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2007年12月31日

ベトナム事務所・日本料理店合同「望年会」

雨・曇り

午前7時朝食。

今日は大晦日。

リー君は1階から5階までの階段の掃除。
ハイ君は1階フロアーの掃除。
トゥオイさんはホテルの周り。

午前8時過ぎベトナム事務所へ。
年末の挨拶に色々な人たちが来訪。

グエンフエ高校来訪。


フールー小学校来訪。

ズイタンホテル代表来訪。

以前ピースボートで「子どもの家」に来た方が再訪。懇談する。

午前10時半過ぎ、フエ師範大学時代の教え子であり
フエ市人民委員会外務部員をしているイクホアンさんの
父親が亡くなる(60歳)。お葬式に参加。


午後4時、日米の福祉関係の研究者の方が来訪。
1時間半ほど色々な問題を話し合う。

午後6時。ベトナム事務所・日本料理店合同望年会。

バオミンさんの挨拶。

今夜は日越混交料理。

●内田さん差し入れの「年越しそば」を皆で食べる


●お寿司


●てんぷら

●ベトナム前菜


●ベトナム海老料理

バオミンさん家族も参加




途中で子どもたち一人一人に新年の公式な挨拶をさせる。
これも社会に出るための勉強。子どもたちは人前で
公式な挨拶をした経験がない。みんな恥ずかしがったり
もじもじしながらも頑張って「公式な挨拶」をした。






会解散後、残った人たちで紅白歌合戦を見る。

午後10時半頃、「ハイリーホテル」住人一緒に帰る。

「ハイリーホテル」でリー君、ハイ君と3人で更に
「人生」を語る。日曜日に食べた「鳥鍋」をつつきながら。


投稿者 koyama : 12:12 | コメント (0)

2007年12月30日

久しぶりの休日

朝から雨。時々曇り。夕方雨。

午前8時。気温21度。湿度95%。寒い。

TBSテレビ関口宏の番組を見る。
なかなか内容のある番組だった。世界の貧困・格差問題、
環境問題を資本主義の歴史から紐解き、「新自由主義」
の本質ーグローバリズムを解明している。コメンテーター
の金子・寺島・田中・江川・・・・などは、マルクス主義者
ではないが、新自由主義の本質をきちんと見抜き
、アメリカべったりの日本のこれからの進路を見定めよう
としている点を評価したい。

「ハイリーホテル」は新興住宅地にある。
行政が10年ほど前に計画を策定し、田んぼを埋め立てて
作られた地域。田と畑の中にフエなど都会の金持ちが
邸宅を作っている。この新興住宅を作る計画を立てた
フエの「お偉いさん」は事前に土地を安く買い大もうけを
している。ベトナム版・田中角栄を髣髴(ほうふつ)させる。


午前10時、リー君とハイ君と3人で近くの大衆食堂へ行く
予定だったが、ハイ君がいない。散髪に行くと言って朝5時に
部屋を出たと言う。リー君の話では、「子どもの家」へ行って
帰ってこないだろうという。ハイ君にとっては、「子どもの家」が
一番安心して落ち着ける所だとリー君は言っていた。
結局リー君と二人でリー君推奨の近くの大衆食堂へ。

軽くビールを飲む。

リー君推薦のおつまみを頼む。

●焼き豚肉(ベトナム風ヤキトン)

●焼き魚のフライ
 意外と美味しかった。


大衆食堂のオーナーを呼んで一緒にビールを飲む


●鳥肉の鍋物(本当に美味しかった)


●牛肉のじゃぶ鍋



飲みながら「真面目に仕事をすること」「気分だけで仕事をしないこと」
などを話す。リー君は父親、母親の話、好きな女性の話などを
していた。両親に対しては、実に客観的かつ正確な評価を持って
いたのには、驚いた。
一人の人間を育てるということは、一人の人間の人生を
かけて行う人生の事業である。私にリー君の人生を
「矯正」する程の力はないが、それでも多少人生の先輩として
語ることはある筈。この男と飲んでいると「頭の良さ」とはなにか
をつくづくと感じる。大衆食堂に入るなり、「氷水にビールを入れた
バケツを作って」と店主に頼んでいる。
私のコップのビールがなくなりかけたら直ぐにビールを注ぎ、
おつまみの注文も的確にする。人の顔色と気持ちを読み取る
力は抜群。日本の子どもたちや若者になくなった能力。
引っ越して2週間。リー君は「ハイリーホテル」の周辺の
大衆食堂のオーナーと仲良くなっていた。
ヤギ肉屋、このお店、その他・・・・・。
この能力も素晴らしい。
こうした人間を「頭の良い人間」と私は言いたい。
日本では「学力」論議が旺盛に行われているが、大半は
かつての予備校・受験の学力。生きる力ではない。

ビール9本と何種類のかの鍋物などで会計は1500円。
日本で大衆飲み屋に行き、生ビール1杯、ホッピー1杯、
モツ煮込みなど2種類程度を飲んで、2500円程度は
かかる。「ハイリーホテル」近くの大衆食堂の食べ物は
美味しい。また安い。

午後12時半、「ハイリーホテル」へ帰り昼寝。

夕方、ベトナム事務所へ。「ハイリーホテル」の部屋の
パソコンは、デジカメを取り込めないくなってしまった。
日記が書けない。20分ほどベトナム事務所で
日記に写真だけアップする。

夕方、ハイ君、トゥオイさんが「子どもの家」から帰ってきて
いた。先週も一緒に昼食を摂ると約束をしてこなかった
ハイ君だが、今日もまた来なかった。「子どもの家」が
一番好きなようだ。
ハイ君に取っては10数年間過ごした「子どもの家」が
自分の帰る故郷なのだ。

午後6時半過ぎ、日本のテレビを見る。
4チャンネル。テレビでは、「大食い競争」(日本テレビ)を放映。
上寿司を大食いして勝った芸能人には、100万円上げるという
馬鹿馬鹿しい番組。この種の番組を見ると腹が立つ。
かたや報道部門では世界の飢餓の報道をしておきながら、
馬鹿馬鹿しい何の意味もない「大食い競争」を放送している
テレビという怪物。

6チャンネルTBSを見ると「レコード大賞」。これも全く興味なし。
8チャンネルフジテレビ「ほんまでっかニュース」。
10チャンネルテレビ朝日「武士の一分」
12チャンネル(テレビ東京)「田舎に泊まろう」


「武士の一分」を見ながら、軽く一杯飲む。
木村拓哉の下級武士が良い。人間は、損得を抜きに
生きる何かがあるのだ。今年の日本は、安倍首相から
始まる「偽装」まみれの一年間だった。
「美しい日本」はどこへ行ったのか?
2008年3月までに5000万件の消えた年金は
最後の一人まで必ず探しだすと言明した安倍氏。
今、政治家としてどんな責任と弁明をするのか?
国会に出ているようだが、恥ずかしく人前には
出られないのが、「武士」である。
間違って食中毒の食事を出したお毒見役は
切腹して責任を取っている。切腹をしろとは言わないが、
安倍元首相は何らかのけじめと責任を取る義務が
ある筈だ。平然と人前に出られる人間の神経を疑う。

藤沢周平は下級武士を主人公にしている。
何冊か藤沢作品を読んだが、強い共感を持てる内容。
下級武士でも人間の最後の一線を持っている
いるということ。その一線を侵されたら死んでも
意地を通すといいうこと。藤沢作品の人気は
そこにあり。安倍元首相は「武士の一分」があるのか?
それとも生まれながら責任感のない上級武士なのか?
「人間の一分」があるのなら、平然と国民の前には
出られないのが、「美しい国」日本だったはずなのだが?
などと、お酒の勢いで変な長調に転調しつつある。

ーーーーーー
変なおじさん

昨日、昼過ぎにベトナム事務所に「変なおじさん」が来た。
「ジェトロ」(国際貿易振興機構)にいたとか「外務省に顔が
聞く」などと言って。
土曜日の午後。常識的に考えて事務所は休みである。
そんな時に訪ねてきて「自慢話」をする60代後半かた70代
のおじさん。事務所は休みとスタッフは言うと、日本料理店の
ビールを飲ませろといい、生ビールを飲み、「日本料理店の
やり方が、ここが悪い、あすこが悪い」「こう直せ」などと
スタッフにお説教を垂れていったとのこと。
その話を聞いて「この種の自慢話おやじは時々来るが
意味のない人間。時間がもったいないから無視するよう」に
言う。

夜7時頃、再度「自慢おやじ」が日本料理店に来店。
お客さんなのできちんと対応。日本語学校教師に
お説教を垂れたいようで若い日本語教師を探す。
変なおじさんの後ろで、会員のTさんと私が日本語で
色々な話をしていた。
へんなおじさんは、ベトナム事務所のスタッフが
相手にしないので、午後9時前に日本料理店を
帰ろうとし、私の所に来る。なんと英語で話しかけて
来る。私とJASS会員のTさんとの話は全て後ろに
いて「変なおじさん」には、聞こえていた。
しかし、私に英語で「明日、日曜日貴方と話し合いたい」
という。自分は英語が出来ると言う自慢をしたいようだ。
馬鹿な人間だ。
私は英語で「明日は日曜日で休みなので
話は出来ない」と返答。変なおやじは、「日曜でも
30分貴方に日本料理店の運営、ボランティアの
運営について、教えてやりたい」という。
私は断固拒否。「貴方と話し合う時間はない」と再度
返答。変なおやじは、怒って帰ってしまう。

時々この種の人間がやってくる。今まで私は一応
この種の人間と付き合っていた。自分はジェトロの
偉い人間で、外務省にも知り合いがいる、
あなたのやっている日本料理店はここが悪い、
ここを直せ、ボランティアもこうしろ、などという
お説教を2時間も3時間も聞かされ、何の意味もない
時間を過ごしてきた。
こんな変なおやじに言われなくてもフエに15年住んで
悪戦苦闘している私たちこそ、実情を知り、思うように
行かない現実と戦いながら、少しでも前へ進めようと
頑張っているのだ。何も現地をし知らない、ジェトロだか
ヘトロだか知らないオヤジの自慢話とお説教をせっかくの
大事な日曜日に聞く必要はない。
リー君と人生を語り合いながらの時間をもてて良かった
と思う。
時々、勘違いをした人間がやってくる。
ジェトロにいたことは、そんなに偉いことなのか?
フエの何を知っているというのか?
これも今流行の「偽装」人間。

投稿者 koyama : 20:01 | コメント (0)

2007年12月29日

ベトナム事務所員会議

朝少し日が射すが曇り、午後雨。

朝7時 気温22度。 湿度90%。

午前7時朝食。人参や野菜・牛肉入りのおかゆ。
朝食はホンニーさんとトゥオイさんが作ることになっているが、
ホンニーさんがハノイの母親のお見舞いに行っている関係
でこの数日は、トゥオイさんが作っている。美味しいおかゆ
に仕上がっている。

午前8時半、2007年最後のベトナム事務所員会議。

(ソン)金曜日に日本料理店の子どもたちに日本語を教えた。
    今年最後の授業なのでテストをした。
    専門用語の日本語は良く出来た。会話など接客の際
    に使う日本語はあまり出来なかった。
    平均的には60点程度。最高はGさんの82点、Tさんの
    69点、Hさんの63点だが、T2さんは19点だった。


(ハンナ)月~金まで日本語学校
      中級(2回)、観光基礎コース(5回)
      金曜日に観光コースのテストをした。
      100点満点もいれば80点の生徒もいる。
      最低は4点だった。
       昨日研修生コースの授業をした。

(ゴック)月~金まで日本語学校
     中級(45人)のクラスだが夜間の大学や高校などに
     行っている学生もいて常時授業に出てくるのは
     20人~25人。そのほか観光コース1回、研修コース1回。
     初めてクリスマス会に参加した。楽しかった。
     JASSベトナム事務所に入って3週間になる。これからも
     頑張りたい。

(税田)日本語学校 研修生コース 2回
     里親や奨学金寄贈者の方々へのお正月のメッセージを
     書いた。
     引越しの後始末

(ハン)子どもたちから里親への手紙の翻訳 25枚
    全教千葉婦人部関連の訪問先に同行し通訳した。
    「子どもの家」・フールー小学校
    千草さん・ハンナさんと一緒に「子どもの家」などの
    子どもたちの定期健康診断に行った。

(バオミン)
    内田さんと行動を共にした。
    全教千葉婦人部関係の方々とナムドンへ行った。
    2008年正月以降のスタディーツアーなどの整理・調整
    計画立案をした。
    1月24日からフエの要人と一緒に日本へ行く。1月26日
    東京北区王子「北区教育会館」での現地報告会、
    静岡市長・日光市長・静岡大学長などとの懇談の準備をした。
    この間、数名の子どもたちが自立のために「子どもの家」を
    退所した。入所希望者で待機中の子どもたちを入所させたい。
    年明けに家庭訪問をする予定。
     ハンさんの仕事分担の提案をしたい。最近だけで
    ハンさんは200通以上の手紙の翻訳をしている。
    そのほか来客の案内など仕事が集中している傾向が
    ある。今後、手紙の翻訳の一部をソン君にさせるように
    したい。ソン君が翻訳し、日本人が最後の仕上げをして
   欲しい。今までハンさんは翻訳をし税田さんが最後の仕上げ
   をしていたいが、今後は、ハンさんの翻訳の一部をソン君
   にしてもらうにした。ご協力をお願いしたい。

(小山)今日は2007年最後のベトナム事務所員会議となった。
    1年間、本当にご苦労様でした。皆さんの仕事と
    ベトナム事務所員の団結で色々な難関を乗り越えて
    今年を終えることが出来た。
     私がベトナムに在住して14年以上になるが、2007年が
    一番困難な年だった。
     日本料理店の移転、JASS観光の設立、ハイリーホテル
    への引越しをした。本来この3つの大事業は、1年から
    2年ほどかけて行う大きな仕事であった。今年は1年間で
    3つの大事業を行った。ベトナム事務所員の団結の力
    だと思う。皆さんの努力に感謝したい。
     ハンさんの問題もそうした2007年の諸問題が
    その底流にある。更に日本語教師が諸事情で
    定員通りになっていないこと、主任のフーン先生が
    出産で4月まで休暇をとっていることで、日本語学校
    の態勢を作るために税田さんや私も動員しているのが
    現状である。今まで11人のスタッフでしていた仕事を
    現在8人でしている状況である。(千草さんは休み)
    全体的にみると2007年は大きな課題に
    少人数で挑戦し、立派に成功させた年と言える。
    成功させるために多くのベトナム事務所員の皆さんが
    相当無理をしたことと思う。
    2007年の皆さんの頑張りは今後10年間
    「子どもの家」や子どもたち、JASSベトナム事務所を
    しっかりと守っていく基礎を作ったと思う。
     ハンさんの仕事を分担しながら、2008年は
    更に新たな人材の採用を検討したい。そうして
   ベトナム事務所・日本語教師への加重な負担を軽減
   したいと思っている。


1時間ほどでベトナム事務所員会議を終了。

その後、リー君の生活態度について、バオミンさんと
リー君に注意を与える。


今日も朝からお酒を飲んでベトナム事務所にやって来た。
リー君は仕事をやる時は本当に立派な仕事をしている。
しかし、気分の起伏が大きく、仕事への緊張が持続しない。
それでも数年前に比べればかなり成長し、落ち着き、
仕事への責任感も持ってきたといえる。
今日は、更にもう一歩リー君にレベルアップし成長して欲しい
との願いで、生活態度への注意をした。
特に「ハイリーホテル」に引っ越してからのリー君の生活態度は
よくないところがある。
朝7時に朝食を摂る。5分ほどで食事をし、そのままどこかへ
行ってしまう。子どもたちの話では喫茶店でお茶を飲み、
午前中は町をふらついているとのこと。
午前11時の昼食まで町をふらつき、午前11時に「ハイリーホテル」
に戻り、昼食を摂る。昼食10分。その後、どこかへ消えてしまう。
ベトナム事務所3階のみやげ物店に遊びに行ったりしているそうだ。
午後2時半に日本料理店へ出勤し、午後9時半まで仕事をするのだ
が、時々、どこかへ消えてしまう。
リー君には、午後2時半から午後9時半(途中1時間の夕食休憩)
までの仕事の対価として、月給を支給している。
しかし、「ハイリーホテル」の宿泊代、3食の食事代はリー君は
出していない。
トゥオイさん・ホンニーさんも食事代と宿泊代は出していない。
しかし二人は朝とお昼の食事を作ることで差し引きゼロにしている。
ハイ君は階段の掃除、1階ロビーの掃除をし、1日中、
「ハイリーホテル」の警備員をしている。
そうした事情はあり、今日は、リー君に1日中ふらふらしないで
「ハイリーホテル」のほかの子どもたちのように「ハイリーホテル」
のために何か仕事をするよう話す。リー君も納得する。
今後、税田さんと相談するが、1階から5階までの階段の掃除を
毎日午前中することになりそう。
 さらに飲酒の件も注意。リー君は20歳を越えているから
飲酒は自由だ。しかし、勤務中の飲酒は禁止。
どうしてもお客さんの案内などで飲酒するのは、「仕事」の
うちなので問題ないが、クリスマス会の午後、カラオケに
行きお酒を飲んだり、今日のように朝からお酒を飲むことは
絶対いけない。飲酒は日曜日か仕事の終わった後にする
よう注意をした。
2点の注意を素直に聞いたのではあるが・・・・・・・・・・・。

午前11時半、昼食。今日は税田さん、ハンナさんは
千草さんと一緒にレストランで食事。
「ハイリーホテル」での昼食は私、リー君、ハイ君、
トゥオイさんの4人。
インゲンの炒め物、「金の魚」という名の魚の煮付け、
野菜スープ。

午後12時半から1時間昼寝。外は大雨。
午後1時半読書「与謝野源氏」(花宴の途中まで)

午後2時から午後4時まで引越しの荷物の片付け。
引っ越してから2週間ちょっと。この間、来客への対応など
忙しく、引越しの荷物は梱包したままの状態。
今日は、引越しで持ってきた本を書架に整理する。
まだたくさんのものがあるが、今日はとにかく本だけは
きちんと整理した。それでも梱包の荷物はかなりすっきりと
した。

午後4時過ぎ、ベトナム事務所へ。税田さんと若干の
問題について話す。

理髪店へ。1時間。2万ドン(130円)。
もうじき新年になるので、せめて頭くらいはすっきりとしたい。
この理髪店には14年間通っている。黙って座ればカット
してくれる。テレビでベトナムの都市対抗サッカーの試合を
中継中。4人ほどお客がいたが、店員さんは、理髪を
しながら、テレビをチラチラとみている。そのうち、全員
手を休めてテレビに見入ってしまった。
私の理髪のはさみをとめて、テレビのサッカーに見入っている
店主のおやじを見て、何故か腹が立たなかった。
改めて「平和」「戦争がない」とは、こういうことなのか?
と思ってしまった。イラクやパレスチナ、アフガンなどでは、
サッカーに見入って理髪店の店主を筆頭に店員が
手を休めてテレビ中継に見入ることも出来ないのかな
などどと思う。32年前のベトナム戦争が終わった意味の
大きさを改めて感じた次第である。平和が一番。
最近の日本はやたらきな臭い発言をする人間が増えてきた。
戦争は、サッカーのテレビ中継というささやかな幸せすら奪い取る
ものなのだ。

午後5時半。日本料理店の子どもたちとハンナさん、千草さん
たちの夕食。税田さんは午後5時から午後7時まで日本語学校。



午後6時1名来客。午後6時半2名の日本人。
その後1名の来客。
そして会員のTさんの来訪。
Tさんは、ホーチミン市を訪問し、ストリートチルドレンを
知り、会員になったとのこと。
2時間ほど歓談したが、本当に真面目な方だった。
こうした方が会員になっていただけることは、
会に取っても誇りである。


午後10時前日本料理店閉店。来客5人。

午後10時半、「ハイリーホテル」でリー君・ハイ君と
3人でビールを飲む。部屋に戻り「奥の松純米大吟醸」
をするめをおつまみで飲む。
就寝午後11時半。


投稿者 koyama : 18:57 | コメント (0)

2007年12月28日

全教千葉婦人部の皆さん帰国へ

晴のち曇り 休肝日

気温25度。湿度70%。(ハイリーホテル5階)

午前6時起床。
やっと引越し前の日常生活のパターンの一部を取り戻した
ようである。血圧測定、心臓・血圧の薬を飲む。

午前7時朝食。マカロニと野菜のスープ。

午前8時から9時半まで部屋で仕事。ボランティア貯金からの
質問などの文章を系統的に読む。
受信メールで返信できていないものを再度探し、返信する。

仕事中、ハイ君とリー君が5階のベランダの植木に水を遣りたい
と言ってやってきた。

午前9時半、バオミンさんがハイリーホテルへ。バオミンさん、私、
リー君と車でフォンザンホテルに投宿している全教千葉婦人部関係
の皆さんの見送りへ。

フエ空港着。空港カウンターのコンピュータが故障。発券できず。
しばらく待たされる。何とか早めにボーディングパスを手に入れる。
7年間、「子どもの家」や子どもたち、私たちも励ましてくれてきた
全教千葉婦人部関係の皆さんの心から感謝したい。
無事の帰国を切望。


その足でリー君と共にハイリーホテルへ。
昼食。厚揚げの煮物、カリフラワーの煮物、野菜スープ。

午後12時から午後1時まで昼寝。
読書「与謝野源氏」(花宴の巻)

午後2時から午後4時までボランティア貯金関連の
資料を読み、ボランティア貯金から追加申請するように
言われた2008年4月から2009年3月までの
ボランティア貯金申請書の活動の概要を書き、
山西さんに送る。

その後、部屋の掃除。荷物の若干の整理。
パソコンを使いやすいようにマウスなどの付け替え。

午後5時、ベトナム事務所へ。

午後5時半夕食。

ハンナ先生は午後5時から午後7時まで日本語学校の
試験。


カリフラーワーの煮物、ゆで豚肉と海老の塩辛、ジャックフルーツの
スープ、残ったご飯でチャーハン。

今日は古くなったお刺身をみんなで食べる。




午後6時、早速日本料理店の来客あり。
メキシコ人とトルコ人。生ビールとお寿司の注文。
厨房では子どもたちが急いでお寿司を作る。

てんてこ舞いの厨房


その後、ドイツ人一人、オーストリア人2人、日本人2人、
更に日本人一人、アメリカ人2人。合計10人。

ホンニー店長不在中。リー副店長が大活躍。接客担当の
グエットさんと協力してお客の呼び込み、
注文を取り、食事を運ぶ。やる気になった時のリー君は
力を発揮する。


●注文をとって伝票を厨房に貼り付ける


●会計伝票をチェック


●料理を運ぶ

最後のお客さんが帰ったのは午後10時。
「ハイリーホテル」着午後10時20分。

投稿者 koyama : 20:40 | コメント (0)

2007年12月27日

全教千葉婦人部関係者との夕食会

晴天

午前6時起床。雲の中から太陽が顔を出す。

午前7時朝食。玉子焼き入りのフランスパン。
リー君が朝食に出てこない。
税田さんが7時15分頃、リー君の部屋へ行き起こす。
しかし、出てこない。
午前7時30分、私がリー君の部屋に行く。
熟睡状態。リー君を起こす。りー君は普段着のまま寝ていた。
びっくりして飛び起き、「行きます」という。
私は5階の部屋に行き、8時半に来る訪問者を待つため
再度1階ロビーに行く途中に「もしや?」との気持ちで
2階のリー君の部屋に行く。案の定、スヤスヤと寝ている。
再度起こす。そのまま、ベトナム事務所へ。

今日は日本の先生方10人が午前8時半に
ベトナム事務所を訪問。若干のJASSの説明を行い
「子どもの家」を訪問する予定だった。
午前8時半に10人の先生がこられるとのことで、
8時過ぎにベトナム事務所へ行き待機。
8時半になった。しかし、訪れない。30分、1時間、
結局、2時間半待っても来なかった。
どんな事情で来られなくなったのかは分からないが、
最低限度の人間としての誠意である、「連絡」程度は
すべきある。
ご本人たちからの訪問依頼、会員からの依頼もあり、
ベトナム事務所では、私とバオミンさんで対応する
ことを決め、先生方の視察と言うことで、資料の準備も
し待ったいた。結局、私たちだけでなく、「子どもの家」
の関係者など多くの人々が見えない所で準備をしての
「訪問受け入れ」だった。何の連絡もなくキャンセルする
ことは、今の日本の世相を反映しているようでもある。
「偽装訪問」だったというとか? それとも、
ベトナムの各所を訪問する一箇所の訪問を時間の
都合でカットした程度のものなのか?

とにかく、私とバオミンさんだけでなく、ベトナム事務所
は午前8時から午前11時までこの方々の訪問のために
無駄な時間を拘束されてしまった。いつ来るか分からないの
で私たちは、受け入れるとの約束を最後まで守ったのだが・・・・。

昼食は「ハイリーホテル」で。


昼、リー君が洗濯をしていた。かつては、着た衣類は捨てて
いた時代もあった。こうして、きちんと自分で洗濯をすることは、
立派なこと。人間として真っ当に自立していく過程でもある。

午後1時から1時間昼寝。
久しぶりに読書。「与謝野源氏」。「紅葉賀」。
皇后(中宮)藤壺の宮(義母)との間に男児を
もうけた源氏。天皇(源氏の父)は、我が子と
して喜ぶ。しかし、義母藤壺の宮は、不義の
子どもが皇太子となるに至り、悩む。
源氏は、藤壺の宮になんとしても会いたい、
同時に不義の子どもが、父天皇の子どもとして
皇太子になったことにも悩む。

午後2時から午後4時半まで今まで忙しくて
ゆっくり考えなければ出せなかったメールを
4通ほど出す。

午後5時、全教東京(東京都教職員組合)
関連の皆さんが突然訪問。ベトナム事務所2階で
6時半まで話し合う。
皆さん、3階の刺繍みやげ物店で買い物を
してくれる。感謝。

午後6時半、日本料理店で全教千葉婦人部関係の皆さん
と夕食会。フールー小学校の校長先生、副校長先生、
バオミンさんの参加。今夜が全教千葉婦人部の皆さん方の
フエ滞在最終日。こうして、日本料理店で食事をして頂くことで
子どもたちへの支援をして頂いている。
全教千葉婦人部の皆さん方との付き合いは、7年ほどになる。
誠実な支援を続けてくれている。こうした先生方が少しずつ
退職していくことは、日本の教育には大きな損失。

今回は「子どもの家」の子どもたち、船上生活の子どもたち
が通うフールー小学校、山岳少数民族の子どもたちへの
支援を行ってくれた。色々と立派なことを言う人もいるが、
全教千葉婦人部関係の皆さんは、7年近く、フエの
貧しい子どもたちへの支援を実際に継続してくれている。

●午後9時過ぎ、全員で記念写真


午後9時過ぎ、日本企業の技術顧問のご家族が日本料理店を
訪問。午後10時まで懇談。

今日は、23人もの来客があり、子どもたちがてんてこ舞い。
店長のホンニーさんのお母さんがハノイで交通事故に遭い、
お見舞いに行っている。店長不在の中で23人もの来客。
日本人10人、ベトナム人5人、カナダ人2人、オーストラリア2人。

副店長のリー君も注文を運んだり、オーストラリア人などの
欧米系の来客の接客など、一生懸命日本料理店のために
頑張っていた。

午後10時半、日本料理店閉店。
トゥオイさんの自転車がパンク。リー君が自転車の後ろに
載せ、税田さん、ハンナさん、私とで「ハイリーホテル」
へ帰る。

今日は3組の日本人との懇談などがあり、かなり疲れた。

投稿者 koyama : 19:07 | コメント (0)

2007年12月26日

ナムドン山岳少数民族との交流

晴天

午前5時半起床

午前7時朝食。「チャオバンカン」。

午前8時、全日本教職員組合千葉婦人部関係の皆さん
6人とバオミンさん、リー君とでナムドン山岳少数民族へ。

午前10時、カトゥー族の教居住地域にある
トゥオンロー小学校へ到着。

●校長先生に挨拶


全教千葉婦人部関係者の皆さんはトゥオンロー小学校の
子どもたち57人に奨学金を支給している。

●奨学金を手渡す


奨学金は全教千葉の関係者からの寄金で行われている。
寄金をされている先生方へ奨学金の報告をするため
奨学金が誰に渡されいるのかを確認。写真を撮り、
子どもたちが寄金者に絵を描く。


奨学金をもらっていない子どもたちにも折り紙で猫の
作り方を教える。

●リー君も手伝い





午後12時、ナムドン県の中心地に戻り昼食。


午後1時、中心地のレストランを出てトゥオンロー村民
(カトゥー族)の皆さんとの交流場に向かう。

支援物資を持って入村。


歓迎の踊り


●支援物資贈呈


千葉県の養護学校高等部の生後が作ったネッカチーフ

●カトゥー族の皆さんとの全員写真


午後5時半、フエ市内へ戻る。


午後6時半、全教千葉婦人部の皆さんと
近くのベトナムレストランで夕食。
ボランティアや教育のことなどを話しながら
交流をする。

午後8時過ぎ、夕食終了。


日本料理店へ戻る。日本料理店には、インターネット
で知ったと言う千葉県の養護学校の先生が来られて
いた。


千葉県特別支援教育研究連盟の作った
障害の子どもたちの絵で作ったカレンダーを頂く。
子どもたちの絵は素晴らしい。

来客 6人。

午後8時半頃から日本語学校から帰って来た
ちくざさんとハンナさんと軽く生ビールを飲む。

午後9時閉店。朝、全教の皆さんの車でハイリーホテルを
出たので、帰りの「足」がない。直ぐにリー君が仲間の
オートバイタクシーを呼んでくれる。オートバイで7分程度。

ホテルには、リー君・ハイ君・トゥオイさんがいた。
リー君に言ってフダビールを買ってくる。中々賢い子だ。
毎回、違う種類の「おつまみ」を買ってくる。
今日は、豚肉を小さく切ってカリカリ状にしたものに
塩と唐辛子をつけて食べるあつまみ。なかなかの美味。
ハンナさん、税田さん、リー君、ハイ君で飲む。
途中税田さん、ハンナさんは引き上げる。10時半まで
リー君の生活態度、ハイ君とリー君との関係などに
ついて、話を聞いたり「お説教」を垂れたりする。
要点は真面目に生きること、気分だけで仕事をしないように。
午後10時半、眠くなり私も退散。更にハイ・リーは飲んで
いたようだ。

投稿者 koyama : 12:13 | コメント (0)

2007年12月25日

忙しく1日を過ごす

気温22度。寒い。気温の変化が大きい。

午前7時、おかゆ。美味しい。

午前9時。ベトナム事務所で内田さんと里子のMさんの
一層の自立に向けて、大学の友人と同室での下宿を
はじめことについて話し合う。Mさんはウへ経済大学3年生。
既に23歳となった。将来の一層の自立・自活のため
現在の下宿(ベトナム事務所員の家庭)から同級生の
女子学生と同室での生活に移行することにした。

その後、しばらく内田さんと日本の情勢など様々な
ことについて話し合う。

午前11時、内田さん、バオミンさん、日本人スタッフ
と一緒にフエ名物「ブンボーフエ」の店へ。

午後12時半、「ハイリーホテル」へ。
1時間ほど昼寝。寒い。

午後5時まで昨日のクリスマス会を含めて日記を書く。
クリスマス会の様子を写したデジカメ写真を大量に
アップ。インターネットの速度があまり速くないため、
1枚のデジカメ写真を日記にアップするのに相当の
時間がかかった。

午後6時日本料理店へ。
子どもたちが夕食を摂っていた。店長のニーさんは、
ハノイにいる母親が交通事故にあったとのことで
ハノイへ行き、1週間ほど不在となった。
日本人スタッフ3人は日本語学校での授業。

午後7時。内田さんと里子のMさん、そして下宿をシェアーするAさん
、日本人スタッフと夕食。

午後9時まで皆さんと日本料理を堪能する。

午後9時半過ぎ、「ハイリーホテル」へ。
リー君、ハイ君、トウオイさんが待っていた。
日本人スタッフも交えて再度交流。


リー君が「ひつじ肉」を買ってくる。
豚肉を塩辛にし、唐辛子・ニンニクを入れた
タレにつけた食べる。美味しい。

投稿者 koyama : 07:53 | コメント (0)

2007年12月24日

第12回「子どもの家」クリスマス会

晴天

真夏 29度。

午前7時朝食。

日本で言えば「冷麦」の煮込みうどん

「ハイリーホテル」では、ハイ君が洗濯をしていた。
人間はこうして自分のことを自分でしながら、人間として
自立していくのだ。がんばれ ハイ君。


「ハイリーホテル」でメールのチェック。必要な
メールへの返信。

午前9時。バオミンさんから電話。ハイバーチュン高校
の校長先生、副校長先生などがクリスマス・新年の
挨拶に来ているとのこと。急いでベトナム事務所へ。


ハイバーチュン高校の校長先生たちとしばらく懇談。
春・夏のスタディーツアー交流の受け入れに感謝。
今後のハイバーチュン高校生徒の海外留学の
情報が欲しいとの要望を受ける。

●ハイバーチュン高校校長先生よりお祝いの花束


●ハイバーチュン高校副校長先生より年末年始の記念品

ベトナム事務所2階では今夜行われるクリスマス会の
お土産などの準備をベトナム事務所員が行っていた。
フエ高等師範大に通い、来年小学校に先生に
なる予定のズオンさんも手伝いに来ていた。
子どもたちに渡されるお菓子のお土産。
フエ経済大学に通っているメンさんも手伝いに来ていた。

昼前、クリスマス会の諸準備が終わり、みんなで
フエ名物「バインクオン」を食べに行く。
焼き豚肉と米を水で溶いたクレープ状のものを
暖めたものと野菜を混ぜて食べる「フエ名物」

●jフエ名物 バインクオン


●米をメンにして豚焼きと野菜、ヌオクマム、唐辛子で食べる
  なんとも言えない美味。

午後1時過ぎ、「ハイリーホテル」へ帰る。
日本料理店料理主任のトゥオイさんが入り口に
いる。聞くと「ハイ君とリー君がカラオケに行ってしまい、
私がホテルの入り口で来客の検分をしている」とのこと。

結局、私がホテルの入り口ドアの鍵を閉めて、トゥオイさんを
部屋に帰した。二人は帰ってこなかった。
リー君は午後2時過ぎにベトナム事務所にあるクリスマス会
の荷物を会場の「ズイタンホテル」に運ぶ係りになっていた。

午後2時、トゥアティエンフエ省教育局長(日本の県教育長)
副教育長と懇談。
今後、フエ・ベトナム中部から日本への留学についての
情報提供などについて、トゥアティエンフエ省教育局と
JASSが提携して事業を進めることを確認。
トゥアティエンフエ省39の高校全てにJASSが情報提供する
ことについての「通達」を出すことになった。


午後4時、クリスマス会会場へ。既に内田さん、ベトナム事務所員、
「子どもの家」スタッフの皆さんが準備中。

リー君が来ていた。

バオミンさんと私でリー君を呼んで「ハイ君を連れての午後、
カラオケ遊興」についての注意をする。
初めに私が「リー君、今、君を呼んで注意をしたいと思って
いるが、何を注意されるか分かるね?」と聞く。
リー君は「はい、分かります」と答える。さすがに頭の回転の
早いリー君だと思う。「僕がトゥオイさんの作った昼食を
食べなかったことです」とのこと。ピンボケ。既に
アルコールの臭いがする。
リー君を追及する。リー君は朝からハイトーンだった。
リー君は昼ごろ、カラオケに行きたくなり、警備員の
ハイ君を誘う。ハイ君には、警備員の仕事はとても
大事な仕事だと言ってあったのだが・・・。
ハイ君は2歳年下のリー君の{誘い」なのか「脅し」なのか
は不明だが、カラオケへの誘いに乗り、警備員の仕事を
放棄、リー君とカラオケに行ってしまう。結局、警備員の
仕事は警備員には関係のないトゥオイさんがやっていた
ということになってしまった。
バオミンさんとリー君を厳しく注意する。今後、仕事を
放棄(午後2時にクリスマスの荷物運搬をする)し、
なおかつ、警備員のハイ君にも仕事を放棄させ、
カラオケに行っただけでなく、お酒を飲むなど
言語道断。今後、仕事を放棄したり、ハイ君に仕事を
放棄させるようなことをしたら、「ハイリーホテル」から
追放することを通告する。
「リー君、言っていることは理解できたか?」と聞く。
分かりました、との返事。

いよいよ、12回目のクリスマス会が始まる。


「子どもの家」からバス2台に分乗し、子どもたちが
フエ市内のズイタンホテルに結集。

かなり高揚して入場する子どもたち。




午後5時45分、12回目のクリスマス会は開会。

●バオミンさんとハンナ先生の司会


●フエ市人民委員会外務部長ニエン氏の挨拶
 (通訳はミンさん・ハンさんと同じく私のフエ師範大教え子)

●12回目のクリスマス会寄贈者である内田征子さんの挨拶


●子どもたちの代表フオンさん(フエ医科大学生)の
 お礼の挨拶

●最後に「子どもの家」運営委員長のセンさんの話

●小山の乾杯の音頭


いよいよ会食。「子どもの家」の料理とは又違う、ホテルの
料理に舌鼓を打つ子どもたち


●「子どもの家」のスタッフの皆さん





会食が終了に近づいた頃「ビンゴ大会」。

ビンゴ大会が終わり、クリスマスケーキを食べる


いよいよ子どもたちが待ちに待っていた「カラオケ大会」が始まる。




●最後にカラオケ大会優勝賞の表彰式


午後8時過ぎ、クリスマス会終了。会場出口で
内田さんが日本から持ってきてくれたり、ベトナムで
購入したお土産を子どもたちが選ぶ


十分満足して帰宅する子どもたち


クリスマス会終了。
「ハイリーホテル」へ帰ろうとした時、ハイ君が自転車が
パンクしたと言う。直ぐにリー君を呼び、ズイタンホテル
近辺の自転車屋に連れて行くように話す。
「先生、俺はこの辺は全部知っている。直ぐ近くに
知っている路上の自転車屋がいるとの話」。
直ぐに、ハイ君、リー君、私でフエ師範大横の
路上自転車屋へ行き調べてもらう。はやりパンク。
おじさんは、素早くパンクをなおす。

リー君に「いくら?」と聞く。リー君は「俺の知り合いの
人だからタダで良い」という。おじさんに聞くと確かに
お金は要らないとのこと。申し訳ないのでパンクは
いくらなの?と聞く。2000ドン(15円程度)とのこと。
4000ドン、リー君に渡す。

リー君がリードして3人で「ハイリーホテル」まで帰る。
リー君は昼カラオケで飲み、更にクリスマス会で
8本のフダビールを飲んだそうだ。相当テンションが
高い。しかし、「ハイリーホテル」までの直近の裏道を
スイスイと走っていく。ハイ君は必死に後を付いてく。

「ハイリーホテル」に付く。午後9時前。

今日の「職場放棄」について、再度確認の目的で
3人で一杯飲む。途中、税田さんも参加。(途中疲労で帰室)
ハンナ先生はトゥオイさんと一緒に教会のクリスマス会へ。


午後10時半、さすがに私も疲れて部屋へ帰る。

今日は1日、あれやこれやと色々なことがあり、
忙しい1日だったがクリスマス会で子どもたちが喜んでいた
顔を見て疲労も吹っ飛んでしまう。

投稿者 koyama : 17:04 | コメント (0)

2007年12月23日

海鮮料理店で昼食

快晴  

気温28度。 湿度60%。

例年の冬に比べ気温が高い。特にこの数日は真夏の
陽射しである。

午前7時起床。
午前8時、NHK日曜討論を見る。
テレビを見ながら昨日の日記を書く。
C型肝炎救済問題。自民党代表は先日の
自民党案がギリギリとの認識。しかし、
実際には何ら福田首相の政治決断はされていないもの。
夕方、福田首相が『全員救済』の政治決断をしたとの
報道が流れる。しかし、患者側は、福田首相の政治決断を
歓迎しつつ、本物かどうか今後確認するとの態度。
この間の自民党・公明党の口先だけの対応に
患者側が根本的な不信を持っていることを表している。
政治家の能力とは最終決断を適時にするということ。
福田首相は決断の時期を失した。政治権力者としての
適格性欠いている。国が責任を認めるかどうかが
試金石。


午前11時過ぎ、内田さん・千草先生・ソン君・メンさんが
新ホテルにタクシーでやってくる。
私、ハンナ先生、リー君もタクシーに乗り込み、
フエ名物の海鮮料理を食べに行く。
フエは北にトゥアン・アン海岸、南にランコーに海岸と
海の幸に恵まれて土地柄である。

「ハイリーホテル」(新ホテル)から車で10分ほどにある
海鮮料理店へ行く。

フエはベトナム随一のイカの産地であり集積地。
茹でてイカを醤油とワサビで食べると美味しい。

エビもうまい


野菜の盛り合わせ
若いバナナも苦いが、海鮮料理には合う



巻貝


最後にメインイベントである『かに』。

午後2時過ぎ、会食終了。

税田さんは友人の方を案内。バオミンさんはイカ、カニ、えび
が食べられない。残念。

午後2時半から夕方まで休む。この1ヶ月間の疲れが出る。

夕方、夕飯のコムデイアを買いに。
インターネットの調子が悪い。ベトナム事務所へ。
千草さんが仕事をしていた。ベトナム事務所で
日記を書く。今まで各種の問い合わせがあったが
時間がなくてなかなか回答できなかった。
今日は、久しぶりで時間が取れた。写真添付で
質問への回答を書く。

午後7時半、「ハイリーホテル」(新ホテル)へ帰る。
ハーイ君が法事に行って帰ってこない。
リー君とハンナさんが心配している。税田さんは
友人の案内。

しばらく「ハイリーホテル」でハーイ君の帰りを待つ。
午後8時過ぎに帰ってくる。自転車がパンクしたとのこと。

リー君がフダビールを買いにいく。
リー君・ハイ君・税田さん・ハンナさん・私で
氷で冷やしたビールを飲みながら雑談。
午後10時、自室へ戻る。

明日からまだ活動開始。

投稿者 koyama : 19:11 | コメント (0)

2007年12月22日

内田さんフエ到着

晴天 真夏

午前6時起床。晴天。新ホテルの5階の部屋からは、
緑の森が見え、ニワトリの鳴き声で目覚める。
窓を開ける。爽やかな「田舎」の臭いがする。
トンチンカンホテルの騒音と観光バスの排気ガスまみれの
生活は一新された。


午前7時朝食。玉子焼き入りのフランスパン。


午前7時半、バオミンさんが新ホテルへ。
一緒にフエ空港へ内田さんの出迎え。午前8時20分フエ空港
着の予定。しかし、1時間遅れ午前9時半到着。いつもながら
時刻にでたらめなベトナム航空である。
フエ空港で内田さんを待っている間に15年前、フエ師範大学
で教えたTHUYさんがホーチミン市から一時帰省。
THUYさんが卒業する時、私の紹介でホーチミン市のミシン
会社ジューキに就職。13年間勤務しているとのこと。
15年前に日本語を教えてもらっらことに対して感謝の気持ち
を何度も言っていた。私が教える前は獣医だった。
今は月給600ドルをもらう会社員になっている。
生活も安定し、幸せに生活している教え子を見て私も嬉しい。
真面目な教え子である。フエに帰って来る時には、ベトナム事務所
に挨拶にきている。拝金主義にまみれたベトナムの現状では
あるが、こうして真面目に13年間コツコツと仕事をし、日本語
を教えてもらったことで今の自分の生活があること、そして
教えてくれた先生にいつも感謝の気持ちを持っている人間も
いることに爽やかな気持ちになった。


午前9時半、内田さんはフエ空港へ到着。
24日のクリスマス会で子どもたちにプレゼントする品物
一杯のスーツケース。ベトナム事務所へのたくさんの
お土産ももってきれくれる。深謝。

フエ空港には2008年6月3日から11日までフエで行われる
「HUE FESTIVAL」の大きな看板がかかっていた。


2008年1月26日に東京で行われる「JASS現地報告会」
で津軽三味線を披露してくれる山本竹勇さんも
「HUE FESTIVALに参加する予定である。

フエ空港から内田さんが投宿するバオミンホテルへ。
バオミンホテルからたくさんの荷物をもってベトナム事務所へ。
ハンさん、ハンナさん、千草さんと一緒に24日のクリスマス会
のプレゼントを買出しに行く。

12時。内田さんと日本人でチャオバンカンのお店へ。

午後1時半、新ホテルへ。ベトナム事務所から
バオミンさんのオートバイで新ホテルへ連れて
行ってもらう。
しかし、新ホテルの入り口ドアに鍵がかかって
いて入れない。内側から鍵をかけてしまい、
外にいる私たちの鍵ではあけられない。
警備員のハーイ君は2階の自室で昼寝。
結局、日本料理店に出勤するホンニー店長
さんが1階ロビーに下りてくるまで40分ほど
新ホテルの外で待たされる。
その間にバオミンさんがチャイムを買いに行く。
新ホテル玄関でチャイムのボタンを押すと警備員
ハーイ君の部屋で「ピンポン」と音がするようにした。
真面目に仕事をしているハーイ君ではあるが、
責任をもって仕事をすることにはまだ慣れていない。

午後2時半前、やっと新ホテルに入室。
1時間ほど昼寝。
その後、3つのメールアドレスに入っている
メールをチェック。全てのメールを読む。
必要な返事を出す。

午後6時半、日本料理店へ。
内田さん、里子のメンさんと一緒に夕食。
日本語学校で授業が終わった千草先生、
そして、日本人のお客さんと交流。
午後9時過ぎまで。


日本料理店閉店後、新ホテルへ。
リー君、ハーイ君の「トラブル」解消も考え、一緒に飲む。
リー君は相変わらず手早く飲み会の準備。

12月20日、ハーイ君に月給をあげたが、12月16日から
12月20日ま5日間の日割り月給となったため5万ドン。
ズボンがないのでズボンが欲しいと言っていた。
ハーイ君は自分で買い物がまだ出来ないようなので
日本料理店店長のホンニーさんにハーイ君のズボンを
頼む。3着で6万ドン(420円程度)。
新しいズボンが手に入り、喜んでいるハーイ君。

ハンナさん・税田さんも帰宅。しばらくハーイ君、リー君たちと
話し合う。ハーイ君には、玄関の鍵のかけ方を、リー君には
ハーイ君と仲良く仕事をすること、仕事をしたり、しなかったりと
気分に任せての生き方は駄目との話をする。

午後11時、部屋に戻る。

投稿者 koyama : 10:05 | コメント (0)

2007年12月21日

日本語学校で日本語を教える

晴天

気温27度。

午前7時朝食。おかゆ。

午前8時半、新任日本語教師の松田先生が
ベトナム事務所で初仕事。就任早々ではあるが、
フエにかなり慣れてきているように見えた。
沖縄とフエが食生活・生活文化などがかなり
似ているところもあるようだ。

午前8時半からベトナム事務所員ソン君が、日本料理店
の子どもたちに日本語を教えていた。毎週1回金曜日。


午前9時、フエ市人民委員会外務部へ。
2008年1月24日から30日まで、フエ市要人を
と一緒に訪日する。1月26日(土)午後1時半から
東京北区王子にある「北区教育会館」で
『ベトナム現地報告会』を開催する。
2007年2月3日の総会で決定したJASSの新しい
方針に従ってこの1年間進めてきた現地での
「自立」に向けた取り組みの報告会を行う。
同時に地元フエ市の幹部、共産党の幹部も
同行し、現地共産党・行政側から見たJASSの
存在と活動の意義についての報告もしてもらう。
JASS各地の会からの活動報告もある。
また、山本竹勇さんの津軽三味線の演奏もある。
今回は、更に静岡市長懇談、静岡大学学長懇談、
日光市長懇談と日程も盛りだくさんである。
今日は、今回のフエ側訪日団事務局長の
ニエン外務部長と、1月23日フエ出発から1月30日
成田帰国までの諸活動の詳細打ち合わせ、
各懇談の内容と意義、進め方、到達点などを
細かく打ち合わせする。午前11時終了。
全て表に見える諸活動は、事前の精密な準備と
打ち合わせが成功の秘訣となる。

午後12時半、昼食。新ホテルにて。
ご飯、アヒルの玉子焼き、空芯菜のニンニク炒め。

午後1時半から1時間昼寝。
新ホテルに引越し、初めて読書。
「与謝野源氏」(紅葉賀)

メール受信・送信。

午後4時「静岡フエ青年交流会館」にある
日本語学校で「観光基礎コース」の学生20数人に
会話・聞き取りなどを中心とした授業を行う。

新任の松田先生は、若干の期間日本語学校の参観活動。
会話の相手がいない学生との日本語会話を手伝ってくれる。

午後6時、日本語学校終了。
ベトナム事務所に戻り2階の事務所に行こうと階段を
上っていくと、階段の途中で新ホテル警備員のハーイ君が
泣いていた。
事情を聞くとリー君に「いじめられた」というようなことを
言っているかに聞こえた。
早速事務所にいたバオミンさんのところへ連れて行き
事情を聞いてもらおうとした。既にバオミンさんと税田さん
がハーイ君から「泣いた」事情を聞いていた。

昨夜、リー君が酔っ払い夜中に日本料理店で仕事をしている
ニーさんとトゥオイさんの部屋のドアをドンドンとたたいた。
翌日、そのことを注意されたリー君は「俺じゃない、ハーイが
ドアをたたいたのだ」と言ったとのこと。
更に昨日午前中、ハーイ君の自転車を修理する
ため、リー君が一時新ホテルの警備員の代行をする約束に
なっていたが、リー君がどこかに行ってしまい、自転車の
修理が出来なかった。という訳で悲しくて泣いたとのこと。
自転車の件は、私の時計が壊れてしまい、リー君が
「僕が修理にもっていく」と行って路上の時計修理屋に
行ったために警備員が出来なかったという事情は
あったものの、ハーイ君には、悲しい出来事であったようだ。

午後6時半、今日も1日朝から夜まで仕事をしかなり疲れたの
で、フダ生ビールを飲む。授業を参観した松田さんも私と
一緒に夕食。生ビールを飲む。午後5時半から子どもたち
と夕食を摂っていたハンナ先生も同調。午後8時頃まで
ベトナム事務所で仕事をしていた税田さんも同調。
午後9時過ぎ日本料理店閉店。新ホテルへ帰る。

新ホテルでは、ハーイ警備員とリー君が1階ロビーに
いた。昨夜「けんか」のようなトラブルもあったので
ハーイ君とリー君を誘い、新ホテル1階で3人で飲む。

ハーイ君とリー君に「一杯飲むか?」と聞くと、
リー君は素早く新ホテル前の飲み屋に行き15本の
フダビンビールを買ってくる。更に引越しの時行った
大衆食堂へすっ飛んで行き、豚の「肝臓と腎臓」の
炒めものを買ってくる。リー君以外の新ホテル住民は
日本料理店と新ホテルの行き帰りだけでこの1週間
を過ごしてしまった。リー君は引越しの数日後には
新ホテル近辺のお店や状況を調べ、いくつかの
お店のおじさん、おばさんと知り合いになっていた。
そうした点はなかなか能力と行動力、生活力の
ある子どもである。
3人でしばらく飲みながら、『リー君とハーイ君は
二人で1部屋で生活しているのだから、これから
兄弟だと思い、助け合って生きていくように。
今後は、誰かの応援で生きていくという気持ちを
持たずに、自分の給料の範囲でしっかりと計画を
立てて生活して行かなければだめ」との
『お説教』を垂れながら、
リー君が冷やしてくれたフダビンビールを飲む。
人間を育てるということは、本当に難しいことである。
就寝、午後11時過ぎ。痛飲。

投稿者 koyama : 18:30 | コメント (0)

2007年12月20日

新日本語教師松田先生ベトナム事務所で活動

晴天 

気持ちの良いそよ風。

午前8時半、新日本語教師松田先生との対面式。
松田先生は沖縄出身。

ベトナム事務所員全員の自己紹介。その後、松田先生の
自己紹介。

その後、税田さんとベトナム事務所やフエでの生活などについて
の打ち合わせ。

更に日本語教師のハンナ先生と日本語教育の具体的な
打ち合わせを行い、午後日本語学校の授業参観。


午前9時過ぎ、フエ市と日光市との姉妹都市提携についての
打ち合わせのため、日光市出身のKさんたちがベトナム事務所を
訪問。2008年1月29日午後4時半から日光市役所で
フエ市要人(2008年1月26日JASS現地活動報告会に
参加するフエ市と共産党幹部)と日光市長との会見を設定する。


Kさんたちは、ベトナム事務所3階の刺繍みやげ物店で
刺繍を購入。日本でも販売協力をしてくれるとのこと。


午後12時過ぎ、松田先生、税田さん、ハンナ先生と
一緒に「チャーハン」の美味しいお店で昼食。

午後1時から1時間ほど昼寝。

午後3時過ぎ、ベトナム事務所へ。月刊雑誌「子どもと教育」
2008年2月号の原稿の校正を行う。
受信した大量のメールに目を通し、必要な返信を行う。
新ホテルのパソコンが壊れてします。ソン君とコンピュータ
の専門家に直してもらう。

今日は12月20日。毎月20日が日本料理店の月給日。
午後5時。「子どもの家」を退所したホンニーさんとトゥオイさんに
自立後初めての月給(70%アップ)を手渡す。
今後は、もらった給料を自分の裁量で計画的に使うように
して欲しい。


日本料理店の来客。オーストラリア人2人組みが2組。
欧米系の観光ガイドブック「ロンリー・プラネット」に
私の活動と日本料理店が掲載されている。
2組のオーストラリア人ともこの観光ガイドブックを読み、
「子どもの家」のことも知りたいと日本料理店に来店。

●注文されて「天ぷら定食」を運ぶ店長のホンニーさん

●お寿司を運ぶグエットさん

オーストラリア人はハンナ先生や松田先生に英語で「子どもの家」の
ことをあれこれと聞いていた。

ベトナム事務所体験初日の松田先生。早速リー君と交流

午後9時過ぎ日本料理店閉店。

その後、松田先生を迎えての簡単な歓迎飲み会。
何故かリー君も同席。
午後11時まで歓迎会は続く。

午後11時過ぎ、新ホテルへ。警備員のハーイ君は
玄関の鍵を閉め、ホテル内の椅子に座り寝て待っていて
くれた。仕事に忠実なハーイ君に感謝。

投稿者 koyama : 11:49 | コメント (0)

2007年12月19日

久しぶりの朝日

朝から太陽が出る。

午前6時起床。
午前7時朝食。インスタントラーメン。
野菜もなにも入れない、インスタントラーメンにお湯を入れて
そのまま食べる。少し物足りない朝食ではあった。

午前8時過ぎベトナム事務所へ。
新ホテルのインターネットの速度が遅く、日記がかけない。
新インターネットプロバイダーとの契約をしたのだが、
未だに工事はされていない。
ベトナム事務所で昨夜の日記を書く予定だったが、
ピースインツアー入社予定のFさんがホーチミン市から
の列車でフエに到着。ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所で2時間ほどJASSや地球の歩き方ツアー
の内容などを話す。

午後12時、ベトナム事務所へ。
税田さん、ホンニー、エイー、トゥオイ、ハーイさんと昼食を摂る。
魚の煮物と野菜スープ、ご飯。
ハンナさんは、ベトナム事務所で日本語学校関連の仕事で
少し遅くなる。

ホンニーさんの再婚した母親がハノイからフエに来る途中、
バスを降りた時、交通事故に遭いハノイの病院入院中との
こと。ホンニーさんかなり落ち込んでいた。

1時間ほど、昼寝。

午後2時過ぎベトナム事務所で最後ピースインツアーの
Hさんとお会いし、関連施設を案内。

日本料理店で子どもたちと記念写真

始めに縫製研修センター・アクセサリー研修センターを視察。
その後、「子どもの家」へ。「子どもの家」の各施設を参観。
1時間ほどの「子どもの家」参観後、日本語学校へ。
学生と日本語で交流。

午後4時過ぎ、ベトナム事務所へ。
昨日の日記を書く。

多くのメールの受信を読む。

午後5時半日本料理店夕食。

来客日本人2人。

投稿者 koyama : 19:07 | コメント (0)

2007年12月18日

新ホテルの備品買出し

終日曇り

午前6時起床。
午前7時朝食。今朝はフランスパンに玉子焼きと唐辛子入り。

午前8時半過ぎ、フエ中央病院小児科元医長のフオン先生と
ACCLプロジェクト(3つ星プロジェクト)など当面の打ち合わせを
行う。午前11時まで。

新ホテルでのインターネットは
うまく接続が出来ない。ベトナム事務所で日記・メールの送受信
などを行う。かなり多量のメールの送受信をする。

午前11時半、新ホテルで昼食。ニーさん・トゥオイさんが
昼食を作る。ご飯、野菜スープ、厚揚げの煮物


●リー君も配膳の手伝い



1時間昼寝。気候の変動などもあり、寝ても疲労が取れない。

午後2時、ソンさんと一緒に新ホテルの子どもたちの部屋の
テレビを買いに行く。12月15日からオートバイに乗る人は
全員ヘルメットが義務付けられた。


日本製・韓国製・ベトナム製など多種。中には「SONY」
まがいの「SONAY」テレビもあった。


ベトナム製の一番安いテレビを2台買う。扇風機が付いてていない
女子の部屋用に1台扇風機を買う。
アイロンとアイロン台。新ホテルにテレビを持っていく。
リー君・ハイ君の部屋に1台。ニーさん・トゥオイさんの部屋に1台。

ところがニーさん、トゥオイさんの部屋にはコンセントがない。
インターネット接続のコードが付いているのに。
隣の狭い部屋には6つのコンセントが付いている。設計者が
意味もなく部屋を作ったとしか思えない。仕方がないので、
ソン君と再度『フエの秋葉原』へ行き、10メートルの接続
コードを買いに行くが何軒行ってもない。
王宮の近くの店でやっと10メートルの接続コードを見つける。

買い物で4時間ほど時間を費やす。疲れる。途中でチャートゥー
(豚の皮膚を塩コショウでソーセージにした)を買う。100円。

午後6時前、日本料理店へ。今日は朝から1日中話し合いや
動き回っていた。疲れる。チャートゥーで「生ビール」を軽く飲む。


日本料理店の店長ホンニーさんが新ホテル警備員のハーイ君の
下着、靴下などを買って来てやった。ハーイ君が買い物が苦手な
ため、ホンニー店長に依頼したもの。18歳の女の子が、男子用の
下着はどを買いに行っている。「子どもの家」の子どもたちは
ハーイ君を暖かい気持ちで受け入れ、自然な姿勢でサポートして
いる。

午後9時過ぎ日本料理店閉店。来客ゼロ。

新ホテルへ帰る。
リー君、ハーイ君を誘い、ホテル前の大衆飲み屋へ行く。
大衆飲み屋と言っても地面に掘っ立て小屋を作ったもの。
リー君は素晴らしい生活力がある。引越ししてたった6日間
であるが、既に新ホテル近辺の事情を全て「探索」している。
新ホテル前の薄汚い大衆飲み屋へ入る。
リー君の勧め。「先生、ここはヤギ肉が一番美味しい」という。
冷やしたビールはもちろんないが、リー君が既に知り合いに
なっている飲み屋の女将(おかみ)にベトナム語で何か言って
いる。直ぐにバケツに氷と水をいれ、フダビンビールを持って
来る。
直ぐに「ヤギ肉」が出てくる。炭火の上で味付けのヤギの
肉を焼く。
塩と唐辛子に付けて食べる。美味しい。臭みもなく
食べ易い。



午後10時半過ぎまで3人で色々な話をしながら、ヤギ肉を
おつまみにフダビールを飲む。私は10時半過ぎに新ホテルへ
戻るが、リー君とハーイ君はその後もかなり遅くまで飲んで
いた模様。

長い1日が終わる。今日はかなりの酒量だった。

投稿者 koyama : 12:42 | コメント (0)

2007年12月17日

新ホテル2日目 活動開始

朝雨  午後曇り 休肝日

午前6時半起床。
午前7時朝食。トゥオイさんがフォーティウを作ってくれる。
芋の粉を麺にしたもの。ホーチミン市の特産物。
税田さん、ハンナさん、リー君、トゥオイさんの5人での
初めての朝食。

●フォーティウ

午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。電動バイクで5分で着いた。
想像以上に新ホテルからベトナム事務所までは近かった。

新ホテルの問題点を税田さんと一緒にバオミンさんに依頼し
改善要求を出してもらうようにする。
能力の非常に低いインターネットを廃止し、ベトナム事務所
で加入しているプロバイダーに加入する手続きをしてもらう。

トイレ、ドアなどの不良部分の改善をバオミンさんが
オーナーに依頼する。
午前8時半過ぎ、ホーチミン市でストリートチルドレンの
NGOをしているOさんが来訪。2時間ほどベトナム事務所で
JASSの活動を説明。ご尊父は、私が小学校の現場で
『親子読書運動』をしていた頃の児童文学作家の大川悦生氏。
「お母さんの木」の作者。

その後、タクシーで日本語学校・「縫製研修センター」
「アクセサリー研修センター」などの視察をし、「子どもの家」へ。
「子どもの家」で子どもたちと昼食。


「子どもの家」で一番年下の子どもたちも元気に食事を
していた。


昼食後、「子どもの家」の各施設を案内。

案内後、「子どもの家」を退所したハーイ君が新ホテルへ
行くことになった。私物は本当に少ない。
ハーイ君を連れて、Oさんと一緒にタクシーでベトナム事務所へ。


●「子どもの家」を去るハーイ君

ベトナム事務所から私の電動バイクの後ろに乗り、新ホテルへ。
新ホテル前で。
ハーイ君はこれからこのホテルの警備員として自立へ
向けて努力することになる。

12月15日に引越しをしたが、私の隣の台所には、大量の
荷物が山積みされている。忙しくて荷物の整理が出来ない。
毎日、寝ることが出来れば当面は良いとの思いが強い。
時間を見ながら追々整理していく予定。心臓の薬などが
どこにあるのか分からずに困っている。

午後12時半新ホテルにハーイ君と到着し、その後1時間ほど
昼寝。

午後3時半過ぎ、ベトナム事務所へ。
半年間連載を頼まれた月刊雑誌「子どもと教育」の原稿が
12月15日に締め切りとなっていた。引越しの準備等で忙しく
最後の清書・推敲が出来ていない、添付の写真10枚ほども
決まっていない。
急いで4000字の草稿を読み直し、必要な訂正を行う。
パソコンの各所にあった写真を見つける。

午後5時半。夕食。新ホテルから自転車でハーイ君が
やってくる。一人で日本料理店まで来られないと皆は
思っていた。ソン君がオートバイで見つけに行くが
ハーイ君は一人で自転車でやって来た。

午後6時過ぎ夕食終了。

ベトナム事務所で「子どもと教育」の原稿の仕上げ。
写真探しを続行する。

午後8時半過ぎ、「子どもと教育」の原稿出来上がる。
出版社に送信するが、ベトナムのプロバイダーの
インターネットでは送信不能。YAHOOで出版社に
送る。

今日の日記を書く。
新ホテルでは送信速度があまりにも遅く、写真がアップ
できない。どうしてもベトナム事務所で書きあげなければ
ならない。

ベトナム事務所へ送られるメールの多くは届いていないという
最近のメール事情である。

重要な内容のメールは、YAHOOにお送り頂ければ
有難い。

午後9時半過ぎ、全ての仕事を終わり新ホテルへ帰る。
既に日本料理店の子どもたち、ハンナさんが帰っている。
1階ロビーで子どもたちがテレビを見たいと言っている。
空き部屋にテレビがあったが、アンテナがなく結局
テレビ視聴は出来なかった。子どもたちの部屋に
1台テレビが必要。子どもたちも「子どもの家」を
退所し「自立」した。仕事が終わって部屋でテレビを
見て休む程度の娯楽は必要と思われる。

1階ロビーに時計をつける。子どもたちに目覚まし時計を
買って上げる。

午後10時半、日本のピースインツアーより電話。

今日は、ハーイ君が10数年の「子どもの家」生活から
離脱し、一人での生活に入った。とはいってもまだまだ
完全な自立には程遠い。新ホテルの警備員の仕事を
しながらベトナムの一般社会の決まりやシステムを
体験して行って欲しい。ベトナムでは軽い知的障害の
子どもの仕事の場や社会的な活動の場は少なく
限られている。ハーイ君は新ホテルの警備員として
やる気持ちは十分に持っている。
ハーイ君はJASS/「子どもの家」と出会い、
何とか自立する方途を見つけたようである。
これからしっかりと自覚し、警備員の仕事が出来る
ようにしていきたい。
夕食時には、日本料理店の子どもたちが「ハーイ君、
もう一膳ご飯を食べなさい」と言い、3人の女子が
代わる代わるお代わりを持ってきてやっている。
違う女子は「魚のその部分は美味しくないからこちら
にしなさい」と魚の美味しい食べ方を教えていた。
「子どもの家」の子どもたちのハーイ君に対する
態度はごく自然なものである。同時に全員年下の
子どもたちだが、ハーイ君に自立して欲しいとの
気持ちを持って、日常生活で「違った行動」の
あるハーイ君に優しく教えている様子は、
どうみても「母親」の態度であった。
真っ当な社会に真っ当な子どもたちが育つという
ことである。子どもたちは「社会の鏡」。
子どもたちに学力がないなどと偉そうにお説教を垂れている
福田首相や政府のお偉いさんが「選挙公約」が何だったか
を忘れるほど「学力がない」わが日本である。

投稿者 koyama : 23:03 | コメント (0)

2007年12月16日

新ホテル1泊目

朝雨。昼から晴れ

午前6時起床。NHK「日曜討論」を見る。
午前11時まで部屋の整理。
入浴。

午前11時、税田さん・ハンナさん・リー君と4人で
ブランチ。大衆食堂「フォーサイゴン」へ行き
ビールを飲む。チャーロン(豚肉のハム)、あげ春巻き、
野菜サラダで。
昼食は「ワンタンメン」。

午後1時過ぎ、新ホテルへ戻る。
昼寝。

午後4時過ぎ、ベトナム事務所へ。

バンベー32号の最終公正をする。
昨日の日記を書く。

午後8時過ぎまで。

ベトナム事務所には税田さん、リー君も来て仕事をしていた。

午後8時半過ぎ、新ホテルに戻る。トゥオイさんが実家から
帰って来ていた。税田さん・ハンナさん・リー君とバインロックを
食べて雑談中。早速、私の部屋にある冷えたビールを持って来て
日本料理店でトゥオイさんに作ってもらった「焼きスルメ」で
懇談。午後9時終了。
その後、部屋に戻り「焼きスルメ」をおつまみに
フダール。巣山さん贈呈の塩をおつまみに「奥の松」(純米大吟醸)
を飲む。

雑誌「子どもと教育」の原稿締め切りが12月15日だったが、
今日も送信できず。明日必ず送信すると自分に誓う。

新ホテルには、朝7時から地元公安がやってきて履歴書を
書くようにリー君に言う。朝7時頃には、既にリー君は1階の
ロビーにいたようだ。

午後7時過ぎには、新ホテルにいたハンナさんから
オーナーが来て「公安にパスポートを出すので、今、宿泊者
全員のパスポートをだすように」と言われたとの電話。
今日は出す必要なしとオーナーに私が電話で話す。
昨日引越ししただけで既に地元警察公安は、誰が
どんな目的で新ホテルに来たのかを調査に来ている。

明日から新しいホテルを拠点に年末の仕事が始まる。
新ホテルはまだまだ生活には不便な問題が残っている。
これから時間をかけて改善していく予定。課題は山積。

投稿者 koyama : 21:47 | コメント (0)

2007年12月15日

トンチンカンホテル引越し-新ホテルへ  多くの皆さんの協力に感謝

晴天

午前6時起床。
午前7時朝食。ブンボー。
午前7時前に日本料理店副店長のリー君が引越しの手伝いに
トンチンカンホテルへやって来た。
私の部屋の荷物はダンボールで30個近くに上ったのでは
ないだろうか?

午前8時前、バオミンさんが引越し総責任者として
やってくる。今日からオートバイ乗車者全員のヘルメットが
義務付けられた。

午前8時過ぎ、引越し作業開始。日本料理店の子どもたち
も総出で手伝い。バオミンさん・ハンさん、ソン君、子どもたちの
協力で半日ほどで新ホテルへへの引越しを完了。

東京平和産業IT部で仕事をしているヒーさんも手伝いに
駆けつけてくれた。ヒーさんは、私の紹介で東京の
コンピュータ会社で2年間研修をし、その研修を
生かして現在キャドを使ってコンピュータ製図の
仕事をしている。この15年間、かなりのベトナム人の
お世話をしてきた。感謝の気持ちを持つ人もいれば
自分の力だと自信過剰気味の人もいる。
人それそれである。私は、どんな対応をするベトナムの
人も恨むという気持ちはない。
トンチンカンホテルは10年近く宿泊していた日本人の拠点である
トンチンカンホテルの引越しは、かなり大変なものであった。
多くの人たちの協力で何とか「新ホテル」への引越しが
出来た。この15年間、日本での研修をお世話した
ベトナム人も何人かかいるが、ヒーさんが「ただ一人」
手伝いに来てくれた。「私は小山さんにお世話になり
日本でコンピューターの研修が出来たので、手伝いに
来た」というヒーさんの一言に私は、この15年間の
フエでの苦労が全て吹き飛んだ気持ちになった。
他にも多くのベトナム人の日本留学・日本での研修の
お世話をしたが、多くの研修・留学のベトナム人は
「自分に能力があったらら日本に行った」との自信
過剰気味の自己総括をしている。当然ではあるが、
JASSへの感謝の気持ちもない。それは致し方の
ないことである。今日、引越しを知りながら「手伝いに
こなかったJASSにお世話になった若者」の幸せを
祈るのみである。

私の部屋の大量の荷物、税田さん、ハンナさんの荷物(少ない)
を始め、1階旧日本料理店の机と椅子類、カラオケルーム機材
など多量の荷物。
ベトナム事務所・日本料理店のスタッフ全員の協力、IT部の
ヒーさん、そしてソン君の大学同級生のパソコン専門家、
オートバイ研修センターの先生など皆さんの協力に感謝。





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新ホテルへ引越しするのは、私、税田さん、ハンナさん、
「子どもの家」を退所した日本料理店員のホンニーさん、
トゥオイさん、新ホテルの警備員をするハーイさん、
日本料理店の警備員リー君。当面は7人である。
更に日本語学校に就任される新日本語教師の方々が
順次入居する予定。更に来年には、引きこもりの日本の
若者の入居も計画中である。
5階建てで屋上にも屋根のある大きなホテルを丸ごと
借り切った。13室。その中には、大きなスイートも3室ほど
あり、相当の人数の人間の入居が可能。
ベトナム事務所からは、自転車で10分程度の近さにあり、
回りが田んぼという「田園地帯」。新ホテルの前には、
牛やヤギがいた。回りを林に囲まれた新住宅地帯でである。
5階の廊下から下界を見ると「自然の草」の臭いがした。

今までのトンチンカンホテルは、隣りがホテルのため
朝から送迎のバスの排気ガスが充満。この7年間、
一度も部屋の窓をあけることが出来なかった。
更にトンチンカンホテル自身の工事をはじめ、隣りの
ホテルの大規模な増築工事(1年以上)、そして、
現在もトンチンカンホテルの隣りが総改築工事を
行い、トンチンカンホテル滞在の7年間、
いつも工事の騒音に悩まされていた。
トンチンカンホテルは、4畳半から6畳の部屋を5室
借りて1ヶ月の家賃が1500ドルだった。
今回の新ホテルは、ホテル全て借り切り(1階の大きな
ロビー・会議室、13室の部屋、2つの食堂、エレベーター)
1500ドル。どちから高いか安いかは分からないが、
引越しした日本人と5階のベランダから外を見て
「引越ししてよかった」と話し合った。空気がきれいで
静かな環境。そしてベトナム事務所の近く。
仕事で疲れたスタッフの皆さんのせめてもの「安らぎ」「癒し」に
なってくれればと念願している。



新ホテルの私の部屋から見た外の景色はベトナムの
田園風景である。

●私の部屋から見た外の景色。


午後12時半。トンチンカンホテルから新ホテルへの荷物の
移動が全て終わった。引越しの関係者全員で地元の
田舎風レストランで昼食。子どもたちの希望で「海鮮鍋」
、チャーハンなどを食べる。



午後2時過ぎ、今度は新ホテル内の整理。
新ホテルオーナーと12月15日までにベッド、お風呂など
引越し後直ぐに生活が出来るように全ての準備をしておく
約束をしていたが「案の定」、引越し作業中もトイレの工事、
電気温水湯沸かし器の工事、ベッドの搬入などが行われた
いた。

ソン君やバオミンさんのご両親が宿泊する部屋のシーツ、
布団、枕などを持ってくれた。バオミンさんのご両親と
しばらく私の部屋で話し合う。

午後7時半、税田さん、ハンナさん、リー君の4人で
夕食を食べに行く。
今日から新ホテルの泊まる予定だったホンニーさん、
トゥオイさんは、祖母や実家に今回の土日は泊まり
たいとのこと。12月13日の「子どもの家」を退所し
「一人前の人間」になって初めて帰る家である。
頼みにしていた警備員のハーイ君は、引越しの
荷物を何も持たずに来たとのこと。「子どもの家」
の自分のロッカーの鍵は寮母さんが持っているので
着替えや生活品がないということで、結局、土日は
「子どもの家」に帰り、改めて来週の月曜日から
新ホテルの警備をすることになった。

今日は朝から1日、本当に忙しく、いろいろあった
が、ベトナム事務所スタッフ、子どもたちや
関係者の皆さんの協力で何とか引越しを完了する
ことが出来て嬉しい。4人で「コードー(古都)」レストラン
へ行き、フダビールで乾杯。リー君が注文など色々と
気を遣ってくれた。
モヤシ炒め、豚肉と海老の塩辛、アヒルの玉子焼き、
トリのから揚げなどをおつまみに夕食。
午後9時過ぎに新ホテルへ戻り、全ての入り口の鍵を
税田さん、ハンナさん、リー君でかけて1日が終わる。

インターネットが入っているのだが、ADSLとは言っても
速度が異常に遅く、日本から持ってきた日本のテレビを
視聴できる「ロケーションフリー」が使えない。
高速ADSLにしないとだめとのこと。引越しはしても
通常の生活に戻るのは、1ヶ月ほどかあかるかも
知れない。これから少しずつ部屋と荷物の整理をし、
新ホテルシステムを作り上げ、新生活に慣れて
いくことが必要になったくる。
こうして新ホテル第1日目は終わっていった。

投稿者 koyama : 10:06 | コメント (0)

2007年12月14日

「子どもの家」関連の話し合い 

曇り時々雨

朝食午前7時、フォー。トンチンカンホテルで食べる最後の
フォー。

午前8時20分。バオミンさんと一緒にフエ市人民委員会外務部へ。
越日交流委員会開催。ニエン外務部長、セン「子どもの家」運営
委員長、私、バオミンさん。越日交流委員会は、ベトナムの
公的機関。「子どもの家」、静岡フエ青年交流会館、職業訓練センター
の3つを管理している最高決定機関。ニエン氏が委員長、私が
副委員長、センさん、イックホアンが委員という構成。
バオミンさんも事実上の委員。


「子どもの家」スタッフの勤務態勢問題を討議。
この数年、「子どもの家」への訪問者が増え、多くの訪問者が
「子どもの家」で昼食を摂るようになった。
現在、食事担当のスタッフは1名。子どもたち60数人分の
料理を作り、スタディーツアーでの来訪者がある時は、100人分
程の料理を作るということが増えた。
そこでセン運営委員長より、その対策についての相談。
現在、食事を「外注」するシステムがある。業者に食事を
委託する方法である。私の方では業者委託ではなく
「子どもの家」で子どもたちに合った食事を手作りすることに
意義があるとの意見を述べ、結論として、繁忙期などに
時間を決めた食事担当スタッフの採用を決める。

次にベトナムの学校で行われている「2部制」が徐々に廃止
されつつある現状のなかで、「子どもの家」の子どもたちを
どう指導していくかと言う問題。
「子どもの家」はベトナム社会の変化に合わせて常に変わって
いかなければならない宿命をもっている。
特に都市部の学校の「二部制」(午前組・午後組)を解消する
文教政策が進行している。まだ全ての学校で実施されている
訳ではないが、可能な学校から午前7時から午前11時。
午後1時から午後4時位まで勉強する学校がふえてきつつある。
それに伴い、昼間「子どもの家」にいる子どもたちが
相当減っている。それにも関わらず、「子どもの家」スタッフは
全員午前8時から午後5時までの勤務時間となっている。
午後5時以降は宿直1名が子どもたちを指導するシステムと
なっている。警備員は施設の警備だけ。

子どもたちが一番いる時間帯は午後5時から就寝までの
時間帯である。
現在の問題は、子どもたちの指導・お世話が一番必要な
夜の時間帯にスタッフが1人しかいなく、子どもたちがいない
昼間に多くのスタッフがいるという矛盾である。
子どもたちのお世話・指導が私が目指すもの。
種々協議の結果、勤務システムを変える原案を
考える。子どもたちが少ない昼間は、少ないスタッフで、
子どもたちがたくさんいる午後5時以降に多くのスタッフが
勤務するシステム。更に午後10時以降の宿直1名を
2名に増員し、子どもたちに一層手厚いサポートが出来る
よう「現実にあわせた勤務態勢」の変更を考えた。
セン運営委員長が具体的な勤務原案を作り、私たちに
提示。最終的に「子どもの家」スタッフと十分協議すること
となった。
何事も同じであるが、全てのものは「変化」する。変化の
現実を見る目をもたないと、どんなに立派な活動であっても
「古臭い」もの「無用のもの」に転化してしまう。
午前11時、会議終了。

昼食はコムディア。
体調不良。体がだるい。
昼寝。2時間。その後も起きる気力なし。

何とか起きて、必要なメールの返事を書く。
2008年1月・2月の訪問者への対応。

バオミンさんは、地球の歩き方ミニツアー
を見送りにフエ空港へ。

午後4時、明日引越しをし、新ホテルに泊まる
ホンニーさん、トゥオイさん、リー君の3人を
呼んで「新ホテル」での生活の諸決まり等を
話す。門限、毎日の生活、新ホテルでお互いが
楽しく生活していけるような様々な約束事を
話す。午後5時45分まで。


午後5時50分から日本料理店で子どもたちと夕食。

日本料理店は来客ゼロ。こうした日もある。

午後9時、日本料理店閉店。

トンチンカンホテルへ戻り、明日の引越しの最後の
準備をする。

引越し荷物は、ダンボールで20箱ほどの量になる。

長崎県佐世保市の銃乱射事件。恐ろしい国になったものだ。
二人の亡くなられた方のご冥福をお祈りする。文字通り、
「不慮の災難」である。

日本という国家・社会そのものが、急激な崩壊現象に
突入しているやに思われる。

「消えた年金問題」。2008年3月までに5000万件の
全てを調査し、最後の一人まで徹底して究明すると
の安倍首相を筆頭とする自民党の選挙公約である。
福田首相は「公約を覚えていない」と平然と国会で
答弁している。
多弁癖のある舛添厚生労働大臣。マスコミで大見得を
切っての発言を多発していたが、今や、「あれは公約ではない」
と裏切り発言に終始。政治家の命である「言葉」に全く責任感
を持てなくなった政治家の群れ。

C型肝炎問題でも舛添厚生労働大臣は、「甘い言葉」を
マスコミの前で連発していたが、いざ本番となった途端に
「裏切り」に終始。

政治のトップがこのざまである。防衛省が汚職だけに
終わらず、護衛艦「しらね」で火事を起こすという醜態を
さらけ出している。

政治から銀行、大企業、そして偽装問題と国家崩壊現象
の真っ只中である。私もその国家崩壊現象の責任の
一端を担っているのである。その自戒だけは持っている。


国際貢献を主張し、与党は「新テロ特措法」を延長国会で
成立させることが『国際貢献』と言っている。

国連機構変動枠組み条約締結国会議(CO13)
「バリ・ロードマップ」の会議で、温室効果ガス削減の
数値を記述したした議長提案に反対しているアメリカに
日本は追随している。EUは、数値記述を主張。
議長国インドネシアの示した議長案では、
先進国は2020年に1990年比で25%~40%
削減」との原案を削除している。これはアメリカと
追随国家日本の反対によるため。
国際貢献を言うのなら、バリ・ロードマップ」でこそ
削減数値目標を明記することを主張しているEUと
一緒になりアメリカを説得すべきなのである。
これこそ、文字通り「国際貢献」なのだ。

クラスター爆弾禁止条約の会議。日本はアメリカと
ともに禁止条約に反対した。
クラスター爆弾の禁止を先頭に立って主張することこそ
「国際貢献」なのだが・・・・・・
どこか狂った国際貢献論である。

そんなことを考えながら、トンチンカンホテル最後の夜を
過ごしている。


投稿者 koyama : 20:25 | コメント (0)

2007年12月13日

3人の子どもたちの退所式:地球の歩き方ミニスタディーツアー

曇り・雨

午前7時朝食。ブンボー。

午前8時半。トンチンカンホテルのオーナーラームさんの
事務所へ。12月15日にトンチンカンホテルを引っ越す。
10年近くのトンチンカンホテル借り上げのお礼を述べに行く。
長い間大変お世話様になりました、これからもラームさんの
仕事・営業が大きく成長することを祈ります。
皆さんの健康を願いますと。

お礼のお茶とお菓子、残りの家賃を手渡す。

15日の午前8時からトンチンカンホテル住人3人の引越しが
行われる。

午前9時、バオミンさんと「子どもの家」へ。
今日は、「子どもの家」創設以来在住していたホンニーさん、
ハーイ君、そして1999年の大洪水で父親が亡くなり
「子どもの家」へ入所したトゥオイさんの3人の退所式。

●ハーイ君(22歳)
  複雑な家庭環境。二人の父親は行方不明。母親は死亡。
  弟と一緒に12年前に入所。二人の妹はその時点で
  仏門に入門し尼さんになる。

  本来は18歳で退所へ原則だが、ハーイ君は軽い知的障害
  を抱え、小学校3年生で進級試験を3回落第し、小学校を
  退学させられてします。
   その後、ミシン、窓作りなど様々な職業訓練を行ったが
  それもうまく行かず、今日に至る。大変真面目な性格。
   12月15日、私たちが引っ越す5階建てのホテルの
  「警備員」として採用することにした。今後、新ホテル宿舎の
  警備員として頑張って欲しい。
   今日は、姉が同席してくれた。4日前に夫を亡くしたとのこと。

(姉)「先生方、JASSに感謝したい。弟と2人を12年間も育てて
   くれ、本当に有難い。4日前に夫が病気で死亡した。子どもも
  いるのでハーイ君兄弟の面倒を見ることが出来ない。
  今後、ホテルの警備員として自立して欲しい。
  今後、自分でお金の管理が出来ないと思うので、皆さんの
  方で貯金するように指導して欲しい」

(ハーイ)ありがとう。警備員になったら、顔の知らない人間は
       絶対ホテルにいれないようにする。そして、言われたこと
      はどんな仕事でもする。宜しくお願い致します。

ハーイ君は私たちが15日に引っ越す5階建てのホテル警備員となり
自立する。

続いてホンニーさん(18歳)

今日は母の妹(叔母さん)が参加。
12年間、「子どもの家」に在籍。中学校を卒業し、現在は
日本料理店店長として活躍している。

(小山)頭の良い子だ。今後、拝金主義に入らないように
    気をつけて欲しい。「子どもの家」を卒業したことに
    誇りを持って生きて行って欲しい。
(叔母さん)姪を今日まで育ててくれた皆さんに感謝する。
       母親はハノイにいる。現在39歳。
(ホンニー)皆さんのお世話に感謝。
(セン運営委員長)
    今後、実績を作って欲しい。仕事をしっかりとやるように。
    何かあったら大人に相談して行動するように。
    大人の注意をうるさいと思ってはいけない。
    大人は長い間の人生経験をもっている。大人の
    注意・意見を良く聞いて自立して行って欲しい。
    日本料理店長の責任をしっかりと果たして欲しい。

叔母さんが退所の同意書にサイン

ホンニーさんも12月15日に引っ越す新しい5階建てのホテルに
住み、日本料理店で仕事をし「自立」する。

 
最後にトゥオイさん(18歳)。
1999年、フエ大洪水があり当時41歳の父親が洪水で死亡。
路上のうどんを売って生計を立てている母親だけでは、
子ども3人を養育できず、長女のトゥオイさん、妹のクーアさんを
「子どもの家」に預け、弟と母親で生活をしている。母親は54歳に
なる。

(セン)トゥオイさんは18歳。現在、日本料理店で調理主任を
    している。日本料理店の仕事をすることで自立出きる
    ようになった。真面目な性格だ。皆に信用されている。
    今の仕事を頑張ってやるように、そうすれば生活も
    安定してくる。
     他の子どもたちとも協力して生活するように。
(小山)真面目に良く仕事をしてくれている。
    お母さんを大切にするように。
(母)日本人とスタッフの皆さんに感謝する。
(トゥオイ)ベトナム事務所、「子どもの家」スタッフ
     のお陰で仕事が出来るようになった。

トゥオイさんも15日に引っ越す5階建てホテルの引越し、
日本料理店の料理主任として給料をもらい「自立」することに
なった。

昼食、コムディア。

午後2時から2時間ほど、引越しの準備。部屋にある様々な
書類、衣類、電化製品などをダンボール箱に詰める。
クタクタに疲れる。

午後4時。バオミンさんから連絡。
バオミンさん、税田さんといくつかの問題を話し合う。
話し合いの途中、栃木県からの旅行社ご夫妻が
ベトナム事務所を訪問。じゃむじゃむ・JASS栃木の会
の佐藤さんと電話で話をしたとのこと。
JASSの現地での活動について話し合う。
ボランティアやNGOなどに興味と理解のあるご夫妻。
団体旅行中とのことで、あまり時間もなく帰られる。

午後6時、地球の歩き方ミニスタディーツアー(4人)の
方々の夕食会が日本料理店で始まる。
私、バオミンさんも参加。6人でボランティアや人生、
ベトナム、「子どもの家」、教育などを話し合う。
午後9時終了。
全員で記念写真。

日本料理店の子どもたちと日本人スタッフで後片付けをし
子どもたちは「子どもの家」へ帰る。
残ったリー君と税田さん、ハンナさんと午後11時まで
懇親。


投稿者 koyama : 13:17 | コメント (0)

2007年12月12日

地球の歩き方ミニスタディーツアー

晴天

午前7時朝食。フォー。
ハンナさんとしばらく話し合う。

午前8時半から1時間、メールの送受信。
午前10時、「子どもの家」へ。
地球の歩き方ミニスタディーツアーの皆さん4人が
「子どもの家」で活動。近くのタイロク市場で買い物。昼食作り。

地球の歩き方ミニスタディーツアーで来た4人の若者は
至って真面目。こうした若者が日本にいることに感謝。


市場に買い物に行き、子どもたちと一緒に昼食を作る。
子どもたちと一緒に昼食を食べる。


子どもたちも昼食を楽しんでいる。


昼食後、地球の歩き方ミニスタディーツアーの
皆さんと記念撮影


午後12時半、帰宅。1時間昼寝。

午後1時半から2時間超、引越しの荷物整理。
かなり疲れる。

午後4時から午後6時まで日本語学校で日本語教育。
今日は日本文化の歴史。
552年、538年の仏教伝来と漢字の伝来。
ひらがな、カタカナの発明。
18世紀・19世紀の蘭学・ポルトガル・中国文化の
出島からの伝来。
明治維新後のドイツ、フランス、アメリカ文化の伝播。
そして1945年以降のアメリカ文化の伝来。
何故、日本語でカタカナを使うか?
日本文化は日本で独自に作り出したものではなく、
海外からの影響を受けていることを教える。
後半は、日本語ガイドと日本人に分かれ、フエ文化の
質問と紹介。

午後6時過ぎ、日本語学校終了。

日本料理店へ。今日から新しい生ビールを入れる。
一応、オーナーとして生ビールの味がどうなっているのかを
チェックする重大な義務がある。
夕食を摂らずに生ビールを飲む。

日本料理店の子どもたちと税田さんが当面の仕事の打ち合わせ。


来客、アメリカ1名、ベトナム5人、豪州2人。合計8人。
私はカウンターで生ビールを飲み続ける。7杯。


午後9時半、全ての来客が帰る。

投稿者 koyama : 00:17 | コメント (0)

2007年12月11日

日本料理店会議・自治体国際化協会スタッフ来訪

晴天

午前7時朝食。ブンボー。

午前8時半ベトナム事務所で打ち合わせ。
バオミンさん・税田さんといくつかの問題について。

午前10時半過ぎ、「子どもの家」へ。
今日は「子どもの家」のNGAさんの13回目の誕生日。
昼食をはさんで誕生会を実施。
NGOさんは、ハノイからやって来た。複雑な家庭の事情が
あり、数年前に入所。しばらくは言葉や環境が違い、
フエの「子どもの家」に慣れなかった時期もあった。
今は、すっかり「子どもの家」一員となっている。
NGAさんという名前は「ソビエト社会主義共和国連邦」
という意味。社会主義半世紀のハノイでは、ソ連という名前
立派な名前なのだ。日本の戦前生まれの人に勝利、とか
征夫などの名前が付くのと似たようなもの。

里親のKさんからの要望で「子どもの家」の子どもたち全分の
誕生ケーキが用意された。


NGAさん、ケーキの13本のロウソクに点火

子どもたちみんなでNGAさんの13歳の誕生日をお祝い。
家族団欒のお祝いは出来ないが、子どもたちや寮母さん
たちからの祝福を受けてのお祝いにNGAさんも喜んでいたい。

子どもたちが、誕生ケーキのお裾分け。


里親のKさんからの誕生祝いの手紙をもらい喜ぶ


最後にKさんからのプレゼントの上着を来てポーズ


ターオさん15歳。
里親からの誕生祝いの手紙とプレゼントをもらう。


昼食は「子どもの家」の子どもたちと。


午後2時半。ベトナム事務所で日本料理店員全員会議。
この2ヶ月間の日本料理店の前進、問題点・改善点などを
話し合う。


後半は12月15日、トンチンカンホテルから新しいホテルへの
引越しの打ち合わせ。日本料理店の子どもたちの中から
2人が退所し新しいホテルへ入る。それ以外に「子どもの家」の
22歳の男子1名、日本料理店のリー君も新しいホテルへ
入る予定。12月15日の引越しをベトナム事務所員、
日本料理店スタッフと協力し行う予定。バオミンさんが
責任者、ソンさんが副責任者として引越しを指揮する。

午後3時半。財団法人「自治体国際化協会シンガポール事務所」
のT次長(福岡市役所出向)、K所長補佐(静岡市出向)が
ベトナム事務所を訪問。JASSのフエでの活動視察にこられた。
1時間ほど、ベトナム事務所でJASS活動を説明。

その後、「縫製研修センター」、「アクセサリー研修センター」を視察。
「子どもの家」へ。


最後に「静岡フエ青年交流会館」付属日本語学校を視察。
1階では、税田が研修生クラスの教育
2階ではハンナ先生が観光基礎コースを教えていた。


午後6時前に案内を終了。
日本料理店で軽く「生ビール」を飲もうと思ったら、生ビールが
なくなっていた。代わりに缶ビールを飲む。
日本語学校から帰ってきた税田さん、ハンナさんと
雑談しながら缶ビールと〆張鶴を飲む。

12月15日引越しの準備が進んでいない。

投稿者 koyama : 10:56 | コメント (0)

2007年12月10日

Q君の口蓋唇裂手術成功  12月15日トンチンカンホテル引越し

晴天 のち曇り 休肝日

朝、太陽が出る。

午前7時朝食。フォー。

午前8時、税田さんがトンチンカンホテルのオーナーに
「12月15日にトンチンカンホテルを引っ越すこと」を
話す。小山、税田の家賃を完納して欲しいとの指摘を受ける。
この10年間近く、トンチンカンホテルの全部屋(5部屋)
を全て365日借り切っていた。
ベトナム事務所員や日本語学校の先生でボランティアに
来た日本人の皆さんは、トンチンカンホテルでお世話になった
思い出の部屋でもある。12月13日、オーナーに10年間の
お礼の品とお礼のことばを言いにいくことにしている。


午前10時、Q君(20歳)と父親がベトナム事務所を訪問。

Q君はかなりひどい口蓋唇裂がある。空気が抜けて
はっきりとした発音が出来ないでいた。
私たちの行っている「障害児医療センター」で支援を
行って来た。
Q君の家庭は農業。父母と4人の子ども。
Q君は長男。3人の妹。父母で米を作っている。
平均月収は2000円から3000円程度。
自分で作るお米を食べて何とか生活をしている。
この5年間、帯広の芳村さんがQ君の家庭への
支援をしてきた。(Q君への奨学金)。
Q君の家庭は食べるのが精一杯と言った状況である。

Q君は心臓病も合わせて持っていた。心臓病の手術を
しなければ口蓋唇裂の手術はできないとのこと。
2007年3月14日、フエ中央病院で心臓の手術をした。
芳村さんからの支援金で手術は行われた。手術は成功。
その後、術後の体力の回復を待っていた。
2007年11月29日、フエ中央病院で口蓋唇裂の手術を
した。12月6日退院。今日、口蓋唇裂手術の成功を
報告に来たという訳である。
Q君はしばらく体調を整え、来年からフエ電子専門学校に
入学したいとの決意を語っていた。

昼食はコムディア。

1時間昼寝。

読書「与謝野源氏(上)」。末摘花の途中まで。
最近、忙しいのと、気温の変動が大きく体調があまりよくない
ので、読書の時間が取れない。

午後2時40分。
オアシスの会が実施している船上生活者のための「医療船」を
行っているラン医師と懇談。

2007年、1年間の医療船の活動について詳細に活動状況を
聞く。平均1日30人から40人の診療を行っている。
赤ちゃんは栄養失調が多く、子どもの疾病は胃腸病(下痢・腹痛等)
、風邪。
大人は、リューマチ、高血圧の患者が多いという。


午後4時、オアシスの会が支援している「フーハウ診療所」
の所長と懇談。
2007年、1年間のフーハウ診療所の活動状況を調査する。
1日に来院する患者は平均60人から70人。そのうち大人が
70%。
大人の病気は、高血圧、糖尿病が多いという。
子どもは風邪と下痢。
フーハウ地区は洪水が多い。汚い水を飲むので下痢の
患者が多いとのこと。

午後5時半、日本料理店で子どもたちと夕食。

魚の煮物、空真菜のニンニク炒め、ミット入りの野菜スープ。
唐辛子を2本食べる。相当辛かったが美味しい。
後で「胃」が気持ち悪くなってきた。やはり唐辛子は
強い。

午後6時半日本料理店開店。

英国人一人来店。

午後7時、ベルギー人4人。
「LONLY PLANET」という欧米系のガイドブックを
見て来店したという。ガイドブックを見せてもらう。


「THE JASS MAN」という表題で以下のような内容の
日本料理店紹介があった。聞くところによると
このガイドブックはヨーロッパでも名の知れたものだと
いう。

『コヤマミチオ氏。1992年にホーチミン市を訪問し、
たくさんのストリートチルドレンを見て、強いショックを受けた。
翌年家族を東京に置いてストリートチルドレンのために
何かをしようとベトナムへとやって来た。初めにフエ大学で
日本語を教え、寄金を集め1994年に「子どもの家」を
設立。それから10年間、300人の子どもたちを養育した。
現在4歳から22歳まで66人の子どもたちが「子どもの家」に
いる。基本的には18歳で退所し社会に出る。大学に
いったりする子どもたちは滞在期間を延長している。
小山氏は自慢げに「医科大に入学した子どももいるよ」と
言っていた。小山氏(英語・ベトナム語・フランス語を流暢に
話す)は、資本主義者と共に共産主義者とも協力して仕事
をしている。フエ市の名誉市民にもなっている。
小山氏はフエ市人民委員会と協力し、最近、ベトナム政府から
友好勲章を受章している。ベトナムでの活動は、日本政府を
初め企業や友人などからの寄付で賄っている。同時に
小山氏はNGOのJASSを設立し、1400人の会員が寄付を
している。
また、障害児への支援へも活動を広げている。
また、最近、日本料理店を開店した。ハノイの「古都」と
似ている日本料理店である。「子どもの家」の子どもたちは
この日本料理店で日本料理を学び、接客などの訓練を
している。この日本料理店で食事をすることは、「子どもの家」
への支援にもつながるものである。もし、もっとJASSを知りたい
方は、JASSのWEBSITE(www001.upp.so-net.ne.jp/jass/)
をご覧ください。』

★フランス語と英語・越語を流暢に話すというところは、嘘だが
 真面目に記述してくれている。この取材記者は
 今年の6月頃、日本料理店を訪ねてきた。日本料理店、
 「子どもの家」などを案内したが、ガイドブックにこのような
 記事がでていたとは思わなかった。

ベルギー人と色々と話をする。寿司、テルヤキ、焼き魚、
コロッケ、カツカレー生ビール、生ジュースなどを注文してくれた。
午後9時半近くまで在店。ありがたいことである。

投稿者 koyama : 22:10 | コメント (0)

2007年12月09日

休日

晴れ・雨・曇り

起床、午前8時。
フエに戻って2週間。色々と問題、課題も多い。

連日、朝から日本料理店終了までは仕事。
やはり疲れる。今日は朝、起きられなかった。
毎日忙しく、本を読む時間がなくて残念。
午前8時(日本時間午前10時)、テレビ朝日の
「サンデープロジェクト」を見る。

太陽が少し顔を出す。2週間ぶりに布団を干す。
しばらくして気が付くと雨が降り出していた。
急いで布団を取り入れる。
気候不順。

ベトナムへ戻って2週間。改めて日本を考える。
日本社会が「真っ当に働く人が真っ当に生きられない
社会」に変質しつつあることを嘆く。

年収200万円以下の労働者が30%、2000万人
に達しているという統計もある。憲法25条で保障
されている「国民の生存権」に基づく生活保護以下の
生活に「落ち込んでいる」労働者群。
生活保護所帯の給付金も削減されている。
日本中の都市、村落、地域が「崩壊」状況に
突き進んでいる。高齢者ばかりの土地・町・村が
日本中に蔓延している。
アメリカ並みに医療にも「貧富の差」が導入され、
国民皆保険は事実上空洞化している。
国民年金も事実上空洞化している。

徹底して「弱者」がいじめられ、切り捨てられている
日本社会である。

大もうけをしているのは、大企業のみ。

日本のテレビを見ていると朝から晩まで『大食い競争』、
豪華食べ歩きと関西系芸人の「おちゃらけ番組」
が横行している。
コマーシャルは、高価なファッション、電化製品、
装身具、化粧品、車などのオンパレード。
一体、日本はどうなっているのだろう?

杉並区立和田中が進学塾「SAPIX」と提携し、
夜間、生徒に受験・進学授業を行うという。
テレビは肯定的にこの事象を報道している。
学校が進学塾と化しても疑問すら感じない
日本のマスコミ。東大や有名高校に進学させる
ことが良いこととの日本の教育界の最近の
風潮に徹底的な疑義を感じる。
この概念で見たら私たちの「子どもの家」の
子どもたちは、多くの子どもが駄目な子どもとなってしまう。
教育は『人間を育てること』。有名校進学だけが教育の
目的ではない。

「馬鹿な政治家」がいるのは、「馬鹿な国民が選んだから」
という『定理』。

ガソリン代が1リットル150円と高価になったという。
しかし、一方で多くの国民は1リットル換算で300円ほどの
水やお茶のペットボトルを飲んでいるのである。
高い高いと騒いでいるガソリンであるが、その2倍の
値段で飲んでいる水のペットボトルは高くないのだろうか?
一昔前までは、電車の中や路上でペットボトルの水や
お茶を飲んだりする風習はなかった。中東から送られる
ガソリンの2倍の値段で水を飲んでいる国民・マスコミが
がガソリンが高いと言っている。

いちふくや白い恋人の賞味期限偽装を怒る国民。
しかし、毎日大量に捨てられているコンビニの弁当や
食べ物、食料品店の食料。
国民の「要望」で新しい弁当を食べたいとのことで
時間単位で弁当を捨てている。
スーパーやコンビニで製造時刻を見て、新しいものを
買う国民。食べられるものなら「古いものから買う」とい
国民にならない限り、賞味期限・消費期限の偽装を
追求することは出来ても、「壮大な食べられる食べ物を
捨てている国民」というレッテルをはがすことは出来ない。
世界の飢餓状況を見れば、日本が異常に食べ物を廃棄
している国民であることが分かる。こうした事実こそ、
報道すべきであり、国民的な論議の議題にすべきである。

結局、日本社会が「崩壊現象」を起こしている根源は
国民にある。一人一人の国民の意識・自覚が必要。

第2次世界大戦・アジア太平洋戦争で軍部や東条英機に
騙されたとの総括をして、あの戦争の反省を終わってしまった
我が日本。アジアで二千万、日本人三百万人以上もの命が
奪われアジア・太平洋戦争66周年(昨日)である。

今度も「政府が悪い、政治家が悪い」と人の
せいにして責任をなすりつけ、自分自身の総括をしない
のでは、歴史から学んでいないといわれてもしかたがない。

アジア・太平洋戦争の時、戦争「勝利」に一番酔ったのは
「犠牲者」である国民であった。シンガポール陥落など
アジア侵略のたびに「提灯行列」をして、侵略を祝い、
喜んだのも国民だった。

今、徐々に進行している「格差社会」。
小泉首相の郵政民営化選挙で「小泉チルドレン」を選らんだ
のも国民である。

いちふく、白い恋人への賞味期限改ざんへの非難は
正当なものであるが、まだ食べられる食品を大量に
捨てている我が日本そのものを自省する時期にきている
のではないだろうか、一人一人の国民が自覚をもち、
他人を非難するだけでなく、自分の出来るところで、
「行動を起こす」時期に来ているのではないだろうか
などと思う日曜日であった。

1日中、部屋の掃除。

投稿者 koyama : 13:09 | コメント (0)

2007年12月08日

Kさん案内第2日目

終日雨   途中一時太陽が出るがまた豪雨。

午前6時半のトンチンカンホテル廊下湿度100%、気温21度。

午前8時、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所員会議。バオミンさんの司会で進行。


(ソン)日本料理店の子どもたちに日本語を教えた。
    日本料理店の専門用語、接客方法など

(ハンナ)月から金まで観光基礎コースを教える
     日本紹介でお正月、書道などを指導した。

(ハン)奨学生から奨学金支援者への手紙の翻訳をした。
    クリスマス・お正月の手紙を書く。(奨学金を
    支給している学校の校長・生徒から支援者へ)

(税田)日本語学校造船クラス指導
    
(ミン)セン委員長と懇談 いくつかの問題を提起された。
   今後、整理して皆さんと協議したい。
   2008年1月24日~30日まで訪日するフエ要人関連の
   航空券切符を全て購入した。
   12月22日午前8時20分フエ空港着で、12回目
   の「子どもの家」クリスマス会支援のため内田さんが
   フエを訪問される。

午前9時、ホーチミン市からの来客KさんとOさんの
案内。バオミンさんと一緒にミーアン温泉を視察。

午前11時半までフエ市内を視察・交流。
ベトナム事務所3階の刺繍みやげ物店で刺繍を
買って頂く。感謝。

昼食。チャーハンを食べに行く。
バオミンさん・税田さん・ハンナさんと4人で。
「ヒエップロイ」のチャーハンは本当に美味しい。

午後1時から昼寝。午後3時過ぎまで寝てしまう。
気候の変化、仕事量の増大もあり疲れ気味。

午後4時過ぎ、徒歩、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所で仕事。2008年1月26日の
「現地報告会」宣伝チラシ用の写真を坂本文子さんに
送る。

午後5時半夕食。今夜は珍しく「おかゆ」。
ねぎと玉ねぎそして骨付きの鶏肉。
子どもたちは更に唐辛子を入れて食べていた。

午後6時半、日本料理店開店。

来客アメリカ人夫妻。


午後9時閉店。

日本料理店主任のTHUYさんが明日日曜日の
私のおつまみを作ってくれる。
「キンピラ」「枝豆」「てんぷら」。


投稿者 koyama : 19:22 | コメント (0)

2007年12月07日

Kさん案内

曇り、時々雨

湿度95%。気温21度。

午前7時朝食。昨夜飲みすぎ。朝、起きられず。

午前8時、バオミンさんから電話。今日、日本人のKさんが
ベトナム事務所を訪問する、対応して欲しいとのこと。
8時過ぎにベトナム事務所へ。

8時半過ぎ、日本人KさんとTさん来訪。
フエでのいくつかの企業の件について話す。午前11時まで。
午前11時、Kさん・Oさんを案内して日本語学校、
「縫製研修センター」などを案内。
その後、「子どもの家」へ。「子どもの家」の各施設を案内する。

午後12時過ぎ、自室へ戻る。
昼寝。1時間。
読書。

午後2時、ベトナム事務所へ。バオミンさんと一緒に
Kさん・Oさんを案内しフエ市人民委員会外務部へ。
ニエン外務部長と起業関連の件について協議。

午後3時過ぎまで懇談。
その後、午後4時前までKさん・Tさんと懇談。

午後4時、日本語学校で日本語教育。
日本語教師がハンナ先生だけという状況の中、
私で出来ることがあれば協力したいというのか
一応、私は日本語学校校長という立場なので、
この際、出来る範囲で日本語教育をしようと
思った。


観光基礎コースの学生(20名弱)に「会話」の教育を行う。
1995年にフエ師範大学日本語クラスの教員を「クビ」
になって以来、日本語教育はしないと心に決めていた。
しかし、現時点で日本人の日本語教師はハンナ先生一人。
主任のフーン先生は出産という緊急事態。
税田さんも週3日、日本語学校で教えている。
私も出来る範囲で日本語学校の仕事を手伝う必要があると
思った。

今日、午後4時から午後6時までの2時間日本語教育を行う。
観光基礎コースは約10ヶ月間、日本語を勉強している。
自己紹介、他己紹介を行う。学生の日本語能力は
私の想像以上に高かった。今までの日本人の先生、
フーン先生、サン先生の日本語教育力の高さを改めて
確認する。午後6時、日本語学校終了。

午後6時過ぎに日本料理店へ。
今日は日本語教育を行ったという「理由」で軽く
フダ生ビールを飲む。

午後9時まで生ビール中ジョッキ7杯。
来客なし。

帰宅。静岡の巣山さんから送られた「ゆず塩」で『国香』を
飲む。美味しい、が飲み干す。

「大七 生もと(きもと)梅酒」(純米きもと造り)
の梅酒を冷やして飲む。一説では、日本で一番美味しい
梅酒とのこと。確かに一味違う。

こうして日本料理店で飲み、自室で更に「復習」を重ねると
日記を書いたの書かなかったのかさえ、忘れてしまう。
朝起きて「昨夜日記を書かなかった」と自責の念に駆られる。
パソコンを見ると書いてある。最近、飲酒をすると「ある期間」
の活動を忘れてしまうことがある。アルツハイマーの始まりと
自覚する。

投稿者 koyama : 23:25 | コメント (0)

2007年12月06日

フエ豪雨ー洪水

昨夜から大雨 明け方豪雨。

午前7時朝食。フンボー。
朝食中、豪雨。トンチンカンホテル前の道路も冠水。

午前8時半、ベトナム事務所へ行くが途中、30センチほど
道路が冠水し、長靴の中に水が入ってしまう。


フォンザンホテル横の「フォン川」の浸水状況を視察。
既に道路は冠水し、対岸への通行は遮断されていた。
今年6回目の洪水となった。洪水は冠水程度のもので
半日ちょっとした時点でおおよその水は引いた。


ベトナム事務所でバンベー32号の全ての原稿を
校正する。


昼食。ベトナム製インスタントラーメン(1つ30円)

午後12時半から1時間昼寝。
午後1時半から読書。「与謝野源氏」。
午後2時半からトンチンカンホテルの部屋の整理。
午後4時ベトナム事務所へ。豪雨の中。
子どもたちも雨の中、何とか日本料理店へ
やって来る。
ベトナム事務所でバンベ校正。

午後5時半、日本料理店で夕食だが、今日は校正と
部屋の整理をしたので、日本料理店の生ビールを
飲む。税田先生、ハンナ先生は日本語学校で教育。
私は午後5時半から生ビールを飲み始める。
先日料理した「焼きスルメ」をおつまみに。
ビールを5杯程度飲んだ頃、ハンナ先生、税田先生が
日本料理店に帰って来る。リー君と一緒にスルメを
おつまみに生ビールを飲む。結局10杯程度飲む。
3日間飲まなかった「反動」。
午後8時頃オランダの女性2人が来店。
リー君が接客。
税田先生、ハンナ先生、リー君とビールを飲みながら
「人生を語る」。
午後9時。オランダの来客と話す。
欧米で最大のガイドブックに私のことが細かく書いてある
とのこと。ガイドブックに書いてあったトンチンカンホテルの
日本料理店に行ったが日本料理店がなかった。
町をさ迷っていると日本料理店に出会った。
ガイドブックの日本料理店なので入ったとのこと。
この日本料理店で食事をすると子どもたちの支援になると
思い、来たという。

午後9時半、日本料理店閉店。
トンチンカンホテルに帰り、純米大吟醸「国香」を飲む。
駿河湾「桜海老塩」をおつまみに。


投稿者 koyama : 19:12 | コメント (0)

2007年12月05日

「子どもの家」運営委員長との懇談

終日雨     休肝日

湿度95%。気温21度。

午前7時、朝食ブンボー。

午前8時45分、JASSベトナム運営委員長バオミンさん
と一緒に「子どもの家」へ。セン「子どもの家」運営委員長と
懇談。


①12月24日午後5時半から「子どもの家」のクリスマス会を
  行う。内田征子さんのご支援によるもの。会場も既に確保している。

②先日、フエ市の調査団が「子どもの家」の調査に来た。
 参加者は
  ・フエ市児童保護委員会
  ・フエ市労働社会委員会
  ・フエ市教育委員委員会
  ・フエ市医療厚生部
  ・フエ市外務部

「子どもの家」の総合調査。
JASS「子どもの家」以外の海外支援の「子どもの家」、
ベトナム立「子どもの家」なども全て調査した。
以下、上記調査団の報告内容である。

①「子どもの家」への総合評価  
  フエで一番長い間運営している「子どもの家」である。
  一番多くの子どもたちを育て社会に送り出している。
  一番高く評価できる「子どもの家」である。
  他のNGOなどの「子どもの家」よりも多くの子どもたち
  を育て社会に出していることを高く評価する。
②「子どもの家」の各部屋の広さも他の「子どもの家」に
  比べて広く、子どもたちのために生活し易く作っている。
③NGOから支援された会計が完全に処理され、管理されている。
  NGOからの支援報告と「子どもの家」の会計帳簿が符合し
  きちんとした会計処理がされていることを確認した。
    他のNGOは、かなり会計処理がずさんな状態であった。
④フエで一番古い「子どもの家」であり、建物の保全が必要。
  部分的なメンテナンスだけでなく、総合的な保全工事等を
  今後考えて欲しい。

以上が調査団の報告。

調査団報告はかなり客観的なものだと思われる。
「子どもの家」が出来て13年。確かに建物がかなり古く
なっている。13年間、「子どもの家」が続いたのは、頻繁に
メンテナンスをしているからである。手入れを良くしている
ということではあるが、本質的にはかなり耐用期限に近づいて
来ていることも事実である。

セン委員長との話し合いの中で、「雨漏り」の改善要望が
だされた。今まで何度もメンテナンスをしているが、根本的には
「子どもの家」の屋根そのものが壊れている。
今後は、屋根の大幅な改造、改築などの工事も必要となる
ことを自覚した。

セン委員長からの要望
①フエの物価が上がっているので子どもたちの生活費を
  値上げして欲しい。
  確かにこの数年で物価が大幅に上昇した。
  フォーという『うどん』の値段。1993年頃は1杯3000ドン。
  5年ほど前は5000ドン。数年前12000ドン。現在、高い
  店は24000ドンにもなっている、15年ほど前の8倍に
  値上がりしている。フォーは、日本のラーメンのような
  庶民の食べ物。それが、平均的に見て5倍程度に値上がり
  している。
   セン委員長に公務員の給料を聞いてみた。(おおよその金額)

  ・小中学校の新任教師の月給  100ドル
  ・同 10年経験教師の月給   150ドル
  ・高校新任教師の月給      140ドル
  ・同10年経験教師         180ドル
  ・フエ市外務部長クラス月給   230ドル

「子どもの家」の子どもたちの1ヶ月のJASS支給費用は
30ドル弱。これで3食、衣食住など全ての費用を賄う
のはかなり大変な現状であることは十分理解できる。
フランスやアメリカのNGOは一人1ヶ月40ドルから
50ドル程度の費用を支援している。(急いで検討する)

②「子どもの家」スタッフの給料の値上げも考えて欲しい
 現在一人1ヶ月80ドル支給。「子どもの家」スタッフの
 給料は小中学校教員に準ずることを原則にしてきたが
 物価の値上がり、公務員の給料の大幅な引き上げの
 中で、「子どもの家」スタッフの給料がかなり低くなって
 しまった。最低100ドルから150ドル程度の給料支給
 が客観的には必要になってきた。13年の経験スタッフ
 もいる。(今後検討)

③「子どもの家」スタッフの年2回の定期健康診断を
  実施して欲しい。(今後検討)
④料理スタッフを一人増員して欲しい。
  現在一人で60数人の食事を作っている。
 (現状では無理との回答)

⑤2008年2月7日が「テト正月」(旧正月)
 「子どもの家」では、2月4日~2月11日まで休日とする
⑥私から「全スタッフ会議」を開いて欲しい。私が全スタッフに
  いくつかの問題を話したい。(セン委員長了解)
⑦18歳を越えた子どもたちの「自立」「退所」について
  個々人の名前を挙げて協議。当面、3人の自立の
  可能性で合意。セン委員長が本人と話し合うことになった。

人を雇うということは本人だけでなく、その家族をも含む
多くの人々の生活がかかっていることを私たちNGOは
理解すべきである。自分たちが『ボランティア』でやっている
のだからベトナム人も無給や安月給、庶民の常識を極端に
下回った給料で仕事をすべきだなどと思っていたら、
「子どもの家」や子どもたちを守るボランティア活動すら
うまくいかない。一度、人間を雇ったからには、本人と
その家族に私たちが本当に責任を負う姿勢が必要であり、
スタッフに私たちのそうした「責任感」をしっかりと示して
こそ、きちんとした海外ボランティア・支援が出来るという
ことをこの15年の経験で学んだ。

午前10時45分まで1時間半ほど話し合う。

「子どもの家」の厨房を見に行く。確かに天井が腐食して雨漏り。

今日は終日雨。子どもたちも「子どもの家」で遊んでいたい。


ご前11時頃、バオミンさんのオートバイの後ろに乗って
帰宅。豪雨。雨合羽を持ってこなかったので、安い雨合羽
を買う。オートバイで「コムディア」屋まで行ってもらい
昼食1万ドン(70円)のほか弁を買う。

午後12時過ぎから昼寝。

午後1時過ぎ、読書「与謝野源氏(上)」(末摘花の巻 途中)

午後3時、ベトナム事務所へ。
リー君が待っている。「ホーチミン市に行かないことにした」
とのこと。弟から電話で「来る必要がない」との連絡があった
というが、どうも母親が本当に入院していたのか疑問では
あるが、本人の意思を尊重。

ベトナム事務所で仕事。2月4日、5日、9日の日本での講演会を
決める。

午後5時半、日本料理店で子どもたちと夕食。

午後6時半、日本語学校で教えていたハンナ先生が
夕食。

店長のホン・ニーさんが体調を崩す。

今日は日本人の来客1人。

午後9時閉店。豪雨。

気候の変化が大きく、体調を崩す人が多い。
私も体がだるい。

今日で3日間、アルコールを飲んでいない。素晴らしい。

投稿者 koyama : 22:29 | コメント (0)

2007年12月04日

日本語学校主任フーン先生男児出産

終日雨  時々、豪雨。    休肝日

午前6時半、トンチンカンホテルの廊下。湿度100%、気温22度。

トンチンカンホテルの洗濯機の乾燥機能が故障。
洗濯しても乾燥しきれない。部屋に干しても湿度100%では
乾燥しない。生乾きのくさい匂いがする。困ったものだ。

午前7時朝食。ブンボー。今日から税田さん・ハンナさんと
私、3人での朝食となった。多い時は5人ほどでの朝食だった
のだが・・・・・。

午前8時半、ベトナム事務所へ。その後、トンチンカンホテル
に戻り、今後の活動のための諸準備。

税田さん・ハンさんが、日本語学校主任のフーン先生が
入院しているフエ医科大学病院へ。フーン先生男児出産とのこと。
帝王切開だったが、母子ともに健康。おめでとう。フーン先生は
二人目のお子さん。これから4ヶ月間ほど産休に入る。
お子さんの健やかな成長を祈る。

午前中23通のメール受信。必要な返信を行う。

訪問者の受け入れ、2008年2月の講演会の打診への
返答・・・・・。

昼食

気候の変化が大きい。体調がおかしい。頭痛と倦怠感。
昼寝。午後12時から午後1時半。

静岡市国際課から2回電話あり。

読書「与謝野源氏(上)」若紫の巻
与謝野源氏に比べると田辺源氏は、「優雅さ」と品格がある。

午後2時半。ベトナム事務所でリー君と懇談。


ホーチミン市にいる母親から体調が悪いとの連絡あり。
今週の木曜日から来週の月曜日まで母親のお見舞いに
ホーチミン市に行きたいとのこと。

母親は、リー君が5歳の頃、リー君の父親と違う男性と
駆け落ちしホーチミン市へ行ってしまった。
それから15年間、姿を現さなかった母親。
リー君と弟が成人になった頃、現れ「一緒に住もう」
と言ってきている。
日本料理店で料理人として働いていた弟は日本料理店
を無断で辞めてホーチミン市の母親の所へ行ってしまった。
毎日、母親から小遣いをもらい、喫茶店やゲームセンター
などで遊び歩いているとのこと。
母親は駆け落ちした男性とも別れ、現在はセメント会社で
働いているとのこと。年齢も50代となり、老後を心配する
年頃となった。
母親は二人の息子をホーチミン市の自分の下で働かせ
自分の老後を安泰にしたいとの希望が強いことが
よく分かる。今年、母親とベトナム事務所で話し合った際、
母親の話でそのことを知った。
現在は弟を手元に呼び寄せ、小遣いを上げて「遊ばせている」
がいつまでもこんな生活が続くわけはない。結局、二人の兄弟
の仕事・稼ぎで老後を生きようとの虫の良い話である。
リー君と今後の「リー君自身の人生」を話し合った。
リー君は母親のお見舞いに行き、そのままホーチミン市に
住み着くのか? 今後、日本料理店で仕事をして自立して
生きていきたいのか? どんな人生を考えているのかを話し合う。
「自分は、この日本料理店で仕事をして給料をもらい自立したい」
とリー君は言う。
母親の体調が悪い(本当かどうかは不明)との情報を聞いて
お見舞いに行きたいとの子どもの気持ちはもっともなものである。
しかし、こうした機会を使ってリー君を利用しようとする動きには
敏感にならざるを得ない。親子ではあるが、リー君はリー君で
この15年間、自分のつらく、大変な人生を送ってきている。
やっとつかんだ自立への道(日本料理店での仕事)である。
私たちはリー君の希望と幸せを最優先に物事を考えて行きたいと
考えている。最終的に自分の人生を決めるのはリー君自身では
あるが、私たちは自分たちの人生経験から得られた助言を
する立場にある。
ストリートチルドレンを支援すると言うことは、衣食住など物の
支援だけでは終わらない複雑な支援があることが分かる。
15年間という期間の支援を続けてくると「こうした問題」に
出会うということが分かる。支援ということの難しさ、
複雑さを思い知らせれる毎日である。

午後3時半、静岡の巣山さんから頂いたハンカチ・タオルを
ベトナム事務所員、日本料理店の子どもたちに手渡す。
日本料理店でも使わせて頂く。巣山さんに感謝。



午後4時から日本料理店に2人のアイルランド人の来客。
お寿司、生ビール。

午後5時半、日本料理店で子どもたちと夕食。

骨付き豚肉の揚げ煮、野菜と卵炒め、スープ、ご飯と
唐辛子。



税田さん・ハンナさんは日本語学校。
夕食は午後7時から。

私がフエに戻ってからのリー君は「ぼぼ」真面目に
仕事をしている。1日、無断欠勤あり。

今日は日本料理店開店後、日本料理店の玄関を
掃除していた。


午後7時半頃、宇都宮マルサ社長佐藤氏より電話。
縫製研修センター用ミシンの件、宇都宮市での講演会の件。
いつも丁寧な電話と連絡に感謝。
メールを送信されたようだが、フエに届いていない。
何人かの日本人からもメールを送ったのだが・・・・との
連絡があるが、受信されていない。

日本料理店来客。アイルランド人2名、英国1人、ドイツ2人。
フランス人1人、欧米1人。合計7人。

こうしてコツコツと開店し仕事をすることで、子どもたちも
仕事のコツを覚え、収入も着実に増えることになる。
何事も「あきない」ことである。

投稿者 koyama : 19:01 | コメント (0)

2007年12月03日

仁枝さん帰国

朝から雨       休肝日
終日寒い。

午前7時、朝食。今日帰国する仁枝さん、最後の朝食。フォー。


午前7時半、ベトナム事務所のソン君、日本料理店のリー君
も見送りに来る。なかなか心のある若者である。


バオミンさんがタクシーでトンチンカンホテルまで。
トンチンカンホテル前で記念撮影


20分ほどでフエ空港へ到着。


空港にはたくさんのフランス人観光客が来てごったがえしていた。

今日からフエ空港に「パシフィックエアーライン」のカウンターが
出来た。パシフィックエアーは、ベトナムの民間航空。
国営ベトナム航空の半額でフエー ホーチミンの切符が買える。
当面は1日1便。近日中にフエー ホーチミン1日4便程度
になるそうだ。ベトナム航空は独占航空会社。利益至上主義で
時間は守らない、航空界の世界基準すら遵守できない会社
である。民間会社との競争で少しは、お客の立場にたった
営業をするように変化が起こればと思っている。

手続きが終了し、いよいよお別れ。
1年半、長い間の日本料理店のサポートの感謝。
日本帰国後はまた、保育園の仕事に復帰とのこと。
健康と活躍を祈る。


午前10時、ベトナム事務所。
ベトナム人の新日本語教師ゴックさんと懇談。

現在、日本語専任教師はハンナ先生だけ。
ゴックさんを新規採用し、ほかの日本人も協力し
当面の日本語学校での教育を継続していく。
近々に新しい日本人の日本語教師も赴任の予定。

午後2時、豪雨。

午後3時半、スーパーに買い物。
午後4時半、ベトナム事務所へ。
バオミンさん・税田さんと日本語学校問題などを
話し合う。

午後5時半、日本料理店の子どもたちと夕食。
今夜から仁枝さんが日本料理店にいなくなった。
日本料理店開始以来、大塚さん、仁枝さんなど
日本人が必ず日本料理店に待機していた。
今夜から今までのように税田さん・私・ハンナさん
などが距離をおいてのサポートとなる。

ベトナム事務所で北京五輪アジア地区予選「日本対台湾戦」
を見る。
非常に見ごたえのある試合。日本が1点先行し、台湾が
逆転。更に日本の死球を足がかりに6点。満塁でスクイズ。
投手のダルビッシュは、緊張が強いせいか、あまり調子は
良くないが、何とか2点に押さえる。
8階裏から藤川。9回4番新井の2ラン。9対2。
最終回は上原。3人を打ち取り10対2で日本の勝利。
しかし、6回までは日本は負けていた。
北京五輪のアジア代表になる。中国と日本。
点差は大きくなったが、台湾の実力も相当あることを実感。

星野監督の胴上げ。


午後7時15分、欧米人1人とベトナム人来店。
午後7時40分、ベトナム人2人来店。
午後8時過ぎ、スペイン人2人。合計6人。


午後9時30分、日本料理店の最後のお客さんが帰る。
外は豪雨。


投稿者 koyama : 20:15 | コメント (0)

2007年12月02日

フエ「チャオ・バン・カン」を食べに行く

晴天

気温26度。半袖で過ごせる真夏の太陽。

午前7時起床。

午前中、メール受信・送信。

午前11時、仁枝さん・税田さん・ハンナさん・バオミンさん
とチャオバンカンを食べに行く。


お店の近くで元「子どもの家」の料理担当だった
フオンさんに出会う。

ここのチャオバンカンは、キャッサバともち米を混ぜた
手打ちうどん。

自宅部屋から缶ビール、焼いたするめを持っていく。
途中「チャートゥー」(豚の頭のこりこり肉のハム)
を買う。

チャオバンカン(フエ手打ちうどん)を食べる前に
軽く缶ビールで仁枝さんの送別。スルメとチャートゥー
をおつまみに。

3杯ずつのチャオバンカンを食べる。仁枝さんの無事帰国と
帰国後の幸せを願う。

午後12時半、トンチンカンホテルに戻り、昼寝。


午後3時、月刊「こどもと教育」208年1月号の校正

午後5時、テレビ朝日で「北京五輪アジア地区最終予選」
日本:韓国戦を見る。

なかなか緊迫した良い試合だった。中居という歌手が出てくる
必然性なし。邪魔。栗山と古田の知的な解説には好感が持てた。
アナウンサーと中居だけが、無理な興奮を作り出していた。
この種の拮抗した試合は、冷静に静かに鑑賞したいもので
ある。途中で音源を切った。
6回裏で川上から岩瀬に投手が代わる。
3対2で日本が韓国に勝っている場面。
最強のストッパー岩瀬がフォアボール。満塁。岩瀬が見事に
4球で三振。難関を切り抜ける。8回表、稲葉のヒットで
1点追加。4対2に。星野監督と田渕コーチは私と同い年。
団塊の世代の奮闘を心から応援したい。
韓国の野球の水準が非常に高くなっているのを知る。
最終的に4対3で日本勝利。
「八百長相撲・八百長ボクシング」を見ていると
今日の野球は本当に見ごたえのある試合だった。
岩瀬と札束球団の上原が頑張った。見事。稲葉も
良かった。
緊迫した野球は面白い。お酒が進む。
明日の台湾戦はダルビッシュが先発と星野監督が言って
いた。明日も楽しみだ。インチキ・八百長スポーツを
見ていると、今日の日韓戦は本当に見ごたえがあった。

ベトナムで野球の日韓戦を見ながら吟醸酒を楽しめることが
出来るようになったのは、静岡の笠井さんにお陰。感謝。

スルメをおつまみに缶ビール1本。その後、「国香」(純米大吟醸)
を飲みながら、野球の醍醐味を鑑賞する。
由比の桜海老塩をちょっと舌につけると日本酒が一層映えて
美味しい。

美味しい吟醸酒とスルメがこれほど合うとは・・・・・。
シンプルなものが、最終的には一番美味しい。

午後7時から洗濯。洗濯機が少し故障。乾燥がうまくいかない。

投稿者 koyama : 17:51 | コメント (0)

2007年12月01日

ベトナム事務所員会議

晴天           休肝日

午前7時朝食。ブンボー。

午前8時半、ベトナム事務所員会議。
ミン・税田・ハン・仁枝・後藤・ソン


(ソン)地球の歩き方ミニスタディーツアーの案内(「子どもの家」)
    「子どもの家」13周年記念参加
    日本料理店の日本語教室は休講にした

(仁枝)昨日の送別会、ありがとうございました。
    29日、地球の歩き方ミニスタディーツアーの
    方が日本料理店に来てくれた。日本料理店の
    子どもたちの料理の段取りも段々良くなって来た。
    今日でフエでの活動が終わりになる。長い間、
    お世話様になりました。明日は日曜日で帰国の
    準備などします。

(ハンナ)月曜日、日本語学校のテスト
      観光コース再試験
      日本語学校の生徒に石塚先生の帰国の話を
      した。生徒たちもこれから頑張ると言っていた。
      再来週から新しいベトナム人の先生の日本語教育が
      始まる。

(ハン)地球の歩き方ミニスタディーツアーの皆さんを「子どもの家」や
    日本語学校・市場などに案内した。
    奨学金の名簿を作り上げた。
    
(税田)日本語学校の研修生コース(火、土)、観光(水)を教えた。

(ミン)バンベーの編集をしている。12月4日が締め切り。
    その後、静岡のAさんに原稿を渡す予定。
    来年の春のスタディーツアー。現在14ツアーが既に
    決まっている。
     地球の歩き方、大学生協、静岡ライオンズ、ピースボート
     フリースペース・・・。

(小山)日本滞在中の活動報告


1時間ほどでベトナム事務所員会議終了。

何となく体がだるい。喉が痛い。
早めにトンチンカンホテルに帰り「イソジン」でうがいをし
休む。

午前11時半。コムディアを買いに行く。
ベトナム茶をいれ、野菜とご飯の昼食。

午後12時半。昼寝。隣の工事がうるさい。

午後1時半から横になりながら読書。
「与謝野源氏(上)」。
帚木(ははきぎ)、空蝉(うつせみ)、夕顔。

午後5時、ドンバ市場へ。スルメ4枚(700円)。
日本料理店に持って行き、軽くあぶり、はさみで小さく
切る。醤油をかけて寝かせておく。明日からの
おつまみとする。日本料理店の子どもたちが
上手に作ってくれる。

午後5時半、日本料理店で子どもたちと夕食。
仁枝さんは、今夜が最後の日本料理店での夕食となる。

今夜の食事は「こんにゃくの煮物」「ゆで野菜」「ゆで卵と醤油」
「スープ」「牛肉と野菜の煮物」


今日はフランス人のお客さん7人。午後10時過ぎまで。



全ての仕事が終わり、日本料理店全員で記念写真を
撮る。

投稿者 koyama : 22:13 | コメント (0)