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2008年01月02日

仕事開始:日米学者ご夫妻を案内して

終日雨

午前7時。気温18度。湿度95%。
とにかく寒い。

午前7時朝食。野菜おかゆ。

日本料理店店長のホンニーさんがまだ「ハイリーホテル」
に戻って来ない。予定では、12月31日は戻ってくることに
なっていたのだが・・・・・・。


10分ほどで朝食を終えたリー君は、1階から5階までの
階段の掃除へ。そのあと、喫茶店でお茶を飲みたいという
計画がある。一応、「ハイリーホテル」の仕事の分担を果たす
という気持ちは芽生えてきた。



午前9時。アメリカの大学の社会学者、日本の福祉系大学の
学者ご夫妻を案内して「フエ平和村」「子どもの家」を案内する。



国際支援のあり方、ボランティアリズムなどを話す。
アメリカの先生からは、アメリカ社会の超格差の
実態を教えてもらう。アメリカ社会は貧しい人は
病院へも行けない実態。多くの貧しい人が切り捨て
られた実態。人口の1%の人々がアメリカの富の
60%を占有している事実。日本社会の行く末が
見えると言える。新自由主義の行き着く先は
社会の崩壊と経済の崩壊、そして人間の崩壊である。


午後12時半、「ハイリーホテル」へ。
昼食。

今日から日本語教師の千草先生が「ハイリーホテル」へ
引越し。今まで千草先生の部屋の整備が出来ていなかった。
今日から「ハイリーホテル」は、8人の住人となった。

午後1時過ぎから1時間ほど昼寝。寒い。毛布と薄い掛け布団を
使う。

読書「与謝野源氏」。短時間

午後2時半、ベトナム事務所へ。
今日から仕事開始。


バオミンさんといくつか打ち合わせ。
1月23日、フエからホーチミン市への飛行機の時刻が
変更されたとベトナム航空から連絡あり。フエ要人訪日
計画に多少の変更が必要。
午後9時過ぎにホーチミン市に着く様になる。
万一、この飛行機が飛ばなくなった場合、ホーチミン市へ
いけなくなる危険がある。午後フエから車でダナンへ
行くか、フエ発を早くするかを検討。

メール受信・送信。

午後5時過ぎに越僑家族が来店。フライドポテト、寿司、
日本酒などを飲む。


午後5時半、日本料理店夕食。

午後6時から次々に欧米系の来客あり。
ホンニー店長が所在不明。店長兼接客係りが
一人いなくなり、グエットさんだけでは欧米系の人への
接客は十分ではない。リー副店長が立ち上がる。


キビキビと欧米系の来客の注文を聞き、グエットさんや
調理係りに伝える。お客さんから料理内容の質問あり。
時々、リー君も日本料理が分からず説明できず。


調理担当のフエンさんも接客・会計の仕事を手伝う。


オランダ人、スイス人、カナダ人、アメリカ人、日本人
最終的には18人の来客。
今日は本当に忙しい1日だった。

午後7時過ぎに午前中フエ平和村や「子どもの家」を案内した
アメリカ・日本の学者ご夫婦来店。一緒の飲みながら日本社会、
アメリカ社会、新自由主義の実態、日米関係などについて
話し合う。


午後10時過ぎ、日本料理店閉店。日本料理店の入り口の
鍵が壊れてしまい、新しい鍵を臨時に使う。そのため
帰宅の時間が遅れる。
「ハイリーホテル」住人全員「護送船団方式」でホテルへ
帰る。途中交通事故、暗い場所もあり、安全確保のため
全員で帰る。

午後10時半過ぎ「ハイリーホテル」着。
リー君、ハー君、千草さんと飲む。
リー君が炭火焼のヤキ豚(とん)を買ってくる。



午前0時まで飲み就寝。

投稿者 koyama : 2008年01月02日 18:04

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