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2011年09月23日
「子どもの家」退所式:隣りの葬儀:静大留学生懇親
終日雨。室温27度 湿度92%
午前5時頃、豪雨。雨音で目が覚める。
午前7時朝食。ブンボー・フエ
午前7時50分、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさん・原田先生と日本語教師の件で打ち合わせ
午前9時、外は雨。バオミンさんとタクシーで「子どもの家」へ。
「子どもの家」のホン・ニイーさんの退所式。
5年前に姉が入所。姉は、ホーチミン市の「ホーチミン外商大学
貿易学科」に入学。現在、3年生。
ホンニーさんは、ホーチミン人文大学法律学科に合格。
ホーチミン市にいる姉と一緒に生活しながら、大学へ行くことになった。
(セン運営委員長)
ダナンの百科大も合格したが、本人がどうしてもホーチミン市の
大学に行きたいとのことで、今日の退所式となった。
JASSとしては、フエの大学で学び、「子どもの家」から通うように
して欲しかったが本人の希望でホーチミン市に行くことになった。
しっかりと勉強して欲しい。
(小山)
ホーチミン市は、複雑な大都市だ。色々な人がいる。
十分注意して勉強して欲しい。
(父親)
「子どもの家」で2人の娘の面倒を見てもらった。
感謝している。JASSの支援がなければ、娘二人は
大学へいけなかった。姉もフエ医科大学に合格したのだが、
どうしてもホーチミン市に行きたいということで、ホーチミン市へ
行った。妹も姉の後を追ってホーチミン市で勉強をする。
里親の山野辺さんに宜しくお伝えください。
(ホンニー)
コックホック高校3年間を「子どもの家」で過ごした。
「子どもの家」があったので私が勉強をすることが出来た。
JASSや「子どもの家」の先生たちのご支援で今日の
私がある。感謝している。ホーチミン市の大学でしっかりと
勉強し、弁護士になろうと思っている。
里親の山野辺さんに宜しくお伝えください。
父親が退所承諾書にサイン
セン運営委員長が退所承諾書に確認のサイン
この書類は公的な書類となる。住民票を作る基礎的な公的な
書類である。
退所式終了後、記念写真を撮る
「子どもの家」では、「フェリシモ」からの寄金で「子どもの家」の
総合的な改修工事を行っている。
急いでバオミンさんと宿舎へ帰る。
隣りのダンナがなくなったので葬儀に参加。
花輪を贈呈。
「JASS代表 小山道夫」 との帯を入れる
さみしい葬儀である。奥さんと娘の夫など数人しかいない。
午前11時半。豪雨。 昼食
マカロニスープ。茹でた「空芯菜」。
気温が急激に下がった。体がだるい。喉が痛い。頭痛。
バオミンさんに電話をし、風邪の症状なのでいつも買って
もらう薬を頼む。
2時間ほど熟睡。
午後5時、徒歩でベトナム事務所へ。
日本料理店のこどもたちが、頑張って仕事をしていた。
午後5時半、バオミンさん一行と一緒に静大工学部に
留学する3人の学生の一人の家庭に招待される。
父親はフエ省の祖国戦線の幹部。母親はフエ医科大免疫学の
教授。祖父は、南ベトナムの裁判官(82歳)
ロシア・サラダ
留学生の母親(医科大教授)と日本語教師と古賀先生
富岡先生と36年前までの南ベトナムの裁判官の祖父
お早う先生と留学生
ベトナム事務所「日本語教師3人娘」
お父さんと留学生、お早う先生(朝になると「今晩は先生」)
歓待の会にあるビールを全部飲んでしまい、追加に
買いにいくようにしようと3人で画策。飲みまくる。
父親の出身である北部の鍋物
午後9時、閉会。
その後、日本料理店に戻り、日本語学校の仕事で参加できなかった
原田先生と更にお祝い会。小山・バオミン・原田・富岡・古賀。
午後10時半まで。
投稿者 koyama : 2011年09月23日 12:56