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2011年08月31日
通常業務
高温・多湿。
午前7時朝食。ブンボー・フエ
午前中、当面のスタディーツアー等の関連諸準備。
バオミンさんと電話でいくつかの打ち合わせ
午前11時半、昼食 春雨麺
洗濯・部屋の掃除、荷物の整理
メール受信・送信。
読書「福島原発メルトダウン」(広瀬隆著:朝日新聞出版)
読んでいくうちに「原子力村」(政府・経産省・安全保安院等、
原発推進学者・財界・マスコミ)に腹が立ってくる。
2011年08月30日
静大留学生懇談:地球の歩き方4班夕食会
早朝から高温・多湿。
午前7時朝食。フォー・ハノイ
午前8時半、徒歩ベトナム事務所へ。
静岡大学工学部ニフィープロジェクトで入学する3人の生徒を
ベトナム事務所へ招請。
8月27日朝、成田空港へ着き、終日東京見物。
8月28日、マブチ国際育英財団の奨学金の面接受験。
訪日の様々な日程・準備などを打ち合わせする。
日本料理店の厨房の下水が壊れる。業者を呼んで修理。
午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
私の大好物。美味しい。
食後、2時間ほど昼寝。
午後6時、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさん・原田先生と打ち合わせ。
午後6時半、地球の歩き方4班の最後の晩餐会
原田先生の司会で晩餐会は始まる。
地球の歩き方第4班の皆さんは元気に最終日を迎える。
グエットさんの「今日のメニューの紹介」
乾杯
明日誕生日の参加者がいた。今日、誕生会を行う。
誕生日の紹介。
参加者の男子学生から「誕生ケーキ」の贈呈
花束贈呈
夕食。日本料理店のこどもたちが、年齢等を考えメニューを
決める。
ハンバーグ
午後9時過ぎ、日本料理店のこどもたちの紹介
記念写真撮影
午後9時半、閉会。
2011年08月29日
スタディーツアー日程調整・各種業務
快晴 日中の外気温は40度近く。
午前7時朝食。「精進ブン麺」。今日は、精進料理を食べる日か?
午前中、ベトナム事務所へ。
地球の歩き方スタディーツアー4班は朝からナムドンへ。
バオミンさんと富岡先生が案内。
午前11時半昼食。魚のおじや
2時間ほど昼寝。
民主党の代表選挙をテレビで見る。
野田氏が当選。次期首相か?
野田氏はA級戦犯を犯罪者とは認めないと発言している。
当然、中国、韓国、世界中から批判の対象となってくるだろう。
日本国は1951年のサンフランシスコ講和条約11条で
極東軍事裁判の判決を受け入れている。これは歴史的
事実であり現実である。
戦後日本の出発点そのものを否定する野田氏は、今後
世界で活動はできない。
「サンフランシスコ講和条約」
Article 11
第十一条
Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。
The power to grant clemency, to reduce sentences and to parole with respect to such prisoners may not be exercised except on the decision of the Government or Governments which imposed the sentence in each instance, and on recommendation of Japan.
これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。
In the case of persons sentenced by the International Military Tribunal for the Far East, such power may not be exercised except on the decision of a majority of the Governments represented on the Tribunal, and on the recommendation of Japan.
極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。
2011年08月28日
北海道北星学園大学帰国
午前6時 気温32度 湿度85%
午前6時半、料理を作るセンさんが準備した日曜日の
食事(マカロニスープ)の半分を温めて食す。
午前中、必要な文書の推敲。いくつかの問題の
今後の進展についての「シュミレーション」。
午前10時半、徒歩で日本料理店へ。
今日の昼は、北海道北星学園大学の皆さんと日本料理店
での昼食会。
午前11時半。北星学園大学の皆さんがバオミンさんの
案内で日本料理店へ。
8月24日にフエへ到着し、5日間の研修を行った。
日本料理店での実習・日本語学校での日本語教育実習、
「子どもの家」での様々な体験などを行った。
接客係りのグエットさんの「今日のメニュー紹介」。
・なすの「煮浸し」
・野菜サラダ
・脂を落とした豚肉
・ごはんと味噌汁
・デザート
6人の学生さんと引率の先生は真面目に研修・体験を行った。
引率の先生の熱意が6人の学生さんのフエでの活動を支えた。
ナスの「煮浸し」
トマトの野菜サラダ
今日は日曜日なのだが、日本料理店のこどもたちに
特別出勤を依頼。快く引き受けてくれた。
日曜出勤の特別手当を支給。こどもたちは喜んでいた。
食事後、参加の6人の学生さんのフエ滞在の感想発表。
フエでの体験の真実を率直に話してくれた。
午後2時前、閉会。
徒歩で帰宅。午後2時、宿舎へ。
午後3時過ぎ、バオミンさんから電話。北星学園大学の
皆さんが無事、フエ空港を飛び立ったとのこと。
一安心。
午後4時。バオミンさんから電話。当面の課題についての
意思統一。
バオミンさんも日曜日でも休めない現状である。
様々な想像も出来ない問題が生起する。
問題解決についての意思統一を行う。
夜、北星学園ツアーの引率の先生に頂いた
「さけっぴーカレー味」をおつまみに軽く飲む。
秋アジの皮の揚げ物。美味しい。
ホタテの貝柱も頂いたが、これは、バオミンさんに試食して
もらうつもり。このカチカチのホタテの貝柱をどのように食べれば
良いのか? 水に戻すのか?
民主党党首選挙の5人の立候補者の合同記者会見を見た。
まず、質問する記者の質問の程度が低い。また、立候補者の
態度が全員日和見主義。誰が党首・首相になっても、菅氏と
変らないと思えるような回答振りである。
松下政経塾上がりの政治家は大体この程度。自分の人生と
命をかけて仕事をするという本当の決意はない。
人生の苦労を背負い、経験していない。
大勢の流れを読み、自分に有利な方向が出れば、今までの
自分の路線は簡単に「放棄」してしまう。5人の立候補者は
正に無節操人間の集団。
鹿野候補を応援している議員集団のリーダーに高校の同級生が
いた。3年間一緒に陸上部で活動した仲間ではあるが、
松下政経塾出身で政治家になるという「欲望」をもった人間の
生き方も一つの人生なのだが・・・・・・。
2011年08月27日
地球の歩き方スタディーツアー第4班講演会
午前6時 気温32度 湿度80%
午前11時半 気温34度 湿度70%
午前7時朝食。赤米のおかゆと小魚の甘辛煮
午前8時半、電動バイクで「子どもの家」へ。
地球の歩き方スタディーツアー第4班19人来訪。
バオミンさんが「子どもの家」の施設を案内していた。
こどもたちは9月6日正式に学校が始まるのを前に
ノートにビニールカバーをつける作業をしていた。
物を大切にする姿勢がある。
(事実上の授業は8月15日から始まっている。来年の
テト正月を2週間にするために、夏休みを短縮している)
午前9時半から11時前まで19人の参加者(大半は大学生)
にフエでの活動、平和、人生などの話をする。
午前11時前、「子どもの家」のこどもたちの歓迎会
セン「子どもの家」運営委員長の挨拶(通訳はバオミンさん)
少数民族の踊りを歓迎会で踊るこどもたち。出番を待っている。
19人のスタディーツアーの参加者
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんの答礼の歌
午前11時半前に歓迎会を終了。こどもたちは「子どもの家」で
昼食。スタディーツアーの皆さんはバオミンさんとレストランへ。
私は電動バイクで宿舎へ。
チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
2時間昼寝。
静岡大学入学予定者の奨学金申請書の推薦文を書く。
いくつかの文書を書く。何度か推敲する。90%完成。
明日の日曜日に再度、読み直し、文章を完成させる。
原田先生と何度か電話で静大工学部ニフィー留学生の
件で打ち合わせ。
2011年08月26日
「子どもの家」のTさんと今後の進路について話す
午前6時半、気温32度。 湿度85%。今日も朝から蒸し暑い。
フィリピンに台風がきているようで、その影響で気圧が変化している。
いつも頭が痛く、体がだるい。
午前7時朝食。フォー・ハノイ
行儀が悪いが、食事をしながら読書。
「母を語る」(倫書房)
石坂啓・原田泰治・浅利香津代・森毅・灰谷健次郎
神沢利子・高石ともや・石川文洋・石倉三郎
吉田るい子・今江祥智・佐々木愛・辻元清美
本多勝一・田島征三・鎌田慧・宮崎学・早乙女勝元
宇野亜喜良・岡部伊都子・高史明・穂積隆信
ホキ徳田・寺村輝夫
石坂啓は、母親が中国人。子どもの頃「中国人」と
言っていじめられた。エネルギーと愛情と厳しさと
さやしさを持った母親だと書いている。
原田泰治は、1歳で小児麻痺になり、母親の愛情で育ちかけた時、
35歳で母親が死亡。後妻になった2番目のお母さんの愛情で
育った。自分は二人の母の愛情で育ったと書いている。
父親は看板屋。週刊新潮の表紙を飾った絵は、父親譲り。
二人の「母を語る」の文章を読んで「涙」がでて止まらない。
こどもたちの母親への気持ちというものは特別なものなのだ。
母親が「とんでもない母親であっても・・・・」。
午前9時過ぎ、バオミンさんのオートバイで「子どもの家」へ。
「子どもの家」のTさん(18歳)の今後の進路について打ち合わせ。
私、セン「子どもの家」委員長、バオミンさん。
Tさんは、15年前に「子どもの家」へ入所。父親不明。
母親と田舎にいたが、母親が「ふしだらな女」などと
言われ、都会のフエ市内に来る。橋の下で寝泊りしながら
3歳のTさんを抱いて「物乞い」をして生活していた。
母親はそんな生活に疲れ、「子どもの家」にTさんを置いて
ホーチミン市へ行ってしまった。
Tさんは、公立高校の受験に失敗し、単位制の私立の高校に
入り、今年6月卒業。
フエ師範大学幼稚園学科を受験。不合格。現在は進路が決まって
いない。
Tさんの進路を話し合う。本人の希望は、フエ師範大学は難し過ぎた
ので落ちた、フエ高等師範(3年生)の幼稚園学科を受験したい、
とのこと。
結論として、フエ高等師範を再度受験し、不合格となったら
日本料理店で仕事をするように、との話になった。
フエ高等師範の合格を祈る。
「子どもの家」では、静岡の会の笠井先生の教え子のY君
一行が、こどもたちとサッカーをして遊んでいた。
慶応大学を中心に東京の大学の「ボランティアサークル」の
皆さん。非常に真面目な若者たちである。
午前11時半、昼食。ブン麺
朝食後、2時間ほど昼寝。体がだるい。
午後3時、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所は朝から午後3時過ぎまで停電(無計画)
北海道北星学園大学の学生さんたちが日本料理店での
体験学習、日本語学校での教師体験の準備をしていた。
ベトナム事務所には、静岡大学工学部2年生のT君と
工学部大学院修士課程のTくんが来ていた。
日本での勉学に集中するよう、生活をきちんとするよう
話す。
------
党員の資格停止者が首相決め
政策の論争なしは自民以下
「万」よりも「一」が威張れる民主党
小鳩だと鷺(詐欺)を装う大鷹たち
小鳩でも福島を飛べない鷺師たち
候補者が福島を語れぬ代表選
泣き虫が首相になれる我が日本
2011年08月25日
北海道北星学園大学ツアー講演
午前6時半。 32度 湿度80%
午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん。
唐辛子が辛すぎる)
メールの受信・返信。
午前8時半過ぎ、電動バイクでベトナム事務所へ。
ベトナム事務所3階のIT会社「ブライセン」の給料日。
7人の社員に給料を渡す。
「子どもの家」の在宅支援だったH君
「子どもの家」の生徒会長だったT君
「子どもの家」と在宅支援のV君(テクニカル・リーダー)
急いで「子どもの家」へ。
食堂前では、北星学園大学生さんとこどもたち・スタッフが
昼食を作っていた。
午前9時45分から1時間、北海道「北星学園大学」スタディーツアー
の皆さんに講演
講演会の部屋(音楽室)には、スタディーツアーで来訪した
皆さんの寄せ書き作品が飾られていた。
1時間半程の講演会終了後、こどもたちと学生さんとの交流会
セン「子どもの家」運営委員長の挨拶
学生さんの出し物
午前11時半からこどもたちと昼食
昼食は、「アヒルの玉子焼き」「隠元豆の炒め物」「野菜スープ」
午後1時、宿舎へ帰る。
2時間ほど昼寝。
バオミンさんは法事で出かける。法事先へ電話。ある件で
打ち合わせ。
原田先生と打ち合わせ。
午後3時半、ベトナム事務所へ。諸問題の打ち合わせ。
午後5時過ぎ宿舎へ、戻る。今日は蒸し暑い。食欲がない。
2011年08月24日
東京の大学生8人来訪
午前6時半 32度・湿度85%
終日、体がだるい。
午前7時、朝食。フォー・ハノイ
受信メール・送信メール。
午前9時過ぎ、宿舎を電動バイクで出て、「子どもの家」へ。
今日は静岡の会の笠井さんの教え子のY君を中心とした
東京の大学のボランティアクラブの大学生が「子どもの家」へ
来訪。(8人)
ハンさんが「子どもの家」を案内。
午前10時から午前11時過ぎまで私の講演会。
その後、「子どもの家」の食堂でこどもたちと昼食を摂る。
昼食の前に日本の大学生たちがこどもたちに「ノート」を贈呈。
こどもたちと一緒に昼食
昼食の献立 隠元豆の炒め物、魚の煮物、野菜スープ
男子の部屋には、JASS東京の会の秋山さんがこどもたち
と作った机が置いてあり、活用されていた。
●小さな部屋に置かれた机
午後12時半、「子どもの家」を退出。
午後1時から2時間ほど昼寝。熟睡
午後3時半から午後6時まで関係者へのメール送信。
多数のメール受信。
ーーーーーー
朝食後、日本の朝のテレビを見る。
どの番組もピントが外れている。
紳助の友人の芸能人などを出演させ、紳助がいかに
心のある人なのかを話させていた。
テレビ朝日の羽鳥慎一と赤江珠緒の「モーニングバード」
では、羽鳥アナが、昨晩紳助にメールを送って激励した
と告白している。赤江アナも「暴力団と付き合ってはいけない」
と言っても、近所で朝会った時に挨拶もしていけないのですか?
暴力団との付き合いを「どこできればいい?」線引きが難しいなどと
およそ知性のない発言をしている。
羽鳥も赤江も社会の最低の知性すら持ち合わせない
人間であることを自ら明らかにしてしまった。
紳助の「暴力団との付き合い」そのものを厳しく批判すべき
立場の人間である。その人間が、紳助を擁護する発言を
連発しているのは、年が若く経験が少ないとだけ言えない、
成人の最低の知性すら失った惨めな人間を見た。
最低の社会人の教養と知性がない人間が、テレビの
司会などをしている我が日本である。
羽鳥・赤絵現象は、同時に日本の政治の現状でもある。
民主党の総裁・首相候補の言動を見ていると、羽鳥・赤絵と
同じ状態である。
朝のどの番組のキャスター、コメンテーターも、暴力団撲滅
という社会的な課題が頭になく、紳助の「潔さ」などばかりを
強調していた。
日本のマスコミの知性のさなを如実に暴露した今朝の
各局のテレビ番組であった。
どんな場合でも場面でも暴力団とは一切付き合いをしていけない
というのが原則ではないのか?
そのための社会啓発をするのがマスメディアの筈である。
羽鳥慎一アナに至っては、自らの社会的な任務すら理解して
いない。知性がない。紳助にメールを送り、激励したなどと
テレビで公言する「頭脳」には、呆れてしまう。
こういう人間を「馬鹿」と社会では言うのである。
暴力団が麻薬の密売、経済犯罪など日本社会に巣食う
犯罪集団・無法集団である。この暴力団が「良い人かどうかは
関係ない」。(紳助は昨夜の記者会見で暴力団の人が良い人で
感謝していると発言している)。いくつかの朝の番組を見たが、
全ての番組が
「紳助の引退に驚いた。紳助はいい人だ」という趣旨の発言を
繰り返し、「暴力団撲滅」という民主主義社会の基礎となる
一番重要な視点が全くかけた報道をしている。
紳助の暴力団との付き合いをこそ厳しく批判すべきである。
日本のマスコミの質の低下をまざまざと見せ付けられた
今朝のテレビ番組である。
紳助の行動を全てのマスコミが厳しく批判することを基本と
した番組にすべきなのである。
社会全体で一切の「暴力団の撲滅を目指す」運動を
進めている日本社会である。マスコミ関係者の意識は
社会の動きとは逆流している。
紳助の芸能界引退の裏には、更に大きな問題が隠されて
いるように思えた。
2011年08月23日
地球の歩き方3班晩餐会
朝7時の気温30度 湿度80% 日中36度
午前7時朝食。ブンボー・フエ
午前8時半、宿舎を出て徒歩ベトナム事務所へ。暑い。猛暑。
ベトナム事務所でバオミンさんと当面諸問題を打ち合わせ。
先週1週間は、私もバオミンさんもスタディーツアー案内等で
忙しく、打ち合わせをする時間がなかった。
打ち合わせの途中、静岡大学工学部大学院に留学中の
JASS日本語学校卒業生TU君が「帰国」の挨拶。
日本留学生生活についてのいくつかの問題を話し、
注意を促す。浜松名物「春華堂」に「うなぎパイ」をお土産に
もらう。
引き続き、バオミンさんといくつかの問題について相談
途中で、栃木県宇都宮の「マルサ」の佐藤裕信社長から
母への香典を頂く。代理に「縫製研修センター」のトゥエットさん
が持って来てくれる。佐藤社長に感謝。
引き続き、バオミンさんと諸問題の打ち合わせ。
途中で「フールー小学校」の校長先生、組合委員長、先生方
が「母への哀悼と花」を持って弔問に来てくれる。
ありがたいことである。
午前11時半、昼食。ちゃお・バイン・カイン(小麦の手打ちうどん)
午後2時まで昼寝。疲れが相当溜まっている。体が動かない。
午後3時半から多数のメール受信、返信。
午後6時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
午後6時半、地球の歩き方3班(19人)の皆さんと
フエ滞在最後の晩餐会。
19人の参加者全員がアオザイで登場。
グエットさんの「メニュー紹介」
ハンさん・アンさんも参加
団長の乾杯の音頭で乾杯
20歳未満の参加者は、絶対に禁酒をするよう厳命する。
今晩の地球の歩き方スタディーツアー(19人)に晩餐会には
JASSベトナム事務所員全員が参加。
バオミンさん委員長も参加。
今晩の料理(しょうが焼き)
午後9時過ぎ、厨房・接客のこどもたちの紹介
午後9時過ぎ、閉会。
ーーーー
島田紳介が芸能界を引退したという。
記者会見を見た。暴力団と付き合っていたことを
悪いと思っていなかったという「知性」に呆れてしまう。
記者会見では、「頂上にたどり着いた人は、下山が
大変」と言っていたが、紳助が、お笑い界の頂上に
いたと自画自賛する精神そのものが、狂っている。
既に漫才を止めて何年になるのか?自分が
自分を「お笑い会の頂上を極めた」などいう自画自賛の
態度に人間の誠実さも真っ当さもない。
紳助がいなくても、世間は何の影響もない。
暴力団と付き合った「「犯罪者」とししての自分自身を
客観的に見られない知性のない人間は、直ちに
土俵を去るべきだ。「私の美学で引退する」などと馬鹿な
ことを言っている紳助の「粋」がない、やぼったい姿に
閉口する。「貴方がいなくても何も困りません」。
暴力団と付き合うこと自体道義的には犯罪である。
暴力団やそれらと付き合っているひとに対して社会が厳しくみること
は民主主義社会の常道である。何か、立派な態度で引退するような
口ぶりに「自分が見えないピエロ」を見る思いがした。
私はいつも彼を見て「品性がない」人間を見ていた。
芸人には品性と隠れた知性が必要である。
桂米朝・故桂枝雀(小米)の知性の「爪の垢でも煎じて飲め」。
2011年08月22日
大阪Y校長先生一行ツアー案内
快晴 気温36度 湿度高し
午前6時起床。シャワーを浴びる。
午前7時過ぎ、宿舎の近くでソン君と合流。車でフエ空港へ。
今日は7年ほど前に大阪の中学校と教育委員会人権研修会
で講演した際、お世話になったY校長先生一行の出迎え。
午前7時半空港着。朝食を採る時間がないので、途中で
小さいフランスパンと牛乳を飲み、心臓の薬を飲む。
午前8時ホーチミン市からの飛行機が到着。
7人の中学校や高校の先生方が到着。
ソン君と二人で案内しフォンザンホテルへ。
その足でJASSベトナム事務所へ。
ベトナム事務所の紹介。
ベトナム事務所を後にして「子どもの家」へ。
セン委員長の歓迎の挨拶。
ソン君の案内で1時間「子どもの家」を視察。
午前10時から1時間、ベトナムでのボランティア、「子どもの家」
のことを話す。気温が高く、右耳の気圧が体内と耳との間に
かなりの違いでき、右耳が「ガーン」となって、自分の声が聞こえすぎ
話ができなくなった。ハンカチに水をつけ、頚動脈をを冷やす。
午前11時過ぎ、こどもたちが学校から帰ってくる。
こどもたちと一緒に昼食を摂る。
午後12時過ぎ、ホテルへ戻る。
午後2時半、日本語学校へ。日本語学校の生徒と
交流。
9月末、静岡大学工学部に留学予定の生徒(2名)
大阪の元・現中学校・高校の先生方
その後、午後5時まで「ドンバ市場」の視察。
午後6時半。日本料理店で会食交流会。私とソン君も。
今日は大阪の皆さん以外に一般のお客さんも受け入れた。
午後9時過ぎ閉会。
最終的に20数人の来客。日本料理店のこどもたち、
原田・富岡先生も大奮闘。
午後9時半、宿舎着。
2011年08月21日
終日休息
朝7時 気温30度 湿度85%。
蒸し暑い。
青少年教育の会の皆さんが無事、成田に着いたとの
電話あり。真面目な皆さんである。
終日読書と休息。洗濯、トイレ掃除。布団干し。
「資本主義崩壊の首謀者たち」(広瀬隆著:集英社新書)読了。
リーマンショックなどアメリカ資本主義を牛耳っている「ユダヤ移民」
の実態を詳細に解明している。
国際金融マフィアを形成している実態。オバマの主席補佐官の
エマニエルもその一員。
ソン君とバオミンさんと電話出打ち合わせ。
明日来訪する大阪の校長先生一行7人の出迎えの件。
午前7時15分にフエを出る。詳細打ち合わせ。
終日、ほとんど横になっていた。
大極さんより「スタディーツアー」のお礼のメールあり。
気遣いのきちんんとした人である。
夜、バオミンさんと電話。明朝7時15分、車でフエ空港へ。
大阪の校長先生一行の出迎え。
2011年08月20日
JASS栃木の会Sさん送別会
雨・曇り・晴れ 気温の変化が大きい。体がついていけない。
午前7時朝食。ブンボー・フエ
午前9時、宿舎を出て電動バイクで「子どもの家」へ。
地球の歩き方スタディーツアー第3班(19人)の講演会。
最近、声が出にくくなった。70分の講演を行う。
午前10時40分から歓迎会。
セン「子どもの家」運営委員長の歓迎の挨拶。通訳はハンさん
こどもたちの歓迎の踊り
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんの返礼の出し物
「子どもの家」厨房の前の庭では、こどもたちが昼食の準備
午前11時、全ての活動が終わり、ハンさん・アンさんが
地球の歩き方スタディーツアーの皆さんを引率し、昼食へ。
私は電動バイクで宿舎へ。
午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
昼食後2時間ほど昼寝。
午後5時半、電動バイクでフエ科学大学付近のレストランへ。
JASS栃木の会のSさんの送別会。
6階の部屋から外を見ると「フエがバブルの真っ最中」という
ことが分かる。至る所で工事中。
午後6時過ぎ、JASS栃木の会S先生の送別会。
日本料理店のこどもたち4人、ベトナム事務所員。
原田先生の司会で送別会は始まる。
バオミンさんは「JASS青少年・教育の会」をホーチミン市
まで案内する。
フーン先生・フオン先生は、地球の歩き方3班の夕食担当。
初めに私からS先生に3週間の日本料理店のサポートに
対するお礼の言葉
日本料理店のこどもたちからお礼の手紙
トゥオイさんから。
チャンさんからS先生の日本料理店での活動の写真集贈呈
S先生の里子であるフック君(フエ芸大油絵科在学)から
お礼の絵の贈呈。グエット接客主任から贈呈。
S先生から「お別れの言葉」
トゥオイ副店長の乾杯の音頭
午後8時、閉会。
S先生の3週間にわたる日本料理店支援に感謝。
丁度、この時期、多くの来客が日本料理店にあった。
2011年08月19日
大極さんツアー晩餐会
曇り時々雨 朝8時 気温30度 湿度85%
蒸し暑く、終日頭痛と倦怠感。いつも疲れる。横になることが
多い。
午前7時朝食。フォー・ハノイ(米うどん)
午前中、「フェリシモ」と連絡。
いくつかの重要なメール送信・受信。
午前11時半、昼食。ご飯・魚のフライ・サラダ・海老スープ
昼食後、2時間ほど昼寝。
午後2時半、電動バイクでフォンザンホテルへ。
青少年教育の会のKさんに日本で渡してもらう荷物を
届ける。Kさんに感謝。
午後5時半、日本料理店へ。今日は大極さんツアーと
フエ市の診療所の所長、「子どもの家」のセン委員長、タム医師
との懇談会。
栃木の会のSさんが、夕食会の準備をしてくれていた。
ありがたいことである。感謝。
大極さん一行はフエ市内の3つの診療所で針灸・小児針の
施術を行った。
午後6時過ぎ、日本料理店を貸切りにし、地元診療所長・
「子どもの家」のセン委員長、タム医師との懇談会を行う。
今夜のメニュー
始めに大極さんの挨拶。通訳はハンさん。
今日は3つのスタディーツアーが来ている。
・JASS青少年・教育の会(バオミン)
・大極さんツアー(小山・ハン・原田・富岡・Sさん)
・地球の歩き方スタディーツアー第3班(ソン・アン)
小山と「子どもの家」セン委員長
大極さんツアーの皆さん
診療所長の挨拶
ビーザー診療所から大極さんツアーへお土産贈呈
会食が始まる
お刺身
太巻き
魚のフライ
午後9時閉会
日本料理店のこどもたちの自己紹介
日本人スタッフの紹介
最後に全員の記念写真
午後9時過ぎ散会。
日本料理店の前の喫茶店ではリー君がギャンブルに
没頭していた。(ピンクがリー君)
自転車やオートバイの警備員をしている。日銭が入る。
日本料理店よりも日銭が入るので、生活も贅沢になっている。
今日の夕方、大極さんツアーの晩餐会に出るために
日本料理店へ行く途中、リー君は5時前に路上の飲み屋で
既に飲んでいた。
お酒を飲み、ギャンブルをしているリー君を見て、日本料理店
で仕事をしているよりも悪い環境にあるように思えた。
時々、私に電話がある。私は電話を切ってしまう。
今の生活は、「根無し草」の生活。24歳の男の生き方ではない。
日本料理店で働き決まった給料の中で清貧な生活をすることを
学ばないとリー君は大成しない。
オートバイの警備員など日銭の仕事は、年間通して生活は
安定しない。日銭でお金が入るとお酒を飲み、博打をするという
生活は5年前の生活に戻ったようなもの。
今、リー君は贅沢な生活をしている。いつまでもこんな生活は
続かない。大人は、リー君にこうした生活が破綻する
ことをきちんと知らせるべきである。私は、リー君からの電話は
全て切っている。
こうした贅沢な生活をしていると結局、生活が下げられず、
そのうち、警察のお世話になることは100%見えている。
今度は、助けることはしない。刑務所に2年位入って、自分の
人生を考えるべきなのである。
午後9時過ぎ、徒歩で宿舎に帰る。
2011年08月18日
JASS青少年・教育の会晩餐会
晴れ時々曇り 気温32度 湿度80%
蒸し暑く、体がだるい
午前7時朝食。チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)
午前中、多数のメール受信。返信。
JASS日本副委員長の山西さんより電話。大事な話を
伝えてくれる。
JASSスタディーツアーと一緒にナムドン山岳地帯へ
行っているバオミンさんと電話で何度か重要な問題の
打ち合わせ。
午前11時、ソン君が壊れた扇風機を直して、持って来てくれる。
感謝。
午前11時半、昼食。春雨麺
食後、2時間ほど昼寝。体がだるい。
留学関係の諸問題を整理。関係者と連絡打ち合わせ。
午後6時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
JASS青少年・教育の会スタディーツアーの皆さんと
最後の晩餐会。
富岡先生の司会で会は進行していく。
立派な司会者である。
接客主任のグエットさんの「今日の献立」紹介。
・金平
・野菜炒め
・トンカツ
・ご飯味噌汁
・タインロン(ドラゴンフルーツ)
参加者の音頭で乾杯。
隣りに座ったU君。なかなか能力のある利発な若者である。
好感が持てる。将来、大成する能力を秘めているような
気がする。長年、こどもたちと付き合っての体験からの
私見であるが・・・・。
JASS栃木の会のSさんが先頭に立って日本料理店の
裏方をしてくれていた。ありがたいことである。
会食の最後に参加者一人一人の感想発表
ベトナムでの生活を理性的且つ的確に発表した。
「安心して生活できる国」。正に私が日本の若者に
伝えたいベトナム像である。けして貧しい国ではないのだ。
どの子どももベトナムでの数日の生活の中で的確に
ベトナム・アジアの国を体で理解して行ったような気がする。
K藤事務局長の感想
富岡先生の感想
今日のナムドンスタディーツアーの感想を的確にまとめて
発表した。
最後に日本料理店のこどもたちの紹介
午後8時過ぎ、閉会。
徒歩帰宅。
火炎樹日記に書きながら一番好きな日本酒『国香』を少し飲む。
国香は静岡県袋井市のお酒。冷蔵庫で冷やして飲むと
アルコール臭のない香り。甘く淡白で濃厚な味と香りがする。
今まで私が飲んだ日本酒では、「国香」が最高級と見た。
2011年08月17日
JASS青少年・教育の会「ファンソンナム中学訪問交流」・夏祭り
曇り 気温34度・湿度80%
今日は蒸し暑く、1日中「気分が悪く、倦怠感」があった。
少しでも時間があれば、横になっていたい。
終日「頭痛」。葬儀以来の疲れが出た。
午前7時朝食。赤米のおかゆ
午前9時。JASS青少年・教育の会、バオミンさんと一緒に
「子どもの家」のこどもたちが通う「ファンソンナム中学校」を
訪問。
日本の中高大の生徒が中学で日本語を勉強している
生徒と交流。
校長先生と日本の若者
ベトナムの中学生と日本語や「指差しベトナム語」や「英語」を使って
話し合う。
その後、校庭でベトナムのゲームをして交流。
ファンソナム中学に通学している「子どもの家」のこどもたちと
一緒に記念撮影
中学生との交流を終えて、こどもたちと一緒に「子どもの家」へ。
午前11時半、昼食。マカロニスープ
午後、日本の関係者と連絡。
多数のメール受信。返信。
午後6時過ぎ、電動バイクで「子どもの家」へ。
青少年教育の会の皆さんは、午後5時から
レストランで夕食を摂り、その後「子どもの家」へ
戻ってくる。
午後7時から「バーベキュー大会」の夏祭り
ニワトリ8羽を捌き、大海老120匹、はまぐり120個
飲み物百数十本。
「子どもの家」のこどもたちと上記の肉などを焼いて
堪能する。
イカ
日ごろこどもたちは余り食べた経験のない貝
炭火を燃やす
マシュマロを焼くーこどもたちに大うけ
海産ベーベキュー大会を楽しむこどもたち
夏祭りの最後は「スイカ割り」大会
タン君は1993年にチーラン「子どもの家」に入所。
私がフエに来て最初に作った「子どもの家」に入所した
最初の子である。山岳少数民族出身。3歳で入所した。
それから18年。現在21歳。
午後9時前夏祭りは終了。主催したJASS青少年・教育の会の
皆さんに感謝。
2011年08月16日
大極さんツアー講演会:退所希望者懇談:大極さん一行と夕食会
気温32度。
午前7時朝食。フォー・ハノイ
午前9時半、電動バイクで「子どもの家」着。
大極さんツアーの皆さんへ講演会。
午前12時昼食。チャオバイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
午後3時、ベトナム事務所で「子どもの家」を退所させるという
父親と懇談。16歳の女子。高校受験に失敗。
父親は、彼女と弟の二人を農家の自宅へ戻したいと言う。
既に3回も話し合いをしてる。
父親は妻を亡くし、高齢の母親と娘が結婚しないで生んだ子ども
と生活している。生業は、農業。1ヶ月の平均的な収入は
1500円程度。
16歳の娘と弟を5年ほど前に「子どもの家」へ入所させた。
今回、16歳の娘がフエのザーホイ高校を受験し、不合格となる。
父親は、「弟の成績の悪いのも子どもの家の責任。娘が
不合格になったのも子どもの家の責任。娘と弟を退所させたい」
と繰り返し言っている。
私・バオミンさん・「子どもの家」のセン委員長と3人で既に
2回話し合っている。
私たちの主張は高校受験はフエ市内の高校では一番易しい
高校だった。今後の高校受験は難しい。
日本料理店に研修生として入り、「子どもの家」に在籍しながら
3年間ほど毎月3000円ほどの給料で研修し、18歳で
「子どもの家」を退所し、自立し月給6000円以上をもらい
日本料理を覚えるようにしたらどうか?
父親は、田舎の私立の高校へ行かせたい。大学へ行かせたい。
弟も「子どもの家」にいては、勉強ができなくなるとの主張を
繰り返していた。
田舎に私立の高校はない。16歳の娘さんはフエ市内の一番
入学の易しい高校の受験失敗したいる現状では、大学進学は
難しい。ザーホイ高校の大学進学率は、非常に低い。
こうした話し合いを2時間程行う。
父親の真の狙いは、娘と息子を農家の労働力として使いたいと
いうことにあると見た。
結局話し合いは平行線。3回の話し合いは、父親の
どうしても農家の自宅に娘と息子を連れて行きたいということに
尽きる。
私たちは、娘と息子を農家の労働力に使おうとする父親の
意図が見え隠れすると思っている。
娘は今は16歳。2年ほど農業をしているうちに年頃になり、
都会のフエ市に出てきて「怪しい仕事に就く」可能性が強いと
思っている。
そうした背景があるので、何度もバオミンさん・センさんと
一緒になって「子どもの家」に在宅しながら日本料理店で
仕事をするよう説得。弟は、「子どもの家」に住んで通学する
ようにと父親を説得した。
父親は、『親権』を主張し、娘と息子を農家に連れ去り、
農業を手伝わせるとの意図だ。
難しい問題である。
午後4時、静岡大学工学部に留学している学生の
ご両親が、私の母の死去に際し、弔意を表しに
来てくれる。ありがたいことである。
静大ニフィー第1期生・第2期生のご両親。
1時間半ほどの懇談する。
午後5時半過ぎ、日本料理店の夕食を見に行く。
栃木の会のS先生がこどもたちと一緒に活動を始動する
準備をしていた。S先生の3週間の手伝いに感謝している。
午後6時過ぎから大極さんツアーの一行と夕食会。
ソン君も協力してくれる。
午後9時過ぎまで夕食懇談をする。
なかなか賢い若者との懇談は楽しかった。
かなりの量のビールを飲む。
2011年08月15日
JASS青少年教育の会・大極さん一行フエ来訪
快晴 気温40度
午前7時朝食。ブンボー・フエ
午前8時半、徒歩、ベトナム事務所へ。
ブライセンベトナム支社へ2人の新入社員が入社。
日本語教師のフーン先生・原田先生と日本語教育について
打ち合わせ。フーン先生・原田先生が静大工学部入学者
の「マブチ」奨学金取得のための申請書の指導を行っている。
午前11時半、昼食。
魚のおじや
1時間ほど昼寝。
午後3時、電動バイクで「子どもの家」へ。
「JASS青少年・教育の会」10人が来訪。
JASS東京の会のAさんも来訪。こどもたちの本棚を
こどもたちと作っていた。
参加者のUさんと従兄弟からお土産を頂く。
午後4時過ぎ、「子どもの家」との交流会。
始めにセン「子どもの家」運営委員長の歓迎の挨拶。
日本側のこどもたち代表の挨拶と出し物紹介
こどもたちの歓迎の踊り
日本側の出し物「わらしべ長者」
日本側から卒業生の上履き贈呈
午後6時、「子どもの家」を後にする。
2011年08月14日
久しぶりの休息
気温40度(宿舎の外にある温度計)
今日は1日寝ていた。時々起き、ビールを飲み、又寝た。
スタディーツアー参加者からのメールへの返信。
数冊の本を読む。
「NGOとは何か?」(伊勢崎賢治著:藤原書店)
「原発のウソ」(小出裕章著:扶桑社)
「資本主義崩壊の首謀者たち」(広瀬隆著:集英社新書)
2011年08月13日
「京滋YOUの会」帰国
快晴 気温40度
昨晩飲み過ぎ。朝起きられない。
午前6時半起床。シャワーを浴びて目を覚ます。
午前7時朝食。精進ブン麺(明日が月2回の精進料理の日)
午前9時、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさんとブライセンベトナム支社について打ち合わせ
当面のスタディーツアー(JASS青少年教育の会、大極さんツアー)
などの詳細打ち合わせ。
午前11時、宿舎へ戻る。
多数の受信メールへの返信。
午前11時半昼食。春雨麺。
午後12時から2時間昼寝。
気温と湿度が高いのでしっかりと休養を取っている。
午後4時、徒歩日本料理店へ。
JASS栃木の会のSさんとこどもたちの日本料理店
での仕事の様子を見る。こどもたちと協力してしっかりと
仕事をしてくれていることに感謝したい。
午後5時、「京滋YOUの会」の皆さんが帰国。
記念写真を撮る。「京滋YOUの会」の皆さんの
夏祭りなど、こどもたちのための諸活動は大いに意義のあるもの
午後5時半。日本料理店で夕食。
最近は30人から40人の来客がある。
栃木の会のSさんが手伝いに来てくれているので
何とか日本料理店の運営は保たれている。
1時間ほど日本料理店にいて宿舎へ帰る。
2011年08月12日
「京滋YOUの会」夏祭り・ベトナム事務所スタッフとの交流会
快晴 朝の気温 38度。 非常に蒸し暑い。
午前7時朝食。フォー。フエ帰国第1回目の朝食。美味しい。
鶏肉の淡白な味が良い。野菜も豊富。
午前9時、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所の皆さんに母葬儀に生花を送ってくれたこと、
この間、ベトナム事務所を留守にしたことをお詫びし、
葬儀のお礼を言う。
その後、フーン日本語部長と原田先生の3人で日本語教育に
ついて話し合う。ブライセンベトナム支社員の日本教育の
今後の進め方について。
バオミンさんは「京滋YOUの会」の皆さんの平和村(障害児センター)
王宮等の視察案内。
午前10時半、宿舎へ。しばらく休んでいた火炎樹日記を書く。
8月9日・10日の母の葬儀関連の火炎樹日記から書き始める。
午前11時昼食。ご飯、野菜サラダ、揚げ魚、海老のスープ。
8月5日から8月10日の葬儀終了までの活動でかなり疲労が
たまる。午後12時から2時間ほど昼寝。熟睡。
洗濯・部屋の掃除。
午後5時、「子どもの家」へ。
午後5時半から「京滋YOUの会」主催の「子どもの家」夏祭り。
「京滋YOUの会」のM野さんの「開会挨拶」ー通訳がバオミンさん
40数人のこどもたち。以前は65人ほどいた。やはり少し
「小粒な集団」となっている。
「京滋YOUの会」の大学生Tさん、富岡先生、「子どもの家」スタッフ
ミスベトナム事務所のアンさんと「子どもの家」スタッフ
夏祭りの最大のイベント(お菓子のお土産)を渡す準備
「京滋YOUの会」のF事務局長と「子どもの家」スタッフ
「京滋YOUの会」前代表のNさんとソン君。
午後5時半、いよいよ「子どもの家」夏祭りが始まる
●輪投げ
●ソースせんべい
本来はスタッフが作るのだが、こどもたちは自分で作って
しまう。
JASS栃木の会のS代表も参加。Sさんは、3週間、日本料理店
の支援に来てくれている。
●バオミンさんはダーツゲームの景品の「味つきイカ」配布
係り。どこかの縁日のおじさんとい言った感じ。
どうに行っている。
全てのゲームなどが終わり、最後にジェンカやフォークダンス
最後は本日のメインイベント「花火大会」
里親の栃木の会Sさんと里子のフック君(フエ芸術大学生)
午後8時、夏祭り終了
その足で日本料理店で大反省会。
フエ市人民委員会ニエン外務部長も出席。
元ベトナム事務所員だったNさんの司会で反省会は始まる。
前「京滋YOUの会」代表のNさんの乾杯の音頭
サッカー部長・ビール部長・こんばんは部長
(ベトナム事務所3人娘)
日本料理店のこどもたちが作った豚肉の脂を落とした料理
(美味しい)
「京滋YOUの会」事務局長からニエン外務部長へお土産贈呈
日本料理店のこどもたちの紹介とお土産贈呈
フエ市人民委員会ニエン外務部長の挨拶
午後9時過ぎ閉会。日本料理店のこどもたちなど帰宅。
残留部隊で午後11時まで交流。
2011年08月11日
フエへ帰る
朝5時に起きて成田駅へ。
午前10時の成田発のベトナム航空便でホーチミン市へ。
ホーチミン市で4時間ほど待ち、午後7時40分にフエ空港へ。
ホーチミン空港で京滋YOUの会の仁枝さんと出会う。
フエ空港には、ソン君が出迎えに来てくれていた。
フエは雨が上がった後だった。28度。
午後9時前宿舎に着く。
明日からベトナム事務所の仕事に復帰。
現在、ベトナム事務所は、スタディーツアーの真っ只中。
多くのスタディーツアー訪問者が来ている。
私の分担もあるが、ベトナム事務所員の
皆さんが、代わってくれている。
ベトナム事務所に申し訳ない。そんな気持ちがあり、葬儀の
翌日ではあるが、フエへ戻った次第である。
ベトナム事務所の皆さんの励ましに感謝している。
2011年08月10日
母、死去 通夜・告別式
快晴
8月5日、母が99歳で亡くなった。
1912年8月2日(大正元年・明治45年)生まれ。
今年の8月2日で満99歳。白寿の祝いの年だった。
9月5日「母死去」の知らせを聞きベトナムから急遽成田へ帰る。
8月6日朝、成田着。そのまま兄弟で葬儀の打ち合わせ。
母の遺体は、献体のような解剖のため1日病院に安置。
その後、兄弟・親族で何度か話し合いを行い、
通夜と告別式日程を決める。今年の8月は死亡者が多く
火葬場の空きがなく、2日間葬儀が出来ない。
日程が9日、10日となる。
その間、様々な打ち合わせ、準備などを行い、
あっという間に3日間経ってしまう。
8月9日、午後6時から蓮根駅近くの葬祭場で通夜。
8月10日、午前11時から12時まで告別式。
その後、舟渡斎場で火葬。
8月2日で99歳。
1912年(大正元年・明治45年)生まれ。
5人の子どもももうけたが、長男は中国からの引き上げる途中で
栄養失調から肺炎で亡くす。3歳。
3男は、16歳の時、白血病で亡くす。結局、姉と私と妹が
葬儀に参加するということになった。
母50歳の時に父が急逝(52歳)。
その間、家が倒産し、自宅と工場など全ての資産を失う。
そうした中で3人の子どもを育てた。
日本の明治以降の歴史と戦争、復興、高度成長という
歴史を実体験しながら生きてきた人生だった。
通夜、告別式には220人もの方々がお別れに来てくれた。
22の生花が供えられた。生花で母を見送って頂いた方々に
感謝したい。
JASS東京の皆さんが、葬儀の手伝いに駆けつけてくれた。
本当に感謝したい。
母親は12人兄弟の9番目。
母親系の従兄妹。