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2011年11月30日

風邪を引き寝込む

朝から雨  寒い

昼から晴天。暑い。 連日気温の変動が大きい。


午前6時起床。頭痛と悪寒。喉痛。風邪の症状。
口内炎 2つ。

午前7時、朝食。「ブンボー」(脂が多い)食欲なし。
何とか無理をして3分の2食す。


体がだるく、仕事をする気力が出ない。

こうした時は、寝ているのが最大の治療法と考え、
終日、横になっていた。

午前11時半昼食。「マカロニスープ」

午後も寝ている。

メールがかなり多量に入っている。
必要なメールに返事を出す。

発熱。37度5分。多少熱があるので、だるく、食欲がないのだ。

11月10日、フエに戻り、20日間。とにかく忙しかった。
毎日、多量の文章を書き、色々なことをした。

休養が必要。

結局、1日中寝ていたが、必要な仕事は
せざるを得ない。

今日は1日、食事のセンさんと「風邪を引いて
食事が出来ない」と一言、二言話しただけ。

投稿者 koyama : 17:49 | コメント (0)

2011年11月29日

午前中「子どもの家」へ:午後、大学卒業予定者と懇談

曇り時々晴れ。一時、30度を越す。日本で言えば「真夏」。

午前7時、朝食。「小豆入りのおかゆ」と「人参・キャベツ」の温野菜
小魚の甘辛煮(味が強い:3分の1食す)


午前中、メール受信。送信。当面するいくつかの問題について
計画と進め方の手順を整理する。

筋トレ。


午前11時、宿舎を電動バイクで出て、「子どもの家」へ。

「子どもの家」のT君へ里親のUさんから誕生祝いが送られて来た。
T君に里親Uさんからの誕生カードと祝い品(小型双眼鏡)を
渡す。T君から里親のUさんへの手紙を預かる。

午前11時半から「子どもの家」では昼食。41人のこどもたち
なので割合い、こじんまりとしている。
一昔前のように「一癖も二癖」もあるようなこどもたちは
ほとんどいなくなった。41人のこどもたちのうち9人が大学に
行っているという「高学歴」「子どもの家」となった。
大人しく、真面目に食事をしている。


午後12時過ぎ、電動バイクで宿舎へ帰る。既に料理のセンさんが
昼食を作り、帰っている。

野菜サラダ、イカとトマトの煮物、野菜と肉団子のスープ、ご飯
野菜サラダは全て食べ、ご飯とイカは半分しか食べられなかった。
肉団子スープは野菜と肉団子を食べ、スープは残す。
料理のセンさんの味付けが濃い。特にスープは多量の塩を
使っている。この数週間、塩味のものを出来るだけ制限してみた。
朝、計る「血圧」が確かに下がっている。塩と血圧が直結している
ことが分かる。

食後、30分ほど昼寝。

午後2時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

今日は2012年6月頃大学を卒業予定の「子どもの家」の
こどもたちを呼んで、「進路指導」を行った。

フエ医科大学6年生のフオンさんは、実習で地域の
医療センターに行っているので今日は欠席。後日、面接を
行う。

今日の面接の目的は

①「子どもの家」のめざしている「自立」の最終局面であり
  人生の進路に大きな影響を与える「就職」を考えてもらう。
②自分の進路は自分で考える。私たちはその手助けをする。
③遠い将来の話ではなく、来年には具体的に就職先を決めなければ
  ならない。具体的な進路を「一人一人」と話し、こどもたちに
 考えさせる。


こどもたちに取っては、人生で初めての経験である「就職」。
将来を見通して、決めてもらいたいと願っている。
とかく、最近のベトナムは、全てが「お金」に帰結する傾向が
ある。お金だけでなく、一生の「生きがいとしての仕事」
も考えなければならない。

今日は、バオミンさんがポルトガルに行っているので
私とハンさんで「一人一人のこどもたち」と話し合う。
結論は出さないことにしている。


●Nさんは、フエ師範大学教育学部小学校課程4年に在学。
 2012年6月に卒業予定とのこと。
 家族状況は父親が1999年のフエ大洪水で亡くなり、
 母親と妹の3人が残される。母親は、フエ郊外の純農村に
 住み、合作社(日本の農協のようなもの)に勤務。収入が少なく
 子どもの生活の面倒が見られない。
  10年近く前に妹が「子どもの家」へ入所。その後、
 姉のNさんも入所。妹はフエ省立高校の難関校である
 「グエンフエ高校」へ通っている。
 Nさんの希望は小学校の先生になりたとのこと。
  「どこの小学校で仕事をしたい?」と聞いてみる。
 母親が住んでいる生家の近くの小学校で働きたい、
 母親と一緒に暮らしたいとのこと。

ーー
Tさん。姉はソン君と結婚し、フエ市人民委員会外務部に勤務。
Tさんはフエ師範大学化学学科4年に在学中。
2012年6月に卒業予定とのこと。卒業後は、フエ省立高校の
化学の先生になりたいとのこと。


ーー
遅れてきたBさん

フエ高等医療学校看護科に在学中。
2012年9月卒業予定。
卒業後は、外科の看護婦になりたいとのこと。

===========
3人の進路希望を聞き、色々と話し合う。

今日の話し合いは第1回目。こどもたちが自分の
進路を自分の問題として、具体的に考えていることに
安心する。何とか、希望の就職先に勤務できるといいのだが・・・・。

2時間ほど話し合う。

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午後7時半(日本時間午後9時半)。
NHK総合テレビのニュースを見ていた。
福島市近くの農家の米から基準値を上回るセシウムが
検出されたとHNKのニュースは報道していた。
ボーッと見ていると見たような顔が出てきた。愚息である。
彼は、以前から「全農地の汚染マップ」を作るべきだと主張していた。
文部科学省や福島県の汚染調査は、一分の地域だけを検査する
「サンプル調査」。これでは、ホットスポットはわからない。
福島県は、サンプル調査を行い、「福島県の米は安全だ」との
ニセ安全宣言を行っていた。しかし、福島県の米から基準値を超える
米が検出されている。
こうした状況で、全農地の汚染マップを作るべきだ、国や県が
作らないのなら、自分たちで作ろうという活動を行っている。
今日のNHK総合テレビのニュースは、こうした活動を報道していた。
真っ当な活動ではある。国や県など「お偉いさん」の言うこと、
やることは、信用出来ないということが3・11以降、一層
明らかになっている。

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田中聡沖縄防衛局長が、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の
名護市辺野古への移設計画に向けた環境影響評価の評価書の
提出時期を政府が明言していないことをめぐり
「犯す前に、犯しますよと言いますか」と女性への乱暴に例える
発言をしていたことがわかったかった。

沖縄防衛局は防衛省の「沖縄支店」のようなもの。
田中局長は、言って見れば、「防衛省」の沖縄支店長。

そもそも田中局長の上司である一川保夫防衛相自身が
「私は安全保障の素人だが、それが本当のシビリアンコントロール
(文民統制)だ」と述べて顰蹙(ひんしゅく)を買っている。
また、「宮中行事より、私にはこちらの方が大事だ」と言って、
ブータン国王夫妻歓迎の宮中晩餐会を欠席し、民主党同僚議員の
パーティーに出席していた一川保夫防衛相である。
「親分が親分なら子分も子分である」。
こんな連中に武器を持たせている日本人の不幸の
根源はここにある。空恐ろしいことである。

同時に田中聡沖縄防衛局長の呼びかけに答えて
「防衛省記者クラブ的」9社(10人)の記者が田中局長と飲み会
をしている。日本の腐ったマスコミの実態である。
そもそも「全てのことを批判する」マスコミが、権力の核心
である「武力行使」の沖縄責任者と一緒にお酒を飲むという
こと自体が、異常なわが日本国である。
田中局長が「暴言を吐いた」ことは、許されないことであるが、
この種の発言が8社の馴れ合いマスコミとの飲み会で出た
ということは、つね日ごろ「田中局長」と「マスコミ」の馴れ合い
宴会があり、田中局長は「いつもの雰囲気で仲間の
新聞記者である8社記者クラブ的な宴会」で発言してしまった
ということである。
田中局長の宴会での発言を暴露したことを「とくダネ」と
報道している大手マスコミ自体も「恥を知れ」と言いたい。
あなた方は、いつもこんな調子で「批判・監視すべき対象」
である権力者と宴会をしているのだ。監視する相手と
宴会をしていて本当の批判は出来ない。

参加マスコの中でこの暴言を新聞に掲載したのは
「琉球新報」のみ。他の新聞記者も聞いていたはずだが
琉球新報以外は、報道しなかった。

在京マスコミは、田中局長の「暴言」を聞いていながら、
馴れ合い体質で翌日の新聞報道をしなかった。
沖縄の琉球新報が報道したので、慌てて在京マスコミは
報道をし始めた。

田中局長を批判する刀でマスコミは、自分自身をも
切らなければならない。田中局長は馬鹿ではない。
「いつもの宴会の調子でしゃべったら急に批判しやがって」
との気持ちを持っている。
そもそも、マスコミ(ジャーナリストとは言えない連中)
がこの種の人間と宴会などしてはいけない。
宴会をしていれば、馴れ合いになり記者会見で
厳しい批判の質問などできるわけがない。


田中局長の暴言を批判する大手マスコミに対し
田中批判と同時に大手在京マスコミをも批判したい。
権力との馴れ合いである「記者クラブ制度」を直ちに
止めるべきである。オープンな記者会見を組織すべきだ。
全ての権力者との記者会見は「誰でも参加できる」
ものにしなければならない。大マスコミの記者だけの「占有物」
ではないのだ。


一川保夫防衛相は田中局長を「不適切な発言」で更迭するという。
その前に一川保夫防衛相、自分自身を「罷免」したらどうだろうか?
自分は「不適切な発言」はしていないのか?

政治は意見の違いがあって成立するものだ。
意見の違いは当然だが、一川保夫防衛相も
田中局長も「意見の違い」問題ではなく「品性」の問題である。

投稿者 koyama : 18:09 | コメント (0)

2011年11月28日

ベトナム事務所・「子どもの家」へ

終日快晴  気温30度

今年の冬は、異常気象。例年だと「防寒服」を着て、湯たんぽを
使っているのだが・・・・・・。

午前7時、朝食。ブンボー(牛肉入りの米麺)


午前9時、ベトナム事務所へ。11月26日(土)午後ベトナム事務所
を訪問された婦人民主クラブの方々から寄金と折り紙、クレヨンを
頂く。当日、私はベトナム事務所には不在。
富岡先生が応対してくれた。26日(午後)富岡先生から電話が
あったので、急いでベトナム事務所へ行くが途中で、「飛行機の
時間がないので・・」とのことでお会いし、お礼ができなかった。

ベトナム事務所の皆さんは、いつもの通り「粛々と」仕事に
励んでいた。

ハンさんと打ち合わせ。
里親の上原さんから里子のティン(THINH)君に誕生祝いが
送られてきた。「子どもの家」に誕生祝いを届けてもらいたいとの
依頼。誕生祝いのカードと双眼鏡を預かる。

午前11時半、昼食。「チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)


水害で充電器と電動自転車が冠水してしまった。
11月10日にフエへ戻ってからは1度も使っていない。
動くものなのかどうか? 調べてみようとしたが、泥で
汚れ切っている。泥を落とし、掃除をする。充電器は
泥だらけ。使えるのか? これもきれいに泥を落とし
通電してみる。何とか通電している証拠の電気がつく。

急いで電動バイクを充電する。3時間ほどで充電完了。

午後12時から1時間半、昼寝。

いくつかのお礼状や支援者への手紙を書く。

多数のメール受信。送信。


午後4時半、電動バイクで「子どもの家」へ。

上原さんの里子「THINH ティン」君に誕生祝をいを渡す予定で
「子どもの家」へ電動バイクで行く。20分。

ティン君は中学生。まだ、学校から帰って来ていなかった。

「子どもの家」の庭ではこどもたちが、はだしでサッカーを
して遊んでいたい。
以前、日本の若者が「真似をして」『はだし」でサッカーを
したら5分で足の裏の皮がむけてしまったことがある。


ターオさんもサッカーに参加。ゴールキーパーとして活躍。
「子どもの家」入所の頃(5歳位か)は、かなり重篤な心臓病
だった。


小学校に入学し、心臓病の手術をした。里親のNさんの支援で
今日まで10数年。今ではサッカーをして楽しむことができるよう
なった。妹も入所している。「子どもの家」の存在意義は
こんなところにあるように思われる。
「人を育てること」。JASSが17年活動でたどり着いた地平は
こどもたちを育てること。自立させること、自活できる力を
つけることである。ターオさん、妹のチャウさんの健やかな
成長を祈る。

タン君。22歳になる。私が1993年9月1日、フエに来た。
10月に作った「チーラン子どもの家」に入所した子どもである。
山岳少数民族のこどもだった。
ベトナム語が出来ない、箸を使わず手で食事をする、廊下で
用を足す・・・・など所謂(いわゆる)ベトナム人の生活様式
とは違う生活をしてきたこどもだった。ベトナムの生活(正式
には主流民族「キン族・ベト族)の生活と文化に馴染めず、
吃音になってしまい、小学校5年生位まで女子の部屋で
女の子ど遊んでいた。今は22歳。研修を何種類変えたか?
現在は「素浪人」。研修にも行かず、「子どもの家」に『君臨』
している。


「子どもの家」スタッフ(寮母さん)のキム・アンさん(左端)


1993年10月作った「」チーラン子どもの家」の寮母さんから
18年間、私の活動に付き合ってくれている。一番古い
スタッフの一人である。ロック寮長、ニエム寮母さん、
ロアン刺繍の先生の4人が1993年10月から18年間、
私と付き合ってくれたベトナム人スタッフである。

刺繍みやげ物店の「ハンさん(左)」「ミンさん(右)」。

ハンさんが1993年10月の「チーラン子どもの家」に入所し
刺繍研修を始め、その後退所。現在、結婚し、2歳の女児が
いる。刺繍土産物店から刺繍の仕事をもらい「家」で子育てを
しながら、刺繍の仕事をしている。

ミンさんも「子どもの家」刺繍研修センターで刺繍を学び、
現在は結婚し、5歳と2歳の女児の母親。「子どもの家」
刺繍みやげ物店で仕事をしている。


現在30歳のA君。1995年に「子どもの家」へ入所。

少し知的障害がある。2006年、「子どもの家」を
退所。現在、トラック運転手の助手。荷物の運搬など
を行っている。「子どもの家」の卒業生は、卒業しても
良く、「子どもの家」に遊びに来る。A君も今日は遊びにし
きていた。
1時間半、「子どもの家」で上原さんの里子ティン君の
帰宅を待ったが帰ってこない。午後6時半になる。

また、明日にでも来ることを「夜勤の寮母さん」に
伝え帰宅。

投稿者 koyama : 17:30 | コメント (0)

2011年11月27日

終日宿舎で仕事

午前4時頃豪雨。豪雨で目覚める。
午前7時半 23度 湿度90%

午前7時起床。

朝食。センさんが昨日作って冷蔵庫に入れておいてくれた
「マカロニスープ」の半分を温めて食す。
朝食を摂るのは、心臓の薬を飲むため。

受信メールへ送信。

久しぶりに「ポルトガル」のバオミンさんからメール。
メールが出来ないのは、毎日ホテルのインターネット
の暗証番号がかわるそうだ。また、インターネット
接続1時間で8ドルも取られるとのこと。

会議の日程もきつそう。その後の「反省会」もかなりハードの
ようだ。12月4日帰国なので、関係者には緊急メールのみの
送信をお願いしたい。12月4日以降で間に合うメールは
送信を遠慮願いたい。5キロは痩せて帰ってくるか?
飲酒過多で増えて帰ってくるかは不明。

午前中は雨。

午前11時ころから晴天。なんという気候の変化だ。
これでは、東京板橋方面の某御方(ぼうおんかた)のご機嫌変化
と同じではないか。

午前11時半、ウオーキングへ。もちろん傘を持って。いつ雨が
降り出すか分からない。

宿舎から国立体育館を通って「ミニスーパーへ」
1階から2階にまでどんな品物があるかを参観。買いたい物は
何もない。

帰りも路上の店や様々な店を見て帰宅。徒歩で丁度1時間。

サッカー場の近くを歩いていると、前から3人乗りの無謀な
オートバイがやってくる。
前に女子が乗り「真ん中」の男性がオートバイを運転。
後ろにもう一人男性が乗っている。ヘルメットはかぶって
いない。「無謀な連中だ」「こいつらの親の顔が見たい。
多分、間抜けな顔をしているだろう」などと言う思いが一瞬頭を
過(よ)ぎった。
 よく見ると、ハンドルと運転している若い男性との間に
座っている若い女の子が、「顔をかくして」いる。訝(いぶか)しく
思い更によく見ると日本料理店のHさんだった。
『間抜けな顔』をしている親は私だった。
数日前に祖母のお墓を作ると言って400万ドンを貸してあげた。
その時、私とハンさんで「男性問題には気をつけるように」
と厳しく言っのだ。私の頭のほんの隅の方の1%程度は
400万ドンは本当にお墓つくりに使うのか?という素朴な
疑問があったのは事実である。

今日のオートバー3人乗り。しかも「ノーヘル」。日本で言えば
嘗て(かつて)の「暴走族風」の行動だ。若いから男女関係
に興味を持つのは自然の成り行きだが、どうしたものだろう?
「今後の推移を注意深く見守りたい」(典型的な官僚答弁=何も
しない、出来ないの「隠語)

リー君から「先生 誕生日おめでとう」という、メールがあった。
この間、何度もリー君からメールがあったが、一切無視している。

こどもたちを育てるということは、お金や物を与えることではない。

Hさんやリー君(現在私からすれば「家出中」)との付き合い方
が大事なのだ。何でも言いなりに聞いていても何の解決にも
ならない、厳しさが必要だが、同時に「最後まで面倒を見る」
「何があっても最後まで付き合う」というはらを据えなければ
ならない。こどもたちの「美味しい時」だけの支援は本当の
支援でないように思える。愛情と厳しきを持つことは
なかなか難しいが「嫌われても」厳しく接する時もある。
「こどもを育てる親」の役割りである。

二人との付き合い方は、それぞれ違う。Hさんは、一本の
糸でJASSと繋がっている。これは日本料理店での仕事である。
日本料理店での仕事は絶対に辞めさせてはならない。
その糸が切れることと彼女が「身を崩す」こととはほぼ道同義語に
近い。彼女は18歳(本人は19歳と言っているが真偽は不明)

リー君は既に24歳。目先のお金が入る仕事をしていては、
一生の人生を踏み違える。安定した金額の決まっている
一生できる仕事を見つけることだ。
日本料理店の接客係りは、日本料理店を辞めても
どこのレストランでも通用する。日本料理店での体験を
深め、決まった給料で一ヶ月を生活することを身に付け
なければならない。警察前に来るオートバイのお客から
日銭をもらう仕事は、収入の落差があり、警察に
辞めろといわれたらそれでお終いだ。

Hさんは、日本料理店で暴走しないようにしっかり
見守らないと、どこへ飛んで行くか分からない。
リー君は、今、人生の一番大事な時期にいるのだ。
正業に就き、決まった給料で生活する術を学ぶ
最後の機会である。この時期を失えば、一生、
フーテン生活。「フーテンのりーさん」になってしまう。
結婚も難しいだろう。女性の方では生活の安定という
ことは、結婚する場合の選択の一指標だ。

午後5時、「ベトナム風ほか弁」を買いに行く。
25000ドン(92円)。円高はこんなところにも大きな
影響を与えている。

午後6時からサッカー日本ーシリア戦を見る。
2-1 日本が試合終了数分前に大津の勝ち越しゴールで
勝利。日本がグループCの首位に立つ。

スポーツの中継に「解説」はいらない。
余計な話が多く、「うるさいだけ」。
実況中継の画像だけ見たい。音を消す。
================

テレビで元読売巨人軍の代表・GM清武氏の番組を見た。
真っ当なことを言っているように聞こえた。

その後、テレビ朝日などで清武問題をコメントする
番組があった。スポーツ紙3誌の「巨人担当記者」
が出演。3人とも清武の方が悪いと口をそろえて
言っていた。
番組コメンテーターも全員同様であった。

私の目には、清武問題は既に「決着した」とこれらの
人は思っているようだ。

巨人にたてつくと取材は出来ない、1000万部の大新聞の
会長・主筆に楯突けば「マスコミ業界で生きてはいけない」との
保身の臭いがプンプンとした。

清武氏の「今まで『鶴の一声』で、他球団の4番打者を
何人も引き抜き、1塁手が何人もいるという異常状態が
あった」「既に巨艦・巨砲主義は終わっている。
自分の球団の2軍・育成から選手を育てて行くことが大事だ」
などという主張は正当性のある主張である。

清武問題を見るとマスコミ(新聞・テレビ・・)は
引き続き「マスコミ原子力村」を形成し、『ご乱心の殿』
に諫言する忠臣を「原子力村民」で叩いているように
思えてならない。
今日(こんにち)、テレビ・新聞は「眉に唾をつけて」聞いたり読んだり
しなければならない。

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大阪市長選挙 橋下氏が当選。
残念なことである。ヒトラーと同じ、市民の耳当たりの良い
公務員攻撃と「大阪都構想という内容のない幻想」を振りまき、
民主主義を否定し、市場経済原理と命令と差別を学校に持ち込む
橋下氏の当選ではある。
大阪市民の選んだことは事実である。このツケは、同時に
大阪市民が支払い、更に日本全土に拡大していく可能性が
ある。何としても阻止したい。
政治に単純明快なものを持ち込むことは一番危険な手法である。
人間社会の森羅万象、全てが複雑な連関の中にある。
単純に割り切ることは出来ないのである。
それを単純に割り切ってしまう所に橋下氏の手法がある。
小泉の「構造改革の本命は郵政民営化」とのスローガンが
いかに「まやかし」かは、今では国民のレベルで体験的に
わかってきている。たくさんの非正規労働者の輩出。
年収200万円以下の国民が1000万人にのぼり、生活保護は
市役所などで「受付を事実上拒否する」「餓死する人間が大量に
出て」「無縁仏が年間32000人にもなる」社会ができてしまった。
提唱者の小泉氏は、何も責任を持たずにのうのうとしている。
民主主義は、主権者の責任も重い。最終的な責任は
主権者である市民である。橋下氏を選んだ大阪市民も
同時に責任があるのだ。

投稿者 koyama : 14:16 | コメント (0)

2011年11月26日

終日宿舎で仕事

午前6時 雨  気温23度 湿度90%
終日雨

午前7時朝食。「ブン・ボー」(牛肉入り米麺唐辛子入り)


バオミンさんがポルトガルへ行っている。
この際なのでポルトガル語から入った「外来語」を
調べてみた。以下のよう。

モール mogol

ボーロ bolo  
○ そばボーロのボーロらしい

ピン(ピンからキリまで) pinta 
○ 英語で言えば prime 最初の 最高の らしい point(点)という意味もあるらしい

キリ キリ」は「cruz(クルス 十字架)」から「十(十字架から転じて)」「最後のもの」「最低のもの」を指すという

パン pao

トタン tutanaga 
○ トタン屋根のトタン トタンとは鉄板を亜鉛メッキしたもので、ブリキは鉄板をスズメッキしたものという

チャルメラ charamela 
○ 屋台のラーメン屋さんでチャルメラを吹かせてもらったことがある 吹き口を観察してみたら、オーボエと同じ、リードを鳴らす木管楽器だった リードとは蘆のことで、蘆をスライスしたものを吹き口に固定して音を出す オーボエやサックスがこの系統の楽器

タバコ tabaco

シャボン sabao 
○ フランス語でもシャボンのはず

ザボン zamboa 
○ 長崎の果物・ザボンはここから来たのか

コンペートー(金米糖) confeito 

コップ kop 
○ コップは語感から、オランダ語かドイツ語から来たものだと思っていた

キリシタン Cristao  

カルメ焼き caramelo 
○ カルメラだな キャラメルもここから?

カルタ carta 
○ 文書の意味もあるはず

カッパ(合羽) capa 
○ 絵巻物で碧眼紅毛の異人さんがはしょっていた袖無し裾広の服が capa らしい


カステラ pao de Castella 
○ カステーリャ地方のパンという意味

ミイラ mirra 没薬(もつやく)という防腐剤の名 
○ 防腐剤の名前だったというのは実に意外 なお、ミイラは江戸時代に「薬」としてポルトガルから輸入され、粉末にして服用された


今日のニュースによると「ポルトガル」では
ゼネストが行われたとのこと。

『ポルトガルでは24日、労組の二つの全国組織、
ポルトガル労働総同盟(CGTP)と労働者総連合(UGT)の呼び掛けで、
公務員手当などの削減を盛り込んだ2012年の緊縮予算案に反対する
24時間のゼネストが行われました。

航空機はほぼ全便キャンセル。首都リスボンの地下鉄、
フェリーもほとんど運休となり、通勤時間は自家用車で渋滞となりました。
郵便局も営業停止、学校も休校となり、多くの病院も救急対応だけ
としました。

 リスボンでは数千人がデモ行進。政府の緊縮政策に苦しむ
「スペイン、ギリシャ、アイルランド(の労働者)とともにたたかおう」
「銀行家に払わせよ」と声を上げました。
来週、国会での採決が予定されている予算案は、
公務員の給与・手当を10年比で25%削減する計画です。』

ーー
バオミンさん一行は、ゼネストの中、お店は閉店、学校、フェリーは
止まるなど通常の生活が出来ないポルトガル社会で「右往左往」
しているのだろう。とにかくポルトガルの食事が出来ないとの
ことのようだ。


受信メールへ返信

朝食後、腹痛と下痢を繰り返す。

午前9時半から2時間ほど「無計画停電」。
困ったものだ。突然の停電は、今日の仕事の計画を
台無しにしてしまう。

ハンさんと電話で打ち合わせ

午前11時半昼食 「魚入り春雨麺」

午後12時過ぎから1時間昼寝。

午後も12月1月2月にかけての諸活動の計画・シュミレーション。

午後4時過ぎ、次男の家族から電話。入院していた孫が
今日退院したとのこと。私の誕生祝いを言いたいと
電話にでた。「HAPPY BIRTHDAY 」の歌を歌ってくれる。
なかなかしっかりしてきた。

午後5時過ぎ、ベトナム事務所の富岡先生から電話。

午後9時過ぎ、豪雨。

今年の雨季は例年とかなり違う。30度の晴天もあれば
豪雨もある。冬と夏が交互に来ている。異常気象。


投稿者 koyama : 10:11 | コメント (0)

2011年11月25日

ブライセン給料日

午前2時頃大豪雨。激しい雨音で目が覚める。
その後眠れず、ポルトガルにいるバオミンさんにツアー関連の
緊急メールを送る。
今日は終日雨。

午前6時起床。 気温28度 湿度90%。 蒸し暑い。気分悪し。

午前7時朝食  フォー・ガー(鶏肉入りのフォー)

多数のメール受信。返信。

午前9時、雨中、徒歩でベトナム事務所へ。

今日はブライセンベトナム支社の月給日。
現在、社員は10名。
今日はベトナム支社員は3箇所にいた。

「子どもの家」の生徒会長だったチュン君


日本語教育中級組は原田先生の授業(日本料理店)

初級の皆さんはベトナム事務所3階のB室。

中級の残りスタッフは、A室にて。

ブライセン支社員の訪日ビザをハノイに大使館に出しに
行ってもらう。

午前11時半、昼食。豚肉団子入りおじや。

午前2時半から起きているので眠い。
2時間ほど昼寝。


午後は、ブライセンビザ問題で費やす。

午後4時半。ベトナム事務所でブライセン支社の
VU君と懇談。ビザ取得の件。
1日かけて何とか問題を解決する。VU君にも協力してもらう。


日本料理店では「子どもの家」のこどもたち4人が頑張って
準備をしていた。


段々お客さんの多くなる時期に入ってきた。
12月は欧米系のお客さんが多い時期だ。

栃木の会の佐藤さんの敷物、火炎樹の会(茨城の会)の
箸袋をグエットさんが使い、テーブルに置く。
新しい敷物と新しい箸袋がマッチし、気分が良い。

3・11福島原発・東日本震災の激励サイン。
3月から既に7枚の大きな紙に寄せ書きが書かれている。

主に日本料理店の欧米系のお客さんが多い。

ニュージランド・オーストラリアのお客さん

午後5時半。こどもたちと原田先生・富岡先生と夕食。

古賀先生は日本語学校。
フダ生ビールが壊れて調子が悪くなった。
冷えなくなった。それから2週間。温かい『生ビール』は
美味しくない。飲んでいなかった。

今日、グエットさんに「生ビールはどうですか?」と聞いたら
「直っています」という。それではと、冷たいフダ生ビールを飲む。

冷たくなくて「美味しくない」。

小グラス1杯を飲んで帰宅。これから何年生きられるか
分からない。美味しくないビールを飲むのは「人生を捨てる」
ようなもの。もったいない。

夕方から雨足が激しくなる。

巨人清武問題について、マスコミの主流は「巨人軍の内紛」
と描いている。一部のマスコミは「清武の出世主義」などと
報道している。私は清武氏を強く支持する。
今回の問題で主な巨人軍の人間の動きを見ると
清武氏と一緒に行動した桃井氏は途中で態度を翻し、
ナベツネの軍門に下った。
長島も原も「強い者に巻かれろ」という体制順応の姿勢である。
清武氏は、自らの人生と生活をかけて、ナベツネの横暴に
「諫言」した忠臣である。

ナベツネが日本の最大のマスコミを握っていながら、
『民主・自民』大連合の仲介をするなど、おそよ
マスコミ、ジャーナリズムとは異質な行動をしている。
日本のマスコミの退廃は、こうした読売新聞・ナベツネの
ジャーナリズムの精神に反する「政治行動」に対して
厳しい批判が出来ない、根性のないマスコミに堕して
いるのである。
清武氏はそうしたナベツネの横暴に「諫言」を呈したことは
正当であり、真っ当な精神である。

テレビ・新聞が「巨人軍の内紛」と「高見の見物」を決め込んで
いること自体、逃げのマスコミと言われても仕方がない。
私は清武氏がどんな人間かは知らない。
しかし、彼の行動の意図は、正当な正義感から発したものと
確信している。

私は小学校の頃からの阪神フアンであり、巨人は一番嫌いな
球団だった。「札束で選手のほっぺを叩く」金権球団。
今日のプロ野球の衰退を招いた主因は巨人軍と言える。
正力遺訓に「巨人軍は紳士たれ」というのがあるが、ナベツネ
を見ていて「紳士」と感じる人がいるのだろうか?
「老人ヤクザ」としか思えない。こうしたナベツネを批判出来ない
日本のマスコミの腑抜けな姿勢こそ非難されるべきものである。

ラオス「ラム酒」が段々効いてきた。これ以上書くと品性が問われる。
ラオディーのラム酒は本当に美味しい。

 

投稿者 koyama : 13:03 | コメント (0)

2011年11月24日

終日多量の書類作成

午前中快晴 午後から夜 雨。

朝起きて直ぐの血圧を測るよう医師に指示されている。
2000年から11年間、毎朝、計測している。

フエに帰り2週間経った。
この25年間「血圧降下剤」を毎日飲んでいる。
血圧の調整をしている。
血圧は、環境と行動の変化などで随分変わることが
分かる。

10月10日の夜フエに帰国した。
環境が大きく変わった。血圧も異常に高くなった。
段々時間が過ぎてフエの生活に慣れてくると
血圧も安定してくる。


2011年11月(朝6時半の血圧 左は上の血圧、右は下)
上130 下80 を目安にしている。

12日(土)148:93
13日(日)141:90
14日(月)143:80
15日(火)148:84
16日(水)144:89
17日(木)152:92
18日(金)139:79
19日(土)127:76 
20日(日)131:83
21日(月)120:75
22日(火)123:83
23日(水)135:86
24日(木)120:75


体のかなりの場所で「皮膚内出血」。
多分、血液凝固を阻止する薬(血液を溶かす薬)を飲んでいるので
出血しているのだろう。

午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
最近、食事の種類がかなり限定してきた。野菜をたくさんという
注文は良く聞いてくれているが、数日を1パターンにして
同じ食事しか出ない。食事に不満はないが、栄養が偏っている
ことと、食事量が多い(最低3分の2にして欲しい。何度も
食事量を減らしてとお願いしているのだが・・・。)
残すと申し訳ないので、相当頑張って食している。温野菜は
ありがたい。

岩波書店月刊誌「世界 12月号」は、世界の経済がどうなっている
のか?の総合的な特集。ウオールストリートへの「99%」運動、
ギリシャの財政破綻を含む、EUの実態、そして何よりも
アメリカ資本主義の敗退の現実を歴史的、世界的な状況の中で
分析している。アメリカでは5つの銀行資本がアメリカの資本を
牛耳っている。
また、沖縄問題の特集も一読の価値有。
1冊800円だが、文庫本数冊分の価値はある。
勉強になった。

午前9時過ぎ、徒歩30分。床屋へ行く。途中、前のフエ省知事
メーさんと会う。『奥さんの病気はどうですか?』など英語で話して
来る。1993年私がフエ師範大学で日本語を教え始めた頃は
フエ省副知事。その前はフエ市長。
頻繁に、私の部屋へ来て、日本のことなどを聞きに来た。
その後、日本語を勉強したいとのことで、松下先生などが
教えたものだ。知事を辞めたあとは、普通のおじさんの
ようである。
床屋へ行くとフエ省副知事のホアさんが待っていた。
数年前、バオミンさんとホアさん(当時、フエ省労働局長)
と3人で四国香川県に行った。
今日は、フエ省の「お偉いさん」に偶然会う日なのだろうか?
30分程度の散髪時間。2ヶ月ほど散髪していなかった。
3万ドン(180円)。これは外国人値段だ。

床屋からの帰り、ハンさんから電話あり。
宿舎への帰途、急いでベトナム事務所へ。

ハンさんといくつかの問題を協議。

里親への手紙。来年の6月から8月に大学を卒業する
4人の「子どもの家」のこどもたちの卒業後の「身の振り方」
をどうするのか? 来週、4人を呼び、各自の希望を聞く。
希望が未定の場合は、時間をかけて考えるように。

4人は
・フエ師範大教育学部卒業予定(小学校の先生になるのか?)
・フエ医科大卒業予定(どこに就職したいのか?)
・フエ師範大化学科卒業予定(就職先)姉はフエ市外務部員
・フエ高等医療大学(どこに就職したいのか?)

4人の希望を聞いて、早めにベトナム事務所で
「就活」をしてやらなければならない。
私たちの持っている「ネットーワーク」を使って、何とか
全員、来年の希望先就職実現を目指したい。

午前11時半昼食。生野菜・魚のフライ・海老と空芯菜の
スープ。


午後12時から午後1時まで昼寝。


午後1時から午後8時まで何種類かの書類作成。
ツアーの見積もり、日程作成。

次男とカンボジアツアーの打ち合わせ。
次男の次男(私の孫)は今日退院の予定だったが、
病状が悪化し、更に入院を継続とのこと。
肺炎? 


投稿者 koyama : 20:48 | コメント (0)

2011年11月23日

里親への手紙・スタディーツアーの打ち合わせ

終日曇り

午前8時 28度  湿度90%

午前7時朝食。ブン麺(カニ団子入り)

ポルトガルにいるバオミンさんからメールあり。
ポルトガルの食事が出来ない。毎日「インスタントラーメン」を
食べているとのこと。理解できる。私が始めてヨーロッパに
行った時、全てが脂っこく、食べられなかった。
淡白なものが食べたくなった。

午前9時半、停電。

11月11日からウエイトトレーニングをしている。
短時間だが毎日コツコツと続けることが大事。
腕の筋肉と膝の筋肉の強化。
出来るだけ『ウオーキング』も。フエでは交通事情が
悪いので日中のウオーキングは危険。

徒歩でベトナム事務所へ

「子どもの家」のこどもたち・スタッフから私の誕生祝いの
生花。タム医師がベトナム事務所まで持って来てお祝いの
挨拶。恐縮する。

ハンさんから話を聞く。日本料理店のヒエウさんが、「400万ドン」
(1万円5千円相当)を貸して欲しいと言って来たとのこと。
日本料理店の給料が130万ドン程度なので3倍もの借金を
申し出たのは、訝(いぶ)かしいことである。
ハンさんに頼み、ヒエウさんに電話をして、直ぐにベトナム事務所
へ来るように頼む。ハンさんが電話をする。
30分後にヒエウさんがベトナム事務所に来る。
400万ドン借金の理由を聞く。


ヒエウ『お祖母ちゃんのお墓がクアンチ省(フエの隣り)にある。
地元人民委員会が区画整理をするということでお墓を整地し
宅地にするという。「直ぐに墓を移転するように」との指示を
受けている。今日の午後、母親がクアンチ省に行き、お墓の
移転をする。その費用がない。貸して欲しい』とのこと。

私はヒエウさんが(本人は19歳と言っているが・・・)
4歳くらいで入所してからの付き合いである。
この10数年間での様々な出来事を知っている。
誰かに騙されて「お金を借りるのでは?」との不安があった。
ハンさんと二人で詳しく事情を聞く。
30分ほど借金の詳細を聞く。若干不安は残るが、今日の
午後、母親がクアンチに行くというので400万ドンを貸す。
毎月50万ドンを返済するというが、130万ドンで病気の
母親と二人の生活。50万ドンも返済したら、毎月の
生活ができなくなる。毎月、10万ドンの返済にする。
3年ほどかかるが・・・・・。

1階日本料理店の小部屋では、ブライセン日本語中級教室が
行われていた。先生は古賀先生。


徒歩べ宿舎へ。

午前11時半昼食。マカロニスープと生野菜



午後12時から1時間ほど昼寝。


里親への「退所」「支援継続」等の手紙を書く、ハンさんへ
送信。

バンベー送信がうまくいかなかったが、JASS日本の
バンベー担当のSさんが、必要な原稿・写真を担当の
有ヶ谷さんに送ってくれる。感謝。

夕方、次男と電話。次男の子どもが明日退院できる
とのこと。一安心。

夜、長男の嫁さんと孫と電話で話す。誕生祝いを言ってくれる。
感謝。この世の中で、私の誕生を祝ってくれる人がいるという
ことは、幸せなことである。

=======

立川談志(75歳)が、喉頭がんで亡くなった。談志の死を
悼む。個人的には談志の芸は「臭くて」余り好きではなかった。
臭いとは、「どぎつい」。
20代から30代の初めまで「演芸評論家」を目指していた
私は、100席の生の寄席・演芸を見るようにしていた。
長男が5歳頃だろうか? 渋谷の「ジャンジャン」で
談志の独演会を見た。ジャンジャンは本当に狭い場所だ。
途中で長男がチョロチョロと舞台に上がってしまった。
談志はどう対応するのだろうとちょっと緊張したが、
さすが芸人。うまくかわし「親は誰ですか?」などと
言って、話に入っていった。大らかな時代であった。
談志を評価するのは、落語協会から脱退したことだ。
その根底には、今の落語では落語は衰退する、との
危機感を持っていた。師匠の柳家小さんが「人間国宝」になる
時代である。人間国宝になった時点で既に落語は
歌舞伎・能・狂言と同様、「博物館」に入ってしまうのだ。
つまり一部の嗜好家のものになり、大衆のものではなく
なる。
談志はそうした危機感を持っていたと想像する。
談志の生き方に共感する。
当時、私は「実験落語会」を良く聴きに行った。
三遊亭円丈・夢月亭歌麿などの新作も良く聞いていたい。
彼らも当時の落語界に不満を持っていた「不満分子」である。
立川談志も大きな明治期以降(三遊亭円朝)の現実の
落語のあり方に不満をもった「不満分子」「落語界の反体制派」
だったのである。その点にのみ共感を持つ。
談志の生き方も「問題児」のように見られるが、彼の基本的な
生き方の基調は「体制」「主流」に反抗するというものであった。
落語協会という「主流」から脱退し、同時に「現代落語は是で
いいのか?」
との問題意識を持ち、自分の命と人生をかけて反抗した談志の
生き方には共鳴するところが多い。しかし、談志の落語は
好きではなない。大げさ過ぎる。あっさりと自然に静かに
大人しく演じながら、「演じているのかいないのか?」
分からないようにあっさりとした落語が好きである。
談志の落語は、「自分を出しすぎている」のだ。
自分を出していながら、出していないように「あっさりと」
「なにげない」落語が好きだ。


三遊亭円生一門が「大量真打昇進」「真打試験」に反対し
落語協会を脱退した。談志もその時に脱退。
古今亭志ん朝も同一行動を取ったが、途中で復帰。
談志が東京落語界の現状を憂いて、独自の路線を追求したことは
事実だ。
芸人の世界は大きく変った。現在大阪吉本が席捲している。
私など、「あれは芸ではない」と思っている。テレビに出る
大阪「芸人」の芸はほとんど笑えない。
芸人と称して「テレビで公開お見合い」などをするのは、
芸でもなんでもない。この種の人間たちは、最後にテレビで
素っ裸になっても「芸だ」と思っている連中である。
芸は時間と努力をかけて練り上げていく奥深いものである。
芸を練らずに「表面のお笑い」だけ。今では
そのお笑いもしないで、バラエティーと称してただしゃべるだけ。
いつのまにか居なくなった人も多い。私はこれら一群の
人たちを芸人とは思っていない。テレビタレント。
個人的には存命者では「入船亭船橋師匠」が一番好きだ。
何度か、子ども落語を主催した際、一緒に仕事をしたが、
腰の低い芸人さん。話してみると『知性』のある方だった。
「自分はテレビで売れるような芸人にはならない。テレビで
売れると芸人ではなくなり、使い捨てされる」と1970年代後半
には言っていた。先代:8代目林家正蔵(彦六)の人生が
私の思い浮かべている芸人さんの生き方だと思っている。
「とんがりの正蔵」。権力・不正には徹底して闘う。
私は彦六師の最後の高座を上野鈴本演芸場で見た。
既に歩けず、緞帳が開くと『釈台』の後ろに座っていた。

時代が変り、人間が笑うという行為も『立ち食いソバ』や
「牛丼」のように「短時間」「瞬間」に笑えるような『擬似芸』が
喜ばれる時代になった。

本当に美味しい食べ物は時間をかけて作ったものなのだが、
その味を知らなければ、「立ち食いソバ」「牛丼」が美味しくなる
のだろう。責める訳にはいかない。時代の流れか?・・・・・。

本当に美味しい「話芸」の味も分からなくなってきている現代では
ある。


談志の高座で「上から読んでも下から読んでも」
「だんしがしんだ」の立川談志と言っていた「しゃれ」が
現実になった。冥福を祈る。

投稿者 koyama : 16:31 | コメント (0)

2011年11月22日

バンベー編集・各種業務

A7 気温28度  湿度80%
   晴れ時々曇り

午前7時朝食。「赤米おかゆ」「キャベツ・隠元」温野菜

バンベー編集・日本との連絡。

午前9時半、徒歩、ベトナム事務所へ。
バンベー用の写真一覧を原田先生からもらう。

宿舎へ帰り、バンベーの写真を日本でレイアウトしてくれる
有ヶ谷さんに送信しようとしパソコンへ保存。
バンベー関連の仕事をしばらく続ける。


A11 ハンさんから電話。ブライセン本社から郵便物が
ベトナム事務所に届いたとのこと。
ブライセンベトナム支社員訪日関連の書類。急いで
ベトナム事務所へ。

ブライセン本社から届いた郵便物の内容を確認。
ベトナム支社側が作る書類の最後の点検。

午前11時半に昼休みになってしまう郵便局が
閉まる前に届けてもらう。

ハノイボランティアネットの皆さんが「子どもの家」の
刺繍みやげ物店の刺繍を販売してくれるために
注文がある。ベトナム事務所で受けた注文の
刺繍をハノイボランティアネットへ郵送する準備をしていた。

午前11時半昼食。「チャオバインカイン」(小麦粉の手打ちうどん)

この1週間、雑誌「世界12月号」(岩波出版)のいくつかの
記事を読む。

特にドイツ社会民主党のロルフ議員に聞くは、興味ある内容だった。
今のメルケル首相は中道右派。
その前の政権は「赤・緑」政権と言われた「ドイツ社会民主党」と
「みどりの党」の連立。脱原発を決めるが、選挙で敗北し、
メルケル首相となり、脱原発路線は廃棄される。しかし、3・11
福島があり、メルケルも原発・電気業界も『大打撃」を受け、
国民の意向を受け、再度「脱原発」路線へ転換。その過程を
詳述。日本のテレビに出る『研究者』などは、「ドイツが脱原発
などと言っているが、フランスから電気を買っているのだ」
という。ロルフ議員によれば、原発大国のフランスでは
夏の暑い時期は、原発から高温の排水をだし、海の環境を
変えてはいけないということで、ドイツから電気を買っている。
また、ドイツは周りの国に電気を売っている。
日本のマスコミ、研究者などは、「ドイツがフランスから
電気を買っている」という、全体のごく一部だけを取り上げ
知ったかぶりに発言している。しかし、フランスもドイツから
電気を買っている。ドイツは、電気の輸出国である。


午後12時から1時間ほど、昼寝。

午後は、バンベーの編集の仕事、京都ーフエ関連の仕事。

次男とスタディーツアーの件で連絡。次男の次男(私の孫)
が入院しているとのこと。次男は子どもの入院に付き合っている。
強い肺炎。そのまま家にいては、呼吸困難になる可能性ありとの
ことで入院。大事に至らなければ良いのだが。
まだ2歳なのでの体力・免疫力が弱い。早期の回復を祈る。

午後7時半、原田先生と連絡。京都関連の連絡先の
件。

その後、バンベー原稿の件で連絡。


-----------------------

大王製紙元会長「井川」の100数億円のカジノ遊びに
唖然とする。

先日、有名市立小学校に入るための特訓塾での幼児と
親御さんの取り組みの番組を見た。
幼児に「詰め込み教育」をし、何とか「有名私立小学校」へ入学
するストーリー。こうして「東大」にはいる。

その行く末が、大王製紙の井川元会長だ。
江戸時代の」「東海道膝栗毛」で『三太郎』という言葉が
出てくる。三太郎とは「大ばか者」という意味。
東大を出たなれの果ての哀れな人間である。
幼稚園からこのような人間を作り、東大を出て、経産省の
広報官となった「西山審議官」。カツラかどうかで騒がれ、
その後、省内で女性と肉体関係を実行したということで
処分された。

井川容疑者はある意味で「可愛そう」な人間である。
小学校時代から毎週、愛媛から東京の予備校に
飛行機で通っていたという。
この種の人間は、人生の苦労を知らない。100数億円を
ギャンブルで使うという神経は、真っ当な神経ではない。
今の文部省・財界は「この種の人間を何人」生み出す
つもりなのだろうか?  

せめて元経産省の「古賀茂明氏」のような人間が出てこない
と意味がない。保身主義者ばかりの人間の増殖は日本国家を
腐敗させる。

投稿者 koyama : 20:03 | コメント (0)

2011年11月21日

ベトナム事務所・日本料理店「給料日」

午前4時頃、豪雨で目覚める。

終日曇り・雨

午前7時朝食。 フォー


食後、多数のメール受信。返信。

午前9時半、徒歩でベトナム事務所へ。

今日はベトナム事務所・日本料理店の給料日。
ベトナム事務所スタッフに給料を渡す。

昨日からバオミン運営委員長はポルトガルへ出張。
ベトナム事務所は、何となく「暗い感じ」。
バオミンさんの出張で皆さん寂しくて暗くなったのか?
それとも「乱反射」がなくなって室内が暗くなったのか?

よくよく見ると皆さんやけに「明るい表情」


富岡先生

日本語能力試験1級合格有資格者のフーン先生
フエでは、日本語が一番うまい。もちろん、日本語教育も

「フェリシモ」担当のアンさん

昨日のサッカー試合で3キロ痩せたソン君

朝、会っても「今晩は先生」とはこれいかに?
頭が良くても「狂頭先生」というが如し。

ベトナム事務所の仕事にも慣れてきた古賀先生

日本料理店では、原田先生がブライセンスタッフに
中級日本語教育を行っている。

今年の夏、日本料理店の支援に来てくれたJASS栃木の会
の佐藤先生から日本料理店のテーブルの敷物などが
送られてくる。(写真左が佐藤先生)


JASS栃木の会の佐藤先生に深謝。




日本料理店のこどもたちへのバンダナ


茨城の火炎樹の会の大沢さんから日本料理店の
手作り「箸袋」が贈られてきた。
この箸袋は欧米系のお客さんに大変好評である。
何年間にもわたり手作りの「箸袋」を贈ってくれる
大沢典子さんに感謝したい。


里親の上原さんから里子ティン君への誕生日へのお祝い品が
届く。

誕生プレゼントは「望遠鏡」。ティン君は何を見るのだろうか?

午前11時半昼食。 フォーティエウ(春雨麺)

1時間ほど昼寝。豪雨。

午後3時過ぎ、徒歩、ベトナム事務所へ。

今日はベトナム事務所・日本料理店の給料日。
関係者に給料を渡す。

ヒエウさん


チャンさん

グエットさん

副店長(店長不在)のトゥオイさん

日本料理店のこどもたちに火炎樹の会:大沢典子さん寄贈の
手作り「箸袋」を渡す。

栃木の会 佐藤先生からの贈りものをこどもたちに渡す

宿舎へ帰り、昨日「バンベー40号」の原稿と写真を送った
静岡の有ヶ谷さんに「再度」整理した「ベンベー40号」の
原稿と写真を送る。

投稿者 koyama : 20:12 | コメント (0)

2011年11月20日

終日仕事:ブライセンベトナム支社サッカー大会出場

午前8時 気温28度  湿度80%  午後から雨。

午前8時から里親への里子の近況報告の文章を書く。

午前11時。センさんが昨日作っておいてくれた
食事。小麦粉の手打ちうどん。肉団子とかなりの
脂の汁で食べるようになっていた。
汁は止めて、小麦粉の手打ちうどんを「ゆでる」
メンを水で洗って「そばつゆ」で食べる。

里子の近況報告作成。

午後2時から1時間ほど昼寝。

その後、バンベー40号の編集・校正。
午後9時半まで。校正を完了し、レイアウトの
有ヶ谷さんへ16回に分けて原稿と写真を送信する。

午後3時過ぎから40分ほどウオーキング。
途中で雨が降って来たので帰宅。

今日は、1日中、部屋で仕事をしていた。

バオミンさんは、ポルトガルへ出立。


ブライセンベトナム支社では「サッカーチーム」を結成。
日曜日の今日、フエ市内にある国立体育館で「フエ省IT関連会社
サッカー大会」に参加。

ブライセンベトナム支社員は10人。JASSベトナム所員2名
(富岡先生・ソン君)が助っ人で参加。

ブライセンベトナム支社員は給料が高額のせいか、かなり
体重がある。動きが「緩慢」。
ベトナム事務所員の助っ人富岡先生は、長野県のスキーの
代表選手、スポーツ万能。もう一人のソン君はかなり体重過多。
助っ人になるのか、足を引っ張るのかは分からない。
ブライセンベトナム支社とJASSベトナム事務所の若者が
スポーツで協力することは良いことである。

背中に「ブライセン・ベトナム」と縫いこんだウエアーを
着ているが、何しろ終日机上の人間。筋肉がなくなり、
皮下脂肪が肥大化している連中である。
せめて「格好」だけでも揃えようという気持ちは十分理解できる。

試合の結果は不明だが、肥満チームが勝つかどうか?
100末の不安がある。


JASSベトナム事務所から参加した「助っ人」ソン君と富岡先生



今日の「フエ省IT関連サッカー大会」に参加したブライセンベトナム
支社員とベトナム事務所の2名の助っ人の本当の目的は以下の
写真に如実に表れている。よく言えば、勝敗に拘らない「大らかさ」
悪く言えば、軽く汗を流した後の「一杯会」のみを楽しみにしていた
のかとも思える。サッカーの試合よりも「反省会」は一番盛り上がった
所にも参加者の「下心」はミエミ状態。勝敗結果は不明。
参加者は勝敗には無関心。「参加することに意味がある」と
開き直っているいるところが、いかにもベトナム的。


ブライセンベトナム支社員・富岡先生・ソン君、ご苦労様。


投稿者 koyama : 23:21 | コメント (0)

2011年11月19日

「子どもの家」創立17周年記念式典:私の誕生祝い

快晴  午前6時 28度 湿度80%

午前7時朝食  ブンボー(米麺と牛肉)
フエの物価上昇を見ると今年1年間で牛肉が2倍になっている。
庶民は牛肉を食べる量を減らしているという。

今日の「子どもの家」17周年式典に着るスーツが「かび」ていた。
料理のセンさんに頼み洗濯やでクリーニングしてもらった。
今朝、センさんが洗濯が仕上がったスーツをもってきてくれた。
「いくらですか?」と私が聞く。センさんは「3、5」という。
「3、5?」 といえば、「35000ドン(130円)かな?」
それとも「350000ドン(1300円)かな?」
スーツの上下、ネクタイでまさか「130円」というこことはない。
130円といえば、ベトナム風「ほか弁代だ」。
やはり「35000ドン(1300円)だ」と思い、センさんに
350000ドンを渡す。センさんは「笑い出す」。
「非常識男・・・」とでも言うように。
35000ドン(130円)だった。日本で1ヶ月ちょっと生活して
フエに戻ると「短期間だが」金銭感覚が狂ってしまう。

午前8時10分、徒歩でベトナム事務所へ。
午前8時半、ベトナム事務所から2台のタクシーで
「子どもの家」へ。女性軍は全員「アオザイ」。オートバイ
ではいけない。男性の服装には、全く興味なし。記載省略。

午前10時、「子どもの家」2階で
『「子どもの家」創立17周年記念式典』が挙行される。

フエ市人民委員会・外務部代表・フエ省内の「子どもの家」関連
の団体の責任者・「子どもの家」スタッフなど関係者全員が参加。

「子どもの家」創立17周年記念式典会場の看板

「子どもの家」17年誕生記念のケーキ

先日、新たに入所した女の子

最初にこどもたちの歓迎の踊りと歌


(少数民族の踊り)

(将来の夢ーハトになって空に大きく羽ばたきたい)

(先生ありがとう)の歌

式典の司会は「ロック寮長」と「バオミンJASS運営委員長」


式次第を発表
①来賓紹介
②セン委員長の活動報告
③JASS代表小山挨拶
④こどもたち代表の言葉
⑤成績最優秀のこどもたちの表彰
⑥閉会


17周年記念のケーキに点火(セン委員長と小山)

最初にセン「子どもの家」運営委員長の経過報告

①17年間のJASSの支援に感謝する
 ・JASSとフエ市人民委員会の支援でこどもたちは生活が
  できるようになった。こどもたちは様々な困難を乗り越える
  ことが出来た。
 ・現在「子どもの家」には41人生活している。
 ・30人は小中高に通っている。
  小学校  5人
  中学校 20人
  高校   5人
  大学   9人
  職業訓練 2人
  在宅支援 11人  合計 52人

  大学卒業後、自立している。

 ・健康診断を行い、こどもたちの健康管理をしている。
  「京滋YOUの会」のご支援に感謝したい。
 ・通販「フェリシモ」の支援で「子どもの家」の総改修を
  行った。様々な箇所のメンテナンスをすることが出来た。
  「フェリシモ」の皆様に感謝。
 ・「子どもの家」の家はある意味で特殊な世界である。
  出来るだけ一般市民・一般家庭の生活を「子どもの家」
  で体験させている。例えば、中秋のお祭り、遠足、
  クリスマス会・・・
 ・「子どもの家」スタッフは、「子どもの家」に入所するこどもたちは
  ベトナムの大きな社会問題と考えている。  
   こどもたちの自立こそ、一番大事なことと思い、こどもたち
  への指導を行っている。
 

②続いてJASSを代表して小山の挨拶

17年間「子どもの家」での活動を行ってきた。
「子どもの家」のスタッフに感謝したい。今でも1994年に
創設した「子どもの家」の最初に入所したこどもたち
がいる。また、1994年からスタッフをしているロックさん、
アンさん、ニエムさんもいる。感謝している。
こどもたちの自立のために私も頑張ります。


③こどもたち代表のお礼の言葉

  フオンさん(フエ医科大6年生)

「子どもの家」のこどもたちを代表してお礼を言いたいです。

小山先生・「子どもの家」の先生方、日本の支援の皆様に
心から感謝しています。

私と妹のホンニーは、父親を亡くし、母親一人で私たちの
生活を支えていたが、母親も仕事ができず、16歳で「子どもの家」に
入所した。
JASS・里親・「子どもの家」の先生方の温かいご指導で
安定した家庭生活をすることが出来た。
皆さんのお陰で2006年にフエ医科大学に入学することができた。
現在、フエ医科大学6年生。私はフエ医科大学の5年間、
「最優秀」の成績だった。小山先生と日本の皆様にお礼を
申し上げたい。
現在、私はフエ医科大学の最終学年。勉強を頑張り、
最後の学年も「最優秀」の成績で卒業したい。
卒業後は、医師になり貧しいこどもたちのために
医療を行い、貧しいこどもたちの健康診断などにも
参加したい。
改めて日本の皆さん、「子どもの家」の先生方に
お礼を申し上げたい。

④成績最優秀だったこどもたちの表彰式
  (成績優秀とは、日本で言えばオール5)

  ●フオンさん(フエ医科大)

 ●バーさん(フエ高等医療大学)
   ニーさん(フエ師範大学教育学部)
   トゥーーさん(フエ師範大学化学部)-フエ外務部勤務メンさんの
                          妹

記念品贈呈はフエ市人民委員会外務部副部長イックホアンさん
(1993年にフエ師範大学で私が日本語を教えた教え子)

トゥーイさんには、バオミンさんから記念品贈呈

両側にいるイックホアン・バオミンさんは私の18年前の教え子


こどもたち全員写真

こどもたちと「子どもの家」スタッフ

「子どもの家」とベトナム事務所スタッフ全員写真


「子どもの家」スタッフ

ベトナム事務所スタッフ(アオザイ軍団)

ベトナム事務所スタッフ全員


ベトナム事務所のホープ富岡先生


こどもたちと富岡先生・古賀先生


その後、参加者全員で17周年記念の祝賀昼食会

セン委員長・ロック寮長・バオミン運営委員長
17年間、ロックさん・センさん・バオミンさんとの団結の力で
「子どもの家」の運営はうまく行っている。

来賓の方々も昼食会に参加

「子どもの家」スタッフ


刺繍みやげ物店スタッフ

「子どもの家」スタッフと刺繍土産物店の先生

刺繍みやげ物店スタッフ

ーーーーー
「子どもの家」のこどもたちも食堂で17周年お祝いの食事会


午後1時帰宅。

2時間ほど昼寝。

午後5時15分、徒歩でベトナム事務所へ。

今日は私の00歳の誕生会。
本当は11月23日なのだが、バオミンさんが11月21日から
ポルトガルへ旅行するので、日にちを早め今日行うことに
なった。

今日の料理

ごぼうの天ぷら


餃子


誕生会宴会の準備をするグエットさん



富岡先生の司会で「誕生会」は始まる
なかなか上手に司会を行う。


続いてバオミンさんがベトナム事務所を代表してお祝いの言葉
「18年間の付き合いだ。健康に気をつけて欲しい」


ベトナム事務所からのお祝いのプレゼント

釈迦頭だった。私が欲しがっていたものである。


古賀先生からベトナム事務所スタッフの寄せ書き団扇を
頂く



00歳になった私からお礼の言葉

乾杯


投稿者 koyama : 09:28 | コメント (0)

2011年11月18日

里親の打ち合わせ:静大留学生親との懇談

快晴 午後12時 30度 湿度60%

午前7時朝食。「フォーハノイ」
フォーにも2種類ある。乾麺と生麺。ハノイでは生麺。
今日の朝食は乾麺のフォー。味はかなり落ちる。


午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさん・ハンさんと里子の今後の身の振り方に
ついて「個別のこどもたち」について協議。
一人一人のこどもたちの幸せな人生はどうあるべきかを
基準に話し合う。

午前10時。静大留学生の親が「11月20日の先生の日」
を前にして、ベトナム事務所の私や関係の日本語教師へ
お礼に来た。


代表してドックさんのお母さんのお礼の言葉。
小山先生・バオミンさん・日本語の先生のお陰で自分たちの
こどもは静大に留学できた、感謝している。

今日は3期9人の親のうち7人が来訪。

ベトナムでは儒教の「恩を忘れない」という思想が
しっかりと社会に定着している。
資本主義が進めば進むほど、『恩』などという概念は
なくなっていく。「金金」の社会となる。
典型はアメリカだ。
ベトナムはまだ、真っ当な社会が残っている。
日本の1960年代の社会だ。
かなり高価な生花を贈呈

原田先生・古賀先生・今晩は先生。
富岡先生はフエ高等師範大学での授業。

静大留学生の1期生・2期生・3期生の両親から
留学上での問題点、良い点などを聞く。


かなり高価な成果を寄贈してくれる。

実際に生徒を教えた日本語教師
(富岡先生・フーン日本語教育部長はフエ高等師範大学の
授業)

午後11時半、昼食。豚肉のおじや


午後12時から1時間の昼寝。

その後、里親への手紙を書く。

午後4時、ベトナム事務所。
バオミンさんとブライセン社員の訪日のビザ問題で
協議。

午後後5時過ぎ宿舎へ。

その後、里親への手紙を清書。


午後9時、里親への手紙書きを終了。

投稿者 koyama : 22:14 | コメント (0)

2011年11月17日

臨時ベトナム事務所員会議:「子どもの家」で退所式等

朝雨 日中真夏・夕方曇り・寒い
今日は「夏から冬までの気温」。温度の変化が大きいので
体がついていけない。終日、だるい。

午前7時朝食。ブンボー(フエ名物)

宿舎の前の大木に「スターフルーツ」(和名 ごれんし)がなっていた。

徒歩でベトナム事務所へ。

午前8時半、臨時ベトナム事務所員会議


●12月2日からの地球の歩き方スタディーツアー
●12月6日からの前静岡市長などのフエ市人民委員会訪問の件
●12月18日から28日までの内田さんのフエ訪問の件
●12月23日内田さん主催「クリスマス会」の件
●12月20日ベトナム事務所員「思想強化特別合宿学習会」の件
●バオミンさんのポルトガル行きの件
●12月19日(土)「子どもの家」創立17周年記念集会の件


午前11時半昼食。サイゴン名物「春雨麺(フォーティエウ)」


午後12時から午後1時まで1時間昼寝。

バンベ40号編集。文章の校正。

午後1時45分、バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。

午後2時過ぎ、「子どもの家」へ。

2ヶ月程前、「子どもの家」に入所したAさん。父親がAさんがいなく
なって「寂しい」。どうしても「家に連れて帰りたい」とのこと。
本人、父親、セン「子どもの家」運営委員長、バオミンさん、私で
話し合う。1時間ほど話し、結局、家へ帰ることになった。
父親は「頑張って仕事をして、こどもの生活を安定させ学校へ
行かせる」と決意を述べる。私としては、最終的には「親子が一緒に
住むと言うことはいいことだ」と思っている。
幸いというのか、Aさんは「子どもの家」入所観察中だったので、
里親はいない。Aさんの幸せな人生を祈る。


その後、刺繍みやげ物店のスタッフから「賃金値上げ交渉」を
受ける。

刺繍みやげ物店では、「基本給」と「出来高給」の併用で給料を
支給している。皆さんの主張は「基本給は満足している」が「
出来高給の基礎賃金を値上げして欲しい」とのこと。
理由は、昨今の物価高。
「子どもの家」会計のハンさんにこの3年間の物価の変動の
実態を聞いてみた。
庶民の基礎的な食料の値段の変化を聞いた。
以下の様である。


         2009年     2010年    2011年

米(1キロ)  5000ドン     6000ドン   11300ドン

豚肉(1キロ) 30000ドン  40000ドン   80000ドン

牛肉(1キロ) 60000ドン  80000ドン  160000ドン

現在「円高」なので円換算は、私のフエ滞在18年の中での
必ずしも「サンプル」にはならないが。
1993年 100円=10000ドン
2011年 100円=27000ドン

ということで、現在の円高は18年前に比べると「円が2、7倍」
になっていることを考慮した上で、「物価上昇」の実態を
見て頂きたい。

         2009年     2010年    2011年

米(1キロ)   18円        22円     44円

豚肉(1キロ) 111円       148円    300円

牛肉(1キロ) 222円       300円    600円


上記「米」「豚肉」「牛肉」という庶民の一番重要な食料品
の物価上昇は異常である。この1年間ではこれらの庶民の
身の回りの食料品は「2倍」、3年間で「3倍」に上がっている
ことである。

ベトナムの「ドン」自体の「超・超インフレ」も庶民を襲っている。

現在のベトナム社会は、金持ちは「より豊かに」、貧しい人は
米も真っ当に食べられない「超インフレ」「物価高」の現状に
喘いでいる。

もし、日本で「3年間で物価が3倍」にも上がったら、
日本国民はどんな反応をするのだろうか?


バオミンさんに話し刺繍みやげ物店のスタッフの賃金引上げ
要求については、具体的に「どのくらいの賃上げ」を求めている
のかを聞き、出来るだけ「満額回答」するように話す。
刺繍みやげ物店のスタッフは、バオミンさんにかなり様々な
要求を出している。バオミンさんの方から「具体的にいくらの
賃上げが必要か、皆でまとめてベトナム事務所に提出して
欲しい」とまとめる。
私たちに賃上げ要求をする刺繍土産門店の皆さんは
要求を言っているうちに「仲間内」で意見が分かれるという
現状なので、感情論を捨てて、客観的な「賃上げ要求」をまとめ
るようにした。


刺繍みやげ物店女性スタッフの賃上げに向けた凄まじし
剣幕に圧倒されてしまった。
「子どもの家」には、労働組合がある。実際にはベトナムでは
労働組合は共産党の方針を労働者に伝えるという「電動ベルト論」
が機軸。労働組合は、厚生福祉・ボランティアなどを行う。
行政当局や会社社長との団交を行い、労働者の諸要求を吸い上げ
労働者とともに要求実現の闘争を行うという労働組合ではない。
日本の大企業の「御用組合」以上に「御用組合」「労働貴族」
である。

午後4時、「子どもの家」を後にする。

ブライセン本社から電話。総務部長といくつかの打ち合わせを
行う。

バオミンさんで電話でいくつかの件について意思統一。

連合は春闘で「非正規労働者」の賃上げを「時給30円」
とすると古賀会長がわざわざ記者会見をして発表した。
馬鹿馬鹿しい。時給30円アップで月給いくらあがるのか?
5000円か6000円程度。

政権政党を支援している労働組合が、年収200万円以下の
非正規労働者の給料を月5000円程度の値上げをすると
わざわざ記者会見をして発表する価値はない。
抜本的な改善が出来ない御用組合の限界。

投稿者 koyama : 18:35 | コメント (0)

2011年11月16日

バンベー編集

午前3時、豪雨。雨音で目が覚める。叩きつけるような豪雨。
午前中雨。午後快晴。気温32度。

午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)


午前8時からバンベ40号の編集・校正。

午前9時過ぎ、日本の内田さんとクリスマス会等の打ち合わせ。
SKYPEのヘッドホーンが壊れる。夏の間室温が高く、
2つあったヘッドホーンのスポンジ部分が「崩れる」ように
取れてしまう。内部の配線も壊れてしまったようだ。

バオミンさんといくつかの連絡・打ち合わせ。

午前11時半、昼食。「マカロニ・スープ」


午後12時から2時間昼寝。熟睡。

午後2時から引き続きバンベー40号の校正・写真選び(私が
ピカサに貯めている写真の中から良い写真を選ぶ。時間がかかる)

午後3時。ソン君とパソコン修理業者が来る。
パソコンにウイルスバスター2012をインストールしてもらう。
インストールは、私の力でもできるのだが、ベトナムでは
特殊な事情(火炎樹日記には書けないが・・)があり、
専門家でないとIT関係のことは出来ないシステムになっている
ことがある。

かなり複雑な手続きを行い、何とかインストールする。
2時間ほどかかる。

午後4時過ぎ。徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさんと当面のいくつかの重要な問題について
協議。


ベトナム事務所会議室では原田先生がフエ高等師範大学
日本語学科の学生と懇談中。


午後6時。ブライセン本社へメール。
支援者の星野さんにメール。

里親への手紙。退所するこどもたちの手紙の添削など
とにかく時間がない。やることが多く。
文章をどれだか書いたか・・・・・。
今日は1日中、時間のある時は文章を書いていた。

ーーーーーーーーー

以下、長男のテレビ出演(時間があったらご覧ください)

①2011年11月17日(木)A8~9:55  フジテレビ「特ダネ」 
  放射能規制値についてのインタヴュー

②11月23日(月)TBS A5~A6
  チェルノブイリ特集 (福島地方中心)

③11月26日(土) 12:00 
 テレビ東京 週間ニュース新書
  汚染マップ作成

投稿者 koyama : 16:02 | コメント (0)

2011年11月15日

ターオさんと懇談:パソコンの修理

終日雨 午前8時 気温22度 湿度90%

午前6時起床。

午前7時、朝食。「赤米と緑豆のおかゆ」「茹で野菜」
「小魚の甘辛煮」

読書「世界 12月号」
『大阪都構想とは何なのか「府市合わせ首長選挙」の
 背景と本質』(金井利之著:東大教授)

「東京都」が出来る以前は、「東京府」と「東京市』と二重権力構造
だった。東京府知事は、政府の任命制。
東京市などの市段階での「自治的な方向」を目指す運動が
あった。(東京市・大阪市・京都市横浜市・名古屋市・神戸市の
6大市)

1943年、帝都防衛という名の戦争遂行のために「東京市」を
廃止し、「東京府市統合」を果たし、「東京都」ができたのだそうだ。
「都制度」のそもそもの出発は、戦争遂行であり、地方自治への
逆行の道であったという歴史は押さえておく必要がある。

午前中、「バンベー40号」編集。写真、原稿集め、整理。
文章の校正。

午前10時、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさんと打ち合わせ。

その後、「子どもの家」のターオさんと懇談。

午前11時半、昼食。ご飯、魚のフライ、トマトサラダ、
豚肉スープ


日本料理店を「自主退職」した「リー君」から「メール」あり。
「先生元気ですか? 私は元気」との内容。返信はしない。

午後12時から午後2時まで昼寝。

ソン君とパソコン修理人が雨の中やってきてくれる。
パソコン関連の修理等

ブライセン本社に電話。いくつかの打ち合わせ。

ピースインツアーに電話。打ち合わせ

夕方から「バンベー40号」の校正

バンベー40号の原稿を書く。

午後5時過ぎ、バオミンさんで電話で打ち合わせ

ブライセン会計、JASS会計の件

--

NYのデモを警察が排除。オバマの実態を暴露したようなもの。
デモ参加者(99%)に連帯する。
デモを排除しても「格差社会」への反撥・抗議、1%の
人たちへの憤りに変りはない。

ーー
北朝鮮での「日本ー北朝鮮」のサッカーの試合を見た。
概括的には「異様な試合」とのイメージをもった。
北朝鮮の現状を見ると「こうした対応」しか出来ない
国情があったのかな? などと考える。
私的には北朝鮮の「大人気ない」対応があったのは事実。
北朝鮮は、メガホン、太鼓、5万人声援。
日本側は一切の「鳴り物」を禁止され、警備隊員の護衛の
中で100人程度の応援隊しか受け入れない北朝鮮の態度は
「子ども」じみてはいる。
しかし、北朝鮮から見れば、1965年の日韓条約で韓国を
「朝鮮にある唯一の合法的な政府」と認めたことで日本との
国交もない。日本は戦後賠償も支払っていないという
歴史的な事情は認識しておくべきではある。せっかく
W杯の試合で日本チームが来たのだから、善隣友好に
利用した方が良いのに・・・とも思った。北朝鮮には
そうした余裕がないのだろう。北朝鮮の「優位性」を
国民に示す最良の政治的な機会と考えている節がある。
日本チームの冷静な態度は成熟した大人の態度で
好感が持てた。日本が0-1で負けたが、勝敗よりも
こうした小さな交流を通して、お互いを理解するするきっかけが
できることを願う。

今の北朝鮮は、戦前の日本軍国主義と同じ様に思えた。
金正日が天皇と代わっただけである。
こうした国と政党として「国交」を持っている日本共産党の
時代錯誤と異常さにも驚く。チリの「ピノチェト政権の」独裁を厳しく
批判していた同党であるのに、北朝鮮への批判はない。
善隣友好関係にある。北朝鮮が社会主義などと誰が
思っているのだろうか? 現代社会に存在しない「封建時代の
「遺物」としか思えない。世襲制の権力委譲は徳川幕府と同じだ。

投稿者 koyama : 19:29 | コメント (0)

2011年11月14日

「子どもの家」にてセン委員長と打ち合わせ

雨のち曇り  A8  気温27度  湿度90%

午前7時朝食。「フォー・ボー」(牛肉入りフォー)+野菜

午前8時過ぎ雨が止む。バオミンさんがオートバイで迎えに来る。
バオミンさんのオートバイで「子どもの家」へ。「子どもの家」で
センさん、ロックさんと打ち合わせ。

ベトナムの物価が上がり、こどもたちの生活費、スタッフの
生活が厳しくなっている。対策を考える。

11月21日が「子どもの家」創立17周年記念。
式典は11月19日午前9時から挙行することにする。
11月20日(日)が「バンベー40号」の編集仕上げの
締切日。19日の式典の後、急いで写真の整理、原稿を
書いて、最終レイアウトをしてくれる静岡の有ヶ谷さんに
送らなければならない。


午前10時過ぎ、話し合いを終了。
バオミンさんのオートバイで大型スーパー「BIG C」へ。
宿舎入口の鍵を買う。今まで何度も鍵を取り替えてきたが、
現在の鍵もなかなか開かなくなっている。
原因は、太陽が出ると30度・40度の高温で鍵の金具が
膨張する。現在は雨季。雨が降ると鍵の中に水がたまり
「錆びる」。膨張・縮小・錆びを繰り返すと鍵の機能が停止する。
という事情で既に3つの鍵が使えなくなってしまった。
今回は、大型スーパーで一番値段の高い(1000円)鍵を
買う。何度も鍵が開かなくなり、入室できなかったことの
反省に立って。

午前11時半、昼食。

チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

行儀は悪いが、食事をしながら読書
岩波書店・雑誌「世界 12月号」。 
「沖縄の傷という回路」(新城郁夫著:琉球大学教授)
ある意味で衝撃を受けた論文であった。
「頑張れ日本」というスローガンが「日本という危機」「日本という
国家の危険性そのものを覆い隠している」と。
日本という国家に抑圧されている沖縄に取って、沖縄抑圧の
日本と言う国家暴力に「頑張れ」と言われれば、よけい沖縄の
人たちは、危機感を感じると。
沖縄の人々と本土の人ととの温度の格差を痛切に感じる。
沖縄「八重山教科書採択」問題も『日本』の沖縄抑圧の
象徴と。

沖縄返還時、1970代初頭。「本土の沖縄化に反対する」
と本土の革新政党は主張していたが、作家の中野重治
は「本土の沖縄化に反対する」ことに反対すると主張した。
集団自決を強要され、島民全員が戦場から逃げられなかった
沖縄の人間に取っては、「本土の沖縄化に反対する」との
スローガンは、沖縄に対する内在する差別意識そのものだ
との指摘。

午後12時から2時間昼寝。
50日ほどの日本での活動の疲れも出て、ベトナムへ帰り
ほっとしているのと同時に疲れが出た。
ベトナムに帰ってからも「やらねばならない仕事」がたくさんある。

午後2時から午後7時まで「バンベーの編集・更正」。
ブライセンベトナム支社員の訪日ビザ申請のベトナム側部分の
申請資料作成。

何度かバオミンさんと電話で意思統一。
ブライセン日本本社に電話をし、意思統一。

ハノイの日本大使館にビザ取得関連で電話。
ハノイ・ビザ担当者の日本人と電話で話す。

昨年、日本料理店のトウオイさんが訪日し日本料理の
研修を帯広でするとのビザ申請書をハノイの大使館に
出した時、ハノイの大使館は「本人をハノイにこさせろ、
尋問する」との態度だった。この18年間、数十人の
JASS関係者のベトナム人の訪日ビザを申請したが
一度もハノイの大使館に「来い・面接する」などと言うことは
なかった。

今回も申請書を出すが、「同じことがないように」と
ハノイ大使館のビザ担当の責任者の日本人に
心からお願いした。

担当の日本人女性は「呼び出すこともできるという決まりですから
ハノイまでの呼び出しがあります」との紋切り型の返答。
貴方は何様だ・・・と「チョッと」心が乱れる。
私がハノイの大使館に出した「子どもの家」のこどもたちや
JASSスタッフの訪日申請書で問題や疑義があるのなら、
ハノイへの呼び出しも可。面接もありうると理解しているが、
申請者も含め何ら問題もなく、過去10数年間、JASSからの
訪日申請で問題を起こしたこともない「実績」がある。
前回の申請のどこに問題があったのか?と質問。
担当者のFさんは「それはいえない」とのこと。

理由も言えないで「ハノイまで来い」とは、如何なものか?
フエからハノイまでの飛行機代往復2万円。1泊が必要。
最低15000円程の費用がかかる。日本料理店の
こどもたちの給料の2ヶ月分である。
それでも問題があるのなら、フエからハノイに呼んで
話を聞く必要もあると思っている。
最低、トウオイが何故、ハノイに来るように言われたのか
の理由は知らせるべきであるのだが、「言えない」とのこと。
これでは、ハノイ大使館が「殺傷与奪の権利」を握っている
ようなものである。海外に行けば外務省の人間は、オルマイティー
の権利を持ってしまうのか?

それだけ立派なことを言うのなら、野田・オバマ会談の
内容のアメリカ発表に抗議するど無様なことはするな、
TPPのオブザーバーにすら出られなかった野田首相の
下準備すらできなかった外務省の無能をこそ自己点検
すべきである。私たちのような弱小団体への意地悪や
いじめはやめるべきだ。
私たちに居丈高に「決まりだ」とお説教をするのなら
アメリカに少しは何かを言ったらどうなのだろうか?

ハノイ大使館の日本人女性担当者のFさんに以下の質問をする。

「決まりなので」というのであれば、私が1993年にフエに住みだし
てから3年間「在留日本人登録」をしようとしたが、ハノイ大使館と
ホーチミン総領事館の間で、「フエ」をどちらが担当するかで「もめて」
1993年から1996年までの3年間、私は「在留日本人登録」が
できなかった。

担当の日本人Fさんに「外務省設置法」で「在外公館(大使館等)
の任務は、「在留邦人の保護」と明記されているが、あなた方は
決まり、決まりと言うが、3年間、私の在留邦人登録を申請できなく
し、日本国の法律で「保護される権利」を侵害されたたことは、
貴方が言う、「決まり違反」ではないのですか?

と質問。

私とJASSは川口順子外務大臣から「外務大臣表彰」
を受賞しているが、貴方の上司である外務大臣が「ベトナムで大きな
功績を残し、日本の信用をベトナムで発揮した」と表彰した
私たちを「怪しげな不法な団体」だと思っているのですか? 

「ハノイ大使館にフエから呼ぶことがある」「決まりだ」
というのであれば、北朝鮮の金正日の息子の正男が偽造
旅券で日本に入国したのは、「決まり違反」ではないですか?
金正男は、旅券法違反をしても釈放し、真っ当にビザ申請を
している私たちを初めから「怪しい団体」として、フエからハノイ
大使館まで呼び出す(1000キロ)のはおかしいのではないですか?
前回、何が問題で「ハノイ大使館まで日本料理店のトウオイを
呼び出すといったのですか?」


以上、3点「在留邦人申請が3年間できなかった」「外務大臣
表彰をもらっている団体に不信感を持っていること」
「偽造旅券の金正男の不法釈放」について説明して欲しい、
と担当のFさんに聞く。「決まり、決まりというが、あなた方、
外務省は自分の都合で「勝手に決まりを破っているのでは
ないですか?」と質問。
Fさんは、答えられない。大使館員は公僕である。
国民に奉仕する立場である。国民の私たちがハノイの
一部の横暴な大使館員に「奉仕する」構図は、異常である。


悪代官のように立場の弱い人間に
意味もなく『いじめるような』ことをする人間を軽蔑する。
この種の人間は、上司には反抗できないのだ・・・。
私など東京自宅にいる一番偉い某女に「いつも反抗いている」
と自慢をしたかったが、これは脱線。

私は「権力を嵩(かさ)にきて」居丈高になる人間を見ると
「ムラムラ」とし(表現に間違いあり「ムカムカ」です)闘争心が燃え
上がるのである。
嫌な性格を持て余している今日この頃である・・・・・・。

何とか時間をかけてビザ申請書の原案を書き上げる。

午後6時過ぎ、ソン君が来る。バオミンさんから預かった
バンベーの原稿が入った「USB」を持って来てくれる。
感謝。


投稿者 koyama : 13:12 | コメント (0)

2011年11月13日

終日、自室で仕事

午前中曇り・午後晴れ。気温25度~30度

午前8時起床。

料理のセンさんが昨日作ってくれた「マカロニスープ」(一人前)
の半分を温めて食す。朝の心臓の薬(4種)を飲む。

ハンベーの編集。
バオミンさん、原田先生に電話でバンベーの件で打ち合わせ。

午後1時、「マカロニスープ」の残り半分を温めて食す。

2時間ほど昼寝。

引き続きバンベー40号の原稿全てに目を通す。
いくつか写真や原稿のないものもあるので、必要な
原稿は直接依頼する。
写真のない原稿は私の火炎樹日記用に撮って「ピカサ」
リストを調べ、その写真を使う。午後5時半までバンベー関連
の仕事をする。

午後6時、フダ缶ビールを2本。その後、玉乃光。

野球人気が凋落していることが分かる。ナベツネ問題
が象徴している。

プロ野球日本シリーズを中継したのは、東京の全国キー局は
ゼロ。テレビ東京だけ。これが、今のプロ野球の実態を
象徴している。

ナベツネ問題について、「日本テレビ」のニュースでは報道しない。
ジャーナリズムの精神放棄テレビ局である。
例え日本テレビの会長・社長であれ、報道すべき内容であるの
ならナベツネ批判も含めて報道するのがジャーナリズム。
日本のテレビ、新聞にジャーナリズム精神を期待する方が
過大な期待であることを私たちは「福島原発問題」で痛いほど
理解した。TPP問題も然り。アジア・太平洋戦争の時に
軍部に協力して「翼賛報道」をした日本の大新聞が、
福島原発でも「同様の権力すりより「翼賛報道」をし、
TPPで三度目の「翼賛報道」。これでは、日本の大手マスコミ
を信頼しない国民が増えることも当たり前。

一昨日の大手新聞各紙の社説を読むと、朝日・毎日・読売・
産経の主要紙は、TPP参加を前提に諸問題を指摘していた。
東京新聞だけが「何だか分からない」社説だった。
今の日本では、新聞・テレビを見ていただけでは、本当の
ことが分からない国になっている。自分で種々情報を手に
入れないと真実は分からなくなっているわが国ではある。

新聞は既に「社会の木鐸」・「オピニョン・リーダー」ではなくなり、
政府、体制のスピーカーの役割に堕したといえる。
今や新聞は必要なくなった。私たちが知りたいのは、
オピニョンではなく、客観的な事実の報道だけである。
事実を解釈するのは、一人一人の国民であり、新聞の
体制翼賛お説教を聞く気はなくなっている。
批判精神、体制・権力批判精神がなくなった新聞に
期待するものは、「事実だけ」の報道のみ。評論・オピニョンは
必要ない。自分で考える。


投稿者 koyama : 19:28 | コメント (0)

2011年11月12日

ニエン外務部長と懇談:日本料理店にて飲食

快晴 気温30度 湿度70%

午前5時起床。
かびた衣類等の洗濯。
トイレ等の壁、シャワーの鉄などがカビと錆びで汚い。
きれいに掃除する。

午前7時、朝食。ブンボー(フエ名物米麺の唐辛子入り)
ブンンボーを食べると一番落ち着く。私も完璧な「フエ人」
になっている。本当のブンボーはフエでしか食べられない。
ハノイもホーチミン市も「嘘ブンボー」。

日本のベトナム料理店で出る「フォー」も「ブンボー」もニセモノ。



午前8時半過ぎ、バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。
フエ市人民委員会外務部へ。外務部長のニエン氏に「帰国」の
挨拶。当面の諸問題を話し合う。



その後、バオミンさんに案内してもらい「電卓」「靴紐」
ベルトを買う。

宿舎で受信メールを読み返信。
ブライセン社員の訪日ビザ取得の申請書類を作る。

午前11時半、昼食。「トリスープのおじや」

ベトナム料理はなかなか「合理的」な食事である。
トリスープがあり、肉と野菜が豊富。たんぱく質と澱粉、
ビタミンと総合的な栄養を摂取できるような食事である。
更に唐辛子が入り、血圧の低下等にも良い。
気候変動の大きなフエにはこの種の食事が必要。


月刊誌「世界」を読む。
「市民が政治を開くとき」(朝日新聞 秋山訓子)を読む。
NPO法改正に尽くしたNPO団体の軌跡を辿り、
新しい「ロビーーング」が始まったと賞賛している。
私はこの「ロビーイング」といういかにもバター臭い、借り物の
言葉が嫌いだ。今朝、フエ市人民委員会外務部長と会って
懇談したことなど「ロビーイング」の典型。
民主党鳩山政権と辻元清美、いくつかの大手NPOが協力して
NPO法を改正。NPOへの寄付がしやすくなったことを詳述している。
良いことではあるが、問題はその大手NPOの実態がどうかという
ことの究明がない。NPOはみんな立派にやっているという前提で
書かれている。大手NPOの代表がアフリカを視察し、1泊20万円の
ホテルに泊まったことが週刊誌で暴露されている。
著者はNPOの活動が政治を変えると言っている。
その前にNPOなどに寄付されたお金がどのように使われているのか
の実態も詳細に調査して欲しい。新聞記者ならば・・・・。
東日本大震災の際、日赤に寄付したお金が、未だに多くが
被災者に渡されていないという日本のボランティア「業界」の現実
である。

小沢一郎の「陸山会事件」一審有罪判決について、
北大の白取教授が批判している。
趣旨は、陸山会趣旨報告書に寄付内容を偽って記載した
として小沢公設・私設秘書に有罪判決が出たが、
「起訴状」に基づき、検察の起訴事実に対する判決を
出すべき裁判所が、検察の提示した起訴事実を裏付ける
40通の31通を全部か一部を証拠採用しなかったことで
被疑者の容疑を立証する客観的証拠がなくなっていると
筆者は主張している。本事件の「収支報告書虚偽記載」
の当否を審査するのに、その背景として水谷建設のからの
賄賂という「推定」される事項を書き、裁判所は推定で
判決を下したといっている。

更に江川詔子の「原則を捨てた裁判所」という裁判批判を
載せている。

両論文は、一読の価値アリ。マスコミ等が「小沢一郎悪玉」
との報道を連日流している社会背景の中で、起訴事実として
提示されていない「背景」「世論」を考慮し、裁判官の
予断と想像での判決と批判している。

3足の靴を洗う。これらの靴をなんというのだろうか?
私などは「運動靴」とか「ズック靴」など言っていたが、
その後、「スニーカー」とも言っているようだ。
辞書で調べると「スニーカー」は「こっそり歩く人」「底が
ゴムの運動靴」だそうだ。
「ズック」は、「インドで作られた麻・綿で地を厚くした繊地。
この布で作った靴」とある。
私たちの身の回りのものが、いつのまにか「名称変更」
という事態になっているのについていけないところがある。
「パンツ」という呼び方は今でも抵抗がある。
私には、飽くまで下着の「パンツ」としかイメージ出来ない。
ズボンではなく「パンツ」といっている。「パンツをはく」と
聞くと「どっちなんだ」とつい思ってしまう。
その運動靴を3足、昨夜洗剤を入れた水に浸しておいた。
洗剤をつけたたわしできれいにあらう。結構力が必要。
天日に乾かす。

午後5時室内の気温32度。真夏。湿度70%。蒸し暑い。

ブライセンスタッフの訪日の書類を作る。

バオミンさんと電話でいくつかの打ち合わせをする。


午後5時半過ぎ、日本料理店へ。

今日の夕食は原田先生が「特製のスパゲティー」を作る。


私は久しぶりに「フエ生ビール」を飲みたくて日本料理店へ
来たのだが、水素ガスが出ないとのことで、氷缶ビール
となる。

日本料理店のこどもたち、原田先生・富岡先生・古賀先生も
元気に日本語教師、ベトナム事務所の仕事をしている。
感謝。

今晩は、全員が飲まなければいけないとの厳命のような
そうでないような話で、古賀先生・富岡先生もビールに
付き合ってくれる。


原田先生はベトナム事務所・日本料理店の中心となり活躍して
くれている。有難いことである。

接客のグエットさん、調理のトウオイさん、チャンさん、ヒエウさん
も元気に仕事をしている。

今晩は11人の来客あり。厨房も大変である。

古賀先生も厨房の手伝い。お寿司の「ガリ切り」。

西ドイツから来た4人グループと話す。
福島原発事故があり、原発は絶対に駄目と離していた。

午後10時近くに閉店。


投稿者 koyama : 18:24 | コメント (0)

2011年11月11日

ベトナム事務所へ・ハンさんの誕生会

快晴

午前5時起床。昨夜、午前0時頃就寝。
部屋全体が「カビ臭い」、異臭漂う。

昨夜から洗濯。

フエの洪水で1階の床上まで浸水。いわゆる「床上浸水」というやつ
だ。
1階に18年前から取っておいた活動の記録(写真・報告集・その他)
を置いておいた。全て水浸しになってしまった。
何とも「声が出ない」悔しさがある。
洪水の原因は2つ。
①フエ山岳地帯のダムから一気に大量の放水をした。
 フエではそれほどの大雨ではなかったようだが。
②フエ市内の下水が全くと言ってよいほど未整備。
  ダムからの大量放水と雨の水が流れず、却って
  下水から水があふれ出えてしまい、洪水となったもよう。
  タイ・バンコクと同様、道路にある下水から水が溢れていた
  との話がある。
   我が宿舎は、道路から70センチ以上の高さにあるのだが。

午前7時、朝食。フォー。フォーを食べてなんだかほっとする。
18年間、フエに住むとベトナム料理を食べてほっとするという
人間になってしまった。良いのか悪いのかは分からないが、
事実ではある。

午前8時50分、徒歩でベトナム事務所へ。

ベトナム事務所1階では、ブライセンの中級クラスの授業中。
先生は、古賀先生。毎週、月曜日から金曜日まで週5回の
授業。


ベトナム事務所ではスタッフが通常の業務を真面目に行っていた。

ベトナム事務所にも慣れた古賀先生


お父さんとしての落ち着きと肉体的な貫禄が出てきたソン君。

バオミンさん・ハンさんに日本で預かった奨学金、各種支援金、
刺繍などの販売代金などを渡す。
バオミンさん・ハンさんに一つ一つ説明し、領収書やお礼状などを
書いて送付する打ち合わせを行う。

その後、バオミンさんと二人で私の日本での活動と問題点、
その他、ベトナム事務所のかかえる問題、当面の諸活動
(クリスマス会、2012年現地報告会日程、バンベ編集作業の
進捗状況、バオミンさんのポルトガル出張中の態勢問題・・・・)
を1時間半ほど話す。

午前11時半 昼食  チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

気温30度  真夏。
衣類の洗濯を何度も繰り返す。毛布などを外に干す。
昼寝ができなかった。

午後2時15分。徒歩でベトナム事務所へ。
途中、ペットボトルやごみを拾っている少年を見る。

16歳だという。母親と二人で生活しているという。
ベトナム事務所に来るように話すが「イヤだ」と言って行ってしまった。
この18年で見違えるほど「豊か」になったフエ。それでもまだ
このような少年がいることも事実である。
「豊かさの中の貧困」。資本主義国でも「社会主義国」でも
「格差社会」という点では、同じである。

午後2時半、ベトナム事務所へ。

ハンさんの00回目の誕生日。今日は、2011年11月11日。
「1」が6回続くお目出度い日である。
ハンさんは18年前のフエ師範大学の教え子。18年の付き合いで
ある。真面目にJASSベトナム事務所の会計をしてくれている。
安心して全てを任せることができる。

「今晩は先生」(通称;フオン先生)からバースデーケーキ贈呈
ろうそくは「1本」。


富岡先生からベトナム事務所スタッフの寄せ書きで出来た
「花」の贈呈
富岡先生もすっかりベトナム事務所の中心的な存在となっている。
JASSの重要な戦力である。


JASSベトナム事務所(10人)、JASS日本料理店(4人)
ブライセンベトナム支社(10人)、合計24人。

ベトナム事務所の3階建ての建物に24人のスタッフが仕事を
していることを改めて知ったような気がした。
何か「重い責任感」を心の奥底に感じる。18年前に私が
フエに来た事で24人の「若者」の人生と生活に責任が
出てきた自分の責任を痛感する。
絶対にどんな困難があっても「逃げることの出来ない」
ことを悟った。

ブライセンには新入社員が5人入り10人となった。
改めて自己紹介。

日本料理店の4人も自己紹介

原田先生が今日の誕生会の全体のコーディネーター


ハンさんから誕生会のお礼の言葉

徒歩、宿舎へ戻る。洗濯の続き。スニーカーを洗剤とぬるま湯に
つける。

読書「世界 12月号」(岩波書店)

「ドンキ・ホーテの時代だったスペイン」(寺島実郎)
今日の混迷した日本を17世紀のスペインの興亡の歴史を
通してみようという試み。TPP問題を見る際の大きな参考に
なった。

『平成の「属国」化 TPPの嘘』(金子勝;慶応大学教授)

今日、野田首相がAPECでTPPへの関係国との協議に入ること
を言明した。

TPPの本当の狙いは何なのか? TPPに参加したらどうなるのか?


午後7時(日本時間午後9時)のNHKニュースで野田首相記者会見を
を見る。

国会は1日だけ。主権者の代表である国会でTPPの件に
ついてきちんと説明しないで、TPP参加の方向をめざしての
関係諸国との話し合いに入るとの態度は、主権在民を
無視した態度である。

野田首相の人間像が見えてくる。TPPに加盟する交渉
といえば反対意見が強い。参加の前の話し合いをするだけ
と「取れる」姑息な手法。
右か左かどちらかをも言わないまま、事実上「TPP参加」表明を
行ったと見た。

アジア太平洋と言っても「中国・インド・韓国」が参加しないで
「アジア」もないものだ。アメリカの子分なので致し方なく
TPPに参加しますとはっきりと言えばいいのに。

朝日など記者クラブの記者の「ピント外れ」の質問に呆れる。
朝日は、TPPの協議に入るのに何故「閣議決定をしなかったのか?」
などという手続き上のどうでもいい質問しかしていない。

テレビ朝日「原則関税撤廃とアメリカが言っているが、どのように
国益に反映するのか? 農業対策は?」

日経「ホノルルに行って、オバマに言うのか? TPPの席で自分の
意見を言うのか?」

TBS「TPP参加に向けて協議するという表現になったのは何故か?」


TPP問題は政府・マスコミ・財界が結託して国民に情報流さず
にファッショ的に加入を進めるという実態が記者会見で暴露された。

フリーのジャーナリストを入れず、記者クラブという『お友だち』
「御用マスコミ』だけと懇談するマスコミと政府の「なれあい」の
実態を見た思いがする。

金子論文は以下。

マスコミは「農業」と「経済」をどちらをとるのか?と問題を
矮小化しているが、実際には24の交渉分野がある。

自動車、農薬の安全基準、高額医療と医療保険
、移民規制、弁護士・医師・看護師などの免許、公共事業の
入札要件の緩和・・・・・。

政府(外務省、経産省)などは、上記の諸問題について
一切の情報を出していない。

金融分野では郵政民営化の郵貯や簡易保険資金の
運用をアメリカ金融機関に割り当てろとの要求が出される。

日本の協同組合などで行う金融・保険業務(共済など)を
アメリカの保険会社にさせよ・・・

医療・保険では、「混合診療」の全面解禁。
お金で医療の質が変る。貧乏人は安いそこそこの医療、
お金もちは高度の医療。国民皆保険制度が崩壊する。

農業問題では、食の安全性が侵される可能性がある。

公共事業の入札の条件緩和。

通信分野では一定の周波数の開放、移民労働の受け入れ。

特にTPPは、「ネガティブリスト方式」という大きな問題がある。
一般的な貿易自由化の場合は、「ポジティブ方式」をとっている。

これこれの品目だけ「自由化しましょう」という方式がポジティブ方式。
TPPは、ネガティブ方式である。この方式は、「これこれの
品目を除き、全ての品目の関税の自由化」という方式である。

TPPで日本の工業製品が伸びるのか?
もともとTPPは、2006年 シンガポール、NZ,チリ、ブルネイの
4カ国で始まったもの。その後、米、豪州、越、マレーシアが
参加に向けて交渉している原状。
これらの国の中で日米でGNPで言えば90%を占めている。
TPPは実質上アメリカが日本市場に向けての貿易外交戦略の
一環であるといっている。
オバマ大統領は昨年の一般教書で今後5年間に輸出を倍増して
200万人の雇用を増やす「国家輸出計画」を打ち出している。
日本のTPP参加はオバマ大統領の人気回復、アメリカの戦略
であると。

農業は壊滅。TPPに加盟し、日本の農業を「大規模化」すべきとの
意見がある。
しかし、実態は以下のよう。
アメリカの一戸あたりの平均耕作面積は約200ヘクタール。
オーストラリアは3000ヘクタール。
それに対し、日本は1、9ヘクタール。いくら「大規模農業」といっても
3000ヘクタールと1、9ヘクタールとの戦いは出来ない。

それやこれやで「TPP問題」の本質は、アメリカの要求に日本国家が
屈するものだというのが、金子氏の論説。
金子氏は近代経済学者、けしてマル経ではないが、最も過激に
TPPに反対の論説を張っている。

午後8時。フダ缶ビールを一本飲む。その後、
京都の玉乃光酒造「純米吟醸 玉乃光」を飲む。
内田さんから頂く。

玉乃光を飲んでいくうちに以下のような気持ちになってきた。

巨人の清武球団代表とナベツネ会長との確執問題だ。
清武球団代表は「やむにやまれず」の記者会見なのだろう。
「不当な鶴の一声」は事実だと思う。

ナベツネ「老害」は、読売新聞だけでなく、某「革新」政党も
同様である。ナベツネの代わりに「ミヤケン」「フワテツ」と
言い換えてもいい。

清武代表は「ナベツネは野球を私物化する」といっているが、
この種の問題は政界、経済界、ボランティア団体など
どこにでもある。老害。「自戒」。

かつての上昇軍団の凋落。スポーツも政治の世界も
同じだ。「余人に代えがたい」と「老害」自身が自分で思い込み
その回りの取り巻き「茶坊主」が持ち上げている間に
「凋落」していくのも「物理的」「客観的な」事実である。


耕から建へ

「老害を 辞めさせて また 新老害」


投稿者 koyama : 19:52 | コメント (0)

2011年11月10日

成田→ホーチミン市→フエ

朝5時半起床。
荷物の整理。おむすび2個ー薬を飲む。

午前7時、ホテルを出て成田「第1ターミナル」へ。
成田の気温は10度。

11月からベトナム航空は、「第2」から「第1」へ
変更となった。

かなり重いスーツケースである。出来るだけリュックに
荷物を移す。


午前7時半、成田空港第1ターミナルへ。
ベトナム航空でチェックイン。チタンカードを持っているので
並ばずにチェックイン終了。
そのまま出国審査へ。出国審査もほとんど人がないく
並らばすに終了。

ホーチミン市行きのゲートで待つが、人っ子ひとりいない。
異様な雰囲気。

そのうち少しずつ人が来るようになる。

午前9時、入機。ほぼ満席。団塊の世代以上の「ご夫妻」や
老年の団体で一杯。

午前9時半出発。

私の回りは偶然か中国人の団体が入っていた。
とにかく「声が大きい」のと「始終話し続けている」のに閉口
する。異常な興奮状態と見た。

午前11時過ぎ昼食。缶ビール1本を飲むが美味しくないので
やめる。

機中で読書「橋下主義(ハシズム)を許すな」(ビジネス社)
読了

内田樹(神戸女学院大学名誉教授)
山口二郎(北海道大学教授)
香山リカ(精神科医)
薬師院仁志(帝塚山大学教授)

の共同執筆。

橋下前大阪府知事(現大阪市長選挙立候補者)の
ファシズムの実態を解明している。
詳細は除くが、以下、橋下氏が大阪府知事時代の
暴言録

●今の日本の政治で一番大事なのは独裁。独裁と
 言われる位の力だ」(2011年6月29日政治資金パーティー)
●政治家を志すちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰
 嘘をつけない奴は政治家や弁護士にはなれないよ。
 嘘つきは政治家と弁護士の始まりなの
 (自著「まっとうな勝負 2006年11月 小学館)
●大阪市の権限・財政をむしり取る(2011年7月1日朝日新聞)
●教育とは2万%強制
  生まれたての赤ちゃんはから大人になるまで、教育は強制
  そのもの
●あのクソ教育委員会のメンバーが、過度な競争が生まれるという
  理由で発表しない(2008年9月9日朝日新聞)
●買春は中国へのODAみたいなもの
 (2003年10月5日TBS サンディージャポンでの発言)

午後1時45分(日本時間午後3時45分)ホーチミン空港着。
ホーチミン市の気温は30度。豪雨。

入国手続きは簡単。直ぐに国内線へ。
(午後2時45分:日本時間午後4時45分)

ホーチミン市発午後7時半(日本時間午後9時半)まで
5時間15分、ホーチミン空港内で待つ。さすがに疲れる。

フエ着午後8時半(日本時間午後10時半)
気温22度

バオミンさんが出迎えに来てくれていた。
いくつかの問題について意見交換。
対策を話し合う。

結局、成田空港で(2時間)
成田 →ホーチミン市(5時間半)
ホーチミン市空港で待機(約5時間)
ホーチミン市 →フエ(1時間)

という日程になった。

日本時間で午前11時に機内食を食べたきり食事をしていない。l
バオミンさんと一緒にフエ市内で「モツの野菜炒め」で軽く
フエのミールを飲む。

午後11時(日本時間午前1時)に宿舎へ入る。

昨日豪雨だったそうで1階の水が入り、図書など大事なものが
水浸し。

カビている衣類などを洗濯する。

さすがに疲れた。


  


投稿者 koyama : 06:32 | コメント (0)

2011年11月09日

成田空港付近ビジネスホテル前泊

寒い

午前6時起床。フエ「帰国」の最終荷物整理・準備。

午前10時までに全ての荷物の整理を終える。
地球の歩き方パンフレット、フェリシモパンフレットなど
を持って帰るので、相当重い荷物となる。

スーツケースとリュックを背中に背負い地下鉄で
巣鴨。巣鴨駅のコインロッカーに重いスーツケースを
預け、池袋へ。
池袋駅で太平観光の北垣会長と会い、2011年9月
から2012年8月までの奨学金の半分を預かる。
しばらく懇談。


その後、巣鴨駅へ。駅前の「デニーズ」へ行き
この数日書き入れなかった「火炎樹日記」
の追加・修正。

午後3時半、巣鴨→日暮里→成田。

午後5時半、成田駅からビズネスホテル着。

ホテルでメールを開くと次男から明朝午前10時発の
ベトナム航空機が午前9時半に変更になったとのこと。
明朝のホテルから成田空港へのバスは午前8時過ぎ
を予約していたが、午前9時半成田発となるとホテル発
午前8時15分発では間に合わない。急いでフロントへ行き
ひとつ前のバスを頼む。午前7時発。
お陰で起床時刻を午前5時半に変更。

メールをチェック。バオミンさんなど22通のメールあり。
フエは洪水とのこと。フエ市内は水であふれ、舟で
行き来しているとのこと。ベトナム事務所も通勤不能で
休みにしている。

明日、無事にフエまで着けるのか心配になる。

バオミンさんとメールでいくつかの連絡をし合う。

-----
日本ハムの新監督に「栗山英機氏」が就任するとのlこと。
新聞報道では契約金3000万円、年俸7000万円で
2年契約を結んだ。背番号は80。(時事通信)
とのこと。


栗山氏は、私の大学(東京学芸大)の後輩。
一般的に言えば、ほとんど教員になっている
大学である。こうした後輩が出ることに一種の
「驚き」を感じている。

TPPに反対。

いよいよ明日あたり民主党・政府として
野田首相が「TPP」への参加を表明しそうな
政治情勢である。

私がTPPに反対する理由は以下のよう

①農業問題
  先日、世界の人口が70億人となった。
  今後、CO2問題もあり「世界の食糧事情」
  は厳しい状況になる。現在もでもアフリカなどを
  中心にかなりの人々が飢餓状態にある。
   TPP加入となると米・豪・ニュージーランドなど
  から遺伝子組み換えのかなり高濃度の農薬を
   使った農産物が「安価」で入ってくる。
  日本の農業は壊滅。その頃になると世界の食糧事情
  が厳しくなり、世界的規模で食糧輸入が厳しい状況に
  なる。
    右翼の連中は「愛国」などと連呼しているが、
  食糧問題は日本民族の存亡にかかわる問題である。
   今日「JA]と「日本経団連」が話し合いをしたようだ。
  日本経団連は、「日本民族」「愛国心」などと言っている
  が、TPP問題にどのような態度を取るかで「愛国」が
  分かるというものである。亀井静香の集会での発言を
  聞いた。個人的には好きな政治家ではないが、
  亀井静香の主張は正しいものであり「愛国」主義
  の人間である。
   日本経団連の会長など「自分たちの利益」のために
  TPP加盟が大事だと言うだけ。

 ②日本の「皆年金」「皆保険」制度が崩れる
    日本経団連は、「亜細亜の流れから遅れる」
   と主張しているが、亜細亜では、中国、インドなどが
   加盟する方針ではない。
    日本は個別的な経済協定を結んでも問題ない
   現状である。

③TPPは結局「アメリカ」主導の経済協定である。
  TPPに加盟することにより、医療の平等性」が
 損なわれ、日本に多くのアメリカ資本が参入し
  経済状態が厳しくなったら、いつでも日本から
  「逃げて行く」状況が出来る。
   今までアメリカの要求で日本「保険」は完全に
  アメリカに席巻された。
   毎日のテレビでも「アリコジャパン」に始まり
  多くのアメリカ保険資本が参入してきた。
   多くの日本の「団塊の世代」はこれらアメリカ資本 
  のテレビでの「甘い誘い」に乗って保険に入っている。

  私の身近 な人もたくさんのアメリカ系資本の
  保険に入っている。
    しかし、彼等は日本の状況が厳しくなったら
  いつでも「帰国」してしまうのである。
  アメリカの「ハゲタカ資本」の連中である。

③結局、TPPは医療も年金も社会保障もアメリカ
  並み(超格差社会)になるということである。
   医療では、金持ちは超高度の医療を受け、
   お金のない人(私たち)は、それなりの
   お金のなからない程度の医療を受けるということになる。

右翼が「愛国」というのなら、野田首相の明日からの態度こそ
厳しく批判し批判しなければならない。
 

投稿者 koyama : 19:40 | コメント (0)

2011年11月08日

北垣さんと懇談:亡母の墓参り

快晴  寒い

午前10時半、池袋で太平観光会長の北垣さんと懇談。

北垣さんは、毎年200万円の年金全額をフエの
学生に奨学金として贈呈している。フエ医科大学だけでも
100人。
この10数年間で2000数百万円の奨学金を贈呈したことになる。
北垣さんとは1994年2月にお会いしてからお付き合いをさせてもらって
いる。17年の長いお付き合いである。


午後12時過ぎ、北垣さんと分かれ、東上線で1時間。森林公園へ。
今年の8月5日に亡くなった母99歳にベトナム「帰国」の挨拶へ。

花と父親の好きだった「キリンビール」。母親と弟の好きだった
「甘味」としてチョコレートを供物として捧げる。
兄は2歳で亡くなっている。私もあったことがないので・・・・。
現在生きていれば、68歳。多分、「飲んべい」であろう。
キリンビールは、父と兄。

1ヵ月程前に行った「49日」「納骨式」の際、飾った生花が
生き生きとしていたが、生花を新しい花に換え、お線香を
あげる。浄土真宗は、お線香は「横に寝かせて」あげるようだ。


先日の49日法要・納骨式の際には、忙しくてきちんと確認
できなかった墓誌を確認。
母親の法名「釈尼淳和」の次には、「小山道夫」と記される
予定。私は個人的に仏式等一切の宗教的な儀式や行事は排除
しているので戒名はない。


森林公園公園駅から1時間、池袋→巣鴨。巣鴨の駅で何冊かの
本を買う。

車中で読書「井上ひさしの日本語相談」(井上ひさし著:新潮社)読了

日本語の歴史と日常使っている日本語についての疑問を学問的、
笑学的に解明。
例えば、住所にある「町」を「ちょう」と読んだり、「まち」と読んでいるが、
何らかの法則はあるのか?との読者の質問への回答。

解答は「法則はない」が、北海道では「ちょう」。156町があるが
森町(もりまち)を除き155町は「ちょう」。

秋田・山形・福島・茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・神奈川・新潟
富山・石川県は全て「まち」で「ちょう」とは呼ばない。
東京も7つ町があるが、「ちょう」。

岐阜・愛知・三重・滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山
鳥取・岡山・山口・徳島・香川・愛媛は全て「ちょう」派。

九州は宮崎・鹿児島・佐賀・長崎は「ちょう」派。
福岡・熊本・大分は「まち」派。沖縄は完全「ちょう」派。

以上の「ちょう」派、「まち」派は、行政区画上の「町」の
読み方。一般の「町」の読み方は入り乱れて法則性なし、
などと解説。


夜、明日のフエ「帰国」のための成田前泊の荷物整理。

読書「橋本主義(ハシズム)を許すな」(ビジネス社)
内田樹(うちだ たつる)、山口二郎、香山リカ、
薬師院仁志などの著書。2011年11月15日発行

橋下徹大阪市長候補率いる「大阪維新の会」の
ハシズム(ファシズム)の実態を暴露し批判する。
いわく
「大阪府庁では自殺者・うつ病患者続出。権限を集中させて
、この男はどこへ向かうのか」
「今、大阪のまちを奇怪な妖怪がのし歩いている。
その妖怪とは、橋下徹率いる大阪維新の会。
名付けて橋下主義(ハシズム)。閉塞した社会を生きる市民の
やり場のない不平・不満をエネルギーに仮想敵を作り上げて
大衆を煽る。このハシズムを大阪で許すと、
全国に広がり、日本の民主主義は崩壊の危機に瀕する。
そんな危機感を抱いた論客たちがハシズム斬りに立ち上がる」
と偉く勢いの良い表紙の文字が躍る。
ハシズム=ファシズムの文字も。

11月27日の投票結果が今後の国政の方向を占う選挙で
もある。個人的には、批判もたくさん持っているが
平松・現市長(自民・民主推薦)の当選を願っている。
大阪でハシストの橋下氏への市民の厳しい審判が
下されることを願う。


投稿者 koyama : 09:20 | コメント (0)

2011年11月07日

伊豆高原から東京自宅へ:次男一家と会食

午前9時過ぎ伊豆高原の別荘で朝食。

内田さんの手作り『洋風朝食』を頂く。

野菜などは、全て別荘の庭の家庭菜園で採れたもの


午後12時半過ぎ、内田さん御夫妻の車で伊東駅まで
送って頂き伊東→熱海→東京→自宅

午後5時まで自宅へ戻る。


3日間、お世話頂いた内田さん御夫妻に深謝。


午後7時半、次男一家と会食
地球の歩き方スタディーツアーの打ち合わせ



投稿者 koyama : 17:33 | コメント (0)

2011年11月06日

伊豆高原の「一碧湖」散策

今日は終日、内田さんの旦那さんの運転で伊豆高原の
散策。



内田さんの別荘には、家庭菜園があり、各種の花も
咲いている。



眼下には、伊豆の海が広がる。

投稿者 koyama : 17:27 | コメント (0)

2011年11月05日

伊豆高原の内田さん別荘へ

快晴

午前中、新幹線で熱海へ。


熱海から伊東線で伊東駅へ。

伊東駅には内田さん御夫妻が車で迎えに来てくれる。
日本へ帰国し、講演会などで疲れているのでは
とのことで2日間の休養のチャンスを頂いた。
内田さんの伊豆高原の別荘へ。


伊東駅には、内田さん御夫妻が車で迎えに来てくれる。
内田さんの車で伊豆高原へ。内田さんの別荘。
今日から3日間、内田さんの別荘で休養。
合わせて、「子どもの家」のクリスマス会などの
打ち合わせを行う。


日本へ帰国し50日。その半部は講演会などでホテル住まい。
さすがに疲れた。内田さんの別荘で2日間だが、ゆっくりと
休養し、11月10日のフエ帰国に備えたい。

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大阪市長選挙

共産党推薦の候補が立候補を辞退した。
泡沫候補 羽柴秀吉も辞退した。

結局、大阪市長選挙は、平松現市長と
橋下元府知事との一騎打ちとなった。

共産党も現市長の平松氏の支持に回った。
今回の日本共産党の立候補辞退、平松氏支持方針という
態度の変化を歓迎したい。

今回共産党候補が立候補しても結局、平松氏の
票を奪うだけ、とは誰の目にも明らかだった。
共産党は今までこの種の選挙では、大体「独自路線」を
取り、結局は「最悪候補が当選するのを事実上推進して
きた」事実がある。

1930年代、ドイツでヒトラーが選挙で政権をとり、ファシズム
路線を確立して行ったが、橋下候補は、ヒトラーと政治的
手法は酷似している。
ヒトラーはユダヤ人という「敵」を作り、第一次世界大戦で
敗戦国となり領土喪失と多額の戦後賠償で不満の募って
いたドイツ国民の不満をファシズムと言う手法で吸収し、
政権を奪取した。
当時のドイツの第1党はドイツ社会民主党であった。
ドイツ共産党と協力すれば、社民党と共産党政権が出来、
ヒトラーファシズムを阻止する可能性があったのだが、
社民党も問題があったが、ドイツ共産党も「社会民主主義主敵論」
とでもいうべき立場をとり、共闘できないまま、ヒトラーの選挙での
勝利に「事実上貢献」して行った。

今回の大阪市長選もドイツと同様の経過をたどろうとしていた。
今回の日本共産党の選択は日本のファシズム化を阻止する
「大同団結路線」「小異をすてて大道につく」という選択を
高く評価したい。橋下府知事が任命した大阪府教育委員会の委員の
大半が橋下知事に「反旗を翻した」事実は、橋下知事の手法が
いかに強引・ファッショ的であり、味方の人でさえついていけない
ものであることが分かる。

投稿者 koyama : 17:18 | コメント (0)

2011年11月04日

上尾市星野さんと懇談:「キューバ・ベトナム旅行幹事会」

快晴

午前中家を出て池袋へ。池袋から大宮。大宮で「ニューシャトル」
に乗り換え「原市駅」下車。

「子どもの家」の里親であり長年の支援者でもある星野さん経営の
スパへ。


花咲の湯社長の星野さんがでむかえてくれる。


1時間程スーパー銭湯に入り、ゆっくりと過ごす。

午後3時、星野さんとスーパー銭湯内のレストランで話し合い。




2時間程の話し合いを終え、1時間半かけて池袋へ。

午後6時半、池袋着。

今日は高校同級生の「キューバ・ベトナム旅行幹事会」打ち合わせ会を
行う。

参加者はキューバ人と結婚しキューバ在住のMさん、
ベトナム在住の私、東京大学 先端科学技術研究センターのG君、
社会福祉の大学院で勉強し、現在その分野の研究を続けている
W君の4人。

キューバ、ベトナム社会主義の現実、実態、歴史的な意義などを
考察する。考察が進み過ぎ、ライオン生ビールを相当杯飲み干す。



午後10時近くまで懇談。

投稿者 koyama : 10:31 | コメント (0)

2011年11月03日

次男家族と交流会

快晴  少し寒い

昨夜、帰宅が遅かったこと、痛飲したことなどがあり、
朝、なかなか起きられなかた。

午後12時、次男一家と志村坂上のファミレスで
会食。

半年に一度位孫と会うが、会うたびに少しずつ成長してきている。
半比例して私が老化していることが分かる。
地球上の生命体の宿命である。


午後2時半、バオミンさんとSKYPEで1時間程諸問題を
話し合う。

23通のメール受信。返信。(2時間程かかる)

フエ帰国の諸準備を少しずつする。

午後7時35分頃、結構大きな地震があった。
家具が大きく揺れる。

「京滋YOUの会」のTさん(酒屋の息子さん)から
京都での講演会の際
『北海道限定』の「サッポロクラシック」を半ダース頂く。

冷蔵庫で冷やしておいた。今夜、賞味する。
美味しい。

投稿者 koyama : 20:13 | コメント (0)

2011年11月02日

浅草「酉の市」:ラオス・ラム酒ー「ラオディー」販売促進会議

快晴

午前中、JASS関連の仕事。
21通のメール受信。必要な送信。

午前11時半、自宅を出て上野へ。上野から地下鉄日比谷線で1駅の
「入谷」へ。
入谷から徒歩で浅草国際通りに出て、「浅草酉の市」へ。
今日は、浅草酉の市の「一の酉」。今年は、「3の酉」まで。
三の酉まである年は、火事が多いそうだ。

この30年。ほぼ毎年酉の市には、行っている。
今年の酉の市は、例年より人出が多い。
 酉の市の入口まで歩道に100メートル位並ぶ。入口まら
拝殿までの間は7列に並ぶ。拝殿の「鈴」が7つあるからだ。




拝殿までの途中の両側には、「縁起ものの熊手」が売られている。
1つ10万円以上もする熊手もある。
拝殿の両側の店が一番目立つ。政治家などが「売名」のために
熊手を買い(実際に買ったのか? お店に頼まれて名前を貸したのかは
は不明だが・・・)、名前を貼りだしている。

 みんなの党の渡辺喜美  や石原慎太郎一家も「売名」熊手を出している。
公選法に抵触しないのだろうか?




参拝し、境内にあるお店を参観。
境内では縁起物の熊手が売られていたが、値段がたかすぎる。


昔懐かしい「縁日」の屋台のお店が
たくさん出ている。海産物をおつまみにお酒が飲めるお店もある。



上野駅中央改札口には「巨大」な縁起物の熊手が飾られていた。



午後6時半、池袋でラオス・ラム酒の「ラオディー」社の
ラム酒の「販売促進特別会議」を開催。


ラオス・ラム酒と池袋ライオンビールや日本の焼酎の味の
比較を行う。

一部会議参加者は、「まだ、比較が不十分」との理由で
ビール、焼酎を痛飲する。

午後10時前、ベトナム、日本でのラオディー社「ラム酒」の
販売の一層の促進を確認し散会。


私は山手線池袋から外回りで巣鴨へ行くつもりで山の手線に
乗車。

一駅目の「大塚駅」に着くと停車。「渋谷駅で停電。原因不明
再開はいつだかわからない」との車内アナウンス。

仕方がないのでJRを下車し、都電荒川線の大塚から乗車。
新庚申塚で下車するところを一つ手前の「庚申塚」で降りて
しまう。歩いて都営三田線「西巣鴨」へ。自宅着午後11時。

投稿者 koyama : 09:13 | コメント (0)

2011年11月01日

巣鴨・池袋へ

快晴

午前8時起床。

午前中、家でゆっくりする。

午後、巣鴨・池袋の本屋へ。

買いたい本が結構あったが、1冊だけに。

「革新幻想の戦後史」(竹内洋:中公新社)

上製版は値段も高く、重い。私は基本的には
上映版の本が1年か2年後に「文庫本」になった
時点で買っている。今回は、諸事情があり、
どうしても「戦後史」関連の本を読みたいので
本書を買う。2800円。


読書『「心」と「国策」の内幕』(斎藤貴男著:筑摩書房)


巣鴨駅の入口で目撃。
高校生の女子2名が改札の入口で話をしている。
良く見るとコンビニのおにぎりを食べている。
人間の行動は自由ではあるが、改札口の前でおにぎりを
食べることには、さすがの私も「違和感」「抵抗感」を
感じた。規範意識の低下などと非難する気はないが、
どうしてこうなってしまったのか?

そういえば、我が家の前の道路を70代と思われる
女性が片手に携帯をしながら、片手運転で自転車に
乗っていた。今時の若者と言えない今の日本である。

投稿者 koyama : 18:45 | コメント (0)