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2012年12月06日

ハンさんのお父さんの葬儀

終日小雨・曇り  寒くなった。

午前5時起床。

午前7時朝食。フォー。

美味しい。最初に野菜を全て食べ、
それからフォーを食べる。ベトナムでの食事には、各種の
肉が毎日入っている。豚肉、鶏肉、アヒル肉・・・・・。

食後、バンベー42号の校正を行う。

午前9時45分、車でハンさんのお父さんの葬儀に列席する。

ハンさんのお父さんは73歳でなくなった。
胆石を悪化させ、12回の入院、8回の手術をおこなった。
体を切り刻んだような感じもする。
ハンさんのお父さんはフエ人。
1939年に生まれる。お父さんの人生は生まれた時は
フランスの植民地、その後、1940年から5年間ほど
日本の占領、1945年から10年ほど、フランスが再度
ベトナムを占有。1954年、ディエンビエンフーでフランス軍は
ベトナム共産党軍に敗北し撤退。
1955年頃から今度はアメリカがベトナム支配をねらい、
軍師顧問団をベトナムへ派遣。1965年、ダナンから
アメリカの海兵隊がベトナムへ上陸し、「正規戦争」へと
変質。その後、更に10年間「ベトナム戦争」があり、
1975年にベトナムでの戦争が終わる。その後1979年には
中国のベトナム侵略戦争(中越戦争)があり、更に
ベトナムがカンボジアに派兵するという、長い長い
戦争の歴史そのものの中をハンさんのお父さんは過ごして
きた。生きたベトナムの戦争の歴史の証人でももある。
1976年、ベトナムは社会主義となった。その後の
お父さんの「苦闘」と「信仰」の闘いの歴史はかけない。

お父さんのご冥福を祈る。

JASSベトナム事務所員全員・ブライセンベトナム支社員・
「子どもの家」スタッフ代表などが参列。

JASSからはソン君が「花輪」を持って参列。

ハンさんのお父さんもご家族も熱心なキリスト教徒。
葬儀はキリスト教を主体に、ベトナム風の伝統的な
仏教方式も入れたものだった。
現在のベトナム社会の実相を物語っている。


列席者全員が一人ひとり仏教式にお線香を献じる。






お棺はキリスト教方式。


その後、しばらく教会内のお父さんの住んでいる家で
お通夜のように、お父さんの思い出話をする。




ブライセンスタッフ



一般的な家庭では、「びんろう」やタバコ、お茶さんが
でる。ハンさん家の葬儀では、お茶がでた。

午前11時過ぎ、宿舎へ。

バンベー42号の校正の続き。

午前11時半、昼食。「チャオ・バイン・カイン」

読書「丸山眞男ーリベラリストの肖像」苅部直著:岩波新書
丸山眞男ほど、左右両派から攻撃された知識人も少ない。

林房雄や三島由紀夫など「右派」からの攻撃を受け、
1980年・199年代は日本共産党からも厳しい攻撃と批判を
受けている。丸山の生い立ちと82年の人生を考えてみる。


チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
と「サツマイモ・ニンジン・キャッサバ芋」の茹でた
もの。


今日は小雨・曇りで寒い。フィリピンに台風が来ている。
その台風の影響で段々と南部(フエ→ホーチミン)などが
雨と寒くなるという。

昼食後、1時間ほど昼寝。

午後2時からバンベー42号の最終校正。

12ページのレイアウトをされた文章・写真をチェック。
誤字脱字、不適当な表現、分かりにくい標記、文章に
あった写真の添付。文章にあった「標題」の作成を
行う。

午後4時前に一応、バンベー42号の校正を終わり、
静岡のAさんに送信する。

バオミンさんと2月の訪日の件で打ち合わせをする。

デスクトップのパソコンの能力がなくなり、使えない。
今日は、小型ノートパソコンを使う。


投稿者 koyama : 2012年12月06日 18:36

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