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2012年12月07日

日本人来訪者懇談:リー君・弟イン君と夕食会

終日曇り・時々小雨


午前5時に目覚める。最近、睡眠が不安定。

午前7時朝食。「ブンボー・フエ」(フエ名物牛肉米麺)
個人的には、ブンボーが一番美味しい。二番目がフォー・ハノイ。
ホーチミン名物の春雨麺は、嫌い。



バンベー42号の校正を行う。

午前10時、ベトナム事務所で日本人の訪問者と懇談。
これから2年間ほど、アジアを歴訪するとのこと。
福岡のマスコミ関係者。


その後、バオミンさん、フーン先生とブライセン日本語教育に
ついて協議。

午後12時半、昼食。

野菜サラダ。魚のフライ。



その後、1時間ほど昼寝。


ブライセン関係の資料つくり。

午後4時半、ソン君とコンピュータ会社のスタッフが来訪。

既に8年から10年ほど使っているコンピュータの
「頭脳」が壊れてしまった。

新しいコンピュータの「頭脳」を買う。
設定などをしてもらい。


細かいパソコンの設定は自分でする。

午後6時、フエ市内の「古都(コードー)レストランで
リー君と弟のイン君と夕食会。


2時間程、様々な話をする。


弟のイン君は結婚はしていないがダナン市の女性との間に
2ヶ月の男児を儲けている。

元気に育っていっているとのこと。
現在は、ダナン市で「ペンキ塗装」の仕事をしているとのこと。
「毎日、火焔樹日記」を読んでいる(写真だけだが)とのこと。
やはり「子供の家」で長年生活したイン君は「子供の家」の
ことが気になるのだ。

リー君は相変わらず「情報通」である。様々な情報を知らせてくれた。

リー君はなかなか気の利く子である。
私がレストランに行く前に私の好きな、漁醤(ヌオックマム)付けの
「鶏のから揚げ」「トムチュア・ティト・ヘオ」豚肉と海老の塩辛
などを既に頼んでいた。



2時間ほど、二人の生活、今後の希望などを聞く。

リー君とイン君との出会いは1993年10月である。
19年前。路上で寝ていた兄弟と出会い、兄弟は
私が宿泊していたフエ師範大学の宿舎に何度も
やってきた。怪我をした、下痢をした・・・・・。
その後、子どもの家に入所。子どもの家でも様々な
問題を起こした。

退所後も様々な問題を起こし、すべての問題に
私は「お付き合い」して来た。
弟のイン君が5歳、兄のリー君は6歳。

長い付き合いである。

兄のリー君は25歳になり、弟のイン君は24歳になった。

月日の流れの早さを感ずる。

二人が幸せな人生を歩むことを望んでいる。そのための
手伝いをしたいと決意している。

午後8時ころ、帰宅。

その後、新しいパソコンの様々な設定を行う。

先日なくなった「森光子さん」の葬儀があった。
元ソフトバンク監督の「王貞治」さんが、弔辞を述べていた。
その中で「森光子さんの『生き様』をうんぬん」と言っていた。

汚い言葉である。「死に様」という言葉は、理解できるが、
「生き様」ということばは、汚い。「生き方」「人生」などと
言ったほうが、よほど、きれいな言葉なのだが・・・。

投稿者 koyama : 2012年12月07日 21:18

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