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2014年09月29日

故木村百合子さん10回忌を行う

2004年9月29日 24歳と言う若さで自死した
木村百合子さんの10回忌をフエ市内に建設した
「木村百合子記念寄宿舎」で行った。

●1979年11月14日 木村百合子さんは、静岡県磐田市
               で生まれた。
●1998年3月 静岡県立磐田南高校を卒業。
●1998年4月 静岡大学教育学部入学
●1999年3月 静岡大学教育学部の授業で 
           JASSのストリートチルドレン支援活動を
          知り、フエ市の「子どもの家」でボランティア
          活動を行う。
          JASS会員となる。
●2002年3月 静岡大学教育学部を卒業
●2004年4月 静岡市磐田市内の小学校教諭に就任。
●2004年9月29日 学校の管理職等の「いじめ」に遭い
          自死する。
          ○その後、ご両親が学校の管理職等の
            「いしめ」が原因だとして、公務災害
           申請をおこなうが、公務災害基金が
          拒否。
           ご両親は、裁判に訴え、静岡地裁で
          勝訴。そして、東京高裁で最終勝訴し
          勝訴が確定。
●2013年8月19日
          公務災害裁判で勝訴し、公務災害認定
          され、支給されたお金の一部を
          JASSに寄贈。
          JASSは、一生教員で人生を終わる予定
          だった木村百合子さんの遺志を受け継ぎ、
          フエ市内に大学生の寄宿舎」として
          「木村百合子記念寄宿舎」を建設。
   

2014年9月29日 今日、10回忌と「木村百合子記念
            寄宿舎」を視察し、寮生の希望などを聞く。



現在、24人の大学生が入寮している。(満室)

木村百合子記念寄宿舎からオートバイ・自転車で
大学へ通学。

一つの部屋を訪問。フエ市より一つ北の県
「クアンチ省」から来たフエ農業大学の学生

部屋には、薄型テレビもあり、木村百合子
寄宿舎での生活を満喫していると言う。

木村百合子さんの「無念な気持ち」を想像すると
いつまでも「この世に木村百合子さんという人間が
いた」ことを誰かがどこかで思い出すことも
追悼の気持ちの一つかと思っている。


午前11時、木村百合子寄宿からベトナム事務所へ
帰る。

今日から日本料理店長のトゥオイさんが
ホーチミン市に1週間行く。母親が孫の
トゥオイさんの娘をホーチミン市で行われる
結婚式に連れて行くことになった。
トゥオイさんは、娘が心配だとのことで、
母親と1週間の結婚式参加のためホーチミン市に
行くとのこと。

店長兼調理主任ががいないので、調理は新人の
ハンさんのみ。日本料理店を開店することが
出来ない。仕方がないので、調理主任の
トゥオイさんがホーチミンから帰ってくるまで
日本料理店を閉店する。

日本料理店が閉店されると日本料理店で夕食を
摂っている石井君と私が夕食がなくなる。

石井君をベトナム事務所に呼ぶ。
事情を話し、今日から1週間夕食は自分で好きな店
で摂るように話し、一週間分の夕食用の費用を渡す。

===============

午前6時半、起床。

昨夜、ひどい「下痢」で一晩中苦しくて眠れなかった。
前日の土曜日に料理のセンさんが日曜日分の
食事1回分を作っておいてくれる。

昨日の食事は、日本の『ラーメン』のような麺と
豚肉のスープだった。
脂っぽいものが喉を通らないので、昨日、
「ラーメン風の麺」に日本のうどんの「つゆ」を
入れて食事とした。

これが「食中毒」の原因だった。
この「ラーメン風の麺」は一度茹でてあるので、安心
して、「そばつゆ」を入れてそのまま食べたが、
バオミンさんの話では、一度茹でてはあるが、
不潔なものなので、再度食事の際には、茹でなおして
黴菌を殺して食べるそうだ。
私も今までは、肉入りのスープにこの「ラーメン風の麺」
を入れて、熱湯で煮沸して食べたていたのだが、
疲れていて、脂っこいものが食べられず、「日本のソバ」
のようなものが食べたいとの欲求に負けてしまった。

午前0時を過ぎた頃から吐き気と下痢が続く。
朝5時頃まで10数回のトイレ行きとあいなった。

吐き気と下痢は、続き、一晩中眠れなかった。

ーーーーー
石井君に1週間分の夕食代を渡し、宿舎へ
帰る。


今日の昼食は料理のセンさんに頼まず、
自分で「おかゆ」を作り、「ねぎ味噌」(カツブシ入り)
を作り、お茶碗一杯分食す。食欲なし。
力が出ない。

その後、2時間程昼寝。

午後4時過ぎ、電動バイクで「静岡フエ青年交流会館」
へ。JASS日本語学校中級クラスの授業。

午後4時14分から午後6時15分まで。

中級の生徒は8人。大半の生徒は
私も知っている。

午後7時まで宿舎へ。

日本語学校へ行く途中、手打ちウドンを
市場買う。

午後8時。小麦粉の手打ちウドンを茹でて、
そばつゆで食べる。

何人かの方からメール受信。熟読し、色々と
考える。

体がだるい。昨夜一晩下痢で眠れなかった。
酷い下痢だったので、体力もかなり消耗している。

今後2日間、センさんの食事を断る。
下痢の食事も脂が入っているので
到底食べられない。今後2日間は、自分でおかゆなどを
作り食べることにする。体力回復が最大の課題。

火炎樹日記用の「デジカメ」をいれたカバンを
路上におとしてしまう。デジカメのガラスの部分に
ヒビが入る。パネルのタッチ機能が使えなくなる。
パソコンにつなぎ何とか写真が見られる。
火炎樹日記に乗せることが出来るが、
もう直ぐに使えなくなることは明らかだ。
10年間使ったが、残念。

投稿者 koyama : 2014年09月29日 13:09

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