェスティバル

午前5時起床

終日豪雨。


しばらくベッドで人生を考える。

食事をする気力ない。

引き続き横になり休む。疲労蓄積。
このところ「オーバーワーク」。体がストライキを
おこしている。

部屋の掃除、衣類を夏物から冬物へ整理する。
洗濯。

午前11時45分、リー君から電話。

「先生の家の前にいる」とのこと。
メールでは、「10月5日正午に私の宿舎に
行く」とのことだったが、15分も早く来た。

今日、昼から『ヤギ肉屋」で飲もうとの約束を
していた。

この半年以上、私の時間が忙しく、リーからの
「飲もう」との電話に「YES」との答えが出来なかった。

リー君のオートバイの後ろに乗り「ヤギ肉屋」へ。

既に20人位の若者が宴会をしている。


今日は朝食を摂っていない。少し空腹。

はじめに「ヤギ鍋」をリー君が注文する。

ビールのおつまみには実に美味しい。

リー君という男は、本当に不思議な男だ。
いつもお金がなくて「ピーピー」しているのだが、
この種の食べ物屋などに来た時の注文の仕方は
実に素晴らしいものがある。「その店の美味しいもの」
を良く知っている。また、私の好物もよく知っている。

今年の6月頃から「先生飲みにいきましょう」
との電話やメールが何度も来たが、私が忙しく
全て断っていた。

リー君が警備仲間(27歳)を連れてきた。
リー君と一緒で独身とのこと。真面目そうな若者である。


私は「ヤギ肉」よりも「豚肉」の炒めたものが大好き。
リー君は気が利く男である。


私の好物をしっかり知っていた「豚肉揚げ物炒め」を
注文してくれる。


本物の『塩(化学物質ではない)に唐辛子を入れたもの


ヤギ鍋には、ベトナムでは 唐辛子とニンニクはつきもの。
私は両方とも苦手だが。

[
唐芙蓉(とうふよう)」。豆腐を腐らせたようなもの。
ベトナムのお寺の精進料理に出る。

昨年、沖縄に行った。沖縄に「唐芙蓉」があったが、
全く観光客用にアレンジされて美味しくなかった。

このヤギ屋の唐芙蓉は、本物。本物という意味は
本当に「クサイ」ということ。

リー君と友人は、「ヤギ鍋」をつつきながら
フランスパンを昼食のしていた。


フエ市内から10分ほどの場所だが「郊外の農村地帯」。
のんびりしている。牛が、列をなして歩いていた。
引率する人間もなしに。

午後1時頃、豪雨。トタンの屋根に雨が落ち
声が聞こえないくらいの豪雨だった。

ヤギ肉の茹でたもの。美味しい。


肉とかなりの野菜を同時に食べる。ベトナム料理はなかなか
ヘルシーなものでもある。


最後に「ヤギ肉スープ」に「ブン(米麺)をいれて食べる。


私はあまり食べられなかった。


このヤギ肉屋の前の5階建てのビルにリー君や
税田さん・大塚さん、トゥオイ、原田先生・石上先生
たちと一時住んでいたことがあった。

久し振りに「ヤギ肉屋」に来たので店の前の
以前住んだ「ハイ・リーホテル」を見てみた。

ビルはそのままだったが、外装をきれいにし
「カラオケ」になっていた。


以前の面影はほとんどないが、建物自体の構造は
変わっていなかった。


午後2時頃、「今日はこれで帰る」という。
リー君がオートバイで宿舎まで送ってくれる。

リー君は27歳になっていた。現在、姉の家に寄宿して
警察のオートバイ警備員をしている。

6歳か7歳の頃からの付き合いである。

その後、リー君と友達は、多分夕方まで飲んだものと
思う。


午後2時過ぎから午後5時過ぎまで「昼寝」。

午後5時に目が覚める。一瞬「朝か?」と思う。

しばらく受信メールを読み返信。


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10月4日(土)・5日(日)の1日半をかけて
「日比谷ボランティアフェスティバル」(外務省・JICA主催)
が東京日比谷公園で行われた。

JASS日本は、「展示」と「物品販売」のブースを獲得。
JASS日本・東京・栃木などの皆様に感謝。

バオミンさんのお父さんの形成しているコーヒー製造所
で作られた本物の「ベトナムコーヒー」。

みやげ物としてベトナムで売られている『ベトナムコーヒー』
には、量を増やす為に「トウモロコシ」の粉を炒ったものが
入っている。

JASSの販売している『ベトナムコーヒー』は本物。


JASSの物品販売ブース。
JASSの「3人娘」が売り子となっているので大量に
販売されたものと推測する。


隣に『ベトナムの雰囲気』を出すために「アオザイ(民族衣装)」
を来てくれているA氏。

フエのJASS日本語学校で先生をしてくれたいたI先生。


フエのJASS日本語学校で日本語教師をしてくれたBさんと
静岡の会のK先生の中学の教え子で、フエにも来てくれた
Cさん。


JASSの展示ブース。



フエのJASS日本語学校の先生をしてくれていたH先生。
JASS活動の説明者としては最適。

わざわざ「上尾」から応援に来てくれた『長年の支援者』
感謝。フエ「子どもの家」に何度か上尾の子どもたちを
連れてスタディーツアーにきてくれた。
その後も長年、「子どもの家」の子どもたちや
JASSベトナム事務所への支援を続けてくれている。



私のベトナム語の師匠N先生か?

元JASS日本語教師のお二人



投稿者 koyama : 20:57 | コメント (0)

2014年10月04日

フエ市共産党委員長・外務部長などと懇談

晴れ

午前5時半起床。

午前7時朝食。「カニ入りブンボー」(牛肉入り米麺)

午前中、当面のいくつかの課題について整理をする。

午前11時半、昼食。

「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)


1時間程昼寝。

来週教える日本語教育「特上クラス」の授業の準備


午後4時45分。宿舎の近くに教え子のイックホアンさん
(現フエ市外務部長)とユン・フエ市共産党委員長が
車で迎えに来てくれる。

車でフォン河に浮かぶ船上レストランへ。

午後5時前。フォン河に架かる「チャン・ティエン橋」
が夕日に染まり、それなりにきれいだった。

 

 (写真はバオミンさん提供)

フォン河に浮かぶ船上レストランで、フエ市共産党委員長
フエ市新旧外務部長、JASS運営委員長のバオミンさん
と当面の諸課題について打ち合わせをしながら、久し振り
の交流を行う。

途中で何度か停電。これもなかなか風情がある。


ますます「貫禄」が出て来たバオミンさん(JASSベトナム運営
委員長)

左(20年間お世話になった前フエ市外務部長のニエン氏)
右(フエ市共産党委員長・フエ市議会議長 ユン氏)
 →それぞれ写真に向かって

いつくかの問題(静岡フエ青年交流会館・・・)を
話し合う。


午後8時、閉会。


投稿者 koyama : 10:29 | コメント (0)

2014年10月03日

宿舎で仕事

(日比谷ボランティアフェスティバル)

10月4日(土)・5日(日)に東京日比谷公園で
日本最大のボランティア団体が集まり、活動を
紹介しあうフェスティバルがあります。
日本の海外ボランティアの主な団体が参加します。
JASSは2001年の第1回目から参加しています。
世界中で展開している日本の海外ボランティアを
知ることが出来ます。また、各国の食べもの、民芸品
などの販売も行われています。


快晴  朝夕は、寒さを感ずる。

洗濯


日本では「JASS東京」の皆さんを中心に
関東地方の皆さんが、10月4と5日の
2日間、日比谷公園で行われる「日比谷フェスティバル」
(外務省・JICA主催)の準備に大忙し。
明日と明後日が晴れることを祈る。

右下の奥歯が痛い。物が食べられない。


午前7時朝食。

「小麦粉のうどん」

唐辛子が強く、喉が痛い。


先日、下痢をして以降、体調が悪い。
倦怠感が強い。
終日、横になっていた。必要な時間、
文章を書く。

午前11時半、昼食。

牛肉入り「おじや」

食欲なし。勿体無いが食べられない。大半を残す。

午後2時間程、昼寝。

午後5時まで宿舎で『仕事』をする。

バオミンさんから電話。いくつかの件を
打ち合わせ。

函館の会からのメール。ハンさんの書いた文章等を
添削する。

バンベー46号の内容を考える。

投稿者 koyama : 19:25 | コメント (0)

2014年10月02日

日本語学校特上級クラス授業

快晴

徐々に「雨期」に入りつつある。
雨期に入ると部屋中、衣類全てにカビが生えてしまう。
異臭漂うフエ生活である。

2日ぶりにセンさんに朝食を作ってもらう。

「フォー・ガー」(鶏肉入り米麺)

いくつかのJASSに関する長文の文書を書く。
何度か推敲する。完成しない。

バオミンさんのYAHOOメールが調子悪く、
いくつかの仕事について、電話で意思統一。
なかなか複雑な問題である。


午前11時半、昼食。

今日は精進料理の日ではないが、
「精進料理」。



食後2時間程、昼寝。

午後2時。日本語学校特上級の授業の準備。
NI級の目指すクラスである。2回ほど授業を
して見て感ずるのは、「読解」なのではるが
「音読」をしっかりすることが必要であることを
痛感する。音をだし、耳で音を聞きながら、正しい
日本語の感覚を身につけることが必要と
感じた。

午後3時半、ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所には、バオミンさん・ソン君・
アンさん(1週間程後に出産予定)の3人
しかいない。病気や仕事などで外出中。


日本語教育用の資料をコピーする。


午後4時10分、「静岡フエ青年交流会館」へ。
JASS日本語学校の4つのクラスの授業が行われている。
その一つが、私が担当する「日本語能力試験1級」を
めざし「特上NIクラス」など4クラス。


フオン先生のクラス


午後6時16分、日本語学校の授業を終わる。

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香港の市民を支持する。
中国共産主義の反民主主義・反動的な性格を
如実に表している。一党独裁偽社会主義国家の
実態がここに現れている。

1989年の天安門虐殺。一部の中国共産党幹部の
家族子弟だけが、「我が世の春」を謳歌している
偏ったニセ社会主義ではある。
日本で社会主義・共産主義を名乗る政党は、
中国の反民主主義・暴力体質を厳しく
糾弾すべきなのだが、何故か沈黙を通している。

1789年のフランス革命後、人民主権の思想は
世界人民の共通の思想である。

21世紀になっても未だに「独裁」と「暴力」
「反民主主義」の勢力が「社会主義」を名乗っている
現実に戦慄を感じる。国家独占資本、あえて言えば
ヒトラーファシズムと共通する「ニセ社会主義国家」が
あり、そうしたニセ社会主義国家を厳しく批判出来ない
共産党があるのもいかにも「ご都合主義」ではある。
そういえば、ヒトラーのナチス党も「国民社会主義
ドイツ労働者党」と言っていた。
一党独裁を批判できない政党は近代民主主義政党
とはいえない。

投稿者 koyama : 21:07 | コメント (0)

2014年10月01日

少しずつ体調回復

午前中は、寝ていた。

昼にインスタントラーメンを作り食す。

引き続き横になっている。

午後3時半、徒歩でベトナム事務所へ。

バオミンさんと当面の問題について
2時間程突っ込んだ話し合いを行う。


今日も日本料理店は休み。店長のトゥオイ絡みで。

夕食は、日本料理店が休みなので「ベトナム・ほか弁」
を買う。200円。卵焼き、焼き魚、野菜、豚肉の煮物

御岳山の惨事は心痛む。被災者の皆さんに
心からの哀悼の気持ちを捧げたい。
私も今まで多くの「活火山」に行っている。

①有珠山(北海道)
②駒ケ岳(北海道)
③羅臼山(北海道)
④浅間山
⑤伊豆大島
⑥三宅島
⑦栃木県那須岳
⑧榛名山
⑨富士山
⑩伊豆利島
⑪八幡平
⑫磐梯山
⑬尾瀬 ひうち岳
⑭箱根山
⑮伊豆大島
⑯新島
⑰八丈島

投稿者 koyama : 20:17 | コメント (0)