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2007年12月14日

「子どもの家」関連の話し合い 

曇り時々雨

朝食午前7時、フォー。トンチンカンホテルで食べる最後の
フォー。

午前8時20分。バオミンさんと一緒にフエ市人民委員会外務部へ。
越日交流委員会開催。ニエン外務部長、セン「子どもの家」運営
委員長、私、バオミンさん。越日交流委員会は、ベトナムの
公的機関。「子どもの家」、静岡フエ青年交流会館、職業訓練センター
の3つを管理している最高決定機関。ニエン氏が委員長、私が
副委員長、センさん、イックホアンが委員という構成。
バオミンさんも事実上の委員。


「子どもの家」スタッフの勤務態勢問題を討議。
この数年、「子どもの家」への訪問者が増え、多くの訪問者が
「子どもの家」で昼食を摂るようになった。
現在、食事担当のスタッフは1名。子どもたち60数人分の
料理を作り、スタディーツアーでの来訪者がある時は、100人分
程の料理を作るということが増えた。
そこでセン運営委員長より、その対策についての相談。
現在、食事を「外注」するシステムがある。業者に食事を
委託する方法である。私の方では業者委託ではなく
「子どもの家」で子どもたちに合った食事を手作りすることに
意義があるとの意見を述べ、結論として、繁忙期などに
時間を決めた食事担当スタッフの採用を決める。

次にベトナムの学校で行われている「2部制」が徐々に廃止
されつつある現状のなかで、「子どもの家」の子どもたちを
どう指導していくかと言う問題。
「子どもの家」はベトナム社会の変化に合わせて常に変わって
いかなければならない宿命をもっている。
特に都市部の学校の「二部制」(午前組・午後組)を解消する
文教政策が進行している。まだ全ての学校で実施されている
訳ではないが、可能な学校から午前7時から午前11時。
午後1時から午後4時位まで勉強する学校がふえてきつつある。
それに伴い、昼間「子どもの家」にいる子どもたちが
相当減っている。それにも関わらず、「子どもの家」スタッフは
全員午前8時から午後5時までの勤務時間となっている。
午後5時以降は宿直1名が子どもたちを指導するシステムと
なっている。警備員は施設の警備だけ。

子どもたちが一番いる時間帯は午後5時から就寝までの
時間帯である。
現在の問題は、子どもたちの指導・お世話が一番必要な
夜の時間帯にスタッフが1人しかいなく、子どもたちがいない
昼間に多くのスタッフがいるという矛盾である。
子どもたちのお世話・指導が私が目指すもの。
種々協議の結果、勤務システムを変える原案を
考える。子どもたちが少ない昼間は、少ないスタッフで、
子どもたちがたくさんいる午後5時以降に多くのスタッフが
勤務するシステム。更に午後10時以降の宿直1名を
2名に増員し、子どもたちに一層手厚いサポートが出来る
よう「現実にあわせた勤務態勢」の変更を考えた。
セン運営委員長が具体的な勤務原案を作り、私たちに
提示。最終的に「子どもの家」スタッフと十分協議すること
となった。
何事も同じであるが、全てのものは「変化」する。変化の
現実を見る目をもたないと、どんなに立派な活動であっても
「古臭い」もの「無用のもの」に転化してしまう。
午前11時、会議終了。

昼食はコムディア。
体調不良。体がだるい。
昼寝。2時間。その後も起きる気力なし。

何とか起きて、必要なメールの返事を書く。
2008年1月・2月の訪問者への対応。

バオミンさんは、地球の歩き方ミニツアー
を見送りにフエ空港へ。

午後4時、明日引越しをし、新ホテルに泊まる
ホンニーさん、トゥオイさん、リー君の3人を
呼んで「新ホテル」での生活の諸決まり等を
話す。門限、毎日の生活、新ホテルでお互いが
楽しく生活していけるような様々な約束事を
話す。午後5時45分まで。


午後5時50分から日本料理店で子どもたちと夕食。

日本料理店は来客ゼロ。こうした日もある。

午後9時、日本料理店閉店。

トンチンカンホテルへ戻り、明日の引越しの最後の
準備をする。

引越し荷物は、ダンボールで20箱ほどの量になる。

長崎県佐世保市の銃乱射事件。恐ろしい国になったものだ。
二人の亡くなられた方のご冥福をお祈りする。文字通り、
「不慮の災難」である。

日本という国家・社会そのものが、急激な崩壊現象に
突入しているやに思われる。

「消えた年金問題」。2008年3月までに5000万件の
全てを調査し、最後の一人まで徹底して究明すると
の安倍首相を筆頭とする自民党の選挙公約である。
福田首相は「公約を覚えていない」と平然と国会で
答弁している。
多弁癖のある舛添厚生労働大臣。マスコミで大見得を
切っての発言を多発していたが、今や、「あれは公約ではない」
と裏切り発言に終始。政治家の命である「言葉」に全く責任感
を持てなくなった政治家の群れ。

C型肝炎問題でも舛添厚生労働大臣は、「甘い言葉」を
マスコミの前で連発していたが、いざ本番となった途端に
「裏切り」に終始。

政治のトップがこのざまである。防衛省が汚職だけに
終わらず、護衛艦「しらね」で火事を起こすという醜態を
さらけ出している。

政治から銀行、大企業、そして偽装問題と国家崩壊現象
の真っ只中である。私もその国家崩壊現象の責任の
一端を担っているのである。その自戒だけは持っている。


国際貢献を主張し、与党は「新テロ特措法」を延長国会で
成立させることが『国際貢献』と言っている。

国連機構変動枠組み条約締結国会議(CO13)
「バリ・ロードマップ」の会議で、温室効果ガス削減の
数値を記述したした議長提案に反対しているアメリカに
日本は追随している。EUは、数値記述を主張。
議長国インドネシアの示した議長案では、
先進国は2020年に1990年比で25%~40%
削減」との原案を削除している。これはアメリカと
追随国家日本の反対によるため。
国際貢献を言うのなら、バリ・ロードマップ」でこそ
削減数値目標を明記することを主張しているEUと
一緒になりアメリカを説得すべきなのである。
これこそ、文字通り「国際貢献」なのだ。

クラスター爆弾禁止条約の会議。日本はアメリカと
ともに禁止条約に反対した。
クラスター爆弾の禁止を先頭に立って主張することこそ
「国際貢献」なのだが・・・・・・
どこか狂った国際貢献論である。

そんなことを考えながら、トンチンカンホテル最後の夜を
過ごしている。


投稿者 koyama : 2007年12月14日 20:25

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