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2012年12月15日
ブライセン藤木社長一行来訪
午前5時起床 快晴 真夏
午前8時 気温26度 湿度90%
午前7時 朝食。ブンボー(牛肉米麺)
午前中、関係者とメールで連絡
午前11時半、昼食。豚肉のおじや
午後1時間ほど昼寝。
朝食、昼食を取りながら読書「安南王国の夢」牧久著。
明治ーファン・ボイ・チャウの「東遊運動」。
その後、フランスとの日仏協約で「ファンボーチョウ」も
「クオンデ」も日本から国外追放される。
途中経過があり、日米戦争・アジア・太平洋戦争に
突入する1930年代に入ると「クオンデ」などのベトナムの反仏勢力
は、日本の「大東亜共栄圏」設立に「利用」協力する方向を
取る。この頃、中国にいた「阮愛国」がインドシナ共産党を
設立し、共産主義の立場から反仏闘争を行う。
本書を半分ほど読んだ段階だが、フランス革命を経験した
人類は、基本的には封建制絶対王政を打倒し、人民主権
国家設立に向かっていた。その中で「ファン・ボイ・チャウ」
がクオンデ王子を立てて、絶対的封建制権力を利用して
フランスからの独立を勝ち取る「反仏武装抵抗闘争」を模索
している。世界史の流れはヨーロッパでの「絶対王政の打倒」
と人民主権、1917年のロシア革命によるロマノフ王朝の打倒、
中国の辛亥革命による清朝滅亡と「絶対王政」打倒と
人民主権の流れになっていたことは事実である。
ホーチミンの抗仏戦争を通しての社会主義革命路線は
当時の大きな時代の流れに合致していたのかも知れない。
ファン・ボイ・チャウの東遊運動で300人ほどのベトナム青年が
日本で学び、フランス帝国主義からベトナムの解放を望み
学習した。そのうちの一部は、日本で共産主義理論を
学び、1930年代のホーチミンベトナムへと合流し、
その中心になっていく。
300人のベトナム人留学生を受け入れた日本人は、
明治の藩閥政治に反対し、下野した犬養毅、大隈重信
などであった。
明治から日本敗戦までの間に力を持った
「大アジア主義」「欧米侵略・植民地化からアジアを解放する」
思想は、最終的には「大東亜共栄圏」思想に帰着し、
アジア人(日本人)によるアジア侵略の思想的支柱に変貌して
いった。本書はその視点が極端に弱いか欠落している。
午後3時半、バオミンさんと一緒に車でフエ空港へ。
午後4時過ぎ、ブライセン一行3人がフエ空港着。
午後5時前フォンザンホテル着。チェックインをし、
しばらく休息し、ブライセンベトナム支社員が待つ
「歓迎レストラン」へ。
ブライセン藤木社長・太田社外取締役・かまた部長
と一緒にブライセン支社員が待っているレストランへ。
午後8時過ぎ、本社社長・社外取締役・部長、ベトナム事務所
支社員との懇談会を終了。
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明日の総選挙、憲法改悪・破棄勢力の衰退、
脱原発・TPP阻止・消費税率アップ阻止・
沖縄の米軍基地撤去など、諸要求貫徹の
勢力が相対として躍進することを願っている。
投稿者 koyama : 2012年12月15日 16:46