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2007年12月17日
新ホテル2日目 活動開始
朝雨 午後曇り 休肝日
午前6時半起床。
午前7時朝食。トゥオイさんがフォーティウを作ってくれる。
芋の粉を麺にしたもの。ホーチミン市の特産物。
税田さん、ハンナさん、リー君、トゥオイさんの5人での
初めての朝食。
●フォーティウ
午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。電動バイクで5分で着いた。
想像以上に新ホテルからベトナム事務所までは近かった。
新ホテルの問題点を税田さんと一緒にバオミンさんに依頼し
改善要求を出してもらうようにする。
能力の非常に低いインターネットを廃止し、ベトナム事務所
で加入しているプロバイダーに加入する手続きをしてもらう。
トイレ、ドアなどの不良部分の改善をバオミンさんが
オーナーに依頼する。
午前8時半過ぎ、ホーチミン市でストリートチルドレンの
NGOをしているOさんが来訪。2時間ほどベトナム事務所で
JASSの活動を説明。ご尊父は、私が小学校の現場で
『親子読書運動』をしていた頃の児童文学作家の大川悦生氏。
「お母さんの木」の作者。
その後、タクシーで日本語学校・「縫製研修センター」
「アクセサリー研修センター」などの視察をし、「子どもの家」へ。
「子どもの家」で子どもたちと昼食。
「子どもの家」で一番年下の子どもたちも元気に食事を
していた。
昼食後、「子どもの家」の各施設を案内。
案内後、「子どもの家」を退所したハーイ君が新ホテルへ
行くことになった。私物は本当に少ない。
ハーイ君を連れて、Oさんと一緒にタクシーでベトナム事務所へ。
●「子どもの家」を去るハーイ君
ベトナム事務所から私の電動バイクの後ろに乗り、新ホテルへ。
新ホテル前で。
ハーイ君はこれからこのホテルの警備員として自立へ
向けて努力することになる。
12月15日に引越しをしたが、私の隣の台所には、大量の
荷物が山積みされている。忙しくて荷物の整理が出来ない。
毎日、寝ることが出来れば当面は良いとの思いが強い。
時間を見ながら追々整理していく予定。心臓の薬などが
どこにあるのか分からずに困っている。
午後12時半新ホテルにハーイ君と到着し、その後1時間ほど
昼寝。
午後3時半過ぎ、ベトナム事務所へ。
半年間連載を頼まれた月刊雑誌「子どもと教育」の原稿が
12月15日に締め切りとなっていた。引越しの準備等で忙しく
最後の清書・推敲が出来ていない、添付の写真10枚ほども
決まっていない。
急いで4000字の草稿を読み直し、必要な訂正を行う。
パソコンの各所にあった写真を見つける。
午後5時半。夕食。新ホテルから自転車でハーイ君が
やってくる。一人で日本料理店まで来られないと皆は
思っていた。ソン君がオートバイで見つけに行くが
ハーイ君は一人で自転車でやって来た。
午後6時過ぎ夕食終了。
ベトナム事務所で「子どもと教育」の原稿の仕上げ。
写真探しを続行する。
午後8時半過ぎ、「子どもと教育」の原稿出来上がる。
出版社に送信するが、ベトナムのプロバイダーの
インターネットでは送信不能。YAHOOで出版社に
送る。
今日の日記を書く。
新ホテルでは送信速度があまりにも遅く、写真がアップ
できない。どうしてもベトナム事務所で書きあげなければ
ならない。
ベトナム事務所へ送られるメールの多くは届いていないという
最近のメール事情である。
重要な内容のメールは、YAHOOにお送り頂ければ
有難い。
午後9時半過ぎ、全ての仕事を終わり新ホテルへ帰る。
既に日本料理店の子どもたち、ハンナさんが帰っている。
1階ロビーで子どもたちがテレビを見たいと言っている。
空き部屋にテレビがあったが、アンテナがなく結局
テレビ視聴は出来なかった。子どもたちの部屋に
1台テレビが必要。子どもたちも「子どもの家」を
退所し「自立」した。仕事が終わって部屋でテレビを
見て休む程度の娯楽は必要と思われる。
1階ロビーに時計をつける。子どもたちに目覚まし時計を
買って上げる。
午後10時半、日本のピースインツアーより電話。
今日は、ハーイ君が10数年の「子どもの家」生活から
離脱し、一人での生活に入った。とはいってもまだまだ
完全な自立には程遠い。新ホテルの警備員の仕事を
しながらベトナムの一般社会の決まりやシステムを
体験して行って欲しい。ベトナムでは軽い知的障害の
子どもの仕事の場や社会的な活動の場は少なく
限られている。ハーイ君は新ホテルの警備員として
やる気持ちは十分に持っている。
ハーイ君はJASS/「子どもの家」と出会い、
何とか自立する方途を見つけたようである。
これからしっかりと自覚し、警備員の仕事が出来る
ようにしていきたい。
夕食時には、日本料理店の子どもたちが「ハーイ君、
もう一膳ご飯を食べなさい」と言い、3人の女子が
代わる代わるお代わりを持ってきてやっている。
違う女子は「魚のその部分は美味しくないからこちら
にしなさい」と魚の美味しい食べ方を教えていた。
「子どもの家」の子どもたちのハーイ君に対する
態度はごく自然なものである。同時に全員年下の
子どもたちだが、ハーイ君に自立して欲しいとの
気持ちを持って、日常生活で「違った行動」の
あるハーイ君に優しく教えている様子は、
どうみても「母親」の態度であった。
真っ当な社会に真っ当な子どもたちが育つという
ことである。子どもたちは「社会の鏡」。
子どもたちに学力がないなどと偉そうにお説教を垂れている
福田首相や政府のお偉いさんが「選挙公約」が何だったか
を忘れるほど「学力がない」わが日本である。
投稿者 koyama : 2007年12月17日 23:03