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2012年09月19日
高校クラス会「分派」会議
雨・曇り 蒸し暑い
午前7時、起床。
午前8時、自宅を出てJR蒲田駅へ。
午前9時30分、蒲田駅着。
高校クラス会「分派」キャップ五井君と合流。
五井君はひざの具合いが悪く、蒲田の病院へ通院。
五井君と一緒に「BOOK OFF」へ。1時間ほど
で10冊程度の本を買う。古本屋なのだが、
品数がそろい、値段も安い。
午前11時、與芝君・北田君・清水君と合流。
代々木公園での「ラオスフェア」、ベトナムフェアなど
の様子を聞く。
ラオスでのラム酒作りの様子などを聞く。
與芝君、清水君(日本料理店グエットさんの里親)から
ラム酒作りの現状・課題などを聞く。
午後3時、懇談会を終了する。
その後、池袋へ河岸を移し、」引き続き、
北田君・清水君と更に親交を深める。
団塊の世代の今後の生き方を語る。
午後7時自宅着。
2012年09月18日
国家戦略担当大臣より感謝状
晴れ・時々雨。蒸し暑い
午前中から午後2時までメール受信・送信。
午後3時、自宅を出て、内幸町へ。日比谷公園前の
「フォーリン・プレスセンター」へ。
午後4時、国家戦略室・国家戦略担当大臣古川正久氏
より「世界で活躍し、日本を発信する日本人」への
感謝状の授賞式。
今日は、31人が出席。
受賞者は以下のような人たち。
オーストラリア在住のデザイナー、ボリビアのフォルクローレ
の音楽家、ブラジル在住、現代造形作家、中国在住の
俳優、カイロ国立オペラバレー団ファーストソリスト、
一橋大教授(アラブ研究)、東大教授(アラブ研究)、
NZ在住のワイン醸造家(JALファーストクラス採用)
ロシアボリショイバレー団元ソリスト、ロシア国立交響団などの
指揮者、スペインとの交流(彫刻家)、台湾で有名な女優、
マサチューセッツ工科大学メディアラボ教授・副所長、
ソフトウエア技術者でプログラミング言語「RUBY」を開発、
東大カブリ数物連携宇宙機構長、アメリカ在住、ジョンポプ
キンス大学統合失調症疾患センター長、アメリカ在住の
ジャズ音楽家、石川遼(プロゴルファー)、澤穂希(女子サッカー)
富永愛(モデル・国連世界食糧計計画フィシャルサポーター)
・・・・・・。
国家戦略室のスタッフの司会で始まる。
司会の説明。
「今日の感謝状贈呈式は全て英語で行う」
との説明あり。
はじめに古川正久国家戦略担当大臣の挨拶。
「政府は先般、『日本再生戦略』を策定、魅力的で活力に
溢れる国家として再生するための各種施策をまとめた。
世界における日本のプレゼンスの強化、を果たすべく
日本の強みy魅力を発信と日本的な価値への国際的な
理解の促進、を重点施策の一つとして掲げ・・・・・
日本の強みと魅力、日本的な価値を積極的に対外に
発信していくことにしています。
・・・・・・これからは「モノ」ではなく「ヒト」であり、日本人の
生き方、立ち振る舞いだと思います。だからこそ、私は
皆様のように、世界の様々な国・地域で各々の活動を
されながら、直接・間接に日本の素晴らしさや日本人の
人となりを発信し、現地における日本理解の増進に貢献して
おられる方々が非常に重要だと考えます。・・・・・・
その後、31人の受賞者一人一人に感謝状の贈呈式
が行われた。
船橋審査委員長の挨拶
全員で記念撮影
モデルの富永愛さんと古川大臣
日本のテレビ局の取材を受ける富永さん
午後5時、感謝状贈呈式は終了。
今回の贈呈式の趣旨は趣旨としてあるが、感謝状贈呈式は
いかにも急ごしらえの式典だったと言わざるを得ない。
一番、奇異に感じたのは、感謝状が英文だったということだ。
日本政府が日本人にくれる感謝状が英文というのは、
どういう考えから出てきたのか? 日頃「愛国心」などと
口にする人たちが、日本政府が日本人に出す感謝状が
英文というのは、頂けない。明治維新直後ではあるまいし・・・。
「フォーリンプレスセンター」には、70人ほどの人々が参集。
海外プレスは欧米系1人のみ。アジア系のプレスが来たか
どうかはわからないが・・・。
基本的に海外メディアは1名しかいない会場で、英語だけで
の挨拶などが行われる陳腐な式典に失笑してしまった。
昨今の民主党の仕事ぶりを彷彿させる。
今回の感謝状贈呈式は、海外メディアに取材させることを
主目的にしていた。そのため会場が「フォーリン・プレスセンター」
だった訳である。
しかし、海外メディアに事前にしっかりした「根回し」「準備」を
していなかった節がある。たった1人の欧米系メディアしか
来ていない中で「英語だけの贈呈式」が行われるという
事態は、客観的に見れば「漫画」ともいえる。
気持ちが先行し、準備・行動が」伴わない、民主党の
弱点が、今回の感謝状贈呈式にも出ていたものと
思われる。
1時間ほどの式典が終了する。
そこで一句。
「倒産の専務にもらう 感謝状」 詠み人痴乱頭
「感謝状 より お金が欲しい 授賞式」
「子どもの家」の子どもたち
2012年09月17日
ホーチミン→成田着:横浜で教育問題で懇談
16日(日)午後3時、宿舎を出て、フエ空港へ。
午後5時フエ空港発。午後6時半、 ホーチミン空港着。
既に夕暮れ。空からの ホーチミン市は、明かりできれい
だった。
ホーチミン国内線から国際線へ移動。国際線で6時間待つ。
17日(月)00:20に ホーチミン空港を出発。
午前8時半、成田空港着。気温27度。
結局、 ホーチミン空港で6時間待ち、 ホーチミン市→成田
6時間。12時間かけて日本へ帰国。
成田空港で急いで入国手続き。
午前9時の「成田エキスプレス」で東京駅へ。
東京駅から新幹線で新横浜。新横浜から横浜線で00駅へ。
午前11時、以前から約束していたA君の母親と会う。
JASS青少年教育の会のKさんも同席。
2時間ほど、教育の問題について話し合う。
その後、お子さんのA君と会う。様々な問題を話し合う。
午後3時過ぎ話し合いを終了。
青少年教育の会のkさんの子どもや教育に対する
情熱に頭が下がる。
私の日本の携帯電話に数千通の「迷惑メール」が入って
いた。教育の話し合い中にもメール受信の「音」が断続的に
なる。
Kさんにお願いし、、横浜のauショップに連れて行ってもらい
私がベトナムに滞在中に届いて数千通の「迷惑メール」を
削除してもらい、今後、特定の人のメールしか受信しない
ように設定してもらう。
新横浜→菊名→武蔵小杉→経由で帰宅。午後6時。
さすがに疲労困憊。今日は、「敬老の日」。
1947年生まれの「団塊の世代」の第1号が「敬老の対象」
になったという。
2ヶ月程の不在中にかなりの手紙、大事な郵便などが来ていた。
書類の整理をして、早々に床に就く。眠いのと疲れで
起きていられなかった。東京もかなり蒸し暑い。
ベトナムでは、暑いときは「エヤコン」を使っていたが(暑さを
無理して我慢すると体を壊し、仕事ができなくなる)
東京自宅は、「節電」でエヤコンなど一切の使用を禁止されている。
暑い部屋で「うちわ」で仰ぎながら、横になる。
明日は、政府関連の仕事がある。
2012年09月16日
フエ→ ホーチミン市→成田へ
午前5時起床 雨
午前7時朝食。マカロニスープ
その後、日本帰国のための荷物整理。
部屋・衣類のカビ対策。
部屋の掃除。
洗濯
午後3時、車でフエ空港へ。
午後5時、フエ空港→ ホーチミン空港へ。
ホーチミン空港着午後6時過ぎ。
ホーチミン市は雨。
その後、 ホーチミン空港で9月17日午前0時20分発
成田行きの飛行機を待つ。
2012年09月15日
地球の歩き方5班講演会:フエ市共産党委員長昼食会
午前中、雨。午後曇り。寒い
昨夜遅かったので起きられず。
午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン
唐辛子が辛い。
朝から豪雨。
午前9時半、雨合羽を着て静岡青年交流会館で
地球のありき方スタディーツアー5班の皆さんに講演会。
「ベトナムの歴史・風土」
午前11時、DUNG(ズン)フエ市共産党委員長招待の
昼食会。
ズン共産党委員長、イックホアンフエ市外務部副部長、
ブライセン藤木社長、斎藤FDS社長、バオミンさん
小山。
今後の両社とフエ市人民委員会との提携などを
話し合う。
(バオミンさんとイックホアンさんは、私がフエ師範大学日本語
クラス第一期生・教え子)
ホーチミン市などで仕事をしている教え子の皆さんが
元気にしているのか? 心の中には、20年前の
フエ師範大日本語クラスの教え子の顔一人ひとりが
走馬灯のように蘇る。
午後2時過ぎまで懇談は続く。
その後、藤木社長、渡辺社長をバオミンさんと私で案内し
王宮参観。
王宮の「大和殿」は、雨漏りで床が濡れていた。2箇所。
フエの「遺跡保存センター」は、ユネスコや外国から
多額の支援金をもらって、王宮保存をしていることになっているが
実態は、この体たらくである。雨漏りが、ひどい。大和殿の床は、
雨で濡れている。遺跡保存センターは、何も対策を立てないまま
天井の雨漏りを放置している。
ユネスコや海外からの多額の「遺跡修復資金」はどこに消えたのか?
海外支援の実態を改めて見た思いがする。
日本の大学などが「フエ王宮の遺跡保存を支援している」と
言っているが、その実態は雨が降ったら酷い雨漏り、
その雨漏りを遺跡保存センターは問題と考えず、何も手を
打たないまま、雨を大和殿に垂れ流している実態である。
午後3時15分、藤木社長・渡辺社長とバオミンさん・私。
ホテルへ戻る。
ホテルには、両社長・社員をフエ空港まで案内するため
ブライセンベトナム支社のVU君・PHAP君などが、
ホテルで待機。
私は、電動バイクで「子どもの家」へ。
地球のありき方スタディーツアー5班の皆さんへの第2回目の
講演会。9人。
午後3時半から午後4時半まで。
「子どもの家」の出発・海外ボランティア・人生などを話す。
1時間15分後、「子どもの家」の子どもたちと地球のありき方の
皆さんとの交流会。
はじめにセン「子どもの家」運営委員長の挨拶
子どもたちの歓迎の踊り(ベトナムの少数民族の踊り)
子どもたちの歌。先生の恩は永久に忘れない
今日の担当は、ハンさんとアンさん。真面目に仕事を
してくれている。感謝。
子どもたちの踊り「白鳥」
地球のありき方スタディーツアーの皆さんの出し物
「幸せなら手をたたこう」
2回目の歌は、子どもたちと一緒に歌い、踊る。
午後5時49分。日本料理店へ。
新しく日本料理店に加入したヒエップ君」も
日本料理店のスタッフと一緒に夕食を食べていた。
早く日本料理店に慣れて欲しい。
日本料理店スタッフの今日の夕食。美味しそう
午後6時過ぎ、宿舎へ帰る。
明日、日本へ帰国する。この間、仕事が多く、
帰国の荷物整理等ができていなかった。
今日は疲れた。明日の午前中、急いで帰国の準備をし
午後3時に宿舎を出る予定。
この2週間ほど、本当に休みがなく、疲れた。
午後7時半。国香酒造「純米吟醸 傳一郎」
を冷やして飲む。美味しい。
医者に禁止されている「イカの塩辛」「酒盗」をおつまみ
に「傳一郎」を飲む。本当は、岩塩で傳一郎を飲みたい。
血圧があがり、脳溢血・心筋梗塞・心不全になるのを
恐れ、美味しい日本酒を止めるか? どちらをとるか?
躊躇なく「確信犯的に」「傳一郎」を取る。
私が一番嫌っていた我が父親と同じ事をいうようになった
今日この頃である。
2012年09月14日
ブライセン社長一行フエ市長表敬訪問など
終日雨。完全に雨季に突入。
午前7時朝食。フォーガー(鶏肉の米麺)
藤木社長と斎藤社長はフエ市人民委員会を訪問。
VINH(ビン)市長・イックホアン外務部副部長と懇談。
今後のフエ市への投資などについて話し合う。
懇談はバオミンさんの通訳で進む。かなり突っ込んだ話し合いと
なる。
VINH(ヴィン)市長・バオミンさん・イックホアン(外務副部長)
フエ市長より二人の社長にフエ市のネクタイが寄贈される。
フエ市人民委員会には、静岡大学大学院に留学中の
TU君の母親がいた。挨拶。
その後、JASSベトナム事務所3階のブライセンベトナム支社
を視察。
10人のベトナム支社員(THI君は葬儀で欠勤)と
ブライセン・FDS会社員4人、合計14人の皆さんが
既に交流を行っていた。
ブライセンベトナム支社員一人一人が日本語で自己紹介
ブライセンベトナム支社の社員の仕事ぶり、部屋のセキュリティー
などを確認し、ベトナム支社訪問を終わる。
その後、フエ市にある温泉「ミーアン温泉」の視察。
草津温泉と同じ「硫黄泉」。
ミーアン温泉を視察。担当者から概要を聴取。
泉質と温度、肌触り等を確認するために試しに入浴してみる。
午後12時過ぎ、フエ市内を横切り、ドンバ市場の先にある
庶民の手打ちうどん屋で昼食。美味しい。
その後、二人の社長さんはホテルで暫時休憩。
私とバオミンさんは宿舎・自宅へ戻り、当面の仕事をこなす。
午後5時半過ぎ、フォンザン ホテルへ。
二人の社長さん・バオミンさんと一緒に車でフォン川に
浮かぶ「船上レストラン」で夕食会。
フエ市副市長トアン氏、フエ市外務部長ニエン氏、
フエ市外務部副部長のイックホアン氏と二人の社長、
私、バオミンさんで経済問題を中心として夕食懇談会を行う。
フエ市副市長・外務部長・外務部副部長
日本側
今後の日越交流、投資、子どもたちへの支援などについて
話し合う。
トアン副市長とホアン外務部副部長
会合の最後にトアン副市長の挨拶で散開
その後、藤木社長、斎藤社長と一緒にブライセン・FDS
の社員の皆さんの交流会場へ。
FDSの社長さんと2人の社員
午後10時過ぎ、私は仕事があるので途中で退席。
2012年09月13日
ブライセンTHI君の父親の通夜(クアンチ省)へ:日本料理店会議:ブライセン社長来訪
快晴
午前7時朝食。ブンボー・フエ(フエ名物 牛肉入りブン麺)
午前8時半、昨日、交通事故で亡くなったブライセン社員THI君
のご尊父の通夜に行く。フエ省の北。クアンチ省。ベトナム戦争中
は南ベトナムの最北端。クアンチ省と更にその北のクアンビン省
の境・北緯17度線、「ベンハイ川」がベトナム民主共和国
(北ベトナム)とベトナム共和国(南ベトナム)の国境だった。
1973年、北側の攻撃を受け、クアンチ省は陥落し、北側が
支配。ベトナム戦争末期は、フエとクアンチ省が北と南の
事実上の「国境」だった。
クアンチ省は、北と南の草刈り場、大激戦地帯だった。
通夜には、ブライセンベトナム支社員・JASSベトナム事務所員
(THI君に日本語教えている)などが参加。
フエから国道1号線を北上すること1時間。クアンチ省に
入る。
秋の空になりつつあるがまだ夏の暑い空。
車から降り、THI君の実家へ
ブライセン本社社長 藤木氏の花輪
JASSの花輪
車からブライセンスタッフ・JASSスタッフが
それぞれの花輪を持ってTHI君の家へ。
THI君の実家は、亡くなった父親(66歳)と
小学校の教員で既に退職している母親の
二人で生活していた。
子どもたちは、 ホーチミン市やフエに住んでいる。
THI君の実家の庭には即席の通夜会場が設営されて
いた。
たくさんのお坊さんが読経している。
日本の読経に比べ、はるかに「朗らかで明るい」
雰囲気の読経である。
白鉢巻は親族。
テーブルに座り、故人の思い出などを話す。
理由は不明だが、通夜のテーブルには、かならず
「檳榔(びんろう)」が置かれている。
お線香を手向ける。
バオミンさん
喪主のTHI君と母親(突然交通事故死に動転し、
二人ともやつれていた)
カイン君(ブライセンベトナム支社員)
焼香を終えて、THI君とお母さんに「弔意」を伝える。
ホア君(ブライセンスタッフ・「子どもの家」卒業生)
後藤杖君(JASS日本語教師)
フーン先生(JASS日本語部長)
悲しみをこらえて弔問者に応対するTHI君
THI君のお母さんと親戚の叔父さんが挨拶に
1時間ほどの弔問を終え帰路へ。
THI君の家の庭にきゅうりがなっていた。黄色の花と
鮮やかな緑の小さなきゅうり。THI君の父親の
急死を悼むかのようにひっそりと咲いたいた。
午後11時半、フエに帰る。
昼食。
午後1時間ほど昼寝。
午後2時40分。徒歩でベトナム事務所へ。
午後3時過ぎ、日本料理店会議。
「子どもの家」のHIEP君(15歳)が研修生として
日本料理店で研修を行うことになった。
今日は、日本料理店会議を開き、TUOI店長、
NGUYET接客主任、HIEU在庫管理・統計主任と
話し合う。
明日からHIEP君は日本料理店で研修を始める。
HIEP君は、日本流に言えば、中学3年生。
ベトナムでは進級する際「進級試験」がある。
HIEP君は、勉強が肌に合わず、進級試験に
なかなか合格しない。やっと苦労して1年の
進級試験はすすれで合格。しかし、2年の
進級試験に挑戦する気持ちと力がないと
自分で思い、学校へ行かなくなってしまった。
「子どもの家」のセン委員長や寮母さんが何度も
説得したのだが、勉強ができない、という。
セン委員長も寮母さんも「この子は本当に
真面目で心優しい子。サボって学校へいかない
のではなく、勉強自体が苦痛。これ以上、無理に
進級試験を受けさせても無理との結論。
私とバオミンさんでHIEP君に会って「進級試験」の
ことを確認。本人はどうしても勉強ができない。
進級試験を受けたくないと繰り返す。
セン「子どもの家」委員長、バオミンさんとも相談し、
中学進級をこれ以上、無理強いしても問題の解決に
つながらないと判断。
本人に「何をしたいのか?」を聞く。
「日本料理店で日本料理の技術を勉強したい」との
こと。
午後4時半、徒歩で宿舎へ帰る。しばらくベッドで横になる。
午後7時45分、バオミンさん・ブライセンスタッフ2人が
宿舎付近に車で迎えに来てくれる。
午後8時半、フエ空港へ。
午後8時半、ブライセン本社藤木社長と2人の社員。
FDS社長のWさんと社員2人がフエ来訪。
午後9時半、車でホテル着。チェックイン。
その後、ホテルのレストランで簡単な顔合わせ会。
3日間のフエ滞在が始まる。
宿舎着、午後11時半、バオミンさんのオートバイで
宿舎まで。
長い1日だった。
2012年09月12日
古賀先生送別会
快晴 蒸し暑い
午前7時朝食。隠元豆と唐辛子入りチャオバインカイン
午前中、バオミンさんと打ち合わせ。
明日から来訪するブライセン社長一行の3日間の日程の
最終確認。レストラン、訪問先、人民委員会等の予約の確認。
ブライセン社員THI君のお父さん(61歳)が、今朝、交通事故で
急死。THI君の母親とバオミンさんの母親は姉妹。
THI君とバオミンさんは、従兄弟同士。
午前11時半昼食。春雨麺
1時間ほど昼寝。
午後2時。昨日の火炎樹日記を書く。
インターネット(光ファイバー)が「故障」。
写真が添付できない。
USBのインターネットを使って写真をアップする。
午後3時半。ベトナム事務所へ。
事務所員と1時間ほど話し合う。
バオミンさんと急死したTHI君の父親の葬儀の日程等を
確認。
午後6時、ベトナム事務所員と一緒に天安山にある
「スッポン料理店」で『古賀先生の送別会』を行う。
富岡先生の司会で送別会は始まる。
続いてJASSを代表して私から感謝とお礼の挨拶。
『1年間、本当に真面目に仕事をして頂いた。
感謝している。また、機会があったらフエに遊びに
来て欲しい…』
乾杯
電力事情が悪く、何度も停電となる。
ソン君が携帯電話の明かりを点けてくれる。
古賀先生送別会の会食が始まる。
今日のメイン・ディッシュは、「すっぽん料理」
「特殊な豚肉と庭の野菜」・・・・・
しばらくすっぽん料理などを楽しみ、古賀先生との別れを
惜しむ。
その後、古賀先生から1年間の思い出とお別れの
挨拶。
古賀先生のお別れの言葉に応えて、ベトナム事務所員
全員が一言ずつ、古賀先生にお別れの言葉を。
富岡先生
フオン先生(通称:今晩は先生)
新任の澤井先生
春口先生
後藤杖先生
バオミン・ベトナム委員長
ソンベトナム事務所員
アン・ミス婚約さん
JASS日本語部長・日本語能力テスト特級合格先生
会の最後に澤井先生から「記念写真」などの
プレゼント
春口先生から記念品贈呈
2012年09月11日
バオミンさんと打ち合わせ:地球の歩き方ツアー夕食会
午前5時起床。
昨日の火炎樹日記を書く。
午前7時朝食。「カニ団子入りブン麺」
午前8時、徒歩でベトナム事務所へ。
ベトナム事務所員の皆さん元気に仕事中。
後藤先生・今晩は先生
富岡先生・ハンさん
ミス婚約さん
ソン君
日本語特級 フーン先生
さすが日本語特級の先生。勉強と仕事が忙しい。
2台のノートパソコンを使って仕事中。
バオミンさんとソン君。相変わらず「怪しげな」話し合い。
その後、バオミンさんといくつかの問題について打ち合わせ
その後、徒歩20分。「理髪店」へ。
途中、地方警察の前を通る。リー君がオートバイの
警備員をしている。警察に来る市民のオートバイを
預かるだけなのだが、結構「威張って」いた。
警備の腕章をしているからだろうか?
理髪店にはお客ゼロ。20分で終了。3万ドン(130円)
徒歩25分で宿舎へ
午前11時半、昼食。 魚入りのおじや。
食後1時間ほど昼寝。
その後、里親への手紙などを書く。
多数のメール受信。返信。
日本帰国のための荷物の整理。
不在中の部屋のカビ対策
午後6時過ぎ、日本料理店へ。
午後6時半、地球の歩き方ツアー4班(13人)の
皆さんと夕食会。
富岡先生の司会で始まる。
接客主任のグエットさんのメニュー紹介
団長さんの音頭で乾杯
バオミンさんと後藤先生、小山が参加
揚げ出し豆腐
午後8時半頃、閉会に近づく。
厨房のスタッフ紹介
地球のありき方スタディーツアーの皆さんは
バオミンさんの引率でホテルへ。
残った私たちは後片付け。
厨房の手伝いをしてくれてる春口先生・澤井先生
子どもたち
午後9時前、徒歩で宿舎へ。
インターネットの調子が悪く、火炎樹日記が
かけない。
(8月12日午後2時にUSBインターネットを
使って火炎樹日記を書く)
2012年09月10日
2回「子どもの家」へ フエ省立病院副院長懇談
快晴
午前5時起床。
午前7時朝食。フォー・ガー(牛肉入り米麺)
午前8時過ぎ、電動バイクで「子どもの家」へ。
「子どもの家」では、地球の歩き方ツアー4班(13人)の
皆さんが、「子どもの家」の手すりなどのペンキ塗り。
時々、ペンキを塗り直さないと「錆」で手すりなどが
壊れてしまう。
子どもたちと協力してのペンキ塗り。感謝。
その後、子どもたちと一緒に昼食つくり。
10月から県立高校の化学の先生になるTHUYさんも参加
私とバオミンさんは、時間がなく、「子どもの家」で
ある問題を話し合う。中々複雑な問題。しかし
直ぐ回答をださなければならない。
海外ボランティアの現実は常に問題をかかえ、常に
回答を出し、実践し、回答が正しかったかどうかが
確認される。責任も大きい。私たちは、評論家ではなく
常に「実践」が求められる。
1時間ほど、バオミンさんと話し合い、一定の結論を
出す。
電動バイクで宿舎へ。
午前11時15分、宿舎着。
午前11時半、昼食。マカロニ・スープ。
半分残し、夕食とする。
1時間ほど昼寝。
午後2時50分、バオミンさんが宿舎までオートバイで
迎えに来てくれる。バオミンさんと一緒に「フエ省立病院」
副院長のBUI先生に面会。
BUI先生は、昨年までフエ市立病院院長兼フエ市厚生部長。
10数年の付き合いである。
ある問題でBUI先生と話し合う。色々な事情が分かり、
ある件の話をお願いする。30分ほど話し合いを行う。
その後、バオミンさんのオートバイで「子どもの家」へ。
今年、高校と大学受験は100%の合格だったのだが、
結果がでていなかった一人が大学不合格となる。
不合格となったPさんを呼んで今後の身の振り方を
セン運営委員長、バオミンさんと一緒に話し合う。
Pさんはの父親は病気で両足を切断。
母親は菅笠つくり。4人兄弟。Pさん(18才)と妹(14歳)の
が「子どもの家」に入所。
Pさんは、もう一度大学受験に挑戦させて欲しいという。
Pさんは、大学が不合格になったこと、今の自分の置かれて
位置を考えてか 終始泣いていた。
セン運営委員長・バオミンさんと相談し、もう一度挑戦する
チャンスを与えることにする。
フエの名門高校ハイバーチュン高校に通っており、
学校の成績も良かった。受験した大学も順当に合格する
筈だったし、順当に合格してもおかしくなかった。
本人も意外な不合格に涙していた。再度の挑戦のチャンスを
上げたい。
久しぶりに「子どもの家」の庭の火炎樹の木を眺めてみた。
2階建ての屋根をはるかに越える高さになっている。
10数年前、茨城県の「青年の翼」プロジェクトで「子どもの家」に
来た若者が50センチ程の「苗木」を植えた。
それから10数年。10メートル以上の高さに成長。
この木を見ているとフエ滞在の年月の長さを改めて感じた。
19年の長さを示しているかのような「子どもの家」火炎樹の
木ではある。
夕方、地球の歩き方ツアー4班の皆さんが「子どもの家」
へ到着。子どもたちと一緒に夕食を摂りながら交流。
その後、子どもたち付属土産物店でたくさんの刺繍を
買ってくれる。
子どもたちと交流。
バオミンさんのオートバイで宿舎まで送ってもらう。
宿舎でいくつかの複雑な子どもたちに関する問題解決策を
考える。
2012年09月09日
古賀先生たち日本人スタッフと朝食会
午前8時、フエ市内のカメリアホテルで朝食会。
新しく赴任した澤井先生や春口先生・後藤先生・富岡先生。
午前9時半近く閉会。
その後、終日、宿舎で各種の仕事を行う。
2012年09月08日
地球の歩き方ツアー4班講演会
午前5時起床
暑さがぶり返す。
午前7時朝食。ブンボーフエ(牛肉の米麺:フエ名物)
午前8時、ベトナム事務所1階で地球の歩き方ツアー4班の
皆さんとベトナム事務所員の対面式。
ベトナム事務所の自己紹介。
午前9時半から1時間、「ベトナムの歴史と風土」について
話す。静岡フエ青年交流会館。
午前11時半、昼食。「おじや」
午後3時過ぎ、電動バイクで「子どもの家」へ。
午後3時半から1時間、「海外ボランティア」について
地球のありき方スタディーツアーの皆さんに話す。
支援者からの贈り物をセン運営委員長に渡す。
午後3時半過ぎから1時間強、地球の歩き方ツアーの
皆さんに「海外ボランティア」について話す。
午後4時半。
地球の歩き方ツアーの皆さんと子どもたちとの交流会。
セン運営委員長の挨拶
「子どもの家」の臨時スタッフ
地球の歩き方ツアーの皆さんの歌
1993年から「子どもの家」にいるタン君。19年の付き合いだ。
交流会終了
その後、地球の歩き方ツアーの皆さんは、子どもたちと
1時間ほど、交流・遊ぶ。
日本の支援者の上原祥子さんが、里子のティン君の
高校合格祝いをしてくれる。合わせて、今年高校と大学に
合格した子どもたちに「万年筆」を寄贈。
里子で高校に合格したティン君に自転車を1台寄贈。
合わせて、高校と大学に合格した他の子どもたちにも
それぞれ1名ずつ合計3台の自転車をプレゼントしてくれた。
セン運営委員長・バオミンさんと相談し、「子どもの家」から
学校までの通学時間の長い子どもたちに高校・大学生それぞれ
1台ずつプレゼントした。
フエ大学観光学科に合格したガーさん
里親の上原さんの里子「ティン君」。フエ県立高校に合格。
フエ科学大付属理系特進学校に合格
高校・大学合格者に上原さんから「万年筆」がプレゼントされた。
フエ医科大学・フエ師範大学化学学科の二つの大学に合格。
フエ医科大学への入学を決める。静岡大学からは不合格の
通告を受ける。
フエ大学観光学科合格のガーさん 上原さんからの万年筆
上原さんの里子ティン君
高校合格
フエ科学大学付属高校合格 りーさん。
フエ県立高校合格 チュン君
フエ県立ザーホイ高校合格
交流会後、地球のありき方スタディーツアーの皆さんは
子どもたちと遊ぶ
写真左。フオンさん。フエ医科大学を卒業。インターンを1年する
予定。(今年、フエ医科大学に合格したホン・ニーさんの姉)
今日、フエ医科大学から1年のインターン後、フエ医科大学の
教師とてして大学に残るよう指示がでた。
今年フエ医科大学を卒業する学生は300人程度。
大学に残り将来の教授・研究者として指名された学生は5人。
「子どもの家」のフオンさんは、その5人に入った。
今後、
フエ医科大学に残り研鑽を続け、近い将来、フエ医科大学の
教授になるコースに乗った。
しばらくバオミンさんと当面の課題のいくつかについて「立ち話」
で協議。
地球のありき方スタディーツアーの皆さんは
バオミンさんの引率で夕食レストランへ。
午後6時過ぎ、「子どもの家」を電動バイクで出る。
日本料理店を通過し、宿舎に帰る途中で「先生・先生」
と大きな声が聞こえる。止まって路上の歩道を見るとリー君と
変なおじさんが路上で飲んでいる。
「先生、飲みましょう、飲みましょう」とリー君が言っている。
私は宿舎に帰って、残っている仕事をしようと思っていたが、
リー君との付き合いも19年になる。1・2年の付き合いではない。
電動バイクを歩道に置き、リー君の飲んでいる歩道の
テーブルへ。
中々気の利く若者ではある。自分たちは、「怪しい氷」で
ビールを飲んでいた。私はこの「怪しい氷」だと下痢をする。
リー君は何も言わずに路上飲み屋のおばさんに「安全な
氷急いで買って来て」と話す。おばさんは、オートバイで
安全な氷を買ってくる。
リー君と飲んでいた「怪しげ」なおじさんは、リー君の
弟のイン君の奥さんのお父さんだった。
二人で飲んでいたのだ。
リー君は、私の好きなおつまみを知っていて「するめ」の
焼いたものを出してくれた。
30分ほど、色々な話をして宿舎へ帰る。
その後、火炎樹日記を書き、いくつかの仕事をする。
午後9時半、静岡県袋井市『国香酒造』の
純米大吟醸「傳一郎」を冷やして飲む。美味。
2012年09月07日
宿舎で仕事
午前5時起床 曇りのち晴天
午前七時朝食。ブンボー(牛肉の米麺)
そろそろ雨季に入りつつある。
一週間後に「ある行事」があり帰国する。
雨季の期間は、室内がカビ、衣類は全てカビて異臭を放つ
ようになる。
ソン君に頼み衣装ケースを2つ買ってきてもらう。
部屋に掛けてある大量の衣類を「衣装ケース」に入れ、
防虫剤を添えて、雨季のカビ対策をする。
更に「洪水対策」も行う。ソン君に手伝ってもらい、
宿舎にある前の日本料理店で使っていた大量の椅子を
1階の部屋に置き、その上に「20年間のJASS活動の
資料」を置く。
ソン君が本当に真摯に手伝いをしてくれた。感謝している。
これで、私の1ヶ月ほどのフエ不在中の衣類のカビ、
洪水による資料の破損を防止できる。
大量のメールを受信。必要なメールの返信。
午前11時半、昼食。「マカロニスープ」。半分残し、夕食とする。
食後、1時間ほど昼寝。
午後、フエ省教育委員会に手紙を書く。
里親への手紙を書く。
バオミンさんと何度か電話で連絡を取り合う。
日本へ帰国する前にしなければならない仕事が多い。
全力で帰国前の仕事を仕上げる。
フエ省教育長懇談:フエ高等師範大学長懇談:日本料理店会議
午前中曇り。日中快晴
午前7時朝食。肉団子入り「チャオバインカイン」
日本の上原さんから里子の高校合格祝いに
自転車を送りたいとのこと。合わせて、そのほか
2台の自転車を「子どもの家」に寄贈するとのこと。
また高校・大学合格者全員に万年筆をプレゼントする
との有難い話がある。
「子どもの家」のセン委員長と相談し、受け入れを決める。
午前中、多数のメール受信。
里親関連の連絡等
午前11時半昼食。ヤサイサラダ・魚のフライ・ご飯
1時間ほど昼寝。
午後1時半、バオミンさんがオートバイで迎えに来てくれる。
フエ省教育長と懇談。今後のJASSとフエ省教育委員会との
一層の提携を話し合う。
一時、宿舎へ戻り仕事。
午後3時、バオミンさんのオートバイに乗せてもらい
フエ高等師範大学長と懇談。
途中、地方警察の前を通る。
リー君が「真面目」にオートバイ警備員の仕事をしていた。
午後4時半、日本料理店会議。
今まで空白だった店長をトゥオイさんにお願いする。
在庫管理主任をヒエウさんにお願いする。
今後、毎月1回「冷凍庫掃除」の日を定期的に決めて
実行する。店長さんが音頭をとる。
冷凍庫にいれる食品は、入れた日にちと品物を
一覧表にしておく。3週間たったものは、
日本料理店の夕食として、みんなで食べて、新しい
ものを買っていれる。
日本料理店スタッフから希望の出ていた
換気扇の大改修を行う。
ネズミ穴をセメントで埋める。
調理場の水回りの大改修を行う。
2012年09月05日
日本料理店についての話し合い
午前中、曇り。午後快晴。
午前7時朝食 カニ団子入りブン麺
午前9時、徒歩でベトナム事務所へ。
茨城の大沢さんから手作りの日本料理店用の「箸袋」が送られ
てきた。いつものことではあるが、感謝。
ベトナム事務所員・日本語教師の皆さんが、いつもの
ように真面目に仕事をしていた。
古賀先生
フオン(今晩は)先生と後藤先生
バオミン運営委員長とソンベトナム事務所員。
何か「怪しい話」をしているような「異臭」が漂う。
日本語学校では、富岡先生が授業。澤井先生が富岡先生
の授業を手伝う。
午前11時半、昼食。春雨麺。
食事をしながら読書
「聴衆の誕生ーポスト・モダン時代の音楽文化」
(渡辺裕著:中央公論新社)
テーマは、何故、クラシック音楽会に行くと、音ひとつ
立てずにシーンとして、聴くのか?
音楽の「正しい聴き方」はいつ頃、出来てきたのか?
今日で言えば、「クラッシク音楽は高級」で「演歌は程度が
低い」とか、「能狂言・歌舞伎」は高級だが、落語・講談など
寄席文化は程度が低い、という文化論に通じるもの。
食後、1時間半ほど昼寝。
午後3時、ベトナム事務所で日本料理店の副店長と
懇談。
明日、日本料理店会議を開くにあたって、意見を聞く。
同時にバオミンさんと相談し、今まで空席だった店長に
現副店長のTUOIさんを就任させることを決める。
本人を呼んで店長就任を要請。本人も快諾。
TUOIさんといくつかの問題でつっこんだ話をする。
その後、バオミンさん・TUOIさんと日本料理店厨房へ
行く。排気装置の能力が弱く、調理中に煙がでて
目が痛くなるとの苦情があったので、全面改築を
する計画を立てる。
下水の全面改修を決める。
ねずちゃんの出入りする下水管のコンクリート詰を
ソン君に頼むことにする。
ひとつひとつ具体的に改善・改革を進めて行きたい。
「理屈」より「行動」。
2012年09月04日
新日本語教師澤井先生赴任
終日雨
昨夜、午前0時過ぎから豪雨。
午前1時から午前5時まで「洪水」が心配で「見張り」をする。
昨年、1日だけの大豪雨で宿舎の前の道が洪水となり、
宿舎に浸水。路上から50センチ程、宿舎内に水が入る。
20年間蓄えておいた「JASS活動の資料」が入っている
ダンボール10箱が全て浸水し、写真等資料が駄目になって
しまった。
あまりの豪雨に「下水の処理能力」が追いつかず、
洪水となってしまった。
今回もその可能性が十分ある。
日本のODAの支援は、庶民が一番心配している
下水の処理能力がないところから来る「洪水」など
は考慮されていない。大きな病院(1泊100ドル)を作ったり、
大きな建物を作ったりと言う「箱物」支援が多い。
フエの実際の洪水は、フォン河の氾濫よりも、下水道の
処理能力不足から来る洪水の方が圧倒的に多い。
日本や海外からの支援が、ピント外れな実態を実体験
している。
今日は、ほとんど寝てない。
午前7時朝食。フォー・ボー(牛肉入り米麺)
7月・8月・9月はスタディーツアーや色々なお客さんが
多く忙しい。読書をする気力と時間がない。
この期間の読書は「食事をしながら」と限定している。
この間、大雑把には、世界史をもう一度読み直そう、
最新の学問を成果を学ぶというテーマを持ち、読書
している。
・「世界史」(上下) マクニール著 中公文庫 中央公論新社
・「遊牧民から見た世界史」(杉山正明著 日経ビジネス文庫
・「イギリス帝国の歴史(アジアから考える)」秋田茂著 中公
午前8時過ぎ、雨の中、徒歩でベトナム事務所へ。
午前8時半過ぎ、新任日本語教師の澤井先生が
ベトナム事務所へ。
バオミン・ベトナム運営委員長と挨拶
ソン・ベトナム事務所員と挨拶
ベトナム事務所に「長崎」のお土産。カステラ。
ベトナム事務所員の自己紹介
古賀先生は日本語の授業中。
澤井先生のお土産、カステラを食す。
ベトナム事務所員との挨拶、自己紹介の後、「ベトナム事務所
での生活と活動」について、1時間ほど話をする。
食べ物、病気、フエでの危険なこと、ベトナム事務所の
役割りなどを話す。
話し合い終了後、バオミンさんと一緒に「カステラ」を戴く。
さすが本場・長崎のカステラ、美味しい。
澤井先生の机で仕事を開始
澤井先生の前には、同じ大学の春口先生
その後、バオミンさんと当面の問題について話し合う。
午前11時半、宿舎で昼食。チャオバインカイン
相変わらず雨が続く。
1時間ほど昼寝。睡眠不足のため熟睡。
午後3時から日本帰国の日程、JASS活動についての諸問題
などを考える。バオミンさんと電話でいくつかの件について
意思統一。
ブライセン本社社長・社員などの訪越日程の最終確認。
ブライセン本社とメール何度か意見交換。
里親のUさんが、里子のT君の高校合格祝いに
自転車をプレゼントしてくれるとのこと。
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「京滋YOUの会」バザー続報
第9回ベトナムの「子どもの家」支援洋服バザー を開催しました
9月2日(日)、長岡京市生涯学習センター 2階「市民ギャラリー」にて、第9回「子どもの家」支援洋服バザーを開催しました。
今年は、ツアーを8/10に終えて、バザーまでの準備時間が少なく、ばたばたと準備しました。事前チラシ、5500枚配布、色々な団体や個人の方へのお願いなどをあわただしくやりながら当日を迎えました。(株)アデッソ・スフィーダ様の提供くださった洋服の販売をと併せて、「子どもの家」の写真や絵画の展示、刺繍製品、雑貨の販売、ベトナムコーヒーの販売、そして、毎回ご協力いただいている、デコアートフラワーのみなさんのお花販売などをしました。
当日は、たくさんの方が来てくださって、たくさんの洋服や刺繍製品が売れました。又今回は会場も広かったので、展示スペースも広く取れて、写真や絵をゆっくりとみていただくことができました。地元の京都新聞にも、事前のお知らせ(8/23)と当日の様子が(9/3)に掲載されました。このバザーを通じて、多くの皆さんに「子どもの家」のことを知っていただきました。このバザーの開催ができたのも、(株)アデッソ・スフィーダ様や地元長岡京の多くのボランティアスタッフの皆さんのお力があったからです。ご協力くださった皆様に、心より感謝です。写真を数枚掲載しますので、併せて当日の様子をご覧ください。 (藤井記
2012年09月03日
昨日:「京滋YOUの会」バザー:ベトナム独立記念日代休
9月2日 「京滋YOUの会」バザーが行われた。
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今日は、昨日9月2日「独立記念日」の代休で休日。
曇り・時々晴れ
午前7時起床。昨夜炊いたお米で朝食。
支援者から頂いた「味噌汁」(インスタントより美味しい)
コードー(古都)レストランで昨日買った「もやし炒め」
「アヒルの卵焼き」の残りを食す。
昨日書いたある少年の件の文章を更に校正する。
関係者に送付。
その後、送信した文章への感想などが送られてくる。
ありがたいことである。
そうした意見を参考に引き続き、バオミンさんと相談
をしていく。
明日、午前8時半に新任日本語教員の澤井さんが
ベトナム事務所に初出勤。ベトナム事務所員と挨拶。
その後、バオミンさんといくつかの問題を話し合う予定。
昼食を摂る気力なし。
午後12時から2時間昼寝。
当面の来訪者のフエ滞在日程について、細かい点を
チェックする。
日本は休みではない。いくつかのメール受信。
名古屋の時田さんから電話。知り合いの女子学生の
フエ訪問でお世話になったとのお礼の言葉。
古川元久国家戦略特命大臣と時田さんは知り合いとのこと。
古川大臣は愛知県選出。時田さんは、名古屋市。
ベトナムは急速にIT産業が発展した。
10数年前、中部で最初にインターネットを入れたのは
私だった。ハノイの警察が運営しているプロバイダーに
行き、インターネット登録をした。
現在では、光ファイバーも導入しているが、保全・保持が
きちんとできていない。
この数週間、光ファイバーが常に切れてしまう。
真っ当にメールの受信・送信が出来ない。
困ったものだ。使用料金だけは「取る」のだが、
自分たちの責務は全く果たしていない。
批判の出来ない社会の弊害ではある。
2012年09月02日
第67回目のベトナム独立記念日
「京滋YOUの会」バザー開催
午前8時起床。今日は日曜日なのでゆっくりする。
血圧測定。多少、高めだが気にしない。
メール受信。必要なメール送信。
午前9時半頃、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所3階のブライセン支社の「模様替え」を
していた。壁の色の塗り替え。「定期改修」である。
平日だとIT関係社員の勤務に影響するので、
今日の日曜日と明日の建国記念日代休の2日間を使い
壁塗りかけ、ドアの工事を行う。
既にバオミンさんが来ていて、模様替えの『指揮』を執っていた。
洗濯。部屋の整理。
午前11時半。昨日料理のセンさんが作っておいてくれた
「チャオバインカイン」を食す。
本当は、冷たいさぬきうどん(もりうどん)のようにして
食べたいのだが・・・・。ベトナムの「さぬきうどん」は
唐辛子と脂ギタギタのうどん。
ある子どものことで意見をまとめる。
午後1時半、昼寝。1時間ほど寝たが目覚める。
「YOU TUBE」で落語を聴く。ボーッと聴く落語は
前座話が最適。「初天神」と「金明竹」を聴く。
そのうち「うとうと」してきた。
午後6時まで「ある子どもの件」で文章をまとめる。
その後、軽く「フダ缶ビール」を飲む。
明日は、今日の「独立記念日」が日曜日だったので
その代休として休日。
今夜、新しい日本語教師の澤井さんが、午後8時半フエ空港着の
飛行機で到着。
古賀先生・春口先生・今晩は(フオン)先生の出迎え。
市内の大衆食堂で夕食。
フエの気候と風土に早くなれて欲しい、健康に気をつけて
日本語教師の仕事を遂行してもらいたい。
2012年09月01日
当面の諸問題をバオミンさんと協議
午前6時起床。室温32度。寒く感ずる。
気候の変わり目に入ったようだ。これからは、雨季。
洪水の季節の入り口と見た、20年、フエに住んでの
経験的な感想。
午前7時朝食。「ブンボー・フエ」(牛肉入り米麺)
午前9時、徒歩でベトナム事務所へ。
ベトナム事務所では、スタッフがそれぞれの仕事に
熱心に取り組んでいた。感謝。
後藤先生がパソコンを直している。
日本語部長フーン先生
会計部長 ハンさん
ベトナム事務所の最古参事務所員となった富岡先生
先日、取材の申し入れがあった「朝日新聞」。フィリピン地震
取材へ急行するとのことで、今日の取材は中止。
バオミンさんと当面の重要な問題について2時間ほど話し合う。
2時間どの話し合いの後のベトナム事務所風景
後藤先生と「今晩は先生」
すっかりベトナム事務所にも慣れた春口先生
午前11時過ぎ、徒歩で宿舎へ帰る。小雨。
昼食は「おじや」
午後2時間ほど昼寝。
その後、長時間かけて、ある問題についての解答を
支援者に送る。