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2014年10月15日
滋賀県からの市議一行と行動
午前6時起床。
午前7時朝食。「ブンボーフエ」(牛肉入り米麺)
午前中、ベトナム事務所へ。
バオミンさんは、滋賀県から来られた市議会議員と農業関係者
を案内。
ベトナム事務所でハンさんと「子どもの家」の子どもたちの
高校受験・「子どもの家」入退所の現状を打ち合わせをした。
今年の受験状態は、過去20年で最悪の結果である。
大学受験者1名→フエ観光大学合格
高校受験者5名→全員不合格
JASS,ベトナム事務所、「子どもの家」では、学校へ行くこと
だけを目的としていない。それぞれの子どもたちの持っている
能力を引き出し、『自立させる』ことを目標としている。
これまでも大学へ進学した子どもたちも多数いた。
また、中学卒業後、職業訓練をし『手に職』をつけて自立した
子どもたちも多い。
10年ほど前から子どもたちは、「子どもの家」の先輩が毎晩
遅くまで勉強している様子を見て、「こうすれば自分も大学へ
いけるかも知れない」と『努力』をする伝統が「子どもの家」に
出来上がってきた。
この10年間で高校受験生はほぼ100%近く合格。
大学受験生も1年ほど浪人する子どもも含めれば、
多くの「子どもの家」が大学進学・短大・専門学校進学を
果たしている。親のいない子どもたち・財産のない子どもたち
にとっては、学歴という一つの「武器」を持つことは、
自立への第1歩の「一つ」ではある。
こうしてこの20年。「子どもの家」では、大半の子どもたちが
高校を卒業し、一部の子どもたち」は大学を卒業し、自立して
行った。
「子どもの家」に取っての進学は、必ずしも世間体ではなく、
自らの人生の出発点をどこに置くかという問題でもあった。
今回、5人高校を受験した子どもたち全員が不合格となった
ことについて、ハンさんと論議した。
ハンさんの意見は、「今年の子どもたちは、勉強したり努力したり
することが嫌いか、苦手な子どもが多い」とのこと。
私見では、この数年、フエは目覚しく「発展」してきている。
町中に物が溢れる(まではいかないが、車とスーパー、
高級ホテル、街を歩く人の華美な服装などなどが目立つように
なってきたもの事実である。数年前には、想像も出来なかった
「子どもの家」の子どもたちが携帯電話やスマートホーンを
持つ時代になった。
こうして「贅沢」と「華美」「消費生活」→一言で言えば、資本主義的な
大量消費生活の社会に「子どもの家」の「子どもの家」も巻き込まれ、
努力しないで、毎日を楽しく遊び暮らす、という社会がベトナムの
都市部に出来上がってきているのである。
「子どもの家」の子どもたちも、以前のように毎日コツコツと努力し
勉強するより、毎日を楽しく遊び・その日を楽しく過ごすという
「刹那的」な日常生活に埋没してしまう子どもたちが多くなって
来たのは事実である。
ハンさんの話では、5人の高校受験生全員が、もともと勉強が
余り好きではない性格だったとも言っていた。
いずれにしろ、5人全敗だった高校受験。しかも5人のほとんの
子どもが、フエで一番入りやすい高校を受験して落ちたことに
時代の流れと「子どもの家」の子どもたちの今後の教育・育て方を
再度、論議する必要を感じた。
午前11時半、昼食。「マカロニスープ」
その後、洗濯
30分程、横になる。
午後3時過ぎ、宿舎の近くの道路へバオミンさんと滋賀県の市議
会議員、滋賀県の農業の方が、車で来る。
一緒にフエ市役所へ「タン市長を表敬訪問」。
今年の2月東京で「JASS創立20周年記念式典」が行われた。
フエ市かたらタン市長以下、4人のベトナム人の参加があった。
東京での式典を終え、フエ市と友好関係のある「静岡市長」
「京都市長」への表敬訪問を行った。
京都市長を訪問した夜、JASSの「京滋YOUの会」主催の
歓迎会があった。その歓迎会に滋賀県の自民党市議の方も
参加された。
今回は農業関係者とベトナム南部の「ダラット高原」の農業、
特に生花等の視察にこられたとのこと。
合わせて、フエの農業の実態の視察にこられた。
一緒にフエ市役所へ。
タン市長と懇談。
フエ市役所玄関で。
フエ市役所の応接室で1時間程、フエ音農業の実態、生花の状況
などの意見交換を行う。
フエ市側の参加者は、市長・外務部長、文化部長、副事務長・・・
1時間の懇談が終わり、市長よりフエ市からのお土産贈呈があった。
参加者全員で記念写真
引き続き、午後6時過ぎから船上レストランで
フエ市主催の歓迎会が行われた。
フエ市長と豊田観光社長
フエ市長より「ミンマン酒」を頂く。
午後9時過ぎ閉会。
滋賀県とフエ市との交流が今後も続くことを願っている。
投稿者 koyama : 2014年10月15日 16:13