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2011年09月21日

午前中、「打ち合わせ」:午後来訪者案内

終日雨。時々、豪雨。

午前7時朝食。小麦粉の手打ちうどん(チャオ・バイン・カイン)


隣りに救急車が来た。隣りの旦那は「シクロ」(人力車)の運転手。
救急車で病院へ。

毎日のように朝からシクロ仲間を呼んでお酒を飲んでいる。(ビール)
時々、ビールがなくなると隣の私の宿舎に来て「ビールをくれ」と
言ってくる。近所の人が「あの人はアル中だから、何を言われても
構わない様に」と私に言う。
それでも何度も来るので、以前、バオミンさんを通して、瓶ビール
2ダースを差し入れしたことがある。
「このダンナ」、私の父親と同じような雰囲気を持っている。
わが父親も朝から毎日1ダースのキリン瓶ビールを飲み、
その後、夜になると友だちを呼んで毎晩「宴会」をしていた。
「冗談じゃねえ。飲まないで生きていけるか? 飲んで
死ぬのは本望だ。俺は、太く短く生きるのだ」と豪語し、
その通り、52歳で脳溢血(お酒の飲みすぎが原因)で
急死した向島育ちの父親である。私が高校2年生の時だった。
当時はこれがイヤだったが、今、この年になり、父親の人生を
客観的に振り返って見てみると「さもありなん」と、何故父親が毎日
お酒を飲んでいたのかが、理解できるようになった。
1910年(明治43年)生まれ。1930年(20歳)徴兵検査で甲種合格。
徴兵。1945年(35歳)まで中国で過ごす。家族が日本へ帰国中
長男が5歳で中国からの引き上げの途上で栄養失調が原因の
肺炎で死亡。35歳で日本へ帰国。事業をし、倒産し、借金取りに
追われる毎日。私の知っているいる限りで20種類以上の仕事を
していたが、全てうまく行かなかった。今ではこうした人生を
歩んだ人間が「飲まない訳にはいかない」。「飲むことが良く分かる」。
相当「アナーキー」な人生を歩んだ職人の父親を忌み嫌っていた
私が、45歳を境いに「忌み嫌った」父親と同じ様な「アナーキー」な
人生を歩んでいるのも「親子」というものだ。
我が子が「父親譲りのアナーキーな反抗的人生」を歩まないように
期待しながら、同じ道を歩むことを期待している「対立物の統一」を
期待している今日この頃である。

そんな気持ちがあり、この隣りの酔っ払いダンナに何とは
なしに親近感を持ってはいた。この「酔っ払い、アル中おやじも
ベトナム戦争や人生の挫折、思い通りに行かない人生の中での
「あがき」が「朝からの『飲み会』だったのではと推測する。

 救急車騒動は、この「ダンナ」が脳溢血で倒れたとのこと。
救急車で病院へ。しばらくすると、家の前の道をトタン板で
屋根を作り始めた。


料理を作ってくれるセンさんに「隣りのダンナは亡くなったの?」
と聞く。「いいえ、足が不自由になったとは聞いたが、亡くなっては
いない」との返事。
多分、病院の医師から「もう手の施しようがない。時間の問題」と
言われたのではないだろうか?
それにしても「現実主義」というのか、なくなる前から葬式の
準備を始めている。さすがはベトナム人だ。建前は建前。
現実は現実。現実的には近々に「亡くなる」、そのためには
今から葬儀等の準備をしておかなくては、葬儀が出来ない。
家族や近所の人も手伝って、道路上に雨や日よけ用に
トタンの屋根を作ってしまった。
私が差し入れした2ダースのビールも「ダンナの死を少しは
早めたのではないか?」とほんの少しの罪悪感を感じる。
今夜は、隣りのダンナと父親を思い出し、「通院」ではなく
「痛飲」しなければならない。

徒歩、ベトナム事務所へ。

ベトナム事務所では、スタッフがそれぞれの仕事に精を出して
いる。

古賀先生は、フエ高等師範大学の授業。


アンさんとフオン先生(通称:こんばんは先生)

バオミンさんとハンさんは、何か「密談中」

原田先生は、日本語学校の資料つくり

バオミンさんと1時間ほど打ち合わせ
「世界歴史都市連盟」の進めたか、JASSの関与の範囲、
JASSの役割りなど・・・・・・。


午前11時半、昼食。春雨麺


読書「現代ベトナムの国家と社会」(寺本実編集:明石書店)

午後2時、バオミンさんから電話。午後2時半にベトナム事務所
を訪問する予定の日本の方が既にベトナム事務所に来ている
とのこと。
急いでベトナム事務所へ。

日本共産党長野県委員会女性児童部長(中野さなえ)さんと
ご家族。

40分ほど、ベトナム事務所で話し合う。だんなさんは医師。
枯葉剤の問題、障害児支援の問題などを話し合う。

その後、車で「子どもの家」へ。「子どもの家」を案内する。

午後5時前、ベトナム事務所へ戻る。

日本料理店のこどもたちに給料を渡す。


午後6時。隣りから「読経」の声が聞こえる。
外は豪雨。外に出てみると近所の人が集っている。
やっぱり「ダンナ」は亡くなったのだ。哀悼。

バオミンさんに電話をする。隣のダンナが亡くなったことを
知らせ、通夜・葬儀参加の手配、花輪の手配を頼む。

午後10時過ぎまで、通夜の弔問客があった。
夜遅くまで断続的に豪雨。本格的な雨季に入った。

ーーー
台風15号が、大暴れしている。東京も機能停止のようだ。
山手線などが止まったようで、駅には大勢の人がいる。
東日本大震災当日の夜の東京の様相を呈している。
午後6時(日本時間午後8時)頃から山手線が開通したようだ。

投稿者 koyama : 2011年09月21日 19:31

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