« 2011年09月 | メイン | 2011年11月 »

2011年10月31日

奈良→京都→東京:大塚さん・芳村さんと懇談

午前7時、奈良のホテル起床。
パンの朝食。

午前10時JR奈良駅から京都駅へ。
途中、事故があり電車が遅れる。午前11時、京都着。

京都駅にて新幹線を待っている。
通りかかりの人に写真を撮ってもらう。

今回の帰国は約50日間。そのうちの半分は
各地などでのホテル生活。やはり疲れがでた。


京都から新幹線で東京へ。約2時間半。

車中で読書。

『「心」と「国策」の内幕」』(斎藤貴男著:筑摩書房)
国家がどのような姑息な手段で国民の心を
コントーロールし、支配して行くのかをいくつかの
事例を示して説明している。

「タイガーマスク運動」は何だったのか?

午後2時、東京着。5年間近くフエの日本料理店
等を支援してくれていた「オアシスの会」の大塚さん、
そして14年前から帯広で支援をしてくれている芳村
さんと懇談。東京駅の地下。

午後6時、自宅着。

投稿者 koyama : 20:37 | コメント (0)

2011年10月30日

奈良「正倉院展(第63回)」を参観

京都市・奈良市は雨

午前8時、京都駅前の喫茶店で伊勢市の住職さんと
ベトナム支援のことで懇談。

その後、JRで奈良駅へ。

以前から一度参観してみたいと思っていた「正倉院展」。

この数年奈良市に来ているのだが、二週間しか開催しない
「正倉院展」に日程が合わなかった。

10月29日から11月14日まで開催。

今回の正倉院展参観の目的は第1に全体の様子を知る。
第2に蘭奢待(らんじゃたい)を見ること。63回目。東京の
国立博物館で3回行われているので合計すると66回目

JR奈良駅から徒歩30分。東大寺の前にある
奈良国立博物館で開催。 

奈良駅で切符を売っていたが、「待ち時間50分」と書いてあった。

正倉院には9000件ほどの品々があるそうだが、今回は
62点が出陳されてる。

蘭奢待(らんじゃたい)は14年ぶりに出陳された。
正式名称は「黄熟香(おうじゅくこう)。
伝説的に有名な香木。足利義政の本を読んだ時に出ていた歴史的な香木。


蘭奢待という俗称を使っているのは「蘭」には「東大寺」の『東』が
「奢」には『大』が「待」には『寺』がつまり「蘭奢待(らんじゃたい)」には
隠されて『東大寺』という文字が入っているのである。

長さ156センチ 重さ11、6キロ という大きな香木である。

2世紀から17世紀までベトナムの中部を支配していた「チャンパ」
王国から中国へ輸出され、8世紀、中国から日本へきたとの
説がある。グエン王朝(フエ)には、香木担当の部署があったという。

1300年程前にフエから日本に送られたかも知れない
蘭奢待(らんじゃたい)を切り取って「火にくべた」人が
3人いるという。
足利義政、織田信長、明治天皇。

蘭奢待(らんじゃたい)には、3人が切り取った香木の
場所が記されている。横幅10センチ、長さ15センチほど。
想像以上に大量の香木を燃やしている。

ものの本によると実際には「80箇所」程度の切り傷の
あとがあるという。東大寺の関係者、権力者が香木を
薫いた(たいた)ことがうかがえる。

正倉院展の全体的な感想は  
① 保存が非常に良いこと
② 聖武天皇時代の「造作」が非常に精巧なこと
③ 西暦700年代に戸籍が確立してたこと
④ 今日、私たちの行動の規範になっていることが
既に1300年前に行われていたこと。 
 物を置く時に台の上に「敷物」を敷いていること・・・・・・
⑤ 当時の細かい資料、文章が残っていること


日本政府の文化行政の貧困を改めて感じた。
正倉院展の各所で「正倉院展グッズあ」の販売
行われていた。個人的には、この種の売店が
出ることで「がっかり・げんなり」する。
せっかく天平の世界に一時的にでも浸っていたのだが、
行く先々で「正倉院グッズ』販売。金・金、金儲けの
世界が待ち受けていた。奈良国立博物館を責める
訳にはいかない。多分、予算が相当削られいるのだろう。

こんなに祈念グッズ売り場が、会場に林立していては、
正倉院展も台無しだ。もったいない。


私たちの祖先がものごとを精巧に緻密に作る
作風が1300年前には既に確立されていることが
分かる。

 愛国心を「煽り」「義務付ける」人たちがいる。
この種の人たちは「正倉院の御物」の意味と
その価値、保存については、無関心である。
「大東亜戦争」「従軍慰安婦はなかった」「日本は
亜細亜解放のために闘った」などといっているが
「正倉院展グッズ」を売らなければならない現実を
知らなければならない。



正倉院展には、蘭奢待についての読売新聞の
特集が展示されいた。

フエが中心に報道されていた。












投稿者 koyama : 18:01 | コメント (0)

2011年10月29日

京都講演会:反省懇親会

午前8時半、東京駅へ。

午前9時、東京駅新幹線ホームで原田虎太郎君と
合流。

午前9時半東京発→京都行きの新幹線に乗る。
車内で講演会の内容等準備。その他いくつかの
仕事をする。

午後12時前京都駅着。「京滋YOUの会」の藤井さん、
税田さん、森野さんたち改札口で待っていてくれる。
その足で昼食。

美味しい京料理をご馳走になる。




午後1時半受付開始。虎太郎君が受付をしてくれる。


 

税田さんも一緒に受付。



午後2時から2時間程ビデオを使ってフエでの活動を話す。





講演会最終段階で司会の虎太郎君の自己紹介


「京滋YOUの会」仁枝代表の挨拶



最後に藤井事務局長の諸連絡と閉会の言葉



午後5時半、京都駅前の会場で参加者と懇親会
中村前代表(近江八幡市議)も参加


三重県伊勢市から慶蔵院住職 前島さんも参加
色々と良い話を聞かせて頂く。


フエ家庭料理「子どもの家」の指導者大塚さんの
親戚のAさんも参加


反省会は段々盛り上がる


反省会後、駅前のホテルに投宿。

投稿者 koyama : 17:19 | コメント (0)

2011年10月28日

終日JASS関連の仕事

朝から寒い

JASS機関紙「バンベー40号」の割り振り。
バオミンさんとSKYPEでいくつかの問題を
打ち合わせ。

たくさんのメール受信。送信。


この間、出来なかったJASS関連の仕事をする。

母親の葬儀関連の仕事の後始末をする。

明日からの京都講演会のビデオ、資料、持ち物
の準備と確認をする。

投稿者 koyama : 16:25 | コメント (0)

午前中「心臓病院」:午後「ねんえこりん」関係者懇談

快晴  少し寒い

午前9時自宅を出て、地下鉄三田線→大江戸線で
都庁前へ。

心臓病院へ。心電図を撮る。血圧、問診・・・・・。
11月10日から4ヵ月位ベトナムにいる。その間の
心臓の薬をもらうが、2ヵ月分しか出ないので、
なかなか困難がある。

新宿NSビルを出るとまわりは、超高層ビルが林立している。



こんな所に住んでいたり「仕事」をしていたりすれば、
精神がおかしくなる。たまに来るだけで気が変になり、
落ち着かない。人の住む場所ではない。

その後、代々木まで行き、『抱っこおび「ねんねこりん」』
の製作者Kさんと友人の方とお会いする。

「ねんえこりん」は乳児、幼児を抱っこするのには
最適なおび(特許取得)
製作者の釘村千夜子さん(助産婦)の発案。
長年助産婦の経験から発案した「抱っこおび」。

5つの使い途
①抱っこおび
②おくるみ
③授乳ケープ
④ブランケット
⑤敷く

私も釘村さんから頂き次男の二人の子どもの
養育に使うよう次男夫婦に渡した。
次男夫婦は、「ねんねこりん」をなかなか重宝したようだ。
「ねんねこりん」は出産のお祝いなどに最適。
SS S M L LL と5つのサイズがある。

釘村さんは、「ねんえこりん」を通して「社会奉仕」
をしたいという熱望をお持ちである。

問い合わせは以下へ。

ねんねこりん工房
〒151-0053
東京都渋谷区代々木1-55-14-805
電話 03-3375-7631

午後5時帰宅。

読書「私訳 歎異抄」(五木寛之著:東京書籍)

歎異抄は、親鸞が京都から越後に流され、その後
放免されるが、京都へ帰らず、関東に20年間
在住し、専修念仏ー浄土真宗の真理を深め
普及した。
親鸞の教えを直接聞いた弟子の「唯円」が
親鸞の言葉を記録したものと思われるが、
唯円の書いた書物は現在見つからず、
唯円本をその後筆写した「蓮如」本が
現在、「歎異抄」として残っている。

歎異抄の意味は、関東で20年間「専修念仏」
という師匠法然の教えを深めたのだが、
関東などで、法然・親鸞と違う考えを
浄土真宗の考えだと言い出す人が出てきた
て「異論」を「歎き」「抄」を書いたというもの。

専修念仏の良し悪しは別にして、親鸞の
主張は当時の時代を考えるとなかなか
先進的・革新的・革命的なものである。

私には弟子はいないと明言する。
勉強したり経典を読んで「浄土」へ行ける
知的エリート(僧・・・・・・・)もいるが、そうした
事が出来ない、文字も読めない庶民の
ためにこそ「専修念仏」(南無阿弥陀仏を
称える)があると主張。
南無とは、「全てお任せする」という意味。
南無阿弥陀仏は、「阿弥陀様に全てお任せしすれば
浄土に行ける」という専修念仏(せんじゅ ねんぶつ)の
考え。


歎異抄自体は短いものである。
18章の異論に対する親鸞の反論。
その後、後序で親鸞の人生を唯円が語っている。
印象に残った言葉は、親鸞は僧でもなく、俗人でもない
「非僧非俗」と自分のことを言っている。

親鸞は自分のことを「愚禿親鸞(ぐとく しんらん)と言っている。
馬鹿な「はげ頭」と自称している。


2部は、古文の原文だが、五木寛之の翻訳ものを
読んでいるので、古文の原文もほぼ読める。

投稿者 koyama : 10:53 | コメント (0)

2011年10月26日

終日、自宅での仕事

かなり寒くなった。  休肝日

この1ヵ月間、千葉、浜松、栃木、熱海、北海道と回り、
母親の49日・納骨式などを行い、提出期日が決まったたくさんの
仕事が滞っていた。

今日は朝5時に起き、朝食。午後2時まで昼食を抜いて、
溜まった仕事をした。

フェリシモへの報告書と写真送信、スタディーツアー関連の
いくつかの問題の関係者への送信・・・・・。
7時間程の仕事を継続する。何とか、今日終わらせようと
思った仕事は終わる。

午後2時軽食。その後、徒歩で赤塚公園・高島平団地の
郵便局、買い物、散歩へ。

読書「「親鸞 生涯と教え」(真宗大谷派学校連合会教科書編纂委員会著   
                 真宗大谷派宗務所出版局発行)

昨日見に行った「法然と親鸞 ゆかりの名宝」(国立博物館)で
買った真宗大谷派系「高校生用教科書」を読了。
法然と親鸞の関係、朝廷と天台宗など既成宗教と専修念仏
(せんじゅ ねんぶつ)を称える法然、親鸞との対立。

親鸞の越後追放。その後、20年間の関東での流布。

ーーー
「私訳 歎異抄」(五木寛之著:東京書籍)を読み始める。

投稿者 koyama : 18:39 | コメント (0)

2011年10月25日

法然・親鸞ーゆかりの名宝展へ

快晴  暑い


午前9時、自宅を出て上野の国立博物館へ。
6日間の北海道講演会で多少の疲れあり。

しかし、「法然・親鸞展」は今日が初日。
多分、浄土宗、浄土真宗の信徒の皆さんが
多数動員されているのではと思いつつ
どうしても初日の展覧会に行ってみたいと思っていた。

数年前の奈良・薬師寺の薬師三尊展は、平日だったが
入場までに1時間ほど並んだ経験がある。

20代の頃、吉川英治の「親鸞」を、杉浦民平「歎異抄」
を読んで、法然、親鸞は平安末期・鎌倉初期の
「革命家」であったとがわかる。


午前11時、上野の山にある「国立博物館」着。

送信者 11-25日 法然・親鸞展


想像したのと違って初日なにの参観者は少ない。
全く待たずに参観出来た。


会場には、悪人正機説で有名な『善人なおもて往生す
ましては、悪人をや』は、歎異抄にあり、師法然が
親鸞に伝えたと「展覧会」には書いてあった。


パソコンの調子が非常に悪い。ここまでの日記を
書くのに2時間かかる。

投稿者 koyama : 19:59 | コメント (0)

2011年10月24日

札幌から帰京 

札幌は快晴

午前11時にホテルをチェックアウト。

長男家族と大通り公園まで散策。公園でゆっくりとする。

既に銀杏は黄色になっていた。


午後12時半、6日間の北海道講演終わったので
家族で「御苦労さん会」をする。

軽く北海道のビールを「試飲」する。満足。

あとは、腰痛が治ればよいのだが・・・・・。

午後2時すぎ、札幌から新千歳へ。
千歳空港から成田へ行く予定だったが、搭乗して
から急に「機器の故障」とのことで、機内で1時間ほど
待たされた。
午後3時半千歳空港発が午後4時半発。羽田着午後6時。


自宅に着いたには、午後8時だった。かなり疲れた。


6日間の北海道での講演会では、菊先生、中山さん、
鹿又さんなど多くのJASS関係者の皆様にお世話になった。
改めて感謝したい。


投稿者 koyama : 22:48 | コメント (0)

2011年10月23日

石狩国際フェスティバル

終日雨 寒い

午前9時半、札幌の会で長い間活動している中山さんが
車でホテルまで迎えに来てくれる。感謝。

途中、倶知安の菊先生を迎え、石狩市へ。車で30分程度。

菊先生は石狩市民センター(?)へ。私は中山さんに案内して
もらい、マウニの丘へ。マウニの丘には、喫茶店があり、
この喫茶店の皆さんが、「子どもの家」刺繍土産物店で
作った「特注」のTシャツを着て仕事をしている。
実情を見に行く。



店内には、JASSの「プチ バンベー」が置かれていた。
有りがたいことである。


石狩の海を見ながらしばらく「ティータイム」

この店は、「星守る犬」 という映画の舞台になっている。
西田敏行などが撮影に来ている。


車で石狩市民センターへ。ボランティア参加者のための
食堂で昼食。市民のみなさんの手作り料理のバイキング



菊先生、中山さんたちで「JASSブース」の飾り付け、「子どもの家」
絵画展の準備


JASSブースの準備・協力をしてくれる皆さん



JASSブースの全景


午後1時半過ぎ、「石狩国際フェスティバル」開会式

石狩国際交流協会会長さんの挨拶

続いて私がベトナムでの活動を若干報告




今日の参加国は10カ国


北海道YMCAの皆さんも参加


会場には、ベトナムの「子どもの家」のこどもたちに手紙を書こう
というコーナーがあり、たくさんのこどもたちが手紙を
書いてくれていた。



参加者に「子どもの家」を説明


会場では歓迎の「阿波踊り」が披露されていた。
昔、阿波から北海道へ移住した痕跡の阿波踊りとも言う



北方圏センター派遣「高校生ベトナムスタディーツアー」
で「子どもの家」へ来られた引率の先生が
わざわざ挨拶に来てくれる。感謝



韓国のブースは、チョゴリを着ての写真撮影のコーナーが
ある。JASSも次回は「アオザイコーナー」を作っていいななどと
考える。



主催者の石狩国際交流協会がJASSのポストカードを
販売してくれていた。



午後5時過ぎ、中山さんの車で札幌市内のホテルまで
送ってもらう。


午後6時半、札幌市内の飲食店で長男家族と
関係者で会食


投稿者 koyama : 09:57 | コメント (0)

2011年10月22日

札幌「エルプラザ」「子どもの家」絵画展

小雨

午前中、京阪札幌ホテル支配人と話し合う。
ただ、申し訳ありませんを繰り返すだけ。
私は、何故、フロント責任者が「インフォーメーションの本を
読んだことがなかったのか?」などを聞くが「申し訳ありません・・」
ホテル室内に置いている「案内書」をフロント責任者が
読んだことがないという、あってはならない事態である。
案内書(インフォメーション書)には、チェックイン・アウトの
時刻から、細かい案内、約款等が書かれている。
その上、緊急時の「避難方法」も書かれているのだ。
緊急時避難方法が書かれている「案内書」をフロント責任者が
読んだことがないという。

京阪札幌で夜中に火事があったら、到底、従業員が
避難指示、避難誘導活動など出来るわけがない。
恐ろしいホテルに泊まったものだ。

今後は、個人的には「京阪札幌」や「ホテル京阪」
には、泊まらないことにした。自己防衛である。

支配人は、申し訳ないとしか言わず、何故、こんな
問題が起こったのか? 何故、フロント責任者が
室内にある案内書を読んでいなかったのか?
などの総括ができないので、今後の改善点も
何ら出せない。支配人は、クレーム対応ができない。
私は「怒っている」のではない。こんなホテル運営を
していたら、緊急事態が起こった時に対応が出来ず、
結局、お客が大被害を受けることになるので、
何とか改善する方針を出すべきだ、と言っているのだが・・・。
支配人は「申し訳ありません」以外の言葉がでない。
自分で問題を考え、解決していく能力がないとみた。

私は1時間程、話をして、「もう結構です」と話を終わる。
疲れた。同時に「札幌 エルプラザ」急いで行かなければならない。

午前11時過ぎ、札幌駅近くの「エルプラザ」へ。
菊先生中心に「子どもの家」絵画展開催。

長いお付き合いの菊先生、道庁」の中山さん。
安達さん、鹿又さん・・・・


「子どもの家」絵画展参観者のみなさんに
「子どもの家」のこどもたちの絵画の説明。


ベトナム札幌の会代表の鹿又さん

ベトナム札幌の会の鹿又さん。長い間のお付き合いである。


12時過ぎ、「子どもの家」絵画展を参観に来られた皆様に
それぞれのこどもたちの絵を解説。



「子どもの家」のこどもたちの描いた絵を一枚ずつ「生い立ち」などを
交えて解説。

「子どもの家」絵画展には、JASS札幌の会の代表だった
小川道子さんも来訪。
1994年からのお付き合いである。


午後4時過ぎ、展覧会場の近くで「ベトナム札幌の会」
を行う。代表の鹿又さんの「この間の総括」提案。
今後の活動を話し合う。


午後4時過ぎ、「ベトナム札幌の会」の会合。



午後5時過ぎ、菊先生、鹿又さん、中山さんと札幌から大通り
までの新しく出来た地下道を歩く。800M。結構良い運動に
なる。

すすきのまで歩く。

午後6時過ぎ、すすきの「変わった」居酒屋で反省会。


今までみたこともない「舟盛り」(想像できるあらゆる刺身が
盛られていた。


シャロームの釣本さんと鹿又さん


菊正敏先生と。10年以上のお付き合いである。
現在は、北海道立某高校の校長先生。

菊先生が転勤された高校で何度も講演会をさせて頂いた。


その後、もう一軒。

何時に帰宅したのか、記憶喪失状況。

投稿者 koyama : 23:24 | コメント (0)

2011年10月21日

北海道YMCA講演会

快晴  寒い

午前8時過ぎ、ホテルを出て札幌駅から地下鉄南北線で
中島公園へ。その後、徒歩20分。

北海道YMCAへ。北海道YMCAは由緒ある組織である。
北大の前身札幌農学校で教えたクラーク博士から
プロテスタントを学んだ「内村鑑三・新渡戸稲造など」が
作った会である。


北海道YMCAに入る。入口の掲示板に
10日間ほど札幌市内で行われている
ベトナム「子どもの家」作品展のポスターが
貼られていた。


午前10時から1位時間10分程、講演会。

生徒さんのプライバシーがあるので後ろから写真撮影


北海道YMCAとは、10年程前と提携して
講演会などを行ったことがある。

午後12時40分過ぎにホテルへ戻る。
今回は札幌駅近くのホテルに5泊6日の
予定で宿泊している。「連泊」というやつである。
当然、ベッドメイキングがあるので、チェックインした
際、フロントで「5泊するのだが、ベッドメイキングは
何時から何時までですか?」と聞く。
フロントの男性は「午前10時から午後12時の間です」
との答え。
それでは、その時間は、ベッドメイキングの邪魔をしては
いけないので「外で時間を過ごそう」と思い、
今日も12時40分まで町をふらつき、ホテルへ戻る。
この間の疲れと、腰痛で早く部屋で横になりたい。
昼食を摂る気力もなく「おにぎり」を一つ買い、ホテルへ。
しかし、12時40分になってもベッドメイキングはしていなかった。

フロントに電話。フロントの責任者は、「ベッドメイキングが
あるので、午後2時半までは部屋に入れない」と言い切る。
「おやおや」と思い、「それはどこに書いてあるのですか?」
と聞く。「インフォメーションと書かれた厚い本があるが
そこに明記されている。午後2時半までは、室内にいてはいけない」
と断言する。

私は5日間「連泊」するので、ベッドメイキングの邪魔をしては
申し訳ないので、「ベッドメイキング」の時間を聞き、
午前10時から午後12時までの回答をフロントからもらっている。
それが突然、午後2時半までは室内に入れない。
ホテルのインフォメーションに明記されているという。
改めて分厚いホテルの「インフォメーション」を読むが、
何も書いていない。
再度、フロントに電話。「インフォーメーションを読みましたが
その種のことは何も書いてありませんよ」と聞く。
フロントは、「しっかりと読んでください。ちゃんと書いてあります」
と私にお説教を垂れる。
私としては、詳しい決まりは分からないが、5日間の連泊なの
だから、掃除の時くらいは外に出るが、それ以外は室内に
いてもおかしくないのになあ、と思う。

再度、フロントに電話をし、責任者を出してくださいと
お願い。今日は現場の責任者が電話にでる。
再度、私は「インフォーメーションには何も書いてないですけど
フロントの人は、連泊の人でも午後2時半まで室内に
は入れないというのですが・・・」と聞く。
現場の責任者は「いや、午後2時半までは、室内には入れない
ですよ」という。

仕方がないので、疲れていたが「ホテル宿泊約款」
20条までの細かい字を全て読む。

ホテル約款第9条に「連泊する場合は、チェックインから
チェックアウトまで部屋の占有権がある(趣旨)」と明記されている。

ベッドメイキングがあろうがなかろが、連泊の場合は、
5日間常時部屋の中にいる権利があると明記されて
いるのである。

このホテル(ホテル京阪札幌)は、どんなホテルなのか?
フロントも現場責任者も「お客が何も知らない」と思い
「ウソ八百」を言っている。こうした「権威をかさにきて居丈高な
態度を取る人間が一番嫌いだ」。

再度フロントに電話。今日のホテルの最高責任者を呼んで
欲しいと言い、今日の責任者(課長代理)が出る。
事情を説明。会議室でフロントの責任者、最高責任者と
話し合うことになった。馬鹿ばかし時間である。
仕方がない。

1階の食堂で話し合う。
私「午後2時半までは私はホテルに部屋にいられないと
フロントの担当者、責任者は言いました。インフォーメーション
に書いてあると言ったが、書いてあるインフォメーションを
見せてほしい」。

ホテル側「申し訳ありません。全てウソでした。お客様は
チェックインからチェックアウトなで常時、ホテルの部屋に
いることが出来ます」と言う。

私「さっきまで入れ替わり立ち替わり、私は午後2時半まで
部屋に入れてないと言っていたのに、何度態度が変わるのか?」

「インフォメーションに書いてありまあせんでした」。
私「あれほど、何度も私は確認しましたよ。インフォメーションに
書いてあると」。

「あれは、全て間違いでした」。

私「間違いと言っても、お客からチェクインの際に
5日分の部屋代を取っているのですよ。お金は取って、
義務を果たす時になったら、何だかんだ難癖を
付けて、お客を部屋にいれないというのは、いかがなものか?
既に私の部屋は今日、ベッドメイキングもしてないのですよ」。


現場の最高責任者「今日のホテル代は無料にします」という。

私は激怒。「私は乞食や物もらいではない」「インフォーメーション
にも書かれていないことを繰り返し書かれていると言っている
フロントとその責任者。なぜ、こうした問題が起こったのかを
総括し、そこから教訓を導き出し、今後、同じ事が起こらないように
するために私は言っているのだ。貴方の態度に私は非常に
腹が立ている。貴方は、うるさい奴なので金をあげておとなしく
させようということのようだが、私は貧しいがその種のお金を
ゆすったり、もらおうと言う気はない。貴方がその種の人間で
あったとしても、他人がお金でおとなしするとは限りませんよ」

今日は、貴方達と話しても埒が明かないので、ホテルの最高
責任者を出してほしい。
「支配人です」。
「じゃ支配人を出してほしい」
「今日は休暇でいません」
「いつ出社するのか?」
「明日です。」
「じゃあ、明日の午前中、支配人と話し合う」

ということで2時間近くの話し合いを終わる。
日本人の能力が低下したと言われて久しいが
ホテルマンが、ホテルの約款すら読んでいない、
知らないという実態に「慄然」とした。
こんなホテルで火事にでもなったら、お客の
誘導など出来るわけがないと確信した。

情けない「ホテル京阪 札幌」である。
お金だけは5日分を全額先取りし、サービスと
義務としての業務は「おざなり」という日本社会を
象徴する「ホテル京阪 札幌」である。

投稿者 koyama : 19:52 | コメント (0)

2011年10月20日

北海道・北星学園大学講演会

午前7時半起床  寒い

ホテルでバイキングの朝食。食欲なし。

午前9時からホテル室内掃除のため外出。市内を2時間程
散策。北海道は既に秋に入りつつあった。

札幌駅前の木も既に紅葉していた。


札幌駅の地下を散策。年配の女性が柱の下に倒れていた。
札幌にもホームレスの女性がいるのかと思ったが、何かおかしい?
たくさんの人が近くを歩いているが、無視している。何だろう?
私は70歳代の女性の所に行く。「どうしましたか?」と聞く。
「頭がフラフラするの?」と言いながら、起き上がれない。
私はその女性が持っていたハンドバッグを頭の下に置き
「寝てください」と言う。「脳溢血か心臓の発作か?」と思った。
70代と思われる女性は「大丈夫、大丈夫」と言いながら
起きられない。そのうち、何人かの人が来てくれる。
私が、「駅員を呼んで」という。誰かが、駅員を呼ぶ。
車いすを持って来る。「担架」はない。
最終的に電話で救急車が来る。

その後は70代の女性がどなったかは分からない。
無事に回復してくれることを祈る。

地下の路上で倒れている人がいるのに、無視して歩いている
人がいることに私が驚きを感じる。


午後2時すぎ、北星学園大学へ。

北星学園周辺(札幌から20分)も紅葉が始まっていた。

午後2時2時40分から午後4時まで北星学園大学
文学部心理・応用コミュニケーション学科1年生(100人)
の授業。

VHSビデオなど使いJASSの取り組みを話す。




講演会終了後、今回の講演会を主導して頂いた田辺先生や
スタディーツアーで北星学園大学の学生さんを引率し「子どもの家」を
訪問してくれている大島先生などと懇談。

私のような人間を招請してくれた田辺先生、大島先生の
見識に敬意を表したい。

午後7時、札幌駅へ。

近くの居酒屋で一杯飲む。「サッポロ・クラッシク」が飲みたく
そのお店を探し入る。

サッポロクラッシク(北海道以外では飲めない)と北海道の
「生もの」を食べる。

カツオ刺  さんま刺  ほや刺  サロマ産かき酢

サッポロクラッシクの後は、天狗舞(山廃仕込み)

サロマのかき酢(不満はあるが、まあまあ・・・・・・)


さんま刺(鮮度がかなり落ちているー詐欺さんま刺)


ホテルに戻り、再度、サッポロクラッシクの缶ビールを1本飲む。

投稿者 koyama : 20:22 | コメント (0)

2011年10月19日

北海道へ

快晴

羽田から新千歳へ。今日から6日間、北海道で
講演会。

午前10時過ぎ、羽田へ。羽田空港でフエの
バオミンさんとSKYPEでいくつかの問題を
話し合う。

午後12時、羽田発。午後1時半過ぎ、
新千歳着。

千歳空港から札幌へ。


札幌市内にチェクイン。

直ぐに北海道芸術高校へ。2012年1月に
スタディーツアーでフエに生徒さんが来る。


札幌芸術高校佐藤副校長先生、鈴木先生と
2012年のスタディーツアーなどの打ち合わせを
行う。



投稿者 koyama : 19:57 | コメント (0)

2011年10月18日

北海道行きの準備

晴れのち曇り  肌寒い

午前中、北海道での講演会、大学での講演会など、講演先別の
講演内容を考え、メモ用紙にまとめる。

午後。池袋の「古本市」へ。ベトナムで読む本を5冊ほど購入。

虎太郎君からメールと電話。京都の講演会の件。

メール多数あり。

夜10時過ぎ、バオミンさんと「バンベ」(JASS機関紙)の
件で電話で話をする。


明日北海道行き(6日間)の荷物の整理と最終確認。
ビデオ、バンベー、フェリシモ資料など多数あり。


読書「官僚の責任」(古賀茂明著:PHP新書)
経産省官僚を事実上解雇された「改革派」と言われる
経産省次官候補。
かなり思い切ったことを言っている。

投稿者 koyama : 07:48 | コメント (0)

2011年10月17日

終日自宅で

少し寒い

明後日からの札幌での講演会の資料・ビデオ準備。

読書「無縁社会ー無縁死3万2千人の衝撃」文藝春秋)読了

非常に衝撃を受けた。

毎年、日本で3万2千人以上の人が、孤独死し、誰も
遺体を引き取らないという現状がある。
引き取られない遺体は、「ゴミ」として処理される。

北陸のお寺さんで無縁仏を受け入れ、無縁仏として
集団埋葬しているお寺もある。

孤独死をした人の中には、「検体」させられ(親戚の意見で)
る人もいる。こうした人は孤独死に入らない。

実際には、孤独死は、4万人位はいるようだ。
毎年自殺者が3万人以上いるわが国である。

孤独死と自殺者で7万人もの人が寂しくこの世を去っている
日本である。何とも悲しい現実である。

是非、多くの人に本書を読んでもらいたい。
見えない日本の本当の現実である。


人間は、最後の最後は自分の入る「お墓」の問題に
拘泥するという実態を知る。


雨宮処凛(あめみや かりん)と本書を読み、
見えない日本社会が「融解」していることが分かる。
「二極分化」。環境などが良く「うまい人生を歩める人」と
その反対の人。本人の能力とは関係ないことで一生が
決まってしまう現実。もちろんそうしたことは、今までも
あったのだが、政治や行政が出来るだけ「救済措置」
を取ってきたのだ。「せフティーネット」だ。

雨宮や本書を読むと日本社会は、「セフティーネット」がズタズタ
に切り裂かれていることが分かる。

元首相の鳩山が毎月「母ちゃん」から1500万円の小遣いを
もらっている国である。何の恥も感じていない鳩山を首相に
した民主党の底の浅さと「いかがわしさ」が分かる。

どじょう首相も少しずつ「本性」を著してきた。
TPPは「日本にプラス」と・・・・・

投稿者 koyama : 18:50 | コメント (0)

2011年10月16日

伊豆半島へ

昨日と今日、伊豆半島の温泉へ行く。

支援の社長さんの招待。リラックスする。感謝。

今日、午後、根津の親戚へ。

読書「排除の空気に唾を吐け」(雨宮処凛著:講談社現代新書)
を読了。

石原慎太郎の主張を完全に論破している。


読書『無縁社会ー無縁死 3万2千人の衝撃」
文藝春秋

投稿者 koyama : 20:29 | コメント (0)

2011年10月14日

休息

晴天

午前5時目覚める。

数時間かけて長文のメールを書き某所へ送信。

午前中1回、午後1回、ベトナムのバオミンさんと
電話で打ち合わせ。


読書「新・堕落論-我欲と天罰」(石原慎太郎著:新潮社)読了

慎太郎氏の言いたいことは、戦後、我欲が強くなり、こらえ性が
なくなった。物欲、金銭欲の社会と化した。

その原因は、アメリカ従属という日本の姿勢だ。

不登校、家庭内暴力、秋葉原事件などは、戦後の
我欲の結果起こったことだ。

アメリカ従属をやめるべきだ。その為には、自分たちで
憲法を作るべきだ。現在の日本人は平和ボケしている。
その最大の理由は、憲法9条があるからだ。
日本は、武装し、原爆をもつべきだ。そうしてこそ、
北朝鮮や中国などの「横暴な外交」に負けず、日本の
自立・自存が保てるのだ。

不登校、引きこもり、草食系などは、苦労がない人間の
結果だ。戦争などがあれば、この種の現象は治って
しまう。

読書「排除の空気に唾を吐け」(雨宮処凛(あまみや・かりん)著
講談社現代新書

著者は、現在36歳。子どもの時からアトピーでいじめられ
大学2浪中、右翼に共鳴。右翼活動を行う
その間、リストカット、薬の過飲などを行う。
フリーターや派遣を経験し、プレカリアート(プロレタリアートを
もじって生活最低線で生きている若者)運動を進めている。
派遣など若者が、生きずらい今の社会を探訪し、
秋葉原事件など若者が追い詰められての「自爆」活動に
何故突き進んでいくのかを、自分の体験を通して
書いている。

石原本と本書を併読すると、石原本が単なる「理念」と
「お説教」だと言うことが分かる。

終日、腰痛で苦労する。

午後1時間程、ゆっくりと公園を散策し、高島平団地商店街
を歩く。2軒のお店が閉店。経済状況を反映している。

投稿者 koyama : 06:45 | コメント (0)

2011年10月13日

当面の仕事を遂行:古賀先生の誕生会

晴れ

午前中、ベトナム事務所関連の仕事で某所へ
長文のメールを書く。

午後、昨日BICカメラで教えてもらった方法で
ウイルスバスター2012を私の携帯パソコンに
インストールする。慣れていないので結構時間が
かかるが、これであと2台のパソコンにインストール
するやりかたを覚えた。

20数通のメール受信。必要な送信。

読書「新・堕落論」(石原慎太郎著:新潮社)


慎太郎は、坂口安吾の「堕落論」を基底にして
新・堕落論を書いている。

その基本的な考えは、現在、日本人は堕落している。
この辺の認識は、オウム真理教と似ている。
その堕落(自己規制が出来ない・欲望のままに
生きている、日本国というものを全く考えていない
勝手気ままな国民となっている。要求ばかり主張し、
国民に義務を果たしてない)は、アメリカの
おしつけである「日本国憲法」である。

アメリカが戦後、いかに日本を従属国家として
「育ててきたのか」と具体的なアメリカの
横暴を暴露している。アメリカに対する態度は
ほぼ私の認識と一致している。
慎太郎の最大の欠点は、戦後の日本のアメリカの
従属ぶりを重箱の隅をつつくように書いているが
その路線を作ったのは、あなたが所属し、あなたの長男が
幹事長をしている自民党であるという認識がない。

今日は終日、腰痛で動けない。
近くの薬局に行き、痛み止めの薬と腰痛に効く
薬をもらう。
腰にはった膏薬が効いていたのだが・・・・・。


=====================

今日は、JASS日本語教師の古賀先生の誕生会


ベトナム事務所から誕生会の様子とコメントが
届いた。

今日(10月13日)は古賀先生の21歳の誕生日で、ベトナム事務所では誕生会を行いました。
古賀先生が赴任して初めて行われたのが自分の誕生会だったので、少し驚いていたようです。
21歳の目標は、「自立」とのこと。
一年間、JASSと共に「自立」を目指し、頑張ってもらいたいです。


「今晩は先生:フオン先生」と「ミスベトナム事務所:アンさん」
に祝福される古賀先生



ベトナム事務所員と古賀先生(一部ベトナム事務所員は出張)


誕生ケーキ

ベトナム事務所スタッフの寄せ書き


投稿者 koyama : 20:35 | コメント (0)

2011年10月12日

支援者と懇談

快晴


午前中、池袋のBICカメラへ。
先日、「ウイルスバスター2012」を買ったが、
私のパソコンにインストールできない。
今日買ったBICカメラへ行き、何故インストールできないのか?
インストールの仕方を教えもらいに行く。
店員は、インストールには、3400円かかるという。
私は「自分たちで売ったものが、使えるかどうか
確かめずに売るのは、おかしい」と。
店員は、私のパソコンにCDを入れる。結局、ウインドウズビスタ
の私のパソコンでは、「機能が低く」バージョンアップしないと
いけないことが分かる。ウイルスバスター2012のCDの箱にも
手引書にもそのことが書かれていない。
店員にパソコンのバージョンアップの仕方を教えてもらう。
こうしたことは、ものを売った業者の最低に使命だと
思った。

その足で新宿へ。17年間続けて「子どもの家」への支援を
続けて来て来てくれているUさんと中学以来の同級生のNさん
と懇談。

夕方前帰宅。

20数通のメール受信。

19日から行く北海道での講演会の準備をする。

投稿者 koyama : 09:15 | コメント (0)

2011年10月11日

自宅へ戻る

快晴

10月9日の母親の49日法要・納骨式が終わり、
親戚の皆さんと池袋のホテルに泊まり、しばしの
交流を行った。

今日、昼前、最後の親戚も帰り、私も自宅へ戻る。

4日間の子ども・孫・親戚との付き合いであった。

これで亡母の一連の諸行事が終わり、また
ベトナムのストリートチルドレン、ベトナム事務所
関連の仕事に戻ることになる。

9月末から今日までの活動はかなりきついものだった。


今日発売の「週刊朝日」の7ページ目のグラビアに
福島原発問題で政府の取り組みの甘さを厳しく
批判する愚息の記事と写真が掲載されていた。
本屋での立ち読みをお薦めする。

投稿者 koyama : 16:58 | コメント (0)

2011年10月10日

孫と1日遊ぶ

快晴

昨日の「49日法要」「納骨式」には長男一家・次男一家が
結集。

昨夜は池袋のホテルに泊まる。

今日は、長男・次男一家と「サンシャイン水族館」を視察学習



午後12時過ぎ、サンシャインで昼食。


昼食後、近くの公園で孫たちと遊ぶ。
旺盛なエネルギーに圧倒される。


投稿者 koyama : 17:31 | コメント (0)

2011年10月09日

母「49日法要」「納骨式」

快晴

午前10時、菩提寺へ。母の「49日法要」を行う。
デジカメを忘れたので、携帯電話で撮る。
慣れていないのでうまく取れない。

午前10時半「49日法要」。
本堂で読経。焼香。

参加者20人弱。その足で墓地に入り、我が家の墓石の
石の蓋をあける。中には、3つの骨壷(父・兄・弟)が入って
いた。



和尚さんが読経する中、納骨が行われる。

焼香と納骨読経


午前11時半から精進落としの会食


49日法事と納骨を終える。この墓には、まだ数十の遺骨
がはいるそうだ。


関越自動車道は3連休のため「大渋滞」。


投稿者 koyama : 16:52 | コメント (0)

2011年10月08日

明日の母「49日法要」「納骨式」の準備

快晴

明日の亡母の「49日法要」「納骨式」に出席する
親戚の出迎え。

関係者と打ち合わせ。

投稿者 koyama : 15:23 | コメント (0)

2011年10月07日

歯科医院へ

晴れ

午前9時半、徒歩15分の歯科医院へ。10数年通っている。

30分程待ち、診療。

右下奥歯の「違和感」の解消と歯全体のチェック、歯垢除去を
依頼する。

歯のレントゲンを撮る。(右奥歯だけの部分撮影)


レントゲン撮影の結果、虫歯ではなく、歯のかみ合わせいの
調整問題とのこと。


左右の奥歯のかみ合わせの調整をする。軽く歯を削る。

その後、歯垢の除去。

1本1本の歯の「歯垢ポケット」の深さを測る。1~3ミリ
までは問題ないとのこと。全て歯の歯垢ポケットの
深さが1ミリ~2ミリ以内だった。
「良く歯垢除去のブラッシングをしていますね」と
言われる。

母親が歯槽膿漏で全ての歯を失い、総入れ歯
という実情をしっていたので、数十年前から
歯垢除去のためのブラッシングを歯科医から
教えてもらい、3食後実施している。
ブラッシングと歯間ブラシの併用でかなりの
割合で歯垢を除去できるが、最終的には
半年に1回程度、専門医による機械での
除去を行ってきた。


その語、巣鴨、池袋の本屋へ。
4冊ほど、本を買う。

その中の1冊
「新・堕落論ー我欲と天罰」(石原慎太郎著:新潮社)

3・11後に慎太郎が書いた一種の「日本人論」のような
もの。

大江健三郎と並行して石原本を読む。

現状認識で一致する部分はあるが、馬鹿で堕落した戦後の
日本人という超「上から目線」の人間であることが最大の
欠点。
多数のメール受信。

夜、8時、ベトナム・日本戦のサッカー練習試合を
見る。


FIFAランキングでは、日本は世界ランキング15位、ベトナムは
130位。ベトナムは健闘していた。

投稿者 koyama : 19:54 | コメント (0)

2011年10月06日

自宅で仕事

朝、寒いが日中気温が上がる。

午前10時から2時間程、高島平団地の
商店街まで散歩。往復2時間。


バオミンさんとメールで連絡。

午後3時、バオミンさんと電話で意思統一。

メール受信15通。送信10通。

右奥歯が痛い。

終日、その他の仕事。

投稿者 koyama : 19:38 | コメント (0)

2011年10月05日

終日雨

朝から雨。非常に寒い。風邪をひく危険あり。

1日、寝ながら本を読む。

メール受信、送信。バオミンさん・・・・・・。

いつも帰国すると「糠みそ」を作っていたが、今回は静大留学生
の引率、家族との旅行で、2日前まで家にいなかった。

直ぐに母の49日・納骨式、北海道行きなどがあり、
糠漬けの管理が出来ない。簡単な糠漬けを考え実行する。

プレーンヨーグルトを買い、きゅうりとニンジンを入れる。

今日で3日目だが、キュウリは大体つかる。人参は
3分の1程度。寒くなったのこの時期は5日間ほど
漬かるのにかかる。


大体、4日から5日で野菜が漬かることがわかった。
今日は「昆布」「煮干し」「塩」を入れてみる。

ヨーグルトの糠漬けは、手が臭くならなのが一番良い。
90%程度の満足度。


読書「ナチスの発明」(武田知弘著:彩図社)

ヒトラーが行った様々な蛮行(ホロコースト)、ファシズム
などは絶対に容認できない。
しかし、ヒトラー・ファシストがどんな時代に状況の中で
何をしたのか?

本書はファシズムなどの部分ではなく、科学分野、
大衆掌握術などでの「卓越」したヒトラーの業績を
辿っている。


今日、私たちが到達した科学の到達点の主なものは
ヒトラーがその基礎を作った。その意図が不純なもので
あれ・・・・。

電子顕微鏡。高速道路、1930年代のベルリンオリンピック
では『テレビ』中継を行っている。
ジェット機の発明、宇宙開発。オリンピックの聖火リレー。
給料天引きの「源泉徴収」、扶養控除、少子化対策。

ミサイルと原爆。石炭か石油を作る。人絹・スフは
その成果。テレビ電話。テープレコーダー。
ヘリコプター。IBMのコンピュータ。リニア・モーターカー。
労働者のバカンス、海外旅行。

「読む人間」(大江健三郎著:集英社文庫)

投稿者 koyama : 17:10 | コメント (0)

2011年10月04日

板橋区役所へ

午前中暑い。午後寒い

午前9時、家を出て徒歩で板橋区役所へ。1時間半。
午前10時半、板橋区役所到着。

ベトナムにいて「奥歯」が痛くなっていた。栃木の佐藤先生が
持って来てくれた薬を使い「だまし、だまし」ベトナムにいた。
日本へ帰国し、昨日やっと自宅へ帰れた。
歯科医院に行き処置をしてもらいたい。

9月30日で健康保険証の期限が切れていた。
板橋区役所で新しい健康保険証に交換してもらうために
板橋区役所へ行った。

国民保険課には、いくつかのセクションがあったが、
交付関係のセクションには15人程の人が待っている
状況。他のセクションは、1人か2人の待機数。

しばらく待つが、このまま待つと1時間半以上かかりそう。
このフロアーでは、国民健康保険証交付セクションだけが
異常に混雑していた。

周りのセクションの区役所職員を見ると雑誌を読んでいたり
と手が空いていることが「ミエミエ」の職員がかなりいる。

この際、待機している皆さんの代表として「一言」
言わなければならないと自覚し、担当者へ。
国民年金担当の責任者と話をしたいと。

係長が出てくる。「あなたは、国民年金担当の問題に
ついて、決断・決定出来る立場ですか?」と聞く。
係長は組合にもは入れる立場。ということは、管理職
ではない。それなのに「決定権がある」などと区民に
平然と答える係長の傲慢な態度に「多少切れる」。
「あなたが決定権があるというのであれば、聞きたい。
国民健康保険証をもらうのに1時間半も待つなど
異常でょう?  あなたの決定権で直ぐに暇そうな
スタッフなどに窓口対応をさせて欲しい。私は、あなたが
決定権を持っているとは思っていないが、決定権があると
自ら言うのであれば、急いで、人員配置をし、長時間
待させないように対策を講じて欲しい」。

「すみません。私は、係長なので決定権はないです」。
「だから私が言ったでしょう。係長は管理職ではないの
だから、決定権を持っていないと。このフロアーの責任者が
誰ですか?」
「課長です」。

「それでは課長を呼んで欲しい」。

課長が来る。「9月30日に健康保険証が切れるのは、
私だけではないと思う。」

「そうなんですよ。3日ほど前からたくさんの人が
その一つの窓口に殺到しているんですよ」と課長。

何を考えている課長さんなのだろうと呆れる。

9月30日に保険証が切れるのだから、その前後には、
人が集中のは、どんな「馬鹿」でも分かるはず。
既に数日間、多数の区民が「発行窓口」に殺到している
のである。

それなら、当然、区役所で相談し、この数日間の「殺到期間中」
だけの態勢を作るのが、当たり前。

課長さんに「日本国憲法に公務員は何だと書いてありますか?」
と聞く。「うーん」。

「全体の奉仕者とありますね。公僕ですね。ということは
国民に奉仕する立場ではないですか?」

課長でも埒があかず部長を呼んでもらう。

国民健康保険証ももらうだけで1時間半またなければならない
ことに何ら疑問をもっていない。

親方日の日ノ丸の実態である。野田首相がたった10分程度の
パフォーマンスで朝霞の国家公務員宿舎建設の凍結を指示した。
自分が仕分けの凍結を解除し、また凍結するなど「漫画以外」の
何物でもないが、このままいけば、「公務員の横暴」「親方日の丸」
という国民の批判が高まると判断したのだ。政治的な臭覚。

板橋区役所の国民年金の係長・課長・部長は、全く「危機感」
を持ってない。幸せな人たちである。

帰宅。徒歩1時間半。

終日、資料整理。

投稿者 koyama : 18:47 | コメント (0)

2011年10月03日

息子家族と過ごす

9月28日夜、静大留学生を浜松へ送る。

9月29日から今日まで5日間、息子家族と過ごす。
飲みすぎと楽しい疲労。栃木県鬼怒川等へ行く。

明日から4日間、自宅で仕事の予定。

投稿者 koyama : 18:52 | コメント (0)