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2011年08月26日
「子どもの家」のTさんと今後の進路について話す
午前6時半、気温32度。 湿度85%。今日も朝から蒸し暑い。
フィリピンに台風がきているようで、その影響で気圧が変化している。
いつも頭が痛く、体がだるい。
午前7時朝食。フォー・ハノイ
行儀が悪いが、食事をしながら読書。
「母を語る」(倫書房)
石坂啓・原田泰治・浅利香津代・森毅・灰谷健次郎
神沢利子・高石ともや・石川文洋・石倉三郎
吉田るい子・今江祥智・佐々木愛・辻元清美
本多勝一・田島征三・鎌田慧・宮崎学・早乙女勝元
宇野亜喜良・岡部伊都子・高史明・穂積隆信
ホキ徳田・寺村輝夫
石坂啓は、母親が中国人。子どもの頃「中国人」と
言っていじめられた。エネルギーと愛情と厳しさと
さやしさを持った母親だと書いている。
原田泰治は、1歳で小児麻痺になり、母親の愛情で育ちかけた時、
35歳で母親が死亡。後妻になった2番目のお母さんの愛情で
育った。自分は二人の母の愛情で育ったと書いている。
父親は看板屋。週刊新潮の表紙を飾った絵は、父親譲り。
二人の「母を語る」の文章を読んで「涙」がでて止まらない。
こどもたちの母親への気持ちというものは特別なものなのだ。
母親が「とんでもない母親であっても・・・・」。
午前9時過ぎ、バオミンさんのオートバイで「子どもの家」へ。
「子どもの家」のTさん(18歳)の今後の進路について打ち合わせ。
私、セン「子どもの家」委員長、バオミンさん。
Tさんは、15年前に「子どもの家」へ入所。父親不明。
母親と田舎にいたが、母親が「ふしだらな女」などと
言われ、都会のフエ市内に来る。橋の下で寝泊りしながら
3歳のTさんを抱いて「物乞い」をして生活していた。
母親はそんな生活に疲れ、「子どもの家」にTさんを置いて
ホーチミン市へ行ってしまった。
Tさんは、公立高校の受験に失敗し、単位制の私立の高校に
入り、今年6月卒業。
フエ師範大学幼稚園学科を受験。不合格。現在は進路が決まって
いない。
Tさんの進路を話し合う。本人の希望は、フエ師範大学は難し過ぎた
ので落ちた、フエ高等師範(3年生)の幼稚園学科を受験したい、
とのこと。
結論として、フエ高等師範を再度受験し、不合格となったら
日本料理店で仕事をするように、との話になった。
フエ高等師範の合格を祈る。
「子どもの家」では、静岡の会の笠井先生の教え子のY君
一行が、こどもたちとサッカーをして遊んでいた。
慶応大学を中心に東京の大学の「ボランティアサークル」の
皆さん。非常に真面目な若者たちである。
午前11時半、昼食。ブン麺
朝食後、2時間ほど昼寝。体がだるい。
午後3時、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所は朝から午後3時過ぎまで停電(無計画)
北海道北星学園大学の学生さんたちが日本料理店での
体験学習、日本語学校での教師体験の準備をしていた。
ベトナム事務所には、静岡大学工学部2年生のT君と
工学部大学院修士課程のTくんが来ていた。
日本での勉学に集中するよう、生活をきちんとするよう
話す。
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党員の資格停止者が首相決め
政策の論争なしは自民以下
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泣き虫が首相になれる我が日本
投稿者 koyama : 2011年08月26日 13:10