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2011年09月29日

午前中「心臓病」通院:夕方「高校クラス会」

快晴


午前8時自宅を出て、新宿の心臓病専門医院へ
ベトナムで心臓の薬が半月前に切れてしまった。
1回、2ヵ月分しかもらえない。

午前9時過ぎ、病院到着。午前10時半、診察。
今回は無理をして3か月分の薬をもらう。


昼過ぎ、診療終了。

午後6時半。池袋で某都立高校のクラス会。11人参加。
年齢的に言えば、63歳か64歳。老人は何歳からか?
との問いに異口同音に「65歳から」と答えている皆さんではある。
皆、元気溌剌。

真ん中M女史ハ、キューバの若者と結婚。現在、キューバ住まい。
日本キョーバ友好協会の活動もしている。



右はじS君は、ラオス在住。日本料理店のグエットさんの里親を10年
以上してくれた。ラオスでラム酒作りなどに精を出している。


左はじの美女Fさん。小学校1・2年(または、3・4年生)の
時同級生だった。(豊島区立文成小。今もあるのだろうか?)

右はじのG君は、永年クラス会長。


わがクラス「ラオス組」の首領。


平和・民主主義擁護派高校生「二人組」
W君は早稲田の文学部に入学。
当時の早稲田文学部はカクマル派の暴力支配の拠点だった。
4年間苦労した。


我クラスの「ナンパ」第一人者のY君。

今は私が一番尊敬している仲間でもある。


今日のクラス会には11人が参集。バオミンさんから贈られた
ベトナムコーヒーを10個に小分けし、皆さんに贈呈。
バオミンさんに感謝。

午後10時過ぎ、閉会。池袋の駅。

我クラス「赤化高校生4人組」


クラスの仲間全員が長生きして、死ぬまで社会に役立つ人生を
送ってほしいものである。


西台の駅前の交番に「国際指名手配」のポスターが
貼ってあった。日航のっとり北朝鮮行きの「連合赤軍」
の連中。年齢を見たら我クラスのみなさんと全く
同じ年齢。1970年、この事件の時、私は京都に
いた。

一人ひとり違う人生。知りあって48年になる。
未だにこうして付き合えることに感謝したい。

G永年クラス会長様のお陰と深謝。

今夜も気持良く酔えた。

投稿者 koyama : 23:11 | コメント (0)

2011年09月28日

マブチモーター奨学金面接:静大工学部浜松へ

終日快晴

午前8時に朝食と3人に言ってあったが、私が目覚めたのが
午前7時半。急いでお風呂に入り、朝食へ。パン・・・。


3人は「リクルートスーツ」に身を固め、やる気満々。


京成上野から高砂経由東松戸へ。


東松戸からタクシーで「マブチモーター本社」へ。
本当に広い敷地である。小型モーターの世界シエアー
は50%。世界最大の小型モーターの会社である。

マブチモ-ター本社にて

いよいよマブチモーター重役の方の面接。緊張する3人。

現在、マブチモーターはアジアの留学生93人に奨学金を
支給している。昨年の成績が5点満点で5点だった学生は
フエの第1期生T君、2期生のTさんの二人だけだという。
フエからの留学生のポテンシャルがいかに高いかが
分かる。

一人30分の面接、合計1時間半が終わる
担当の畑忠治先生と記念写真。

マブチモーターはアジアの留学生に年間1億5千万円の
奨学金を支給している。貸与ではない。

午後1時マブチモーターから上野へ戻る。
昼食は上野でラーメン。3人は、激辛タンタン麺。
食後の感想。「全く辛くない」とのこと。


急いでホテルへ行き、一人4つの荷物を持って
上野から東京駅へ。
女子の荷物を2つずつ計4つ私が受け持ち、
東京駅へ急ぐ。とにかく荷物が重いので、駅間の
移動が大変。エレベーターがな糸荷物の移動が
出来ない。

やっと辿り着いた東京駅。


新幹線に乗った途端に寝てしまった。


アン君はいつでも元気。

結局、午後3時4分東京発の「ひかり」に乗る予定だったが
遅れてしまう、1時間遅れの午後4時3分の「ひかり」で
浜松へ。

浜松では、元フエの日本語j教師の土井先生と
静大の山林さんが出迎え。


留学生の荷物は小型トラックで。
留学生3人は、市営バスで静大の寮へ行く

土井先生と



私は午後6時10分発の新幹線で帰京。東京着午後8時前。

留学生の3人を無事静大に届けたほっとする。

とにかく疲れた3日間ではあったが、3人の留学には
私もその責任の一端を背負っている。

3人がしっかりと学んでくれることを祈る。

将来、ベトナム社会の民主化のために頑張って
欲しい人材である。


投稿者 koyama : 22:44 | コメント (0)

2011年09月27日

日本到着:浅草、秋葉原視察

日本到着 午前7時50分

無事成田空港に到着

入管のチェックも無事通過。

静大留学生は大量の荷物を持っている。
事前に両親と本人を呼んで「荷物は2つ以内」と
厳命していたのであるが・・・。
両親の気持ちは良く分かる。異国に可愛い子どもが
行くのだ。さむい冬着から種々必要と思われるものを
持って行かせたい。ということで一人4つの大荷物
となった。
幸い、ホーチミン空港では、3人のうちのAさんの親が
ホーチミン空港の税関のお偉いさんと友達。
その方がホーチミン空港のチェックインから付き添って
くれた。一人40キロが限度なのだが、大体60キロ
以上の重さ。知り合いの「お偉いさん」が適当に
「助言」し、なんなくチェクインを終わる。
その後、入管の手続き。お偉いさんが私も含めて
4人のパスポートを持って行き、私たちはチェックなし
で出国。こんなことがあるのだと改めてベトナム社会主義
共和国の「素晴らしさ」を知った次第である。

午前8時半過ぎ、無事、成田空港を出る。



昨夜機内では眠れなかった3人。

スカイライナーで上野へ。


午前10時過ぎ、京成上野駅に到着。

上野駅近くのビジネスホテルへ。チェックインが午後2時なので
大量の荷物をホテルに預け、浅草・秋葉原見学へ。
先日、静岡の会の笠井先生の教え子と静岡高校で
同級だったOさんが付き添いの手伝いをしてくれる。
早稲田大学のOさんと一緒に浅草へ。浅草寺見学



3人が気に行ったのは、浅草寺仲見世のシャッターが閉まっている
店の前での写真撮影。私には意外だった。


早稲田のOさんと留学生で「スカイツリー」をバックに
写真撮影。


浅草寺のお線香の煙を浴びると「問題」が解決すると
話すとそれぞれの「問題個所」に煙をかけていた。
大体は「頭」だった。優秀なのにこれ以上優秀に
なりたいのか?  不可思議。


浅草寺でお賽銭をやり、「おみくじ」を引く。

アン君だけが「吉」で私も含めそれ以外の全員が「凶」


強に太陽が顔を出し、暑くなる。



浅草三社祭の神輿を担いだつもり



昼食は浅草の「吉野家」で牛丼。


3人には「量」が多かったようだ。普通盛りなのだが・・・。


食後、仲見世付近を散策




浅草視察を終わり、秋葉原へ。電気街を視察。

午後3時過ぎ、上野の」ホテルへチェックイン。

早稲田のOさんは、わざわざ静岡から来てくれた。
今夏、フエで3人に日本語教育をしてくれた。
感謝。

静岡へ帰る。

午後3時過ぎ、ホテルに入り、仮眠。

私は自宅へ帰り、荷物の整理。

午後6時過ぎ、上野本牧亭(先日、閉館)の
近くの焼肉屋へ。

3人はベトナムでは18歳なので飲酒可能。
しかし、日本へ20歳以上。厳しく飲酒の
厳禁を言い渡すが、そもそも3人とも飲酒不可能。
残念。代わりに私が飲酒。


焼肉などを食べる。別途、辛い唐辛子をもらうが
3人とも「全然辛くない」とのたまう。


3人ともかなりの量の焼肉を食す。

午後8時半、お開き。3人は疲れていたのだろう
過ぎに寝たようだ。

私も直ぐに熟睡。

とのかく疲れた2日間だった。

3人の喜ぶ顔を見て、私も安心した。

おひる

投稿者 koyama : 21:58 | コメント (0)

2011年09月26日

静岡大留学生と日本帰国

終日豪雨。台風の影響があるようだ。

午前7時、朝食。ブンボー・フエ

午前中、バオミンさんと原田先生といくつかの問題について
教協議。

午前11時半。昼食。精進おかゆ。煮魚・隠元豆・キャベツ。

日本帰国の荷物の最終整理。
部屋の「カビ対策」。衣類、布類を全て洗濯する。ケースに
しまう。

午後3時半、宿舎を出て、フエ空港へ行く予定だったが、
午後3時、バオミンさんから電話。ベトナム航空に確認したら
フエ →ホーチミンは、「台風の影響で欠航」とのこと。
ダナン →ホーチミンは通常通りの運行だそうだ。
仕方がないのでバオミンさんに「ダナン →ホーチミン」
の切符を買ってもらうように頼む。
しかし、既にかなり満席状態。切符が取れるかどうか
分からないとのこと。

今日は午後8時半にホーチミン空港で静岡大学留学生3人と
待ち合わせ、日本へ連れて行く段取りになっている。
留学生は、1日早くホーチミン市へ行き、親戚の家で交流
し過ごすという。
今夜、私がホーチミン空港国際線の待ち合わせに行けなかったら
留学生も困る。28日午前10時半からマブチモターターの
「マブチ国際育英基金」の奨学金テスト(面接)を受けることに
なっている。全ての計画が狂ってしまう。

ベトナム航空は時間通り運航することはほどんと行っていい位ない。
フエ →ホーチミンが「台風の影響」なら、ダナンは海に近いので
もっと台風の影響があるはず。そのダナン →ホーチミンが運行
していて、フエが運行しないのも「説明に無理」がある。
いつものように「飛行機のやりくり」ができなった結果と見た。
てなことを言っていても埒があかない。
何とか、ダナン →ホーチミンの飛行機を取らなければならない。
バオミンさんに「あらゆる方法」を駆使して切符を取ってもらうよう
依頼する。こうした時に「普段の行い」が利いてくるのだ。

外は豪雨。

午後3時半、フエを出て車で2時間半、ダナン空港着。
午後6時過ぎ、ダナン空港でチェックイン。

夕食を摂る時間がなかった。
ダナン空港にあるレストランへ。フォーもブンボーもない。
インスタントラーメンにお湯を入れたもの。

国際空港と銘打っているダナン空港のrっストランの
実態である。サービスも何もない。

午後7時40分、ダナン空港着発。

午後9時、ホーチミン空港着。

急いでホーチミン空港の国際線へ。

3人の静岡大学留学生の家族、親戚が
ホーチミン空港へ結集。総勢20人弱。

バオミンさんのお母さんも参列。


ホアンさん一族(ご両親もフエから駆けつけてきた)



アン君一族


チャンさん一族



ホアンさん関連


チェックインカウンターへ。

一人4つ程の大きなスーツケースなどを持ってきている


午後10時過ぎ、チェックイン。


待合室で2時間程待ち、機中の人となる。午前0時過ぎ。



機上し、直ぐに寝てしまう。

午前4時頃、起こされ朝食。機外が陽の光と雲。

午前7時50分(ベトナム時間午前5時50分)成田空港
到着


投稿者 koyama : 16:42 | コメント (0)

2011年09月25日

明日の帰国の準備

一日中、雨。 時々豪雨。湿度が高い。

朝8時まで寝ている。

午前10時、朝食。センさんが作ってくれた「小麦粉のうどん」
とスープ。

小麦粉のうどんを「茹でる」。そばつゆで「熱盛うどん」として
食べる。

1日に4回洗濯。部屋の掃除。

フエ在住18年。この時期、部屋を1ヶ月空けると部屋中が
かびてしまう。衣類もかびて、臭くなってしまう。寝具も全て。

この18年の経験で「カビ」るということは、カビのえさを
残しておくからなのだ。カビの餌とは、人間の着たものに
人間の残存物が残り、それがえさになり、カビが繁殖する。

カビないようにする第1の対策は全て洗濯、たんぱく質の
残存物を残さないこと。

湿度を下げること。(これはフエでは難しい)

日本で引き続きしなければならない仕事の資料をまとめ
USBに入れる。静岡元市長のフエ訪問の日程・案内調整。
「フェリシモ」関連の仕事。静大留学生関連の仕事。
2012年4月、フエで行われる「世界歴史都市連盟総会」
関連の仕事整理。

昼食抜き。

午後、関連する仕事のメール送信。受信。


明日帰国するが、帰国寸前までバオミンさんと当面の
課題についての意思統一が必要。

投稿者 koyama : 20:00 | コメント (0)

2011年09月24日

「子どもの家」でこどもたちの写真撮影:韓国からの訪問者と懇談

終日雨。豪雨。高湿度。

朝から隣りの家では、3日間続けての通夜を行っている。

午前7時朝食。フォー・ハノイ


午前9時徒歩でベトナム事務所へ。

ベトナム事務所では、古賀先生が日本語教育の準備に
専念している。真面目な先生だ。

富岡先生は既に日本語教育のベテランの域に到達。
落ち着いて日本語教育を行っている。
安心して任せられる人材である。


豪雨の中、バオミンさんと一緒に「子どもの家」へ。

「子どもの家」では、通販「フェリシモ」の寄付金で
「子どもの家」全体の改修工事が行われていた。
玄関の会議室全体のペンキの塗りなおし中。


「子どもの家」のこどもたち全員の写真を撮る。

5人一組。撮影の場所を変えての撮影。


この10日間ほど毎日が雨。フォンザン付近のフオン河も洪水
寸前。

午後1時過ぎ、「子どもの家」での撮影を終える。
3人のこどもたちが午後1時を過ぎても帰って来ない。
1時間近く待ったが、医科大のこどもは実習で「子どもの家」へ
帰るのは午後9時とのこと。2人のこどもたちが待っていたのだが、
3人の帰宅が遅いことが分かり帰ることにする。

午後1時過ぎ。まだ昼食を摂っていない。バオミンさんと
「ヒエップロイ」(チャーハンの美味しい中国系の店)へ行き
目玉焼き付きの「チャーハン」を食べる。美味しい。

携帯電話に韓国の人から電話が入る。私に会いたいとのこと。
午後3時にベトナム事務所へ来てもらうことにする。

午後1時半過ぎ、宿舎に帰る。1時間程、昼寝。

午後3時、豪雨の中、長靴を履いてベトナム事務所へ。

韓国から来られた平和の研究者(日本に留学)カンさんと
2時間ほど話し合う。

午後5時半、日本料理店の夕食。古賀先生もすっかり
日本料理店のこどもたちに溶け込んでいた。


午後6時半、宿舎へ帰る。隣りの家では引き続き通夜。

明後日の26日の日本帰国のための荷物準備を行う。

投稿者 koyama : 20:52 | コメント (0)

2011年09月23日

「子どもの家」退所式:隣りの葬儀:静大留学生懇親

終日雨。室温27度 湿度92%

午前5時頃、豪雨。雨音で目が覚める。

午前7時朝食。ブンボー・フエ

午前7時50分、徒歩でベトナム事務所へ。

バオミンさん・原田先生と日本語教師の件で打ち合わせ

午前9時、外は雨。バオミンさんとタクシーで「子どもの家」へ。

「子どもの家」のホン・ニイーさんの退所式。

5年前に姉が入所。姉は、ホーチミン市の「ホーチミン外商大学
貿易学科」に入学。現在、3年生。

ホンニーさんは、ホーチミン人文大学法律学科に合格。
ホーチミン市にいる姉と一緒に生活しながら、大学へ行くことになった。

(セン運営委員長)
ダナンの百科大も合格したが、本人がどうしてもホーチミン市の
大学に行きたいとのことで、今日の退所式となった。
JASSとしては、フエの大学で学び、「子どもの家」から通うように
して欲しかったが本人の希望でホーチミン市に行くことになった。
しっかりと勉強して欲しい。


(小山)
ホーチミン市は、複雑な大都市だ。色々な人がいる。
十分注意して勉強して欲しい。

(父親)
「子どもの家」で2人の娘の面倒を見てもらった。
感謝している。JASSの支援がなければ、娘二人は
大学へいけなかった。姉もフエ医科大学に合格したのだが、
どうしてもホーチミン市に行きたいということで、ホーチミン市へ
行った。妹も姉の後を追ってホーチミン市で勉強をする。
里親の山野辺さんに宜しくお伝えください。


(ホンニー)
コックホック高校3年間を「子どもの家」で過ごした。
「子どもの家」があったので私が勉強をすることが出来た。
JASSや「子どもの家」の先生たちのご支援で今日の
私がある。感謝している。ホーチミン市の大学でしっかりと
勉強し、弁護士になろうと思っている。
里親の山野辺さんに宜しくお伝えください。


父親が退所承諾書にサイン


セン運営委員長が退所承諾書に確認のサイン
この書類は公的な書類となる。住民票を作る基礎的な公的な
書類である。


退所式終了後、記念写真を撮る


「子どもの家」では、「フェリシモ」からの寄金で「子どもの家」の
総合的な改修工事を行っている。

急いでバオミンさんと宿舎へ帰る。

隣りのダンナがなくなったので葬儀に参加。

花輪を贈呈。


「JASS代表 小山道夫」 との帯を入れる

さみしい葬儀である。奥さんと娘の夫など数人しかいない。


午前11時半。豪雨。 昼食

マカロニスープ。茹でた「空芯菜」。


気温が急激に下がった。体がだるい。喉が痛い。頭痛。

バオミンさんに電話をし、風邪の症状なのでいつも買って
もらう薬を頼む。

2時間ほど熟睡。

午後5時、徒歩でベトナム事務所へ。

日本料理店のこどもたちが、頑張って仕事をしていた。


午後5時半、バオミンさん一行と一緒に静大工学部に
留学する3人の学生の一人の家庭に招待される。

父親はフエ省の祖国戦線の幹部。母親はフエ医科大免疫学の
教授。祖父は、南ベトナムの裁判官(82歳)

ロシア・サラダ


留学生の母親(医科大教授)と日本語教師と古賀先生


富岡先生と36年前までの南ベトナムの裁判官の祖父

お早う先生と留学生

ベトナム事務所「日本語教師3人娘」

お父さんと留学生、お早う先生(朝になると「今晩は先生」)


歓待の会にあるビールを全部飲んでしまい、追加に
買いにいくようにしようと3人で画策。飲みまくる。

父親の出身である北部の鍋物

午後9時、閉会。

その後、日本料理店に戻り、日本語学校の仕事で参加できなかった
原田先生と更にお祝い会。小山・バオミン・原田・富岡・古賀。

午後10時半まで。


投稿者 koyama : 12:56 | コメント (0)

2011年09月22日

フエ市人民委員会外務部長・副部長と懇談

午前中、豪雨。午後、小雨。夜豪雨。1日中雨だった。

午前7時朝食。青豆のおかゆ。小魚の甘辛煮。茹でたキャベツと
ニンジン。


午前8時過ぎ、バオミンさんが来る。隣の家の「おじさん」の
状況を聞く。はやり、昨夜、脳溢血で亡くなったとのこと。
明日から通夜・葬式。53歳だったそうだ。

バオミンさんに頼み花輪を出し、明日、弔問することとする。

午前8時半、フエ市人民委員会外務部へ。

ニエン外務部長、ホアン副部長、私、バオミンさんと
懇談。ホアン副部長とバオミンさんは、18年前、フエ師範大学
日本語クラスで私が日本語を教えた第1期生。

2012年4月、フエで開催する「世界歴史都市連盟総会」の
主催者であるフエ市人民委員会として、「総会」をどのように
成功させるかを協議。


豪雨の中、バオミンさんのオートバイで帰宅。

隣りの家では読経が続いている。

午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
大量の生野菜。

読書「現代ベトナムの国家と社会」(寺本実編集:明石書店)

寺本実氏の序章を読む。1975年4月30日の『南部解放』後
の社会主義政策とその破綻の上に成立した「ドイモイ政策」
の過程を概観する。東大の古田元夫氏の論説の紹介版。

9月26日、静大留学生を連れて日本へ。
それまでにしておかなければならない仕事がたくさんある。
この数日で全て仕事の段取りをしておかなければならない。

「フェリシモ」関係の仕事を整理し、必要な部分はバオミンさん
に依頼。

新日本語教師希望者選定問題について考える。

明朝、8時から私とバオミンさん、フーン先生、原田先生で
打ち合わせの予定。


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原発抗議で俳優の山本太郎さんが「佐賀県庁侵入容疑」で
告発され、佐賀地検は告発を受理したそうだ。

山本太郎の告発を地検が受理するのであれば、福島原発の
事故を起こした東電、経済産業省・安全保安院、原子力安全委員会
の斑目氏などこそ、警察・検察は逮捕し、作為・無作為・過失等の
容疑で裁判にかけるべきである。
世界的な放射能事故となった福島原発。数え切れない人々が
現在も真っ当な生活ができないでいる。これから何十年も
何万年も影響を与える事故を起こした彼らこそ、起訴し、
裁判にかけ、断罪すべきだ。ついでに欠陥原発を作った
東芝などの会社も製造者責任を問うべきだ。
「原発」だけに「厳罰」に処すべきだ。

3月12日に福島原発はメルトダウンしていた。政府は2ヶ月後に
国民にその事実を知らせた。菅首相・海江田経済産業大臣などを
「虚偽申告罪(があるかどうかは知らないが)」で起訴すべきだ。
福島原発問題で、未だに誰一人司直の調査を受けていないのも
おかしな我が日本である。いざという時に「責任者が出てこない」
「責任を取らない」我が国である。


文部省の「中央教育審議会」があった。文部大臣が
挨拶。これからは、こどもたちが自ら「自分を守る教育」
が必要と挨拶し、中教審の答申に反映するように
言ったそうだ。
馬鹿馬鹿しい話である。まずもって、こどもたちを守るのは
文部大臣の責任。福島だけでなく多くの地域の放射能汚染、
こどもたちへの影響、甲状腺がんなどでおびえている親子が
たくさんいる。これらのこどもたちをこそ、助けるのが、文部大臣
の仕事なのだ。とうとう、文部大臣がこどもたちに『自分は自分で
守るように』などと、文部大臣の職務さえ、こどもたちに押し付ける
時代になってしまった。

文部大臣が挨拶した中央教育審議会では、「責任はとる」
という「高級官僚、政治家、御用研究者」などへの教育提言が
必要である。

野田首相が国連で「福島問題」を報告。

福島の全ての教訓を世界に発信すると言っているその言葉の
裏で、3月12日にメルトダウンした福島原発を2ヶ月間国民に
隠していたことは国連で報告していない。今でも東電は、
福島原発の客観的な資料を国会にさえ提出していない。
国内で「公開していない」原発事故を世界に公開できる訳がない。
国連での野田演説は、原発の再稼動の表明でしかない。
福島原発事故を真摯に反省し、教訓を汲み取り、国民の
安心・安全を守るという立場とは、相容れない立場を国連で
表明した野田首相。本性が表れた国連での演説だった。

パレスチナの国連加盟を支持する。
アメリカは拒否権を行使すべきではない。


投稿者 koyama : 16:19 | コメント (0)

2011年09月21日

午前中、「打ち合わせ」:午後来訪者案内

終日雨。時々、豪雨。

午前7時朝食。小麦粉の手打ちうどん(チャオ・バイン・カイン)


隣りに救急車が来た。隣りの旦那は「シクロ」(人力車)の運転手。
救急車で病院へ。

毎日のように朝からシクロ仲間を呼んでお酒を飲んでいる。(ビール)
時々、ビールがなくなると隣の私の宿舎に来て「ビールをくれ」と
言ってくる。近所の人が「あの人はアル中だから、何を言われても
構わない様に」と私に言う。
それでも何度も来るので、以前、バオミンさんを通して、瓶ビール
2ダースを差し入れしたことがある。
「このダンナ」、私の父親と同じような雰囲気を持っている。
わが父親も朝から毎日1ダースのキリン瓶ビールを飲み、
その後、夜になると友だちを呼んで毎晩「宴会」をしていた。
「冗談じゃねえ。飲まないで生きていけるか? 飲んで
死ぬのは本望だ。俺は、太く短く生きるのだ」と豪語し、
その通り、52歳で脳溢血(お酒の飲みすぎが原因)で
急死した向島育ちの父親である。私が高校2年生の時だった。
当時はこれがイヤだったが、今、この年になり、父親の人生を
客観的に振り返って見てみると「さもありなん」と、何故父親が毎日
お酒を飲んでいたのかが、理解できるようになった。
1910年(明治43年)生まれ。1930年(20歳)徴兵検査で甲種合格。
徴兵。1945年(35歳)まで中国で過ごす。家族が日本へ帰国中
長男が5歳で中国からの引き上げの途上で栄養失調が原因の
肺炎で死亡。35歳で日本へ帰国。事業をし、倒産し、借金取りに
追われる毎日。私の知っているいる限りで20種類以上の仕事を
していたが、全てうまく行かなかった。今ではこうした人生を
歩んだ人間が「飲まない訳にはいかない」。「飲むことが良く分かる」。
相当「アナーキー」な人生を歩んだ職人の父親を忌み嫌っていた
私が、45歳を境いに「忌み嫌った」父親と同じ様な「アナーキー」な
人生を歩んでいるのも「親子」というものだ。
我が子が「父親譲りのアナーキーな反抗的人生」を歩まないように
期待しながら、同じ道を歩むことを期待している「対立物の統一」を
期待している今日この頃である。

そんな気持ちがあり、この隣りの酔っ払いダンナに何とは
なしに親近感を持ってはいた。この「酔っ払い、アル中おやじも
ベトナム戦争や人生の挫折、思い通りに行かない人生の中での
「あがき」が「朝からの『飲み会』だったのではと推測する。

 救急車騒動は、この「ダンナ」が脳溢血で倒れたとのこと。
救急車で病院へ。しばらくすると、家の前の道をトタン板で
屋根を作り始めた。


料理を作ってくれるセンさんに「隣りのダンナは亡くなったの?」
と聞く。「いいえ、足が不自由になったとは聞いたが、亡くなっては
いない」との返事。
多分、病院の医師から「もう手の施しようがない。時間の問題」と
言われたのではないだろうか?
それにしても「現実主義」というのか、なくなる前から葬式の
準備を始めている。さすがはベトナム人だ。建前は建前。
現実は現実。現実的には近々に「亡くなる」、そのためには
今から葬儀等の準備をしておかなくては、葬儀が出来ない。
家族や近所の人も手伝って、道路上に雨や日よけ用に
トタンの屋根を作ってしまった。
私が差し入れした2ダースのビールも「ダンナの死を少しは
早めたのではないか?」とほんの少しの罪悪感を感じる。
今夜は、隣りのダンナと父親を思い出し、「通院」ではなく
「痛飲」しなければならない。

徒歩、ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所では、スタッフがそれぞれの仕事に精を出して
いる。

古賀先生は、フエ高等師範大学の授業。


アンさんとフオン先生(通称:こんばんは先生)

バオミンさんとハンさんは、何か「密談中」

原田先生は、日本語学校の資料つくり

バオミンさんと1時間ほど打ち合わせ
「世界歴史都市連盟」の進めたか、JASSの関与の範囲、
JASSの役割りなど・・・・・・。


午前11時半、昼食。春雨麺


読書「現代ベトナムの国家と社会」(寺本実編集:明石書店)

午後2時、バオミンさんから電話。午後2時半にベトナム事務所
を訪問する予定の日本の方が既にベトナム事務所に来ている
とのこと。
急いでベトナム事務所へ。

日本共産党長野県委員会女性児童部長(中野さなえ)さんと
ご家族。

40分ほど、ベトナム事務所で話し合う。だんなさんは医師。
枯葉剤の問題、障害児支援の問題などを話し合う。

その後、車で「子どもの家」へ。「子どもの家」を案内する。

午後5時前、ベトナム事務所へ戻る。

日本料理店のこどもたちに給料を渡す。


午後6時。隣りから「読経」の声が聞こえる。
外は豪雨。外に出てみると近所の人が集っている。
やっぱり「ダンナ」は亡くなったのだ。哀悼。

バオミンさんに電話をする。隣のダンナが亡くなったことを
知らせ、通夜・葬儀参加の手配、花輪の手配を頼む。

午後10時過ぎまで、通夜の弔問客があった。
夜遅くまで断続的に豪雨。本格的な雨季に入った。

ーーー
台風15号が、大暴れしている。東京も機能停止のようだ。
山手線などが止まったようで、駅には大勢の人がいる。
東日本大震災当日の夜の東京の様相を呈している。
午後6時(日本時間午後8時)頃から山手線が開通したようだ。

投稿者 koyama : 19:31 | コメント (0)

2011年09月20日

静岡大学留学生父母最終説明会:地球の歩き方6班晩餐会

朝小雨・昼豪雨・その後雨  湿度高し。

午前7時朝食。フォー・ハノイ

急いで朝食を摂り、徒歩でベトナム事務所へ。

午前8時、静岡大学工学部「ニフィープログラム」留学生と
父母の最終打ち合わせ会

9月26日、午後8時半ホーチミン空港で待ち合わせ。
9月27日午前0時05分ホーチミン空港発 →成田(A7:50)
その後、上野のホテルに荷物を預け、私が「浅草」「秋葉原」
を案内する。浅草でスカイツリーを見る。
午後3時、上野のホテルへ戻り、3時間ほど休息。
その後、夕食。上野の「焼肉屋」へ。
9月28日、午前8時半、上野を出て千葉県東松戸の
マブチモーター本社へ。「マブチ国際育英基金」の奨学金面接。
午後、東京駅から静岡県浜松駅へ。
日程説明後、注意事項を説明。
①荷物を多く持ってこない
②飛行機内は寒いので長袖用意
③酔う人は、酔い止めの薬を
④静大の学生寮に入寮するが、「寮の規則」の遵守。
  (1期生・2期生の具体的な問題を例示し、戒める)

その後、親と留学生からの質疑に答える。


午前11時半、昼食。
魚の「おじや」。

食後読書。「昭和の芸人 千夜一夜」(矢野誠一著:文春新書)
を読了。この種の本は、昼寝よりも面白い。
私の付き合った人、小学校から中学校の頃、テレビに出ていた
芸人さんのオンパレード。
全員が「故人」となっている。記述は短いが、それぞれの
芸人さんの「人生」が短く書かれている。
結構私は浪曲が好きだった。「相模太郎」の人生。
三遊亭円生の人生。落語協会から脱退し「落語三遊協会」
結成。円生のプライドの高さを著者は強調している。

岡本文弥。新内。上野の今はないが「本牧亭」で何度か聞いた。
選挙になると赤旗に「共産党を支持ずる」と名前を載せていた。
革新新内。

8代目桂文楽。テレビでよく見たが、死後、文楽のテープは
たくさん聞いた。「船徳」「寝床」・・・・・・。

4代目柳亭痴楽。関西の「吾妻ひな子」もタンタンとした
関西のおばさんだった。10代目金原亭馬生。
春風亭柳朝。林家正蔵の弟子。私はこの咄家が好きだった。
中学校の頃、土曜日の昼に10チチェンネルに良く出ていた。

2代目林家正楽。紙きり。2度ほど一緒に仕事をしたことがる。
その頃、弟子だった林家小正楽が、現在正楽を名乗っている。

5代目柳家つばめが好きだった。何となく知的なものを
感じていた。

各種のメール受信。返信。

午後6時、豪雨の中、長靴と傘を差して、日本料理店へ。
地球の歩き方6班の晩餐会。

私、バオミンさん、ハンさん、アンさんが参加。
富岡先生・原田先生・古賀先生が準備等の担当。


司会の富岡先生と接客係りのグエットさん。


司会に慣れて来た富岡先生。

グエットさんの「メニュー紹介」

未成年者は飲酒をしないよう注意する。


日本料理店のこどもたちスタッフの自己紹介


午後9時前、晩餐会終了。日本料理店前で記念撮影

写真を撮るバオミンさん・ハンさん・富岡先生・アンさん

豪雨の中、徒歩帰宅。


投稿者 koyama : 22:50 | コメント (0)

2011年09月19日

各種書類・手紙等を書く  日本帰国の諸準備

終日曇り・時々晴れ  少しずつ秋になる。

午前7時朝食。ブンボー・フエ  生野菜を大目にしてらう

バオミンさんといくつかの件で打ち合わせ。

バオミンさんは、午前10時、富岡先生とナムドン山岳地帯へ。
地球の歩き方6班の皆さんと一緒に。

9月26日にフエを出て、27日の朝、成田へ着く「帰国」の準備。

特に10月・11月は「雨季」。部屋にあるものは「全て」カビてしまう。
カビのえさになるものを削除しなければならない。

今日は1日、洗濯(毛布・掛け布団・・・)と部屋の掃除。
カビ止の措置を取る。

午前11時半昼食。「小麦粉の手打ちうどん」

1時間ほど昼寝。

読書「昭和の芸人 千夜一夜」(矢野誠一著:文春新書)

都家かつ江  アダチ竜光  八代目林家正蔵  牧野周一
三代目三遊亭金馬(この人の話を蓄音機で聴いて開眼した。小5)
「居酒屋」は何度も何度もレコードで聞いた。
3代目桂三木助(新卒で勤めた学校の隣りに三木助の家があった
三木助の「芝浜」を何度聴いたか)

芸人さんの人生・一生を見てみると「人間」がそこにある。
人間は+-を持っている。完璧な人間はいない。
結局、人がどう思うかは別にして、自分の「信条」と「生き方」
に殉ずるしかないのである。

いくつかのメール受信。送信。

報告書作成。

刺繍の請求書・納品書作成

明日、先日退所した姉・弟の家に視察に行く予定だった。
父親からバオミンさんに電話があり、明日は事情で
こないで欲しいとのこと。里親の方からの手紙を郵送する。

今日、東京で行われた「脱原発6万人集会」に連帯する。
大江健三郎の挨拶も良い。私たち市民は、集会とデモ
で意志表示ができると。原発は社会の荒廃と衰退をもたらすと。

あれだけの福島の原発加害があったのである。原発の本当の
恐ろしさを知るべきである。

今日の集会が政党・党派を超えて行われたことを喜ぶ。

(日本の不幸)

原水爆禁止運動も「政党系列」で運動をしていた。
共産党系は「原水協」、旧社会党系は「原水禁」
自民党・民社党系は「何とか」と。

今回の原発問題もやはり政党系列で運動が進められようと
している。馬鹿馬鹿しいことである。自分のイニシアティブ
が取れないと運動しない政党とは、何の意味があるのか?

福島原発問題。「脱原発」という使い慣れた言葉もあるが、
急に「原発ゼロ」というスローガンが出てきて、「脱原発」とは
一線を画す姿勢を示している。

今日の東京明治公園での6万人集会も旧社会党系列の
主催の集会と報道されているが、実際には各種団体が参加している。
今後の原発問題の集会も是非、今日のような形で各党派・団体が
主義主張・思想・信条に関わらず、「原発反対」の一点で一致できる
人々の総連合としての運動・集会であって欲しい。

日本の政党の未熟さを克服する良い機会である。

原発反対、原発をなくすという「人類共通の課題」には、
政党のエゴをなくし、誰でも参加できる運動にして欲しいもの
である。


細野原発事故大臣が「IAEA」で年内「冷温停止」ができると
発言。IAEAの天野事務局長と歓談したとのこと。
天野氏こそ、原発神話の信奉者なのだ。

福島原発は未だに3・11から大きな変化はない。大量の水を
注入し、高濃度の放射性水を海に「垂れ流している」だけ。

3.11から何も変っていない。

今日、「日本原子力学会」が開かれた。何人かの発言が
テレビで放映されていた。原発の管理に問題があったとの
発言はあったが、学者個人の根本的な「自己批判」が
なかった。「原子力村」の面々は自分自身が甘い汁を吸って
「立身出世」したことをこそ、まずもって自己批判すべきなので
ある。

京大の小出助教(助手)、安西助教(現在立命館大副学長)
など、「出世」できない「原発には問題がある」との立場の
研究者がいることを「原発村」の研究者は知るべきであり、
自分自身の生き方そのものを根本的に自己総括すべきである。

どんな有名大の教授になろうとも、人間として、研究者としては
未熟なものだったことを自己理解すべきである。

私は損得勘定ではなく、何か人のために自分の人生を
役立てたいと祈念している。
ーーーー

今日は「敬老の日」。私自身はこの日の対象になるのか?
疑義をもちつつ、何歳から「敬老」なのかなどと馬鹿な
ことを考えている。

1ヶ月ほど前から「以前続けていた」筋トレ(バーベル)と
ストレッチ、スクワットなどを行っている。
脳の老化と足腰の老化は、ベトナムでの仕事には
大いに支障をきたす。
出来るだけ毎日1時間は歩きたいが、フエの中心部の
交通事情は「異常」である。危険そのもの。
なかなか、外に出でウオーキンギができない。
ベトナム事務所まで徒歩で行ったり、スーパーへ
徒歩で行ったりとできるだけ、足腰の訓練を
行っている。マラソンなど過激な運動は医師に禁止されている。

毎日、少しずつの運動を続けることが肝要と自覚している。

投稿者 koyama : 19:23 | コメント (0)

2011年09月18日

ブライセン事務所整理ー日本人スタッフと夕食会

午前5時起床。

午前中曇り。午後晴れ。夕方曇り。湿度が高い。蒸し暑く、
気分が悪い。

午前7時、センさんが作ってくれた「マカロニスープ」を半分
温めて食す。

洗濯。部屋の整理

日本帰国のための準備。

帰国日程の整理。
帰国持ち物一覧表を作成。パスポート・・・・・・。
日本でベトナムへ持ち帰る品物一覧表作成

ストレッチと筋トレ

ベトナム事務所3階のブライセン事務所へ行き、荷物の整理
などを行う。約2時間。汗・汗・汗・・・・・。

午後12時、昼食。朝食の残り半分の「マカロニスープ」を食す。

2時間の昼寝。
「読書「子どもの最貧国・日本―学力・心身・社会におよび諸影響」
   (山野良一著:光文社新書)
読了


この間、忙しいのと気候の変わり目で体調不良。
同時に体力保持のため出来るだけ「歩く」。

読書・息抜き。私の一番好きなジャンルの本

「昭和の芸人 千夜一夜」(矢野誠一著:文春新書)

私が物心ついた頃からの芸人さん(新劇の役者も含む)が
ほとんど書かれている。

全編8章からなる。第1章は古今亭志ん生 榎本健一
2代目広沢虎造 邑井貞吉(講談)・・・

午後5時40分、電動バイクで「サッカー場」近くのベトナム
家庭料理店へ。

静岡の会、笠井先生の教え子のFさんと友人の大学生が
日本語学校などの手伝いに来てくれていた。
9月20日に日本へ帰国される。

そして、新しく広島から古賀先生が赴任。

静岡のFさんたちの送別・感謝の会と古賀先生の歓迎会を
あわせて行う。

ベトナム事務所側は原田先生・富岡先生。

午後6時から午後9時前まで交流を行う。


料理はベトナムの「家庭料理」

豆腐の上にひき肉を載せる。

鶏肉

豚肉と海老の甘辛煮(美味しい:特に豚肉に脂が乗っている点)

空芯菜の炒め物



豚肉の「煮凝り(にこごろ)」

Fさんと友人の無事な帰国を祈る。

古賀先生の健康と日本語教育への習熟を期待したい。


投稿者 koyama : 18:55 | コメント (0)

2011年09月17日

地球の歩き方スタディーツアー第6班講演会

終日曇り・時々晴れ 蒸し暑い

午前5時起床。右目に「ものもらい」ができ、困っている。
ホウ酸を溶かし目に付ける。

午前7時、朝食。「フォー・ハノイ」

午前7時過ぎ、東京の次男から電話。母の納骨式等について
の意思統一。

午前8時、電動バイクでベトナム事務所へ。

新任日本語教師の古賀先生が仕事始め。頑張っている。

バオミンさんといくつかの打ち合わせ

午前9時、電動バイクで「子どもの家」へ。

こどもたちは、JASS東京の会の秋山さんと一緒に作った
「手作り机」で勉強。寮母さんの指導で勉強。



自習室でも勉強中。


小学校は「土日休み」の週休2日制に入っている。


午前9時45分から午前11時10分まで「地球の歩き方5班」
の皆さんに講演。フエでの18年の活動、人生、人が生きる
ということについて話す。

午前11時15分からこどもたちとの交流会

初めにセン「子どもの家」運営委員長の歓迎の挨拶
通訳はソン君。

「子どもの家」のこどもたちの「少数民族」の踊り



平和のシンボル「ハトの踊り」

地球の歩き方スタディーツアーの皆さんの出し物

「手のひらを太陽に」


交流会を終わり、電動バイクで宿舎へ。

午前11時半、昼食。野菜サラダ。魚の煮物、野菜スープ


昼食後1時間ほど昼寝。


午後4時。徒歩30分のスーパーへ買い物。日曜日の
食材の買出し。豆腐、スモークベーコンなど・・・・・。
1時間ほどのウオーキング。

午後5時帰宅。

投稿者 koyama : 19:28 | コメント (0)

2011年09月16日

各種書類の作成など

終日曇り・小雨

午前7時朝食。キャッサバ芋の手打ちうどん


メール受信・返信


午前9時、徒歩30分。理髪店へ  30分。150円(3万ドン)

理髪店から帰り、バオミンさんとブライセン日本語教育の件で
打ち合わせ。


午前11時半、昼食。春雨麺



食後、1時間ほど昼寝。

日本のA市へメール送信。

原田先生といくつかの打ち合わせ。

読書「子どもの最貧国・日本―学力・心身・社会におよび諸影響」
   (山野良一著:光文社新書)

児童虐待・育児放棄などの裏には、文化(本・音楽・絵画・・・)
が不足してる家庭が多いとの記述には頷けるところがある。

通販「フェリシモ」から頂いた寄金の報告書の続きを書く。
必要な写真をピカサから探す。結構時間がかかる。

9月26日から静大留学生3人を連れて帰国するが、
帰国の日程・留学生3人の泊まるホテルの予約など
帰国準備をする。

投稿者 koyama : 19:06 | コメント (0)

2011年09月15日

古賀先生赴任

終日曇り・雨  午前6時:室内気温30度 湿度80%

午前7時朝食。フエ名物「ブンボー」


午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

今日は新日本語教師の古賀先生が赴任する。
ベトナム事務所員との初対面式

バオミン・JASSベトナム運営委員長の司会でお互いの自己紹介を
行う

古賀先生の自己紹介

ハン会計部長(中国の文化大革命時の言葉で言えば
資本主義の道を歩む修正主義者・実権派ということになるのだろうか?)

ソンさん(体格だけでなく、人間的にもお父さんの雰囲気が
出てきた)

多角的な仕事をこなしている原田先生

日本語能力試験2級・3級保持・日本語ペラペラのフーン先生。
現在、フエ市では一番日本語がうまい。隠語日本語堪能者で
フエ一番はバオミン・運営委員長。

私がフエ師範大学で日本語を教えた学生の中でも全く日本語が
出来ず、何を言っているのか分からない教え子もいる。
教師とし「不徳の致すところ」ではるが、基本的には本人の
能力ではある。


リー君の後を受けて「ナムドン専門家」になれるか?
島崎藤村直系の正しい日本語を話す日本語教育の専門家
富岡先生


通称「今晩は先生」。JASS日本語学校卒業生。

JASS日本語学校卒業生「ミスJASSベトナム事務所」の
噂の高い「フェリシモ」担当のアインさん


午前9時過ぎ。IT会社ブライセンの特別日本語クラスを創設
したが、その運営、カリキュラム、教授法等について関係者
と話し合う。ブライセンが費用を出し、勤務中に日本語を
教えるので、しっかりとした教育を行うよう意志統一。

私はかなり難しい日本語を使い話してみる。日本の大学生
でも通じないような難解な日本語を使ってみる。
フーン日本語部長、バオミン・運営委員長は、しっかりと
私の難解な日本語を理解している。日本語能力試験
で言えば、1級以上の能力あり。語学の能力は努力
だけでは達成出来ない。もって生まれた生得的な能力も
必要。フーン先生、バオミンさんには、その能力がある。


ベトナム事務所の会議室では、富岡先生の指導の下、
笠井先生の教え子と静岡高校で同級生のお二人が
日本語教育について話し合っている。

原田先生と日本語教育の進め方を話し合っている古賀先生


午前11時半昼食。魚の入った「おじや」。茹でキャベツ


昼食後、1時間ほど昼寝。


読書「子どもの最貧国・日本―学力・心身・社会におよび諸影響」
   (山野良一著:光文社新書)

アメリカ的発想。数値と統計でこどもたちを見る見方に
大いに疑義を感じる。学問的な世界では常識なのだろうが・・・。
こどもたちは数値や「平均」、統計では、把握出来ない特質を
持っている。数量的にこどもたちを把握する欧米系の思考法には
違和感を感ずる。これは、海外支援についても同様である。

人間は一人一人異質であり、一人一人の人生がある。
統計とか平均で人間を見る「人間」そのものが人間的ではない。
人間を「物」と見ている人間である。自分は、貧しい人間の
上にいるという立場からの研究には「嫌悪感」を感ずる。

午後3時過ぎ、古賀先生と話し合う。
これから1年間のフエでの生活についての諸注意を話す。
1年間のフエ生活で「人生の何か」を学んで欲しい、「無理を
しないで生活して欲しい」、「体を壊して病院に行くようになると
ベトナム人スタッフに迷惑をかける」ので健康には十分気をつけて
欲しい。政治的に難しいフエの実情を説明。
古賀先生は大変真面目な先生と見た。
ご両親の愛情豊かな家庭で育ったと思える「品位」を感じた。


1時間ほど話す。


徒歩で帰宅。

「フェリシモ」からの寄金の報告書作りの「手順」を考える。

多数のメール受信・返信。

午後9時半(日本時間)、NHKのテレビを見る。
中曽根元首相が原発・政治の問題を語っている。
NHKの姿勢に根本的な疑義を感ずる。
中曽根氏は、直ちに「脱原発を言うのは間違っている」など
おそよけんとう外れの発言をている。90何歳で「威風堂々」として
ているなどとんでゴマすり発言をするキャスター。
中曽根氏は、自民党の原発導入の責任者の一人だった
自らの自己批判こそすべき人間である。
NHKがいかに時代からずれているかがわかる。
NHKや民間テレビ、マスコミなどの言うことは、
おおよそけ「いかがわしいニュース」であることを
私たちは知るべきである。

---

あれだけ「熱中症」に気をつけろ、とマスコミなどでもで
言われている中で、未だに学校関係者が「運動会の練習」などで
熱中症のこどもたちを出している現状に「ため息」が出る。
学校の管理職の「無策・無能」の現実をこの40年間見てきた。
文部省・教育委員会の言いなりになることで「出世する」
無能な教師をたくさん見てきた。これらの教師は自分の
意志と能力、決断では何も出来ない人々である。
文部省・教育委員会の言いなりになって「出世」した管理職の
悲しい末路。犠牲者はこどもたちである。
(注釈:一部、真っ当な管理職のいることも明記しておく)

今日の国会の代表質問。
みんなの党渡辺氏、共産党の志井氏の質問。
野田首相の回答は、全く心の篭っていない「お役人」の答弁。
何も期待出来ない首相である。

朝霞の公務員宿舎、新設原発の増設を認めるのか?
明確な最高責任者としての総理の回答なし。

野田内閣は「どじょう内閣」ではなく「慇懃無礼(いんぎんぶれい)
内閣」である。
表面は低姿勢であるが、本質は財界・米国の手先内閣。


夜、高校の同級生の與芝彰夫君たちが作っている
ラオス・ラオディーの「ラム酒」を飲む。本当に美味しい。

連絡先  http://www.laodi.jp/
メール  info@laodi.jp

試しに飲んだら止められない。美味しいの一言。

投稿者 koyama : 19:28 | コメント (0)

2011年09月14日

「子どもの家」修繕・補修調査

終日雨  午前6時 室内気温30度  湿度90%

午前7時朝食。青豆のおかゆ。茹で隠元豆

バオミンさんと静岡大学留学生引率・マブチモーター奨学金
の件で打ち合わせ。

その後、「子どもの家」へ。

通販の「フェリシモ」より寄付を頂く。頂いた寄付で「子どもの家」の
総点検・総修理を行う。
セン「子どもの家」運営委員長、バオミン・JASSベトナム運営委員長
と私の3人で「子どもの家」の庭、1階・2階・食堂と全ての施設を
点検した。


(窓のガラス割れ)

(壁のコンクリート崩壊)

(廊下の床の陥没)


(2階へ行くコンクリートの階段の破損)

(台所の床の破損)


(廊下の飾り鉄塀の錆びと瓦解)



(学習室の机の破損)

(廊下床タイルの欠落)

(柱の破損・カビ止めペンキの剥落)



「子どもの家」の諸施設総点検を行い、緊急に改修すべき
箇所を特定。直ぐに改修工事に入ることにした。

午前11時半昼食。 「チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

午後1時間ほど昼寝。

とにかく「蒸し暑い」。体がだるい。雨季の特徴。

読書「子どもの最貧国・日本―学力・心身・社会におよび諸影響」
   (山野良一著:光文社新書)


午後3時過ぎ、徒歩・ベトナム事務所へ。

バオミンさんとスタディーツアー・ブライセンの件などを
打ち合わせする。


先日直した日本料理店の下水。また、水が溢れている。
結局、業者は直せなかったのだ。

再度、業者を呼び、全面的な改修をするようバオミンさん
と意思統一する。不衛生である。


午後5時過ぎ、ベトナム事務所近くの路上の飲み屋で「リー君」
が友だちと飲んでいる。「先生・・・」と声をかけてくる。
私は「元気?」と聞き、そのまま歩いて行く。

午後7時、次男から電話。スタディーツアーの件などを
打ち合わせ。

投稿者 koyama : 08:16 | コメント (0)

2011年09月13日

バオミンさんと打ち合わせ:地球の歩き方5班晩餐会

終日、雨。

午前7時、朝食。フォー・ボー(牛肉のフォー)

午前8時、バオミンさんとベトナム事務所で打ち合わせ。
当面の諸問題。

午前中、メー受信・送信

午前11時半、昼食。「マカロニスープ」


午後2時間昼寝。

いくつかの書類作成。

「フェリシモ」関連の写真等を準備。

読書「子どもの最貧国・日本―学力・心身・社会におよび諸影響」
   (山野良一著:光文社新書)

大東文化大学スタディーツアーを引率しダナン空港へ
行っているバオミンさん。飛行機の出発が遅れ、
午後6時半の地球の歩き方スタディーツアーの晩餐会に
参加出来ないとの電話。
ベトナム航空が定刻に飛行機を運行するのは、非常に「稀だ」
といことは事実だ。社会に責任を持っていない航空会社である。

午後6時過ぎ、徒歩、ベトナム事務所へ。

午後6時半、地球の歩き方スタディーツアー5班(13人)と
フエ最後の晩餐会。私、富岡先生、アンさんが参加。

富岡先生の司会で晩餐会が始まる。
富岡先生は、なかなか上手に司会をしていた。

今晩のメニューを発表する接客主任のグエットさん


乾杯の音頭で「乾杯」をする

空芯菜の炒めものとミモアザサラダ

トリのから揚げ

午後8時過ぎ。厨房・接客のこどもたちの自己紹介。

最後に参加者全員と日本料理店スタッフの記念写真

午後9時15分、宿舎帰宅。

=====
野田首相の所信表明演説を聞く。

結局は「増税」と「原発推進」に帰結する。
首相就任前に「日本経団連」会長と会っている野田首相である。

投稿者 koyama : 18:15 | コメント (0)

2011年09月12日

大東文化大学スタディーツアー講演:大東文化大関係者と夕食

午前中から曇り時々小雨。午後豪雨。

昨日は、さすがに疲れた。今朝、なかなか起きられなかった。

午前7時朝食。精進ブン麺
今日は中秋の名月。中秋節。

午前8時、バオミンさんと打ち合わせ
次男とSKYPEで母の「49日法要・納骨式」についての
打ち合わせ。

午前8時半、電動バイクで「子どもの家」へ。
今日は、大東文化大スタディーツアー(18人)が、「子どもの家」へ。
近くのタイロック市場へ行き、昼食の食材の買出し。

その後、こどもたちと一緒に昼食つくり。こどもたちの
方が包丁などの使い方には慣れている。

「子どもの家」では、男の子も食事の準備をする。


隠元豆に細く切れ目を入れる。


午前10時過ぎ、私の講演会。テーマは「人生」。


午前11時半、講演会終了。

「子どもの家」のこどもたちの歓迎会・交流会


セン「子どもの家」運営委員長の歓迎の挨拶
通訳はソン君。立派に一人前の仕事ができるようになった。


(エヤロビクス)


(白鳥の踊り)

大東文化大学の出し物(SMAP『世界で一つだけの花』)

大東文化大学の学生さんが出し合った寄金をこどもたちに手渡す。


午後12時。こどもたちと一緒に昼食。
今日のメニュー。
①ニガウリと肉だんごのスープ
②隠元豆と豚肉の炒め物
③魚の甘辛煮
④ご飯

(1食20円から30円)


大東文化大の学生さんは、「ベトナム語を学んでいる」。
こどもたちとベトナムで会話。話は弾む。

電動バイクで宿舎へ。午後1時到着。

1時間程昼寝。

読書「子どもの最貧国・日本ー学力・心身・社会におよぶ諸影響」
(山野 良一著 光文社新書)

日本とアメリカのこどもたちの実態が書かれている。
児童虐待・ネグレクトなどこどもたちをめぐる環境は悪化している。
学力比較もしている。一昔まで前は、こどもたちの学力は
本人の努力指数が大きな因子になると考えられていた時期も
あった。また、両親(特に母親)が大学卒か高校・中卒かで
こどもたちの学力に差が出てくるとも言われていたようだ。
昨今の実態調査(多少正鵠さを欠くようだが・・・)では、経済力・貧困が
低学力の大きな要因になっているという報告を紹介している。

「子どもの家」での経験では、一般論として、路上で生活していた
こどもたちと「親に養育され」その後、「子どもの家」に入所した
こどもたちの学力は大きな差があるように思える。
現在、「子どもの家」で大学に通っているこどもたち全員が
ある時期まで親に育てられた経験を持っている。

午後5時過ぎ、バオミン・ホテルへ。豪雨。

午後5時半、私、原田先生・ソン君、Aさんの4人で
「家庭料理」店で夕食。午後9時帰宅。

バオミンさんと富岡先生はは、今日も連続2日間、ナムドン山岳
地帯へ。

ーー
せっかくの中秋節(ベトナムではこどもたちのお祝いの日)だったの
が、元共産党委員長が死亡し、共産党・政府の指示で「歌舞音曲など」
を自粛するようにとの指示。

例年だと町中で何組もの「獅子舞」が踊り、太鼓の音が響き
わたるのだが・・・・・。

今日は太鼓の音も聞こえない。

中国のようにベトナムでも中秋節では、「月餅」を食べる。
町のあちこちで「月餅」が売られている。
しかし、「自粛」中秋節となった今日、月餅を買う人は稀。

既に数日前から「月餅」の値段が下がっている。
今日は中秋節の最終日。月餅も「叩き売り」状態。


投稿者 koyama : 16:58 | コメント (0)

2011年09月11日

ナムドン山岳地帯・中秋祭り

午前5時目覚める。雨。

午前7時、料理のSさんが作ってくれた日曜日用の朝食
(春雨麺)を半分食べる。

午前9時半、徒歩でバオミン・ホテルへ。大東文化大学の
ベトナム研修旅行生と合流。昨夜、体調を崩した学生も
フエ中央病院で手当てをし、体調を戻しつつあった。

午前10時、大東文化大学ベトナム語専修生16人、バオミンさん
と私でナムドン山岳地帯へ。非常に真面目な学生さんである。
ベトナムと日本の少数民族問題について、バスの中で話す。
中曽根元首相が言った「日本は単一民族か?」。

フエから車で1時間半。ナムドン山岳地帯へ行く中腹へ。
私、バオミンさん、富岡先生が同行。


ナムドン山岳地帯へ行く中腹で「昼食」を摂る。

皆さん、しっかりと昼食を摂る。非常に大事なことである。

午後1時過ぎ、ナムドン郡「トゥオンロー村」の「カトゥー族」の
居住地へ行く。
既にカトゥー族の皆さんは交流地で待っている。

大東文化大学の皆さんは、支援物資を持って交流会場へ。

カトゥー族の「トゥオン村」村長の歓迎の言葉


大東文化大学生より支援物資の贈呈

カトゥー族の若者



カトゥー族のこどもたち



カトゥー族の皆さんと交流


トゥオン・ロー村は純農村地帯。実りの秋を迎えつつある。

空気のきれいな農村地帯。人間が生きていて良かったと
思えるような自然の中にある村である。


村長さんが歓迎の歌を歌う


午後4時。交流を終わり記念撮影



午後5時半、フエに帰宅。

大東文化大学生は、バオミン・ホテルへ。

私とバオミンさんは、その足で「子どもの家」へ。

今日は中秋のお祭り。

ヴー・チー・コン 元ベトナム共産党委員長が100歳で
なくなった。
中秋祭りはベトナムでは、こどもたちのお祝い日。
しかし、直近で元ベトナム共産党委員長が亡くなったので
政府・共産党から派手なお祭りにしないように」とのお達しが
あった。


フエ高等師範大学日本語学科の学生が「子どもの家」へ
来てくれた。こどもたちと一緒に歌やゲームをした。

私から「中秋祝い」の言葉


こどもたちにお菓子や果物を贈呈



午後7時半、中秋祭りを終わり、地球の歩き方スタディーツアーの
皆さんとホテルへ帰る。


投稿者 koyama : 21:46 | コメント (0)

2011年09月10日

地球の歩き方5班講演会:大東文化大学生来訪

曇り時々晴天、夕方大雨

午前7時朝食。赤米のおかゆ、魚の甘辛煮、茹で隠元豆

午前8時、電動バイクで「子どもの家」へ。
「子どもの家」の建物の補修すべき場所を確認。

午前9時半~70分、地球の歩き方5班(13人)へ講演

午前10時50分分から「子どもの家」の歓迎会

セン運営委員長の歓迎の挨拶


フエ芸大油絵科に通っているフック君。

こどもたちの自己紹介ー名前・年齢・学年


歓迎の踊りを披露




地球の歩き方参加者の歌

ピアノ伴奏付き




こどもたちと一緒に踊る

午前11時45分 昼食 ご飯、魚のフライ、野菜サラダ、
野菜スープ。(半分残す。明日、日曜日の朝食とする)


1時間ほど昼寝。気温が急激に下がってきた。雨季にはいりつつある。
外は雨。体がだるい。


午後2時過ぎ、ソン君の乗った大型バスに乗る。

フエ空港へ。今日は大東文化大学学生たち18人の出迎え。



ソン君が自己紹介。フエ市の紹介


午後4時過ぎ、フエ市内のホテルに到着。外は豪雨。



無事、ホテルへ投宿。

大東文化大学の学生さんたち18人は、午後6時から
日本料理店で夕食。日本料理店は貸切とする。


読書「子どもの最貧国・日本ー学力・心身・社会におよぶ諸影響」
(山野 良一著 光文社新書)

午後11時10分。原田先生から電話。
男子学生1名、腹痛。
大事をとって、病院へ行くようにする。ソン君・原田先生に
通訳・案内を頼む。
ハノイ滞在1週間。胃腸などの疲労か?

ーーーーーーーーーーーーーーーー

鉢呂吉雄経済産業大臣が辞任した。就任から8日目の辞任。

「死の町」発言、「放射能を移すぞ」発言などで。
鉢呂発言は、人間性と知性の問題である。


マスコミも含めて「鉢呂問題」に集中しているが、
見えない所で一番重大な発言をしているのが
民主党前原政調会長である。

武器輸出の見直しと集団的自衛権の見直しを提言している。


米国での講演で、海外派遣の際の自衛隊の武器使用基準を
緩和すべきだという考えを示している。この考えは、
本格的戦争を海外で開始するということを意味する。
 武器使用基準の緩和は、一緒に活動する他国部隊が攻撃され
た場合、反撃できるようにすることが狙いである。
これは憲法が禁じる海外での武力行使、集団的自衛権の行使に
当たる。
 
1991年の湾岸戦争では自衛隊を初めて海外派遣し、
2003年のイラク戦争では派遣する自衛隊に
「正当防衛」「緊急避難」の際の武器使用を認めた。
09年成立の海賊対処法は、他国の船舶も護衛の対象にし、
海賊船への射撃も認めた。
 前原氏はまた、武器輸出三原則の見直しも訴えた。
これもまた、集団的自衛権行使に道を開く重要な「国是」の変更だ。
 武器に関する外国との共同研究を可能にし、
防衛産業の国際競争力を高める狙いがある。
だが、防衛産業と言えば聞こえはいいが、要は武器製造業だ。
憲法を真っ向から否定する前原発言こそ、マスコミは憲法違反と
厳しく批判すべきである。

 
好きか嫌いかは別として厳然として憲法9条は存在している。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


今、マスコミが追及すべきは、民主党の前原政調会長である。

投稿者 koyama : 18:44 | コメント (0)

2011年09月09日

日本語学校「新教室」設立の件で打ち合わせ

午前中、快晴。午後曇り。夕方豪雨。
フエは少しずつ「秋」にはいり、「洪水」の季節、「雨季」に入り
つつある。


2泊3日のホーチミン市での活動は、さすがに疲れた。
今朝はなかなか早く起きられなかった。

午前7時起床。フォー・ハノイ  美味しい


午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。


バオミンさん・原田先生と3人で新しい日本語学校の教室
についての詳細打ち合わせ。


午前9時半から原田先生は、ブライセン専用日本語教室で
日本語中級を教える。

その後、バオミンさんといくつかの件で打ち合わせ。


午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)



その後、2時間ほど昼寝。熟睡。

読書「会津藩はなぜ朝敵か?幕末維新史最大の謎」
   (星亮一著:ベスト新書)

バオミンさんと「フェリシモ」関連の打ち合わせ

奨学金支援者からのメールへ返信。

その他、多数のメール受信。返信。

午後5時過ぎ、豪雨。


午後7時過ぎ、次男から電話。

投稿者 koyama : 18:20 | コメント (0)

2011年09月08日

ホーチミン市での案内を終わりフエへ帰る

ホーチミン市晴れ後曇り・雨

ホーチミン市での案内を終わり、バオミンさんとフエへ帰る。

午後5時過ぎ、宿舎着。

2泊3日のホーチミン市での活動、疲れる。

投稿者 koyama : 19:26 | コメント (0)

2011年09月07日

終日、ホーチミン市やその近辺を案内

午前7時半、バオミンさんや日本の訪問者と一緒に
打ち合わせをしながら朝食。

午前8時半から午後6時までホーチミン市内、郊外
を案内。

午後6時40分から午後10時まで皆さんと一緒に夕食。

投稿者 koyama : 20:24 | コメント (0)

2011年09月06日

バオミンさんとホーチミン市へ

今日も湿度が高く蒸し暑い


午前7時朝食。キャッサバイモの手打ちうどん

午前8時。徒歩でベトナム事務所へ。

静岡大学工学部大学院に留学しているT君と
1時間程懇談。バオミンさんも同席。


大学での生活、各種届け出など、ベトナムと日本の
大学の違いなどを説明。
今後の大学院生活の『大事なポイント』を話す。
そして、確認する。



静岡大学教育学部の学生さん(昨年、地球の歩き方
スタディーツアーで来訪)がベトナム事務所へ。

3日間のフエ滞在の日程を相談する。

午前10時過ぎ、徒歩で宿舎へ。

今日は2泊3日の予定でバオミンさんと一緒にホーチミン市
に行く。

急いでホーチミン市行きの荷物整理。

午前11時、バオミンさんと一緒にタクシーでフエ空港へ。

午後12時10分発の飛行機でホーチミン市へ。

午後1時半前にホーチミン空港へ到着。

タクシーで市内のホテルへ行く。

支援者に頼まれ何人かの日本人のホーチミン市内

案内をすることになった。

日本人は、午後10時過ぎホテルへチェックイン。

それから午前0時過ぎまでホーチミン市内

案内の打ち合わせ。

就寝、午前1時。

投稿者 koyama : 20:31 | コメント (0)

2011年09月05日

日本語学校関連会議:フエ市役所幹部との懇談会

快晴 午後曇り。 蒸し暑い

午前7時朝食。ブンボー・フエ

午前8時半、徒歩、ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所で日本語教室関連の打ち合わせをする。

フーン日本語部長・原田先生・バオミンさん・私

新しい日本語教室を創設する件。


静岡出身の大学生のお二人は、日本語教師として短期間では
あるが、日本語学校等での日本語教育を行う。
原田先生と授業参観等の打ち合わせ。



午前11時半昼食。暑い。扇風機が壊れている。

日本では寒い冬にたべる「おじや」。空芯菜・魚の煮物
汗だくで食べる。

2時間程昼寝。

午後3時からメールの受信・送信。かなりある。

午後5時過ぎ、バオミンさん、静岡からの大学生を乗せた
タクシーに同乗し、フエ郊外のレストランへ。

今日は、フエ市人民委員会・フエ市共産党の役員(委員長・部長・・・)
と夕食懇談会。


ユンフエ市共産党委員長、トアン人事部長、ニエン外務部長、
建築部長などとの懇談。

JASSを巡る様々な問題を話し合い、親交を深める。

日本から来た静岡の高校を卒業し東京の大学生である
Aさん、Bさんも誘う。

歌を歌っての交流。


午後9時まで交流会は続く。今後のJASSとフエ市人民委員会
フエ市共産党のつながりを強めることを話し合う。

午後9時半、宿舎着。

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私的には、野田内閣には期待を持っていない。

しかし、小宮山厚生労働大臣が、タバコ代を毎年100円ずつ
値上げし、最終的には一箱700円にするとの記者会見を
した。
素晴らしいことである。タバコを吸う権利などと主張する人が
あるが、麻薬を吸う権利を主張するようなもの。

民主党の悪癖で、言ったことを実行しない大臣ばかりだったので、
小宮山大臣の記者会見も信用出来ないところもあるが、それでも
記者会見でこうした「当たり前の意見」を言ったことを評価したい。

禁煙ファシズムなどと言っている人もいる。
ファシズムというのなら、飲み屋・居酒屋で飲んでいて
あとから隣りに座った人がタバコを吸いだした途端に「心地よく」
飲んでいた私は、直ぐに席を立って帰らざるを得ない。
こちらの方がよほどファシズムに近い。
タバコの匂いが嫌いな人間は多い(私もそうだが)。
「タバコ税を支払って社会に貢献している」という人もいるが
タバコが原因で疾病になり高額の医療費を支払う方が
よほどお金がかかっている。タバコは、マリファアナより毒性が
強いという。
全廃すべき薬物である。民主的なことを言って、大勢の中で
平然とタバコを吸う人間の意見を私は信用しない。
人を傷つけて、自らの欲望を満たすという生き方にも賛同出来ない。

タバコをや止められない人を非難する気はない。
「ニコチン依存症」である。「アル中」と同じなのである。
一種の病気だ。病院に行き、ニコチン依存症を時間をかけて
医療としての治療をうけなければならない。保険が効く。


タバコは「嗜好品」ではない。個人の好みで吸うか吸わないか
との選択をすべきものではない。吸ってはいけない「薬物」である。

ベトナム事務所にも「約2名の隠れスモーカー」がいる。
さすがにベトナム事務所内での喫煙ということはない。
ベトナム事務所内喫煙があれば、厳しいベトナム女性
スタッフからのバッシングにあう。2名の隠れキリシタンは
ベトナム女性の「怖さ」を身にしみて実感・体験しているので
そうした「暴挙」も出来ない。
時々、2名の隠れスモーカーは、室内から消え去る。
ベトナム事務所のテラス辺りから、白い煙が垣間見える。
「隠れキリシタン」はタバコを止めたいと言う気持ちが
無きにしもあらずなのだが、なかなか止められない。
中毒・依存症というのは、本当に止めるのが大変だ。
最初から吸わない教育をきちんとしておく必要がある。

投稿者 koyama : 18:01 | コメント (0)

2011年09月04日

つかの間の休日

午前5時目覚める。

右奥歯が痛い。栃木の会のS先生に頂いた痛み止めを飲む。
早く日本へ帰り歯科医に行きたいのだが・・・・・。
海外ボランティアの宿命でもある。

午前7時、料理のセンさんが作ってくれた日曜日の
朝食(小麦粉の手打ちうどん)の半分を食べる。

その後、洗濯。毛布を太陽に当てる。

部屋の掃除。


午後12時半、冷凍していた「マカロニスープ」を解凍する。
味は相当落ちる。


昼寝。


読書「会津藩はなぜ朝敵かー幕末維新史最大の謎」
(星亮一著:べスト新書)

午後2時頃、急に雷の音がする。それは、晴天の部分と
暗天の部分とがはっきりとしている。雨雲発生。


しばらくすると雨になる。

今週は忙しい。ホーチミン市に3日間。その後、大東文化大
スタディーツアー。9月11日(日)ナムドン山岳地帯・夕方から
「中秋祭り」。

今週、来週、9月27日までの日程をシュミレーションする。
いくつかの問題の解決のシュミレーション。

今月はほとんど休みなし。

午後7時。朝食の残りの半分を温めて食す。

7月28日、上野 →東松戸 →上野 →東京 →浜松の
いくつかの「ケースの時刻表を調べる。
静大工学部入学予定者3名を連れての日本帰国。

東松戸の「マブチ国際育英基金」(奨学金)の面接。
その足で、静大工学部の浜松まで行くという強行日程。
ベトナム若者3名は大量の荷物を持ってくる。
大量の荷物をうまく調整しながら、最終、浜松駅まで
行くシュミレーションをする。

投稿者 koyama : 20:05 | コメント (0)

2011年09月03日

日本語学校支援者来訪

A6 気温32度  湿度80%

午前7時朝食。フォー・ハノイ

午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

静岡の会事務局長の笠井先生の教え子のAさんと高校の
同級生Bさんが、ベトナム事務所へ来訪。

ベトナム事務所員と挨拶を交わす。(お互いの自己紹介)

ハン会計部長の自己紹介


ソン君の自己紹介。新婚。3ヶ月の男の子とがいると。
充実した生活を送っているソン君。

日本語部長のフーン先生とベトナム事務所全般・日本語担当の
原田先生の自己紹介


富岡先生の自己紹介


フオン「こんばんは先生」とアンさん


フエでの活動について、打ち合わせ


日本語教育について、フーン部長と富岡先生の説明・打ち合わせ

徒歩、宿舎へ。暑い。日差しがすごく強い。


午前11時半、昼食。ご飯、野菜スープ、野菜サラダ、魚のフライ

午後2時間ほど横になる。

来週で3・11から半年になる。改めて、福島原発は「想定外」の
事故だったのか? 予測可能な「犯罪」だったのか?
学問研究、研究者とは? 若者は何を学ぶべきか?
などを考えて来た。「福島原発メルトダウン」(広瀬隆著
朝日新聞出版)を読了。21世紀の日本と世界のあり方
の一端を知らされた。


午後5時、雨は降った後、涼しくなったので、BIG C へ
徒歩散策。往復1時間半。交通が混乱し、歩くのが危ない。
気をつけて、往復する。

中国での女子サッカー韓国戦を見る。

日本を襲っている台風21号の大雨の様子を知る。
気象状況が大きく変ったのか?

投稿者 koyama : 12:37 | コメント (0)

2011年09月02日

ベトナム「国慶節」:建国記念日

今日はベトナムの建国記念日。祝日で休み。
1945年9月2日、ハノイでホーチミン主席が、
「ベトナム民主共和国」の建国を宣言した。
同時にこの日は、日本帝国がミズーリ号上で連合国に対して
降伏文書に調印した日でもある。

午前4時に目覚める。

午後12時半まで7種類ほどの文書を書きあげる。

午前6時、空腹を感じる。今日は、祝日で食事を作る人がいない。

カレーが食べたくなり、冷凍のご飯を解凍し、支援者から頂いた
レトルトのカレーを温めた食べる。

今日は20通のメール受信。

静岡市役所。静岡大学・・・・・。20通のメールを返信。

「子どもの家」の退所者のことを里親へ報告する文書を書く。
「子どもの家」から在宅支援に変更する子どもの里親への
文書を書く。

静岡大学工学部入学者3名が受験する「マブチ国際育英基金」
申込書の付随する「推薦書」を書く。

その他、いくつかの文書を書く。

午後12時半、今日、予定した仕事を全て終わる。

電動バイクでスーパーに行き、豆腐と野菜の発酵した
おつまみを買う。


フダ缶ビールを飲む。

日本は仕事中。

どじょう内閣の組閣。大臣病患者が嬉々として入閣。
大変な時期の内閣である。

野田内閣を一言でいえば、「アメリカべったり」「増税志向」内閣。
首相になって日本経団連の米倉会長と会っているところに
野田内閣の本質が出ている。全く期待出来ない内閣。
アメリカと財界に奉仕する内閣と見た。庶民、被災者を救う
とうのは、「口先だけ」で、結局、弱い音いじめの内閣に
なると想像する。

大連立を主張している。国難の際の「大連立」「救国内閣」との
スローガンの下に「大政翼賛会」政治が出現するのではと危惧
している。民・自・公が連立すれば、国会議員の8割を擁する
翼賛、ファシズム政治になってしまう。

福島原発、大震災復興を進めるためには、東電や原発を作った
財界などへの厳しい対応が必要である。

野田首相が直ぐに会った「日本経団連」の副代表は東電の清水
前社長であった。日本経団連の米倉会長は、まず、「わが会の
副代表がとんでもないことをしてしまった。国民にお詫びします」
というのが常識である。
日本経団連の米倉会長を見ていると「日本人の品格」が
著しく低下したことが分かる。
これらの人々は、震災と原発被害で苦しんでいる人々への
共感の気持ち、寄り添って生きると言う人間の最低の気持ちすら
もっていない。
こうした人に最初に会いに行く野田首相の本質を見た思いがする。
松下政経塾出身者の本質でもある。

投稿者 koyama : 22:12 | コメント (0)

2011年09月01日

「子どもの家」退所式

午前5時起床。朝から頭痛。倦怠。

バオミンさんも昨夕、発熱。

気温の変動が大きく(朝晩は気温が下がる)、湿度が高いので
多くのフエ人は、体調が悪い。

午前7時、朝食。チャオ・バイン・カイン(キャッサバ芋の手打ちうどん)

午前8時45分。バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。

ベトナム事務所に立ち寄る。

1階の日本料理店の下水が壊れてしまい、水が床にたまり
異臭を放つ。数日前から業者を呼んで修理を依頼。
3日ほどたつが、まだなおらない。

しばらく作業の様子を見ていたが、何度も「クビを傾げている」。

ミンさんのオートバイで「子どもの家」へ。暢気そうにこどもたち
が遊んでいたが、彼らもそれぞれに「悩み」を持っている、かどうか
は分からない。

「京滋YOUの会」のバーザー収益金の寄金で食堂の
天井のトタンを直す。修理以前は、食堂の天井が古くなり
垂れ落ちてきていた。「子どもの家」が建築されて15年も
たつのに壊れていないのは、こうして各地の会などの支援金で
修理・メンテナンスをきちんとしているからである。
メンテナンスをすることで建物を長期間使えることができる。


高校受験に失敗した姉と怠学傾向のある弟の退所式を行う。
農業をしている父親がどうしても退所させたいと言いに来て、
3回話し合いを行う。今日も話したが、どうしても姉弟を退所
させると言う。姉弟も「退所したい」という。
私もバオミンさんも「子どもの家」ノセンさん、ロックさんも
二人の退所には、賛成していないのだが、「親権」があり
私たちには、強制権はない。
詳細は書けないが、「子どもの家」を18年やっていて
問題の大半は「親」なのである。こどもたちは親の犠牲者
でもある。同時に親も「そうせざるを得ない」状況に追い込まれて
いる場合もある。また、親の身勝手で養育の大変な時は、
「子どもの家」に預け、こどもたちが成長し、「仕事ができる」
ようになると急に親が「強いことを言い出し」「親権」を主張しだす。
こうした親とどう付き合ったらよいのか? ケースバイケースで
退所してきたが、長年の経験からすると、親の「ずるさ」と
親の「愛情過多・目先の行動」が目立つ。


続いて、心臓が悪くて安静を言い渡されている高校3年生の男子。
コックホック高校に通っている秀才。
母親が息子の心臓病が心配で、常時、自分の身近に息子をおいて
おきたいとの強い気持ちを持っている。
今日の話し合いでも母親は泣いていた。父親も心臓病で亡くして
いるので、余計、息子が心臓病で安静を言い渡されたので、心配
でしようがない。母親の気持ちも分かる。本当は「子どもの家」に
いた方が絶対に安心なのだが・・・。「子どもの家」には医師も
常駐し、市内には中央病院、市立病院など高度の医療を実施
できる病院もある。田舎に帰ってしまえば、いざと言う時に
病院もないのだが・・・・。母親は、それでも遠くにいる息子が
心配なのだ。自分の身近においておきたい。理屈だけでは
処理出来ない問題もある。母親の希望を受け入れ、
「在宅支援」にするよう里親に依頼することになった。


午前11時半昼食。マカロニスープ


その後、2時間ほど昼寝。常に体がだるい。仕事への意欲がかなり
減少している。

その後、午前中の「子どもの家」退所と「在宅支援」希望の
件を里親に知らせるための手紙を書く。


原田先生と連絡。静大工学部ニフィー入学者のマブチモーター
奨学金の「推薦状」を書くための打ち合わせをする。

投稿者 koyama : 13:53 | コメント (0)