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2012年12月31日

2012年 読書録

2012年 読書録

1月
① あの戦争はなぜ負けたのか(半藤一利・保阪正康・中西輝政
              戸高一成・福田和也・加藤陽子著
              文春新書)
② ホーチミンルート従軍記(レ・カオ・ダイ著古川久雄訳:岩波書店)
③ 数学物語(矢野健太郎著:角川文庫)
④ 官邸崩壊―日本政治混迷の謎(上杉隆著:幻冬舎文庫)

2月
⑤「生首―詩文集」(辺見庸著:毎日新聞社)
⑥「観月観世」(曽野綾子著:集英社)
⑦「不破哲三 時代の証言」(中央公論新社)

3月
⑧「資本主義以後の世界―日本は文明の転換を主導できるか」
  (中谷巌著:徳間書店)

⑨「東アジアの未来―安定的な発展と日本の役割り」
  (一ツ橋大学東アジア政策研究プロジェクト編)
    東洋経済新報社)

4月

⑩「世界史 上」(ウイリアム・H・マムニール著:中公新社)
⑪「世界史 下」(同上)

5月
⑫ 「遊牧民から見た世界史」(杉山正明著:日経ビジネス人文庫)
⑬ 「20世紀を作った経済学」(シュンペーター・ハイエク・ケインズ)
   根井雅弘著:筑摩プリマー新書)

7月 「死と滅亡のパンセ」(辺見庸著:毎日新聞社)
 
 
8月
⑭ 「マルティン・ルター」(徳善義和著:岩波新書)
⑮ 「イギリス帝国の歴史―アジアから考える」(秋田茂著:中公新社)
⑯ 「聴衆の誕生ーポスト・モダンの音楽文化」(渡辺裕著:中公新社)


9月


10月

⑰「独裁入門」(香山リカ:集英社新書)
⑱「反ポピュリズム論」(渡辺恒雄著 新潮新書)

11月
「ルポ 子どもの貧困連鎖―教育現場のSOSを追って」(保坂渉
池谷隆著:光文社)
「創氏改名―日本の朝鮮支配の中で」(水野直樹著:岩波新書)
「団塊の世代は何だったのか」(由紀草一著:洋泉社)
「江戸語・東京語・標準語」(水原明人著:講談社)
「大奥の奥」(鈴木由紀子著:新潮新書)
⑲「安心のファシズムー支配されたがる人々」(斉藤貴男著:岩波新書)
⑳「一度も植民地になったことがない日本」(デユラン・れい子著;講談社)
21「メディチ家」(森田義之著:講談社現代新書)

12月
22 「丸山眞男―リベラリストの肖像」(苅部直著:岩波新書)
23 「安南王国の夢―ベトナム独立を支援した日本人」(牧久著:ウエッジ)
24 「利他学」(小田 亮著:新潮選書)

投稿者 koyama : 09:45 | コメント (0)

2012年12月26日

全教千葉女性部関係者の皆さんとナムドン山岳地帯へ

午前8時半、全教千葉女性部関係者、バオミンさん、リー君と
マイクロバスに乗り、フエ市内を出発。

午前10時半、ナムドン山岳地帯にあるカトゥー族の村の
「トゥオン・ロー小学校」に到着。

全教千葉女性部関係者の皆さんが、長年子どもたちに
奨学金を贈呈している。今回の訪問は、奨学金贈呈の
効果と現状の視察である。

トゥオン・ロー小学校の子どもたちが出迎えてくれる


その後、校長室で校長先生と懇談





奨学生を代表して女子児童の感謝の言葉
(しっかりと「暗記」した言葉を言っていた)


児童代表から山岳地帯で採れた季節の花の贈呈



奨学生一人ひとりの名前と成長の軌跡を写真に撮る


リー君も写真撮影の手伝いをする。
(リー君参加は、全教千葉女性部関係者の希望による)

校長先生との懇談会の後、各教室を回り、子どもたちと
工作をする。四角いボール紙にタコ糸を通し「ブンブン」
を作る。


その後、学校付近のレストラン風の大衆食堂で昼食

午後1時半、ナムドン山岳少数民族「カトゥー族」の
集会場へ交流会。


既に村民が集まっていた。

村長さん、文化部長さんの挨拶


支援物資の贈呈

村の長老が「水牛の角笛」を披露してくれる



村人と民族の踊りを踊る




その後、村人と交歓会

午後5時、フエ市内へ戻る。

午後6時半から日本料理店で交流会

今日のメニューを紹介するグエットさん。
サポートする富岡先生(日本料理店担当副責任者)

午後8時過ぎ時まで交流会は続く。

投稿者 koyama : 22:13 | コメント (0)

2012年12月25日

第17回クリスマス会

午後5時半から「第17回クリスマス会」が始まる。
会場は例年の「ズイタン(維新)ホテル」

このクリスマス会は、内田さん主催で1995年から
開始され、今年で17回目を迎える。
はじめに内田さんにお礼を申し上げたい。


司会はフーン日本語部長と富岡先生


ゲストとして里親の上原さんも参加

フエ市人民委員会からは、ニエン外務部長、ホアン外務部
副部長も参加。

日本料理店のトウオイさん、ヒエンさんも参加。


恒例のクリスマス会を楽しむ子どもたち



日本料理店のグエットさん、フエの高校の化学の先生に
なる予定のトゥーイさんも参加。


右、来年、高校の生物の先生を目指しているターオさん。



主催者の内田さんの「開会の挨拶」


ベトナム生まれの内田さんには、心のどこかに
ベトナム人の血が流れているのかも知れない。
17年間も一つのことを続けることは、めったに
出来るものではない。


続いて「子どもの家」運営委員長センさんの挨拶


内田さんの「乾杯の音頭」でいよいよクリスマス会が
始まる。


普段大人しい子も乾杯になると大声で「1、2,3」と叫んで
いた。




「子どもの家」では内田さんは、女性「サンタさん」のような
存在。






日本語教師の皆さんと
左から フオン先生→澤井先生→春口先生→フーン部長

「子どもの家」のベトナム人スタッフ

左から 料理担当ムオイ先生→臨時スタッフ→財政ハン先生
→子ども担当キムアイン先生(1993年から私と一緒に
子どもたちの支援をしてくれている。20年の付き合い)

クリスマス会の食事 海鮮スープ

アヒルの煮物

ベトナム事務所・「子どもの家」スタッフ・内田さんと
交流




乾杯は長く続く。左から2番目ターオさんは
来年幼稚園の先生になる予定。先日母親を亡くし、
天涯孤独の身の上となったが、「子どもの家」で
10数年生活しているのでたくさんの「兄弟姉妹」が
いるので、寂しくないようだ。

左(10月にフエ医科大学に合格し通学している)
中(2013年1月からフエ市内の小学校の先生として赴任)
右(国立フエ科学大付属高校という難関高校に合格)

左(フエ芸術大学油絵科5年生。2013年10月から高校か
  中学の美術教師に)

乾杯→会食の後、「ビンゴゲーム」を


ビンゴが出来た人には、内田さんから商品が

以前、TBSテレビの「学校へ行こう」で船上生活の家庭の
子どもだったAさんを「子どもの家」へ入所。元気に
勉強し、健やかに成長している。

ビンゴゲームが終わり、いよいよ「メイン・イヴェント」の
カラオケ大会





カラオケ大会は、「子どもの家」セン委員長の採点で
優秀者には賞品が贈られた。


午後8時半閉会

「子どもの家」の子どもたち全員に内田さんから
クリスマスプレゼント

投稿者 koyama : 10:39 | コメント (0)

2012年12月24日

ザーホイ高校長来訪

昨夜は大雨。終日曇り、寒い 外気温10度台。

午前7時朝食。フォー・ボー(牛肉米麺)


午前中、2013年2月17日(日)東京駅八重洲中央口徒歩2分
「あすか会議室」(ダイヤ八重洲口ビル3F303号室)で
行われる「JASS現地報告会}関連の各種文書・書類作成。

体調はまだ不調。

午前11時半、昼食。「チャオ・バイン・カイン)

午後1時間半ほど昼寝。

バオミンさんから電話。午後3時頃、ザーホイ高校の
校長先生と奨学金担当の先生が、年末の挨拶に
来られるとのこと。

午後3時前、徒歩でベトナム事務所へ。

フエ省立ザーホイ高校校長と奨学金担当の先生来訪。


今年は、ザーホイ高校卒業生のNGAさんが、フエ観光大学に
合格した。また、「子どもの家」中学4年生(日本の中3)の
ヒエウ君がザーホイ高校に合格した。

校長先生からは「JASSの10数年間の奨学金贈呈」に
感謝の言葉。私からは、毎年、何人かの子どもたち
がザーホイ高校に入り、お世話になっていることに
お礼を申し上げる。

その後、懇談。ベトナムの高校の試験は、ハノイ文部省で
作成。全国統一試験となる。従って、その学校全体の
平均点も算出され、ハノイ文部省は、全国3000校の
順位を発表する。コックホック高校が全国11位。
グエンフエ高校が全国110位くらい・・・・。ザーホイ高校は
全国600位とのこと。

今後もJASSとザーホイ高校で提携し、貧しい子どもたちの
ためにお互い努力することを話し合う。
校長先生は既に7年間、ザーホイ高校の校長先生をされて
いる。


午後5時、徒歩宿舎へ帰る。

いくつかの書類つくり。

体調はまだ快調とまではいかない。
困ったものである。
これから年末の諸行事がたくさんある。
何とか、体調を回復させたい。最大の方策は
休息のみ。

投稿者 koyama : 18:38 | コメント (0)

2012年12月22日

緊急打ち合わせで「子どもの家」へ

終日小雨・曇り 蒸し暑い

午前6時半起床

午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
脂が強すぎて食べられない。頑張って3分の1ほど食べる。


バオミンさんから連絡があり、「子どもの家」へ。

セン運営委員長と話し合う。


午前11時半過ぎ、ベトナム事務所まで車で帰る。

ベトナム事務所から徒歩宿舎へ。

バオミンさんや日本人スタッフは、内田さんと
昼食に行くが、私は体調と食欲がないので、失礼し
宿舎へ。

昼食 ご飯を煮込んだ「おじや風」。やはり脂が多く
あまり食べられない。

その後、ベッド寝ている。

体温 37度2分。


日本からのいくつかのメールに返信。

明日訪越する里親のUさんのフエ到着便が遅れるとの
連絡あり。バオミンさんに連絡し、明日、出迎えに行く
予定のベトナム事務所員のANHさんに連絡してもらう。

そのまま「うつら・うつら」寝てしまう。

大した発熱ではないのだが、それでも食欲と勤労意欲
がなくなる。しかし、私に与えられた仕事はしなければ
ならない。


投稿者 koyama : 18:52 | コメント (0)

2012年12月21日

体調崩す

午前6時半起床

午前7時、ブンボー(牛肉米麺)
臭いと味がきつく、鼻につき食欲なし。



体がだるく終日寝ている。1時間位熟睡し、その後ウトウト
睡眠。

内田さんから電話。

午前11時半、昼食。「春雨麺」。数口食べるが、それ以上
口に入らない。


横になる。

バオミンさんから電話。

新しい体温計をソン君が持ってきてくれる。

7度3分。

ブライセン本社と電話連絡。


夕方までバオミンさんと電話で打ち合わせ

午後6時過ぎ、疲れて横になる。

投稿者 koyama : 20:38 | コメント (0)

2012年12月20日

風邪。終日寝ている。

午前6時半起床。

午前7時朝食。「フォー・ボー」(牛肉米麺)6割ほど食す



午前8時半頃、内田さんから電話。体調を伺う。
昨夜に比べると良くなり、ほとんど問題がない状況との
こと。食事もしっかりと摂れているとのこと。
薬疹の疑いあり。大きな問題がなく一安心。

大事をとって、今日予定していた日程を全てキャンセルする。
今日は1日、休養してもらう。

多数の受信メールあり。一部返信。

バオミンさんと電話でいくつかの打ち合わせ。

1時間ほど仕事をしたが、だるくて仕事にならない。

しばらく横になる。 体温を測る。37度3分。
喉の少し前と口内に2つ、合計3つの口内炎が
あり、食事をすると沁みる。

朝食後、風邪薬を飲む。


午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン
食べきれない。半分残す。

昼食後、1時間ほど横になる。


バオミンさんといくつかの件で打ち合わせ。

午後3時過ぎから横になり休む。

体がだるく、考える気力なし。


そのまま、夕食を摂らず、寝る。
人間の体とは微妙なものである。少し熱があると
食欲が極端に減退する。

発熱は一種の人間の自己防衛措置。熱でウイルスを
殺す作業中と考え、横になって寝ていることにする。


投稿者 koyama : 19:44 | コメント (0)

2012年12月19日

内田さんと「チャオ・バイン・カイン」を・・・・

曇り・時々雨。

午前5時起床。体が「だるい」。


午前7時、朝食。「ブン・クアー」(蟹米麺)



午前8時過ぎ、徒歩ベトナム事務所へ。

午前8時半、ハイバーチュン高校の
副校長とホーチミン青年団担当教員が
ベトナム事務所来訪。


1時間ほど懇談。

ベトナムには、約3000の高校があるとのこと。

1番から3000番までランクがついているという。

ハーバーチュン高校は、全国3000高校の中で
120番台だか130番台、グエンフエ高校は
120番台。コックコック高校は全国11番とのこと。
何を基準にこうしたランクがつくのかの詳細は
定かでないが。多分、全国共通の進級試験、
卒業試験などを使ってのランキングなのだろう。

コックコック、グエンフエ、ハバーチュンは、それなりに
ベトナムでは「優秀な人材」が集まっているのだろう?


日本の高校は5000校超。


一度、徒歩で宿舎へ帰る。


午前11時、宿舎の近くまでタクシーが来てくれる。
バオミンさん、内田さんと一緒にタクシーで
「チャオ・バイン・カイン」のお店へ。

日本人スタッフ(富岡・後藤・澤井・春口の各先生)


ベトナム人はチャオ・バインカイン(米とキャッサバ芋)
に唐辛子を入れる。ベトナムの唐辛子はとにかく辛い。


小山の「チャオバインカイン’の唐辛子



ソン君の唐辛子の赤さ



バオミンさんの「異常な辛さ」


午後1時宿舎へ帰る。

体調が悪い。

体温を測る。27、4度。少し熱がある。
フエで流行っている「風邪」を引いたようだ。

午後1時から午後4時まで休む。

バオミンさんから電話。内田さんが体調を
崩したとのこと。

バオミンさんと話し、明日は無理をしない
日程にするよう話す。

バオミン・ホテルに投宿している内田さんに
電話。嘔吐等の風邪の症状が出ているとのこと。
フエの医師を呼んで診療を依頼したと言う。

明日は、1日、ゆっくり休養が必要と思った。
ソン君の携帯電話を通して、内田さんから電話あり。
体調が悪いとのこと。嘔吐、赤発の発疹・・・・・・。

とりあえず、明日は無理をしないようにお願いする。

今日は体調が悪いので、おかゆにしたとのこと。
おかゆが多いので、私にもおかゆをお裾分け
してくれる。15分後にソン君がおかゆを
持ってきてくれた。感謝。

私も風を引き、ダルさと発熱、食欲不振・・・・・

2013年1月4日までは連続しての活動がある。

投稿者 koyama : 20:45 | コメント (0)

2012年12月18日

内田さん・ソン君一家と夕食

午前5時半起床。曇り・夕方小雨


午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉手打ちうどん)



午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

内田さんがベトナム事務所へ。



ベトナム事務所員と挨拶




その後、徒歩帰宅。当面の諸問題について考え、
文書を作る。2月17日の現地報告会、静岡訪問、
京都訪問、沖縄訪問の細かい日程と手順を
考える。

午後、読書。

「安南王国の夢」牧久著。

結局、ベトナムのファンボイチョウなど東遊運動の参加者
などは、日本の「南進」「北部ベトナム進駐」「南部進駐」
によって、ベトナムのフランス植民地から解放されるとの
「幻想」に惑わされた。日本軍部・政府は、クオンデなど
ベトナムの反仏闘争を展開するベトナム人を結果的には
利用し、フランスと妥協し、フランスの宗主権を容認・
妥協した上でのベトナムへの軍事侵攻だった。
多くのベトナムの反仏闘争の闘士は、日本軍部の
言動を信じ、フランスとの闘争に入り、多くのベトナム人
闘志を失っている。

午後5時半、徒歩で日本料理店へ。
内田さん・ソン君・メンさん一家と夕食会。


午後9時前終了。

投稿者 koyama : 23:10 | コメント (0)

2012年12月17日

ブライセン社長等支社訪問ー帰国:内田さん来訪

午前5時起床

晴天

午前7時朝食。フォー・ボー・ハノイ(牛肉米麺)


午前9時、ブライセン本社役員3人が支社を訪問



ブライセン支社員と懇談




その後、ブライセン本社社長・取締役・部長と
私、バオミンさんで今後のブライセンの課題・取り組み方向
などを話し合う。


その後、フエ省が計画実施しているフエ郊外の新住宅区域を
査察。事務所へ行き、説明を受ける。


午後12時、チャオ・バイン・カインの
店へ行き昼食を摂る。



バオミンさんのチャオ・バイン・カインは、唐辛子一色。

私のチャオ・バイン・カイン。これでも相当辛い。


午後2時半、ホテルを出発し、フエ空港へ。

午後3時過ぎ、フエ空港着。



午後4時過ぎの飛行機で内田さんが来訪の予定。

バオミンさんと私はフエ空港に残る。

そのうち、ソン君・メンさん・バオ君一家が内田さん
出迎えのためフエ空港へ到着。


ソン君・メンさんの一人息子「BAO君」。1歳半。
随分、大きくなった。



聡明そうな顔つきである。


中学生位から「子どもの家」で付き合っているメンさん。
すっかり「お母さんの顔」になっている。



午後4時半、内田さんが無事フエ空港へ到着。
50歳になっても元気な足取りである。


フエ空港からバオミン・ホテルまで内田さん・ソン君一家と同行。

午後5時半、フエ市内の大衆食堂で「リー君」と待ち合わせ。

一杯飲む。そのうち、「先生、00君を呼んでいいですか?」と
リー君が聞く。「いいよ」というと電話をする。


結局、「子どもの家」生徒会長で現在ブライセン勤務のチュン君。
「子どもの家」在宅支援のホア君。現在、ブライセン勤務の
二人を呼び出す。


2時間ほど、ブライセンの仕事、リー君の結婚問題などを
話し合う。

私は相当疲れたので、途中で退席。

チュン君が宿舎まで送ってくれる。

投稿者 koyama : 21:00 | コメント (0)

2012年12月16日

VU君の子どもの命名式のお祝い会:ブライセン社長一行夕食会

午前5時起床

終日快晴・真夏。

午前7時、昨日料理のセンさんが作ってくれた
「チャオバインカイン」(小麦粉の手打ちうどん)を
温めて食す。


洗濯。トイレなどの掃除。


フエ市訪日団の訪日日程の最後の部分の航空日程
を調査する。なかなか良い航空旅程が決まらない。

何人かの支援者からのメール受信、送信


午前10時45分、フォンザンホテルへ。

ブライセン藤木社長一行、バオミンさんと「VU君の長男の
命名式(誕生1カ月)へ。現在、VU君は「子どもの家」の
裏の方に住んでいる。

VU君とは19年前からの深い付き合いだ。1993年10月に
作った「チーラン通り」の「子どもの家」から支援し、
大学卒業までの生活費等をJASSや内田さん・柳沢さん
たちと支援してきた。VU君は天涯孤独の身の上。
JASSや内田さん・柳沢さん・高橋さんたちの支援が
なければ学校へも行けず、今日のVU君はなかったことは
事実である。

JASSの19年に渡る支援、生活、通学、大学までの支援の
後、私がブライセン支社長をしている関係で、VU君をブライセン
に入社させる。そうした多くの日本人の19年に渡る長い支援
援助こうして一人のベトナムの若者を自立させ、家族を持ち
お子さんが出来、幸せな人生を歩めるようになったことを
JASSの皆さんと共に喜びたいと思う。

ブライセン支社員全員、JASSベトナム事務所員等参加。

VU君の友人、親戚等も若干参加。

ブライセン社長・取締役・部長・バオミンさんと私



VU君のお子さん


VU君の奥さんとお子さん



バオミンさん・富岡先生・後藤先生

お客さんに挨拶をするVU君



ブライセンベトナム支社員


2時間ほどの会。

午後1時半過ぎ閉会。VU君とお子さん、家族の幸せな人生を
願う。


車でフォンザンホテルへ。

その後、宿舎へ。午後2時過ぎ宿舎着。

1時間ほど昼寝。

その後、当面のいくつかの仕事をする。

午後5時45分、宿舎を出てフォンザンホテルへ。

ブライセン藤木社長一行、バオミンさんと
夕食会場へ。

ここはフエ市人民委員会のレストランだったが、
従業員の勤務態度、料理の出来当は劣悪だった。
(以前、何度か来たが、料理はまずし、従業員は
威張った態度・注文等で従業員を呼んでも
ベチャ・ベチャ従業員同士で話しをしていて、
お客無視の態度が続く。当然、大赤字のレストランだった。
その後、フエ市人民委員会が民間に土地を貸す。

レストランから造園まですべて民間会社が作り直し、
立派なレストランとして蘇る。
料理も美味しい。

総選挙、自民圧勝。有権者は安部氏に全権委任した訳ではない。
今後の行動に注視していきたい。

投稿者 koyama : 18:15 | コメント (0)

2012年12月15日

ブライセン藤木社長一行来訪

午前5時起床  快晴 真夏

午前8時 気温26度  湿度90%

午前7時 朝食。ブンボー(牛肉米麺)

午前中、関係者とメールで連絡

午前11時半、昼食。豚肉のおじや

午後1時間ほど昼寝。

朝食、昼食を取りながら読書「安南王国の夢」牧久著。

明治ーファン・ボイ・チャウの「東遊運動」。

その後、フランスとの日仏協約で「ファンボーチョウ」も
「クオンデ」も日本から国外追放される。

途中経過があり、日米戦争・アジア・太平洋戦争に
突入する1930年代に入ると「クオンデ」などのベトナムの反仏勢力
は、日本の「大東亜共栄圏」設立に「利用」協力する方向を
取る。この頃、中国にいた「阮愛国」がインドシナ共産党を
設立し、共産主義の立場から反仏闘争を行う。

本書を半分ほど読んだ段階だが、フランス革命を経験した
人類は、基本的には封建制絶対王政を打倒し、人民主権
国家設立に向かっていた。その中で「ファン・ボイ・チャウ」
がクオンデ王子を立てて、絶対的封建制権力を利用して
フランスからの独立を勝ち取る「反仏武装抵抗闘争」を模索
している。世界史の流れはヨーロッパでの「絶対王政の打倒」
と人民主権、1917年のロシア革命によるロマノフ王朝の打倒、
中国の辛亥革命による清朝滅亡と「絶対王政」打倒と
人民主権の流れになっていたことは事実である。
ホーチミンの抗仏戦争を通しての社会主義革命路線は
当時の大きな時代の流れに合致していたのかも知れない。
ファン・ボイ・チャウの東遊運動で300人ほどのベトナム青年が
日本で学び、フランス帝国主義からベトナムの解放を望み
学習した。そのうちの一部は、日本で共産主義理論を
学び、1930年代のホーチミンベトナムへと合流し、
その中心になっていく。

300人のベトナム人留学生を受け入れた日本人は、
明治の藩閥政治に反対し、下野した犬養毅、大隈重信
などであった。

明治から日本敗戦までの間に力を持った
「大アジア主義」「欧米侵略・植民地化からアジアを解放する」
思想は、最終的には「大東亜共栄圏」思想に帰着し、
アジア人(日本人)によるアジア侵略の思想的支柱に変貌して
いった。本書はその視点が極端に弱いか欠落している。

午後3時半、バオミンさんと一緒に車でフエ空港へ。

午後4時過ぎ、ブライセン一行3人がフエ空港着。

午後5時前フォンザンホテル着。チェックインをし、
しばらく休息し、ブライセンベトナム支社員が待つ
「歓迎レストラン」へ。
ブライセン藤木社長・太田社外取締役・かまた部長
と一緒にブライセン支社員が待っているレストランへ。





午後8時過ぎ、本社社長・社外取締役・部長、ベトナム事務所
支社員との懇談会を終了。

=====
明日の総選挙、憲法改悪・破棄勢力の衰退、
脱原発・TPP阻止・消費税率アップ阻止・
沖縄の米軍基地撤去など、諸要求貫徹の
勢力が相対として躍進することを願っている。

投稿者 koyama : 16:46 | コメント (0)

2012年12月14日

日本人訪問者と話し合い

午前5時起床。朝、小雨。日中晴天。

午前7時朝食。フォー・ガー(鶏肉入り米麺)



午前中は、2013年2月17日の「JASS現地報告会」に
参加するベトナム人7人の訪日・帰国の飛行機日程を
調べる。なかなかうまい方法がない。


午前101時15分、バオミンさんといくつかの問題について
話しあう。

宿舎から往復30分を歩く。もう少し歩く距離が欲しい。
工夫する。

午前11時半、昼食。

茶色の玉子のようなものは、果物?  ベトナムに20年住んで
時々は食べたが、異臭漂う。


午後1時間ほど昼寝。

午後1時40分、徒歩でベトナム事務所へ。
日本人訪問者と2時間半程話し合う。


その後、バオミンさんといくつかの件について1時間半程
話し合う。

日本の次男から電話。

バオミンさんもパソコンが壊れてしまったとのこと。
私もデスクトップのパソコン(買ったばかり)が
壊れてしまう。使用不可。困ったものだ。
明日の土曜日に修理してもらう予定。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1945年12月14日、兄 小山一義が中国で死亡した。
8月15日の「敗戦」を中国で迎える。中国の中部、
山西省太原市で敗戦を迎えた我が家族は、
東海岸へ向けて「逃避行」。食べ物、薬もない中で
荷物も持たず、東海岸へ向けて歩く。
兄は、途中で力尽き、栄養失調と風邪をひき、気管支炎
から肺炎になり、敗戦後4ヶ月。ついに5歳の命が
尽きたのだった。8月15日以降に亡くなった人間は、
戦争の犠牲者にとしても扱われない。
悲しい、5年間の命であった。

兄、一義を思い出す人間はいなくなった。両親が亡くなり、
母親の兄弟12人全員がなくなり、父方の兄弟もほどんど
亡くなっている。小山一義という5歳の命がこの世にあった
事自体を思い出す人間すらいなくなった。
せめて、弟の私だけでも、兄が5年間、この世に生を受け
存在したいたことを思い出してやりたい。合掌。

兄の無念な死の原因は、戦争である。どんな理由があっても
戦争には反対である。今度の選挙は、再び、67年前の
不当な犠牲を庶民に強いる戦争国家に日本が入って
いくのかどうかを選ぶ選挙である。「断固とした対応」などと
呼号している一部の政党の連中が戦争にいくのではない。
今の若者が戦争に行き、死んでいくのだ。
兄の67回忌にあたり、戦争反対、憲法9条死守を改めて
誓うのであった。

投稿者 koyama : 20:52 | コメント (0)

2012年12月13日

終日、宿舎で仕事

朝小雨、その後、快晴。気温30度。午後曇り。


午前7時、朝食。「精進麺」
今日は旧暦11月1日。フエでは精進料理を食べる日。

午前中、2013年2月17日の東京駅付近での
「現地報告会」、2月18日の静岡市長表敬訪問、
2月20日の京都市との「パートナー協定調印式」、
京都大学訪問などの日程調整を行う。


午前11時半、昼食。

ラーメン様の麺類

読書「安南王国の夢」(牧久著:ウエッジ)
興味深い内容。

午後1時間程昼寝。

その後、12月5日から17日までブライセン本社社長等3人の
フエ来訪の準備。

12月17日から12月27日までフエ来訪の内田さんの日程
調整。

12月23日から来訪する里親の上原さんの日程調整。
12月24日から来訪する「全教千葉女性部関係」の皆さんの
日程等総合調整。

午後4時から1時間ウオーキング。交通事情が悪く、
この時刻のウオーキングはしたくないのだが、時間が
ないので・・・・・。

ーーーー
中国の航空機が日本の領空を侵犯したとのこと。
北朝鮮がミサイル発射に事実上成功した。

丁度、日本は総選挙の最中。4日後の12月16日が
投票日。中国、北朝鮮の軍事力を使った行動に
「日本も武力を強め、国防軍を作り、核兵器も持てる
国家にすべき」との主張をしている政党が多い。

プロシャ(ドイツ)の軍事学者のクラウゼビッツ「戦争論」を
学生の頃読んだことがある。「戦争は政治の延長である」
と言っている。

いくら武力を強くしても「その根幹にあるのは、政治だ」ということ。
自民党の安倍総裁を筆頭に中国・北朝鮮の武力拡張に対して
日本も武力拡張をしなければならないと「単細胞」な主張を
している。戦争に至る前に「外交」「政治」という大きな土壌が
あるのを忘れている。
軍事力を増強する前に「外交」を日本はきちんとできているのか?
を問う必要がある。
日本の外務省の総体としての力量が低い。個々の外務省
スタッフには力のある人もいるのだが・・・・・・。

軍事力を高めるなどという前に、日本の外務省がしっかりと
した外交を展開する必要がある。

私のような未熟な個人ですら20年間フエ市に在住し、
それなりにフエ市との交流関係を深める努力をしている。

軍事は「外交」の延長線上にあることを理解すべきである。
外交ができていないで「軍事力」に頼ろうとする姿勢は
「アジア・太平洋戦争」に突入した我が日本の「かつて
歩んで来た道」である。外交、話し合い、様々なルートを
通じてのつながりを生かした交渉を強力に進めることこそ
今、一番必要なことである。『安倍,政権投げ出し男』のように
単細胞に「軍事力で中国・北朝鮮に対抗する」などという前に
是非、中国・北朝鮮に親交を持っている人材を発掘して
それらの国との「妥協点」を見つける作業をする必要がある。

どの時代でも「強いことをいう人間が、一番弱い人間である」
という真理を想起する必要がある。


投稿者 koyama : 21:18 | コメント (0)

2012年12月12日

終日部屋で仕事

朝、雨。終日曇り


午前7時朝食。「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)

食事しながら読書「安南王国の夢ーベトナムの独立を
支援した日本人」(牧久著:ウエッジ)

ファン・ボイチョウが王族「クンデ」を担ぎ上げて、
グエン王朝の力でフランス植民地主義を打倒しようとした
当時、九州天草出身の松下光廣」が、これらの運動を
支援し、支えた。松下光廣の人生を克明に調査し、
500ページ近い本にまとめている。

2013年2月17日の「JASS現地報告会」、静岡市長訪問、
京都市長との「両市交流協定書」調印式などのために
訪日する8人の訪日団の各地訪問の打ち合わせ。

静岡市の担当者の方とメールで打ち合わせ。

京都市の担当者の方とメールでうちあわせ。

その他、フエ市訪日団の在日日程の作成、ホテル予約
訪問先の調整などを行う。


午前11時半昼食。「春雨麺」

午後1時間ほど、昼寝。

その後、読書

フエ市訪日団の日程の再調整。

ブライセン社長のフエ訪問の日程調整。

その他、もろもろの文書を書く。

投稿者 koyama : 19:03 | コメント (0)

2012年12月11日

フエ市越日交流委員会

終日晴れ

午前8時半 外気温 25度 湿度80%

午前7時半、朝食。フォー・ハノイ(米麺)

午前10時。フエ市外務部内にある「フエ市越日交流委員会」
の打ち合わせ。

昨日、アフリカのコンゴ、フランス出張から帰ってきた
フエ市越日交流委員会委員長(フエ市外務部長)ニエンさんと
フエ市越日交流委員会を開催。参加者はバオミンさん
とホアンさん(外務部副部長)が参加。
 写真撮影ー交流委員ホアンさん(外務部副部長)


2013年2月18日午後1時から午後1時45分までの
田辺静岡市長への表敬訪問。

2月20日夜の「京都市とフエ市のパートナシップ協定』調印式
などの詳細、打ち合わせを行う。


午前11時半、昼食。「魚入りおじや」


午後12時半から1時間ほど昼寝。


多数のメール受信。返信。

バオミンさんといくつかの問題で打ち合わせ。

読書「丸山眞男ーリベラリストの肖像』(岩波新書)読了

学ぶべき点多々あり。

夜、2013年2月17日の「現地報告会」の内容を
考える。

事情は不明だが特定のインターネットが理由がなく通じない。

午後8時、フダ缶ビールを1本飲む。それ以上、飲む気持ちが
沸き起こらない。困ったものだ。
最近、お酒が飲めない。美味しくない。
体調が変だ。

投稿者 koyama : 20:21 | コメント (0)

2012年12月10日

関係者にいくつかのメール送信

曇りのち快晴

午前5時起床・読書「丸山眞男」。
戦争と戦争に反対すること、その渦中にいた人間の行動、
天皇制などについての丸山眞男の見解とその背景。

午前7時、朝食。「ブン・クア」(カニのブン麺)

朝は曇りだったが、その後快晴


多数のメール受信。返信する。

JASS日本運営委員長にメール。

午前11時半昼食。「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉のうどん)

午後1時間ほど昼寝。

その後、2013年2月17日、東京で行われる「現地報告会」
、静岡市、京都市行きの日程調整などを行う。


バオミンさんといくつかの件を電話で打ち合わせ。


夕方、徒歩15分ほどの市場へ。途中、リー君と出会う。
リー君は「先生、今晩、飲みましょう」とのこと。
今日は仕事があるので、断る。

にんじん、キャベツ、キュウリを買う。日本円で60円。



内田さんから頂いた「塩麹」を野菜に入れる。
明日、発酵し美味しく「なじむ」。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

マスコミの無節操ぶり。

テレビでアフリカの栄養失調などの子どもたちを放映し、
お涙頂戴をしたかと思うと、食べられない程の食べ物を
芸能人に無理に食べさせて、「無理に食べて苦しむ様子」
を放映するという無節操ぶり。
視聴率が取れれば何でもするというマスコミに関係している
人間の知性の低下を物語っている。

片やアフリカの子どもたちに「涙を流し」、一方で
「苦しみながら物を食べる芸人を見て」喜んでいる
日本人がいる。人間というものは、なかなか複雑なものだ。

食べ物を遊びや「笑い」に使って欲しくない。

日本のマスコミは片一方で「アジア・アフリカ」の食糧難を
報道し、片方で、馬鹿食いゲームを放映する」という
支離滅裂、視聴率を取れれば良いという現状。
こうした番組を考え出し作ってる人間が、東大や
「有名大学」を出たという人たち。これらの人たちの
知性と人間性というものがわかるというもの。
自分の子どもたちに見せたくない番組を作るのなら
業界をやめるくらいの度胸が必要だ。


福島原発の悲惨な現状に涙し、支援物資を送った日本人が
自民党や維新の会に投票するのと同じ行動である。

野田首相のテレビCMを見た。
「決めること」「決断すること」が大事と言っているが、これほど
アナクロニズムもない。

『何を決めるのか?』が問題なのだ・・・。

決めること、決断することは飽くまで「付随事項」。
本質は「何を?」である。

野田首相のテレビCMもヒトラーと同じ手法。
断固とやりますといって、ユダヤ人や障がい者の
絶滅運動を行った。「断固として実行」が大事なのではなく、
どのような政策を断固として実行するのか?が
問われている。野田ヒトラー・安部ヒトラー・橋本・石原ヒトラー

投稿者 koyama : 20:19 | コメント (0)

2012年12月09日

NGAさんの誕生会:バンベー42号完成稿送信

小雨・終日寒い。

午前5時起床。

午前6時、昨日、料理のセンさんが作ってくれた「春雨麺」
を温めて食す。

その後、しばらく横になると眠くなり寝てしまう。

午前8時、メールチェック。

シャワーを浴びる。

午前10時前、バオミンさんが宿舎に来る。
今日、誕生会をするNGAさんのプレゼント用パソコンを
持ってきてくれる。


午前10時過ぎ、電動バイクで「子どもの家」へ。

12月12日に18回目の誕生日を迎える
NGAさん。予定では12月11日に誕生会を
するはずだったが、昨日、突然、「軍隊に
臨時入隊する」との連絡があり、急いで今日の
日曜日に誕生会をすることになった。


5週間の「入隊」「軍事訓練」を行う。


「子どもの家」へ到着。
早速、里親の川向先生からのプレゼント「小型ノート
パソコン」を渡す。

私が日本で買った一番安いノートパソコンと同型。
「ACER」。



午前11時、NGAさんの誕生会を行う。
ライターでケーキに点火。


今年で18歳になる。この秋、フエ観光大学に見事に合格した。
2006年6月から入所している。既に6年間の「子どもの家」
生活である。事実上、「天涯孤独」のNGAさん。
「子どもの家」でしっかりと人生を見つけ、成長していって欲しい。


大きな人生の岐路だった大学入試。希望の観光大学に
合格し、明るい未来への展望を持ちながら大学生活に
入っている。


丁度、昼食時。子どもたちが、誕生祝いの歌を歌い、祝福する。


担当寮母のニエムさん。私との付き合いは、1993年10月から。
長い、お付き合いの寮母さんである。


昼食が終わった後、ケーキを食べる。



先日、母親を亡くしたターオさん。ターオさんも天涯孤独に
なった。現在は、フエ高等師範大学幼稚園科で勉強
している。


今年、フエで最難関高校のひとつである「国立科学大学」に
入学したりーさんとNGAさん。


多少、おとなしくエネルギー喪失気味の男性軍。


今日の昼食


4歳で入所したターオさん。今や「子どもの家」の年長者になった。
率先してケーキを切り「小分け」している。


ケーキを食べる



18歳の誕生日を迎えたNGAさん。


食事とケーキを食べ終わったら男子はすぐに庭で

サッカーを始めた。


フエ芸大5年生の「フック君」は、昼食を忘れて
絵画教室で絵を描いていた。


フック君の作品


午後12時半、宿舎に帰る。簡単な昼食を摂る。

その後、1時間ほど昼寝。

午後3時頃、リー君から電話。「先生、今から飲みましょう」
とのこと。今日は、仕事があるので、のみにはいけないと
断る。

日本でバンベーのレイアウト、最終校正をしているAさんから
「最終版 バンベー校正稿」が届く。

今日は、時間をかけてもP1からP12まで、細部まで読みぬき、
誤字脱字、誤解される記述などの訂正を行い、Aさんに
返送しなければならない。

実物の2分の1の大きさのバンベーなので字が小さすぎる。
老眼鏡を使っても字が読めない。何とか努力し、12ページの
ばんべー42号を何度か全文読み通す。

その後、1ページ毎に詳細を点検する。

いくつかの誤字、誤解される文章などを見つけ訂正。
札幌関係の報告に疑義があり、直接札幌の方に電話で
確認。やはり間違っていた。

夜、Aさんに最終「完成稿」を送信し、ベトナム事務所
でのバンベー42号の仕事は終わる。

今後、Aさんが最終チェックをし、印刷所に入稿。

印刷が終わったバンベー24号は、12月24日、東京の会を
中心に会員への郵送作業を行う。

会員の皆様には、12月末に届くものと思われる。

投稿者 koyama : 22:10 | コメント (0)

2012年12月08日

ベトナム事務所員会議

終日曇り・小雨  寒くなった。

午前8時半 外気温 21度  湿度 90%

午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)


午前8時半、ベトナム事務所員会議

数週間ぶりのベトナム事務所員会議。
この間、毎週土曜日に来訪者などがあり、事務所員会議
ができなかった。

(ソン)12月の全教千葉女性部ツアーの計画立案
    来訪者の航空券の手配
    
(澤井)ブライセン初級日本語教育1週間1回、中級3回。
    学習者の進度の差がある。既習事項の確認
     

(春口)ブライセン日本語教育 中級週2回
     フエ師範大学日本語学科期末テストつくり
     JASS日本語学校に入学希望者が何人かやってきた。
     入学希望者は日本の文化を学びたいとの希望あり。

(富岡)フエ師範大学日本語学科ベトナム人教師作成の
     試験内容等のチェック
     同大学日本語学科1年生 ひらがな カタカナ
     ブライセンT君は日本語学習に熱が入ってきた。
     H君は、漢字への対応能力が落ちてきている。

(フーン)ブライセン中級1週間3回、T君やる気が出てきている。
     フエ師範大学は先週授業終わる。
 
(アン)昨日、ベトナム事務所来訪の日本人2人を
    「子どもの家」へ案内した。
     雑貨マルタカ関連のサンプルを作る。


(フオン)ブライセン初級週5回(2人は1ヶ月ほど本社研修)
(後藤)フエ師範大学日本語学科 週2回、ブライセン初級3回、
     フエ師範大学テスト作成チェック、会話問答集を作成中


(バオミン)12月25日 第17回クリスマス会(内田さん支援)
       を実施する。
        日程・任務分担表を見てほしい。
        自分の担当で異議のある人は、言って欲しい。
        
       今回は午後5時半~午後8時半。
        子どもたちが一番楽しみにしているのは、
        「カラオケ大会」。そのために時間を長くした。

       12月17日~27日までの訪問者等の日程表。
       自分の分担を確認して欲しい。


今日のベトナム事務所員会議は、税田さん・ハンさんを除いて
9人で実施。当面の年末の訪問者対応、クリスマス会、
全教千葉女性部への対応を確認した。
ベトナム事務所員の皆さんの真面目な仕事への姿勢に感謝
している。

ベトナム事務所員会議が終わり、バオミンさんといくつかの件で
打ち合わせ。

午前10時過ぎ、「子どもの家」運営委員長のセンさんが
ベトナム事務所を訪問。


「子どもの家」厨房の「練炭』使用で、煙が大量に発生する。
厨房スタッフの体調が悪くなる可能性があるので、何とか
解決して欲しいとの要望。

私の方で「厨房での練炭使用を中止」。厨房では大型炊飯器
でご飯を炊くようにし、厨房は基本的に調理のみに使用。
スープ、煮物、炒め物などは、厨房の外で「練炭」を使って
行うと提案。

センさんも賛成し、厨房など「子どもの家」のスタッフに
伝え、その方向で進める。

子どもたちの食事関連の費用を値上げして欲しい。
理由は物価が上がったこと、高校生、大学生など
年齢が高い子どもたち中心の「子どもの家」になっている。
子どもたちの食欲が旺盛なこと・・・・・。

食費関連の値上げについても同意。
会計のハンさんがお父さんの葬儀関係で休暇をとっている
ので、出勤次第、ベトナム事務所の財政状況を考え、
値上げすることを前提に検討する。
その他の事項についての打ち合わせ。

セン運営委員長との打ち合わせを終え、宿舎へ帰ろうと
ベトナム事務所を出た時、リー君とイン君の乗った
オートバイに出会う。

今からイン君がダナン市へ帰るとのこと。
そのために『バスターミナル』までイン君を送る途中とのこと。

午後12時半宿舎へ戻る。

私が宿舎不在中、ソン君が業者と一緒に壊れた「洗濯機」
(サムソン)を宿舎の定位置においてくれた。
何故か、洗濯機と冷蔵庫の電気がくっついているので、
洗濯機故障中、冷蔵庫の電気も止まってしまっていた。

明日の日曜日の朝食だけは今日センさんが作って冷蔵庫に
入れておいてくれる。明日の日曜日に私が温めて食す、という
システムだった。この1週間ほど冷蔵庫が使えず、明日の
朝食がどうなるのか?を考えていたが、洗濯機が直ったので
冷蔵庫も使えるようになった。

今回の洗濯機故障問題では、ソン君が率先して修理業者
への対応などに協力してくれた。
本当にソン君の協力に感謝している。


午後1時間ほど昼寝。

今週1週間は、JASS機関紙「バンベー42号」の編集で
精力を使い果たした。つかれきった。

午後は、リラックスのために読書。

『丸山眞男ーリベラルストの肖像』(苅部直著:岩波新書)

戦前、一高3年生の時、唯物論研究会第2回公開講演会
の看板を路上で見て、それほど深く考えずに講演会場に
行き、高校の制服を着ていたので共産党の活動家
と思われ会場で逮捕され。る東大近くの本富士署
に留置。特高(特別高等警察)の取調べを受け、殴打をされる。
東大文科乙類40名のうち8人が警察に逮捕された経験を
持っている。

高校・大学時代にマルクス主義などの本を読みつつも
マルクス主義にも批判をもつ。

戦時中、次々に共産党員が『転向』(偽装転向含む)していき、
共産党が厳しく批判していた「自由主義者」が節を曲げず、
権力と闘ったという一高ー東大時代の経験が丸山の
戦後の思想形成のひとつの基点になっている。

ちょうど、71年前の今日、日本が英米などに「宣戦布告」。
公式な戦争がが始まった日でもある。
実際には、満州への侵略をすすめ、アジア侵略の最終章
が1941年12月8日の今日であった。

現在、総選挙の最中。71年前に正式に始まった
世界大戦、日本のアジア諸国への侵略の経験と
その反省にたって成立した日本国憲法を
攻撃し、再び「「きな臭い」発言を繰り返す、安部自民党総裁
石原「日本維新の会代表」・・・・・。
段々と戦争の体験者が物故し、戦争の実態を語る人が
いなくなった。私も戦後2年たってから生まれた人間では
あるが、それでも両親やその友人、親戚などから戦争中の
話しを聞いている。また、兄、姉は中国で生まれている。
体験者ではないが、私は戦争という人殺しには、最後の一人に
なっても絶対に反対する決意でいる。戦争を鼓舞し、推進したい
人たちは、全員「じいさん」たちだ。実際に戦争に行かされるのは
若者だ。憲法9条を破棄しようなどと絶叫する「政権を途中で投げ
出した」元首相などの妄言を選挙の投票という形で厳しく
批判したいものである。

戦争を鼓舞するような風潮に嫌悪を感ずる。
今度の選挙は、再び、日本が戦争を
する国家になっていくのかの分かれ道でもある。


もう一度、バンベー42号を1ページから12ページまで
読み返す。誤字脱字、不適切な表現などを調べる。


====

「子どもの家」のNGAさん(先日、フエ観光大学に合格)
の誕生日が12月11日なので誕生日祝いの準備を
していた。

突然、今日、「子どもの家」から連絡があり、NGAさんは
12月11日から「軍事訓練」のためフエ空港付近の
軍隊に入隊する、とのこと。従って、12月11日の
誕生祝いはででないとの連絡あり。

バオミンさんと相談し、明日、12月9日(日)に誕生祝いを
行う事とする。

ベトナムは徴兵制度がある。大学生だけが徴兵免除。
その代わり、大学生は授業で軍事訓練等の学習をし、
1カ月ほど、軍隊に入営し軍事訓練を行う。男子学生
だけでなく女子学生も。

投稿者 koyama : 18:07 | コメント (0)

2012年12月07日

日本人来訪者懇談:リー君・弟イン君と夕食会

終日曇り・時々小雨


午前5時に目覚める。最近、睡眠が不安定。

午前7時朝食。「ブンボー・フエ」(フエ名物牛肉米麺)
個人的には、ブンボーが一番美味しい。二番目がフォー・ハノイ。
ホーチミン名物の春雨麺は、嫌い。



バンベー42号の校正を行う。

午前10時、ベトナム事務所で日本人の訪問者と懇談。
これから2年間ほど、アジアを歴訪するとのこと。
福岡のマスコミ関係者。


その後、バオミンさん、フーン先生とブライセン日本語教育に
ついて協議。

午後12時半、昼食。

野菜サラダ。魚のフライ。



その後、1時間ほど昼寝。


ブライセン関係の資料つくり。

午後4時半、ソン君とコンピュータ会社のスタッフが来訪。

既に8年から10年ほど使っているコンピュータの
「頭脳」が壊れてしまった。

新しいコンピュータの「頭脳」を買う。
設定などをしてもらい。


細かいパソコンの設定は自分でする。

午後6時、フエ市内の「古都(コードー)レストランで
リー君と弟のイン君と夕食会。


2時間程、様々な話をする。


弟のイン君は結婚はしていないがダナン市の女性との間に
2ヶ月の男児を儲けている。

元気に育っていっているとのこと。
現在は、ダナン市で「ペンキ塗装」の仕事をしているとのこと。
「毎日、火焔樹日記」を読んでいる(写真だけだが)とのこと。
やはり「子供の家」で長年生活したイン君は「子供の家」の
ことが気になるのだ。

リー君は相変わらず「情報通」である。様々な情報を知らせてくれた。

リー君はなかなか気の利く子である。
私がレストランに行く前に私の好きな、漁醤(ヌオックマム)付けの
「鶏のから揚げ」「トムチュア・ティト・ヘオ」豚肉と海老の塩辛
などを既に頼んでいた。



2時間ほど、二人の生活、今後の希望などを聞く。

リー君とイン君との出会いは1993年10月である。
19年前。路上で寝ていた兄弟と出会い、兄弟は
私が宿泊していたフエ師範大学の宿舎に何度も
やってきた。怪我をした、下痢をした・・・・・。
その後、子どもの家に入所。子どもの家でも様々な
問題を起こした。

退所後も様々な問題を起こし、すべての問題に
私は「お付き合い」して来た。
弟のイン君が5歳、兄のリー君は6歳。

長い付き合いである。

兄のリー君は25歳になり、弟のイン君は24歳になった。

月日の流れの早さを感ずる。

二人が幸せな人生を歩むことを望んでいる。そのための
手伝いをしたいと決意している。

午後8時ころ、帰宅。

その後、新しいパソコンの様々な設定を行う。

先日なくなった「森光子さん」の葬儀があった。
元ソフトバンク監督の「王貞治」さんが、弔辞を述べていた。
その中で「森光子さんの『生き様』をうんぬん」と言っていた。

汚い言葉である。「死に様」という言葉は、理解できるが、
「生き様」ということばは、汚い。「生き方」「人生」などと
言ったほうが、よほど、きれいな言葉なのだが・・・。

投稿者 koyama : 21:18 | コメント (0)

2012年12月06日

ハンさんのお父さんの葬儀

終日小雨・曇り  寒くなった。

午前5時起床。

午前7時朝食。フォー。

美味しい。最初に野菜を全て食べ、
それからフォーを食べる。ベトナムでの食事には、各種の
肉が毎日入っている。豚肉、鶏肉、アヒル肉・・・・・。

食後、バンベー42号の校正を行う。

午前9時45分、車でハンさんのお父さんの葬儀に列席する。

ハンさんのお父さんは73歳でなくなった。
胆石を悪化させ、12回の入院、8回の手術をおこなった。
体を切り刻んだような感じもする。
ハンさんのお父さんはフエ人。
1939年に生まれる。お父さんの人生は生まれた時は
フランスの植民地、その後、1940年から5年間ほど
日本の占領、1945年から10年ほど、フランスが再度
ベトナムを占有。1954年、ディエンビエンフーでフランス軍は
ベトナム共産党軍に敗北し撤退。
1955年頃から今度はアメリカがベトナム支配をねらい、
軍師顧問団をベトナムへ派遣。1965年、ダナンから
アメリカの海兵隊がベトナムへ上陸し、「正規戦争」へと
変質。その後、更に10年間「ベトナム戦争」があり、
1975年にベトナムでの戦争が終わる。その後1979年には
中国のベトナム侵略戦争(中越戦争)があり、更に
ベトナムがカンボジアに派兵するという、長い長い
戦争の歴史そのものの中をハンさんのお父さんは過ごして
きた。生きたベトナムの戦争の歴史の証人でももある。
1976年、ベトナムは社会主義となった。その後の
お父さんの「苦闘」と「信仰」の闘いの歴史はかけない。

お父さんのご冥福を祈る。

JASSベトナム事務所員全員・ブライセンベトナム支社員・
「子どもの家」スタッフ代表などが参列。

JASSからはソン君が「花輪」を持って参列。

ハンさんのお父さんもご家族も熱心なキリスト教徒。
葬儀はキリスト教を主体に、ベトナム風の伝統的な
仏教方式も入れたものだった。
現在のベトナム社会の実相を物語っている。


列席者全員が一人ひとり仏教式にお線香を献じる。






お棺はキリスト教方式。


その後、しばらく教会内のお父さんの住んでいる家で
お通夜のように、お父さんの思い出話をする。




ブライセンスタッフ



一般的な家庭では、「びんろう」やタバコ、お茶さんが
でる。ハンさん家の葬儀では、お茶がでた。

午前11時過ぎ、宿舎へ。

バンベー42号の校正の続き。

午前11時半、昼食。「チャオ・バイン・カイン」

読書「丸山眞男ーリベラリストの肖像」苅部直著:岩波新書
丸山眞男ほど、左右両派から攻撃された知識人も少ない。

林房雄や三島由紀夫など「右派」からの攻撃を受け、
1980年・199年代は日本共産党からも厳しい攻撃と批判を
受けている。丸山の生い立ちと82年の人生を考えてみる。


チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
と「サツマイモ・ニンジン・キャッサバ芋」の茹でた
もの。


今日は小雨・曇りで寒い。フィリピンに台風が来ている。
その台風の影響で段々と南部(フエ→ホーチミン)などが
雨と寒くなるという。

昼食後、1時間ほど昼寝。

午後2時からバンベー42号の最終校正。

12ページのレイアウトをされた文章・写真をチェック。
誤字脱字、不適当な表現、分かりにくい標記、文章に
あった写真の添付。文章にあった「標題」の作成を
行う。

午後4時前に一応、バンベー42号の校正を終わり、
静岡のAさんに送信する。

バオミンさんと2月の訪日の件で打ち合わせをする。

デスクトップのパソコンの能力がなくなり、使えない。
今日は、小型ノートパソコンを使う。


投稿者 koyama : 18:36 | コメント (0)

2012年12月05日

ブライセン業績評価:バンベー42号校正①

曇り

午前5時起床。

午前7時朝食。「カニ団子のチャオ・バイン・カイン」


ブライセンベトナム支社員の業績評価を書く。


午前9時、ベトナム事務所へ。バオミンさんと当面の
問題について協議。

午前11時半、昼食。「ラーメン風豚肉麺」


昼食後1時間ほど昼寝。

午後3時からブライセンベトナム支社員の最終業績評価書
を作り上げる。

その後、バンベー42号の校正。
レイアウトを担当してくれている静岡のAさんが
送ってくれた完成レイアウト。私たちが送った原稿の
ミスで「誤字脱字等」がたくさんあった。

夜まで12ページあるバンベー12号のうちの4ページ
まで「校正」をし、レイアウトのAさんに送信する。


===================

お悔やみ

JASSベトナム事務所財政部長のゴック・ハンさんの
ご尊父様が、昨日お亡くなりになりました。
心から哀悼の意を表します。

葬儀等の詳細は不明。

投稿者 koyama : 20:25 | コメント (0)

2012年12月04日

関係者とメール送受信 断水 夜リー君と飲む

午前6時起床。

午前7時朝食。「ブン・クア」(カニ・ブン麺)



インターネットの調子が悪い。私のデスクトップのパソコンの
火炎樹日記は12月1日で止まってしまっている。
特にPICASAを使っての写真掲載が出来ない。
困ったものだ。バオミンさんと相談。私のパソコンは
7年か8年前に購入したもの。パソコンの「頭脳」が既に
役に立たなくなっていると判断した。

パソコンの頭脳部分を買い替えなかれならない。


ブライセン本社など関係者とメールいくつけかの件について
連絡を取り合う。

バオミンさんで電話で5つほどの問題を打ち合わせする。

午後3時から與芝君関連の仕事にかんして関係者と
打ち合わせの予定を立てる。

午前11時過ぎ、壊れた「冷蔵庫」と壊れた「洗濯機」
の修理の人が「状況視察」に来る。
午後3時に修理に来てくれるとのこと。


午前中、断水。


午前11時半昼食。「春雨麺」


午後、1時間ほど、横になる。

この2週間ほど朝食と昼食中に「読書」(30分程度)

「メディチ家」を読了する。

両替商・銀行家からなり上がり、最終的には
ローマ教皇、イタリアなど南欧の国王にまで
成り上がった「メディチ家」。300年近く続いたメディチ家の
気質には、共通なものがある。

見栄っ張り、自己顕示欲が強いという気質、学問芸術に
興味ももち専門家以上に博学な気質、
真面目でコツコツ努力する気質。
各世代にこの気質が融合したり、分離したりしながら
メディチ家の人々は時代と闘ってきた。

美術・工芸・文学・建築・・・・・の「パトロン」も上記の
気質が入り混じってのものである。

ミケランジェロは徹底した共和主義者。ヒレンツエは
共和主義者と貴族・国王との対立を軸に都市国家となっていく
のだが、メディチ家は最終的に国王になる。ミケランジェロは
そうしたパトロンのメディチ家を嫌いに「ローマ」に亡命する。
メディチ家は、18世紀に血統が途絶え滅亡する。
最盛期は、フランス王妃・ハプスブルグ家(ドイツ、オーストリア・・・)
王家とも縁を結ぶ。

午後2時。冷蔵庫と洗濯機の修理屋さん2人が来てくれる。
ソン君がつきっきりで面倒をみる。有難いことだ。ソン君に感謝。

冷蔵庫は5分で直る。
洗濯機は直らない。結局、シクロでお店に持っていく。
直るのか治らないのかは分からないが・・・・。
洗濯機がないと本当に困る。直る事を祈る。


午後2時45分、小雨の中ベトナム事務所へ。
バオミンさん、グエットさんと打ち合わせ。

その後、トゥオイさんと打ち合わせ。妊娠中の体調などを
聞く。無理をしないように話す。

午後6時、宿舎へ戻る。小雨。

たくさんのメールが入っていた。

ブライセンベトナム支社員の業績評価を書く。

午後7時になる。頭が動かない。
様々な問題があり、頭を使うことが多い。

午後7時半、リー君から電話。

「今、先生の家の近くにいる。一杯飲みましょう」
とのこと。ベトナム事務所を出るときに事務所の
前の飲み屋でリー君は飲んでいた。


ブライセンの業績評価作業の途中ではあるが、
リー君も一人でさみしいのだろうと思い、リー君の
指定する場所へ行く。オートバイで待っている。

宿舎の近くの市場付近にはたくさんの路上の飲み屋が
ある。
リー君と何故かブライセンの ホア君が飲んでいた。

貝をおつまみに


1時間半程、一緒に飲む。



午後9時過ぎ、先に失礼する。徒歩で宿舎に帰る。

その後、業績評価の仕事を継続する。

投稿者 koyama : 13:13 | コメント (0)

2012年12月03日

バンベー関連:フエ市人民委員会訪日団関連

インターネットの調子が悪く、写真が掲載できない。

終日快晴 真夏日

午前6時起床。

午前7時朝食

午前中、バンベー(JASS会報)関連の仕事


午前11時半昼食。

2時間ほど昼寝。

洗濯機が故障。韓国のLG製。買って直ぐに乾燥機の一部が
故障。我慢して使っていたが、遂に乾燥機が使えなくある。


午後は、フエ市人民委員会訪日団の訪日日程の最終
調整を行う。


夕方、市内を1時間ほどウオーキング

ベトナム事務所財政部長のハンさんのお父さんが
病院から退院。病院では「手の施しようがない」とのこと。
胆石。既に11回入院し、8回手術をしている。
先日バオミンさんとお見舞いに行ったが、黄疸が酷く、
かなり状態が悪いことが分かった。

ハンさんからバオミンさんに連絡あり。現在、意識混濁状況との
こと。

奇跡が起こり、体調が回復することを祈る。
日本に居たら、治っていたかもしれない、などと人間の
運命を考えてしまう。

何とか、体調を回復することを祈る。


午後9時まで各種メールの送受信

忙しい1日だった。

投稿者 koyama : 20:18 | コメント (0)

2012年12月02日

バンベー42号関連

快晴

午前7時起床。バンベー42号の全体を見直す。

有ヶ谷さんから写真等が届いていないとのメールあり。

お詫びし、直ぐに送信する。

午前10時、朝食。料理のセンさんが作ってくれた
「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ちうどん)
を温めて食す。


バオミンさんと電話でいくつかの件について意思統一をする。


午後、疲労がでる。しばらく横になる。

2013年2月17日(日)午後1時から午後5時まで
「あすか会議室」。東京駅八重洲中央口徒歩2分
で行われる「JASS現地報告会」の準備。

午後7時前、税田さんより電話。フエ空港から
ホーチミン空港に到着したとのこと。
お父さんの法事があり、一時帰国する。
無事、関空へ帰国できることを祈る。

午後8時過ぎ、バオミンさんに買ってもらった
「濁酒(どぶろく)」を更に2日ほど発酵させ、すっぱくし、
冷やして飲む。マッコリと同じ味となる。美味しい。

日本料理店の子どもたちが作ってくれた「するめ焼き」を
おつまみに。

午後7時半、「THUY」と名乗る人間からメール。
THUY とあり短文。(THUYは女性の名前)

「子どもの家」のTHUY(外務部員MENさんの妹)
が高校化学教師の採用途中。その件で相談の
メールかとも思い、バオミンさんに転送。

バオミンさんの返事。「お兄さん、今夜遊びに行かない」
というメールだった。馬鹿馬鹿しい。
この種のメールが大量に送付されているのだろう。
日本などと同じような「IT大国」になったベトナムでは
ある。

ーー
12月4日、総選挙の公示だ。
国会が解散された以降の論戦を見ていると
自民党・日本維新の会、民主など、全体的に
「右より」の論調に走っている。
自衛隊を『国防軍』にする、憲法を破棄する、集団的自衛権
の容認〔米軍と共同で海外での戦闘を容認・・・・。
戦後の日本の民主主義の総体的な破壊。

海外から見ると解散後の論調は、日本が安倍自民総裁を
筆頭に「右路線」に傾斜しているとの見方に傾いているように
思われている。

嘉田滋賀県知事の「日本未来の党」はそうした「右より」への
傾斜に反撥する国民の「リベラル指向」を一部体現している
ように思える。

日本未来の党がどんな党なのかが分からないままに
国民は投票をしなければならない、異常な総選挙でも
ある。

しかし論点は、ある程度整理されてきた。

・原発問題ー日本維新の会は、この問題で動揺しまっくている。
        いい加減な本性が露呈した。

・TPP問題
・経済再生
・消費税増税問題
・憲法問題ー集団的自衛権行使を主張する政党が
         増えたことに脅威を感ずる。
・子どもたちの教育・養育・進学

今回の総選挙は、各党の政策がきちんと出揃わず、
十分な論争がないまま、「雰囲気」「イメージ」での投票を
強要されている「異常な選挙」だともいえる。

私は主権者として今回投票できないことは残念に
思っている。(ベトナムでの業務があり、日本へ帰国できない)

私は 原発反対、消費税増税反対、TPP反対、憲法改悪
反対の政党に投票したいという気持ちは持っている。
金持ち、大企業中心の政治の転換を願う。

私が投票できない分、是非、多くの皆さんに
日本の軍国主義化反対、国民いじめの政治が
再び台頭しないよう、中小企業・庶民・農民が安心して
生活できる日本を作るようなな政治が行われるような
政治行動をとっていただきたいと念願している。

12月16日の投票日の結果が楽しみでもあり、心配でも
ある。

投稿者 koyama : 20:42 | コメント (0)

2012年12月01日

ブライセン本社員7人帰国

午前5時起床。

北の空に「満月」が見えた。

昨日の火炎樹日記を書く


午前7時朝食。フエ名物「ブンボー・フエ」


午前9時、ブライセン本社7人、バオミンさん・私で
フエ高等師範大学学長・IT部長などと懇談。
フエ高等師範大学のIT教育の実態を視察。


クイー学長・IT部長などと意見交換



IT教育の授業の実態を視察




午前10時。フエ・フーズ会社の黒川さんを訪問。
フエ・フーズはフエでは一番古い日本の酒造会社である。

1995年頃から営業を開始。様々な苦労を乗り越え、
今日の繁栄状況に達成した経過を、黒川責任者から
具体的な事実を通して教えてもらう。
ブライセン本社員には、フエの実情を具体的に知った
と言う意味で大きな意味のある訪問であった。
フエ・フーズに感謝。



その後、実際の酒つくりの現場を見せていただく。
杜氏の方の苦労を教えていただく。



午前11時半。「子どもの家」付近の「チャオ・バイン・カイン」
(米とキャッサバ麺)を食べに行く。





その後、「子どもの家」を視察。ブライセン社員からの衣類、
折り紙などのお土産贈呈。



「子どもの家」視察後、ドンバー市場視察。


ドンバ市場からフォンザンホテルへ。荷物を持ち、
フエ空港へ。

フエ→ホーチミンへの航空券を確保し、ホーチミンへ。


ブライセン本社の方々の安全と無事帰国を祈る。



午後5時。バンベー42号編集。レイアウトの有ヶ谷さんから
いくつかの意見が送られる。返信する。

投稿者 koyama : 20:46 | コメント (0)