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2008年01月12日

ベトナム事務所員会議:日本料理店17人来店

晴天

28度。半袖。


夜明けの太陽


午前7時朝食。インスタントラーメンで作った野菜焼きそば。
初めて食べた。子どもたちは色々な料理を工夫して食事を
作っている。


午前8時半、ベトナム事務所員会議。
昨年の最盛時は11人のベトナム事務所員だったが、
現在は8人。


(ソン)
    ・日本人の訪問者を案内し「子どもの家」へ。
    ・金曜日。日本料理店の子どもたちに日本語を教える。

(税田)
   ・会計報告、予算など会計関連の資料等の精査
   ・訪問者へ刺繍販売
   ・新日本語教師予定のNさんへの連絡・対応。
    3月中か4月に赴任の予定。

(ハン)
    ・会計関連諸帳簿の点検、会計報告書、・予算原案作成
    ・翻訳 在宅で支援している子どもたちから里親への手紙。

(ゴック)観光基礎コースのテスト
(千種)一人で授業をした。火曜日(復習)、金曜日(観光テスト)
    土曜日(研修生テスト)

(ハンナ)月、金  中級コース
      火、水、土 観光基礎コース
      金 観光基礎コース45課・46課テスト

(ミン)・Sさん、Kさんの案内。フォンザンホテル社長等
    ・具嶋先生の在宅支援のアン君の家。
    ・雨漏りする屋根の改修・ドアの取替えで350ドル程度
    ・1月22日・23日のボランティア貯金視察団の受け入れの
     準備をした。
    ・テト休暇  2月2日~2月11日まで。
           (ベトナム事務所・日本料理店)
     この期間、旅行等へ行くベトナム事務所員は事前に
     連絡先等を教えておいて欲しい。緊急連絡などのため。
    ・1月24日から訪日するフエ要人。訪日の飛行機切符を
     全員がなくしてしまった。今回から切符の書式が代わり
     普通の紙に印刷した「書類状」のものになった。
      皆さん、そうした変更を知らず、単なる連絡用紙と思い
     捨ててしまったとのこと。再発行の手続き中。

その後、1月22日~4月1日までのスタディーツアーなど
訪問者の日程予定表が配布される。17ツアーが予定されている。
今年の春も本当に忙しくなる。

ベトナム事務所員会議終了後、1月26日現地報告会用
資料作成。
ベトナム事務所のエヤコンが壊れる。業者を呼んで修理を
してもらうが、修理が出来ず、部品をもって行く。

午前11時半「ハイリーホテル」へ。

昼食。ご飯、魚の煮物、野菜炒め、野菜スープ。


食後、1時間ほど昼寝。

午後2時半、ベトナム事務所へ。月刊誌「子どもと教育」
の原稿を推敲。
更に原稿の内容にあった写真10枚を添付する必要がある。
船上生活者の子どもたちが多い「フールー小学校」、
上流階級の子どもたちが通う特別校「レロイ小」の
写真を撮りに行く。リー君に言ってオートバイタクシーを
紹介してもらう。リー君はその道の人たちに顔が広い、という
のか、路上生活、その後のやくざ時代にシクロさんや
オートバイタクシーの運転手などを大分「締め上げて」いる。
リー君が知り合いのオートバイタクシーを連れてくる。
フールー小学校、レロイ小まで「いくら?」と運転手に聞く。
「先生の言う値段でいいです」とのこと。リー君の「腕のすごさ」
というのか、運転手さんはリー君が怖いのだろうと想像する。

●フールー小学校

●レロイ小

午後3時半頃、外国人が日本料理店にやって来て
「JASS MAN」の小山に会いたいと言っていたそうだ。
リー君が小山は午後4時半頃日本料理店に来ると
答えたそうだ。英語を勉強していないのにやたら通じる
英語が出来る不思議なリー君ではある。

午後4時半、日本料理店で待っていると確かに
若い男女の欧米系の2人がやってくる。
ガイドブック「ロンリープラネット」で読んだ。話をしたいとのこと。
1時間ほど、日本料理店で話をする。ニュージーランドの学生。

午後5時半、日本料理店の子どもたち・スタッフの夕食。
私は生ビールを飲む。今夜もグエットさんから「先生の生ビール
は5杯以内です。飲みすぎると体に悪い」と言われる。

生ビールを飲んでいるうち、日本料理店が段々と混んできた。
午後9時までに17人もの来客。全て欧米系。家族連れも3組。

デンマーク4人、オーストラリア9人、スイス4人。計17人。


今夜の注文は、「寿司」2、生姜焼き定食2
てんぷら3、カツカレー2、野菜スティック2、きつねうどん1、
ハンバーグ定食1、餃子1、刺身盛り合わせ1、生ビール6杯、
生ジュース2杯。

厨房は戦争状態。日本人スタッフも手伝う。


17人全てが英語での注文取りとなった。リー君が大活躍。
グエットさんやホンニーさんが注文をとりに行くが、
「この料理は何で出来ているの?」などの英語の質問が
出ると答えられない。「リー君・・」と呼ばれる。リー君は
2時間ばかり、日本料理店内を縦横無尽に動き回り、
「御用聞き」状態となる。小学校卒という学歴ながら
立派に英語を駆使して注文をとった。
一人だけオースラリアの家族が来た時は、リー君の
英語が通じなかった。リー君が来て、あの外人の
話を聞いてくれと言ってきた。奥さんが妊娠中だが、
お刺身の盛り合わせを食べたい。この魚の中で
妊娠に影響を与えそうな魚は入っているか?
との質問だ行った。幸いマグロはなく、イカ刺しと
サーモン刺しだけだったので、「問題ないです」と
答えた。



午後9時過ぎ日本料理店閉店。
昨日から「明日の夜は飲みましょう」とリー君が言っていた。
リー君は閉店になったと同時に「ハイリーホテル」に直行、
日本料理店スタッフの「夜の反省会」の準備に入っていた。
なかなか頭の回る人間である。

日本料理店の皆さんが着替えて「一団」となって「ハイリーホテル」に
帰宅。日本料理店から「ハイリーホテル」までの途中が暗く
多少不安もあり、皆で帰ることにしている。
「ハイリーホテル」に戻ると、「夜の反省会」の準備は完璧に
整っていた。フダビンビール10本を氷水で既に冷やしている。
豚の腸をフライにしたおつまみも「揚げたて」のものを買ってある。
「ハイリーホテル」警備員のハイ君も楽しそうに飲んでいたい。


1時間ほど皆で交流。

1週間、ご苦労様。

今夜の日本料理店。2時あまりの間に17人もの来客があり、
多種多様な料理の注文があった。子どもたちは必死で
注文をとり、料理を作った。お客さんが帰るとき、多くの
方が「ここの日本料理は美味しかった」と言ってくれた。
日本料理店を開店して2年間。やはり、時間と経験が
必要である。
ここまで日本料理店を育ててくれた「鳥取の徳岡さん」
「茨城の中村さん」「オアシスの会の大塚さん」たちの
「教育・指導」があったからと感謝している。
子どもたちだけで全てをすることが出来る日本料理店が
ほぼ出来上がったと思っている。今後、日本料理店が
更に繁盛するようになったら「のれんわけ」をして、
家庭料理「子どもの家」の支店を出すことも夢ではない。

投稿者 koyama : 2008年01月12日 10:01

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