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2014年11月26日
バンベ46号の編集
肺炎の治療中。
12月2日に病院で肺炎の進行(治療)状況を診てもらうことに
なっている。それまで自宅で抗生物質を飲み、安静にするよう
に医師から指示されている。
昨夜、バンベー46号を編集している有ヶ谷さん・坂本文子さんから
校正稿が送られてきた。
1時間程『校正』を行い、2時間横になることを数回繰り返し、
何とか90%の校正を行う。
食欲がなく、パンと野菜、ミルク程度しか喉を通らない。
何とか体力を回復したい。
今日は急に寒くなった。
2014年11月23日
00歳の誕生祝い
昨日、病院から退院。自宅療養に移る。
抗生物質と咳止め等7種類の薬を飲む。
その他に毎日4種類の心臓の薬を飲む。
『薬漬け』の生活である。
昼前、近くに住む二男一家が来訪。
二男家族4人と妻で私の00回目の誕生会を
してくれる。
二人の孫は自分の好きなケーキをプレゼントしてくれ、
ロウソクの点灯。
孫一家と懇談しながら、しばらく時間をすごす。
その後、孫一家と我が夫妻の6人で誕生記念の
昼食を摂る。
孫も大きくなって小学校1年生と5歳になった。
誕生会をして疲れる。その後、夕方まで横になる。
夕食後、何人かの方から肺炎お見舞いの電話あり。
バオミンさんからメールあり。
2014年11月22日
肺炎で緊急入院
11月18日、午前8時半頃新幹線で京都へ行き
「京滋YOUの会」の藤井代表と懇談する予定であった。
前日17日の夜中、一晩中、咳がひどく眠れず、喘息だと思い、
18日の早朝、近くの総合病院へ行った。
喘息ではなく「肺炎」だった。医師からは、あと1日遅れたら大変な
事態になりましたよ、と脅されたが、かなり重い肺炎だった。
即入院。抗生物質と栄養剤の点滴を毎日6時間行った。
咳が止まらず、血痰がでた。肺の肺胞が菌に侵され死んでいく。
朝、抗生物質の点滴・午後、抗生物質と栄養剤6時間の点滴。
上記の点滴と服薬を4日間続け、何とか咳が1割程度に減り、
血痰が黄色になり止まった。
偶然、私が入院した総合病院は高齢者の入院が多い病院。
私の部屋は3人部屋。1人は85歳で認知症の老人、もう一人は、
70歳位の方で呼吸器外来から来て、酸素吸入器をつけると
いう状況で、同室3人が、24時間、「咳をし」「痰をはく」という
状況。更に多くのお年寄りが入院を待っている。
医師から5日目に「退院し、自宅療養」との話があり、受けれ、
自宅での療養に入った。
大量の抗生物質を使い、体が正常な状態ではない。
これから最低1週間は、医師から処方された薬7種類を飲み
自宅で養生する予定である。
この間、「京滋YOUの会」・「函館の会」「札幌ベトナム交流会」
菊先生などと今後のJASS組織移行問題の話をする
予定であったが、上記の理由で伺えなくなり、色々と準備をして
来て頂いた各地の会の皆さんにお詫びしたい。
自宅へ戻ったが体調は50%回復程度。1週間ほどは自宅で
寝て、養生したい。
2014年11月16日
東京・関東地方の会の代表者と懇談
今日は日曜日。晴天
自宅から都営三田線→(山の手線)巣鴨→新宿
新宿南口の貸し会議室で会議。
JASS日本代表委員会副委員長2人。
JASS東京委員長・JASS栃木委員長
JASS青少年教育の会委員長の参加。
JASS組織改編について、JASS会則に
基づく会議を開く。
3時間程話し合い、結論の合意に達する。
日曜日の休みに会議の参加してくれた皆さんに心から
感謝したい。
帰りに一緒に山の手線に乗ったMさんから
フエから帰国したI君の近況を教えてもらう。
元気にやっているようで安心した。
途中で池袋で降り、ビックカメラへ。
10年近く使っていた火炎樹日記用のデジカメを
落としてしまい、液晶部分のパネルが使えなくなり
火炎樹日記作成に不都合があった。
新しいデジカメ(1万円)を買う。
自宅へ帰る。
近くに住んでいる孫と二男が遊びに来る。一緒に
夕食を摂る。長男は1年生。二男は年中組。
元気すぎる傾向あり。
池袋のビックカメラには、充実した「日本酒コーナー」
があった。
「奥の松」があったので「福島支援」の気持ちを込めて
買ったので、孫と遊びながら冷えた「奥の松」をほんの
少し飲む。
フエに住んで時々「都会の東京」に帰り、地下鉄や
山手線に乗ると「精神的」に疲れる。
2014年11月13日
自宅で休養
フエ滞在中、気管支炎・扁桃腺炎などで悩まされた。
今日は1日自宅でゆっくりと新聞を読んだり、荷物の整理
などを行う。
妻と近くのスーパーに買い物に行く。
二男が函館→札幌行きの乗車券を買って持ってきてくれる。
ベトナム事務所からのメールへの返信。
JASS大阪の会代表より返信あり。
フエから3台のノートパソコンを持って帰ったが、
1台はウンドウズ8で使いこなせない。
残りの2台は故障中。
1台のパソコンを何とか動かし、やっとメール等が
使えるようになった。
2014年11月12日
日本へ一時帰国
午前6時起床
午前7時、宿舎を出て車でダナン空港まで。
午前9時20分、約2時間強でダナン空港へ着く。
ダナン空港で1時間半ほど待ち、午前11時発の
成田便に搭乗。
日本時間午後5時45分、成田空港着。
実質乗機時間4時間45分。
既に成田空港は暗くなっていた。日本が冬季に入っている
ことを知る。
成田空港で大東文化大学ボランティア学生団体の方へ
バザー用の文房具等を宅急便で送る。
京成で日暮里→巣鴨→自宅
午後8時過ぎ、自宅着。フエ→ホーチミン→成田
に比べ、ホーチミン空港での待ち時間が無くなったので
早く日本へつき、体も楽になった。
2014年11月11日
ベトナム事務所のハン会計部長誕生会
午前5時起床。快晴 気温30度を越す
午前7時、コーヒーを飲む。食欲なし。
口内炎・数個有。
午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。
今日はベトナム事務所のハン会計部長の00回目の誕生会。
ハン会計部長との付き合いは、1994年9月からである。
フエ師範大日本語クラスの最初の教え子。
20年の付き合い。20年間、一貫して真面目に仕事をし
生きてきている。
会議室で1時間程、ハンさん誕生お祝いの懇親会。
宿舎へ帰り、ベッドのシーツを洗濯する。
午後12時半。チャオ・バイン。カイン(小麦粉手打ちうどん)を
茹でて食す。
その後、2時間程昼寝。
明日、日本へ帰国予定。今日、ビザが更新された。
ソン君が「大東文化大学国際関係学部地域研究学会
フェアトレード研究班」のバザー用のペンケースなどを入れた
ダンボール箱1箱を宿舎へ持って来てくれる。
明日、私が成田まで運び、成田から大東文化大のS君の
自宅まで宅急便で送ることになっている。
今回の帰国は、1ヶ月程。この1ヶ月の間に『函館」
「札幌」「小樽」「京都」「東京」などで各地の会の代表の方々
との懇談会をする。
各地の会の皆さんとの懇談の下準備の確認。(航空券・乗車券・
ホテル・会合場所・・・・・)
夕方、バオミンさんと電話でいくつかの件を打ち合わせ。
明朝、午前7時宿舎発。「帰国」のための荷物整理をする。
忘れ物がないよう「帰国持ち物一覧表」を作り、最終確認をする。
日本の親戚から電話があり。日本で話し合いをしたいとのこと。
ベトナム帰国の日程を調整する。バオミンさんに調整を任せる。
今回初めて「フエ→ダナン(車2時間)・ダナン→東京(飛行機)」で
帰国する。午前7時にフエ宿舎を出て、午後8時には東京の
自宅に着く。ダナン→フエ便が出来たのでフエを出てその日に
我が家に着くようになった。今回、初めてその体験をしてみる。
バンベー46号の校正を東京自宅でする。3つのノートパソコンを
日本へ持って帰る。
2014年11月10日
ベトナム事務所で打ち合わせ
午前7時起床。
食事を作ってくれているセンさんの今日と明日の食事を
断った。どの料理も『脂が濃く』、今の私の体調では
口に入らない。ほとんど無味無臭のおかゆが一番さっぱりして
いてよい。脂っぽく・唐辛子一杯のフエ料理は、喉を通らない。
午前8時、昨日作った「おかゆ」の残りを食す。
小さいお茶碗に一杯。ほとんど塩味を抜く。
午前9時半、徒歩でベトナム事務所へ。
2日間、扁桃腺・気管支炎などで寝ていたので未だ体調が
十分ではない。ベトナム事務所まで歩いていく途中、
頭が少しフラフラする。
ベトナム事務所
バオミンさん・富岡先生と私の約1ヶ月間不在中のいくつかの
問題の処理の仕方について話し合う。
徒歩で宿舎へ帰る。
昨日炊いた1合のおかゆの残りを食す。食欲なし。
薬を飲む為に「おかゆ」を食べているようなもの。
抗生物質は、症状が軽くなっても最後まで完全に
飲みきることが一番大事。
扁桃腺の痛さが、大分楽になった。
気管支炎の痰が黄色になった。快方に向かっている。
体がだるい。
1時間程昼寝。
午後、バオミンさんといくつかの件、電話で打ち合わせ。
大東文化大学フェアトレード研究班より依頼の
ベトナム物産販売品を私が日本へ持ち帰るが
その内容と届け方についての打ち合わせ。
夕方、バオミンさんから電話。私の2年ベトナム滞在ビザが
出たとのこと。明後日、日本へ帰国するのでビザが更新されないと
困るところであった。
2014年11月09日
宿舎で休息 食欲なし
朝、小雨。昼から晴天。太陽が出て暑い。
夕方曇り。暑かったり寒かったり。体が気候に着いてゆけない。
日本の気温の変化とは、格段に変化差が大きい。
扁桃腺炎で右喉が痛い。熱がまだあり体がだるい。
宿舎近くの屋台の「フランスパン屋」に行き、卵焼き・野菜入りの
小フランスパンを2本買う。塩をたくさん入れるので、3分ンの1程度に
して欲しいと頼む。1本50円。
宿舎に帰り、フランスパン1本を食す。その後、抗生物質の薬を飲む。
昨日の火炎樹日記に付けたしの文章を書く。
富岡先生から昨日のアンさんのお嬢さんの誕生1ヶ月のお祝いの会
の写真が送られてきたが、パソコンのシステムとデジカメ写真が
合わず火炎樹日記に掲載できなかった。今日、富岡先生が違う
システムで写真を送ってくれる。
富岡先生と日本料理店のいくつかの問題について協議する。
昼前、10数年前に支援を頂いた静岡県の旧清水市ロータリークラブ
の堀谷さんから電話がかかる。堀谷さんたちの「清水ロータリークラブ」
から多額の寄金を頂いている。私も清水ロータリークラブで
講演会もしている。久し振りの電話。
堀谷さんは、ハノイでの仕事のついでにフエの「子どもの家」に
寄られたとのこと。「今どこにいらっしゃいますか?」と伺うと
「子どもの家」にいるとのこと。
慌てて、丁度「子どもの家」で写真を撮っているソン君に電話。
「日本人の掘谷さんは、大事なお客さんなので子どもの家を
丁寧に案内して欲しい」と頼む。
今日は、「子どもの家」の「ターオさん」の誕生日。里親のNさんから
誕生ケーキなどの寄金が送られてきている。通常は私が「子どもの家」
へ行き、誕生会の写真を撮っていた。今日は、体調不良のため
ソン君に写真撮影をお願いした。
小学校入学前から「子どもの家」に入所した。15歳になった。
在宅支援に変わった「チュン君」が「子どもの家」に遊びに来ていた。
昼食。残りのフランスパン1本を食す。薬を飲む。
今日は疲れた。午後、しばらく横になっていると熟睡してしまう。
11月12日から日本へ帰国するが、在日中の日程を精査し、
確認する。
2014年11月08日
発熱寝込む
フィギアスケート・ファイナルステージ中国大会
での羽生選手の試合出場は、無謀そのものだった。
スポーツ業界の「精神主義・非科学主義」を端的に
物語っている。解説者やスポーツ関係者の「絶賛」
と「感動」の声を聞けば聞くほど、スポーツ関係者の非科学性
根性主義が未だに払拭されていないわが日本のスポーツ社会を
見た』思いである。
未だこれからの長いスケート人生がある。あれだけの大怪我を
した選手に試合をさせる周りの大人の無知・無能に憤りを
感ずる。本人が試合に出たいと言っても周りの大人が「冷静な
判断力」を持ち、出場をストップさせるべきだったのだ。
日本のマスコミなどの絶賛の声が大きければ大きいほど、
日本のスポーツ業界とマスコミの「根性主意」「精神主義」が
蔓延していく。
羽生問題は、頭の打撲、あごを何針も縫う怪我をした選手は
出場をやめさせる「勇気」が必要だった。
「激突・流血ー羽生は立った」という新聞の見出しに
非科学性・根性主義が端的に表れている。
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午前6時半起床。
体がだるい。
食後、バンベー関連の仕事を始めたが、体調が悪い。
部屋にあった「体温計」で計測すると42度になった。
夏の時期、室内の温度が高温になるので、体温計が壊れることが
多々ある。
ソン君に電話をし、新しい体温計を2つ買ってきてもらう。
新しい体温計で計測すると38度強。
この1週間ほど、気管支炎症を起こし、咳とタンで苦しんだ。
喉頭の炎症のせいだろうか「声」がでにくくなった。
その後、扁桃腺の炎症に発展していったようだ。
38度の体温は、尋常ではないので、ソン君に電話をし、
病院に行くか? 医者を呼ぶか?を話す。
ベトナム事務所の隣りでJASSと懇意にしている医者が
いるので、我が宿舎に来てもらう。
血圧を測り、私が服用している薬を調査さ、台所に
あるスプーンで喉を診察するなど、ベトナムならではの
診療だった。
医者が持って来た体温計でも測定。38度ほど。
医者は、扁桃腺と気管支炎のようだとのこと。
抗生物質の薬を3種類くれる。おかゆを食べて数日、
ゆっくりするように、とのこと。
今朝、、朝食の「フォー・ボー」を食べた時点で食欲が
なく、料理のセンさんに昼食は食べられないの作らないで
欲しいと頼んで既に断っておいた。
医者が帰る。38度近くの発熱になるとやはり食欲と
気力がなくなる。ひとりでの生活なので、食事のこと、
その他不安はある。
バオミンさんから直ぐに電話がある。「大丈夫ですか?」
とのこと。バオミンさんは、家の仕事で今日は、不在。
その他のベトナム事務所員は、ベトナム事務所の
アンさんのお子さんの1ヶ月の誕生日のお祝い会に参加
している。
ソン君にお願いし、ベトナム米を2キロ買ってきてもらう。
炊飯器で1合のおかゆを炊く。
以前、支援者に頂いた「味噌漬け」をおかずにお茶碗1杯の
おかゆを食べ、じっと寝ている。
午後2時半。富岡先生に電話。日本料理店のグエットさんに電話を
して、トウオイさんが出勤しているかどうか?を確認してもらう。
出勤しているとのこと。アンさんのお子さんの1ヶ月の誕生祝いの
会にでていた富岡先生に「日本料理店の開店」をお願いする。
扁桃腺が腫れて「ツバ」を飲んでも痛い。ひどく体がだるい。
この1ヶ月、仕事がたくさんあり、かなり無理をしたことは事実である。
その後、ソン君に電話。明日、「子どもの家」のターオさんの
誕生会に私が参加し、写真を撮り、里親の方に送る予定だったが、
今日の状況から明日の午前中から昼にかけて「子どもの家」へ行く
のは無理な状態。ソン君に代わりに行って「誕生会」を主催して欲しい。
必要な写真を撮り、私に送って欲しいと頼む。快諾してくれる。
ソン君の存在は、ベトナム事務所のなかでは、なくてはならない存在
となった。
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ベトナム事務所ANHさんのお子さん誕生1ヶ月祝いの会
ANHさん夫妻のお子さんの健やかな成長を祈る。
アンさんの親戚のバオミンさん夫妻も参加
ANHさんの旦那さん
2014年11月07日
バオミンさんと打ち合わせ
午前6時起床
体がだるい。喘息症状。
午前7時朝食。
「精進ブン麺」
今日は旧暦「9月15日」。フエでは、1日と15日は
精進料理を食べる。今日は1日、どこの精進料理屋も
満杯。
6日間のツアー等案内(ホアイン・ダナン・ホーチミン)を
終えて、昨夜、フエへ戻って来たバオミンさん。
皆さん、真面目にJASSベトナム事務所の仕事に邁進していた。
ベトナム事務所の財政を一手に管理しているハンさん。
11月1日、日本での休暇からフエへ帰国した富岡先生
午前11時近くまで、バオミンさんといくつかの問題の
解決策について協議。
午前11時半、昼食。「マカロニ・スープ」
ほとんど食せず。
食後1時間程、昼寝。
バンベー46号の最終編集を終え、静岡のAさんと宇都宮のSさんに
送信。
日本料理店は休店。
2014年11月06日
バンベー46号最終編集
小雨・その後晴天
午前5時半起床。
午前7時朝食。
「キャッサバ米麺」
午前9時半、電動バイクで「子どもの家」へ。
トイレ大改修工事は「小休止中」
刺繍みやげ物店で数点の刺繍を買う。
電動バイクでベトナム事務所。
日本語教育の打ち合わせをしている。
日本語学校は、現在7クラスという強大な日本語学校
になっている。
午前11時半、昼食。
「春雨麺」
個人的には、どうしても「喉を通らない」
午後1時間ほど昼寝。
ベトナム事務所から電話あり。午後3時徒歩でベトナム事務所へ。
いくつかの件で話し合い。
2014年11月05日
バンベー46号の残務整理
曇りのち晴れ
午前5時半起床。
午前7時朝食。
「豚肉・エビ団子入りブン麺」
昼までバンベーの残りのいくつかの問題を検討する。
関係者にメールを送り、いくつかの点を確認、了解を得る。
午前11時半、昼食。
たまに出る「ご飯」。生野菜は、美味しい。
余り食べられなかった。
1時間程昼寝。
午4時半まで、バンベー46号の原案全ての文章と写真を
詳細に確認。
まだ、届いていない原稿を待つ。
午後5時半、徒歩で日本料理店。
札幌の鹿又さんが、2014年8月2日、フエ市役所議事堂
で行われた「JASS・「子どもの家」創立20周年記念式典」」の
全容を1時間以上のDVDに編集し、ベトナム事務所に
送ってくれた。
日本料理店の富岡先生・トゥオイ・グエット・ハンさんの
5人で「フエでの20周年式典、その他」のDVDを見る。」
大変丁寧に作って頂いたDVDである。日本料理店の
子どもたちも富岡先生も「分かり易く、良く出来ている」
との評価だった。
改めて鹿又さんにお礼を申し上げたい。
午後9時、閉店。
徒歩で宿舎へ。
1時間程、バンベー関連の仕事をする。
2014年11月04日
バンベー46号編集完了
小雨・曇り・晴れ
午前7時朝食。
「フォー・ボー」(牛肉米麺)
昼食
「海老入り小麦粉麺」
今日は1日中、バンベー46号の編集をする。
午後5時までにほぼ99%仕上げる。
バンベー送信の「DROP BOX」を新しく変えた。
間違いなく栃木のSさん、静岡のAさんに届くか試してみる。
午後6時、徒歩で日本料理店へ。
日本料理店で某会社の現地社長と主任と
日本料理店で食事。
午後9時半。終了。
今日は5人の来店。
午後9時半、閉店。来客4人。
豪雨。トゥオイのオートバイの後ろに乗せてもらって
宿舎まで帰る。
バンベー46号の編集で静岡のAさん・栃木のSさんから
返信あり。私が送信した「バンベー46号の2通の原稿が
届いたとのこと。
明日、全ての原稿を送信する予定。
2014年11月03日
パソコンに「DROP BOX」 日本料理店
午前中は、快晴。夕方から夜にかけて大雨。
午前6時起床。
午前7時朝食。
「キャッサバ麺」
11月1日にフエへ帰国し、今日出勤した富岡先生
ハン財政部長
JASS観光の中心ソン君
富岡先生が日本から帰国したので「日本料理店の現状」
今後の日本料理店の方針について話し合う。
静岡青年交流会館で行われている日本語学校は、
更に教室を増やす。日本料理店・ベトナム事務所の上の3階
4階も日本語学校とする。
現在、日本語学校は、7つのクラスを教えている。
特別上級クラス、中級クラス、初級クラス。
今日は、日本語学校の先生を集めての意思統一の会議
午後、バンベー46号の編集。かなり編集が進む。
出来るだけ良質のバンベーに仕上げたいので、細かいところを
訂正し、よりよいものになるよう努力する。
ソン君に頼み、もう一つのパソコン(日本持ち帰り用)に
「DROP BOX」を入れてもらう。うまくいかず業者を呼んで
インストールする。かなり時間がかかる。
業者が「DROM BOX」をインストールし終わった
私のパソコンをソン君がを宿舎まで持って来てくれる。
午後5時半、雨の中徒歩で日本料理店へ。
フエ・フード・カンパニー・フエ市人民委員会・
韓国のJICAスタッフが来店。
最終的に午後9時15分閉店。10人の来店あり。
豪雨の中、傘を差して徒歩で帰宅。
2014年11月02日
休息、 バンベー編集、いくつかの問題を考える
曇り時々快晴(蒸し暑い1日)
午前7時起床
午前7時半、洗濯。
バンベーの編集
午前9時半、電動バイクで「ベトナムのほか弁屋」へ。
新しいお店を開拓。
「ガラスのケース」の中に作りたての「野菜」「魚」
「唐辛子入りのおつまみ」・・・・。
道路の「ほこり」が入るので、21年前、フエに来た頃は、
気持ち悪くて食べられなかった。21年の年月は、
これらの「多少怪しい食べ物」が全く気にならないように
なってしまった、というのか「成長した」とうのか?
卵焼き・目玉焼き
ボイルした「豚肉」
イカの中にご飯を入れた
右側は「野沢菜風の野菜を漬けて発酵させ漬物」
私の一番の好物
7種類くらいを1パックに入れてもらい、白米を1別のパックックに。
2パック合わせて2万ドン(100円)
今まで行っていた「コムデイァ屋」だと4万ドン(200円)だった。
先週からフエ国立体育館の横にある店に行くようにした。
以前行っていた「コムディア屋」はフエ大学の隣り。
フエ市内の中心。多くのお客が行く。
今日行った店は、フエ市の郊外(私の宿舎からは割合いと近い)
午前10時半。100円で買ってきた「ほか弁」を「おつまみ」に
軽くフダビールを飲む。時間をかけてゆっくりと飲みながら
朝食を摂る。今日は、外出する仕事はない。部屋でゆっくりと
出来る。この1週間程、バンベー編集に集中し、疲労気味。
昨日、事情は不明だが、日本料理店が開店したので
心の中の解決すべき課題の一つがなくなった?
1時間半程かけて朝食兼昼食を摂る。
午後1時頃まら昼寝。
午後3時半目が覚める。
バンベーの各地の会の原稿と写真を整理し、バンベー全体の
どこに配置するかを考える。
昨夜、リー君と飲んだが、「結婚したい」と何度も言っていたいことを
急に思い出す。
子どもたちのことで色々と考え出すと頭が痛くなるほど、課題は多い。
今回高校を受験した子どもたち5人全員が枕を並べて不合格。
「子どもの家」の刺繍みやげ物店、ミシン研修などにコースを変えたが、
この選択が本当に子どもたちにあっているのかどうか?
この辺の「見定め」は「子どもの家」のベトナム人スタッフが行った。
私から見ると本当に「適材適所」の研修かどうか?に疑問が残る
部分がなくもない。再度、調査してみようと思う。
2014年11月01日
バンベー46号編集:リー君たちと飲む:日本料理店
午前5時起床。
しばらくボーッとしておる・
午前7時朝食。
「ブンボー・フエ」(フエ名物牛肉入り米麺)
午前中、バンベー46号編集に専念する。
細かい仕事があり、精神と目が疲れる。
午前11時半、昼食。
「マカロニスープ」 余り好きではない。
一口食べて、もったいないが残す。
その後、1時間程昼寝。
バンベー46号の文章とそれに会う写真を集める。
相当時間がかかる。
午後5時前、リー君が宿舎にオートバイで迎えに来る。
例の「ヤギ肉屋」で飲む。
夕方、諸事情で閉店していた日本料理店に調理関係者が
結集し、開店したとの情報が入る。
りーくんたちとの飲み会を途中で中断し、日本料理店。
今日は4人の来客あり。
この1週間、諸事情で閉店していたので、多くの「お馴染みさん」が
何度も日本料理店にきている。有難いことである。
午後9時過ぎ閉店。