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2011年10月30日

奈良「正倉院展(第63回)」を参観

京都市・奈良市は雨

午前8時、京都駅前の喫茶店で伊勢市の住職さんと
ベトナム支援のことで懇談。

その後、JRで奈良駅へ。

以前から一度参観してみたいと思っていた「正倉院展」。

この数年奈良市に来ているのだが、二週間しか開催しない
「正倉院展」に日程が合わなかった。

10月29日から11月14日まで開催。

今回の正倉院展参観の目的は第1に全体の様子を知る。
第2に蘭奢待(らんじゃたい)を見ること。63回目。東京の
国立博物館で3回行われているので合計すると66回目

JR奈良駅から徒歩30分。東大寺の前にある
奈良国立博物館で開催。 

奈良駅で切符を売っていたが、「待ち時間50分」と書いてあった。

正倉院には9000件ほどの品々があるそうだが、今回は
62点が出陳されてる。

蘭奢待(らんじゃたい)は14年ぶりに出陳された。
正式名称は「黄熟香(おうじゅくこう)。
伝説的に有名な香木。足利義政の本を読んだ時に出ていた歴史的な香木。


蘭奢待という俗称を使っているのは「蘭」には「東大寺」の『東』が
「奢」には『大』が「待」には『寺』がつまり「蘭奢待(らんじゃたい)」には
隠されて『東大寺』という文字が入っているのである。

長さ156センチ 重さ11、6キロ という大きな香木である。

2世紀から17世紀までベトナムの中部を支配していた「チャンパ」
王国から中国へ輸出され、8世紀、中国から日本へきたとの
説がある。グエン王朝(フエ)には、香木担当の部署があったという。

1300年程前にフエから日本に送られたかも知れない
蘭奢待(らんじゃたい)を切り取って「火にくべた」人が
3人いるという。
足利義政、織田信長、明治天皇。

蘭奢待(らんじゃたい)には、3人が切り取った香木の
場所が記されている。横幅10センチ、長さ15センチほど。
想像以上に大量の香木を燃やしている。

ものの本によると実際には「80箇所」程度の切り傷の
あとがあるという。東大寺の関係者、権力者が香木を
薫いた(たいた)ことがうかがえる。

正倉院展の全体的な感想は  
① 保存が非常に良いこと
② 聖武天皇時代の「造作」が非常に精巧なこと
③ 西暦700年代に戸籍が確立してたこと
④ 今日、私たちの行動の規範になっていることが
既に1300年前に行われていたこと。 
 物を置く時に台の上に「敷物」を敷いていること・・・・・・
⑤ 当時の細かい資料、文章が残っていること


日本政府の文化行政の貧困を改めて感じた。
正倉院展の各所で「正倉院展グッズあ」の販売
行われていた。個人的には、この種の売店が
出ることで「がっかり・げんなり」する。
せっかく天平の世界に一時的にでも浸っていたのだが、
行く先々で「正倉院グッズ』販売。金・金、金儲けの
世界が待ち受けていた。奈良国立博物館を責める
訳にはいかない。多分、予算が相当削られいるのだろう。

こんなに祈念グッズ売り場が、会場に林立していては、
正倉院展も台無しだ。もったいない。


私たちの祖先がものごとを精巧に緻密に作る
作風が1300年前には既に確立されていることが
分かる。

 愛国心を「煽り」「義務付ける」人たちがいる。
この種の人たちは「正倉院の御物」の意味と
その価値、保存については、無関心である。
「大東亜戦争」「従軍慰安婦はなかった」「日本は
亜細亜解放のために闘った」などといっているが
「正倉院展グッズ」を売らなければならない現実を
知らなければならない。



正倉院展には、蘭奢待についての読売新聞の
特集が展示されいた。

フエが中心に報道されていた。












投稿者 koyama : 2011年10月30日 18:01

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