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2012年11月24日

ハンさんのお父さんのお見舞い:バンベー42号編集

昨夜は1時間間隔で目が覚める。ほとんど夜眠れなかった。

午前5時だと思っていたら、午前7時10分前。
あわてて、朝食へ行く。

朝食  チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)

朝食後、バンベー42号編集。関係者から集まった
原稿の全てに目を通し、誤字脱字、内容が不適当なもの等
を再校正。
原稿に関連する写真をチェックし、写真と原稿の
ミスマッチなどの調整をする。必要なら、私が所蔵している
数千枚の写真をチェックし、該当する写真を探す。


今日は午後6時過ぎまで、1日中、バンベーの編集・校正
を行った。


午前10時、バオミンさんがバイクで迎えに来てくれる。

バオミンさんのバイクでフエ中央病院へ。

ベトナム国家が作った病棟と日本のODA支援の病棟がある。

日本のODA病棟

ベトナム政府建築病棟

ベトナム国旗とベトナム共産党旗が掲揚されていた。



ハンさんのお父さんは、既にフエ中央病院に12回入院し、
8回の手術をしている。「胆石」である。
しかし、手術がうまくいかず、今回も入院、既に胆管に石が
入っている状態。

バオミンさんと二人でベトナム国家が作った方の病棟へ
お見舞いに行く。日本国政府の病棟に入院すると
1日の入院費が100ドル。普通の労働者の1ヶ月の
給料が1日の入院費である。現地にいれば、貧しいベトナム人を
救済するものでないことは、明白だ。
ODA支援の実態である。1日100ドルの部屋代を支払えるのは
フエの「おお金持ち」「某政党幹部」位しかいない。
結局、ODA支援は、その国の「上流階級の支援」なっていくという
実態をフエ中央病院で確認した次第である。

ハンさん(ベトナム事務所財政部長)のお父さんは、既に
酷い「黄疸」がでていた。体中が「黄色」になっている。
体に毒が溜まっているとハンさんは言っていた。

同一病気で12回の入院、8回の手術? 考えてしまう。
何が問題なのか?

部屋は6畳ほど。ベッドが4つも入っている。

今日は真夏のような暑さ。湿度も90%。
お見舞いに行った私が、病室のあまりの暑さに
気分が悪くなる。

ハンさんのお父さんの妹さんが、ベッドの横に座り、
お父さんの体からほとばしる「汗」を拭き、うちわで
扇いでいる。

6畳程の部屋には、「エヤコン」が付いている。
しかし、病院側が「エヤコン使用はお金がかかる」との
理由でエヤコンをつける「リモコン」を持って行ってしまった。

医師の控え室、事務室などの葉エヤコンが入っている。
何のためにエヤコンがあるのか? 患者第一の思想を
もっていれば、まず第一に「患者」のためのエヤコンだ。
私ですら30分ほどハンさんのお父さんの入院している
部屋にいたが、暑さで気持ち悪くなった。
エヤコンがあるのに使わせない病院の弱いものいじめの
経営体質に怒りを感ずる。ベトナムはまだまだ「お医者様、
様様」国家である。医師や病院に「異議申し立て」は出来ない。
ハンさんのお父さんの酷い黄疸状況、何とか息をしている
というのが現実の患者にすら、仕えるエヤコンを使わせない
この病院の体質。「人民に奉仕する」「労働者・農民の党」
というスローガンが町中に掲げられている素晴らしい国家では
ある。

お父さんにくれぐれも体を大切にと「健康用の粉ミルク」と
入院費の足しにと「幾ばくかのお金」を贈呈し帰る。

バオミンさんのバイクでベトナム事務所へ。

ブライセンベトナム支社員5人が訪日していた。
昨夜、フエに帰国。今日から出勤。

みんな元気に帰って来た。


午前11時半、昼食。魚いり「おかゆ」

午後1時から2時間ほど横になる。

その後、読書「メディチ家」

その後、再度、バンベー42号の編集にはいる。

投稿者 koyama : 2012年11月24日 19:44

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