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2014年12月31日

2014年12月31日を寝て過ごす

今年の大晦日を迎え、1年間を振り返った。

今年のメイン・イヴェントは「JASS活動の拠点を
ベトナムへ移行する」とのJASS日本代表委員会・JASS
ベトナム運営委員長の合意・決定である。

2015年2月16日から発効する上記の新方針に従って
来年も「自分のできる範囲」での活動を進めて行きたい
ものである。

私の個人的な件では11月18日に肺炎を患い、5日間入院。
11月22日に退院、自宅療養。それ以降、今日まで自宅で
寝ている。何故か、1日中寝ていられる、義兄が肺炎で
急死しての葬儀参列など「外出」するとひどく疲れる現状。

4日ほど前から風邪をひき、食事が出来なくなる。(食欲なし)
3日間は水を飲む以外食事が出来なかった。
今日からやっと「ヨーグルト」「バナナ」などを口にすることが
出来るようになった。困ったものだ。
同時に「ビールなど酒類」を全く飲む気力がなくなった
ことだ。また、一番嫌いだった「甘味類」(羊かん、チョコレート、
ケーキ・・・)などをむしょうに食べたくなった。
食物への嗜好が極端に変わった。今日、会員の方から
高級羊羹(国宝栗羊かん)を送って頂き、食してみる。濃いめの
日本茶と食べたが、本当に美味しい味だった。

肺炎になって「チョコレート」「羊羹」「ケーキ」の美味しさを知った。

20年ぶりに家で紅白歌合戦を見たが、ほとんど興味がなく
面白くも何ともなかった。今の日本ではこんな音楽が流行って
いるのか?ということが分かった。

20年間、年末は必ずフエにいた。今年は、肺炎になり
全ての生活計画が狂った。

来年の2015年は、自分の体、年齢などを考慮した
活動スタイルを新たに考え、確立する必要があると
実感している。

2ヵ月間の私の不在をバオミンさん・富岡先生など
ベトナム事務所スタッフが、サポートしてくれて、
何とか仕事が進んでいるようだ。バオミンさんを
はじめ、ベトナム事務所のスタッフの皆さんに
心から感謝したい。

又、私の肺炎での入院等で日本の支援者の皆さんにも
御心配とご迷惑をおかけした。

ベトナムのこどもたち、スタッフ、日本のこどもたちや
支援の皆さまが健康で幸せな2015年を過ごせることを
心から祈っている。

総選挙があった。日本が再び「戦争に進むことのないよう」
国民の力で安部自民公明政権を「監視」していきたい。

投稿者 koyama : 20:06 | コメント (0)

2014年12月25日

心臓病病院へ

肺炎になり1ヵ月以上外出が出来ず病院・家で治療・療養している。

20年間服用している「心臓病」の薬がとっくになくなってしまっている。

やっと体調が「最悪の事態」から回復しつつあるので、心臓病治療
のためにも薬が必要なので、新宿の心臓病病院へ行く。

しばらくぶりに通院したので、改めて心臓病の検査をする。

・心臓エコー
・血液検査(採取)
・レントゲン
・検診
・投薬

午前中、病院。

そのまま帰宅。久しぶりで外出するので、非常に疲れる。
午後2時、自宅着。

そのまま「横になる」。

今日はクリスマスと言っても特に何もなく、フールー小学校の
こどもたちに奨学金を支給している京都の「日新電機」の担当
の方へ「奨学金受領書」を印刷して郵送するのだが、プリンターが
壊れて印刷できず。数日、色々といじっていたが、私の能力が
なく、印刷が難しかった。夜、かなり遅くなってやっと印刷できる。
明朝、急いで京都の会社に郵送する予定だ。

久しぶりで新宿に行き、半日ほど過ごした。やはりかなり疲れる。
入浴し、早く寝る。

投稿者 koyama : 18:06 | コメント (0)

2014年12月21日

義兄告別式列席

12月20日(土) 通夜
12月21日(日)A10 告別式


偶然、私と同時期に肺炎になり、急死した義兄の通夜と
告別式に参列した。

「町屋葬祭場」で行われた。

喪主の姉、一人娘と夫の三人が葬儀を取り仕切り、
私は出来る範囲のでの協力と参列者となった。

人間の運命は、不思議なものである。
義兄と同時期に肺炎となり、肺炎球菌と闘った二人ではあったが、
私が生き残り、義兄はあの世の人となった。人間の運命と
命のはかなさを痛感した。

平家物語ではないが、「諸行無常」、人生は「ただ春の夢の如し」
である。

まかり間違えば、私も「あの世」へ行く可能性は十分あったと自戒
している。20年間のベトナム滞在、無理な仕事の継続などの
「ツケ」が今回「肺炎」と言う形で肉体からの「反乱」「異議申し立て」
を受けたものと理解し、その「反乱」と「異議申し立て」の趣旨を
受け入れ、今後の人生の進路を考えている。

この時期寒さも強く、亡くなる方が多かったようで、町屋斎場は
多くの死者で満杯状態だった。私の父や弟の死体焼却時間は
1時間だったが、21日の焼き場での時間は1体「30分」で
次の遺体へと移って行った。

今回の義兄の肺炎での急死と自分自身の「肺炎体験」を通し、
自らの体と今後の生き方を改めて考える機会を得た。

寒い時期の通夜と葬儀参列で、かなり体力を消耗した。

正月明けに「肺炎ワクチン」の接種をする。
年末年始は、自宅で休養(寝ている)する。寝ていると1日中寝て
しまう現状である。まだ、仕事などはできない。
しばらくは、ゆっくりと休養し、2月15日の「JASS現地報告会」
に備えなければならない。

改めて亡くなった義兄の御冥福をお祈りする。
残された家族の平安を祈る。

投稿者 koyama : 11:13 | コメント (0)

2014年12月18日

肺炎1ヵ月

11月18日に肺炎で緊急入院し、今日で1ヵ月。
この1ヵ月間、病院と家で終日寝ている生活をしている。

5日間の入院、集中治療。大量の抗生物質と栄養剤の
投与。何とか、肺炎球菌との闘いに一応勝利はしたものの
病後の経過は必ずしも満足いく状態ではない。

退院後しばらくは、病院から出た薬を飲んでいた。
薬が終わった頃、風邪をひき、再び病院へ。

強い薬をもらう。

何とか風邪を封じ込めつつある頃、体の各部が
勝手に動くくという異常な事態となる。
直ぐに病院へ。風邪を抑えるために投与された薬が
1%の確率で、神経に作用する「副作用」があるとのこと。

何もしないのに手や体が震えるという副作用が出来る。

できるだけ投与された薬が早く体から排出されるように
お茶など水分を多量に摂る。

この数日前から何とか体の震えがなくなり始めた。
勝手に手足が動いてしまうのも「気持ちの悪い」ものだ。

昨日、再度風邪をひき、食事がのどを通らず、1日食事をしなかった。

今日、昼になってやっと牛乳と少しのパンを口にすることが出来た。

なかなか体力が回復しない。風邪を引いたりすると直ぐに
体力・食欲がなくなる。この1ヵ月間、全ての時間『寝て』いた。
足の筋肉が極端に落ちているが、どうしようもない。

まず、体力を回復し、食欲を増進し、風邪をひかないよう、
再度、肺炎にならない体力回復が第一課題。

ベトナム事務所の連絡などもあり、それなりに忙しい
1ヵ月だった。

今日、印刷所から「バンベー46号」(JASS機関紙)が届く。
今回は私が入院している時にバンベーの校正作業があり
私が出来なかったので、校正なしのバンベー発行となった。
今日、改めてみるといくつかの誤植・誤字等があったが、
大勢には影響ないと思う。

バンベー46号編集に協力してくれた静岡のAさん、
宇都宮のSさん、そして忙しい中、依頼した原稿を
送ってくれた各地の会の皆さんに感謝したい。


私より1週間程遅く肺炎になった義兄(姉の夫)は、
私と同時期、入院・治療を行ったが、
そのかいなく、亡くなった。12月20日に葬儀が行われる。

私は肺炎の怖さを知らなかった。しかし、義兄のあっという間の
死去に今でも信じられない気持でいる。私も一歩間違えば、
同様の結果になったことは確かである。

投稿者 koyama : 12:43 | コメント (0)

2014年12月04日

通院

昨日から風邪を引き、発熱。

今日、病院へ行き、風邪への対処をする。

肺炎は風邪(インフルエンザ)が起因になり、肺炎球菌が
増殖し発病する。

午前9時に病院へ行く。

この病院は予約制なので、突然の患者は最後になる。

レントゲンを撮り、風邪への対策を取ってもらう。

6種類の薬をもらう。

医師より「インフルエンザの予防接種」をするよう言われる。

インフルエンザ予防接種をするためには、体力の回復等の
条件を克服する必要がある。

昨日は熱が出て、眠れずに苦労した。

投稿者 koyama : 17:47 | コメント (0)

2014年12月02日

肺炎治療の病院へ

午前8時半、自宅を出て自宅近くの
総合病院へ。

11月18日に肺炎になりこの病院へ緊急入院。
5日間入院。その後、自宅療養。

入院、自宅療養中、多量の抗生物質で肺炎球菌の
撲滅を行う。

体力を消耗。

15日間の自宅療養を終え、今日、病院で自宅治療の結果を聞き
今後の方針を知る。

肺炎が完全に治っていないこと、引き続き、1ヵ月強の自宅療養を
要すること、肺炎ワクチンを使用するために、更に体力と
肺炎の治療進めるよう医師から言われる。

1月中旬までは東京の自宅で療養し、肺炎ワクチンの接種を
行い、肺炎からの脱出を目指すという方針の指示を受ける。

11月18日から今日まで15日間、入院と自宅治療を行う。
引き続き「肺炎」治療を行う。

10分ほど文字を読むとひどい疲労感がある。

医師の話では、高齢者の「肺炎死亡率」は高いとのこと。
気をつけるように言われる。

当初は40度程の発熱があり、食事が出来ず、体力を
失う。

何とか自宅療養をしながら発熱を止める薬や抗生物質を
飲み、体力の回復、発熱の鎮静を行い、何とか平熱に
戻る。

これから1ヵ月程、自宅で療養する。

投稿者 koyama : 20:27 | コメント (0)