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2012年11月28日

「子どもの家」ターオさんの母親のお通夜

午前4時目覚める。

午前7時朝食。精進ブン麺。

今日は旧暦の10月15日。精進料理を
食べる日。


午前中は、バンベー42号の編集に全力を集中する。
半分以上、出来上がる。もう一息。


ブライセン本社より電話。

午前11時半、昼食。春雨麺。(一番嫌い)


午後2時、バオミンさん・ソン君・「子どもの家」スタッフ
たちと「ターオさん」(子どもの家在住・フエ高等師範大学
幼児教育学科在学)の母親(52歳)が亡くなり、
お通夜に伺う。


フエ市内から北へ車で30分ほど。フオンソー村。
純農村地帯。


本貫「グエン」一族の廟がある。



ソン君が持つ「弔意の花輪」を先頭に
ターオさんの家へ行く。

セン委員長

ターオさんのお母さん(52歳)の慰霊に弔意を表わす



4歳で「子どもの家」に入所したターオさん。
今では成長し、フエ高等師範大学幼稚園科に在籍。
来年の秋には、幼稚園の先生になるという。


4歳で「子どもの家」に入所した時、私の片腕に
抱かれていたターオさん。それから16年。


子どもの頃のターオさん。氷を食べている。
母親が亡くなり、ターオさんは、たった一人になってしまった。
これからもJASSとしてターオさんの人生を応援して
行きたい。これも何らかの「縁」である。


とかく海外支援・海外ボランティア「業界」では、
長い期間の支援を「否定的」にとる傾向が
強いが、JASSはそうした『主流」に迎合せず、
独自の道を歩んでいる。



52歳で亡くなった母親の遺影


お通夜の参加者は非常にすくない。
せめても・・・と思い、私たちはできるだけ
長く、ターオさんの家の庭にいた。





ターオさんの母親が住んでいた家には、
「貧しい人の家」という看板がかかっていた。
地元の人々や地元人民委員会などの
寄付で作られたレンガとコンクリートのそまつな
家ではあった。

母親はこの家で一人で住んでいた。どんな気持ちで
住んでいたのだろうか?

ターオさんは「子どもの家」に住んでいる。
フエ高等師範大学を卒業した暁には、
フエ市内幼稚園の先生になりたいといっている。
私たちとしても全力でターオさんの就職が実現できるよう
様々な手を打つつもりである。

今年の現時点では、フエ師範大化学科卒で化学の
先生を希望しているTHUYさん、フエ師範大小学校課程
卒業のNHIさんのフエ市内の小学校就職の斡旋・・・。

投稿者 koyama : 2012年11月28日 20:39

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