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2012年11月30日

ブライセン本社・支社合同研修会:バンベー42号編集終了

午前5時起床。

昨日送信した残り部分を若干精査。

午前7陣朝食。フォー

午前9時。ブライセンベトナム支社にて、本社〈7人)、支社(11人)
の合同研修会。

最初に全員の自己紹介。通訳部分はバオミンさん。

その後、ベトナム支社員から質問。本社の回答。

〈本社自己紹介)


本社スタッフ


支社スタッフ



今回の本社責任者


本社営業担当者


本社の心臓部 総務財政担当


本社「BLJ」(自動発注)担当

IT担当


ベトナム支社 TL(技術主任) VU君
「子どもの家」・JASS出身者



ブライセン支社では2番目に古い THI君
訪日回数も多い


HOA君  「子どもの家」在宅支援者。
中学から在宅支援を行い、フエ科学大学コンピュータ科
卒業まで支援を行い、ブライセンを紹介、入社。


ファップ君。6ヶ月のお子さんあり


リン君。先日まで日本本社へ1ヶ月間研修に行っていた。




1時間ちょっと続く、本社・支社員の自己紹介を全員で聞く




支社員のチュン君  
「子どもの家」の生徒会長を長く続ける。



ブライセン支社の「ベッカム君」



カイン君


ブライセン支社で一番若い


JASSベトナムの重鎮 バオミンさん〈通訳)



その後、各業務別に別れ、更に細かい打ち合わせ・研修



自動発注の研修(本社・支社)



システム関連の研修



午前11時半、宿舎に戻り昼食。

ラーメン風の麺類・スープ


昼食後、昼寝を取らず、バンベー関連の原稿等の調査。


午後2時、ブライセン訪越責任者たちと「ベトナム事情」
について、話し合う。



別の部屋では、ブライセン技術等の「売り込み」について
の実例を学ぶ




山本総務部員のパワーポイント操作で


続いて「実践的マーケッティング論」を学ぶ



本社担当者から直接説明



午後6時まで研修は続く。

午後6時半、合同夕食会。


本社部長の音頭で乾杯



一部、本社・支社の「不心得物」が、勝手に「犬肉」「猫肉」
を買ってくる。とんでもないことである・・・・・・。


〈猫肉)


〈犬肉)



一部本社・支社員は「美味しい」「美味しい」と言って
犬肉・猫肉を食べる。私は「動物愛護法違反」と
断言し、豚肉を食べる。美味しい。


じゃんけん「ビールのみ大会」

山本総務部員に強制的に飲酒を迫る支社員。
不届きな支社員である。



午後9時半、本社・支社合同夕食会は閉会


投稿者 koyama : 09:51 | コメント (0)

2012年11月29日

バンベー42号編集終了:ブライセン本社7人来訪

晴れ・時々曇り

午前2時起床。バンベー最終編集。
JASS会報「バンベー」はベトナム事務所で企画立案、
原稿依頼、原稿集め、必要な写真収集。
記事の題名付け・・・・を行い、最終「レイアウト」
以前の段階までは、JASSベトナム事務所で
責任を持つ。

バオミンさん・税田さんにも協力してもらい、
編集を行う。

今回はレイアウトをボランティアでしてくれている
静岡の有ヶ谷さんへ、最終原稿・写真を送信する
期限は12月01日。

しかし、今日から12月01日までブライセン本社員
7人がフエへ来訪。ブライセンベトナム支社員との
打ち合わせ等を行う。この3日間は私も付きっ切りで
お世話をする。
と言う事情があり、今日中に全ての編集を終え、
「レイアウト」担当の有ヶ谷さんに送信しなければ
ならない。

また、2013年2月17日予定の「現地報告会」(総会)
の会場が未定だった。どうしてもバンベー42号に
日程と会場等を掲載したかった。JASS日本の
山西さんや東洋学園大学副学長の原田先生などの
お世話になり、昨日、最終的に「現地報告会」会場が
決定した。(東京駅八重洲口徒歩2分)
バンベーに2013年2月17日〈日)P1~P5の
「JASS現地報告会」の告知が出来る。
フエからは、バオミン・JASSベトナム運営委員長、
フエ市共産党委員長・フエ市長・フエ市外務部長など7人の
要人が参加。フエでの「JASSの活動の大きな意味」に
ついての報告をしてくれる予定。

午前7時朝食。「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉手打ちうどん)

午前中は、大量の原稿の「添削」「誤字脱字」チェック。
所蔵している数千枚のデジカメ写真から子ども時代の
子どもたちの写真を探す。

午前11時半 昼食。野菜サラダ・・・・

午後2時、ベトナム事務所で日本料理店の子どもと
話し合い。


午後4時、徒歩帰宅。

引き続き「バンベー42号」編集。

午後6時、全ての編集を終了。一部、原稿未到着を
除く。

原稿と合致するように一枚1枚の写真に番号をつけ、
レイアウトの有ヶ谷さん、バンベ編集に協力してくれている
宇都宮大学の坂本さん、バオミンさん、税田さんに
送信する。
写真が多いので1回の送信に時間がかかる。

合計18回の送信をし、完了。

全てがうまく届いたかどうか心配。
毎回、私から有ヶ谷さんに送る原稿・写真が届いていないことが
多い。坂本文子さんには届いている。坂本文子さんから
再度、有ヶ谷さんに送信してもらうことも度々ある。

坂本文子さんから連絡。18回の送信を受理とのこと。
「レイアウト」をしてくれる有ヶ谷さんに届いてくれる
ことを祈るのみ。

午後7時45分、近くの道へ。ブライセンベトナム支社の
VU君(「子どもの家」出身)とTHI君が車で迎えに来てくれる。

3人でフエ空港へ。ホーチミンからの飛行機が遅れ、
しばらく空港で待つ。空港待合室には「大正製薬」
の「リポビタン」の広告が出ていた。「リポビタンも
ベトナムに進出してきたのだ。


午後8時45分、ブライセンベトナム支社員
7人が無事、ホーチミン空港からフエ空港へ到着。

7人の皆さんが元気。

そのまま車でフエ市内のレストランへ。

遅い夕食とブライセン・ベトナム支社員7人+小山、
ブライセン本社7人。合計15人で顔合わせ交流会。


今回のフエ訪問団の団長さん以下、団員の皆さん

缶ビールを100本冷やしておいた。何本飲んだかは不明。



楽しい交流会となる。ベトナム支社側



そのうち「怪しい空気」が漂う。日越で「じゃんけん」をして、
負けた方が「超辛唐辛子」を食べるということになった。

私は心の中では、「唐辛子がないと生きていけないフエ人」
に「唐辛子合戦」を挑むなどブライセン本社員は「無謀な輩」。
「無頼の徒」しかしない蛮行である。
しかし、ブライセン本社員はこの恐ろしい「唐辛子ゲーム」に
果敢に挑戦。ベトナム支社員と「じゃんけん」をするが、
本社側は「連戦連敗」。「ジャンケン』をする前に負けたら
いくつの「超辛唐辛子」を食べるかを決める。

私など一切れでも食べられないのだが・・・・・。

連戦連敗の本社側は大量の唐辛子を口の中に
放り込まれる。大変な事態。

しかし、本社側スタッフは、この激痛に耐えて、
更に新たな「ジャンケン」に挑むのであった。
この挑戦精神の真髄が「ブライセン魂」なのかと
改めて思った次第である。

午後11時頃閉会。

宿泊ホテルである「フォンザンホテル」までお連れする。

VU君・THI君がチェックインのお世話をする。

私は宿舎へ帰る。結局、今日は午前2時から昼寝も抜いて
午後11時半まで仕事をする。約20時間連続労働。

今回は、諸事情でバンベ編集に使う時間がとられることが
多かった。これも致し方ないこと。しかし、私に与えられた責任は
どんな事情があろうろと果さなければならない。
特にこの2日~3日間は、私に取っては「バンベ編集」だけに集中
したい時間だった。

何とか、良いバンベーが出来上がると良いのだが。

明日は、朝から夕方までブライセン支社で研修会。
夕方から本社・支社員の夕食懇談会の予定。
私もベトナム支社長として全ての計画に参加する。
ブライセンベトナム支社には、「子どもの家」卒業生など
JASSが子どもの頃から支援した若者3人が働き、
自立している。

投稿者 koyama : 08:53 | コメント (0)

2012年11月28日

「子どもの家」ターオさんの母親のお通夜

午前4時目覚める。

午前7時朝食。精進ブン麺。

今日は旧暦の10月15日。精進料理を
食べる日。


午前中は、バンベー42号の編集に全力を集中する。
半分以上、出来上がる。もう一息。


ブライセン本社より電話。

午前11時半、昼食。春雨麺。(一番嫌い)


午後2時、バオミンさん・ソン君・「子どもの家」スタッフ
たちと「ターオさん」(子どもの家在住・フエ高等師範大学
幼児教育学科在学)の母親(52歳)が亡くなり、
お通夜に伺う。


フエ市内から北へ車で30分ほど。フオンソー村。
純農村地帯。


本貫「グエン」一族の廟がある。



ソン君が持つ「弔意の花輪」を先頭に
ターオさんの家へ行く。

セン委員長

ターオさんのお母さん(52歳)の慰霊に弔意を表わす



4歳で「子どもの家」に入所したターオさん。
今では成長し、フエ高等師範大学幼稚園科に在籍。
来年の秋には、幼稚園の先生になるという。


4歳で「子どもの家」に入所した時、私の片腕に
抱かれていたターオさん。それから16年。


子どもの頃のターオさん。氷を食べている。
母親が亡くなり、ターオさんは、たった一人になってしまった。
これからもJASSとしてターオさんの人生を応援して
行きたい。これも何らかの「縁」である。


とかく海外支援・海外ボランティア「業界」では、
長い期間の支援を「否定的」にとる傾向が
強いが、JASSはそうした『主流」に迎合せず、
独自の道を歩んでいる。



52歳で亡くなった母親の遺影


お通夜の参加者は非常にすくない。
せめても・・・と思い、私たちはできるだけ
長く、ターオさんの家の庭にいた。





ターオさんの母親が住んでいた家には、
「貧しい人の家」という看板がかかっていた。
地元の人々や地元人民委員会などの
寄付で作られたレンガとコンクリートのそまつな
家ではあった。

母親はこの家で一人で住んでいた。どんな気持ちで
住んでいたのだろうか?

ターオさんは「子どもの家」に住んでいる。
フエ高等師範大学を卒業した暁には、
フエ市内幼稚園の先生になりたいといっている。
私たちとしても全力でターオさんの就職が実現できるよう
様々な手を打つつもりである。

今年の現時点では、フエ師範大化学科卒で化学の
先生を希望しているTHUYさん、フエ師範大小学校課程
卒業のNHIさんのフエ市内の小学校就職の斡旋・・・。

投稿者 koyama : 20:39 | コメント (0)

2012年11月26日

終日、バンベー42号編集

今日も1日、「真夏」状態

昨夜午後9時に就寝し、今日午前4時に目が覚める。

午前7時朝食。「カニ団子ブン麺」

バオミンさんといくつかの件で電話で打ち合わせ。

税田さんと電話で打ち合わせ。


バンベー42号の原稿の「添削」。写真を選ぶ。


午前11時半、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉手打ちうどん)



半分しか食べられない。半分残す。残した半分は夕食用。

午後2時間、昼寝。

引き続き、バンベー編集。

12月01日がバンベー原稿・写真等の「レイアウト」担当の
有ヶ谷さんへの送信最終期限。

11月29日・30日・12月01日の3日間、ブライセン本社から
7人のスタッフがフエへ来訪。案内等のお世話をする。

という事情で11月28日までに「バンベー42号」の全ての
編集を完成なせなければならない。
今日を除くとあと2日しかない。
細かい年齢、日数、年月等、間違いがないようにベトナム事務所
や「子どもの家」に何度も確認。


午後2時、フエの軍隊が経営する「インターネット会社」の
スタッフが来訪。

今までフエの郵便局がやっていた「光フェイバー」を使っていたが、
数秒毎にインターネットが付いたり、付かなかったりと、日本では
考えられない「インターネット状況」である。
実質上、フエ郵便局の光ファイバーは使えない。日本流にいえば
フエ郵便局の光ファイバーは「光ファイバー詐欺師集団・会社」と
いえる。真っ当な仕事はしないで、お金だけはしっかりと取る。
ベトナム社会主義を象徴しているようではある。

全く意味のない光ファイバーを「止めて」、新しい「人民軍」経営の
光ファイバーに「代える」。

バオミンさんが先週から手続きをしてくれていた。

午後2時。人民軍経営のインターネット会社社員が私の
宿舎に来て、新しい「光ファイバー」の工事をしてくれる。

明日から使えるようだ。

フエ郵便局の光ファイバーは、使い物にならないのに
今でも「販売」しているという実情に『大いなる疑義」を
感じる。

2時間ほど、人民軍経営のインターネット会社社員が
工事をする。

その後、バンベー42号の編集。

一つずつの文章を熟読し、誤字脱字だけでなく、用語の
使い方、全体の語調などを調整する。


午後7時、缶ビール1本を飲む。
美味しくない。体調がおかしい。ビールが美味しくないのは
何か「変だ」。


夕食は、昼食の残り。

引き続き、10年ほど前の写真をパソコンから探す。
100枚ほど集める。バンベ用に準備をする。
明日、写真の確定をする。

午後10時、就寝。

投稿者 koyama : 21:02 | コメント (0)

2012年11月25日

終日、バンベー42号の編集

体調があまりよくない。

午前7時起床。

料理のセンさんの作ってくれた「カマロニスープ」の
3分の1を温めて朝食とする。

その後、終日、バンベー42号の編集。

最終的には、12月1日までに「レイアウト」を
ボランティアで担当してくれる静岡の有ヶ谷さんに
原稿を送信することになっている。

午後7時過ぎ、軽く「純米吟醸酒」を飲む。

YOU TUBEで「三代目 三遊亭金馬」の『居酒屋』を
聞く。4代目金馬は、私が子どもの頃NHKテレビで
流行った「お笑い3人組」の三遊亭小金馬。

私が最初に聞いた「蓄音機」(手巻きのレコード)
での落語が「三代目金馬」の「居酒屋」だった。
小学校5年生の頃だった。金馬の「居酒屋」を何度も
蓄音機で聞き、すっかり魅せられてしまった。
父親がどんな事情かしらないが、落語のレコードを
50枚ほど持って来た。毎日、落語のレコードを
蓄音機で聞いた。その中でも先代の金場の居酒屋
が私的には一番気に入った。『金明竹』も面白かった。
「真田小僧」は、なかなか大人の含蓄があった。
前座話なので、子どもでも分かり、理屈抜きに面白かった。


投稿者 koyama : 21:39 | コメント (0)

2012年11月24日

ハンさんのお父さんのお見舞い:バンベー42号編集

昨夜は1時間間隔で目が覚める。ほとんど夜眠れなかった。

午前5時だと思っていたら、午前7時10分前。
あわてて、朝食へ行く。

朝食  チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

朝食後、バンベー42号編集。関係者から集まった
原稿の全てに目を通し、誤字脱字、内容が不適当なもの等
を再校正。
原稿に関連する写真をチェックし、写真と原稿の
ミスマッチなどの調整をする。必要なら、私が所蔵している
数千枚の写真をチェックし、該当する写真を探す。


今日は午後6時過ぎまで、1日中、バンベーの編集・校正
を行った。


午前10時、バオミンさんがバイクで迎えに来てくれる。

バオミンさんのバイクでフエ中央病院へ。

ベトナム国家が作った病棟と日本のODA支援の病棟がある。

日本のODA病棟

ベトナム政府建築病棟

ベトナム国旗とベトナム共産党旗が掲揚されていた。



ハンさんのお父さんは、既にフエ中央病院に12回入院し、
8回の手術をしている。「胆石」である。
しかし、手術がうまくいかず、今回も入院、既に胆管に石が
入っている状態。

バオミンさんと二人でベトナム国家が作った方の病棟へ
お見舞いに行く。日本国政府の病棟に入院すると
1日の入院費が100ドル。普通の労働者の1ヶ月の
給料が1日の入院費である。現地にいれば、貧しいベトナム人を
救済するものでないことは、明白だ。
ODA支援の実態である。1日100ドルの部屋代を支払えるのは
フエの「おお金持ち」「某政党幹部」位しかいない。
結局、ODA支援は、その国の「上流階級の支援」なっていくという
実態をフエ中央病院で確認した次第である。

ハンさん(ベトナム事務所財政部長)のお父さんは、既に
酷い「黄疸」がでていた。体中が「黄色」になっている。
体に毒が溜まっているとハンさんは言っていた。

同一病気で12回の入院、8回の手術? 考えてしまう。
何が問題なのか?

部屋は6畳ほど。ベッドが4つも入っている。

今日は真夏のような暑さ。湿度も90%。
お見舞いに行った私が、病室のあまりの暑さに
気分が悪くなる。

ハンさんのお父さんの妹さんが、ベッドの横に座り、
お父さんの体からほとばしる「汗」を拭き、うちわで
扇いでいる。

6畳程の部屋には、「エヤコン」が付いている。
しかし、病院側が「エヤコン使用はお金がかかる」との
理由でエヤコンをつける「リモコン」を持って行ってしまった。

医師の控え室、事務室などの葉エヤコンが入っている。
何のためにエヤコンがあるのか? 患者第一の思想を
もっていれば、まず第一に「患者」のためのエヤコンだ。
私ですら30分ほどハンさんのお父さんの入院している
部屋にいたが、暑さで気持ち悪くなった。
エヤコンがあるのに使わせない病院の弱いものいじめの
経営体質に怒りを感ずる。ベトナムはまだまだ「お医者様、
様様」国家である。医師や病院に「異議申し立て」は出来ない。
ハンさんのお父さんの酷い黄疸状況、何とか息をしている
というのが現実の患者にすら、仕えるエヤコンを使わせない
この病院の体質。「人民に奉仕する」「労働者・農民の党」
というスローガンが町中に掲げられている素晴らしい国家では
ある。

お父さんにくれぐれも体を大切にと「健康用の粉ミルク」と
入院費の足しにと「幾ばくかのお金」を贈呈し帰る。

バオミンさんのバイクでベトナム事務所へ。

ブライセンベトナム支社員5人が訪日していた。
昨夜、フエに帰国。今日から出勤。

みんな元気に帰って来た。


午前11時半、昼食。魚いり「おかゆ」

午後1時から2時間ほど横になる。

その後、読書「メディチ家」

その後、再度、バンベー42号の編集にはいる。

投稿者 koyama : 19:44 | コメント (0)

2012年11月23日

誕生日:多くの方々から祝福の言葉を頂く

体調が悪い。下痢後遺症が残る。

やっと食事が摂れるようになった。この間、2キロ体重が減った。


午前7時、朝食。ブンボー・フエ(牛肉米麺)


午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。

11月末と言うのに今日も「真夏の太陽」。強い日差し。


午前9時、ベトナム事務所員とブライセンベトナム支社の皆さんが、
私の65回目の誕生日を祝ってくれる。


富岡先生からは、ベトナム事務所員全員からの寄せ書き


あまり嬉しいので、目が中央に寄ってしまう。


日本料理店の子どもたちからも寄せ書きのお祝い





バオミン運営委員長からは、「サッポロビール・ベトナム産)の
プレゼント。ホーチミン市近郊の工場で作っている。

今年2月。フエ市共産党委員長などと札幌市を訪問した際、
サッポロビール博物館長が特別に「ビール博物館」を案内してれた。
その際、館長さんがベトナムのホーチミン市でも「サッポロビール」
を作っていますよ、と説明してくれた。

「子どもの家」のセン委員長と財政のハンさんがベトナム事務所
まで来てくれ、お祝いと花を贈ってくれる。

その後、ベトナム事務所員・ブライセン支社員でお茶を飲みながら
懇談。



私が20歳代の頃の「8ミリ映写機」で撮影した映像を披露する。


午前10過ぎに誕生会を終わる。

その後、バオミンさん・税田さんとブライセン本社スタッフ7人の
フエ来訪の受け入れ準備を相談する。準備完了。


徒歩で宿舎へ。


午前11時半、昼食。煮魚・野菜サラダ、海老のスープ、ご飯。
半分位しか食べられなかった。


午後1時から1時間半ほど昼寝。体がだるい。

その後、バンベー42号の編集作業。
ブライセン本社7人のフエ来訪のシュミレーション。
ブライセン本社との連絡・・・・・。


午後5時15分、バオミンさんがオートバイで宿舎まで迎えに
来てくれる。

午後5時半、フエ中心を流れる「フォン河(香河)」に浮かぶ、
水上レストランで、ベトナム事務所主催の「誕生会・晩餐会」を
開いてくれる。

夕日が沈む「真夏」のフエの夜景はきれいだった。


HAPPY BIRTHDAY を歌う

相当量のフダ缶ビールを飲む

宴もたけなわ。クライマックスに達した時に突如、リー君の闖入。

誕生祝いのケーキをわざわざ買って持ってきてくれる。
リー君との付き合いも長い。1993年9月1日にフエへ来たが、
その頃、既に路上生活をしていたリー君の怪我や下痢の薬
などをあげていた。ほぼ20年の付き合いではある。

私の誕生日を覚えていて、こうして誕生会に闖入してくるなど、
なかなか「人生の達人」ではる。



ベトナム事務所スタッフと一緒に飲む。

それからしばらくリー君も入れてベトナム事務所スタッフの
親交と団結のために、何度かビールで乾杯。


午後9時過ぎに閉会。

ベトナム事務所の皆さん、そして突然の闖入者リー君に
感謝したい。

今日は、多くの皆さんに65回目の誕生日を祝って頂いた。

日本では誰にも知られずに亡くなっていく「孤独死」の方々や
32000体にも上る「無縁仏」の方々がいる。

寂しい我が日本ではある。総選挙に向けて自民党安倍総裁は
「憲法改悪・破棄」「国防軍創設」を主張している。

年収200万円以下の国民が1200万人もいる我が日本である。
アパートやマンション、自邸で「たった一人でなくなる孤独死」の
国民が毎年2万人。孤独死後に引き取り手のいない遺体、
引取りを拒否される遺体が毎年32000体もあるわが国。
国防軍の前に「一人ひとりの国民の安全と生活保障」が大事な
今回の総選挙である。

1万キロ以上はなれたベトナムで多くの方々に私ごとき人間の
高々65回目の誕生日を祝って頂けて、感無量である。

午前中は、次男の孫二人から電話があり、「HAPPY BIRTHDAY」
の歌を歌ってくれた。

夜は長男の孫からメールが入り、誕生日のお祝いの言葉を
もらった。ありがたいことである。

3人の孫もスクスク成長しているようで有難いことである。


こうした皆さんに祝って頂いたからには、更にビールを
ガンガン飲んで「元気をつけて(元気がつくのか、健康を破壊する
のかは不明だが・・」もう一息、仕事に力を傾注したい。

65歳の誕生日から明確に『前期高齢者」に編入される。
「嫌な言葉」ではある。政府や行政に「高齢者」などと決めつけ
られる所以はない。

これから健康に気をつけ、体力維持のための「ウエートトレーニング」
「ウオーキング」を無理をしない範囲で長期継続していきたいと
改めて決意した次第である。

ベトナム事務所・「子どもの家」スタッフ・こどもたちの健康を祈る。

合わせて「高校のクラス会のような会の分派フラクション派」の
皆さんの健康を祈る。

投稿者 koyama : 09:46 | コメント (0)

2012年11月22日

体調壊す。子どもたちの健康診断

昨夜午前1時頃からひどい下痢症状。
一晩中、眠れず。
体がだるい。

午前7時朝食。フォー。
脂が多く、半分程度しか食べられない。


昼食は断る。

バオミンさんに聞くとバオミンさんも同様の症状を呈している
とのこと。

午前9時半、電動バイクで「子どもの家」へ。
「京滋YOUの会」支援の子どもたちの健康診断。
フエ医科大学から20人の医師とインターンが
来訪、診療をしてくれる。



内科、眼科、歯科、耳鼻咽喉科、皮膚科


「子どもの家」のPHUONG(フオン)さん。
フエ医科大学を卒業し、現在、歯科に1年の
インターンとして残り、引き続き研修している。

フオンさんが、「子どもの家」の子どもたちの
歯科診療をする。



7歳から「子どもの家」に
入所し、今まで17年間「子どもの家」で生活している。
「子どもの家」の子どもが、子どもたちの医療をしてくれるように
なったことは、夢のような話ではある。
フオンさんも良く頑張った。また、里親をはじめ、
「子どもの家」のスタッフ、JASSベトナム事務所の
スタッフの皆さんの努力にも感謝したい。

全ての健康診断が終わると「お菓子」がもらえる。

改めて「京滋YOUの会」の皆さんにお礼を申し上げたい。


「子どもの家」には、8年前に15歳で退所した
グエン・ヴァン・ニャット君が遊びに来ていた。
右から2番目の子ども

23歳になるという。現在は、靴つくりの職人を
しているという。毎月220万ドン(100ドル)の給料をもらって
いるそうだ。まあまあ何とか生活は出来る金額ではある。

「子どもの家」を退所した子どもたちにとっては、「子どもの家」
は思い出の場所であり、帰る家、ふるさと・故郷でもあるのだ。


午前11時半、宿舎に帰り、そのまま横になる。
体がだるい。

しばらく休む。

午後4時、ベトナム事務所へ。ベトナム事務所で
バオミンさんと明日の各種行事の打ち合わせ。


午後7時、リー君から電話。
「先生、明日、おめでとう」という。
明日、11月23日の私の誕生日を知っていての電話である。
私を忘れていないだけでも賢い子ではある。

その後、2回、メールで「誕生祝」を送ってきた。

「いま00で飲んでいます。来てください」
などと言われたらどうしよう、などと考えてしまった。
今、私の体調は最不調。食事が出来ない。
だるい。今日は、アルコールも体が全く受け付けない。
悲惨な1日だ。

早く休むしかない。水分をなるべくとって、
体を休める。

やらなければいけない仕事が山済み状態。
気持ちは焦るが、体がついていかない。
こうした時は、「1杯飲んで」と思うのだが、昨夜からの
大下痢状態で飲むことも出来ない。残念。

投稿者 koyama : 19:01 | コメント (0)

2012年11月21日

終日火炎樹日記書き込み作業

宿舎のインターネットの力が弱く、接続したり切れたりで、
火炎樹日記が書き込めない。


今日は1日、ベトナム事務所へ行き、昨日の
「子どもの家」18周年記念式典をアップする。
写真1枚をアップするのに7回程の手順を経なければ
ならない。式典の実情を支援者の皆さんに知って
もらいたいので、なるべく全体像、子どもたちやスタッフの
様子などを掲載した。

現在、宿舎で使っている「光ファイバー」は「ニセモノ」。
数秒から数分で接続が切れてしまう。これでは仕事に
ならない。

昨夜から『気分』が悪い。今日、夜中の1時頃、急に
吐き気と酷い下痢状態。結局、一晩中、トイレを往復する
状態となった。

「子どもの家」創立18周年式典で食べた「前菜」が原因と
思われる。疲労も溜まっていたのかもしれない。

投稿者 koyama : 20:48 | コメント (0)

「子どもの家」創立18周年記念(その2)




ベトナム事務所スタッフとセン委員長





JASSベトナム事務所若手スタッフ




投稿者 koyama : 18:56 | コメント (0)

2012年11月20日

「子どもの家」創立18周年記念式典

午前5時起床  曇りのち晴れ

午前7時朝食。ブン・クアー(カニ団子米麺)

午前8時15分、徒歩でベトナム事務所へ。
ベトナム事務所でスタッフ全員と合流し、タクシーで
「子どもの家」へ。今日は「子どもの家」創立18周年記念式典
のある日。「子どもの家」2階で式典挙行。




午前9時、ロック寮長、バオミン運営委員長の司会で開会。

式典次第

1、出席者紹介
    ・フエ市人民委員会外務部長 グエン・ニエン氏
    (フエ市越交流委員会委員長)
    ・JASS代表 小山道夫
    ・フエ市人民委員会外務部副委員長 イック・ホアン氏
    ・「子どもの家」運営委員長 センさん
    ・フエ市社会工作隊長
    ・フランス「子どもの家」責任者
    ・JASSベトナム事務所員
    ・「子どもの家」スタッフ
    ・その他


フエ市人民委員会外務部長・フエ市越日交流委員会
委員長  グエン・ニエン氏

と左、外務部副部長 イック・ホアン氏



ベトナム事務所の日本語教師など多数の皆さんの参加



一部ベトナム事務所スタッフが「居眠りしているか?」に
見えるが、居眠りではなく、次の司会の言葉を熟考している
所である。誤解のないように。


「子どもの家」の寮母さんたち


初めに「子どもの家」の子どもたちの「18周年お祝いの踊り・・・」



子ども代表の歌(チャウさん)

「先生方の愛情で子どもたちは成長する」
という内容の歌



子どもたちの出し物を鑑賞する



続いて、ベトナム農村の「結(ゆい)」の踊り
服装から見て「北部農村伝統の踊り」と見た





フエ郊外にある「フランス」支援の「子どもの家」からも
フランス人がお祝いにかけつけてくれた。



「子どもの家」の子どもたちと友達の出し物を堪能する。




男子  左 ハイ君  2000年6月に「子どもの家」へ入所。
     12年間、「子どもの家」の在籍している。
      現在は、広告や印刷、デザインなどの研修をしている


男子  右 フック君 1999年8月に「子どもの家」へ入所。
      13年間、「子どもの家」に在籍している。
      現在はフエ芸術大学油絵科5年生。来年の夏には
      大学を卒業し、高校か中学の絵の先生をしながら
      好きな油絵を描きたいとの希望を持っている。



引き続き、お祝いの出し物が続く





お祝いの歌・踊りを終わり、続いて「子どもの家」創立
18周年祝いのケーキのろうそくに点火。

セン「子どもの家」運営委員長と小山



前段の行事を終わり、いよいよ18周年祝賀会の
報告等へ。

最初にセン・「子どもの家」運営委員長の2012年
の活動報告

通訳はハン財政部長

以下、セン「子どもの家」運営委員長報告の全文

(注)文中、「この18年間で160人の子どもたちが入所」
   とあるが、これは正式に戸籍を「子どもの家」に入籍
   した子どもたちの数である。正式に戸籍を移す前に
   退所した子供や諸般の事情で戸籍は、親や親戚に
   残したまま、入所した子どもたちも多い。推定では
   200人を超えるものと思われる


ベトナムの「子どもの家」を支える会 代表 小山様
JASSの皆様
[子どもの家]の先生と子どもたち

フエ市の日越交流委員長の指導とベトナムの「子どもの家」を支える会の応援のおかげで、今日「子どもの家」は、18周年の設立記念式典(1994年11月21日から2012年11月21日)を行うことができます。「子どもの家」の運営委員長として、お越しいただいた皆様にお礼を申し上げます。

フエ市の人民委員会、JASSの皆様と「子どもの家」のスタッフのおかげで、子どもたちは物資面と精神面で大きな応援をいただき、安心して生活ができます。ですから、子どもたちは明るい将来に向かって進んでいくことができます。
18年間で、160人(男性は91人、女性は69人)が「子どもの家」に入りました。その中で、成長をして、安定した仕事をもって、自立した子どもたちは118人です。

「子どもの家」では、現在42人の子どもが生活をしています。学校に通っている子どもは、小学生2人、中学生19人、高校生7人、大学生7人、大学を卒業した子どもたちが4人と職業訓練をしている子どもが3人です。そして、在宅支援で応援をいただいている子どもは9人です。
多くの子どもたちは「子どもの家」に入った時は、まだ幼稚園に通っている幼い子どもでしたが、「子どもの家」を卒業する時は、大学や高等師範大学の卒業証明書を持つことができました。
子ども達は困難なことを乗り越え、勉強を頑張りました。多くの子どもは「子どもの家」を卒業した後、安定した仕事を持っています。特に、チャン・ティー・フエン・フオンさんの6年間のフエ医科大学の成績はいつも「最優秀」でした。卒業論文の結果も「最優秀」でした。これからフオンさんは、インターンを一年する予定です。その後、フエ医科大の研究者コースに残り、将来は教授になります。今年大学を卒業した他の3人の成績も最優秀と優秀でした。
2012-2013学年には、3人が大学に合格しました。3人は、フエ医科大学、フエ観光大学とダーナン経済大学で勉強を始めています。

また、京滋YOUの会の皆様の支援のおかげで、3ヶ月に一回、フエ医科大学のお医者さんたちが「子どもの家」で定期健康診断を行ってくれますので、病気が見つかった子どもたちは、すぐに治療してもらうことができます。
また、JASSの応援のおかげで、「子どもの家」の建物の改修(かいしゅう)もしていただきました。

ほかにも、子どもたちは6月1日の「子どもの日」、中秋のお祝いやサッカー大会に参加することが出来ました。支援者の皆さんは、子どもたちの生活費や学費を応援してくれる以外にも、毎年多くの楽しいイベントを行ってくれます。バーベキュー大会や像の滝への遠足やクリスマスパーティー、日本から来た大学生との交流などです。

子どもたちを育てることは私たちの大切な仕事です。私たちは子どもたちの2番目の母親としての責任を持っています。子供たちが社会と家族の役に立つ人間になるために私たちはいろいろなことを教えています。
以上が「子どもの家」の一年間の活動の報告です。
JASSの皆様はいつも私たちを応援してくださって、どうもありがとうござます。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。
今日は11月20日です。先生の日おめでとうございます。「子どもの家」の先生たちがお元気でありますように。
どうもありがとうございます。


ーーー
続いて、JASSを代表して私が挨拶。
通訳はバオミン・JASSベトナム運営委員長

▲「子どもの家」創立18周年、おめでとうございます。
私は「フエ市越日交流委員会副委員長」、JASS代表の小山です。
私は1993年9月1日にフエへ来ました。それから20年間、フエに住んで
います。
▲1994年にこの「子どもの家」を作りました。その時、「子どもの家」で私と一緒に子どもたちの面倒を見るようになったのはロック先生・ニエム先生・キム・アイン先生・刺繍のロアン先生です。
▲それから18年が経ちました二百人近くの子どもたちが「子どもの家」に入り、生活し、学校へ行き、就職し、自立しました。
▲ここにいるベトナム事務所の日本人スタッフ・ベトナム人スタッフ、セン委員長を始めベトナム人の先生方や多くの日本にいる日本人支援者のお陰で、皆さんがこうして安心して食事をし、生活をし、学校へいけるのです。
▲ 皆さんがこうして元気に生活し、学校へ行き、将来の希望と夢を実現するために毎日頑張っているようすを見て、大変嬉しいです。
▲ 2014年は「子どもの家」創立20年になります。これからも友たち同士仲良くし、しっかり勉強や運動をして自分の能力と人生の夢を実現してください。
 多くの日本人の支援者と共に皆さんの成長を期待しています。


挨拶の最後は、子どもたちの感謝の言葉

グエン・ティー・トゥー・トゥーイさん(高校2年生)


ベトナムの「子どもの家」を支える会 代表 小山様
JASSの皆様
[子どもの家]の先生と子どもたち
出席の皆様

私はグエン・ティー・トゥー・トゥイー、高校の2年生です。2年前に「子どもの家」に入りました。「子どもの家」に入った日のことはまだ私の心に残っています。どうしてかわからないのですが、怖かったです。「子どもの家」の友達も、最初は私と同じ気持ちだったと思います。

私はいつも隣に家族がいる生活に慣れていました。遠いところに行ったことがありませんでした。「子どもの家」のみんなは仲が良くなくて、お互いに助けあっていないと思いましたが、私はまったく間違っていました。「子どもの家」に入ってから、私は運営委員長の親しみを感じる笑顔に会い、友達に暖かく迎えてもらい、先生たちに熱心に面倒を見ていただいています。ですから、すぐに怖い気持ちは無くなり、暖かい気持ちになりました。その時から、「子どもの家」は、私が将来に向かって進んでいくための2番目の家だと思っています。
皆様の関心と応援のおかげで、私は早く新しい生活に溶け込むことができました。

今日、挨拶をさせていただき、とても感動しています。どうもありがとうございます。私の今の目標は、大学に合格することです。目標を達成するためにこれからも一生懸命勉強を頑張ろうと思っています。

JASSの皆様、先生たちと「子どもの家」の皆がお元気で、幸せでありますようにお祈りいたします。
どうもありがとうございます。

NGUYEN THI THU THUY

ーーー

続いてフエ師範大学化学学科を卒業し、高校の化学の先生
になる試験を受けた「ファン・ティー・トゥーイ」さん



ナムの「子どもの家」を支える会 代表 小山様
JASSの皆様
[子どもの家]の先生と子どもたち
出席の皆様

今日は、「子どもの家」の18回目の設立記念式典です。「子どもの家」の子どもたちを代表して、小山先生、JASSの皆様と「子どもの家」の先生たちに感謝の気持ちをお送りいたします。
私は、5歳の時に「子どもの家」に入りました。17年が経ちました。「子どもの家」で過ごした17年間で私は、JASSの皆様と先生たちの気持ちを理解し、大きな恩を感じるようになりました。「子どもの家」では、先生たちに生き方を教えていただきます。そして、JASSの皆様の応援のおかげで、私たちは友達と同じように学校に行くことが出来ます。私たちは大変嬉しくて、幸せです。
私は成長をして、フエ師範大学を卒業しました。「子どもの家」で暮らす時間ももう少しになりました。今の私の気持ちを表すべき言葉が浮かびません。
「子どもの家」を出ても、先生への恩は私の心に一生残ります。先生たちのアドバイスと教えは、私が選んだ道に自信を持って進んでいくための原動力になります。

「子どもの家」で生活をしている友達の皆さんへ
日本の支援者と先生の気持ちに応えるために、先生の言うことを聞いて、一生懸命勉強を頑張ってください。

小山先生、JASSの皆様と「子どもの家」の先生たちがお元気でありますようにお祈りいたします。
どうもありがとうございます。

PHAN THI THUY


ーーー

続いて、大学生の成績が「最優秀賞」の子どもたちの表彰

(小中高は、6月1日の子どもの日に表彰式を済ませている)


フエ師範大学化学学科の「THUY」さんと同じくフエ師範大学
小学校課程の「NHI」さん。NHIさんは、小学校の先生になる
ための試験を受け、現在待機中。



成績「優秀賞」

フエ師範大生物学科4年 THAO(ターオさん)
フエ科学大学地質学科4年 HOA(ホアさん)


続いて、今日は「先生の日」。
「子どもの家」の寮母さん・スタッフ全員にJASSより「金一封」贈呈



「子どもの家」スタッフ一同


JASSベトナム事務所スタッフで「不純分子を削除」した全員写真


子どもたち全員写真(注:大学などの研修で欠席の子供がいる)



子どもたち・「子どもの家」・JASSスタッフ全員写真(一部欠席)

小山と「子どもの家」の子どもたち



以上で18周年記念式典は終了



午前11時過ぎから「創立18周年記念昼食会」

昼食会が始まるのを待っている子どもたち






「子どもの家」スタッフ・ベトナム事務所スタッフ合同昼食会


刺繍土産物店スタッフにも「子どもの家」卒業生がいる




JASSベトナム事務所の若手スタッフ



ベトナム事務所スタッフとセン委員長



投稿者 koyama : 09:52 | コメント (0)

2012年11月19日

断水終了:明日は「先生の日」

午前5時起床。


断水。

午前7時朝食。「フォー・ボー」(牛肉米麺)


朝食は料理のセンさんが「自宅」で作って来てくれる。
それで朝食は可能だったのだが、宿舎の水道・トイレの
水は一切出ない。

センさんも「水が出ない」と言っている。
近所の人も水が出ないのか、センさんが確認に行く。
近所の人は水が出ている。私は3日前から地域全体が
断水だと思っていたのだが、実際には、我が宿舎だけが
「水が出なかった」のだ。
センさんが、水道の指針計と水道のバルブを見に行く。
「水道のバルブ」が閉じられていた。

先日、インターネットを直しに来てくれたソン君に
「断水だがもしかしたら水道のバルブが閉じられているかも
知れないので、確認して欲しい」と依頼する。
「水道のバルブは問題がない」との調査結果だったので
「やはり、地域全体の断水だ」と思い、3日間、シャワーも
トイレの水流しも出来ないまま、汚物まみれの中で我慢して
いたのだ。

しかし、実際には、我が宿舎だけの「断水」と言うことが判明。
直ぐに「水道指針計」と「開閉バルブ」を確認した。
フエでは、水道指針計とバルブは、家の前の道路上にある。
だれでも「水道開閉のバルブ」をいじることが出来る。

料理のセンさんが、水道開閉のバルブが「閉められていた」
ことを確認。自力で開けようとしたが、硬くて開けられない。
私も自力で開閉するバルブを開けようとしたが、びくともしない。
これは、誰かが、何らかの「機器」で強力に閉めたことは
明らかだ。「いたずら」にしては、度が越している。
センさんが近所の人に頼み、機器で何とかバルブを開けてもらう。

しばらくすると水道の水が出る。茶色。


今回の断水は、「誰かのいたずら」の結果と断定。
しかも単なる「軽いいたずら」ではなく、機器を使って
バルブを手では開けられないように「きつく」閉めてしまうという
確信犯的ないたずらだ。だれが仕掛けたのかは知らないが、
困ったものだ。

午前10時JASS日本語学校の生徒の親が
「感謝の言葉」を言いにベトナム事務所へ来る。

本当は11月20日がベトナムの「先生の日」。先生に感謝と
恩を感ずる日。

しかし、JASSは11月20日は、「子どもの家」創立18周年
記念祝賀会を行う。そんな訳で「先生の日」の前日、
親が、JASSへお礼と感謝の気持ちをあらわしにやってくる。

私、バオミンさん、日本語部長のフーン特級先生が応対。
1時間ほど、お子さん方の日本語の進捗状況などを
話し合う。



午前11時半、昼食。「チャオ・バイン・カイン」(小麦粉の手打ち
うどん)

その後、1時間ほど昼寝。


午後、バンベー42号の編集。全体の構成を再度考え、バオミンさんと
電話で相談。

私の書いた2編の文章を推敲する。文章に必要な写真を
100枚のサンプルの中から探す。

少しずつ、セン運営委員長などの書いたベトナム語の文書を
ハンさんたちが翻訳し、税田さんが校正したものが送られてくる。

読書「メディチ家」

読んでいて面白い。地方の弱小高利貸しがヨーロッパ最大の
「財閥」になり、ルネサンス最高の芸術パトロンになる過程を
詳細に記述している。
メディチ家も「政治的」な能力をもった人物が常に輩出し
数百年間かけてイタリアだけではなく、欧州最大の
財閥になったのである。政治と軍事・経済・財政に
造詣が深く、同時に芸術・人文に博識な人材が、
メディチ家にはいたのである。

夕方、バオミンさんといくつかの問題で意思統一。


光ファイバーのインターネットの力が弱すぎ、仕事に
ならない。

この火炎樹日記を書き、写真を添付するだけで
4時間ほどかかった。これでは、仕事にならない。


明日の「子どもの家」創立18周年式典の挨拶文を書き、
通訳のバオミンさんに送る。

挨拶の主流は「子どもの家」運営委員長のセンさんなので
私は簡単な挨拶とした。

投稿者 koyama : 20:23 | コメント (0)

2012年11月18日

終日断水:リー君・税田さんと夕食会

雨・曇り  どんよりとした1日だった。


午前7時、朝食。

断水。昨日、食事のセンさんが作ってくれておいた
チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)を
温めて食す。

日曜日は食事は朝食分だけ作っておいてくれる。

今日は断水のため、その後の食事が作れない。


午前中、バンベー42号の私が書く原稿2編を
書き上げる。午後1時まで。

昼を過ぎると自然に「眠く」なる。1時間ほど昼寝。

読書「メディチ家」。

午後3時半頃、リー君から電話あり。
今夜午後5時頃から夕食をしようとの申し入れ。


「カロリー・メイト」の宣伝に中島みゆきの「ファイト」が
採用されていた。1998年頃買ったCD「大吟醸」に
収録された歌。私の好きな歌だ。コマシャールの
途中で終わってしまうのは残念。

今日もインターネットは、「断続的」に付いたり・消えたり。

仕事の役に立たない。


午後5時半、日本料理店でリー君・税田さんと合流。
リー君のオートバイの後ろに乗り、サッカー場近くの
大衆飲み屋へ。

リー君は、箸でビールの栓を抜く特技を見せてくれた。


午後9時までリー君の現状・将来などを話し合いながら
多量のビールを飲む。魚鍋。


投稿者 koyama : 17:41 | コメント (0)

2012年11月17日

豪雨・洪水

早朝から豪雨。

午前6時半、宿舎前の道が氾濫。
宿舎の玄関から室内に浸水する勢い。

急いで室内・食事をするテーブル付近を整理し、
全てのものを机や椅子の上に「避難」させる。

宿舎前の道は、冠水。水深30cm~50cm程。


宿舎前を通る人は、膝から腿(もも)程度まで水が上がっていた。


これ以上増水したら宿舎の床に浸水する寸前で雨足が落ち着く。



洪水が安定したことを確認し朝食を摂る。
「ブンボー・フエ」(フエ名物牛肉米麺)

午前中は、バンベー42号の原稿書き。必要な写真や資料を
探す。結構面倒な作業だ。


午前11時半昼食。


海老と牛肉のおじや   



午後1時間半、程昼寝。


その後、洪水のフエの町を歩いてみる。
町全体的には既に水は引いていたが、土地の低い所には
まだ水がかなり溜まり、歩くことは出来ない場所もあった。




フエに住んで20年になるが、今年ほど「雨が少なく」過ごし
易い年はない。

11月中旬になってもまだ「半袖」姿で居られのだ。
例年なら寒くて冬服を着る人が多い。

今日の洪水は、排水設備の不備が原因。
配水管が細いため、一度に大量の雨が降ると排水機能を喪失
してしまい、下水道から水が道路に噴出してきてしまうのだ。
フエの洪水のほとんどは、「人災」である。
市民もしたたかである。洪水に対する「自衛措置」はきちんと
している。

夕方、税田さんから電話。日本料理店のヒエウが
欠勤とのこと。

フランス人の団体15人が午後6時半から予約している。
子どもたち・日本人の夕食を準備をする時間がない
とのこと。

心配なので午後5時過ぎに日本料理店へ行く。

日本人スタッフ、日本料理店員の皆さんが協力して準備は
完了していた。

午後5時50分頃、15人のフランス人ツアーの皆さんが来訪。

ベトナム人ガイドさんから「子どもの家」・日本料理店の説明を
して欲しいと頼まれる。私が英語で説明し、ベトナム人ガイドが
フランス語に直して説明する。



ガイドさんが英語で書かれたメニューや飲み物の紹介



税田さん・澤井先生も接客に協力。



春口先生


後藤先生


======================


選挙戦に突入。今日、石原「太陽の党」と「日本維新の会」が
合流し、石原暴走老人(最近は自称)が、代表となった。
橋本氏は代表代行。
これこそ「野合」の典型。政策が一致していない党同士が
一つの党を作るのは、選挙民を愚弄している。

石原暴走老人と橋本ヒトラーが合流したことについて、
YAHOOが実施したアンケートを見た。

・期待する            24%
・どちらかと言えば期待する  14% 
・どちらかといえば期待しない 11%
・期待しない           52%

意外と国民は覚めた目で「暴走老人と和製ヒトラー」の
「恋愛劇場」を見ているのだと思った。

国民はどの政党に投票したらいいのか?

自民党は「賞味期限切れ政党」
民主党は「賞味期限偽装政党」
第3極日本維新の会は「賞味期限不記載政党」

投稿者 koyama : 19:07 | コメント (0)

2012年11月16日

旧縫製研修センター視察:ニエン外務部長外遊送別会

終日雨

午前5時半起床。相変わらず「水道水」が出ないか、チョロチョロ。
困ったものだ。

午前7時朝食。「フォー・ガー」(鶏肉入り米麺:ハノイ名物)



朝食を作っている途中「プロパンガス」がなくなる。
料理のセンさんに頼まれ電話で業者を呼ぶ。
5分でやってくる。プロパンガスを取り替える。
ガス取替え中「ガス爆発」しないか?心配でならなかった。
ベトナムに20年住んで、ほとんど全ての物事を「きちんと」
しないで「大体」で完了としてしまう「気風・風土」を見ているので
余計心配は募るが、無事交換を終了。
雨の中、直ぐに来てくれた業者の方に感謝する。

午前9時バオミンさん・税田さんと一緒に旧縫製工場を視察。

栃木県宇都宮市の「縫製会社「マルサ」の佐藤氏と協力して
縫製工場を行っていたが、日本の不況と言う現状もあり、
当初の契約に基づき、両者の合意で、縫製研修センター
運営を停止した。丁度、私が日本で講演会などを行った
いる時だった。フエ市人民委員会内の組織「フエ市越日交流
委員会」とマルサ佐藤氏の合意の上で、操業停止となった。
長い間のマルサ・佐藤氏の協力に心から感謝したい。

私は縫製研修センターの操業停止問題当時、直接関わって
いなかったので、その後、どんな状態になっているのか?を
視察に行く。

その後、バオミンさん・税田さんで1時間ほど、当面の
諸問題を協議する。


午前11時半、昼食。「マカロニスープ」

1時間ほど、昼寝。

国会が解散された。横路衆議院議長が「憲法7条に基づき、国会を
解散する」と証書を読むと「バンザイ」三唱が起こった。
不思議な光景である。
会社で言えば、「解雇」を申し渡された社員・労働者が「バンザイ」
三唱している訳だ。

万歳三唱をした議員の中で何人の議員が「安泰」な状況で
再選されるのかは、全く不透明。今回の解散で絶対当選などという
議員がいるのだろうか?
今までの政界の常識が通じないほど、国民が「あきれかえっている」
国会議員の状況である。
自民党は既に「賞味期限切れ」、民主は「期待を裏切った」、
その他の第3極を目指す政党は、離合集散を行っているが、
「議員として生き残りたい」という『議員本能』からの行動
であり、『何か きな臭い・戦前里帰り』の連中の集まりとしか
見えない。東条英機の「大政翼賛会」を髣髴させる
「鼻息の荒さ」「単細胞な過激な単語の連発」を得意とする
人物の野合集団。
社民党からも脱党者が出ている。
大きな政界再編の時期であることは事実だが、何を機軸に
政界が再編されるのか?

私的には、第1が「消費税増税問題」だ。これほど不平等な
税金はない。年収200万円以下の労働者が1200万人いる
わが国である。これからの人たちと年収1億円の人と
同じ金額の税金を払う。払いたくなければ、物を買わなければ
いいのだが、毎日の食事、日常品は生きている以上買わない
訳にはいかない。国民の圧倒的な多くの人々から全ての
買い物時に税金を取り、年収何十億の人と同額では、
あまりに「弱いものいじめ」の税制である。
消費税を3%から5%に上げたとき、消費が激減し、日本の
経済は大停滞した経験を持っている。
孤独死・独居老人などの「餓死」が多発するのも必死だ。
現代の「悪代官」そのものである消費税。
金持ちを優遇する異常な税制。

第2がTPP問題。
「自民党ですら」と言っては失礼だが、例外なき関税廃止であれば
反対と言っているアメリカ主導の協定。

第3が原発問題。自分の力で今でも制御できていない
福島原発である。毎日大量の水で冷やしているという
綱渡り状態の原発。新しいエネルギーに代えていくことこそ
人間の知性というものである。どこでどんな地震がおこるのかは
学者だといっても分かりはしない。福島原発当初「安全・安全」と
解説した原発学者の「自己批判」を聴いたことがない。

総合的に言えば、「人間の生活第1」ということになる。
あれあれ、どこかで聞いたスローガンではあるが、スローガンとして
は、正しいと思う。


暴走老人と大阪ヒトラーが、結託するようだ。マスコミへの露出度が
高い。大阪ヒトラーは、「核廃絶は出来ない。意味がない」という
趣旨の発言をしている。マスコミもこの発言を批判すらしない。
読売の渡辺恒雄会長が言うのも変なのだが、「マスコミが
世論を誘導し、政治を作り上げている』と言う趣旨のことを
書いている。自分がその先頭になっているのに、ということは
横に置くとしても、「ナベツネ」の言っていることは本当だ。
日本のマスコミは、戦前のようなマスコミ、世論操作、
権力の手先、提灯持ちに成り下がった傾向が濃厚だ。

などなどを考え、ボーッと衆議院議員の「万歳三唱」の
光景をみていた。その後、各党責任者のインタビューがあった。
民主党・自民党・共産党・社民党・・・・など5つ位まで覚えていた
のだが、その後、「次から次へと 訳の分からない
政党』が出てきた。15位まで数えたが、後はわからなかった。
国会に議席を持つ政党はいくつあるのだろうか?
15か16政党。選挙後、いやその前に「いくつ消えるのだろうか」
なと考えながら、責任者たち「前議員」さんのインタビューを
聞いていた。こうした政党を「泡沫政党」、文字通り「泡のように
消えていく」政党である。

今日から12月16日の投票日までの1ヶ月間、日本は選挙一色に
なるのであろう。

その後、バンベー42号の原稿を書く。約1000字。
原稿に必要な写真を探す。10年ほど前の子どもたちや
ベトナム事務所員などの写真をさがしたのだが、
どこに保存されているのかわからない。
写真保存ファイルが満杯になると業者を呼んで、ファイルを
空にしてもらう。写真は、どこか違うファイルに「移動」させた
のだが、ベトナム人業者は、勝手にどこかのファイルに移動し
私には何も言わずに帰ってしまう・・・・ということを繰り返した
この10数年である。

パソコンの様々なところを探す。色々な所に写真が保存されて
いる。一種の「宝探し」である。
全ての写真を探すことは不可能。それでも探した写真の
かたまりから、「これは・・」と思う写真を100枚程選び
保存する。それだけで3時間ほどかかる。
バンベー42号に掲載される私の原稿に関わる写真は
2枚ほどだが、そのために3時間ほどの「写真探しの旅」
にでた。

================================

午後5時半。フエ市人民委員会の車が迎えに来てくれる。

フエ市人民委員会ニエン外務部長とフエ市共産党委員長ズン氏
(市議会議長)の二人が、公務出張(会議出席)で、
アフリカの「コンゴ」と「フランス」に出張する。今夜は、その送別会。
出張は2週間。

天安山中腹のしゃれたレストランを貸切り、送別会を
行う。参加者はフエ市人民委員会スタッフ。




私は、フエ市人民委員会内の職制で定められている
「フエ市越日交流委員会」の副委員長である。
この組織はフエ市人民委員会内の公的な組織である。
「日本とベトナム(フエ市)との交流」に関わる事項は
全てのこの「フエ市越日交流委員会」の所管事項である。

委員長はニエン外務部長・副委員長は私、委員は、
ホアン外務部副部長・セン「子どもの家」委員長、
バオミンJASSベトナム運営委員長である。

私とバオミンさんは、二つの顔を持っている。
ひとつは、ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)の
代表とJASSベトナム運営委員長。

もう一つの顔はフエ市人民委員会の公的スタッフである。
私が京都市とフエ市の提携業務を行っているのは、
JASS代表だからではなく、フエ市人民委員会の
職制の一つである「フエ市越日交流委員会副委員長」としての
活動なのである。ベトナム社会主義共和国としては「公務」である。

私が公式にフエ市人民委員会のスタッフであり、
京都市との提携などは、全てフエ市人民委員会内部で協議し、
フエ市人民委員会・外務部・フエ市越日交流委員会の中で
論議し、フエ市人民委員会の指示で私が京都市などと折衝する
という「公的な意思統一」を伴ったいるのである。
私の日本の都市との提携活動は、全てフエ市人民委員会の
活動である。私は最初から今日まで全てフエ市人民委員会の
一員として「都市間の提携・交流」活動をしてきた。

国際政治情勢は大きく変化して来ている。

中国の台頭は「東アジア情勢」に大きな影響を及ぼしている。
そうした中で、日本とベトナムとの友好交流は日本の外交上
大きな意味を持っている。
アセアンに加盟しているベトナムである。日本とベトナム、アセアン
が協力して中国の「海洋資源拡張政策」との深い協議・協調が
必要である。

私たちのしていることは、小さなことではあるが、それでも
中国の台頭で大きく変わってきつつある「東アジア」情勢の中で
フエ市人民委員会と共同して、小さな市民外交をしている。

投稿者 koyama : 00:19 | コメント (0)

2012年11月15日

バンベー原稿・「京滋YOUの会」バサー成功

終日雨。夜になるとかなりの豪雨。


午前5時半起床。血圧測定・・・・。

午前7時半朝食  カニ団子のブン麺。



バオミンさんと電話で打ち合わせ


バンベー2号の原稿、計画


IT会社「ブライセン・ベトナム支社」の社員になっている
VU君にお子さんが生まれた。3300グラム。健康な
第1子。おめでとう。VU君との付き合いは、1993年から。
長いものである。20年近くになる。
その間、多くの日本人がVU君を支援してくれた。
柳沢さん・高橋さん・内田さんをはじめ、多くの日本の
支援者の皆さんに感謝。皆さんのお陰でVU君は、
高校・大学に通うことが出来、自立し、結婚し、お子さんが生まれ、
ブライセンと立派な会社に勤めることができた。
jASSの活動は、小さなものではあるが、20年間、様々な
活動を通して、一人の子どもの人生を支援してきた。
最終目的は、「自立・自活」である。
3300グラムのお子さんの誕生、おめでとう。


午前11時半、昼食。野菜サラダ、魚フライ、スープ・・・。


その後、1時間ほど昼寝。


読書「メディチ家」(森田義之著:講談社現代新書)

メディチ家の「メディチ」は、「メディシン」(薬・医師)などから
来る言葉だとも言われている。祖先が、医師か薬剤師など・・・

その後、両替商・銀行で頭角を現し、資産を蓄えるが、
かなり粗暴な家柄だったようだ。貴族からなるフローレンスの
上流階級の中では、商人から出発し、暴力や破壊などを
常套として時期もあたようだ。


ソン君が宿舎に来てくれる。



「京滋YOUの会」バサー成功

― 見て、食べて、遊ぶ サポセン ワールドツア―  報告      

( 長岡京で世界体験)11月3日長岡京市バンビオ広場にて・・
 11月3日、サポセンワールドツアーがありました。長岡京市市民活動サポートセンタ主催の初めての取り組みに参加しました。世界の料理模擬店ブース、展示、世界の遊びなど、多彩な取り組みがあり、規模は、大きくはありませんが、楽しい一日となりました。京滋YOUの会は、ブースで、展示、刺繍製品の販売、ベトナムコーヒーとチェーの販売をしました。広場の横の会館は、洋服バザーも2回ほどやらせていただいていますが、今回の取り組みは、さらに幅広い市民の皆さんに会の活動を知っていただく機会となりました。洋服バザーなどでお世話になっている、地域のボランティアのみなさんにもお世話になりながら、取り組むことができました。長岡京の会員やボランティアの方の地元とあって、顔見知りの方も多く来場くださって、地域色いっぱいの、ほっこりとする取組でした。
アオザイ姿の若者、アオババ姿の皆さんなど、スタッフの皆さんも色々工夫をして活躍してくださいました。お手伝いくださった皆様、ありがとうございました。(藤井記)





「京滋YOUの会」の取り組みに感謝。こうして地道な活動を
各地の会がおこなうことこそ、本当の草の根の国際支援・
国際交流だと思っている。
参加した「京滋YOUの会」の皆さんは、それぞれ色々な仕事を
して「忙しい毎日」を送っている方々。
忙しさの中をこうした活動をすることはなかなか大変だと思う。
頭が下がる。

「京都YOUの会」→「京滋YOUの会」へと1997年から
今日まで15年間も長い間の活動である。


投稿者 koyama : 10:22 | コメント (0)

2012年11月14日

断水:国会解散総選挙へ。

午前6時半 室外 気温 27度 湿度90%

午前5時半起床。

今朝も断水状態。時々「チョロチョロ」と水が出る程度。

夕方になると部屋の蛍光灯が「点いたり、消えたり」。
光ファイバーのインターネットは、数秒ごとに接続したり
切れたりの毎日である。

水道や電気の管理システムと技術がしっかりしていないことと
管理者・責任者・担当者の仕事についての責任感がない
00主義社会である。
仕方がないので、トイレ兼バスには、大型ペットボトル5本に
水を入れて、断水対策にしている。水風呂だ。

光ファイバーが、点いたり消えたりするのは、流石に
我慢できない。パソコンを数秒使うと消えてしまうのでは、
本当に仕事にならないのだ。せっかく光ファイバーに
代えたのに・・・・。管理システムと技術者の技量に
問題があるように思う。

午前7時朝食。「フォー・ボー」(牛肉米麺)

午前中、バンベー42号の原稿を書く。

バオミンさん、税田さんと電話でいくつかの件を
打ち合わせ。

午前11時半、昼食。「春雨麺」


1時間ほど昼寝。

午後2時半頃、ソン君とコンピュータ修理業者が来る。

火炎樹日記に掲載する写真用の「PICASA」が故障。
この数日、文章用のパソコンと写真用のパソコンに
分けて火炎樹日記を書いていた。
PICASAとデスクトップパソコンの容量が満杯になった。

パソコン2台のウイルスバスターが故障。シリアル番号を
入れなおし、修理してもらう。


午後、しばらく国会での党首討論を見る。

小沢一郎、公明党の山口氏と野田首相の討論。

NHKの解説ではその前の自民党安倍氏と野田首相の
討論で、「議員定数削減等」に自民党・公明党などが
賛成すれば、11月16日(明後日)国会を解散すると
野田首相が発言したという。

午後4時過ぎ、パソコンの修理が終わり、ソン君と
業者が帰る。

ブライセン本社との連絡などいくつかの仕事を行う。

政府・民主党は11月16日解散を決定。12月16日に
都知事選挙と衆議院選挙の同時選挙に向けて、
突き進んでいく様相を呈している。

自民・民主・公明の談合・野合解散ではあるが、
結局は国民の世論・批判で解散へ追い込まれたという
ことだと思う。総選挙の争点は、震災復旧問題、
消費税増税問題、TPP、原発、そして、国民主権の大前提
である選挙制度問題。民主・自民・公明の談合政党・『第3極』を
標榜する石原暴走老人、橋本「核兵器廃絶冒涜」市長などの
大連合で選挙制度の改悪を行い、議会から少数政党を排斥する
道を辿っている。危険な方向だ。
12月16日の総選挙で国民主権を発揮したいものである。
フエにいる5人(総選挙時には6人)の日本人が事実上
選挙に参加できないことは、残念である。
某アジアの某国のように家族代表1名が投票場に行けば
家族全員が選挙に行ったことになるような我が日本では
ない。JASSベトナム事務所6人の日本人の意思を表明する
ためには、ハノイに行き選挙人登録をしなければならない。


夜、バンベー42号の原稿草案を書く。
今後、何度か推敲をして完成させる。

税田さんが、お父さんの中心的な法事を終え、
ベトナム事務所に戻って来てくれた。
実務的な問題その他のことで大いに助かっている。
バオミンさんと協力してベトナム事務所・日本料理店
の運営に当たって欲しい。

投稿者 koyama : 08:51 | コメント (0)

2012年11月13日

理髪店:日本人懇談会:日本料理店会議

うす曇・午後大雨


午前6時起床。
断水。朝のシャワーを浴びることが出来ない。

朝食時に断水することを容認している
この社会の政治システムの官僚制度に
辟易する。
一般家庭では、朝食を作る時刻に
断水とは・・・・。どんな影響がでるのかは
知っているのに。

午前7時、朝食。「精進麺」。
今日は旧暦の10月30日(10月の最終日)


午前8時過ぎ、バオミンさんと電話で打ち合わせ。

午前9時過ぎ、徒歩で「理髪店」へ。
今日は幸いお客ゼロ。直ぐに店長さんが
調髪してくれる。この店には、1993年10月から
来ている。お店のご主人は、私専門に調髪してくれる。
黙って座れば、私の希望通りの調髪をする。
カミソリは使わない。洗髪はしない。整髪料は一切使わない。

今日は珍しくお客さんがゼロ。
色々と話しかけてくる。「フエに来て何年になるの?」
「今年は何回日本へ帰った?」「奥さんは仕事をしているの?」
「子どもは何人いるのか?」「子どもはどんな仕事をしてくるの?」
「子どもは何歳になる? 孫は居るの? 何歳?」
などなど、色々な質問や話をしてきた。20年近く通っているが
、珍しく話しかけてきた。
今まで、私がベトナム語が出来ないと思っていたフジがある。
次回、行った時に「ベラベラ」話しかけられるのも迷惑なのだが。
ベトナム人とベトナム語で話すには、ある程度のエネルギーが
必要だ。

調髪料3万ドン。(100円ちょっと)


宿舎から徒歩で片道30分。往復1時間。
建築中の高層ビルが経済事情で建築がストップ
しているものが、いくつもあった。既に鉄筋は錆びて
しまっている。




午前10時半、宿舎着。

徒歩1時間。多少、疲れる。気候のせいで蒸し暑い。

読書「メディチ家」(森田義之著:講談社現代新書)
1980年代、イタリヤのフレンツエへ行った。
「ウヒッツ美術館」を参観した。
行く前に「ウヒッツ美術館」について学習していったが、
「メディチ家」を理解しないと当時のヨーロッパ、
「ウフィッツ美術館」の意味が分からないことを
参観して悟った。

今回、大森の「BOOK OFF」で半値で売っていたので
改めてヨーロパ最大の王室「メディチ家」の歴史と
終焉を知ろうと思った。

午前11時半、昼食。チャオバイン・カイン(手打ちうどん)


その後、1時間ほど昼寝。

午後2時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

日本人スタッフと日本料理店の運営などについて
話し合う。


午後5時、日本料理店の子どもたちと「日本料理店会議」。


午後7時、晩酌。

バオミンさんが、知り合いの農家が作った「濁酒(どぶろく)
を持ってきてくれる。「ホンの少量」試飲する。
美味しい。混じりけのない「ピュアー」などぶくろく(マッコリ)。
もう少し「すっぱい」方が好きだが、それでも美味しい。



今日は朝から「腹痛」と「下痢」。

バオミンさんにもらった「どぶろく」を飲んだからだろうか?
体調が良くなった。

「どぶろく」と「ごぼうの漬物」が一番合う。
次にイカの塩辛。


ベトナムの「どぶろく」は、もう少し「置いておくと」美味しくなるのに?
と思う。発酵が始まった頃に飲んでしまうようだ。
発酵がもう少し進んだ頃に飲むと美味しいのに・・・・・。残念。

「どぶろく」は、私に取っては「ヨーグルト」のようなもの。
整腸剤である。

結局、どぶろく1本を飲み干す。添加物などが一切入って
いない『お酒」は本当に美味しい。もう少し発酵させて、
酸味を多くした「どぶろく」をお願いしたい。

投稿者 koyama : 08:50 | コメント (0)

2012年11月12日

ベトナム事務所でバオミンさん・税田さんと打ち合わせ

曇り・雨・晴れ  気候不順

午前6時起床。

午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン(手打ちうどん)
かなり「唐辛子」が強い。

午前8時半、徒歩でベトナム事務所へ。小雨。

バオミンさん・税田さんと当面の課題を協議。


①札幌のアジアンクラスのIさんから依頼された
  女性用のスーツ縫製、BAGの刺繍などに
  ついて、その可能性を検討する。
   早速、今日、「子どもの家」卒業生のMさん
   を呼んで「縫製の可能性」を協議。

②バンベー42号の内容を協議し大要を確認する。
  早速、今日から作業に入り、
  ●11月末までに全ての原稿、写真を準備
  ●12月01日に編集のAさんに全てを送る。
  ●12月15日に印刷いれ。
  ●12月19日以降、「郵送作業」

    という大雑把な日程を確認。

「子どもの家」のTHAOさん(フエ高等師範大2年生)
が母親の病気の件でベトナム事務所を訪問。
相談に乗る。4歳で「子どもの家」に入所。現在20歳。


午前11時半、昼食。「ベトナム風うなぎ入りオジヤ」


午後1時間ほど昼寝。気温の変化が大きく、常に
体がだるい。

午後2時、ベトナム事務所員から電話。

午後2時半、徒歩で「理髪屋」へ。満杯。今日は
散髪を止める。徒歩で散髪屋まで往復1時間。

3時半過ぎ、バオミンさんと電話でいくつかの
問題を協議する。


その後、バオミンさん・税田さんと電話でいくつかの件に
ついて打ち合わせ。

ーーー
小沢一郎氏の高裁判決が無罪になった。
個人的には、小沢一郎の政策・政治姿勢には必ずしも
一致するものではない。はっきり行って「好きではない」。

しかし、検察の専門家が2回も「起訴できない」と判断した
ものを、素人の「検察審査会」で審議させ、起訴させるという
事態となった。

マスコミも含めて「小沢一郎悪玉論」が流布された。
国民の多くは、小沢一郎は、悪者との認識を持つに至る。
恐ろしいことである。
国家権力内部の争いで「小沢邪魔者論」が出てきて、
結局、権力闘争の中で小沢一郎は「国策捜査」によって、
犯罪者に仕立て上げられたように思える。
国家権力の中枢が、「切り捨てる」としたら、人間は、いとも
簡単に「犯罪者」にされてしまう、わが国である。
厚生省の木村局長が、検察の恣意的な態度で「犯罪者」に
仕立て上げられそうになったことを想起すべきだと思う。
いつでも国民が小沢一郎のように突然「犯人」にされる
可能性のあるわが国である。権力中枢に「反抗」すると
こうなるという見せしめのように思う。
常に国民は国家権力に対して「批判する権利」と行動を
実践しないと、いつか、国民が何もいえない「検察恣意的
起訴国家」になってしまう。

戦前の「治安維持法」に代わって、マスコミと結託した
国家権力が「恣意的な」起訴・犯人でっち上げ国家を
作ろうとしているように思えてならない。
国民は「嫌いな(そうしたイメージをマスコミが作り上げた)」
小沢一郎が捕まるのは当たり前的な雰囲気が作られていた。
戦前も「戦争に反対した」共産主義者・社会民主主義者・
自由主義者・多くの宗教家が、戦前の国家権力によって
様々な理由で「予防拘禁」をはじめ、治安維持法などで
検挙・拷問され投獄された。

今回の小沢一郎の「検察審査会」を使っての起訴は
戦前の治安維持法や「予防拘禁」と同じ役割を果たしている。

小沢一郎の政策・政治姿勢には反対だが、こうした人間を
政治的に抹殺する、現在の国家権力の腐敗を糾弾したい。

投稿者 koyama : 16:57 | コメント (0)

2012年11月11日

休日:日本人の皆さんと朝食:夜、リー君・税田さんと飲み会

午前中快晴、午後一時豪雨、夕方曇り・高湿度

午前6時起床ーシャワーを浴びる。
洗濯物を干す。

午前7時半、宿舎を出て、日本人の皆さんと朝食バイキング。

途中で偶然、リー君と会う。オートバイで、「コーヒー」を
飲みに行く途中とのこと。日曜日の朝、路上でゆっくりと
コーヒーを飲むフエの人々。「優雅な生活」ではある。

フエ市内の「カメリアホテル」の朝食バイキング。


日本人スタッフの皆さんと色々な話をする。


午前10時過ぎ、解散。

自宅へ戻り読書。

「一度も植民地になったことがない日本」(デュラン・れい子著
講談社新書)

大森駅前の「BOOK OFF」で購入。450円。

著者はコピーライター、スエーデン人と結婚、版画家、
スエーデン・オランダ・ブラジルに住む
残念ながら著者の日本の政治・経済・歴史にたいする
知的水準が低いので、フランスやオランダで日本が
どのように見られているのか、と言う点は分かるのだが、
それ以上の歴史的な背景への洞察がない。

本書の題名が「「一度も殖民になったことのない日本」
という認識自体が時代錯誤。石原前都知事ですら、日本は
アメリカの半占領下のようだといい、沖縄の米兵の蛮行は
「日本はアメリカの事実上の植民地」と思い込んでいる
上になりたつ「婦女暴行」「家宅侵入暴行」事件の多発
であり、日本に基本的な捜査・裁判権がないことだけでも
現在の日本がアメリカの「半植民地」であることは明らかである。
日本全土が、アメリカの軍地基地になる『全土軍事基地方式」
オスプレイ問題でも明らかになった「日本の制空権」の大半を
アメリカが掌握していること、首都東京の横田に米軍基地
があること・・・・・。
自分の祖国の現状を直視していない著者が、欧米での
日本人のあり方を説いても、「街角のおばさんの雑談」の
範囲を超えない。
 読みやすい本なので1日で読み上げる。欧米系の
人間が、日本をどうみているのかを知る資料にはなる。

午後5誌過ぎ、電話があり「リー君と税田さんがベトナム事務所
付近」の大衆酒場で飲んでいるとのこと。
電動バイクで急行し、仲間に入る。

午後10時前まで3人で飲みながら、「リー君の今後の人生」
について、私と税田さんでお説教。リー君も今の人生を
より良いものにしたいとの気持ちを持っていることを確認。

午後10時、宿舎へ帰る。

投稿者 koyama : 23:46 | コメント (0)

2012年11月10日

ハンさん00回目の誕生日

快晴

午後4時の室内(気温40度  湿度50%)


午前5時起床。

読書「安心のファシズムー支配されたがる人々」
(斉藤貴男著 岩波新書) 読了


本書と「反ポピュリズム論」(渡辺恒雄著:新潮新書)
「独裁入門」(香山リカ著 集英社新著)
の3冊を読むと、現在、日本は徐々に見えないような
新しいファシズムが、進行していることが分かる。

経済・政治などの閉塞感、IT関連の機器をつかった
国民監視システムの構築・・・・・・・。
そして、国民自身が「進んで現代の新しい形の
ファシズム」に入っていくという現象に危機感を
覚える。

午前7時、朝食。大型カニ団子ブン麺

午前8時半過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

午前9時、JASSベトナム事務所会計部長のハンさんの
00回目の誕生日。

ハンさんとは、1993年9月から2年間、フエ師範大学で
日本語を教えた仲である。19年間、変わらずに真面目な
態度でどの人にも接している。信頼できるスタッフである。
これも信仰心のなせる技だと思う。私なども「女帝教」の
信者なのだが、ハンさんのような「平常心」を常にもって、
キ00ト様に帰依するまでには、至っていない。

 いつまでも元気でベトナム事務所の会計などの仕事を
してもらいたい。また、何度も入院し、現在も入院している
お父さんの病気が早く治ることを祈っている。


誕生会の準備は、10数年前からのベトナム事務所の
伝統で日本人スタッフが行う。
今回は後藤先生を初め、春口先生、澤井先生たちが
心をこめて諸準備をしてくれた。深謝。

誕生ケーキ贈呈



澤井先生より「記念のベトナム事務所スタッフの顔写真」
をプレゼント




続いて00本のロウソクを吹き消す


澤井先生・春口先生の「ケーキカット入刀」


後藤先生の「音頭」で「おめでとう」の唱和


その後、会議室で1時間ほどベトナム事務所員・ブライセンスタッフ
合同で「懇談会」。




手に持っている「清涼飲料水」に『不満』をもらすバオミンさんと
その手下のソン君。(何故、ビールが出ない)と司会者に
カラム。


ブライセンスタッフ現在6人。5人は、日本で研修中。


ベトナム事務所の「四天王」というと男性になってしまうが・・・・・・
三羽スズメ+1羽の日本語特鳩(最後の漢字は音読みに)

どんな事態だったかは説明不能の写真


ハンさんの誕生日を祝福する税田さん。


午前10時過ぎ、ハンさんの誕生会を終わり、宿舎へ
帰ろうとしたら、ベトナム事務所の前にリー君が
いた。オートバイで何かしている。
リー君の使っている「ホーチミン・ヘルメット」を借りて
記念撮影。いつも「神出鬼没」な男である。
何をしているのか? も分からないが、いつも何かしている。
ベトナム事務所前で、静かに座っている時は、「ギャンブル」を
しているか「飲んで」いる時だ。

午前11時半、昼食。マカロニスープ



ーーー

北海道で「子どもの家」を支援してくれている菊先生より
郵送された「石狩国際フェスタ」(正確な名称不確かだが)
の様子。

アオザイの「試着コーナー」があり、好評だったとのこと。


午後4時頃、ベトナム事務所へ。

・東京都知事選~「人にやさしい都政をつくる会」

(日弁連会長 宇都宮健児氏を都知事候補に推薦している
 皆さんと「会」の訴え)

東京都知事選挙にあたって、「人にやさしい都政をつくる会」ができ
昨日6日、東京都庁で緊急に記者会見が開かれ、下記のような声明が
発表


第一は、日本国憲法を尊重し、平和と人権、自治、民主主義、男女の平等、福祉・環境を大切にする都知事である。

第二は、脱原発政策を確実に進める都知事である。

第三は、教育に民主主義を取り戻し、教師に自信と自律性を、教室に学ぶ喜びと意欲を回復させる都知事である。

第四は、人々を追い詰め、生きにくくさせ、つながりを奪い、引きこもらせ、あらゆる文化から排除させる、貧困・格差と闘う都知事である。

                    記

<声明>

私たちは新しい都政に何を求めるか

惨憺たる石原都政の一三年半であった。
福祉は切り縮められ、都立病院は次々と統廃合された。都民の安心を奪い、人々を生き難くさせて切り詰めたお金は、
都市再開発や道路建設に回され、知事が旗を振るオリンピック誘致や新銀行に無意味に蕩尽された。

惨状を極めたのが、教育現場である。民主主義が破壊され、強制と強要と分断が横行した。
教師たちは誇りを踏みにじられ、精神を病み、教壇を離れていった。子どもたちは競争に追いやられ、
教室は荒んだ。都立大学は破壊されてしまった。

知事の思いつきと独善、押し付け、決め付け、他者を命令・服従の対象としか見ることができない貧困な想像力、
剥き出しの偏見と差別意識、公私混同、乱暴な言葉――それらが多くの人の心を傷つけ、
公正と公平を貶め、排外主義を助長し、弱い者をさらに追い詰め、社会を荒廃させた。

昨年3月11日の東日本大震災と福島原発事故は、改めて私たちに、原発に依存する暮らしのあり方、社会のあり方に反省を迫るものだった。福島や新潟にある原発から生まれた電気は、ほとんどすべて東京など、首都圏に送られ、使われているのだ。震災と原発事故直後の石原知事の発言は、「津波をうまく利用して、我欲を洗い流す必要がある。これはやっぱり天罰だと思う」という驚くべきものだった。さらに、原発事故による未曾有の被害が徐々に明らかになり、おびただしい人々が避難生活を余儀なくされているとき、市民の間で広がり始めた脱原発運動を罵倒しつづけてきた。

そして最後は、東京都政とは何の関係もない尖閣問題に火をつけ、日中関係を極度に悪化させ、経済を大混乱させたのである。その挙句、何の責任も取ることなく、知事職を放り出した。この尖閣問題の経過ほど、石原都政の年月を象徴しているものはない。

来る都知事選は、このような都政と訣別し、人々が人間らしく生きられる街、平和と人権を尊び、環境と福祉を重視する、いわば「当たり前の都政」に転換する絶好の機会であると私たちは考える。

石原都政の継続や亜流を、決して許してはならない。
自治とは、住民の暮らしを守り、福祉を増進させることを本旨とする。教育とは、自ら学び考え、議論を深め、合意を作り上げていく、民主社会の次の担い手を育てることである。東京都政を、こうした自治の原点に戻さなければならない。荒れ果てた教育現場を建て直し、次の世代と私たちの未来を救わなければならない。

あまりにも、いまの時代は人々が生きづらい。失業、非正規労働、過労、格差・貧困の拡大と福祉の切り下げによって、若者も子育て世代も高齢者も苦しんでいる。その上、国政は、混迷、混乱に加えて右傾化の度合いを増し、改憲や集団的自衛権の行使、近隣諸国との紛争に突き進んでいるように見える。この流れを止めなければならない。

いま、東京都知事を変えることは、日本の右傾化を阻止する力になると私たちは考える。
では、どのような都知事を私たちは求めるか。

第一は、日本国憲法を尊重し、平和と人権、自治、民主主義、男女の平等、福祉・環境を大切にする都知事である。

第二は、脱原発政策を確実に進める都知事である。石原知事は、原発問題を「ささいな問題」と呼んだが、冗談ではない。東京都民は福島原発からの電気の最大の消費者であり、東京都は東京電力の最大の株主だ。福島原発事故の結果、豊かな国土が長期にわたって使えなくなり、放射能汚染による被害は、むしろこれから顕在化する。原発事故と闘い、福島をはじめとするこの事故の被害者を支えることは東京都と都民の責任である。これまで原発推進政策を推し進めてきた政官業学の原子力ムラと闘うことは、この国の未来を取り戻すことである。政府、国会、経産省、東電を抱える東京での脱原発政策は、国全体のエネルギー政策を変えることになる。

第三は、石原都政によってメチャメチャにされた教育に民主主義を取り戻し、教師に自信と自律性を、教室に学ぶ喜びと意欲を回復させる都知事である。

第四は、人々を追い詰め、生きにくくさせ、つながりを奪い、引きこもらせ、あらゆる文化から排除させる、貧困・格差と闘う都知事である。

以上のような都知事を私たちは心から求める。このような都知事を実現するため、私たちは全力で努力する。
2012年11月6日

赤石千衣子
雨宮処凛
池田香代子
稲葉剛
上原公子
内田雅敏
内橋克人
宇都宮健児
大江健三郎
岡本厚
荻原博子
奥平康弘
海渡雄一
鎌田慧
河添誠
北村肇
木村結
小森陽一
斎藤駿
斎藤貴男
早乙女勝元
佐高信
佐藤学
澤田猛
澤藤統一郎
柴田徳衛
品川正治
杉原泰雄
高田健
俵義文
崔善愛
辻井喬
暉崚淑子
寺西俊一
中山武敏
西谷修
堀尾輝久
前田哲男
山口二郎
渡辺治
以上、40 名
(11 月5 日23 時現在)

投稿者 koyama : 13:09 | コメント (0)

2012年11月09日

税田さん着任挨拶:「子どもの家」ターオさん誕生会

午前5時起床。
昨晩、痛飲。
午後7時の室内気温 35度。湿度50%。真夏である。


朝、YAHOOを開くと「高校クラス会のような会の分派組織」の
リーダーである與芝君の娘さんが、双子の女の子を
出産とあった。ラオスにいる與芝君に「お祝い」の
メールを送る。完全な「爺さん」になったことを証明している。
お目出度いことである。こうして、人間の命と歴史が
次代に伝わっていくのだと実感した。
この双子の女の子が20歳になった時、與芝爺さんも
私も85歳になる。どんな社会になっているのか?


今日、前日本弁護士連合会会長の
宇都宮健児氏(私や與芝君と同学年:65歳)が
都知事選挙に立候補すると発表した。英断であり、勇気の
ある行動だ。けして私利・私欲からではないと思いたい。
宇都宮氏の勇気と決断に共感する。
日本のファシズム化と反原発、TPP反対、弱者切捨てに反対す
る勢力・政党は「小異を捨てて大同につく」ようにしてほしい。
落選が分かっていて立候補する少数政党も「自我を捨てて」
日本社会のファシズム化・原発をなくす方向に賛成する
全勢力・人々が、「大きな社会の変革」に
向けて、大同団結すべき時だと思っている。
団塊のピーク世代の宇都宮おじさん、頑張れ。

午前7時朝食。フォー・ボー(ハノイ名物牛肉米麺)


午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

昨夜、フエへ帰国した税田さんの再赴任の挨拶。
8月にご尊父がお亡くなりになり、その後、供養の諸行事が
あり、今日の復帰となった。



バオミン・JASSベトナム運営委員長の挨拶




2013年8月までご尊父の法事関連の諸行事があり
今後、適宜帰国諸法事関連の行事に参加しながら、
ベトナム事務所員として活動してくれることになっている。
ベトナム事務所員として復帰してくれて感謝している。

午前10時過ぎ、電動バイクで「子どもの家」へ。

今日は、「子どもの家」のターオさん(里親中村祥子さん)の
13回目の誕生日。里親の中村さんの希望もあり、
誕生会を行う。「子どもの家」の子どもたち全員用の
誕生ケーキも里親の中村さんの希望で準備。



里親の中村さんのお祝いの手紙をベトナム語に翻訳する



誕生ケーキに点火


誕生ケーキには、「HIEU THAO(名前)と11月9日」
と書かれている。





小学校入学前の5歳位で入所。重度の「心臓病」だった。
爪は「むらさき色」、唇も「むらさき色」、肩で呼吸していた。
素人目では、「このまま死んでしまうのでは?」と思った。

小学校入学前では、体力がないので心臓病の手術が出来ない
と医者に言われる。

小学校低学年になり、体力が付いてきた時点で「心臓病の手術」
をする。20万円程の費用がかかる。手術は成功し、今日に
至る。「子どもの家」入所の当初から里親としてターオさんの
支援を続けてきてくれている里親の中村さんに感謝。
人間は、「口では何でも言えるが、行動は難しい」というのが
現実だ。


ターオさんによる「ケーキカット」


里親の中村さんから贈られた「手作り人形」。
ターオさんの一生の思い出になるでしょう。

42人(何人かは病院、大学等での実習をして不在)の
子どもたちの昼食。







「子どもの家」の子どもたちの昼食の様子を見ていた。
結局、こうした1日3回の食事を繰り返し続けていくという
粘り強さが海外NGOには求められるのだ。
2年か3年で移り歩く「渡り鳥NGO」には、20年間、
1日3回の食事を準備し、子どもたちに提供することは、
難しいかもしれない。
延々とした「継続」と1回の「断絶」も許されないのが
子どもたちを育てるという活動ではある。




10月に入所した新入の男子
幸せな人生を過ごして欲しいと祈っている





寮母さんと年上の子どもたちで誕生ケーキをカットする



1993年10月から「子どもの家」に入所し、私との付き合いが
始まった「THANH(タイン)」君。19年の付き合いである。



年上の子どもたちが、ケーキを食べやすくカットする



昼食終了後、子どもたちは誕生ケーキを
食べ始める。



食事が終わったら子どもたちは直ぐに庭で遊び始める。
旺盛なエネルギーに圧倒される。日本の子どもたちは
どうなのか?


午前11時50分。電動バイクで帰宅。

昼食。ご飯と魚フライ・ヤサイサラダ・スープ。


その後、1時間ほど昼寝。


午後、受信メールへの返信等。


午後5時過ぎ、ベトナム事務所へ。

バオミンさん・税田さんとスタディーツアー等の件で
打ち合わせ。

投稿者 koyama : 20:54 | コメント (0)

2012年11月08日

フエ市日越交流委員会打ち合わせ

午前6時起床。

終日晴れ。室内気温30度を超える。


午前7時半朝食。 フエ名物「ブン・ボー・フエ」(牛肉入り米麺)

午前8時45分、バオミンさんのオートバイでフエ市人民委員会
外務部内にある「フエ市日越交流委員会」会合。


フエ市日越交流委員会は、フエ市人民委員会内の
公的組織。フエ市人民委員会内の一部署。
委員長はニエン外務部長、副委員長は私。

今日は、「フエ市日越交流委員会」を開催。
委員長のニエン氏、副委員長の小山、部員の
外務部副部長のホアン氏、同外務部員バオミン氏
が参加。
今後の日本の交流、投資導入等について、総合的な
話し合いをする。

京都の「日新電機」株式会社に手紙を書く。

今日、ご家族の結婚式出席のため一時帰国する富岡先生
いつも真面目に仕事をしてくれている。感謝している。


午前11時半、昼食。
チャオ・バイン・カイン(小麦粉の煮込みうどん)


その後、1時間ほど昼寝。


午後2時半、徒歩でベトナム事務所へ。

今年のフエは異常気象。フエに住んで20年になる。
11月初旬に雨がなく、こんな真夏のような太陽が
出る日はなかった。


宿舎からベトナム事務所へ行く途中に「ホンダ」の
オートバイがあった。

1967年に私が乗っていたオートバイである。
50CCバイクなのだが、左ハンドルにクラッチがついていた。
40年以上前に販売されたオートバイがいまでもベトナムで
動いていることに驚きを感ずる。

日本語教師の春口先生・澤井先生と懇談。
複雑な環境の中で頑張って仕事をしてくれていることに
心から感謝している。


富岡先生が、実家の「祝儀」に参加するために今日、帰国。

同時に今夜、ベトナム事務所員の税田さんがベトナム事務所に
復帰する。

午後6時前。日本料理店のスタッフ、日本語の先生たちの
夕食は、私の昼食と同じ「チャオ・バイン・カイン(手打ちうどん)」


午後8時、日本からフエに戻った税田さんと打ち合わせ夕食を
摂る。

税田さんは、お父さんが亡くなられ、法事関係の諸行事があり、
来年の8月までの間に何度か帰国する予定。

午後10時前まで税田さんとフエの現状、今後の課題などを
話し合う。

宿舎着、午後10時15分

投稿者 koyama : 12:56 | コメント (0)

2012年11月07日

終日、JASS関連の仕事

午前6時半過ぎ、車で空港へ。

午前8時半、バオミンさんと一緒に「朝食」。ハノイのフォーを
食べる。

そのまま、ベトナム事務所でバオミンさんと当面の課題に
ついて、懇談。

午前11時半、昼食。

肉団子のおじや。半分残す。


午後1時間半程昼寝。この数日、相当疲れる。


午後3時過ぎ、徒歩、ベトナム事務所へ。

グエットさん、バオミンさんと懇談。

京都・日新電機関連の書類作成

当面するいくつかの問題について、問題と解決策を整理する

投稿者 koyama : 19:25 | コメント (0)

2012年11月06日

諸活動

ベトナム事務所にて、スタッフと懇談

ブライセンベトナム支社

「子どもの家」でセン委員長と懇談。

その他。

投稿者 koyama : 23:01 | コメント (0)

2012年11月05日

雨のち晴れ

A7 気温 23度 湿度90%

朝、雨。昼は晴天。真夏のような太陽。

今年のフエは異常気象。夏がいつまでも続いている。
例年9月中旬には「雨季」にはいるのだが今年は、
やっと11月初旬から「雨季」に入りだした。

午前7時朝食。フォー(米麺)

午前9時、パソコン業者とソン君が部屋に来てくれる。
写真収蔵「PICASA」が故障。火炎樹日記にデスクトップ
パソコンからは、写真がアップできなくなっていた。
業者に直してもらう。

当面の諸問題をまとめる。


午前11時半、昼食。春雨麺。


1時間ほど昼寝。

午後から快晴。気温30度を越す。

午後3時、ベトナム事務所へ。スタッフと懇談。

午後4時、バオミンさんと「私の不在中の諸問題」
について報告を受ける。現在、当面するいくつかの
問題について、意見交換する。

日本料理店で研修しているHIEP君に里親のUさんからの
写真を渡す。



HIEP君は日本料理店の女の子たちともうまく
やているようだ。

ベトナム事務所では「子どもの家」付属刺繍土産物店
の先生と刺繍担当のハンさんが、製品の打ち合わせ。


同時に日本語の先生方の打ち合わせも行われていた。

その後、ベトナム事務所スタッフと若干の意見交換。


投稿者 koyama : 11:21 | コメント (0) | トラックバック

2012年11月04日

日曜日ー休息ー洗濯・掃除ーウオーキングー定例飲酒

晴天  午前8時 室内(気温25度  湿度70%)
     午前10時 室内(気温 30度 湿度65%)
午後8時  室内(気温30度  湿度50%)

午前7時、朝食を作る。
ご飯を炊き、キャベツを炒め、卵を絡める。
小キャベツ1個を使い、残ったものは、夕方のおつまみに
する予定。(キャベツ1個と卵2個で50円程度)

東京のUさんから頂いた「シバ漬け」と「久衛門ーお吸い物」
キャベツ卵炒めでお米の朝食を摂る。
1合のご飯を炊飯器で炊いたが、3分の2ほど残ってしまう。
小さなお椀1杯でお腹が一杯になってしまった。
残ったご飯は、おにぎり2個にして夕食とする。

宮沢賢治は「雨ニモマケズ」の中で「一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ」と
言っている。当時は、1人の人間が1日4合のご飯を
食べていたのだろうか? 賢治は農業指導者。当時の
農民は重労働をしていたので、1日「4合」のご飯を食べて
いたのだろうと推測する。

 私は1日1合で十分。

食欲がなくなった訳ではなく、この数年、食事の代わりに
飲んで「おつまみ」とアルコールのエネルギーで生活してきた。
胃袋が小さくなっているのだろう。

噺家の先代「金原亭馬生」(古今亭志ん生の長男)の
弟子の「鈴の家馬勇」(私の師匠)から聞いた話。

先代(10代目)馬生師匠は、朝起きて湯のみ茶碗で日本酒を
飲み、塩やちょっとしたおつまみを食べるだけだったそうだ。

昼も夜もそんな感じだったそうで、54歳・食道ガンで
亡くなっている。

人間はきちんと3食、お米(澱粉)と野菜、魚・肉を食べなければ
いけないと、深く感じて今日のお昼は、ビールを飲もうと
、朝食を摂りながら考えていた。

以前、長男の嫁さんからもらった『イオン ドリップ コーヒー』
を飲む。既に賞味期限が過ぎてしまったのだが、
私は賞味期限の切れた食品を使うのが好きだ。
美味しいコーヒー。
賞味期限が切れている間に「熟成」したような味である。
魚の缶詰などは賞味期限が切れたか、そのあたりの
物の方が熟成して美味しいと、何かの本で読んだことがある。
世間では「劣化した味」というのだろうが・・・・。

東京自宅に住んでいると「賞味期限」に異常にうるさい人がいる。
ほとんど意味のないことと思っている。
1日賞味期限が過ぎていると捨ててしまう。馬鹿馬鹿しい
生活態度だ。それで「節電」「節約」と豪語している。

などなどを夢想しながら、「美味しいコーヒー」を飲みながら
昨夜のリー君との話を思い出している。このまま、浮き草の
ようなオートバイ私設警備員をしていても将来が見通せない。
本人のリー君は至って「楽観的な人生観」をもっている。
「なるようになる」「人生の流れに乗って」的な
人生観になるのも、彼の人生を見れば、首肯できなくもない
のだが・・・・。

朝食後、部屋の整理、トイレの掃除。

昼食・おつまみ用の料理(?)を作る、と言っても
在日中、支援者の皆さんから頂いた「味噌漬け」
などを包丁で切っただかなのだが・・・・。

1時間ほどかけて、昼の飲食用の準備完了。

昨日は3回洗濯をした。今日は朝起きて直ぐに第1回目の
洗濯。その後、第2回目の洗濯をした。
その後、毛布1枚を洗濯する。今日は3回の洗濯。
フエ不在中、残念ながら衣類が、カビてしまい、異臭を
放っている。衣類ケースにある全ての衣類を洗濯している。
3分の2ほど完了。フエ滞在20年。毎年恒例の洗濯行事
ではある。

午後1時、フダ缶ビール1本を飲む。

その後、しばらく横になる。

加藤さんから電話。話の途中、私の携帯電池が切れで
話が止まる。
午後4時半頃、再度、加藤さんから電話。いくつかの
件についは話し合う。

午後5時、1時間ほど街中を散歩・ウオーキング。

空には、「暗雲」が漂っている。


1時間後に豪雨。

午後7時、フダ缶ビール1本。
その後「国香」を飲む。美味しい。11月1日にフエへ戻り
今日で4日目。4日間で1本の「国香」(こっこう)-静岡県袋井市
を飲む。適量かどうかは不明だが。

ベトナム事務所員の後藤杖君と電話で話す。

フエはインターネット環境が最悪。日曜日の
夕方以降は、特にインターネットがつながらない。

明日から静岡市の田辺市長がフエを訪問する。
案内などの仕事がある。今日は早めに就寝。

投稿者 koyama : 10:04 | コメント (0)

2012年11月03日

ベトナム事務所員会議:LY君と飲む

午前6時  気温22度  湿度98%

湿度が高く非常に蒸し暑い。

午前7時朝食  ブン・クア(カニ団子の米麺)



午前8時、徒歩でベトナム事務所へ。
今日は、ベトナム事務所員会議。

ベトナム事務所では、皆さん頑張って仕事に励んでいる。

日本語能力検定試験「特級」をフエでただ一人取得した
フーン先生。現在フエにある日本語関係の学校の先生
の中では、日本語能力だけでなく、教え方も抜群である。


久しぶりのベトナム事務所員会議
皆さんが元気に仕事をしているので安心した。

JASSベトナム運営委員長のバオミンさんの司会で始まる。

各ベトナム事務所員一人一人の活動報告。
この報告は非常に大事なものである。
日本語教師、日本料理店、「子どもの家」・・・・などの
情報をそれぞれの事務所員が体験する中で感じた
事を報告し、全ベトナム事務所員が共有することは
組織として一番重要なことである。


(ソン)12月のツアー等の日程整理
    2013年春のスタディーツアーの準備
 
(後藤杖)フエ高等師範大2年生・3年生の日本語学科授業
      ブライセン初級教育・一人一人の弱点を補強する教育

(澤井)ベトナム事務所へ赴任して2ヶ月が経過した。
    フエの生活にも慣れてきた。
    週3回、ブライセンの日本語教育(中級)
    週1回ブライセン初級教育
     ブライセンの生徒には日本語の能力差があるので、
    その点を十分考慮して教育をしている。

(富岡)フエ高等師範大学日本語学科1年生の音声学授業
     真面目に勉強しているが、読解に問題あり。
     
(春口)ベトナム事務所に来て3ヶ月たった。
    週1回ブライセン中級の授業。
    フエ高等師範大学日本語学科は、学生の能力差がある。
     学生の卒業後の希望は、日本語ガイド、日本語教師
     学校の教師・・・・・・
(アン)「子どもの家」の子どもたちの里親への手紙70人分を
    日本語に翻訳した。
     フェリシモの仕事でサンプルを作り送った。

(フオン)ブライセン・VU君の日本語教育(週5回)復習中心

(ハン)奨学生の手紙の翻訳
    里親へのお礼の手紙の準備
    (全員写真・スタッフ写真・・・)
    11月21日の「子どもの家」創立19周年記念集会で
    子どもたち・スタッフ全員に写真を撮る

(特級フーン先生)
    フエ高等師範大学3年生の授業  中間テスト
    ブライセン 中級授業
    (フエ高等師範大学日本語学科の授業についての
      具体的な問題指摘ある。的を射た指摘であった)

(バオミン)
    フエ医科大学と提携して、「子どもの家」の子どもたち
     など3施設の定期健康診断を行う。

    田辺静岡市長がフエを訪問する。11月5日から7日
まで。私と小山先生で案内する

    フエの大学を卒業した3人は、新しい人生に向かって
進んでいる。
     
  ●PHUONG(フエ医科大学)→1年間の研修に入り、
   その後フエ医科大学の研究者として大学に在籍する
  ●THUY(フエ師範大学化学科卒)→県立高校化学
    教師になるための願書を教育委員会に提出した。
  ●NHI(フエ師範大教育学科卒)小学校になるための
    願書を教育委員会に提出した
  ●BA(フエ高等医科専門大学卒)現在、フエ市立病院で
                       看護婦実務研修中

   上記4人は、11月末に「公務員試験」を受験する。
    2013年1月来から現場に就職し、自立できる。

 2月15日位からフエ市長たちを案内して訪日する。
 2月17日に東京で「現地報告会」をする。
  その後、IT会社ブライセン本社を視察。
 更に静岡市を訪問し、田辺市長と懇談。
  引き続き京都市を訪問し門川京都市長と
  「パートナーシップ協定」の調印式を行う。

  11月8日にベトナム事務所員の税田真理子さんが
  ベトナム事務所に復帰する。2013年の8月までは
   父親の1周忌までの法事関連の行事があり、
   何度か帰国する予定。

午前11時過ぎベトナム事務所員会議終了。


ベトナム事務所の皆さんは、オートバイでどこかへ
出かけるようだ。

 

日本人スタッフもヘルメットで「完全武装」

今晩は先生と春口先生

ソン君と富岡先生



日本語特級フーン先生と澤井先生

後藤先生と「フェリシモ」アンさん


私は徒歩15分、宿舎へ。

午前11時半過ぎ、昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の
手打ちうどん)



午後12時過ぎから2時間程昼寝。

午後3時過ぎ、徒歩20分の所にある市場へ買い物。
人参、キャベツ・きゅうり、卵を買う。

総額 2万ドン(77円)。


    
午後5時。リー君と市内のレストランで会食。

久しぶりにリー君と会う。

毎日の生活、恋人のこと、将来の展望、家族のことなどを

話す。リー君は、ベトナムの政治、中国の侵略主義について
語った。なかなか頭の良い子である。


    
二人でフダビール7本を飲む。


リー君は25歳になるという。
私がリー君に出会ったのは、1993年である。
19年たつ。

その間、紆余曲折のあった子である。
家庭がしっかりしていたら、今頃大学をでて、教師か
IT企業かはわからないが、全く違った人生を歩んで
いたことであろう。

今やっているオートバイの警備員の仕事は、月収200ドル
とのこと。一般労働者の給料が100ドルから150ドル程度
なので、まあまあの収入ではある。
「が」、収入が全く安定していない。お客がいるときといない時の
収入が全く違う。

リー君は彼女が良くできるのだが全て失敗している。
その最大の理由は、リー君の収入の不安定さである。

今日は二人で2時間程飲んだが、私がリー君に話したことは
「j給料は安くても毎月決まった収入がある仕事しなさい。
 毎月、いくらの収入があるかわからないオートバイの
 警備員の仕事は不安定。彼女が結婚に躊躇しているのは
 リー君の不安定な生活だ。あるひと月の給料が高いことを
自慢しているが、平均して毎月200ドルの収入があるかどうかも
疑わしい。今後、いつまで不安定な自主オートバイの警備員を
続けるのか? 今後は、安定した仕事に着くように」と話す。

リー君は「先生、中国は良くない。日本の尖閣諸島を侵略
しようとしている。ベトナムも中沙島などを中国に侵略されている。
日本とベトナムで協力して、中国と闘うべきだ」などと解説。

私「尖閣諸島や中沙島の問題もいいが、その前に安定した
生活をしなさい。そして、結婚し、もっと落ち着いた毎日に
送れるように」と話す。

2時間程飲んでが、相変わらず「フエの情報通」である。
このレストランの近くに子供を24人生んだ90歳の男性がいる、
とか、フエの様々な情報を教えてくれた。

「家庭料理2」の料理は、どの料理もおいしい。


リー君は「口が肥えている」。美味しい食べ物を良く知っていて、
注文してくれる。

牛肉と野菜の炒めものもの美味しかった。


「先生、こんなことできる?」と言って、指輪でビールの栓を抜いて
いた。尖閣列島の話をしたと思ったら、指輪でビールの栓を抜く。
この子と飲んでいると全く飽きない不思議な魅力がある。



基本的には「頭の回転の良い」人間であることは事実だ。

今でも「違った家庭に育ち、違った教育を受けていたら・・・」
などと考えることもあるが、意味のないことだ。

今いるLY(リー)君の人生が少しでも幸せになるように協力
していこうと決意し、更に「リー君の指輪で栓を抜いた」ビールを
飲み続けるのであった。

帰宅後、「青少年教育の会」の森田さんから国際電話あり。
しばらく話す。


投稿者 koyama : 21:24 | コメント (0)

2012年11月02日

バオミンさんと打ち合わせ:ユオンさん結婚のこと

午前6時起床  寒い

午前7時朝食 ブンボー・フエ(牛肉米麺)
久しぶりに食べる。美味しい。
完全にベトナム人化した「自らの存在」を知る。
20年、フエで生活すれば、フエ名物「ブンボーフエ」が
一番美味しい食べ物との自覚が出てくる。
フエを批判する論調には、異常に「反論」したくなる
自分自身の存在を知る。



午前8時半過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。

フエの町は雨期に入っていた。


午前9時、ベトナム事務所に着くと「子どもの家」
出身のDUONG(ユオン)さんと婚約者が訪ねてきた。

ユオンさんは、1996年、9歳(小学校4年生)
で「子どもの家」に入所。その後、フエ高等師範大学を
卒業し、フエ市内の小学校の先生をし自立。
現在 28歳。

婚約者のTRUNG(チュン)さんはフエ高等師範大学
を卒業し、フエ市郊外の農村部の小学校の先生。
26歳。二人はフエ高等師範大学時代から交際を
していたとのこと。

2013年1月2日頃、結婚式をする。結婚式で
新婦側代表で挨拶をして欲しいとのこと。
喜んで引き受ける。

家庭の事情があり9歳で妹のグエットさん(日本料理店)
と「子どもの家」に入所。「子どもの家」に入らなければ
今の生活はなかっただろう、などと考える。
20年間、フエでこどもたちを支援する活動を日本の
多くの方々が支援してくれるーこんな活動が
ユオンさんの結婚という形で結実することに感謝している。
日本の支援者の皆さんにJASSのフエでの活動の意味と
結果を知ってもらえることは、有難いことだ。

9歳から28歳までの成長を見てきた。こどもたちの
成長は、一直線にはいかない、と実感した。


その後、日本で頂いた支援金、奨学金などを
会計のハンさんに渡す。バオミンさんとハンさんで
確認してもらい、支援者に「領収書」を送ってもらう。
お金の管理はきちんとしたいものである。

その後、1ヵ月ぶりにベトナム事務所員の皆さんと挨拶。
皆さん、元気に仕事をしている。ジョー君と今晩は先生


先日、婚約をした「フェリシモ」さん


真面目な日本語教師  春口先生

沢井先生は、1階で日本語教育中。

お父さんとして、すっかり貫禄と落ち付きが
出てきたソン君



ベトナム事務所の日本人の中心的な存在に
なっている富岡先生


午前11時、昼食  うなぎのおじや


毎回食事の際には、、「根菜類」を出してもらう。


2時間程昼寝。

その後、東京の二男と電話。

バオミンさんと電話で打ち合わせ

何人かの日本人と電話やメールで連絡。

投稿者 koyama : 19:47 | コメント (0)

2012年11月01日

成田→ ホーチミン→フエ

成田空港付近の安ホテル

午前5時起床。入浴。ゆっくりとお風呂に入る。
荷物の整理。

テレビで朝のニュースを見る。

午前時45分、チェックアウト。

午前7時、ホテルのバスで成田空港第1ターミナルへ。

午前8時半、ベトナム航空のチェックインカウンターへ。
荷物預かりのタグが、「成田→フエ」となっていた。
公式記録だと「成田から ホーチミン市を経由してフエ空港へ
届けます」という」ことになる。

しかし、実際には成田から ホーチミン空港で一度荷物を取り、
再度国内線でチェックインし、その際、荷物を預け、
ホーチミン市→フエの荷物預かりのタグをもおらう。
このタグをフエ空港で見せないと、「人の荷物を盗った」との
嫌疑がかけられる。

以前、同様な「成田→フエ」の荷物預かり証をもらい、
ホーチミン市空港の国内線で「 ホーチミン→フエ」の
チケットをもらい、スーツケースを預けようとしたら、
空港係員が、「あなたは成田空港で既にスーツケースを
1つ預けているので、これ以上の荷物は預けられない」と
言われ、一騒動起こした経験がある。

成田空港のベトナム航空チェックインカウンターの
女性に「成田→ ホーチミンにして欲しい」と頼む。
係り員の女性は、「決まりです。 成田→フエとします」
との返事。

私は責任者を呼んで欲しいと頼む。
男性責任者が来る。私「成田→フエ」と荷物を
運ぶという預かり証だが、実際は、成田→ ホーチミン市
でしょう?。 ホーチミン国際空港で荷物を一度取り、再度、
国内線のチェックインカウンターに行き、航空券をもらい、
その際、荷物を預け、「荷物預かり証」をもらのが、実際でしょう?
以前、 ホーチミン空港で「貴方の荷物預かり証は
成田→ ホーチミン市→フエ」となっているので、
ホーチミン空港で荷物を預かる場合は、新しい荷物を
追加したことになるので「荷物預かり超過料金が必要」
と言われたことがある、と話す。

「ベトナム航空は、なぜ、実際にフエまで運ばないのに
成田→フエ」の荷物預かり証をだすのか?理由を説明
して欲しいと「お伺い」する。
担当責任者は回答できない。「ベトナム航空の決まりです」
という答えだけ。

私「ベトナム航空がどんな決まりを作ろうが自由だが、
実際にフエまで荷物を運ばないのに、フエまで運びます
という荷物預かり証は嘘でしょう?」
「嘘だということを認めるように・・・・」

結局、私の「荷物預かり証は成田→ ホーチミンとなった。
馬鹿馬鹿しい航空会社である。世界の常識にほとんど到達
していない会社なのは事実だ。日本人従業員から疑義が
でないのも不思議だ。
普通なら「成田→ ホーチミン市→フエ」とベトナム航空の
飛行機に乗るのなら、タグ通り「成田→ ホーチミン→フエ」まで
荷物を運ぶのが本当なのだ。
しかし、実際の荷物運搬は、成田→ホーチミンまで。
ホーチミン空港で一度荷物をもらい、再度、ホーチミン空港
国内線で再度チェックインし荷物を預けているのが実態だ。

などと言っている間に搭乗時刻が近づく。

午前9時半、離陸。

機内で「独裁入門」(香山リカ著 集英社新書)読了
香山リカは精神科医。特定の思想を持っている訳では
ないのだが、真っ当な事を言うと「左翼」と言われ、
ツイッターでは相当の誹謗中傷があるとのこと。
私は香山ミカの本を結構読んでいるが、普通の
良心的な精神科医。こうした人が、「左翼」と攻撃される
日本社会は異常だ。

何故、今の日本は、大阪の橋下などに国民が注目する
のかを心理学者の立場から分析。

ツイッターという150字で物事を説明する時代。
短絡的で過激な言葉が横行する。

読んでいて面白かったのは、橋下市長と小泉首相を
比較し、小泉は「オペラ」が大好き人間。一応、多少でも
「文化」の匂いがあった。しかし、橋下は、徹底して
「効率」と「利益」。文楽協会、日本が誇る「マンガの殿堂」
への支援などを断ち切る。橋下は、徹底して文化も教育も
自分の服従下に置く。


ーーーー
機中で「反ポピュリズム論」(渡辺恒雄著:新潮新書)読了
渡辺常雄は、ご存知の読売会長。「通称;ナベツネ」
東大時代は日本共産党員だった。

香山リカと渡辺恒雄の本を読むと、今の日本が徐々に
ファシズム・独裁に向かいつつあることが分かる。
その原動力は一般国民。

ナベツネ(渡辺恒雄 読売グループの会長)は嫌いだが、
本書を読むと「学ぶべき」ことが多々あった。
特にマスコミが世論を作り上げ、ファシズムに進行する
役割りを果たすと「言っている。

ナベツネは、映像よりも国民は文字文化をもっとしっかりと
読むべきだと言っている。映像は、物事の本質を正しく
反映していない。文字文化は字数をかけて、物事の
本質を明らかにすることができる、と言っているが、
新聞社社の会長が、政治の自民・民主の「大連立」を
画策するのは、」いかがなものか?

それでも「ナベツネ本」と「香山リカ」本は一読の価値の
あるものと思う。


午後2時半(ベトナム時間) ホーチミン空港へ到着。
気温32度。暑い。

ホーチミン空港国内線へ。今回は荷物預かり証の
トラブルもなく、 ホーチミン空港国内線へ。
バオミンさんと電話で話す。
ホーチミン市は気温32度。暑い
.

約4時間半、 ホーチミン空港国内線で待機。

午後7時20分、 ホーチミン空港発。
午後9時、フエ空港着。21度。寒い。

午後9時半、宿舎へ到着。
今年は例年よりも宿舎が「かび臭く」ない。
それでもかび臭いが。

午後9時半から最後の『酒宴』。

Uさんから頂いた「塩麹」の野菜をおつまみに
『国香』を飲む。個人的にはこのお酒が一番
好きだ。

「ばばあの辛みそ」をつまみにするが、かなり辛い。

原田三重子提案「ニンニク焼き味噌」は美味しい。

午後11時まで「個人酒宴」は続く。

火炎樹日記を書きながら、午後11時半まで。

投稿者 koyama : 18:31 | コメント (0)