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2007年12月09日
休日
晴れ・雨・曇り
起床、午前8時。
フエに戻って2週間。色々と問題、課題も多い。
連日、朝から日本料理店終了までは仕事。
やはり疲れる。今日は朝、起きられなかった。
毎日忙しく、本を読む時間がなくて残念。
午前8時(日本時間午前10時)、テレビ朝日の
「サンデープロジェクト」を見る。
太陽が少し顔を出す。2週間ぶりに布団を干す。
しばらくして気が付くと雨が降り出していた。
急いで布団を取り入れる。
気候不順。
ベトナムへ戻って2週間。改めて日本を考える。
日本社会が「真っ当に働く人が真っ当に生きられない
社会」に変質しつつあることを嘆く。
年収200万円以下の労働者が30%、2000万人
に達しているという統計もある。憲法25条で保障
されている「国民の生存権」に基づく生活保護以下の
生活に「落ち込んでいる」労働者群。
生活保護所帯の給付金も削減されている。
日本中の都市、村落、地域が「崩壊」状況に
突き進んでいる。高齢者ばかりの土地・町・村が
日本中に蔓延している。
アメリカ並みに医療にも「貧富の差」が導入され、
国民皆保険は事実上空洞化している。
国民年金も事実上空洞化している。
徹底して「弱者」がいじめられ、切り捨てられている
日本社会である。
大もうけをしているのは、大企業のみ。
日本のテレビを見ていると朝から晩まで『大食い競争』、
豪華食べ歩きと関西系芸人の「おちゃらけ番組」
が横行している。
コマーシャルは、高価なファッション、電化製品、
装身具、化粧品、車などのオンパレード。
一体、日本はどうなっているのだろう?
杉並区立和田中が進学塾「SAPIX」と提携し、
夜間、生徒に受験・進学授業を行うという。
テレビは肯定的にこの事象を報道している。
学校が進学塾と化しても疑問すら感じない
日本のマスコミ。東大や有名高校に進学させる
ことが良いこととの日本の教育界の最近の
風潮に徹底的な疑義を感じる。
この概念で見たら私たちの「子どもの家」の
子どもたちは、多くの子どもが駄目な子どもとなってしまう。
教育は『人間を育てること』。有名校進学だけが教育の
目的ではない。
「馬鹿な政治家」がいるのは、「馬鹿な国民が選んだから」
という『定理』。
ガソリン代が1リットル150円と高価になったという。
しかし、一方で多くの国民は1リットル換算で300円ほどの
水やお茶のペットボトルを飲んでいるのである。
高い高いと騒いでいるガソリンであるが、その2倍の
値段で飲んでいる水のペットボトルは高くないのだろうか?
一昔前までは、電車の中や路上でペットボトルの水や
お茶を飲んだりする風習はなかった。中東から送られる
ガソリンの2倍の値段で水を飲んでいる国民・マスコミが
がガソリンが高いと言っている。
いちふくや白い恋人の賞味期限偽装を怒る国民。
しかし、毎日大量に捨てられているコンビニの弁当や
食べ物、食料品店の食料。
国民の「要望」で新しい弁当を食べたいとのことで
時間単位で弁当を捨てている。
スーパーやコンビニで製造時刻を見て、新しいものを
買う国民。食べられるものなら「古いものから買う」とい
国民にならない限り、賞味期限・消費期限の偽装を
追求することは出来ても、「壮大な食べられる食べ物を
捨てている国民」というレッテルをはがすことは出来ない。
世界の飢餓状況を見れば、日本が異常に食べ物を廃棄
している国民であることが分かる。こうした事実こそ、
報道すべきであり、国民的な論議の議題にすべきである。
結局、日本社会が「崩壊現象」を起こしている根源は
国民にある。一人一人の国民の意識・自覚が必要。
第2次世界大戦・アジア太平洋戦争で軍部や東条英機に
騙されたとの総括をして、あの戦争の反省を終わってしまった
我が日本。アジアで二千万、日本人三百万人以上もの命が
奪われアジア・太平洋戦争66周年(昨日)である。
今度も「政府が悪い、政治家が悪い」と人の
せいにして責任をなすりつけ、自分自身の総括をしない
のでは、歴史から学んでいないといわれてもしかたがない。
アジア・太平洋戦争の時、戦争「勝利」に一番酔ったのは
「犠牲者」である国民であった。シンガポール陥落など
アジア侵略のたびに「提灯行列」をして、侵略を祝い、
喜んだのも国民だった。
今、徐々に進行している「格差社会」。
小泉首相の郵政民営化選挙で「小泉チルドレン」を選らんだ
のも国民である。
いちふく、白い恋人への賞味期限改ざんへの非難は
正当なものであるが、まだ食べられる食品を大量に
捨てている我が日本そのものを自省する時期にきている
のではないだろうか、一人一人の国民が自覚をもち、
他人を非難するだけでなく、自分の出来るところで、
「行動を起こす」時期に来ているのではないだろうか
などと思う日曜日であった。
1日中、部屋の掃除。
投稿者 koyama : 2007年12月09日 13:09