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2008年01月31日
オアシスの会の皆さんとの懇談
晴天
午前7時起床。
フエに心臓の薬を忘れてくる。
既に1週間ほど薬がストップ。今日何とか時間が空いたので
午前中、新宿の病院へ。火と木しか主治医がいない。
午前8時半、三田線→大江戸線経由で都庁前。
この病院は予約制。今日は予約をしていないので、順番は
後回しとなる。しばらく待たされる。
いつもの通り「心電図」。冷たい吸盤の電極を胸に付ける。
冷たいので体がピクっとする。心電図の技師は「楽にしてください」
と言う。冷たいゴム吸盤が胸に触れてぴくっとしない人はいない。
心臓専門病院として日本でも有名な病院であるが、心臓の悪い人の
胸につめたい吸盤をいくつもくっつけるという最悪の行為をしている
ということの理解がない。いくら立派な医療器具を備え付けていても
これでは台無し。日本の医療の現実。
またしばらく待たされ、診察。薬をもらう。ついでに杉花粉症の
薬ももらう。3割負担で1万円。
午前11時過ぎに終わる。
自宅着、午後12時過ぎ。
1月24日に帰国し、毎日家へ帰ると寝るだけの生活だった。
部屋には関係書類など乱雑としている。多少整理する。
宇都宮縫製工業組合理事長S氏より電話。
バオミンさんなど関係者にメール送信。
午後3時自宅を出て、午後4時前三田線で三田駅へ。
駅でオアシスの会のTさんと合流し、Oさんのお宅へ。
オアシスの会は、フエで以下のような活動を展開している。
JASSベトナム事務所は、オアシスの会の活動を現地で
補佐する仕事をしている。
(1)医療船
船上生活者を対象に医療船を運営。
治療と投薬などの活動を行っている。
①毎週月曜日から金曜日の午前8時から11時半、
午後2時から午後5時まで船での巡回医療活動をしている。
②スタッフは以下のよう。
・医師(1名)
・看護師(2名)
・船頭(2名)
・警備員(1名)
③患者数
・1日平均 30名~40名
・子どもは消火器系(下痢・腹痛・・・・)、耳鼻咽喉科系(風邪)
→医療船で投薬。
・大人はリューマチ、高血圧
→リューマチはフエ中央病院を紹介、高血圧は降圧剤を投与
→ベトナムでの高血圧は上(150以上)、下(90以上)
・赤ちゃんの栄養失調→軽いものはミルクを与え、重い患者は
フエ中央病院を紹介する。
(2)障害児家庭支援
①14歳の男子。全身麻痺の子ども。
②両親死亡。元船上生活者。4人兄弟。祖母が面倒を見ている。
③毎月の生活費を贈呈している。
(3)視覚障害者支援
●1歳の女児。両目が栄養失調で見えない。
①船上生活者。
②両親が遠くまで船で行き、砂を取っている。
家庭用の船に祖母がいて誕生早々から女児の
面倒を見ていたが、知識と栄養が不足し、目が見えなくなり
手術をしようとしたが、既に手遅れ。
③1ヶ月のミルク代を支給。
(4)奨学金支援
●生活困難な子弟への奨学金
①高校3年生 1名
②船上船の看護師2名にも奨学金を出している。
(5)フーハウ診療所支援
船上生活者が多いフーハウ地区の医療センターに来る
船上生活者の医療支援を行っている。
①1日平均患者数 60人~70人
大人が70%。
②疾病の種類
大人は高血圧(30%~40%)、糖尿病(年間40人程度)
子どもは風邪、下痢が多い。
③支援金は栄養剤、抗生物質、痛み止め、降圧剤などに使用。
④コンピュータ1台、糖尿病発見器を寄贈
オアシスの会の活動はフエの最貧困層の人々(船上生活者)を
具体的に支援している。現地で本当に役立っている支援である。
午後4時過ぎ、オアシスの会フエ駐在員のOさんのお宅へ。
オアシスの会の皆さんと現地での活動の経過・成果などを
話し合う。
その後、Oさん手作りの夕食をご馳走になる。
午後10時までボランティア、人生などを話し合う。
Oさんが元気にお過ごしになっている様子を拝見し
安心。
自宅着。午後11時。
2008年01月30日
フエ共産党・人民委員会幹部帰国:小山講演会日程
晴天 続きを読む「小山講演会等日程」掲載
少し気温も上がり過ごしやすい。
午前4時半起床。
午前6時半、日暮里駅前のホテルへ。真っ暗。
福田もえ子JASS日本代表委員会委員長は既に来ていた。
午前6時35分、フエ関係者全員集合。
1週間の日本本滞在。日程もかなり詰まったものだったが、
不平一つ言わず、最後まで付き合ってくれたバオミンさん
をはじめフエ関係者に感謝したい。
午前6時53分日暮里発のスカイライナーに乗り、成田へ。
午前7時過ぎ、スカイライナー車中で日の出を見る。
午前8時過ぎ成田第2ターミナル着。
私は身分証明書を忘れてしまい、空港へ入るとき一悶着。
出国階には中村さんも見送りに来てくれていた。ありがたい。
出国カウンターは工事中。ベトナム航空は出国階の左端に
追いやられていた。2月7日のテトに向けて多くのベトナム人が
帰省。ベトナム航空のカウンターは長蛇の列。
午前9時頃、手続きを終え出国へ。
フエ市共産党委員長、フエ中央病院院長も一緒に帰国。
フエ関係者入管へ。帰国の途へ。
今回の訪日は、共産党委員長、共産党人事部長、フエ市人民委員会
外務部長、財政部長、フエ警察副署長の参加。
昨年新たな人事があり、新しい共産党・フエ市人民委員会
の役員となる。JASSと新役員との友好交流関係を一層
親密にすることが出来た。
1月25日JASS東京懇談会。
1月26日のJASS現地報告会、27日JASS静岡の会懇親会。
28日の静岡市長懇談、静岡大学学長等懇談。
29日、日光市長懇談と日程の詰まった訪日だった。
これらの訪日受け入れのため仕事とボランティア
をやりくりして準備をして頂いた関係者の皆さんに
心からお礼を申し上げたい。
今回の訪日は100%以上の成功を収めた。
特に26日の「現地報告会」にはたくさんの方々がご参集くださり、
地元の共産党やフエ市人民委員会がJASSをどう評価しているか
の説明があった。また、JASSベトナム運営委員長からは
2007年JASSベトナム総括、2008年方針の説明があった。
私からはこの15年間「子どもの家」とそれを取り巻く環境が
どのように変わってきたか? 子どもたちがどう成長して来たか
をビデオで説明。
更に大きくその輪が広がった各地の会からの発表は、
それぞれの会の特徴を生かした取り組みが発表された。
本来なら見ず知らずの皆さん同士である。「子どもの家」の
子どもたちを通してこうした繋がりが日本で出来ることに
感謝の気持ちをもちたい。
今回の訪日団受け入れでは、JASSベトナム事務所で
活動していた日本語教師などの皆さん方が大活躍してくれた。
東京・静岡の会では歓迎会などを催してくれた。
また、津軽三味線の山本竹勇さんとの素晴らしい出逢いが
持てたことも大きな収穫だった。
JASSはこだての会の川人代表の人間味のある人柄が
交流を通して分かったことも、人間が直接話し合うことの
大切さを改めて知る場となった。これからも毎年、
ほぼこんな時期に「現地報告会」を行いたいものである。
ベトナム現地での取り組み、各地での取り組みの交流を
通して、子どもたちの成長を願い、世界から貧困をなくし、
世界中の人々がみな幸せにいきることの出来る世の中を
作って行きたいものである。
訪日団帰国後、福田・中村さんと空港内でお茶を飲みながら
懇談。
福田委員長と一緒に午前10時半過ぎの急行で日暮里へ。
巣鴨まで福田委員長と。
午後12時過ぎ、巣鴨から地下鉄で西台駅で降りる予定だったが、
車内で寝てしまい、一駅乗り越してしまう。
ついでに高島平団地で買い物。
自宅まで30分歩く。午後1時半自宅着。
午後2時過ぎ、今日はじめての食事。
湯豆腐と野菜で軽くビールを飲み相当遅い朝食兼昼食。
午後3時半、昼寝。
午後5時、青少年教育の会Kさんより電話。
午後6時過ぎ、帯広のYさんより電話。
午後10時半 フリースペースより電話
相当数のメールを受信。
明日は、午前中心臓の病院、午後オアシスの会懇談会。
フエ要人訪日団案内は今日で終了。明日からは、
定例となっている講演会や関係団体、支援者との
懇談などが続く。
とにかく1月24日~30日までのフエ関係者訪日の
お世話をしてくださった方々、各種報告会、歓迎会に
ご参加頂いた方に心からお礼を申し上げたい。
また、会合には参加されなかった方でもクッキーを
作り差し入れをしてくれた方などにもお礼を申し上げたい。
小山道夫 2008年1月日本帰国日程
2008年 ★フエ訪日団
フエ市共産党委員長
フエ市共産党人事部長
フエ市警察副署長
フエ市外務部長
フエ市財政部長
JASSベトナム・バオミン
1月23日(水)午後12時過ぎフエ発
24日(木)0:05ホーチミン市発(フエ訪日団引率)
7:30成田着 (日暮里泊)
25日(金)フエ訪日団自由 P6JASS東京の会歓迎会(日暮里泊)
26日(土)P1:30 JASS日本「現地報告会」(北区教育会館)
P5 現地報告会後反省会(北区王子) (日暮里泊)
27日(日)A9:56東京発―10:55三島着(こだま537号)
富士山経由静岡へ
P6 静岡の会歓迎会 (静岡泊)
28日(月)お茶の郷視察 P3小嶋静岡市長懇談
P4静岡大学訪問 P6静岡大学懇親会 (静岡泊)
29日(火)A10静岡発→A11東京着 浅草雷門視察
1:30 浅草発 下今市着
日光市長と「姉妹都市」提携問題などで懇談
夕方、日光市長たちと懇親会 夜帰京 (日暮里泊)
30日(水)A6:53日暮里発
10:30成田発
31日(木)A10 通院 P4オアシスの会
2月01日(金)
02日(土)A10ブライセン
A11 青少年教育の会懇談
03日(日)支援者との懇談
04日(月)P1 宇都宮ボランティア協会講演会(宇都宮総合福祉センター)
P4 宇都宮雀宮地区講演会
05日(火)P2:30足立区立第四中学校夜間学級教職員講演会
06日(水)P4 三鷹「フリースペース」打ち合わせ
07日(木)
08日(金)
09日(土)P1 沼津市トラック協会講演会
P7 三島市ウオータービジョン講演会(清水町教育委員会)
10日(日)P3 邦楽関係支援者懇談
11日(月)
12日(火)
13日(水)帰国準備
14日(木)A9:30 通院
15日(金)福島
16日(土)福島
17日(日)A10:30成田発 フエ着
2008年01月29日
静岡市→浅草→日光市へ
曇りのち雨
午前7時起床。フエを出て1週間。疲れが出る。
午前8時半朝食。
午前9時半静岡市内のビジネスホテルを出て、ホテルの送迎
バスで新幹線静岡駅まで送ってもらう。感謝。
静岡駅待合室には、JASS静岡の会代表の牧田先生、
事務局長の笠井先生がわざわざ見送りにきてくれる。
心のこもった歓送に感謝する。フエ要人訪日団の皆さんも
こうした心のこもった送迎に感動していたい。
新幹線で東京へ。東京から上野経由浅草へ。
少し時間があったので浅草寺を見学。
●雷門前で
雷門前では人力車を走らせていた。値段を聞くと15分3000円
とのこと。フエのシクロは1時間150円~200円程度。
フエ旅行の若者が1時間200円の約束を250円といわれたと
言って怒っているが、本来日本では12000円取られるところを
250円程度で乗れることに感謝すべき。
●浅草寺でお賽銭を上げてお祈り
東武浅草線付近で昼食。皆さんの希望は「激辛ラーメン」とのこと。
ラーメン屋に入る。一番辛いラーメンを聞くと「マーボラーメン」
とのこと。「更に辛いものを入れてください」とお願いする。
激辛ラーメンを食べだしたが「全然辛くない」とのこと。
店主に頼み「もっと辛いものを入れて欲しい」とお願いする。
何とか食べ始めたが、まだ辛さに不満がある。
結局、七味唐辛子を大量にぶち込んで何とか「激辛」風に
なった。
午後1時15分。東武浅草駅で待ち合わせた皆さんと一緒に
日光市へ。
●東武線のボックス車内
午後3時過ぎ日光市役所着
午後3時半、日光市役所で副市長と懇談
両市が今後姉妹都市提携を模索することを話し合う。
午後4時過ぎ、日光市から鬼怒川温泉へ。
フエ市要人の希望で温泉視察を行う。
鬼怒川温泉「花の家」を訪問。
バオミンさんと女将
花の家の家族風呂
午後5時からの日光市との懇親会には日光市長も参加。
●フエ市共産党人事部長の挨拶
日光市長と名刺交換
●夕食のご膳
●美味しい夕食を堪能
午後6時20分頃の東武線で北千住経由日暮里へ。
長い1日の日程を終了。
静岡・日光市の関係者に皆様に深謝。
明日は午前6時半ホテルを出発。
2008年01月28日
小嶋静岡市長懇談:静岡大学長懇談
晴れ
午前7時過ぎ起床。
メールの受信を確認。必要なメールを送信。
午前9時、滝下さんたちの案内で島田市立の「お茶の郷」
を見学。
日本のお茶の発祥と文化が理解できるようになっている施設。
見学する意義あり。美味しい緑茶を出してくれる。
裏千家のお茶を頂く。
お茶の郷で記念写真
その後、駿府工芸館を視察
昼食後、静岡市役所へ。
午後2時半、静岡市役所国際課で打ち合わせ
静岡市役所17階から富士山が見えた。
午後3時、小嶋静岡市長と懇談
フエ市共産党人事部長挨拶
小嶋静岡市長挨拶
フエ市バッジ贈呈
静岡市長とフエ訪日団記念写真
午後4時、静岡大学訪問
興学長と懇談。
興学長とトゥアン共産党人事部長
懇談後、学長室でフエ訪日団と記念写真
午後6時、静岡大学主催「歓迎レセプション」
静岡大学興学長挨拶
フエ市共産党人事部長挨拶
静岡大学学生生活副課長滝下さんの紹介
小山挨拶
ニエン外務部長挨拶
山本副学長とトゥアン人事部長
興学長・山本副学長と小山
静岡大学とフエ訪日代表団全員写真
静岡大学とフエ代表団・JASSは今後の活動について
基本的に意見の一致をみた。
今年3月には、静岡大学代表団がフエを訪問し、今後の
プログラムにつての具体化を行う。
今回の訪日団の3つの課題である『静岡市との友好強化』
『静岡大学との提携』という2つの課題が大成功のうちに
終わった。
明日は、日光市との姉妹都市問題。
今日は1日、密度の濃い日程であった。
かなり疲労が溜まる。
2008年01月27日
JASS静岡の会交流会
晴天
寒い。
午前5時半起床。朝食。メールチェック。返信。
午前8時自宅を出て日暮里へ。
フエ要人の皆さんと合流。午前9時55分東京発の新幹線で
三島へ。
午前11時過ぎ、三島着。三島駅で静岡の会の滝下さんと
笠井さんが待っていてくれる。
滝下さんの案内で富士山の裾野を走行。雪の富士山を見る。
多少雲がかかっていたが、壮大。
昼食は食べ放題の大きなレストラン。
レストランの中庭に「旧正月」のお祭りの看板がかかっていた。
フエは2月7日が旧正月の「テト正月」。
まだ日本でも旧正月祝っている風習が残っている。
滝下さんの案内で「日本山妙法寺」を訪問。
日蓮宗の寺院であるが、平和・反戦を貫く闘う宗教団体。
日本山妙法寺で反戦・平和を祈る
米軍基地「キャンプ富士」と自衛隊基地を通り、
富士山の麓まで車で行く。
マイナス4度の富士山麓で雪を体験
午後5時過ぎ、滝下さんの車で清水区のホテルへ。
午後5時40分、静岡駅前のレストランで「JASS静岡の会」
主催の歓迎晩餐会。
静岡の会牧田代表の歓迎の挨拶
答礼。フエ市共産党人事部長の挨拶。
夕食会食事
参加者自己紹介
巣山先生よりフエ要人に記念品贈呈
最後に参加者全員で記念写真
懇親会終了後、1月29日静岡発の新幹線の切符を
2時間ほど遅らせるよう切符を交換。
その後、静岡の会の何人かの方々と交流。
ホテル帰宅午後10時。
2008年01月26日
ベトナム現地報告会(第14回総会該当)
晴天
非常に寒い。
午前7時起床。メールの送受信。
午前9時半自宅を出て会場の北区教育会館へ向かう。
地下鉄で雑誌「子どもと教育」の校正原稿をチェック。
「西巣鴨」とのアナウンスに慌てて地下鉄を降りる。
その際、ポケットにいれておいたメガネが、座席に落ちたのだが
気づかず。改札を出ようとした時気づく。駅事務室へ行く。
早速、いくつかの駅に電話をしてくれるが、見当たらない。
結局、終点まで地下鉄が行き、そこでメガネを発見。
白金高輪駅までとりに行く。メガネ騒動で2時間を費やす。
現地報告会の事前準備の会合に出られなかった。
会場着午後12時過ぎ。
午後1時半、「ベトナム現地報告会」開会。
70人以上の方々の参加。
司会は元日本語教師の横島さんと3月末に日本語教師として
着任する中島さんの二人。
JASS日本代表委員会委員長の福田もえ子さんの開会挨拶
フエ共産党・行政参加者の紹介(静岡の会滝下正敏さんより)
共産党フエ市委員長ユン氏の挨拶
続いてフエ市人民委員会外務部長ニエン氏の
フエ市におけるJASSの役割りについての報告
JASSベトナム運営委員長のバオミンさんより「2007年度総括」
「2008年度の活動方針」の説明
私が現地ベトナムの現状、現地の自立の進捗状況などをビデオ
を交えて50分ほど説明する。
休憩
「京滋YOUの会」作成の葉書を販売する京都の皆さん
「京滋YOUの会」の葉書は「子どもの家」の子どもたちの書いた
絵など・・・・。
柳沢さん、影山さん、高橋さんたちによるコーヒーとクッキーの販売
休憩後、津軽三味線の山本竹勇さんの演奏。心に響く
演奏だった。激しくもあり、物悲しくもあるような響き。
人間の心の奥底に何かをぶつけるような激しさを感じた。
竹勇さんは、6月に行われr「フエフェスティバル」に参加する
予定である。
今日は70人以上の多くの方々のお越しを頂いた。
津軽三味線演奏後は、JASS各地の会の活動報告・交流。
①茨城「火炎樹の会」
火炎樹の会より茨城県日立市の小学校での私の講演会の
子どもたちの感想文の贈呈
●JASS東京の会
東京の会より寄金の贈呈
●JASS静岡の会活動報告
●JASS栃木の会からの報告
代表の佐藤さんに代わって栃木の会の宇都宮大学院生が報告
●「京滋YOUの会」の報告 大学生が代表して報告する
「京滋YOUの会」より子どもたちの健康診断関連の費用の寄贈
●JASSはこだて の報告 わざわざ函館から参加・報告。感謝
●最後の「青少年教育の会」報告
2007年の青少年教育の会スタディーツアーに参加した
中学生が感想を発表
●最後に「シクロの会」紹介。ベトナムに関係する研究者、
ベトナム好き・嫌い人間の集まり。年に1回交流会を
行うとのこと。
●最後のJASS日本代表委員会副委員長の山西さんの
閉会の言葉
閉会後、神奈川県青少年協会より寄金を頂く。
午後4時半、現地報告会を終了する。
引き続き、王子駅前の飲食店にて夕食交流会を行う。
午後8時半過ぎ、交流会閉会。
その後、高校同級生と近くの飲み屋へ。
帰宅午後10時過ぎ。
今日の現地報告会は福田もえ子代表委員長やJASS東京の会
そして元日本語教師の皆さんの事前の周到な準備のお陰で
成功を収めることが出来た。関係者の皆さんに改めて御礼を
言いたい。
フエ要人の皆さんとJASSとの結びつきが一層強まった。
今後、フエでの様々な活動が更にスムースの進行することが
出来るように思える。子どもたちのためには重要な1日だった。
2008年01月25日
JASS東京の会歓迎会
晴天
寒い。昨夜は寒くて湯たんぽを入れて寝た。
フエの寒さと質が違う。
午前8時起床。最近新聞の字が小さ過ぎて読めなくなった。
老眼鏡を使わなければ・・・・。
午前9時、ご飯を炊く。昆布と煮干で大量のだしをとる。
味噌汁(ジャガイモ、たまねぎ、人参、わかめ)と
キャベツの卵炒めで朝食。
今日は午前10時から午後5時まで明日の「現地報告会」用
のビデオを編集製作する。
フエで撮ったビデオと10数年前のビデオを編集。
①現在のベトナム事務所を中心とした人間と各種の活動を
概括的に編集
②この10数年間で子どもたちがどう成長していったか?
男女2人の子どもたちのこの10数年の成長をビデオで辿る。
明日の私の持ち時間は約50分。話を長くするよりビデオで
説明した方が良いと考え、5時間分のビデオを25分に編集した。
なかなか手間と時間のかかる作業である。見れば25分で
終わってしまうビデオ報告ではあるが、フエでビデオを撮るのに
相当の時間をかけ、編集に5時間ほどかかった。
支援者に手紙を書く。
午後5時半、自宅を出て地下鉄巣鴨経由御徒町駅。
午後6時半からJASS東京主催の「フエ要人歓迎会」。
焼肉屋で行われる。
フエ市共産党人事部長、外務部長、フエ警察副署長、
財政部長。JASS側からがJASS日本代表委員会委員長、
副委員長、元日本語学校教師、舟山さん・・・・・・関係者。
中村さんの司会で始まる
小山乾杯の音頭
JASS東京の会員の皆さんが多数参加。
フエの要人と交流。
フエ市共産党人事部長・警察副署長と小山
●ニエン外務部長へJASS東京よりテト正月のお土産
●人事部長へテト正月のお土産
●フエ警察副署長へ正月のお土産
●バオミンJASSベトナム運営委員長へテトお土産
●フエ警察副署長・フエ共産党人事部長・フエ市財税部長と
小山・山西JASS副代表
午後8時半、JASS日本運営委員会山西副委員長閉会挨拶
●フエ市共産党人事部長お礼の挨拶
JASS日本主催歓迎会終了後、関係者と記念写真
フエでも一部の人たちはJASSに対して誹謗中傷の
言動を常習している。今回の共産党とフエ市人民委員会(市役所)
幹部の訪日でJASSと共産党・フエ市人民委員会との連携を
深まることで意見が一致。
こうした宴会を意味がないという人もいるが、外交を知らない
人である。外交の始まりは、公式な会議だけでなく、一杯入った
この種の会合でもある。
今日は、福田もえ子JASS日本代表、山西副代表をはじめ
元日本語学校の教師の皆さんの協力でJASSとフエ市の
共産党行政との緊密な協力関係、人間的なつながりができた
重要な日でもある。
福田もえ子、山西、坂本、中村、石岡さんなどJASS東京の
皆さんに深謝。
2008年01月24日
訪日団、成田空港着
晴れ、寒い。
午前7時30分。成田着。気温3度。
空港入管。外国人は指紋と顔写真を撮られる。
そのため入管を出るまでの時間がかる。
午前8時過ぎ、成田空港出口へ。出口では、
福田夫妻、中村さん、松下さんが出迎えに来てくれていた。
寒い中、朝5時に家を出ての出迎えに感謝。
原さんの作ってくれた特製の歓迎横断幕で歓迎。
フエ市共産党委員長、フエ市共産党人事部長、
フエ市警察副署長、フエ市人民委員会外務部長、
フエ市人民委員会財政部長、フエ中央病院院長
バオミンさん、私で ホーチミン市から成田へ。
共産党委員長・共産党人事部長・バオミン・小山
共産党人事部長とJASSベトナム運営委員長ミンさん
成田空港歓迎の様子
ベトナム人と小山
午前8時40分頃のスカイライナーで日暮里へ。
日暮里駅付近のビジネスホテルへ。午後2時チェックイン。
ホテルレストランで朝のコーヒー。
今日の日程は東京見物。中村さんと松下さんが案内。
私は自宅へ帰る。荷物の整理。ベトナム事務所から
預かった荷物を支援者宅へ送る。
訪日団は秋葉原などを視察。
午後5時、巣鴨で待ち合わせ、訪日団の要望である
「一般労働者が行く大衆酒場に行きたい」に応え
巣鴨駅前の大衆飲み屋へ。
生ビール、ひれ酒、熱燗などを飲む。モツ煮込み、
焼き鳥・・・・。
午後7時、警察副署長が電話をするためホテルへ帰る。
中村さん、松下さんが同行。
その後、午後8時半まで交流し、日暮里まで送る。
長い1日だった。
2008年01月23日
フエ発ー訪日団と共に ホーチミン出発
雨のち曇り
午前7時朝食。フランスパン。
午前8時、ベトナム事務所へ。
午前8時半、ボランティア貯金現地視察団の最終日。
「子どもの家」の視察。
セン委員長と懇談。活動の実態・経過・問題点などについての
話し合い。
「子どもの家」の施設設備等を案内。
1日半の濃密な現地視察調査を終わる。
日本料理店で食事をしたオランダ人が「子どもの家」を
訪問。税田さん、千草さんが案内。
午前10時半、ボランティア貯金視察終了。
その足で私とバオミンさんは、フエ空港へ。
フエ要人と共に訪日するため。
午後2時過ぎ ホーチミン空港着。空港付近の
安ホテルへ。私は午後6時までホテルで寝ていた。
バオミンさんは親戚の新築祝いへ。
午後7時、バオミンさんと一緒にビヤーガーデンへ。
チェコ製の生ビールを飲む。
午後10時半 ホーチミン空港国際線からチェックイン。
飛行場内で訪日団の皆さんと合流。
午前0時05分、 ホーチミン発の飛行機で成田へ。
2008年01月22日
ボランティア貯金現地視察団
晴天
気温24度。
午前6時起床。少し寒気を感じる。だるい。
午前7時朝食。フォーティウ(芋の麺)うどん。ホーチミン市の名物
午前8時半、ベトナム事務所へ。
ボランティア貯金現地視察団(2人)の皆さんがベトナム事務所
を訪問。ベトナム事務所員と挨拶を交わす。
挨拶の後、ボランティア貯金交付金で行っている
①障害児支援 ②子どもの自立のための職業訓練の
実情を説明。
午前9時半、障害児医療センターへ。BUI所長とスタッフが
対応。障害児医療センターと障害児父母の会の活動実態と
問題点などを話し合う。
ボランティア交付金支援プロジェクトの現状と成果、今後の課題など
について、ボランティア貯金側からの質問に答える。
午前11時過ぎ午前中の現地調査を終わる。
午前11時半、「ハイリーホテル」へ。
昼食。
貝の煮物
トマトスープと空芯菜のニンニク炒め
1時間程昼寝。寒気と倦怠感。
午後1時半過ぎ、「ハイリーホテル」を出てベトナム事務所へ。
ボランティア貯金視察団の皆さん、バオミンさんと一緒に
地域障害児父母の会を参観。
1ヶ所目は、船上生活者が多い「フーハウ地域障害児父母の会」。
午後2時半、フーハウ診療所に到着。
フーハウ障害児父母の会の様子
障害児父母の会視察後、フーハウ診療所長より障害児父母の会
の実態、成果、問題点などの質問と回答。
午後3時40分、二番目の訪問先、「ビーザー障害児父母の会」。
ビーサー診療所の関係者から「障害児父母の会」の
実情調査。聞き取り。
午後4時半、ビーザー診療所を後にし、「縫製研修センター」、
「アクセサリー研修センター」の視察を行う。
3ヶ月ほど計画が遅れているが、少しずつ研修を始めている。
午後5時過ぎ、全ての視察活動を完了。
視察団のお二人は、実に精力的に今日1日の視察を行う。
こうした真面目な視察に付き合うと私たちも更に一生懸命
プロジェクトを推進しようという気持ちになる。
午後5時半、日本料理店へ帰る、夕食。
午後6時半から日本料理店開店。
ボランティア貯金視察団のお二人も日本料理店で食事を
してくれる。支援の一環。
今日は日本人4人、欧米系2人。合計6人の来客。
私は午後7時過ぎに「ハイリーホテル」へ戻り、明日の帰国の
ための荷物整理を行う。午後6時過ぎに「ハイリーホテル」に
帰っているハイ君だが、午後7時半に私が「ハイリーホテル」に
戻った時、不在。どこかをふらついているのか?
19日に30万ドンの給料をもらい、日曜日に半額程度を
使ってしまったが、今夜もどこかを彷徨しているのだろうか?
半分壊れている「ハイリーホテル」の鍵を10分ほどかけて
何とかあけた。
明日午前11時にバオミンさんと一緒にホーチミン市に行く。
フエ要人の日本訪問関連の必要資料を再度点検する。
その後、2月17日まで日本に滞在し各地で講演会を
行う。その資料なども整理。
洗濯。
今日は朝から「先生、明日日本へ行きますね。今夜は最後の夜。
飲みましょう」と何度も言われた。夕食時も「ハイリーホテル」に
帰る時も。体調が悪いこと、帰国の準備が出来ていないので
結局、リー君の願望を叶えることは出来なかった。
波多陽区流に言えば「残念」。
2008年01月21日
フエ要人訪日準備等・・・・・・
快晴
気温24度。
朝6時、東の地平線から太陽が顔を出す。
午前7時朝食。チャオバンカン。
午前8時半、カナダ・ケペック州から来た女性が
ベトナム事務所を訪問。昨日も「子どもの家」で
英語を教えてくれた。
美術を専攻し仕事をしているとのこと。
日本料理店の店内の装飾・ペインティングをしたい
とのこと。私の方から日本料理店は、現在のような
「簡素な」室内が良いので、出来たら日曜日午後3時
からの「子どもの家」絵画教室での指導をお願いしたい、
と話す。27日(日)午後3時から「子どもの家」で
絵画を教えてくれることになった。
フランス語を母国語としているので、かなりクセのある英語だった。
朝食後、ホンニーさん、トゥオイさんが
「昨日、ハイ君はもらった給料30万ドンのうち20万ドン位
を使ってしまった」と話していた。
直ぐにハイ君を呼んで『昨日20万ドン使ってしまったのは
本当?』と聞くが中々要領を得ない。昨日、午前10時から
午後12時位まで私と4人の子どもたちが食事をした後に
遊びに行ったというようなことは分かったが、どんなことが
あったのかは不明。
カナダ人との話が終わったので、日本料理店の前で
ホテルの警備員とお茶を飲んでいるリー君を呼び事情を聞く。
初めリー君は何もなかったというようなことを言っていたが、
時間をかけて聞いていくうちに以下のようなことを話した。
午前7時、ハイ君と二人で喫茶店を2軒渡り歩いて
2杯ずつコーヒーを飲んだ。
午後12時まで私とブランチを食べた後、子どもたち4人で
カラオケへ行った。歌を歌う程度のカラオケ費用は私が出してあげた。
カラオケでまた食べ物などを頼んでしまい、私が上げたお金
以上に追加費用として7万5千ドンほど支払った。
その後、二人でインターネットカフェーへ行き「チャット」をやった。
昨日夜までに4軒のインターネットカフェーに行き6時間半
チャットをした。
「子どもの家」へ行き、「子どもの家」の子どもたちを誘って、
食べ物をご馳走した。
宝くじを買った。その後、非合法の宝くじ8万ドンを買った。
総計で25万ドン(2000円)ほど使ってしまった。
リー君が10万ドン支出し、ハイ君に13万ドンから15万ドン
程出させたとのこと。
ハイ君は土曜日に初めての給料(30万ドン)をもらった。
昨日日曜日1日で月給の半額を使ってしまった。
リー君の「助言」といういのか、「命令」というのかは不明だが、
とにかく支出してしまった。
リー君の10万ドンは日本料理店が終わったあとの「飲み会」
の準備に上げた費用の残りを「溜め込んで」いたとのこと。
結局、リー君は身銭を切らず、ハイ君は給料の半分の身銭を
きったということになる。
まあ、よくもこんな『豪遊』をしたものである。
フエ全体が『小型バブル』の真っ最中。リー君もハイ君も
その影響を強く受けていると言える。「物・物・物」
「金・金・金」。
リー君にきつく注意。自分のもらう給料(55万ドン)と
昨日の支出(25万ドン)の関係を良く考えるように。
コツコツと働き、つつましく生活することが一番大事なこと。
回りの友達がどんなに贅沢な生活をしていても真似をする
ほどの収入がないという事実を知りなさいと。
また、社会に出たことのないハイ君を誘い、けしかけて
の「無駄使い」「豪遊」は二度としてはならないと話す。
フエには一時成金や共産党幹部の子弟、外国人と結婚した
女性などが、「贅沢な」「豪遊」をしているのも事実である。
そうした豪遊現象に子どもたちが『憧れ』真似をするのも
理解できる面もあるが、しかし、「子どもの家」の子どもたち
の客観的に置かれた現実を自分自身で理解していないと
今後もこうした問題は多発する可能性がある。
特に社会とのつながりが薄い中で育ってきた「子どもの家」
の子どもたちには、こうした社会の『落とし穴』への免疫が
弱い。一気に豪遊をしたいと『悪の道』に落ちていく可能性
を強く持っている。リー君の場合には、更に「進んでいて」
悪の道に一度足を入れているので、大人の社会、悪い
大人の行動をしっかりと見て生活してきた。免疫が出来すぎて
いる。ハイ君は『一時成金』『豪遊社会』に免疫がなく、
リー君は免疫がありすぎて、時々、ずるいことをする。
大人も「一時成金」「小型バブル」に冒されているフエの社会
である。お金のためなら人間関係も断ち切ってしまうという
がさついた社会である。子どもたちへの影響も強いことを
私たちは理解しなければならないと強く思えた出来事である。
「子どもの家」や子どもたちの支援も子どもたちが年齢が高くなり
思春期を迎え、社会に出て行く時期に来ている。そんな時期に
フエは「小型バブル」。金と贅沢にあこがれる社会が待っている。
そんな社会に出て行った子どもたちは、真面目にコツコツと努力し
生計を立てていった欲しいものである。
午前11時半。昼食。
ハイ君は「落ち込み」気味。リー君は「ふて腐れ気味」。
午後12時から1時間昼寝。
読書「与謝野源氏」。須磨の巻を読了し、「明石の巻」へ。
源氏、どん底の時代。
午後1時半。部屋の整理。トイレ掃除、部屋の掃除。
洗濯。
23日日本へ帰国する荷物の準備等。
午後3時、ベトナム事務所へ。ノートパソコン、「ハイリーホテル」
のパソコンに『トロイの木馬』が侵入。デジカメからの画像取り込み
が出来なくなった。バオミンさんに新しい「USB」のCDを入れて
もらい、多少複雑な作業が必要だが、とりあえず23日からの
日本帰国の際に火焔樹日記用の写真取り込みが出来るように
なった。バオミンさんに感謝。
日本で使う「写真」をメモリースティックに取り込む。
今までの日記に使った写真の中から「子どもと教育」4月号
に使う可能性のありそうな写真を数百枚取り込む。
JASS関係者にメール送信。
午後5時過ぎ、「子どもの家」にいたTHUYさんが日本料理店
を訪ねて来た。THUYさんは、現在フォンザンホテルの厨房で
仕事をしている。昨年、結婚式に招待された。
4ヶ月の男児がいるとのこと。「子どもの家」から自立し、
幸せな家庭をもっている「卒業生」がいることは、私たちに
とっても嬉しいことである。
午後5時半夕食。
午後6時過ぎ、夕食を食べてハイ君は「ハイリーホテル」で
警備員をするため帰宅。
午後6時過ぎ、23日帰国のためベトナム事務所にある
私の荷物の一部を「ハイリーホテル」に持っていく。
「ハイリーホテル」の入り口の鍵があいていない。
ハイ君の部屋に連動しているベルを押すが出てこない。
ハイ君は「ハイリーホテル」に帰るといってどこかけ
行ってしまった。「子どもの家」に問い合わせるが、いない。
「ハイリーホテル」に入れないのでベトナム事務所で仕事を
しているバオミンさんに電話。税田さんの鍵を借りる。
リー君がバオミンさんのオートバイでかけつけてくれる。
日本料理店来客。日本人5人。オランダ日2人。合計7人。
明日から視察されるボランティア貯金の視察団の方が
日本料理店で食事をされる。
日本の木田先生から医学書の贈呈があった。
護送船団帰宅午後10時20分。
2008年01月20日
函館市「地球祭り」表彰式
晴天
気温26度。久しぶりに太陽を見た。
午前7時時起床。
血圧測定・・・・・。
受信メールの確認。
8時過ぎ、「子どもの家」へ。今日は午前8時半からカナダ人が
ボランティアで英語教室の手伝いをしてくれることになっている。
急いで「子どもの家」へ。ソン君が来ていた。
午前8時半という話だったが、午前9時からだったそうだ。
毎週日曜日午前8時半から1時間、英語教室を行っている。
フエ市人民委員会外務部員にお願いして英語を教えてもらって
いる。中学、高校生を中心にベトナム人教師と協力して
英語を教えていた。
10時前、「ハイリーホテル」へ戻る。
午前10時、ハイ君、リー君が部屋をノックする。
『10時です。食事に行きましょう』と。
ハイ君、リー君、ホンニーさん、トゥオイさんの5人で
近くの大衆食堂へ行き食事。少し『飲む』。
海鮮鍋、トリのビール煮。豚肉と海老の塩辛・・・・。
12時まで2時間。3日後に日本へ帰るので最後の
日曜日となった今日、子どもたちに少しご馳走をした。
一人400円位。
午後12時過ぎから2時間ほど昼寝。
午後3時過ぎ、フエ要人と訪日した際に使う資料の整理。
午後5時過ぎ「ハイリーホテル」を出て「子どもの家」へ。
「子どもの家」への途中、太陽が川に反射し輝いていた。
午後5時45分、「子どもの家」で函館「地球祭り」で行った
「子どもの家」の絵画等の作品展に出品し、優秀な成績を
残した子どもたちの表彰式。
JASSはこだての川人代表が、一人一人の子どもたちに
表彰状を作ってくれた。有難いことである。
JASSはこだて代表のは川人さんに代わり友好賞など様々な賞
を授与する
函館「地球まつり」に参加した方々が書いてくれた習字を
頂く。全員で記念写真。
表彰式後、「子どもの家」の赤旗隊会合(日本流に言えば生徒会)
寮母のキムアンさんが、テトについての話、諸注意をする。
赤旗隊会合が終わり、夕食。リー君、ハイ君、トゥオイさん、
ホンニーさんも「子どもの家」に遊びに来ていた。
やはり10年近くも住んでいた「子どもの家」だ。
「子どもの家」を出て1ヶ月。未だに「ハイリーホテル」に
住むことに慣れていないのかも知れない。
午後6時過ぎ「子どもの家」の夕食。
2008年01月19日
ベトナム事務所員会議
曇り
気温20度。
午前7時朝食。焼きそば風の麺に野菜などをいたものを
載せたもの。
朝食後、ベトナム事務所員会議に行こうと部屋へ戻った
Aさんが、カーテンの陰に隠れていた「ハチ」に刺される。
私の部屋にあった消毒薬とクロマイ軟膏を塗る。
既にベトナム事務所に行っていた税田さん、リー君が
戻って来て『バオミンさんの意見ではニンニクをつぶして
塗れば治ると言っている』とのこと。
行動派のリー君がニンニクをつぶし刺口に塗る。
その上をバンドエイドで止める。
リー君がシャツの取れたボタンを自分で付けようとしていた。
それを見ていたホンニーさんが「貸しなさい」と言って
ボタンをつけてやっていたい。微笑ましい風景である。
午前8時半、ベトナム事務所員会議。
(ソン)一昨日「ハイリーホテル」のインターネットの修理をしたが、
まだ直っていない。
昨日、日本料理店のスタッフに日本語を教えた。
日本料理の専門用語を教えた。
「子どもの家」の子どもたちが日本人書いた手紙の翻訳をした。
最終的には、ハンさんに直してもらているが・・・。
(千種)日本語学校の研修生クラスのテスト
(ハンナ)日本語学校の中級クラス
観光基礎コース43課・44課テスト。
4人の再試験。
(ゴック)月・火・金 観光コース47課
水 中級9課
木 研修生コースの生徒がテト前ということで実家に帰って
しまった。
(ハン)「JASSはこだて」から送られてきた手紙などの翻訳
2月3月のスタディーツアーのホテルやレストランの予約
2月に「子どもの家」を訪問する国際ソロプチミスト京都西山
の皆さんの訪問について、「子どもの家」のセン委員長に
手紙を出す。
(税田)日本の支援者との間で多数のメール交換・連絡
JASSはこだて関連の作品を取り扱う
ホーチミン市のTさんより刺繍の注文
石狩の菊さんより刺繍の注文
(ミン)フエ要人訪日の準備(航空券・・・・)
訪日の諸準備はほぼ完了
訪日ビザも取得できた
1月22日・23日とボランティア貯金の視察団の来訪。
1月22日午前8時半にベトナム事務所を視察。
ベトナム事務所員は全員、待機しているように
2月1日~2月11日まで「子どもの家」はテト休暇。
実家や親戚などでテトを過ごしたい子どもたちは
帰省する。帰省しない子どもたちは「子どもの家」で
テト正月のお祝いをする
テト明けからスタディーツアーが始まる。皆さん、協力を
昨年から今年になってガソリン代が急騰している。
今まで1㍑ 5000ドンだったが、昨年末9000ドンに
値上がり。今年に入り13000ドン、更に17000ドンに
値上がりしている。この数ヶ月で3倍以上の値上がりだ。
物価もこの10年で3倍ほどに値上がりしている。
(小山)2008年1月からJASS関係スタッフの皆さんの
給料をアップする。物価の値上がりが平均3倍程度
なのにベトナム事務所スタッフの給料は値上げして
いなかった。平均10%から20%程度の値上げ。
今後もベトナム事務所員、一致団結して子どもたちの
ために頑張りましょう。宜しく
ベトナム事務所員会議終了後、フエ要人訪日関連の
文書の作成。
午前11時半、昼食。
モツの煮物、大根の煮物、トマトスープ
午後12時半、昼寝。
午後1時半時から読書「与謝野源氏」。 須磨の巻読了。
午後2時半、ベトナム事務所で『日本料理店会議』。
バオミンさんの司会・通訳で始まる。
私からいくつかの提案を行う。
①日本料理店のテト閉店 2月2日~2月11日まで
②日本料理店役員手当ての支給
・店長手当て(ホンニーさん) 10万ドン
・副店長手当て(リー君) 5万ドン
・料理主任手当て(トゥオイさん)5万ドン
③毎朝の買出し用オートバイのガソリン代
・20万ドン
④日本料理店からのお年玉
・基本給の10%をお年玉として支給
50万ドンの人は5万ドン。
⑤毎日の仕事をしっかりとすること、自分の力で生きていく
ことを心から期待したい。
最近、皆さんの周りの友達などがオートバイを買ったり
携帯電話を買ったり、新しい高級な洋服を買ったりしている。
皆さんも羨ましく思っているかもしれない。しかし、15歳や
18歳の若者がそんな高級なものを自分の力で買える訳が
ない。親の力だ。自分の力で買うのではなく、親が「お偉いさん」
だったり、お金持ちだったりするだけで、本人の力ではない。
また、外国人と結婚し、贅沢な装身具を身に付けて帰国し
皆さんの周りで高級品を見せびらかせ、高額のお金を使って
自慢しているようなベトナム人もいるが、それも自分の力では
ない。皆さんの月給は50万ドン(3500円程度)位で
けして高い給料ではない。しかし、皆さんは自分の力で
仕事をして給料をもらっているのだ。皆さんは、親からお金
をもらったりして贅沢な生活をしているよりも「立派」な
ことをしていると「誇り」を持って欲しい。今、若いうちに
苦労をすることが、将来、皆さんの力になる。親のすねを
かじって贅沢な生活をしたり、外国人と結婚して急に
お金持ちのような服装をしたり高級な持ち物を持って
皆さんに自慢し見せびらかしている人は、「応援する人」
がいなくなったら、何も残らない。皆さんは何が起こっても
この日本料理店で経験したことを生かして、自分の力で
生きていける。皆さんは今はお金はあまりないかもしれないが
立派な生き方をしているということに自信を持って欲しい。
⑥子どもたちの中で年下の人が年上の人に対して失礼な
態度や言葉遣いをしている。HさんとTサンは特に気をつけて
欲しい。日本料理店で仕事をする皆さんは、みんな仲間だ。
仲間だけれど、長幼の序ということばもある。年上のお姉さんに
失礼な態度で接したり、汚い言葉を使うことのないように。
子どもたちから日本料理店での仕事、給料のことで意見を
聞く。子どもたちからは、特に問題はない、これでよい
などの意見が出た。
⑦2月2日~12日の日本料理店テト閉店中の各自の行動の
確認
・トゥオイさんとホンイーさんは実家やおばさんの家へ帰る。
・ハイ君もお姉さんの家へ帰るが、時々「子どもの家」へ行きたい。
・リー君は「子どもの家」にいる。
・「子どもの家」のヒエンさん、チャンさんは「子どもの家」の
セン委員長と相談する。
・グエットさんは法事で今日は休み。
日本料理店会議を終わり、1月分の月給を渡す。
●ハイ君(「ハイリーホテル」警備員)
今回、正式に「ハイリーホテル」警備員としての給料(30万ドン)
をもらうハイ君。今後、20万ドンは貯金としてベトナム事務所で
預かって欲しいとの要望がでた。今回もらった30万ドンを
使って2月7日のテト正月になくなった母親にビスケットを買って
仏壇に供えたいと言っていた。
●ホンニーさん
2年半ほど日本料理店で仕事をしている。「子どもの家」に
住んでいる間は、給料を「子どもの家」スタッフが保管していた。
今回、自立し保管してもらっていた給料を全額もらったそうだ。
4000万ドン。300ドル程。公務員の2ヶ月から3ヶ月分の
給料に相当する。
●リー君
毎月55万ドンの月給。
今月から20万ドンを貯金としてベトナム事務所で預かって
欲しいと申し出てきた。将来の結婚に備えたいとのこと。
午後5時半、夕食。
午後6時半から日本料理店開店
来客欧米系3人。
午後9時閉店。
護送船団で帰宅。
午後9時半からリー君、ハイ君、ホンニーさん、トウオイさんと
日本料理店の残った生ビールを飲みながらテレビを見る。
2008年01月18日
要人訪日の諸準備
寒い 休肝日
気温16度。
午前7時、朝食。一部、昨夜飲み過ぎた人物あり。
その他の皆さんは元気に朝の挨拶。
野菜入りインスタントラーメン。
リー君の責任である5階から1階までの階段の掃除をすませ
喫茶店へ急行するリー君。「ハイリーホテル」での自分の
責任分担は果たそうと努力する姿勢がみられる。成長。
1月23日からの訪日の準備。各種会議の内容の印刷。
報告会等の内容を確認し、必要な資料を作成。
1月24日~30日までの全ての日程等をシュミレーションする。
何か問題がないかを検討。
必要なメールの受信。送信。長文メールを書き上げた時、
停電。全ての資料が消えてしまう。
午前9時ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所では、ソン君が日本料理店の子どもたちに
日本語を教えていた。
リー君も参加し勉強する。
日本語を教えるソン先生
午前11時半、昼食。
アヒルの玉子焼きを作る料理主任のトゥオイさん。
昨日、隣で行われた結婚式の「お裾分け」のケーキを食べる
ハイ君。隣で結婚した人の名前は同じ「HAI」。ハイと書かれた
ケーキを食べる時、「ハイ君の結婚だ」とみんなに言われて
喜んでいる。
午後12時半、昼寝。
午後1時半、読書。「与謝野源氏」。須磨の巻。
右大臣一派によって失脚した源氏は、須磨の
海岸付近に謹慎。数名の近侍が随身。
午後、静岡大学での学長以下との懇談会、夜の
歓迎レセプションの内容を確認。ベトナム側の発言内容を
検討。
午後3時過ぎ、洗濯。
午後3時半、小雨の中ベトナム事務所へ。
日本滞在中の諸活動、活動計画の追加などを検討。
日本滞在中に必要な持ち物、資料などを再度整理。
日本で買ったSONYのUSBに差し込むメモリースティック。
この2年間分の火焔樹日記の写真数百枚を入れると
圧縮されてしまった。もとに戻すことが出来ない。
「バーチャル イクスペンダー」が開けない。バオミンさんに
頼んで見てもらったが、やはり開けない。文明の利器も
使い方が分からないと不便なものだ。
午後5時半。夕食。
午後6時半、日本料理店開店。
個室では税田さんと調理主任のトゥオイさんが会計問題で相談。
このように日本人、ベトナム人スタッフと子どもたちが話し合い、
少しずつ子どもたちは成長していくのだ。エネルギーと時間の
かかる作業である。
ベトナムのごみ収集は、家の前にごみを出す。ビニール袋に
入れて出す家もあれば、ごみを山のようにして積み上げて
いる家もある。午後8時から9時頃、日本料理店前には
人間がゴミを入れるリヤカーを引いてやってくる。
「チリン・チリン」と鐘を鳴らしてくるのでそれと分かる。
日本人4人、欧米系7人。合計11人の来客。
グエットさんが親戚の法事で欠勤。接客が大変だった。
日本料理店の前の路上で隣のホテルの警備員4人が
酒盛りを始め、知り合いのリー君を何度も呼んで
「ビールを飲め」という。私が4人の所へ行き、
『リー君は午後9時半までは仕事だ。仕事中、酒盛り
に呼ぶな』と注意する。
グエットさんの「穴埋め」で活躍するリー君
厨房も大忙し
10時、日本料理店閉店。
護送船団で「ハイリーホテル」へ帰宅、10時20分。
2007年1月2日~18日までの来客は98人。
2008年1月2日~18日までの来客は155人。
昨年に比べ引越し後の正月17日間では今年の’
日本料理店は57人増、63%もお客さんが増えている。
いかにベトナム事務所1階の日本料理店の立地条件が
良いかが分かる。
今日1日の受信メール42通。全部目を通すだけでも
大変。相当時間がかかる作業である。
今週は本当に早く終わった。もう明日は土曜日。
2008年01月17日
「ハイリーホテル」インターネット速度調査
終日雨
朝の気温16度。寒い。風も強い。
1日中寒かった。
東京・京都も雪が降った。
午前4時頃、強風の音が強く目が覚める。5階の部屋は
風が強くあたるので、風の音が強い。目が覚めてしまい
TBSテレビ「朝、ズバ」を見る。みのもんた。この人の
語りは、昔、父親に連れて行かれた浅草の大道芸人
の語り口である。
午前7時朝食。野菜いりおかゆ。
午前中、「ハイリーホテル」のインターネット速度調査を
行った。インターネット・プロバイダー(フエ郵便局)の
職員がやって来た。プロバイダーが契約通り、レベル4の
インターネットを送信しているのかどうかを調査した。
職員が小型パソコンを持ってなにやら長時間調査していたが、
結局分からない。プロの会社が自分の送信販売している
インターネットの速度がどの程度かを計測することが出来ない
のも情けない。
最終的に私のノートパソコンに入っている「ロケーションフリー」
(日本のテレビを見るシステム)を見て、きれいに画像が出るか
どうかでインターネットの送信速度を見ると言う、何とも
原始的な調査で終結。結論的には契約の「レベル4」の
速度の送信にはなっていないことが分かる。契約違反だが、
プロバイダー側は契約違反などという意識は全くいない。
「やはりプロバイダー側の送信速度が遅いですね」とのこと。
今後、更に調査します、といった対応で終わる。
1日半、「ハイリーホテル」インターネット速度問題に付き合ったが、
さすがにベトナム。全てがアバウトというのか、いい加減な
社会ではある。このいい加減さで社会が成り立っているのも不思議
ではある。プロバイダー側は契約したサービスを提供していない
という意識がないところが『素晴らしい』国ではある。
結局、1日半をほどんと無駄に使ってしまった。
千草さんの部屋が「ハイリーホテル」インターネットの中継基地に
なっているので、千種さんも1日半「アバウトな社会」と付き合い、
時間を空費したことになるのだが・・・・・・。ご本人がどんな感想を
お持ちだろうか?
午後11時半昼食。
トゥオイさん、ホンニーさんが作る。
●肉抜きの「野菜スープカレー」 サツマイモが入っていた
●なすの唐辛子炒め
午後12時半から2時間ほど昼寝。寒いので部屋の中に
いられない。布団の中にいるのが一番暖かい。
午後になっても雨はやまない。
夕方まで「ハイリーホテル」で仕事。日本での講演会の追加依頼
がある。
日本の関係者とメールで連絡。
午後4時50分、ベトナム事務所へ。
バオミンさんと一緒に『某所』で『某フエの要人』と会食懇談。
某問題について協議。某問題について私たちには満足な
結論が出る。今後の某プロジェクト進行にも好影響。
午後8時半会食懇談は終了。
日本料理店へ。日本人1人、ベトナム人1人、欧米系3人。
欧米系のお客さんは、「ロンリープラネット」を読んだとのこと。
JASSの活動について細かく質問される。
ベトナム人のお客さんは、観光ガイド。子どもたちがやっている
日本料理店ということを知っているので、自分は今後も
お客さんが夕食に行きたいと言った場合は、この日本料理店
に連れてくるといっていた。
最後のお客さんが帰ったのは、午後10時。
「護送船団方式」で「ハイリーホテル」まで帰宅。
リー先遣隊長とハイ隊員が既に「夜の会」の準備完了。
フエ要人との会食懇談で残った料理をパックに入れて
私が持ち帰る。ご飯、魚、卵焼き、イカリング・・・。
リー隊長の準備した氷水につけてあったビールで
軽く乾杯。
午後11時、日本人は部屋に戻るが、隊長と隊員は午後11時半
まで懇談したとのこと。
2008年01月16日
「ハイリーホテル」のインターネット修理
終日雨。風も強い 休肝日
気温18度。
午前7時朝食。玉子焼き入りフランスパン。ぼぞぼとして
喉を通らない。
午前7時半~8時半の1時間、日本料理店英語授業。
一昨日欧米系の観光ガイドブック「ロンリプラネット」を
見て、何かボランティアをさせて欲しいと言ってきた
カナダ人の大学院生に英語の授業を手伝ってもらう。
フエ市人民委員会外務部員の英語の先生のアシスタント
をしてもらう。特に英語の発音など会話を中心に教えてもらう。
感謝。
午前9時。インターネット修理屋さんとソン君が「ハイリーホテル」へ
やって来る。
「ハイリーホテル」のインターネットの速度が遅く、YAHOOや
HPなどのサイトが開けなかったり、時間がかかったりする。
「ハイリーホテル」に引っ越した時点でベトナム事務所と
同じプロバイダーに入り、5段階の速さのうちの4段階の
レベルのインターネットを入れているはずなのだが・・・・・。
私の持っている「ロケーションフリー」(日本のテレビ番組が
全て見られる)は、ベトナム事務所で完璧に見られるが、
「ハイリーホテル」では、一切映らない。
昨日、バオミンさんとチェックした結果、インターネットの
速さは4段階のレベルになっているが、モデムの容量が
少ないために送信速度が遅くなるとの結論に達した。
今日は、3段階の中レベルの容量のモデムを持ってくる。
「ハイリーホテル」のインターネットの「本部」は、千草さんの
部屋にある。千草さんの部屋にソン君、修理屋さん、
そして私の携帯パソコンを使うので私の3人が入り、
インターネット速度の調整を行う。
その結果、中レベルのモデムで一応のレベルには達したが
不十分ということが分かった。
午後、4時に中レベルの少し上のモデムを持って再度挑戦する
とのことになった。午前11時半、ソン君、修理屋さんが帰る。
昼食。厚揚げの煮物、ブロッコリーの炒め物、野菜スープ
午後12時半から1時間ほど昼寝をしようとしたが、
隣の家が雨の中結婚式。昼ごろから宴会が始まり、
カラオケの大音声が響き渡り、寝ていられなかった。
読書「与謝野源氏」
「榊の巻」を読みきる。いよいよ政治の絶頂期を迎えていた
源氏が政界から追放される時期に入る。
「花散里の巻」
「須磨の巻」ついに京都にいられなくなった源氏は
須磨に謹慎蟄居する。妻の紫の君や多くの恋人と
別れ数少ない随身と須磨に渡る。
午後4時、ソン君と修理屋さん再来。千草さんの
「ハイリーホテル」インターネット本部で修理再開。
今度は、更に強いモデムを持ってくる。
私の携帯パソコンを使ってモデムの設定。
しかし、なかなか設定が出来ない。1時間ほど色々と
やっているが出来ない。最後に気づいたのが
新しいモデムを「リセット」すること。ソン君の
持っていた「楊枝」で小さな穴をつつき、モデムを
リセットすると設定が出来た。
フリーロケーションを写して見るが、やはり動きが止まる。
画像がかなり良い。
結局、モデムが原因でインターネットの力・速度が遅い
のではないとの結論に達する。プロバイダーを管理している
フエ郵便局に電話。「ハイリーホテル」のインターネットの
速度を4段階にしてもらっているはずだが、間違いなく
「4段階」のレベルか?と尋ねる。
郵便局側の回答。分からない。明日、直接「ハイリーホテル」に
行き、「4段階」になているかどうか調べる、ということになった。
インターネットの速度を速めると言う実に簡単なことに私と
ソン君、千草さんは1日関わり、それでも解決できず、更に
明日も付き合うことになった。何とも情けないベトナムの実情
ではるが、致し方ない。午後5時半近くまでかかる。
「ハイリーホテル」の警備員ハイ君が私の部屋に迎えに
来てくれる。「早く日本料理店に行き、夕食を食べましょう」と。
雨の中、ハイ君と二人で日本料理店へ。
午後6時近く、日本料理店での夕食。
カツオの煮物、芋のつるの煮物、野菜スープ、ご飯、おこげご飯
午後6時半、欧米系の二人の来客。
その後日本人1人、更に欧米系4人。合計7人の来客。
(今夜の注文)
カツカレー3、カレー2、揚げだし豆腐1、野菜炒め1、
寿司B(小)1、餃子1、てんぷら1、焼き魚定食1、
生ビール5、缶ビール3
今日は終日雨で寒い。通りを歩く観光客も少ない。
しかし。、7人の来客があった。欧米系の来客の
多くは観光ガイドブック「ロンリープラネット」を読んで
来たようである。
午後9時過ぎ、雨の中、みんなで「ハイリーホテル」へ
帰る。
2008年01月15日
月刊誌「子どもと教育」原稿と写真送信:「ハイリーホテル」移転1ヶ月
午前中晴れ、午後雨 午後曇り 肌寒く
気温22度。
「ハイリーホテル」に移転して今日でちょうど1ヶ月。
引越しして本当に良かった。今までのトンチンカンホテル
の5倍から10倍ほどの広さで家賃は同じ。
今までのトンチンカンホテルがいかに高かったかが
分かるというものである。現在、日本人4人、
子どもたちが4人宿泊しているが、まだ空いている
部屋がたくさんある。まだ100%の完成度
ではないが、時間をかけて「ハイリーホテル」の
システムを作って行きたい。
午前7時朝食。チャオバンカン(小麦粉の煮込みうどん)
午前8時半、ベトナム事務所へ。
月刊教育誌「子どもと教育」008年3月号推敲、脱稿。
10数枚の写真を添付しメールで出版社に送信。
ベトナム事務所のパソコンが「トロイの木馬」に汚染。
バオミンさんに「「トロイの木馬」駆除の新しいウイルスバスター
をインストールしてもらう。
午前11時半、「ハイリーホテル」へ。
昼食。小魚のから揚げ、野菜のゆでたもの。野菜スープ。
午後12時半、昼寝。
午後2時半、ベトナム事務所。ベトナム事務所のパソコンを
チェック。トロイの木馬も含めウイルスチェックが出来ていた。
バオミンさんと一緒に「ハイリーホテル」へ行き、トロイの木馬
駆除を行おうとしたが、インターネットが弱く必要なサイトが
開けない。昨年末バオミンさんに頼み「ハイリーホテル」の
インターネットを新しいものに変えた。ベトナム事務所と同様の
プロバイダーにし、インターネットの送信速度を今までの
「ハイリーホテル」の10倍から20倍の速さにした筈だったが、
そうなっていなかった。
バオミンさんが私の部屋でトロイの木馬駆除のサイトを開こうと
したが、インターネットの力が弱く開けない。
調べてみたら、インターネットは速度最速のプロバイダーから
来ていたが、各部屋に送るモデムが最小のものだったのだ。
従って、プロバイダーからは、最速のインターネットが届くのだが、
「ハイリーホテル」のモデムが一番弱く小さいものだったので
各部屋に配信する時に一番弱いインターネットしか配信できない
ことが分かった。早速、バオミンさんが郵便局から最速のモデムを
運用できるモデムを買う予約をする。明日の午前中、
「ハイリーホテル」に新モデムを設置することになった。
午後5時。ベトナム事務所に「JASSはこだて」の川人代表
から昨年10月に函館で行われた函館『地球まつり』に参加した
方から寄せられた習字、折り紙、川人さんから送られて来た。
「子どもの家」の子どもたちの絵画作品等に対する賞状も
届く。JASSはこだての川人代表に心から感謝したい。
子どもたちに心のある方だということが行動で分かる。
●JASSはこだて から送られた賞状・習字など
●JASSはこだてから送られた物品の内容
●作品を提出した「子どもの家」の子どもたちへの表彰状
午後5時半夕食。
サーモンの刺身。
煮魚ともやし炒め
軽く生ビールを飲む。
来客10人。4人の日本人。
静岡から2人の日本人来店。JASS静岡の会が実施した
「シンクオブアース」の第2回スタディーツアーで
娘さんが「子どもの家」を訪問したというお母さんが
来店。娘さんは大学を卒業して教職を目指しているという。
「子どもの家」訪問は中学生のときだったそうだ。
笠井さんのお世話があったとのこと。
午後9時、日本料理店閉店。10人の来客。
日本人4人。欧米系6人。
皆で「ハイリーホテル」。リー君が先遣隊として
「ハイリーホテル」に午後9時に帰り、夜の会の準備を
したいとの自主申告あり。認める。
午後9時20分「ハイリーホテル」着。
リー、ハイ、ホンニー、トゥオイ、私で「夜の反省会」。
非常に重要。
●豚肉のフライ
●リー君ハイトーン
午後10時、自室に戻る。子どもたちはテレビを
見ながら交流。青春時代の交流は思い出に残るもの。
青春の思い出を残してやりたいものである。
2008年01月14日
フエ高等師範大学長と懇談
曇りのち雨 休肝日
午前7時朝食。
バインロック。キャッサバ芋の粉に青豆と海老を入れて
ゆでたもの。青豆が口の中でパサパサして喉に入らない。
二口ほど食べてハイ君に渡す。
午前10時、フエ高等師範大学へ。学長と懇談。
様々な話をする。
フエ高等師範大には、50人に奨学金を贈呈している。
「子どもの家」のユオンさん、ドゥオック君も在学。
ユオンさんは今年の9月から小学校の先生になる。
ドゥオック君は個人の事情で退学し、現在は昼間レストランの
警備員をしながらフエ経済大学夜間部で勉強をしている。
午前11時過ぎまで懇談。
午前11時半、「ハイリーホテル」で昼食。
午後12時過ぎ、昼寝。
午後2時、ベトナム事務所へ。
午後2時半、ホンニーさんを呼んで話をする。
税田さん、バオミンさんも一緒に。
昨日の日曜日、おばさんの家へ行くと行って「ハイリーホテル」
を出て行ったが、結局帰ってこなかった。
昨日、夕方「ハイリーホテル」に数人の若者たちとやってきて
「おばさんの家の子どもたちの面倒を見なければならない
ので、今夜は泊まってくる」という趣旨のことを言って帰って
言ったと税田さんの話。十分、外泊の趣旨などが税田さんにも
伝わっていないままでの外泊。
ホンニーさんを呼んで昨夜の外泊についてその事情を聞く。
やはりおばさんに子どもを預けられたが、おばさんの帰りが
遅くなり、「ハイリーホテル」に戻れなかったとのこと。
今後、外泊する場合には、事前にきちんと連絡するように、
「ハイリーホテル」にいる限りは、私や税田さんなどが
子どもたちに責任を持つているので、「子どもの家」を
出たとはいえ、まだ自立まで少し訓練をする必要がある、
と話す。
午後4時、リー君がベトナム事務所2階にカナダ人を
連れてくる。ケペック州の大学院生。観光ガイドブック
「ロンリープラネット」を読んだ、是非、「子どもの家」関連の
施設でボランティアをさせて欲しいとのこと。
2週間フエに滞在するという。
水曜日、日本料理店の子どもたちの英語の授業のアシスタントを
して欲しい。また、日曜日、「子どもの家」の英語教室の
英語アシスタントをして欲しいと依頼する。
その後、リー君を呼んで「テト休暇中」のことで話し合う。
テト休暇中、私は日本での講演会など、その他の
日本人も旅行などに出る。ホンニーさん、トゥオイさん、
ハイ君は実家や親戚の家で新年を迎える。
リー君は、「僕は一人でハイリーホテルに泊まり生活する」
と言っていた。その問題について話し合う。
リー君が大きなホテルに「一人住まい」することは種々
問題がある。「子どもの家」セン委員長と相談し、
テト期間中、「子どもの家」で生活することになった。
帰る家がないりー君には可愛そうな状況ではあるが、
「ハイリーホテル」に一人で10日間ほど住むというのも
各種問題が惹起する可能性がないともいえない。
総合判断の結果として、「子どもの家」で三食を食べ、
寝ること、また、食事をしたくないときには、自分の
月給の中からお金を出して、大衆食堂など食事をするように、
夜、ビールを飲みたくなったら一人で飲みに行くように。
「子どもの家」の子どもたちを連れての飲酒は禁止。
こんな話をする。そろそろベトナムは2月7日の『旧正月』
の準備に入っている。旧正月前後1週間(合計2週間弱)
がテト休み。
午後5時過ぎ、日本語学校へ。ハンナ先生の観光基礎コース、
ゴック先生の中級の授業をビデオで撮る。1月26日の
現地報告会用のビデオ撮影。
午後5時45分、日本料理店で夕食。
午後6時半。日本料理店開店。
日本人1人、フランス2人、ベトナム4人。合計7人。
本日の注文。
生ビール(2)、からあげ(1)、みそしる(1)、ごはん(1)
天ぷら定食(1)、てるやき定食(1)、寿司(大1)、するめ(2)。
その間、関係者にメール送信。「子どもと教育」3月号の原稿最終
チェック。添付する写真10枚を厳選する。
明日、出版社に送信する予定。
午後9時閉店。「ハイリーホテル」関係者全員で「ハイリーホテル」
へ帰る。
ベトナム事務所、「ハイリーホテル」、私の日本から持ってきた
携帯パソコンが「トロイの木馬」ウイルスの攻撃を受けて、
撃沈されてしまう。対策を協議中。
デジカメの写真を日記に取り込めなくなってしまった。
2008年01月13日
リー君・ハイ君とブランチ
晴天
気温26度。
午前8時起床。1週間の疲れが出た。今朝はゆっくりと寝る。
久しぶりにバスタブにお湯を入れてゆっくりと入浴。
入浴後、メール受信の確認。1月24日からの要人訪日の
日本側での準備が進んでいる。福田もえ子JASS日本委員長
からの連絡。かなり詳細に出迎え、案内などの担当を決めて
くれている。感謝。
午前9時半、私の部屋をノックする音がする。ハイ君。
今朝、10時に食事をすることになっていた。10時に
いきますか?とのこと。「間違いなく、10時に食事に行こう」と
話す。
午前10時過ぎ、ハイ君、リー君と「ハイリーホテル」前の
大衆食堂へ行く。
大衆食堂から見た「ハイリーホテル」
トンチンカンホテルと同額の家賃だが4倍から5倍の
大きさと部屋数。引越しをして本当に良かったと思う。
子どもたち4人、日本人4人の共同生活。今後
不登校・引きこもりの若者の受け入れ施設ともなる。
リー君とハイ君の好きな料理を注文させる。
海鮮鍋。海老、牛肉、魚、イカ、豚の心臓、野菜。
川沿いの大衆食堂で軽く飲みながらブランチ。
さすが朝10時。誰もお客がいない。3人でフダビールを
飲む。
リー君が「トリのビール煮」を注文したいと言う。
この男は、中々美味いものを知っている。トリをビールで煮ると
どんな料理と味になるのか興味がある。リー君は、路上生活
をしている時、外国人のいるレストランなどで色々なことを
していた。結構、外国人から美味しい料理を食べさせてもらって
いたようだ。
●トリのビール煮。姿煮だった。胡椒と塩、レモンにつけて
食べる。中々美味しい。
宝くじを売るおじさんが来る。1枚5000ドンの宝くじをハイ君・リー君
に買ってやる。1枚5000ドンはお正月価格だとのこと。
宝くじ売り男性を誘い、一緒に食事をする。
フーバン郡の農村に住んでいる、40歳とのこと。
奥さんと子どもが二人。
1枚宝くじを売ると5円の収入だそうだ。1日100枚が目標。
100枚売って500円。朝5時から午後2時過ぎまで9時間
町中を歩いて売りまわると言っていた。
私の周りで自分では何も努力をしないで「濡れ手で泡」状態で
1回50ドルの昼食バイキングを食べている若者もいる。
宝くじ売りの男性の1週間分の収入を1回のバイキングで
消費する若者に、こうして9時間動き回り1日3ドル程度の
収入しかない家庭が農村にはたくさんいることを知るべきだ、
と言いたい。「人のふんどしで相撲を取る」という諺があるが
この種の親の地位、海外支援などに寄生して贅沢を
尽くしている若者を見ると、宝くじ男性が真っ当に見えてくる。
仕上げの食事は「ブン」。(米の麺)。
海産鍋の汁をつけてブンを食べる。日本風に言えば、
『海鮮つけめん』と言ったところ。海産物と野菜の
出汁が出て、美味しい。多くの日本人観光客が
「宮廷料理」という一番不味い料理を高い値段で食べている。
庶民の大衆食堂は、美味の宝庫。本当に美味しい料理が
隠れている。
宝くじさんと4人で午前11時半までビール8本を飲みながら
食事。これだけ食べて一人『吉野屋の牛丼並』1杯程度である。
「ハイリーホテル」へ戻り、昼寝。3時間。
午後3時過ぎ、部屋の掃除。
午後4時過ぎ、夕食の「ほか弁」を買い、ベトナム事務所へ。
税田さんも来て仕事をしていた。本当に真面目な人だ。
日曜日である。ゆっくりと休んでもらいたいものである。
昨日の日記、今日の日記、「子どもと教育」3月号の
原稿と写真を整理する。
「ハイリーホテル」のパソコンにウイルス(トロイの木馬)が侵入し、
全ての写真が取り込めなくなってしまった。
「子どもと教育」の原稿につける写真10枚の選択と
整理も「ハイリーホテル」では出来ない。
昨日の火焔樹日記の書き込みだけで1時間半ほどかかる。
次に今日の日記。必要な写真だけアップしておく。
大相撲を「ロケーションフリー」で見る。
「ハイリーホテル」では、インターネットの力が弱く
ロケーションフリーを見ることが出来ない。
朝青龍復帰で大相撲は盛り上がっているようだ。
朝青龍の負けるのを見たいというお客もいれば、
2横綱を見たいというお客もいるようだ。
私はテレビのスポーツ観戦はあまり好きではないが
大相撲は楽しみにしている。
トンチンカンホテルでは、大相撲を見ることの出来る
ケーブルテレビを切ってしまい、無料のケーブルに
されたため大相撲が見ることが出来なくなっていたい。
久しぶりに大相撲を見ながら仕事をする。
更に「子どもと教育」3月号原稿の推敲、写真の選択などを
行う。原稿の締め切りが1月15日なので、急いで仕上げな
ければならない。過去5年間程の日記の写真を1日ごとに
調べ、必要な写真をピックアップする。かなりの時間と
労力が必要。
午後8時半、昨日と今日の日記、「子どもと教育」の原稿、
必要な写真20枚を選ぶ作業が終わる。
ベトナム事務所を出ると外でリー君が待っていた。
「「ハイリーホテル」に先生の自転車がないので、ベトナム事務所
だと思い待っていたとのこと。
リー君と話しをしながら帰宅。途中の橋の近くでリー君が何か
大声で言っていたが、理由は不明。しばらくするとハイ君が
後ろについてくる。
「ハイリーホテル」到着。ハイ君が夕食を食べていないという。
丁度、税田さんが部屋から降りてきた。税田さんが、
ハイ君とリー君にインスタントラーメンを上げて、作り方を
教えていた。有難いことである。
ハイ君、リー君も私も月から土曜日までは三食用意されている。
しかし、日曜日は各自に任せられている。
ハイ君は12月16日から12月20日の5日間、5万ドン分の
給料しかもらっていない。日曜日の食事代がない。
今日は朝昼兼用で大衆食堂で食事をした。しかし、夕食代が
ない。税田さんの応援で何とかなった。
そこへいくとリー君は「才能」がある。ベトナム事務所前の
レストランやみやげ物店の店員と仲良くなり、今日の午後は
そこでまた、一杯飲んで、適当に食事もしている。こうした能力は
リー君だけのもの。
「ハイリーホテル」の自室に戻り、今日の日記の文章の
部分を書く。
福島の銘酒「奥の松 純米大吟醸」を冷やして飲む。
スルメをあぶって軽く醤油を振ったものをおつまみに
すると日本酒が引き立つ。日本酒のおつまみは
単純なものほど美味しい。
日本の政治をベトナムで見ていると「論争」と「批判」
「闘争」がない。
民主党小沢党首の「テロ特別法」採決棄権問題に
ついて、何故民主党内で「小沢批判」が出ないのか?
党内闘争が起きないのか? かつては自民党内で
さえ「角福40日戦争」などと言われた党内闘争が
あった。
この数年、日本の政治を見ていると「批判」がない。
安倍首相が政権を投げ出したことについても自民党内
で批判がでない。テレビに出て「ペラペラ」しゃべる
自民党議員はいても、党内の本質を突く問題を批判できる
根性のある議員がいなくなった。郵政民営化選挙で
そうした議員を追放したことも原因の一つかも知れないが。
民主党など政党の体をなしていない。小沢党首が突然
読売渡辺恒雄の口利きで自民党との「大連合」を志向した。
その前の参議院選挙で「反自民」を鮮明に打ち出し勝利した
政党である。党首がコソコソと敵対政党の党首と密談した
ことに対して、党内からの批判が起こることこそ正常な
民主主義社会、政党である。民主党の党内から
そうした「小沢党首暴走批判」などは出なかった。
今回の「テロ特別法」への棄権問題もその裏に
小沢党首の「大連合」への未練があるように思われてならない。
何故、今国会の最大の課題と言っていた民主党の党首が
採決に棄権したことに対し、党内から「異議申し立て」が出ない
のだろうか?
こんなところに日本社会の無責任体制の萌芽あるように思えて
ならない。
このところの『小沢大連合暴走』『テロ特別法棄権』問題で
民主党内から「反乱」が起こらないところに現在の
日本の元気のなさを見る思いがする。批判と闘争こそ
進歩・発展の原動力である。
2008年01月12日
ベトナム事務所員会議:日本料理店17人来店
晴天
28度。半袖。
夜明けの太陽
午前7時朝食。インスタントラーメンで作った野菜焼きそば。
初めて食べた。子どもたちは色々な料理を工夫して食事を
作っている。
午前8時半、ベトナム事務所員会議。
昨年の最盛時は11人のベトナム事務所員だったが、
現在は8人。
(ソン)
・日本人の訪問者を案内し「子どもの家」へ。
・金曜日。日本料理店の子どもたちに日本語を教える。
(税田)
・会計報告、予算など会計関連の資料等の精査
・訪問者へ刺繍販売
・新日本語教師予定のNさんへの連絡・対応。
3月中か4月に赴任の予定。
(ハン)
・会計関連諸帳簿の点検、会計報告書、・予算原案作成
・翻訳 在宅で支援している子どもたちから里親への手紙。
(ゴック)観光基礎コースのテスト
(千種)一人で授業をした。火曜日(復習)、金曜日(観光テスト)
土曜日(研修生テスト)
(ハンナ)月、金 中級コース
火、水、土 観光基礎コース
金 観光基礎コース45課・46課テスト
(ミン)・Sさん、Kさんの案内。フォンザンホテル社長等
・具嶋先生の在宅支援のアン君の家。
・雨漏りする屋根の改修・ドアの取替えで350ドル程度
・1月22日・23日のボランティア貯金視察団の受け入れの
準備をした。
・テト休暇 2月2日~2月11日まで。
(ベトナム事務所・日本料理店)
この期間、旅行等へ行くベトナム事務所員は事前に
連絡先等を教えておいて欲しい。緊急連絡などのため。
・1月24日から訪日するフエ要人。訪日の飛行機切符を
全員がなくしてしまった。今回から切符の書式が代わり
普通の紙に印刷した「書類状」のものになった。
皆さん、そうした変更を知らず、単なる連絡用紙と思い
捨ててしまったとのこと。再発行の手続き中。
その後、1月22日~4月1日までのスタディーツアーなど
訪問者の日程予定表が配布される。17ツアーが予定されている。
今年の春も本当に忙しくなる。
ベトナム事務所員会議終了後、1月26日現地報告会用
資料作成。
ベトナム事務所のエヤコンが壊れる。業者を呼んで修理を
してもらうが、修理が出来ず、部品をもって行く。
午前11時半「ハイリーホテル」へ。
昼食。ご飯、魚の煮物、野菜炒め、野菜スープ。
食後、1時間ほど昼寝。
午後2時半、ベトナム事務所へ。月刊誌「子どもと教育」
の原稿を推敲。
更に原稿の内容にあった写真10枚を添付する必要がある。
船上生活者の子どもたちが多い「フールー小学校」、
上流階級の子どもたちが通う特別校「レロイ小」の
写真を撮りに行く。リー君に言ってオートバイタクシーを
紹介してもらう。リー君はその道の人たちに顔が広い、という
のか、路上生活、その後のやくざ時代にシクロさんや
オートバイタクシーの運転手などを大分「締め上げて」いる。
リー君が知り合いのオートバイタクシーを連れてくる。
フールー小学校、レロイ小まで「いくら?」と運転手に聞く。
「先生の言う値段でいいです」とのこと。リー君の「腕のすごさ」
というのか、運転手さんはリー君が怖いのだろうと想像する。
●フールー小学校
●レロイ小
午後3時半頃、外国人が日本料理店にやって来て
「JASS MAN」の小山に会いたいと言っていたそうだ。
リー君が小山は午後4時半頃日本料理店に来ると
答えたそうだ。英語を勉強していないのにやたら通じる
英語が出来る不思議なリー君ではある。
午後4時半、日本料理店で待っていると確かに
若い男女の欧米系の2人がやってくる。
ガイドブック「ロンリープラネット」で読んだ。話をしたいとのこと。
1時間ほど、日本料理店で話をする。ニュージーランドの学生。
午後5時半、日本料理店の子どもたち・スタッフの夕食。
私は生ビールを飲む。今夜もグエットさんから「先生の生ビール
は5杯以内です。飲みすぎると体に悪い」と言われる。
生ビールを飲んでいるうち、日本料理店が段々と混んできた。
午後9時までに17人もの来客。全て欧米系。家族連れも3組。
デンマーク4人、オーストラリア9人、スイス4人。計17人。
今夜の注文は、「寿司」2、生姜焼き定食2
てんぷら3、カツカレー2、野菜スティック2、きつねうどん1、
ハンバーグ定食1、餃子1、刺身盛り合わせ1、生ビール6杯、
生ジュース2杯。
厨房は戦争状態。日本人スタッフも手伝う。
17人全てが英語での注文取りとなった。リー君が大活躍。
グエットさんやホンニーさんが注文をとりに行くが、
「この料理は何で出来ているの?」などの英語の質問が
出ると答えられない。「リー君・・」と呼ばれる。リー君は
2時間ばかり、日本料理店内を縦横無尽に動き回り、
「御用聞き」状態となる。小学校卒という学歴ながら
立派に英語を駆使して注文をとった。
一人だけオースラリアの家族が来た時は、リー君の
英語が通じなかった。リー君が来て、あの外人の
話を聞いてくれと言ってきた。奥さんが妊娠中だが、
お刺身の盛り合わせを食べたい。この魚の中で
妊娠に影響を与えそうな魚は入っているか?
との質問だ行った。幸いマグロはなく、イカ刺しと
サーモン刺しだけだったので、「問題ないです」と
答えた。
午後9時過ぎ日本料理店閉店。
昨日から「明日の夜は飲みましょう」とリー君が言っていた。
リー君は閉店になったと同時に「ハイリーホテル」に直行、
日本料理店スタッフの「夜の反省会」の準備に入っていた。
なかなか頭の回る人間である。
日本料理店の皆さんが着替えて「一団」となって「ハイリーホテル」に
帰宅。日本料理店から「ハイリーホテル」までの途中が暗く
多少不安もあり、皆で帰ることにしている。
「ハイリーホテル」に戻ると、「夜の反省会」の準備は完璧に
整っていた。フダビンビール10本を氷水で既に冷やしている。
豚の腸をフライにしたおつまみも「揚げたて」のものを買ってある。
「ハイリーホテル」警備員のハイ君も楽しそうに飲んでいたい。
1時間ほど皆で交流。
1週間、ご苦労様。
今夜の日本料理店。2時あまりの間に17人もの来客があり、
多種多様な料理の注文があった。子どもたちは必死で
注文をとり、料理を作った。お客さんが帰るとき、多くの
方が「ここの日本料理は美味しかった」と言ってくれた。
日本料理店を開店して2年間。やはり、時間と経験が
必要である。
ここまで日本料理店を育ててくれた「鳥取の徳岡さん」
「茨城の中村さん」「オアシスの会の大塚さん」たちの
「教育・指導」があったからと感謝している。
子どもたちだけで全てをすることが出来る日本料理店が
ほぼ出来上がったと思っている。今後、日本料理店が
更に繁盛するようになったら「のれんわけ」をして、
家庭料理「子どもの家」の支店を出すことも夢ではない。
2008年01月11日
雑誌原稿を書く
晴天 休肝日
気温29度。暑い位である。
朝6時、地平線から太陽が昇る。太陽を見ると
気持ちが浮いてくる。
午前7時朝食。そうめん風のうどん。
朝食後、昨日の日記を書こうとしたが、「ハイリーホテル」では
インターネットが通じない。更に停電。
ベトナム事務所へ。インターネットが通じていた。
昨日の日記を書く。ベトナム事務所も途中で停電。
雑誌「子どもと教育」3月号の原稿の構想。
午前11時半、「ハイリーホテル」へ。
昼食。
午後12時半から1時間、昼寝。
疲れが出たのか、熟睡。読書をする気力なし。
午後3時、ベトナム事務所へ。
雑誌「子どもと教育」原稿4000字の草稿を書き上げる。
その後、バオミンさんと日本語学校・日本語教育の件で
打ち合わせ。
ベトナム事務所では、ハンさんと税田さんで会計諸帳簿
の検討。会計報告・予算の原案を作成中。
午後5時半、夕食。
午後7時過ぎ、NHKテレビで午後9時のニュースを見る。
新テロ対策法。参議院で否決。直ぐに衆議院で3分2条項を
使った再可決。NHKニュースは57年ぶりの再可決という
点を何度も強調していたが、問題の本質ではない。
アフガニスタンでは、アフガン政府とアルカイダとの
和解交渉が行われており、国連もアフガン政府と
アルカイダとの和解が必要との意見が出ている現状で
ある。テロとの戦いなどと言っているが、既にアフガン政府
自身がアルカイダとの和解交渉以外の解決の道はない
との見方になっている。客観的な現実は、アメリカを中心と
した海外からの派遣軍の存在そのものが、テロを更に
拡大している現実である。
新テロ対策法がアフガンでの紛争を一層拡大し、収拾困難に
陥れるていることは、既に世界の良識の一致している所。
先の参議院選挙の結果は、「テロとの戦い路線」そのものを
不信任したことを知るべきである。暴挙というのか、
嘘に嘘を重ねた政権政党の愚挙。「国際社会の役割りで
テロとの戦いのため必要」との言い分は、アフガンの現実を
直視すれば、説得力がない。
年末のアメリカ大統領選挙でアフガン・イラクからの撤退を
アメリカが決めても自公政権は、「テロとの戦い」『国際社会の
役割を果たす』論を展開するのだろうか?
そろそろアメリカべったり路線の転換が必要な時期に来ている
ことは明らかである。
民主党・小沢代表が新テロ対策法案採決時に欠席。
大阪府知事選挙応援に行ってしまった。
今国会最大の争点であり、小沢代表は「憲法違反の法案」と
言っていた。採決に欠席することは、国民の負託を受けた国会
議員として失格。抗議の欠席など説得力を持たない。
国会議員の最低の義務である「国民の負託」に応えて
国会で仕事をするのは、小沢党首の義務である。「憲法違反」
などと言う以前に「あなたは国会議員不適格者」。
国会議員を辞めるべきである。論議以前の人間。
こんな人間が野党第一党党首である所に我が日本の
政治的不幸がある。密室での「大連合」密談と言い、
真っ当な政治家ではない。
薬害肝炎被害者救済の法律が成立した。心から良かったと思う。
昨年から薬害肝炎被害者の女性の記者会見を見ていると
首尾一貫した主張と自分たちだけでなく、他の患者の救済も
求め、そのことが解決されなければ、和解はしないとの
原則論を主張。記者会見も筋の通った話と感情も合わせ
素晴らしいものであった。
ベトナム事務所の隣のホテルが昨年から増築工事中。
うるさい。今夜は、夜遅くまでクレーン車を使っての
大規模な工事。日本料理店内での話が出来ないほどうるさい。
午後6時半、日本料理店開店。
2人の欧米系のお客が来たが、席に着いた途端「うるさい」と
言って出て行ってしまった。となりのホテルの重機を使った
夜間の工事がうるさいという訳だ。その理由も理解できる。
午後7時半、ニュージーランドの大学生2人が来店。
カツカレーなど。
1時間程の食事後、ニュージランドの話などをする。
「ロンリープラネット」を読んだとのこと。
8時30分、欧米系2人、日本人1人。
午後9時20分閉店。今日の来客5人。
ベトナム事務所では、税田さんが会計諸表の整理中。
会計報告、予算について打ち合わせをする。
午後9時50分「ハイリーホテル」へ到着。
日本料理店が出来て2年になる。
日本料理店が出来てから仕事量が増大した。
朝7時に朝食を摂り、ベトナム事務所関連の仕事、
午後もベトナム事務所関連など。
午後5時半から夕食を摂り、午後9時半までは
日本料理店との付き合い。
最近は、欧米系の観光ガイドブック「ロンリープラネット」
に私の活動が載ったこともあり、「会いたい」と言われる
ことが結構ある。今日のニュージーランドの大学生男女には
「サイン」をして欲しいと言われた。
結局、この2年間、午前7時から午後10時までの
勤務となり、かなりきつくなった。
体にこたえる。部屋に戻ると休むことが先決。
未だに引越し状態を脱していない。引越しの荷物が
隣りの部屋にたくさん置いたままである。
しばらくは、当面の課題を解決することと体を休める
ことが先決問題。片付けは後で。
既に明日の夜と明後日の午前中の予約が入っている。
リー君、ハイ君と飲むことになっている。
リー君からの強い呼びかけによるもの。呼びかけられて
応えないのも日本男児としては「卑怯な態度」と受けとられ
かねない、などと勝手な理屈をつけて、飲もうという寸法。
既にリー君とどんなおつまみで飲むかまで詳細な打ち合わせが
出来ている。リー君はこの種の話になると頭脳明晰、行動迅速。
打てば響く、一を聞いて十を知る人間に変身する。
今日は飲んでいないので、寝る前に『与謝野源氏』を読む。
就寝11時半。
2008年01月10日
1月26日「現地報告会」用資料作り
晴天
気温28度。半袖で過ごせる。暖かい気温になると仕事も捗る。
午前7時、朝食。フランスパン(玉子焼き入り)
「ハイリーホテル」では、警備員のハイ君が警備活動を開始。
ハイ君は自分の仕事が決まり、毎日まじめに「ハイリーホテル」
の警備員として活動している。1日数人から多い時は10人
程の来客がある。それらの来客への対応をしている。
特に「ハイリーホテル」入り口2箇所の鍵の確認・管理が主な仕事。
ハイ君22歳。警備員という仕事を得て、生きる道を見つけた。
毎日、真面目に一生懸命仕事をしている。
午前8時半、2008年1月26日東京北区教育会館で行われる
「現地報告会」提出用の「2007年会計報告」、「2008年予算」
について相談する。報告会参加者が理解し易いような会計報告、
予算の書き方を相談する。
午後11時半、「ハイリーホテル」へ帰る。
「ハイリーホテル」厨房では、ホンニーさん、トゥオイさんが
昼食作り。
●昼食 油揚げの煮物、野菜サラダ、野菜スープ
午後12時半から1時間昼寝。
午後2時から午後4時までの2時間をかけて2008年1月26日
「現地報告会」提出用の資料『2007年を振り返って』
『2008年の活動方針」を書き上げる。
午後4時半、会計のハンさん、バオミンさん、税田さんと
2008年1月26日東京北区教育会館で行われる「現地報告会」
提出用の会計関連の資料の再吟味を行う。午後6時過ぎまで。
午後6時過ぎ、夕食。
今日は暖かく仕事も多かったので、かなり疲れる。
「フダ生ビール」を飲む。
●夕食内容
・サーモンとイカの刺身(冷凍状態が賞味期限切れのため
もったいないので夕食にする)
・煮魚
・キャベツ炒め
・ミット(ジャックフルーツ)のスープ
午後6時半日本料理店開店。
日本人2人。オーストラリア人家族5人。今日は合計7人。
午後9時過ぎ、日本料理店閉店。「ハイリーホテル」関係者
全員で帰宅。
午後9時半、「ハイリーホテル」着。
その後、子どもたちと一緒に一杯飲む。
リー君が串刺しの「ヤキブタ」と「鳥鍋」を買ってくる。
午後10時半頃、私は部屋へ戻る。
2008年01月09日
日本料理店会議
晴天 休肝日(2週間ぶり)
気温26度。湿度80%。(「ハイリーホテル」5階)
午前7時朝食。キャベツ入りのインスタントラーメン。
ラーメンは1つ10円。実にシンプルな朝食。
私が初めてインスタントラーメンを食べたのは
日清食品の「どんぶりにラーメンをいれ、お湯をかけるタイプ」
のように記憶している。その時の味と今朝の10円インスタント
ラーメンとは同じ味だった。
朝食後、メールの受信・送信。
午前8時過ぎベトナム事務所へ。
午前9時、日本語の松田先生にJASSベトナム事務所での
仕事をするにあたってのいくつかの問題についての説明会
を行う。
バオミンさん、税田さんも同席。
①JASSの歴史
②JASSのめざすもの(自立)
③フエに於けるJASSの存在と闘いの歴史
④松田先生に期待するもの
約2時間の話をする。
午前11時半「ハイリーホテル」へ。
「ハイリーホテル」では、トゥオイさんとホンニーさんで
昼食を作っていた。
昼食は「アヒルの玉子焼き」「空芯菜のニンニク炒め」「野菜スープ」
午後12時半から1時間昼寝。
読書をするが、時間が短く数ページしか読めず。
何とか与謝野源氏3巻を読了したいのだが、未だに上巻の
半分程度。11月26日フエへ帰国して以来、忙しく
読書時間が取れないのが残念。少しずつの読書は
無味乾燥。
午後2時半、日本料理店で2008年初頭の『日本料理店会議』
を開く。バオミンさん、税田さん、日本料理店スタッフが参加。
初めに私の方から2007年の総括と今後の方針について
話す。
①2006年度の来客1800人。 2007年度は2080人。
昨年5月、日本料理店を引越し、地の利が良く、欧米と日本の
大手の観光ガイドブックに紹介されたことを考えると
2008年は2500人以上の来店が予想される。
ここまで日本料理店が成長発展できたのは、子どもたちを
初め、大塚さん、徳岡さん、中村さん、仁枝さんなど多くの
皆さんの協力の賜物。感謝したい。
日本料理店の皆さんの努力の結果だ。
②日本料理店の運営システムを再度確認したい。
日本料理店の経営・運営の責任者はJASS。バオミンさんと
税田さんが責任者である。日本料理店の品物は全て
JASSのもので、日本料理店で仕事をしている皆さんの
ものではない。皆さんが勝手に日本料理店の食材などを
個人で使ったりしないように。日本料理店の備品類なども
大事に使って欲しい。
③日本料理店で仕事をする際は「お客さん第1」の姿勢で
臨んで欲しい。自分の都合で仕事をしないように。
お客さんがいるのに自分の好きなテレビをかけてテレビを
見ていたりなどしないように。常にお客さんが何を求めている
いるのかを考えながら仕事をするように。
④仕事について責任を持つ姿勢を
・毎日の仕事の結果に満足しないで、毎日少しでも
仕事内容(料理の味・・、接客・・・・)の向上のための
努力をして欲しい。
・自分の分担だけの仕事をしていれば良いとの姿勢を
改め、他の人の仕事も忙しい時には手伝いようにいつも
考えながら仕事をするように。
・給料をもらって仕事をしているとはどんなことかを考えて欲しい。
午後2時半~午後5時半まで。1時間休憩し、午後6時半~
午後9時半までが仕事の時間である。お客さんがいようと
いまいと給料をもらっての仕事である。お客がいないときに
も遊んでいないで、掃除をしたり、料理の研究など勤務時間
という意識を持って欲しい。
⑤多くの人たちに感謝の気持ちを持って欲しい。
(税田)
・日本料理店のものは、JASSのものなので自分たちで
勝手に日本料理店のものを個人的に使わないように。
・注意をすると「ハイ分かりました」というが、その後、
全く直さない態度が続いている。気をつけてほしい。
・日本料理店倉庫の通路の鍵が3回もなくなっているが、
誰も責任を感じていない。
日本料理店が終わって鍵をかけようとした時、
鍵がなくなっていた。しかし、皆さんはただ早く帰ろうとして
だれも通路鍵のことについて、考えようとしていなかった。
鍵がなければ、誰でも日本料理店に入ることが出来ると言う
重要な問題なのに・・・。誰かが鍵をなくしているはずなのに
誰もそのことについて、どうしようかという対策を考えて
いない。
今、4つ目の鍵を作った。鍵は一つしかない。料理主任の
トウォイさんに渡すが、トゥオイさんだけの管理責任では
ないので。みんなが、なくさないように気をつけて欲しい。
なくなったら、責任を持って「なくなった」と言って、対策が
取れるようにしたい。
・日本料理店の制服は仕事が終わったら日本料理店に
おいて帰るように。日本料理店の制服を使って
他のお店の仕事などの手伝いなどは、していないとは
思うが、そうしたことのないように。
・勤務時間中、洗面所で髪を洗ったり、シャワーを浴びたり
しないように。また、勤務時間中、日本料理店を抜け出し
個人的な買い物などはしないように。
・色々な要望がある場合には、早めに言って欲しい。
・出勤簿はきちんとつけている。立派だ。今後も
しっかりと仕事をして欲しい。
・私が仕事上の注意をする時、時々、怒ったような
態度で返事をするときがある。こうした態度は認められない。
気をつけてほしい。
(ヒエウ)今までの仕事に自分としては満足している。
(チャン)同じように料理を作っても毎回味が違ってしまう。
うまく出来る時と出来ない時がある。
(グエット)日本料理店内にコンセント増やして欲しい。
今後、暑くなって扇風機をつけるコンセントがない。
おしぼりに醤油が付いて色が落ちなくなる。
もう少し強い漂白剤を使いたい。強い漂白剤は
かなり強い香水のにおいがする。
★参加者の意見で強い香水のおしぼりは、日本人に
好まれない。おしぼりは1枚10円なのであまりに
汚れがひどいおしぼりは、テーブルふきなどにする
ことになった。
(トゥオイ)私は頑張って仕事をしているつもりだが、厳しく
怒られると頭が混乱してしまう。今後も努力するつもり。
(ホンニー)お茶碗を煮沸消毒する時、お湯が沸くまでみんなで
遊んでいたが、あれは、サボっていたのではなく、
お湯が沸くまで待っていたのだ。
会計の金額が合わなかった問題は私が
フエンさんからもらった金額を書いただけだ・・・。
(フエン)ヒエウさんの私たち年上の人間に対する態度は
良くない。注意をするとお茶碗を洗う時などに
乱暴に洗ったりしている。もう少し素直になって欲しい。
言葉遣いが乱暴だ。
(リー)自分は最近真面目に出勤して、仕事もきちんとしている。
問題はない。良くやっている。
(小山)2008年の初頭。
この2年間、皆さんは良く働いた。特に店長、副店長、
調理主任の3人は、全体の仕事の推進役として良く
頑張ってきた。今年から店長手当て、副店長手当て
調理主任手当てを作ることにした。
また、毎朝、自分のオートバイで買出しに行って
くれているフエンさんに『オートバイ手当て』を出したい。
これからも日本料理店の全スタッフが一致団結して
日本料理店発展のために頑張ろう。
約2時間の話し合いを終わる。
午後5時半から夕食。「ハイリーホテル」から警備員のハイ君が
夕食のためやってくる。
午後6時半、日本料理店開店。
欧米人のクリスマス休暇が終わり、町を散策する
欧米人が激減した。
午後8時45分まで来客なし。今日はこのまま
来客なしで終わると皆が思っていたその時、
イギリス人2人が来店。カツカレー、天麩羅。
その後、1時間15分在店。午後10時閉店。
皆で「ハイリーホテル」着午後10時15分。
2008年01月08日
久しぶりの太陽
晴天
気温が上がる。25度。
午前7時朝食。野菜入りおかゆ。リー君は一口程度で
おかゆを残す。昨夜飲み過ぎたか? 飲みすぎても
一応、朝食には起きてくるようになった。
午前9時、バオミンさん・ハンさん・税田さんと会計報告の
件で打ち合わせ。
午前10時、S氏とK氏がベトナム事務所を訪問。
刺繍みやげ物店を視察。
午前11時、フォンザンホテルでドン総裁と昼食会。
昼食を摂りながら新しいプロジェクトの細部の相談。
S氏、K氏の提案している新プロジェクトが成功することを
祈っている。
昼食懇談会は、午後1時半終了。フォンザンホテルグループの
ドン総裁とJASSが今後も緊密に提携していくことを確認。
バオミンさんとベトナム事務所へ戻り、その足で「ハイリーホテル」。
「ハイリーホテル」で昼寝。
午後3時過ぎ目覚める。
読書「与謝野源氏」(榊の巻)
源氏の父院の死去。源氏の義父左大臣家と対立して
いた右大臣家が政治の力を持ってくる。
源氏の冷や飯時代が始まる。
午後4時半、ベトナム事務所へ。
ハイ「ハイリーホテル」警備員が、「ハイリーホテル」の
台所に隣のおばさんを招請し、朝食か昼食の残りを
上げていたことが分かる。
午後5時半、バオミンさんと一緒にハイ君を呼び
話を聞く。おばさんが「ハイリーホテル」の台所に
入ってきて台所の色々なところをみていた。
余ったご飯(おかゆか?)があり、「このご飯をちょうだい」
と言ったのであげた、とのこと。
「ハイリーホテル」の警備員の仕事がどうのようなもので
あるかを改めて教え、確認する。
どんな人も「ハイリーホテル」に入れてはいけないと言うこと、
普段は「ハイリーホテル」には、ハイ君しかいないのだから
隣の人でも知り合いでも「ハイリーホテル」に入れてはいけない。
万一、問題があれば、バオミンさんに電話をするよう指導する。
黙っていたら、となりのおばさんは、そのうち、2階、3階と
「ハイリーホテル」を徘徊し、必要なものを持っていく可能性が
十分ある。
この地域は、新興高級住宅地。もともとは、貧しい農民が
住んでいたが、「フエ小型バブル」に乗り、土地開発が
進み、フエのお金持ちが高級な邸宅を建て始めている。
警察や知り合いの人の話では、「泥棒」「こそ泥」が
頻発しているとのこと。お金持ちの家が多くあるので、
そうした犯罪のターゲットになっているようだ。
どんな事情でも人を「ハイリーホテル」に入れないよう
厳しく注意をする。
午後5時半、夕食。
日本人スタッフは、日本語学校、仕事中。
午後7時過ぎ、シンガポール人2人来店。海外の大きな
観光ガイドブック「ロンリープラネット」を見たとのこと。
住所が違っているので直すよう指摘される。
活動内容を色々と質問される。
リー君は積極的に仕事をしていた。
午後8時過ぎオーストラリア人来店。
カナダで勉強し、1ヶ月ほど日本に行ったとのこと。
新宿、荻窪などの言葉を知っていた。
午後9時過ぎ閉店。3人の来客。
日本料理店を見ながら、いくつかの仕事。
2008年6月3日~11日までフエで行われる
「2008フエフェスティバル」に日本の津軽三味線奏者の
山本竹勇さんたちが参加の予定。フエ市人民委員会へ
招待状作成を依頼する文章を書く。
今夜は町を歩いている観光客が少なかった。
「ハイリーホテル」住人全員で帰る。
インターネット事情が非常に悪い。
メールの送受信が出来ない時がある。
メールを送られた方で、返事がない場合は、
メールが届いていない可能性あり。
2008年01月07日
S氏・K氏案内
曇り・のち晴れ
気温24度。かなり暖かく感じる。
午前7時、「ハイリーホテル」で朝食。8人。
今日の朝食は「チャオ・バンカン」(小麦の手打ちうどん)
私の大好物。トゥオイさんとホンニーさんが作る。
リー君は「ハイリーホテル」の掃除。ハイ君は警備員役。
「子どもの家」を出たリー君・ハイ君・トゥオイさん・ホンニーさん。
完全な自立に向けての日常生活、個人責任、社会での行動の
仕方などを経験し、そのうち下宿を借りて自立していく。
8人の擬似家族のような生活。誰がお父さんか想像に難くないが
お母さん、お姉さんが誰かは、想像にお任せる。こうした活動は
お金儲けとは無縁なことではあるが、子どもたちの人生に
とっては、一気に「子どもの家」から社会にでて騙されたり
危害を加えられる可能性もある。「ハイリーホテル」での
若干の期間の生活も意味のあることである。
午前8時45分、日光市のS氏、K氏がベトナム事務所を来訪。
新しいプロジェクトについて懇談。
子どもたちに文房具を寄贈。
午前9時半、縫製研修センター・アクセサリー研修センターを
訪問。その後、「子どもの家」へ。
「子どもの家」を視察。
午後12時半「ハイリーホテル」帰宅。
子どもたち、日本人スタッフと昼食。
午後1時から1時間昼寝。
午後2時、ベトナム事務所へ。
メール送受信。
午後3時、フォンザンホテルグループ ドン総裁とS氏、K氏
の懇談。新しいプロジェクトについて、両者で突っ込んだ
話し合い。基本的な青写真では合意。今後、具体化して
行くことになる。約1時間半の話し合い。
午後6時、S氏、K氏と日本料理店で夕食懇談。
バオミンさん、税田さん、S氏、K氏と懇談。
午後9時半、S氏、K氏帰宅。
同時に4人のイスラエル人が来店。お寿司、カレー、
コロッケ定食を注文。
午後10時半、4人のイスラエル人帰る。
全て終わったのは午後10時半。9人の来客あり。
「ハイリーホテル」帰宅。
リー君とハイ君など子どもたちと今日1日の深い反省を
行う。
2008年01月06日
具嶋先生ご夫妻見送り
曇り
気温22度。多少、寒さが和らいだ。
午前8時起床。
メールの受信、送信。
午前9時45分、バオミンさんが「ハイリーホテル」へ迎えに
来てくれる。リー君と3人で具嶋先生投宿のホテルへ。
その足でフエ空港。
多少早めに空港に着いたためチェックインカウンターが
閉まっていた。しばらく空港内喫茶店で懇談。
午前10時40分、チェックイン可能となる。
3日間のフエ滞在日程を終え、ハノイへ。
この間、「子どもの家」、里子のアン君の自宅訪問、
日本語学校で「DNA」研究の現状などについて話を
して頂く。
2日間にわたり日本料理店で日本料理を召し上がり、
子どもたちへの支援を継続して頂く。
3日間のフエ滞在に感謝。
リー君も具嶋先生の荷物運搬を行う。
具嶋先生からほめられる。
具嶋先生ご夫妻を見送り、3人で「ハイリーホテル」へ。
「ハイリーホテル」近くの大衆食堂で朝食・昼食兼用の
ビールを飲む。
串刺しの「ヤキ豚」。炭火焼。
ついて来た野菜の中に『生のこしょう』があった。緑色のつぶ。
ブドウ状のもの。ピリッとして美味しい。
午後12時半、途中で私は「ハイリーホテル」へ帰るが、入り口の
鍵が開かない。バオミンさんを呼んであけてもらったがだめ。
「ハイリーホテル」内にいる税田さんを電話で呼び出し、
あけてもらう。
2時間ほど休息昼寝。
午後3時から読書。「与謝野源氏」{葵の巻読了)
源氏の正妻、左大臣の娘の死去。
フエ要人訪日の打ち合わせ。福田もえ子JASS日本代表委員会
委員長とメールでの打ち合わせ。日本側で積極的な受け入れ
準備態勢を作ってくれているので安心して訪日できる。感謝。
夕食用にベトナム風ほか弁ーコムディア(70円)を買いにいく。
ベトナム事務所で日記書き込み。「ハイリーホテル」の自室の
パソコンが故障し、日記用の写真が取り込めない。
2008年1月26日午後1時半東京北区王子で行われる
「ベトナム現地報告会」で話すレジュメを作る。
11月26日、フエに戻り、「ハイリーホテル」への引越し、
多くの訪問者への対応、1月24日からのフエ要人の
訪日準備、新しいプロジェクトの準備・・・・・など忙しい
毎日を過ごした。
昨年11月「還暦」という人生の節目を迎えた。その後
確実に体力と健康の衰退を感じているが、この40日間、
増強されたのは「酒量」だけ。20歳のリー君、22歳のハイ君と
対等に飲もうと思ったら本当に大変である。
リー君、ハイ君の生い立ちを考えると、「ハイリーホテル」
で一人でいる二人を見ていると、何かしてあげたいと
いう気持ちになる。リー君に日本料理店終了間近、
「先生、ビール飲みましょう」と言われたら「断る」ことは出来ない
という『理屈』で10日間ほど、日本料理店終了後、リー君、
ハイ君と飲んでいる。二人とも父親がいるようでいない。
私はリー君もハイ君も自分の子どもだと思って付き合っている。
私がフエで「子どもの家」や障害児、奨学金支給などの
ボランティアをしていることの本当の気持ちを理解できない
フエ人もいる。
フエは今、「小型バブル」。「金・金・金」。お金があることが
出世であり立派な人間だと大きな勘違いをしている人間も
いる。人間にはお金だけではない「大事なもの」があるということを
理解できないフエ人もいる。致し方のないことではあるが
300年ほど前に出発した資本主義。多くの先進国が
「バルブ」を経験したが、バブルが永続した国は皆無。
無知とは恐ろしく可哀想なものである。お金が全てと
人間関係をお金で計り、切捨てるベトナムの世の中の
風潮ではある。しかし、バブルはいつか崩壊してしまう。
わが日本も1985年から1991年位までのバブルを
経験している。お金が全てと考えた日本人も多かった。
しかし、バブルが崩壊し、お金より大事なものがある
ことに気づいたのである。それは、「人間」である。
人間同士の信頼、お金だけで計れない人間の
生き方である。
人間はお金だけで動くものではないことを理解すべきで
ある。今、小型バブル最中のフエ。小金持ち、
一時成金が出没している。お金と立派な衣装は着ているが
人間は野蛮人・貧乏人根性丸出しといった人もいる。
教養と知性がない一時成金は見ているだけで吐き気がする。
近い将来崩壊するフエの小型バブル。それさえ知らないで
立派な「毛皮」を着て、高給な腕時計をし、別荘を立てて
「出世」したなどと思い上がっている一部の一時成金のフエ人。
日本が経験したように近い将来、バブルが崩壊したら
どん底の生活に戻ることを知るべきであるが、そうした
ことを思い計る知性と教養すらないのが情けないところである。
私がフエに来て15年。私の周りにこの種の人間が
一人もいないことは幸いなことではある。
2008年01月05日
正月に考える日本
曇り
気温20度。寒い。
午前7時朝食。マカロニスープ。美味しい。
午前9時、ベトナム事務所へ。
メール送受信。年賀状を書く。
午前10時から12時までバオミンさん、税田さんと
当面の諸問題を協議。
午後12時半、昼食。
午後1時昼寝。
午後2時読書。「与謝野源氏」。葵の巻
最近小さい字が見えなくなり、本が読が読めなくなった。
与謝野晶子が、庶民を「労働者階級」と記述しているのはに
驚いた。明治末期に労働者階級とはどんな意味合いで使われて
いたのだろうか? 当時に無産者運動などの書物も読んで
いたものと思われる。
久しぶりに長時間の読書。
午後4時半、日本料理店へ。
バオミンさんから電話。具嶋先生が日本料理店へ来店する
とのこと。夕食を一緒にとのお誘いあり。
ハイ君が風邪を引く。症状を聞くと発熱、倦怠感、食欲不振。
ホンニー店長に薬局で風邪薬を買って来てもらい、ハイ君に
飲ます。半袖シャツ1枚しかないとのこと。ホーチミン市の
Tさんから頂いた支援物資の中からハンナ先生が長袖
の衣類を3着選んでくれる。2着をハイ君に1着をリー君に
上げる。ハイ君は何もを持っていない。
午後6時半過ぎ、具嶋ご夫妻来店。
ハンナ先生、千草先生、税田さんと一緒に交流。
たくさんの欧米人の来客あり。
ベトナムのボートピープル難民で香港に渡り、その後
オーストラリアに住んでいるベトナム人が来店。
観光ガイドブック「ロンリープラネット」を見て来店とのこと。
今日は13人の来客あり。接客と調理は忙しかった。
午後9時半、具嶋ご夫妻も退店。
日本料理店の前にロックちゃんが葉書を売りに来ていた。
1997年、テレビ東京の「ドキュメンタリー人間劇場」
で放映されたリー君とロックちゃんの二人である。
ロックちゃんは21歳。2児の母親。父親はいない。
ポストカードを売って生計を立てているとのこと。
午後9時半閉店。みんなで「ハイリーホテル」へ帰る。
早めに帰っていたリー君が鶏肉とビールを用意。
午後11時半まで反省を深くする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
正月「大食いタレント」と「赤福偽装」
正月の番組をいくつか見た。この15年間日本の正月の
テレビを見る機会がなかった。NHKを何とか見ることが
出来る時期があった程度。
今回、笠井さんの紹介で「ロケーションフリー」を入れた
お陰で日本のテレビ番組(東京の自宅で見られる)が
見られるようになった。
年末から三が日、いくつかのチェンネルを回してみたが
「大食い競争」番組の多いのには驚いた。
ギャル曽根とジャイアント何とかという大食い漢が、何度も
テレビに出ていた。
上寿司を200巻食べたギャル曽根。ハンバーガー、
大盛りラーメン・・・・・。とにかく何の意味があるのか
全く理解できないが、大食いすることを見せて「芸」に
しているとしか思えない人間がいて、その人を使い番組が
出来上がり、それを見て楽しんでいる人間がいる。
正月の目出度い時に言うのも憚るのではあるが、世界で
飢餓のひとたちは8億人を越えていると言われている。
世界の人口の15%。6、6人に一人の割合である。
大食い競争が番組化さて、それを見て喜んでいるいる
国民がいるのをベトナムから見ていると、日本も末期症状
を呈したかと思えてくる。
昨年「食品偽装』問題で揺れた日本。
確かに賞味期限を偽ったという行為は許されるものではないが、
マスコミも国民もそのことだけを追及している。
赤福餅。餅は、そもそも保存食品。カビが生えて、そのカビを
取って食べていたものである。
賞味期限が切れたからと言って、大量の食べられる食料を
捨てている日本。白い恋人、ミートホープ、吉兆・・・・・・。
賞味期限の偽装だけに目をやらず、大量の食品を捨てている
日本の現実を直視すべきだと思われてならない。
こんなに食べ物を「意味なく捨てていると」そのうち「バチ」が
当たるというものである。地球の温暖化で食料が取れなく
なることが予想されている。食料輸入率の高い日本である。
賞味期限偽装を怒るのであれば、せめて、コンビニや
スーパーに行った際には、賞味期限ぎりぎりの商品を
率先して買おうではないか? 賞味期限切れぎりぎりの
商品から先に買う運動くらいなら出来るはずである。
賞味期限切れぎりぎりの商品を買えば、数時間後に
「捨てられなくてすむ」のだ。せめて、その程度の気持ちは
持ちたいものである。
方や意味もなく食べ物が捨てられ、それを見て喜んで
いる人間がいて、飢餓で苦しんでいる人間がもう一方に
いる。この世界の抜本的な改革が必要だが、せめて、
意味のない「馬鹿食い競争」をテレビで煽るのは止めたい
ものである。もっと食べ物を大切にする運動をしたいもので
ある。食べられるものは、最後まで食べるという日本人の
伝統を回復したいものである。「美しい国」を主張した
皆さんには、是非その運動の先頭に立ってもらいたいものだ。
ベトナムは、見事に「食べ物」を大切にしている国である。
人参が曲がっていても、3分の1程度腐っていても
市場では売りに出され、買った人は腐った部分を切って
捨てて、食べられるところを食べている。
「子どもの家」の子どもは、1日3食70円程度で生活している。
こうして慎ましく生きている人間がいる半面で、食べる必要もない
のに無理して食べて、その苦しんでいる様子を見て喜んでいる
国民がいる。
2008年01月04日
具嶋先生ご夫妻と終日行動
終日曇り
気温18度。寒い。
午前7時朝食。
昨夜遅くまで飲んでいたりー君だった。「どんなに遅くまで
飲んでも良いが、決まった時刻にきちんと起きてくること」と
昨夜もリー君に念を押した。
今朝は、7時に朝食の席についていた。
朝食は、インスタントラーメン(10円)に空芯菜の乗ったもの。
朝食後、リー君は急いで1階~5階までの階段の掃除をし
喫茶店に行く。
午前9時前ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所2階会議室では、ソン先生による
日本語教室。日本料理店の子どもたちに日本語を
教えている。今日はリー君も参加。
午前9時過ぎ、具嶋先生ご夫妻と一緒に里子のアン君(7歳)
の家を訪問。バオミンさん・ロックさんも同行。
フエ市内から車で25分ほど。純農村地帯であるフーロック郡
に住んでいるアン君は、重度の脳性麻痺。手足が動かない
だけでなく、知的にも重い障害がある。父親は手伝いの
仕事があれば工事などの仕事をしている。母親は、
親戚の家を借りて、釘やペンキを売っている。
子どもはアン君の上に小学校3年生の次女、16歳の
長女(軽度の障害)の3人。長男も重度の脳性麻痺が
あったが、数年間、8歳で死亡。
父親と母親の平均月収は50万ドン(3500円)程度。
自宅がなく、親戚の家の倉庫のような1室を借りている。
アン君の家の台所
●燃料は、もみがら。
●もみがらを燃やして食事を作る
具嶋先生夫妻は、アン君とアン君のお母さんを励まし、
しばし交流する。
その後、アン君の家から「子どもの家」をへ。
セン運営委員長と懇談。
その後、子どもたちにお菓子やバッグなどのお土産を手渡す。
その後、「子どもの家」の各施設を案内する。
午前11時、子どもたちと一緒に昼食を摂る。
午後12時過ぎ、「子どもの家」からベトナム事務所へ。
電動バイクで「ハイリーホテル」へ。
午後12時半から1時間昼寝。
午後2時、ベトナム事務所へ。日記などの書き込み。
午後3時、具嶋先生夫妻、バオミンさんと日本語学校へ。
具嶋先生の専門であるDNAなどバイオの世界について
日本語学校の生徒に話をしてもらう。
午後4時過ぎ、具嶋先生夫妻とベトナム事務所へ。
事務所員紹介の後、3階の刺繍土産門店へ。
たくさんの刺繍作品を買って頂いた。
午後6時半、具嶋夫妻、バオミンさんと日本料理店で夕食交流。
ホンニー店長が注文を取る
リー副店長もビールを運ぶ
本日の来客13人。たくさんの来客で賑わう日本料理店。
午後9時交流終了。
2008年01月03日
具嶋先生フエ訪問
終日雨。
気温17度。
午前7時朝食。リー君は昨夜飲み過ぎ朝食に来ない。
玉子焼き入りフランスパン。税田さんは朝からベトナム事務所へ。
午前8時過ぎ、ベトナム事務所へ。
日本に何通かの年賀状を書く。メール受信・返信。
昼食。
午後12時半、昼寝。
読書「源氏物語」(葵の巻)
午後2時ベトナム事務所へ。
この間所在不明のホンニー日本料理店店長を呼んで
注意。この間の所在不明、無断欠勤について厳しく注意をする。
午後3時、フォンザンホテル ドン社長と懇談。
今後のプロジェクトについて話し合う。
午後4時過ぎ、フエ空港へ里親の具嶋先生ご夫妻を
出迎え。具嶋先生は有名なバイオの専門研究者。
年間100回以上国内航空を利用して講演会などを行っている。
講演会料の一部を何年にもわってJASSへ寄付をして頂いている。
また、アン君という在宅支援の子どもたちの里親も長年やって
くれている。
その後、市内のホテルへご案内。
一緒にフォーサイゴンでフェスティバルビールを飲む。
バオミンさんと一緒に。
午後7時、日本料理店へ。既に19人の来客あり。
大忙し。
今日からホンニー店長も仕事に就く。
日本語教師の千草先生も厨房の手伝い
午後8時過ぎ、「京滋YOUの会」会員でありホーチミン市の
駐在員の家族と過ごしているTさんご家族が「子どもの家」
支援にフエへお越し。
ホーチミン市から大量の支援物資を持ってきてくれた。
日本料理店で色々な話をしながら懇談。
その間もたくさんの欧米系のお客さんがぞくぞくと来店。
あまりにたくさんの来客があり厨房も接客もテンヤワンヤ。
厨房料理のチャンさんも料理を運ぶ係りとなる
午後9時半、昨日交流した日米の研究者ご夫妻来店。
午後10時過ぎ閉店。今日の来客28人。
この数ヶ月では最高の来客となった。圧倒的に欧米系の
お客さんが多い。
多くの欧米系のお客さんは「ロンリープラネット」という欧米では
一番ポピュラーな観光ガイドブックに「JASS MAN」と題して
私の活動と日本料理店が紹介されている。
また、日本のガイドブック「地球の歩き」にも日本料理店が
紹介されている。
更にトンチンカンホテル時代の日本料理店よりも現在の
ベトナム事務所1階の方が、フエ市の中心地にあり、
近くに欧米人用のカフェーやバーなどがたくさある。
また、フォンザンホテル、センチュリーホテルなどの
大きなホテルを中心にたくさんのミニホテルが集中している
「地の利」の良いところである。
トンチンカンホテルからベトナム事務所1階に日本料理店を
移転したことは、最良の選択であった。
28人の一般の来客は日本料理店の力量の枠を超えるほどの
数ではある。子どもたち、日本人スタッフの皆さんの頑張りで
何とか問題なくお客さんの注文をこなすことが出来た。
この2年ちょっとの日本料理店の経験は、子どもたちや
日本人スタッフの力量を大きく引き上げたといえる。
「ハイリーホテル」関係者全員で「ハイリーホテル」へ帰る。
またもやリー君からの緊急提案あり。受諾。
みんなで軽くビールで反省会。今日は、リー君が大活躍。
リー君がいなければ日本料理店は成り立たなかった。
みんなで日本料理店の盛会を祝って乾杯。
午前0時15分に就寝。
今日も長い1日であった。
2008年01月02日
仕事開始:日米学者ご夫妻を案内して
終日雨
午前7時。気温18度。湿度95%。
とにかく寒い。
午前7時朝食。野菜おかゆ。
日本料理店店長のホンニーさんがまだ「ハイリーホテル」
に戻って来ない。予定では、12月31日は戻ってくることに
なっていたのだが・・・・・・。
10分ほどで朝食を終えたリー君は、1階から5階までの
階段の掃除へ。そのあと、喫茶店でお茶を飲みたいという
計画がある。一応、「ハイリーホテル」の仕事の分担を果たす
という気持ちは芽生えてきた。
午前9時。アメリカの大学の社会学者、日本の福祉系大学の
学者ご夫妻を案内して「フエ平和村」「子どもの家」を案内する。
国際支援のあり方、ボランティアリズムなどを話す。
アメリカの先生からは、アメリカ社会の超格差の
実態を教えてもらう。アメリカ社会は貧しい人は
病院へも行けない実態。多くの貧しい人が切り捨て
られた実態。人口の1%の人々がアメリカの富の
60%を占有している事実。日本社会の行く末が
見えると言える。新自由主義の行き着く先は
社会の崩壊と経済の崩壊、そして人間の崩壊である。
午後12時半、「ハイリーホテル」へ。
昼食。
今日から日本語教師の千草先生が「ハイリーホテル」へ
引越し。今まで千草先生の部屋の整備が出来ていなかった。
今日から「ハイリーホテル」は、8人の住人となった。
午後1時過ぎから1時間ほど昼寝。寒い。毛布と薄い掛け布団を
使う。
読書「与謝野源氏」。短時間
午後2時半、ベトナム事務所へ。
今日から仕事開始。
バオミンさんといくつか打ち合わせ。
1月23日、フエからホーチミン市への飛行機の時刻が
変更されたとベトナム航空から連絡あり。フエ要人訪日
計画に多少の変更が必要。
午後9時過ぎにホーチミン市に着く様になる。
万一、この飛行機が飛ばなくなった場合、ホーチミン市へ
いけなくなる危険がある。午後フエから車でダナンへ
行くか、フエ発を早くするかを検討。
メール受信・送信。
午後5時過ぎに越僑家族が来店。フライドポテト、寿司、
日本酒などを飲む。
午後5時半、日本料理店夕食。
午後6時から次々に欧米系の来客あり。
ホンニー店長が所在不明。店長兼接客係りが
一人いなくなり、グエットさんだけでは欧米系の人への
接客は十分ではない。リー副店長が立ち上がる。
キビキビと欧米系の来客の注文を聞き、グエットさんや
調理係りに伝える。お客さんから料理内容の質問あり。
時々、リー君も日本料理が分からず説明できず。
調理担当のフエンさんも接客・会計の仕事を手伝う。
オランダ人、スイス人、カナダ人、アメリカ人、日本人
最終的には18人の来客。
今日は本当に忙しい1日だった。
午後7時過ぎに午前中フエ平和村や「子どもの家」を案内した
アメリカ・日本の学者ご夫婦来店。一緒の飲みながら日本社会、
アメリカ社会、新自由主義の実態、日米関係などについて
話し合う。
午後10時過ぎ、日本料理店閉店。日本料理店の入り口の
鍵が壊れてしまい、新しい鍵を臨時に使う。そのため
帰宅の時間が遅れる。
「ハイリーホテル」住人全員「護送船団方式」でホテルへ
帰る。途中交通事故、暗い場所もあり、安全確保のため
全員で帰る。
午後10時半過ぎ「ハイリーホテル」着。
リー君、ハー君、千草さんと飲む。
リー君が炭火焼のヤキ豚(とん)を買ってくる。
午前0時まで飲み就寝。
2008年01月01日
2008年 謹賀新年
2008年
明けまして おめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
世界から戦争をなくし、飢餓と不平等・格差のない社会を
作りたいと念願しています。世界中の子どもたちが、
安心して生活し学べる世の中にしたいものです。
人々がお互い助け合い、共生する世界にしたいですね。
特定の国・特定の社会階層の人々だけが「豊かな」生活
が出来る世の中を変えたいものです。
そして、憲法9条をなんとしても守って行きたいと決意して
います。
ベトナムの「子どもの家」を支える会
代表 小山道夫
ベトナムの「子どもの家」を支える会
JASSベトナム一同
家庭料理「子どもの家」一同
刺繍みやげ物店一同
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大晦日から雨。昨夜から明け方にかけて暴風。
午前7時、気温18度。寒い、寒い。
午前中に12月31日の日記を書く。
JASS関係者にメール年賀状を送る。
午後12時、日本料理店で新年のお祝いの会。
「ハイリーホテル」宿泊者でおせち料理を食べる。
内田さんから差し入れてもらった「昆布巻き」「カズノコ」
「めんたいこ」「味噌漬け」「お蕎麦」。
税田さん・ハンナ先生・千草先生・リー君・
トゥオイさん・ハイ君。
午後2時まで会食。
帯広の支援者の方から年賀の電話。
フエ師範大の教え子から年賀の電話。
雨の中「ハイリーホテル」に帰る。しばらく横になる。
寒くて部屋にいられない。毛布の中で一眠り。
午後8時。「奥の松 純米大吟醸」福島二本松:奥の松酒造)
を飲む。スルメを軽くあぶって醤油でねかせたおつまみで
吟醸酒を飲むのが最高に美味しい。
●ベトナム事務所に貼られた新年の掲示