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2011年11月29日

午前中「子どもの家」へ:午後、大学卒業予定者と懇談

曇り時々晴れ。一時、30度を越す。日本で言えば「真夏」。

午前7時、朝食。「小豆入りのおかゆ」と「人参・キャベツ」の温野菜
小魚の甘辛煮(味が強い:3分の1食す)


午前中、メール受信。送信。当面するいくつかの問題について
計画と進め方の手順を整理する。

筋トレ。


午前11時、宿舎を電動バイクで出て、「子どもの家」へ。

「子どもの家」のT君へ里親のUさんから誕生祝いが送られて来た。
T君に里親Uさんからの誕生カードと祝い品(小型双眼鏡)を
渡す。T君から里親のUさんへの手紙を預かる。

午前11時半から「子どもの家」では昼食。41人のこどもたち
なので割合い、こじんまりとしている。
一昔前のように「一癖も二癖」もあるようなこどもたちは
ほとんどいなくなった。41人のこどもたちのうち9人が大学に
行っているという「高学歴」「子どもの家」となった。
大人しく、真面目に食事をしている。


午後12時過ぎ、電動バイクで宿舎へ帰る。既に料理のセンさんが
昼食を作り、帰っている。

野菜サラダ、イカとトマトの煮物、野菜と肉団子のスープ、ご飯
野菜サラダは全て食べ、ご飯とイカは半分しか食べられなかった。
肉団子スープは野菜と肉団子を食べ、スープは残す。
料理のセンさんの味付けが濃い。特にスープは多量の塩を
使っている。この数週間、塩味のものを出来るだけ制限してみた。
朝、計る「血圧」が確かに下がっている。塩と血圧が直結している
ことが分かる。

食後、30分ほど昼寝。

午後2時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

今日は2012年6月頃大学を卒業予定の「子どもの家」の
こどもたちを呼んで、「進路指導」を行った。

フエ医科大学6年生のフオンさんは、実習で地域の
医療センターに行っているので今日は欠席。後日、面接を
行う。

今日の面接の目的は

①「子どもの家」のめざしている「自立」の最終局面であり
  人生の進路に大きな影響を与える「就職」を考えてもらう。
②自分の進路は自分で考える。私たちはその手助けをする。
③遠い将来の話ではなく、来年には具体的に就職先を決めなければ
  ならない。具体的な進路を「一人一人」と話し、こどもたちに
 考えさせる。


こどもたちに取っては、人生で初めての経験である「就職」。
将来を見通して、決めてもらいたいと願っている。
とかく、最近のベトナムは、全てが「お金」に帰結する傾向が
ある。お金だけでなく、一生の「生きがいとしての仕事」
も考えなければならない。

今日は、バオミンさんがポルトガルに行っているので
私とハンさんで「一人一人のこどもたち」と話し合う。
結論は出さないことにしている。


●Nさんは、フエ師範大学教育学部小学校課程4年に在学。
 2012年6月に卒業予定とのこと。
 家族状況は父親が1999年のフエ大洪水で亡くなり、
 母親と妹の3人が残される。母親は、フエ郊外の純農村に
 住み、合作社(日本の農協のようなもの)に勤務。収入が少なく
 子どもの生活の面倒が見られない。
  10年近く前に妹が「子どもの家」へ入所。その後、
 姉のNさんも入所。妹はフエ省立高校の難関校である
 「グエンフエ高校」へ通っている。
 Nさんの希望は小学校の先生になりたとのこと。
  「どこの小学校で仕事をしたい?」と聞いてみる。
 母親が住んでいる生家の近くの小学校で働きたい、
 母親と一緒に暮らしたいとのこと。

ーー
Tさん。姉はソン君と結婚し、フエ市人民委員会外務部に勤務。
Tさんはフエ師範大学化学学科4年に在学中。
2012年6月に卒業予定とのこと。卒業後は、フエ省立高校の
化学の先生になりたいとのこと。


ーー
遅れてきたBさん

フエ高等医療学校看護科に在学中。
2012年9月卒業予定。
卒業後は、外科の看護婦になりたいとのこと。

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3人の進路希望を聞き、色々と話し合う。

今日の話し合いは第1回目。こどもたちが自分の
進路を自分の問題として、具体的に考えていることに
安心する。何とか、希望の就職先に勤務できるといいのだが・・・・。

2時間ほど話し合う。

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午後7時半(日本時間午後9時半)。
NHK総合テレビのニュースを見ていた。
福島市近くの農家の米から基準値を上回るセシウムが
検出されたとHNKのニュースは報道していた。
ボーッと見ていると見たような顔が出てきた。愚息である。
彼は、以前から「全農地の汚染マップ」を作るべきだと主張していた。
文部科学省や福島県の汚染調査は、一分の地域だけを検査する
「サンプル調査」。これでは、ホットスポットはわからない。
福島県は、サンプル調査を行い、「福島県の米は安全だ」との
ニセ安全宣言を行っていた。しかし、福島県の米から基準値を超える
米が検出されている。
こうした状況で、全農地の汚染マップを作るべきだ、国や県が
作らないのなら、自分たちで作ろうという活動を行っている。
今日のNHK総合テレビのニュースは、こうした活動を報道していた。
真っ当な活動ではある。国や県など「お偉いさん」の言うこと、
やることは、信用出来ないということが3・11以降、一層
明らかになっている。

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田中聡沖縄防衛局長が、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の
名護市辺野古への移設計画に向けた環境影響評価の評価書の
提出時期を政府が明言していないことをめぐり
「犯す前に、犯しますよと言いますか」と女性への乱暴に例える
発言をしていたことがわかったかった。

沖縄防衛局は防衛省の「沖縄支店」のようなもの。
田中局長は、言って見れば、「防衛省」の沖縄支店長。

そもそも田中局長の上司である一川保夫防衛相自身が
「私は安全保障の素人だが、それが本当のシビリアンコントロール
(文民統制)だ」と述べて顰蹙(ひんしゅく)を買っている。
また、「宮中行事より、私にはこちらの方が大事だ」と言って、
ブータン国王夫妻歓迎の宮中晩餐会を欠席し、民主党同僚議員の
パーティーに出席していた一川保夫防衛相である。
「親分が親分なら子分も子分である」。
こんな連中に武器を持たせている日本人の不幸の
根源はここにある。空恐ろしいことである。

同時に田中聡沖縄防衛局長の呼びかけに答えて
「防衛省記者クラブ的」9社(10人)の記者が田中局長と飲み会
をしている。日本の腐ったマスコミの実態である。
そもそも「全てのことを批判する」マスコミが、権力の核心
である「武力行使」の沖縄責任者と一緒にお酒を飲むという
こと自体が、異常なわが日本国である。
田中局長が「暴言を吐いた」ことは、許されないことであるが、
この種の発言が8社の馴れ合いマスコミとの飲み会で出た
ということは、つね日ごろ「田中局長」と「マスコミ」の馴れ合い
宴会があり、田中局長は「いつもの雰囲気で仲間の
新聞記者である8社記者クラブ的な宴会」で発言してしまった
ということである。
田中局長の宴会での発言を暴露したことを「とくダネ」と
報道している大手マスコミ自体も「恥を知れ」と言いたい。
あなた方は、いつもこんな調子で「批判・監視すべき対象」
である権力者と宴会をしているのだ。監視する相手と
宴会をしていて本当の批判は出来ない。

参加マスコの中でこの暴言を新聞に掲載したのは
「琉球新報」のみ。他の新聞記者も聞いていたはずだが
琉球新報以外は、報道しなかった。

在京マスコミは、田中局長の「暴言」を聞いていながら、
馴れ合い体質で翌日の新聞報道をしなかった。
沖縄の琉球新報が報道したので、慌てて在京マスコミは
報道をし始めた。

田中局長を批判する刀でマスコミは、自分自身をも
切らなければならない。田中局長は馬鹿ではない。
「いつもの宴会の調子でしゃべったら急に批判しやがって」
との気持ちを持っている。
そもそも、マスコミ(ジャーナリストとは言えない連中)
がこの種の人間と宴会などしてはいけない。
宴会をしていれば、馴れ合いになり記者会見で
厳しい批判の質問などできるわけがない。


田中局長の暴言を批判する大手マスコミに対し
田中批判と同時に大手在京マスコミをも批判したい。
権力との馴れ合いである「記者クラブ制度」を直ちに
止めるべきである。オープンな記者会見を組織すべきだ。
全ての権力者との記者会見は「誰でも参加できる」
ものにしなければならない。大マスコミの記者だけの「占有物」
ではないのだ。


一川保夫防衛相は田中局長を「不適切な発言」で更迭するという。
その前に一川保夫防衛相、自分自身を「罷免」したらどうだろうか?
自分は「不適切な発言」はしていないのか?

政治は意見の違いがあって成立するものだ。
意見の違いは当然だが、一川保夫防衛相も
田中局長も「意見の違い」問題ではなく「品性」の問題である。

投稿者 koyama : 2011年11月29日 18:09

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