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2012年12月14日

日本人訪問者と話し合い

午前5時起床。朝、小雨。日中晴天。

午前7時朝食。フォー・ガー(鶏肉入り米麺)



午前中は、2013年2月17日の「JASS現地報告会」に
参加するベトナム人7人の訪日・帰国の飛行機日程を
調べる。なかなかうまい方法がない。


午前101時15分、バオミンさんといくつかの問題について
話しあう。

宿舎から往復30分を歩く。もう少し歩く距離が欲しい。
工夫する。

午前11時半、昼食。

茶色の玉子のようなものは、果物?  ベトナムに20年住んで
時々は食べたが、異臭漂う。


午後1時間ほど昼寝。

午後1時40分、徒歩でベトナム事務所へ。
日本人訪問者と2時間半程話し合う。


その後、バオミンさんといくつかの件について1時間半程
話し合う。

日本の次男から電話。

バオミンさんもパソコンが壊れてしまったとのこと。
私もデスクトップのパソコン(買ったばかり)が
壊れてしまう。使用不可。困ったものだ。
明日の土曜日に修理してもらう予定。


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1945年12月14日、兄 小山一義が中国で死亡した。
8月15日の「敗戦」を中国で迎える。中国の中部、
山西省太原市で敗戦を迎えた我が家族は、
東海岸へ向けて「逃避行」。食べ物、薬もない中で
荷物も持たず、東海岸へ向けて歩く。
兄は、途中で力尽き、栄養失調と風邪をひき、気管支炎
から肺炎になり、敗戦後4ヶ月。ついに5歳の命が
尽きたのだった。8月15日以降に亡くなった人間は、
戦争の犠牲者にとしても扱われない。
悲しい、5年間の命であった。

兄、一義を思い出す人間はいなくなった。両親が亡くなり、
母親の兄弟12人全員がなくなり、父方の兄弟もほどんど
亡くなっている。小山一義という5歳の命がこの世にあった
事自体を思い出す人間すらいなくなった。
せめて、弟の私だけでも、兄が5年間、この世に生を受け
存在したいたことを思い出してやりたい。合掌。

兄の無念な死の原因は、戦争である。どんな理由があっても
戦争には反対である。今度の選挙は、再び、67年前の
不当な犠牲を庶民に強いる戦争国家に日本が入って
いくのかどうかを選ぶ選挙である。「断固とした対応」などと
呼号している一部の政党の連中が戦争にいくのではない。
今の若者が戦争に行き、死んでいくのだ。
兄の67回忌にあたり、戦争反対、憲法9条死守を改めて
誓うのであった。

投稿者 koyama : 2012年12月14日 20:52

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