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2011年11月14日

「子どもの家」にてセン委員長と打ち合わせ

雨のち曇り  A8  気温27度  湿度90%

午前7時朝食。「フォー・ボー」(牛肉入りフォー)+野菜

午前8時過ぎ雨が止む。バオミンさんがオートバイで迎えに来る。
バオミンさんのオートバイで「子どもの家」へ。「子どもの家」で
センさん、ロックさんと打ち合わせ。

ベトナムの物価が上がり、こどもたちの生活費、スタッフの
生活が厳しくなっている。対策を考える。

11月21日が「子どもの家」創立17周年記念。
式典は11月19日午前9時から挙行することにする。
11月20日(日)が「バンベー40号」の編集仕上げの
締切日。19日の式典の後、急いで写真の整理、原稿を
書いて、最終レイアウトをしてくれる静岡の有ヶ谷さんに
送らなければならない。


午前10時過ぎ、話し合いを終了。
バオミンさんのオートバイで大型スーパー「BIG C」へ。
宿舎入口の鍵を買う。今まで何度も鍵を取り替えてきたが、
現在の鍵もなかなか開かなくなっている。
原因は、太陽が出ると30度・40度の高温で鍵の金具が
膨張する。現在は雨季。雨が降ると鍵の中に水がたまり
「錆びる」。膨張・縮小・錆びを繰り返すと鍵の機能が停止する。
という事情で既に3つの鍵が使えなくなってしまった。
今回は、大型スーパーで一番値段の高い(1000円)鍵を
買う。何度も鍵が開かなくなり、入室できなかったことの
反省に立って。

午前11時半、昼食。

チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

行儀は悪いが、食事をしながら読書
岩波書店・雑誌「世界 12月号」。 
「沖縄の傷という回路」(新城郁夫著:琉球大学教授)
ある意味で衝撃を受けた論文であった。
「頑張れ日本」というスローガンが「日本という危機」「日本という
国家の危険性そのものを覆い隠している」と。
日本という国家に抑圧されている沖縄に取って、沖縄抑圧の
日本と言う国家暴力に「頑張れ」と言われれば、よけい沖縄の
人たちは、危機感を感じると。
沖縄の人々と本土の人ととの温度の格差を痛切に感じる。
沖縄「八重山教科書採択」問題も『日本』の沖縄抑圧の
象徴と。

沖縄返還時、1970代初頭。「本土の沖縄化に反対する」
と本土の革新政党は主張していたが、作家の中野重治
は「本土の沖縄化に反対する」ことに反対すると主張した。
集団自決を強要され、島民全員が戦場から逃げられなかった
沖縄の人間に取っては、「本土の沖縄化に反対する」との
スローガンは、沖縄に対する内在する差別意識そのものだ
との指摘。

午後12時から2時間昼寝。
50日ほどの日本での活動の疲れも出て、ベトナムへ帰り
ほっとしているのと同時に疲れが出た。
ベトナムに帰ってからも「やらねばならない仕事」がたくさんある。

午後2時から午後7時まで「バンベーの編集・更正」。
ブライセンベトナム支社員の訪日ビザ申請のベトナム側部分の
申請資料作成。

何度かバオミンさんと電話で意思統一。
ブライセン日本本社に電話をし、意思統一。

ハノイの日本大使館にビザ取得関連で電話。
ハノイ・ビザ担当者の日本人と電話で話す。

昨年、日本料理店のトウオイさんが訪日し日本料理の
研修を帯広でするとのビザ申請書をハノイの大使館に
出した時、ハノイの大使館は「本人をハノイにこさせろ、
尋問する」との態度だった。この18年間、数十人の
JASS関係者のベトナム人の訪日ビザを申請したが
一度もハノイの大使館に「来い・面接する」などと言うことは
なかった。

今回も申請書を出すが、「同じことがないように」と
ハノイ大使館のビザ担当の責任者の日本人に
心からお願いした。

担当の日本人女性は「呼び出すこともできるという決まりですから
ハノイまでの呼び出しがあります」との紋切り型の返答。
貴方は何様だ・・・と「チョッと」心が乱れる。
私がハノイの大使館に出した「子どもの家」のこどもたちや
JASSスタッフの訪日申請書で問題や疑義があるのなら、
ハノイへの呼び出しも可。面接もありうると理解しているが、
申請者も含め何ら問題もなく、過去10数年間、JASSからの
訪日申請で問題を起こしたこともない「実績」がある。
前回の申請のどこに問題があったのか?と質問。
担当者のFさんは「それはいえない」とのこと。

理由も言えないで「ハノイまで来い」とは、如何なものか?
フエからハノイまでの飛行機代往復2万円。1泊が必要。
最低15000円程の費用がかかる。日本料理店の
こどもたちの給料の2ヶ月分である。
それでも問題があるのなら、フエからハノイに呼んで
話を聞く必要もあると思っている。
最低、トウオイが何故、ハノイに来るように言われたのか
の理由は知らせるべきであるのだが、「言えない」とのこと。
これでは、ハノイ大使館が「殺傷与奪の権利」を握っている
ようなものである。海外に行けば外務省の人間は、オルマイティー
の権利を持ってしまうのか?

それだけ立派なことを言うのなら、野田・オバマ会談の
内容のアメリカ発表に抗議するど無様なことはするな、
TPPのオブザーバーにすら出られなかった野田首相の
下準備すらできなかった外務省の無能をこそ自己点検
すべきである。私たちのような弱小団体への意地悪や
いじめはやめるべきだ。
私たちに居丈高に「決まりだ」とお説教をするのなら
アメリカに少しは何かを言ったらどうなのだろうか?

ハノイ大使館の日本人女性担当者のFさんに以下の質問をする。

「決まりなので」というのであれば、私が1993年にフエに住みだし
てから3年間「在留日本人登録」をしようとしたが、ハノイ大使館と
ホーチミン総領事館の間で、「フエ」をどちらが担当するかで「もめて」
1993年から1996年までの3年間、私は「在留日本人登録」が
できなかった。

担当の日本人Fさんに「外務省設置法」で「在外公館(大使館等)
の任務は、「在留邦人の保護」と明記されているが、あなた方は
決まり、決まりと言うが、3年間、私の在留邦人登録を申請できなく
し、日本国の法律で「保護される権利」を侵害されたたことは、
貴方が言う、「決まり違反」ではないのですか?

と質問。

私とJASSは川口順子外務大臣から「外務大臣表彰」
を受賞しているが、貴方の上司である外務大臣が「ベトナムで大きな
功績を残し、日本の信用をベトナムで発揮した」と表彰した
私たちを「怪しげな不法な団体」だと思っているのですか? 

「ハノイ大使館にフエから呼ぶことがある」「決まりだ」
というのであれば、北朝鮮の金正日の息子の正男が偽造
旅券で日本に入国したのは、「決まり違反」ではないですか?
金正男は、旅券法違反をしても釈放し、真っ当にビザ申請を
している私たちを初めから「怪しい団体」として、フエからハノイ
大使館まで呼び出す(1000キロ)のはおかしいのではないですか?
前回、何が問題で「ハノイ大使館まで日本料理店のトウオイを
呼び出すといったのですか?」


以上、3点「在留邦人申請が3年間できなかった」「外務大臣
表彰をもらっている団体に不信感を持っていること」
「偽造旅券の金正男の不法釈放」について説明して欲しい、
と担当のFさんに聞く。「決まり、決まりというが、あなた方、
外務省は自分の都合で「勝手に決まりを破っているのでは
ないですか?」と質問。
Fさんは、答えられない。大使館員は公僕である。
国民に奉仕する立場である。国民の私たちがハノイの
一部の横暴な大使館員に「奉仕する」構図は、異常である。


悪代官のように立場の弱い人間に
意味もなく『いじめるような』ことをする人間を軽蔑する。
この種の人間は、上司には反抗できないのだ・・・。
私など東京自宅にいる一番偉い某女に「いつも反抗いている」
と自慢をしたかったが、これは脱線。

私は「権力を嵩(かさ)にきて」居丈高になる人間を見ると
「ムラムラ」とし(表現に間違いあり「ムカムカ」です)闘争心が燃え
上がるのである。
嫌な性格を持て余している今日この頃である・・・・・・。

何とか時間をかけてビザ申請書の原案を書き上げる。

午後6時過ぎ、ソン君が来る。バオミンさんから預かった
バンベーの原稿が入った「USB」を持って来てくれる。
感謝。


投稿者 koyama : 2011年11月14日 13:12

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