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2012年08月31日
当面の諸問題・諸課題を整理し、問題解決を考える
午前5時半起床。非常に暑い。 夕方、かみなり。
午前7時朝食。フォー・ガー(鶏肉の米麺)と生茶葉・生姜入り茶
今日は終日「光ファイバー」がつながりにくく、インターネットが
使えなかった。仕事が進まず。
バオミンさんと電話で何度も打ち合わせ。
東京の次男に電話。
地球の歩き方ツアー4班の日程と担当者確認。
9月13日・14日・15日とフエを訪問するブライセン
本社社長・社員の皆さんの日程確認。
午前11時半、昼食。マカロニスープ。半分残す。
1時間ほど昼寝。
日本から「木村百合子さん公務災害裁判勝訴」の会報が
メールで送られてくるが、あまりに写真などが多く、私の
パソコンでは開けない。
バオミンさんにメールを転送し、開いてもらう。2時間ほどかかる。
ベトナム事務所へ行き、木村百合子さん裁判会報を見せて
もらう。
木村百合子さん裁判勝訴の集会が、10月6日に開催されることが
分かった。
ベトナム事務所では、富岡先生を中心に日本人スタッフ、ベトナム人
スタッフが協力して仕事をしている。
日本料理店では、接客主任のグエットさんが、黙々と
お店を掃除していた。
その後、会議室でバオミンさんといくつかの問題を話し合う。
明日、午前10時に朝日新聞記者が訪ねてくるとの電話が
あったとのこと。
午後5時頃から雷、豪雨。停電。
フエの季節の変わり目の始まりか?
2012年08月30日
東京の大学生7人来訪
午前5時半起床
午前7時朝食。「精進ブン麺」
今日は旧暦の7月15日。ベトナムでは、精進料理を食べる
伝統の日。
午前8時過ぎ、、徒歩でベトナム事務所へ。
ベトナム事務所では、ブライセン中級クラスの日本語授業。
後藤先生が教えていた。今日は「漢字のテスト」
今日は、JASS静岡の会の笠井事務局長の教え子である
Fさんたち7人がフエへ来訪。挨拶へ。
ベトナム事務所でベトナム事務所員とお互いの自己紹介。
Fさんたちを担当・お世話する責任者の「フオン先生」と
「富岡先生」
団長のFさんからお土産を頂く。
会議室で滞在日程中の活動内容を確認。
打合せを行う。
静岡の会事務局長の笠井先生に中学時代、社会科の勉強を
習ったという大学生が3人いた。
富岡先生・フオン先生(通称今晩は先生)を中心に
フエ滞在中の日本語教育などの日程・内容を
話し合い、確認する。
午前11時半、昼食。野菜サラダ・魚のフライ・野菜スープ。
量が多く食べきれない。
午後1時間ほど、昼寝。
バオミンさんから電話。日本の政府関係の人から電話があり、
私の携帯電話を教えたとのこと。
2時間ほど後になり、政府関係者から電話あり。
話し合う。
午後4時過ぎ、ベトナム事務所へ。
バオミンさん・後藤先生と協議。
午後5時、日本の内田さんとSKYPEで話し合う。
ーーー
今朝からイギリスで「パラリンピック」が始まった。
私はオリンピックメダル受賞者のパレードを銀座で
実施した石原都知事の差別主義に根本的に
反対している。
パラリンピックの「パラ」はパラレルのパラだ。
平行・同じという意味。
健常者のオリンピックと障害者のオリンピックは、
平等だ、と言っているのだ。
今日からパラリンピックが始まった。
メダル受賞者の「銀座パレード」はオリンピックと
パラリンピックのメダル獲得者を一緒にすべきなのだ。
「障害者とともに」、などと言いながら、パラリンピックが
始まる前にオリンピックのメダル受賞者のパレードを
してしまった。
感動を受けるのは、オリンピックだけでなく、
パラリンピックの皆さんの奮闘にも大きな感動を
受け、私たちは励まされる、
オリンピックとパラリンピックを同じ扱いにして欲しい。
石原東京都知事の「東京オリンピック招致」の
本質が分かるというもの。
ベトナムで障害児医療センターの責任者として
一言、石原都知事の障害者差別に苦言を
呈したい。
2012年08月29日
帰国する佐藤先生と懇談・ザーホイ高校へ
快晴
午前5時半起床。
血圧等検査。
午前7時、朝食。チャオ・バイン・カイン(唐辛子が強い)
午前9時、徒歩でベトナム事務所へ。
バオミンさんと当面の問題・課題について協議。
ベトナム事務所スタッフの皆さんは、真面目に
仕事をしている。感謝。
午前10時、栃木の会の佐藤先生と懇談。
佐藤先生は今日日本に帰国する。
フエ滞在の1ヶ月間の様々な件についての感想を
伺い、意見交換。貴重な意見・提言を頂く。
1ヶ月間の日本料理店での仕事に感謝している。
チャンさんが、結婚で退職。日本料理店は、オンシーズン。
毎日30人以上の来客があり、対応が大変な時に
支援にかけつけてくれた。
日本料理店への様々な提言を今後子どもたちとも
話し合いながら、改善していきたい。
佐藤先生の提言は現在、自らも日本でレストランを
経営し、厨房や接客に立っている佐藤先生ならではの
提言であった。
午前11時半昼食。春雨麺 半分しか食べられない。
食欲なし。
午後3時、バオミンさんのオートバイの後ろに乗り、
ザーホイ高校訪問。校長先生・奨学金担当の
先生と今後のJASSとザーホイ高校との交流に
ついて協議。現在、4人ほどの「子どもの家」の子どもたち
が在学している。
全校生徒1800人とのこと。
ザーホイ高校にJASSは10数年にわたって高額の
奨学金を贈呈している。
校長先生と懇談。今後のJASSとザーホイ高校との
交流などについて協議。
ザーホイ高校からベトナム事務所への帰り。
バオミンさんのオーバイがパンク。路上の修理人に
願いし、20分ほどで直す。しかし、再度乗車すると
パンク状態。
バオミンさんは本格的なパンク修理に行く。私は歩いて、
フースアン橋を歩いて帰る。
午後4時頃、ブライセンの
THI君がオートバイで迎えに来てくれる。
ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所で再度、当面の訪問者への対応等について
バオミンさんと協議。
午後5時半、宿舎へ戻る。
2012年08月28日
地球のありき方スタディーツアー3班晩餐会
午前6時起床。 午後は大雨。
午前7時朝食。ブン・ヘオ(豚肉団子米麺)
午前中、今後の日程調整。
洗濯
1時間ほど、横になる。
午前11時半、昼食。豚肉入りおじや。
午後2時間ほど横になる。この1ヶ月程の疲れがどっとでる。
午後6時半過ぎ、徒歩で日本料理店へ。
午後7時、地球のありき方スタディーツアー第3班の
晩餐会。
冨岡先生の司会で開会
グエットさんのメニュー紹介
団長さんの音頭で乾杯
ピースインツアーのご厚意で「飲み放題」。
パイナップル、スイカ、レモンなどの生ジュースを
飲む人が多い。
2時間ほどの食事会。
日本料理店スタッフの紹介
3人以外に佐藤先生・富岡先生・古賀先生・春口先生・
益子君・中川君などが手伝ってくれた。
地球のありき方スタディーツアーの参加者の皆さんから
「子どもの家」スタッフへ「寄せ書き」が寄贈された。
高校1年生の時、埼玉県の淑徳与野高校で私の講演会を
聞いたとのこと。
最後に全員写真
冨岡先生・春口先生・バオミンさんが参加者全員のデジカメ
の写真撮影
ツアー団長さんと
今日は3人、よく働いてくれた。感謝。なかなか「気の利く若者」
である。
地球のありき方スタディーツアーの皆さんが帰り、片付け。
佐藤先生は今日が最後の日本料理店での仕事。
1ヶ月間のご支援に感謝。明日、帰国。
益子君は明後日帰国。2週間、日本料理店のしごと等を
本当に真面目にやってくれた。なかなか賢い若者。
多少理屈っぽい所が、益子君の最良の特徴。
理屈の言えない人間は物にならない。将来の成長を
期待している。
午後9時半過ぎ、徒歩で宿舎へ。
2012年08月27日
日本料理店会議:佐藤先生送別会
午前6時起床
午前7時朝食。フォー・ボー(牛肉米麺)
多数のメール受信。送信。
1ヶ月ぶりにベッドのマットを干す。
洗濯。寝具中心。
昼食、チャオバインカイン
午後2時間ほど昼寝。体が疲れて立っていられない。
午後4時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
日本料理店会議。
佐藤先生、益子君・中川君が数日後に帰国。
この1ヶ月間、日本料理店の手伝い・指導をして頂いた
感想、総括をうかがう。
佐藤先生から以下のような総括的意見が出された。
今から私がいうことは、「文句」ではない。
日本料理店を良くしたいという気持ちでの意見だ。
①日本料理店の整理整頓をしてほしい。
一般的には、「ゴキブリ1匹」」見たらその裏に100匹の
ゴキブリがいると思うべきだ。
②提供する食事の量が多い。70%程度に減らしたらどうか?
③味噌汁の味が薄い。理由は、みそ、だし、わかめなどを
輸入しているので高価。できるだけ使いたくないとの気持ちは
わかるが、お金の問題ではなく、きちんとした料理を出すべきだ。
④長い間使い続けた油を「短い時間で捨てた」ので天ぷらが
おいしくなった。
⑤先日、欧米系のお客様が「お寿司」のネタが悪いとの
クレイムがついた。こうした場合は、短絡的に怒るのではなく
相手のいうことの真実をしっかりと理解すべきである。
お客を罵倒する前に、なぜ、お客様が怒るのかの
理由を考えるようにしたいものである。
⑥冷凍庫に入っている刺身等の食品は、1ヶ月に1回程度は
整理し、多少古くなったら、日本料理店員で食べて、
新しいものに代えるように。
⑦冷凍庫の掃除を1ヶ月に1回はしたものだ。
⑧常に冷蔵庫の中をチェックしてほしい。古くなったものの
整理が必要。
午後6時、日本料理店会議終了。
そのまま、佐藤先生・益子君・中川君のお別れ会会場へ。
ーーーー
冨岡先生の司会で「佐藤先生・益子君・中川君送別会」を開会。
日本語教師
日本料理店の子どもたち一人一人が、佐藤先生たちに
お別れの言葉を
グエットさん(接客かかり)
トゥオイ副店長・調理主任のお礼の言葉
ヒエウ調理調理係り(注文記録係り)のお礼の言葉
佐藤先生にお礼の手紙贈呈
益子君にお礼の手紙贈呈
中川君に手紙贈呈
佐藤先生・益子君・中川君に記念品贈呈
ベトナム事務所を代表して春口先生から記念品贈呈
JASSベトナム事務所を代表して古賀先生から佐藤先生に
記念品贈呈
グエットさんから益子君にベトナム事務所の記念品贈呈
益子君からお礼の言葉
中川君のお礼の言葉
佐藤先生から1ヶ月間の日本料理店での体験の話。
そして、お礼の言葉
閉会の言葉 バオミン・JASSベトナム運営委員長
日本料理店の「ONシーズン」。たくさんのお客さんが
来訪。突然、日本料理店・在庫管理主任・調理担当の
チャンさんが、結婚で退職。人手が足りなくなった。
佐藤先生・益子君・中川君の手助けは、本当に助かった。
改めて御礼申し上げたい。
約2時間半の送別会を終了。午後8時半。
飲酒を全くしていないバオミンさんのオートバイに
乗せてもらい宿舎へ帰る。私も透明のヘルメットを
かぶっている。ベトナム事務所では、「順法精神」を
最も大切にしている。
2012年08月26日
イスラエル人の学生さんと懇談
午前8時、起床。 相変わらず暑い。
朝食の意欲なし。
昨夜、後藤君と約束したイスラエル人の学生さんと
懇談。
午前9時、ベトナム事務所をバオミンさんに開けてもらい、
イスラエル人と懇談。
バオミンさんは、地球のありき方スタディーツアーの案内。
イスラエル人は、京都大学でベトナムについて研究しているとのこと。
近々に大学院にはいるようなことを言っていた。
英語での会話なのでなかなか思うように意思が伝えられない
面もあったが、概略は以下のような話。
イスラエル人は、18年前にウクライナから祖国イスラエルに帰る。
へブラ語、英語、日本語(私との会話では使わなかった)
ストリートチルドレン、「子どもの家」の話。
ベトナム社会の話などを4時間。
午前9時から午後1時まで。
なかなか賢く、積極的で思慮深い学生さんと見た。
学業が進捗し、日本留学が成功することを祈る。
午後1時過ぎ帰宅後、先日冷凍しておいた「おじや」
を少し食す。
そのまま午後5時過ぎまで寝てしまう。
疲れが極致に達する。
ーー
今日は青少年教育の会の加藤さんから電話。
バオミンさんから青少年教育の会の生徒さんの
感想文をもらう。熟読する。
一人一人の生徒さんたちの思いが詳細に
記載されていた。なかなか興味の持てる内容である。
この2週間ほど、部屋や衣類などの整理整頓を
一切していない。今日もその気力なし。
とにかく、体力保存が現在の最大の課題。
2012年08月25日
ブライセン・IT会社視察・王宮参観・「子どもの家」視察
快晴 午後一時雨。
午前6時起床。
午前7時朝食。ブンボー(牛肉米麺)
午前7時半、ブライセン本社員宿泊のフォンザンホテルへ。
午前8時過ぎ、8人の本社員・VU君と一緒に「HUE SOFT会社」
を視察。
業務内容等についての意見交換。
午前9時15分、「HUE SOFT会社」を出て、
JASS日本語学校へ。
地球の歩き方ツアーの3班(20数名)の
皆さんが、JASS日本語学校でベトナム講座を終えている。
午前9時半から午前10時半まで「ベトナムの歴史と風土」に
付いて話す。
JASS日本語学校から徒歩でベトナム事務所へ。
ベトナム事務所でVU/THI君、ブライセン本社
8人とと合流し、「子どもの家」付近の
チャオバインカインの店へ。
午前11時半、グエンチャイ通りの「チャオバインカイン」の店で
ベトナム風手打ちうどんを食べる。
午前12時半、ブライセン本社員8人、THI君・VU君と
王宮へ。
1時間、私が王宮を案内する。
午後1時30分、ブライセン本社のみなさんと「子どもの家」へ。
「子どもの家」で1時間、ブライセンの皆さんへ
JASSの海外支援・ボランティア活動について
話す。
更に「子どもの家」の施設案内・説明。
その後、THI君・VU君がブライセン本社員の皆さんを
フォンザンホテルへ。ホンザンホテルからフエ空港へ。
午後3時半、フエ空港へ。
事前に午後5時フエ発の飛行機が55分遅れ、午後5時55分
発となったとの連絡が日本のピースインツアーからああった。
私は午後3時半から地球の歩き方ツアー3班の皆さんに
「ボランティアなどについて」の講演会を行う。1時間。
その後、「子どもの家」の子どもたちの地球の歩き方ツアー3班
の皆さんの歓迎交流会。
はじめにセン「子どもの家」運営委員長より歓迎の挨拶
(通訳はハンさん)
「子どもの家」の子どもたちの歓迎の踊り
日本側の歌と踊りの出し物
午後5時半、地球の歩き方ツアー3班の歓迎交流会を終え、
宿泊ホテルへ。
宿泊ホテルから電動バイクの置いてあるフォンザンホテルへ。
午後6時前日本料理店へ。
日本料理店スタッフ、佐藤先生と若干話をする。
その後宿舎へ。
ーー
今日は朝7時半から夕方6時まで全く休みなく活動した。
1時間の講演会を3回、王宮案内1時間。
かなり疲れる。宿舎へ帰ったらそのまま横になる。
既に2週間ほど、休みなく活動している。
ーーー
バオミンさんもJASSスタディーツアーの皆さんと一緒に
ホーチミンへ。クートンネルなどを案内。
午後8時過ぎ、後藤先生から電話。明日の日曜日、
イスラエル人が話を聞きたいと言っているとのこと。
その後、富岡先生から電話あり。
明日(8月26日:日)午前9時にベトナム事務所でお会いする
事とする。
2012年08月24日
ブライセン本社・支社合同学習会
快晴
午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン
午前9時、ブライセンベトナム支社にて、本社・支社
研修会。
本社8人、支社11人。
通訳はベトナム事務所のフーン先生。
IT関係の専門用語「満載」の通訳を見事にこなしてくれた。
フーン先生の日本語能力はフエでもトップクラス。
見事な通訳に感謝する。
バオミンさんがJASSスタディーツアーと一緒にホーチミン市に
行き、クーチトンネルなどの案内をしている。
ベトナム事務所は、現在「超手薄状態」。そうした時に、
困難なIT専門用語満載の難しい通訳を最後までやり遂げてくれた。
はじめに各自の自己紹介
研修第1テーマ 「ベトナム営業活動について」
ベトナム支社第2業務室に20人が入り、本社T氏が
プロジェクターを使っての説明を行う。
日本語→ベトナム語への通訳は、フーン日本語部長
ブライセン本社が全体としてどんな仕事をしているのか?
を具体的に説明してくれた。
ブライセン支社が、ブライセン全体の業務の中の
どの辺に位置づくのか? 今後、ブライセン支社は
どんな方向・どんな課題があるのかの概略が理解できた。
第2テーマ「セキュリティー・コンプライアンス」
本社I氏の説明。
コピーライトについての基礎的概念の解説。
ベトナムでは全く一般化していない「著作権」問題を
具体的に解説。著作権における」「グローバルスタンダード」を
解説。現在のベトナムの現状は、世界基準で行けば、違法だられ
という実態を抜本的に改善する本社の硬い決意を示した。
その第1歩が、「ウインドウズ7」を全てのパソコンに購入搭載した。
相当の経費がかかった。しかし、ベトナム社会で蔓延している
コピーをつかってのブライセン業務は絶対にしないという
ブライセン藤木社長の固い決意を本社スタッフから支社員に
しっかりとつかてる場となった。
午前11時に午前中の講習会を終了。
昼食は、「バイン・ベオ」を食べに行く。
午後1時に講習会を再開。
午後の部は、3つのグループに分かれる。
①BLJ研修(ブライセン・ラック・ジョバー)自動発注
②ベトナム支社員との個別討論・面接
③交流・漢字ゲーム関連研修
上記3つの講習は午後6時まで続く。
その間、午後4時から「今後のベトナムでの事業展開」
につてK氏と1時間懇談。
午後5時から「ベトナムのITインフラなど」についてT氏と
午後6時まで協議。
午後6時過ぎ、夕食懇親会。
日越・日越とスタッフが交互に隣に座り、研修会の成功と、
今後の共同しての活動の推進を誓った。
フェスティバルビール83本飲み干す。
午後9時、閉会。
その後、日本料理店へ。今日は
来客4人とのこと。
午後9時半、宿舎へ帰る。
ブライセンからお土産を頂く。
純米吟醸「国香」(静岡袋井市国香酒造)2本
特別吟醸「国香」(同上)2本
純米吟醸「傳一郎」(同上)1本。
2012年08月23日
ブライセン本社員8人フエ来訪
昨夜、日本料理店で「男子会」をしたので、呑み疲れが
残っている。
午前6時半起床。
午前7時朝食。「フォー・ガー」(トリ肉・米麺)
午前8時、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所3階のブライセンベトナム支社では、
セキュリティー強化工事が始まっている。
午前中、ブライセン本社とメールでやり取り。
その他、たくさんのメール受信・送信。
午前11時半、昼食。「春雨麺」
午後1時間ほど昼寝。
その後、関係者からのメール受信を受け、送信。
「子どもの家」のティン君が「チャン・フン・ダオ高校」への合格が
決まった。
おめでとう。
これで今年度の大学・高校受験の全ての結果がでた。
大学3名受験→3名合格
高校4名受験→4名合格
ということで、高校・大学受験者7名は全員、志望校に合格した。
子どもたちの努力に敬意を表する。
勉強できるチャンスを生かして、自分の将来の生きる道を
決めてほしい。
午後7時半、宿舎の近くにブライセンベトナム支社員4人の
乗った車が到着。
フエ空港へ。
午後8時半、ブライセン本社員8人が到着。
荷物を取り、午後9時に車に乗る。
皆さん、夕食を摂っていないので、フエ市内のレストランで
夕食。ブライセンベトナム支社員11人と私、本社8人の
20人で顔合わせを兼ねての遅い夕食会。
2泊3日の日程で現地ベトナム支社員の研修会を行う。
夕食会終了、午後11時15分。その後、フォンザンホテルに
チェックイン。
宿舎着、午後11時半過ぎ。
名古屋からの支援者;JASSスタディーツアー
快晴
午前6時起床。
午前7時朝食。カニ団子入りブン麺
午前中は多数のメールを受信。必要なメールを送信
午前11時半。昼食。チャオバイン・カイン
午後2時前に名古屋の時田さんの紹介の訪問者とお会いする。
予定では、午前中にお越しになることになっていたが、
飛行機の都合で午後フエ着となる。
午後2時過ぎ、ベトナム事務所でお会いする。
JASSのフエでの活動などを話す。
「子どもの家」訪問を希望とのことなので案内する。
「子どもの家」で子どもたちと交流
子どもたちは既に「臨時」の学校が始まっていた。
男子は、JASSスタディーツアーと一緒にサッカー。
名古屋の時田さん紹介の訪問の方々は、「子どもの家」
付属刺繍センターでたくさんの刺繍作品を買ってくれた。
感謝。
「子どもの家」ではJASSスタディーツアーの森田さん・加藤さんの
引率で「子どもの家」の子どもたちとサッカーの交流。
午後6時半、日本料理店でJASSスタディーツアー
(森田好美団長)の夕食会が開かれていた。
はじめに冨岡先生の開会宣言
グエットさんの「今日のメニュー」紹介
メニューも接客主任のグエットさんが日本語で書く。
なかなか賢い子供である。
大学生のA君が乾杯の挨拶。
子どもたちは、生ジュースを飲む。
バオミンさんと私だけ「生ビール」を飲む
今夜の反省会が、真面目に進行するよう常に注意を
払う森田好美団長
野菜炒めとミモザサラダ
なすの煮浸し
ご飯、みそ汁
森田団長と加藤事務局長の「中間総括」
その後、参加者の子どもたち全員がこの間の活動等の反省・
感想を発表する。
午後8時半、JASS青少年・教育の会主催スタディーツアー
の夕食会終了
午後9時過ぎ、男子会を開く。日本で女子会なるものが
隆盛との噂を聞く。
小山・富岡・後藤・中川・益子で男子会を開催。
午後10時過ぎ散会。
2012年08月21日
舟山さん家族来訪:チャン退職:JASSツアー「夏祭り」
午前6時半起床。
疲労が取れない。朝から体がだるい。
午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン
水道から「泥水」が出てくる。
午前9時、ベトナム事務所から電話があり、舟山さんの
ご家族の皆さんがベトナム事務所を訪問、とのこと。
急いでベトナム事務所へ行く。
1996年から4年間ほどベトナム事務所のスタッフとして
活躍してくれた舟山さん。JASSベトナム事務所の活動中に
フエの美女(THUYさん)と知り合い結婚。現在は、日本へ
帰り、2児の父親として生活している。
2人のお子さんは、3年生と2年生。スイミングセンターで
水泳をしているとのこと。
舟山さんの」お陰で初期のベトナム事務所運営ができたので
ある。今でも私は舟山さんの活動に感謝している。
あれから十数年。二人のお子さんの父親となった。
母親のTHUYさんも日本に定住し、日本語も上手になり、
日本の生活に慣れたようだ。
二人のお子さんの健やかな成長を祈る。
午前11時半。昼食。「チャオ・トム・ヘオ」(エビ・豚肉入りおかゆ)
30分ほど横になる。
午後1時45分、電動バイクでベトナム事務所へ。
日本料理店のチャンさんが私に何か話をしたいとのこと。
7月28日に結婚したが、その前から「結婚するので
1ヶ月休む」と言って、今日まで日本料理店を休んでいる。
チャンの話は単純な話。
「結婚したので日本料理店を退職する」とのこと。細かい説明はない。
私としては、「そうですか」としか答えようがない。
「退職するかしないかは、個人の権利」。
チャンさんは、そのまま帰ってしまう。
急いで日本料理店を1ヶ月間手伝ってくれている佐藤先生
をお呼びし、チャンの突然の退職を知らせる。驚く。
今日はもう一人の調理人ヒエウも午後3時時点で出勤していない。
電話で確認。「今日は休む」とのこと。
結局、今日出勤したのは、調理主任の新婚トゥオイさんと
接客主任のグエットさんの二人。
今は、日本料理店の超「ONシーズン」(お客さんが異常に多い)
調理人一人では、日本料理店を開店できない。
バオミンさん、佐藤先生と相談して「臨時休業」とする。
ベトナム事務所も多くのスタディーツアーへの対応で
忙しい。
ベトナム事務所にも慣れて来た赴任2週間に近づく
春口先生。
日本料理店は臨時休業としたが、日本料理店のスタッフは、
料理の仕込みをしていた。真面目な若者である。
午後5時半過ぎ、宿舎を出て、「子どもの家」へ。
JASSスタディーツアーの夏祭り。
右 キムアインさん(長期の病気療養)から復帰。
左 トゥーイさん
フエ師範大学化学科を卒業。9月から県立高校化学の先生に
ホンニーさん
フエ医科大学に合格。日本の地方の国立
大学を受験したが不合格となった。
ベトナムの理系のトップ校に合格した
ホンニーさんを不合格にした日本の地方の国立
大学に感謝。ホンニーさんの姉も9月から医師
になる。
「子どもの家」の姉妹がベトナムの医療に
貢献できるように日本の地方国立大学が不合格に
してくれたことに感謝。日本の地方国立大学は
大きな逸材・宝物を失ったことにもなる。
人間の潜在能力を正しく評価する能力があるか
どうかが、日本の大学に問われている。
日本の地方国立大学にはそうした能力がなかったという
ことになる。日本人としては残念ではあるが、
姉妹でフエ医科大学を卒業し、ベトナムの医療に貢献できる
条件(不合格)を作ってくれたという意味では、日本の
地方の国立大学に心から感謝しているのである。
ニーさん
フエ師範大学教育学部を7月卒業。9月からフエの小学校の
先生になる。貧しい子どもたち、勉強の苦手な子どもたちなど
不利な条件を抱える子どもたちに寄り添った先生になって
もらいたい。
ダナン経済大学法学部に合格した。将来弁護士になるという。
1ヶ月ほど前に家庭調査した。今は「子どもの家」に慣れてきている。
今夜はJASSスタディーツアーの子どもたちと一緒に
バーべキュー。
100尾のエビ。
50杯のイカ。
日本のお餅と焼き海老を楽しむ
「子どもの家」のスタッフも参加
「子どもの家」では古株になった「ハイ君」
一週間ほど前に家庭調査をし入所した「CHINH:チンさん)左
今夜の飲料にジュースなどが出た。
子どもたちは、昔の経験が蘇ったのか?
空き缶を拾い始めた。
最後のメイン・イヴェント スイカ割り
高校の合格発表を待っているティン君
日本側もスイカ割を楽しむ
交流会の最後に日越での歌の交流会
里親から送られた団扇をもって参加したターオさんと
妹のチャウさん
午後8時半、終了。
宿舎着、午後9時過ぎ。
その後、夕食(サツマイモとカボチャ)を食す。
2012年08月20日
JASSスタディーツアー講演会:夕食会
暑い
午前5時半起床。
午前7時、朝食。フォー・ボー(牛肉米麺)
午前8時過ぎ、JASSスタディーツアーは、ベトナム事務所へ。
ベトナム事務所スタッフと挨拶。
JASSツアー団長の森田さん
事務局長の加藤さん(右)
ベトナム事務所員の雰囲気が出てきた春口先生(左)
ベトナム事務所側の引率・案内責任者バオミンさん
JASSスタディーツアーの皆さんは車で。私は電動バイクで
「子どもの家」へ。
「子どもの家」には、タン君がいた。1993年10月から
「子どもの家」に入っている。19年間の付き合いになる。
午前9時から午前10時半まで「子どもの家」で、講演会。
テーマは
①「何故、私はベトナムで活動をしているのか?
私の生い立ち」
②一人でフエに来て、20年間どんな活動してきたのか?
そうした活動が出来た基礎的な思想はなんだったのか?
中学生と高校生9人のツアーである。70年・80年という
長い人生を視点に入れて、中高生の男子の今、どんな
時代・時期なのか?を話した。今だけに目を向けず、30年後
40年後の自分をイメージして、今を生きて欲しいと・・・。
JASSスタディーツアーに参加した男子中高生の中には、
既に4回も「子どもの家」を訪問している子もいる。
リーダーになり、ほかの子どもたちの面倒をよく見ている。
中々指導力と優秀な頭を持った若者と見た。
昨日の「子どもの家」の子どもたちとの交流会では、
ベトナムの若者の中で流行っている歌をベトナム語
で歌った。「子どもの家」の子どもたちに「わかった?」と聞くと
70%位のベトナム語は理解できたという。
本人のリーダーに聞いてみた。
インターネットで調べ、録音し、その音楽・歌を何度も聴いたという。
ベトナム語は6つの声調がある。団長さんは、ハノイの標準語で
歌っていた。
どういう訳か、フエ人が歌を歌う時も突然「ハノイの標準語」で
歌う。これは、日本も同じなのだろうか? 大阪の人は、
カラオケで歌う時も大阪弁で歌うのか? それともその時は
標準語を使うのか?
少なくともベトナムでは、フエ人もカラオケは標準語を使おうと
して歌っている。
日本の若者もなかなか賢いと思った。インターネットで
ベトナム語の歌を録音し、目で読む出のはなく、耳で
覚えたしまう・・・・。たいしたものだ。
午前11時半、電動バイクで宿舎へ帰る。
昼食は「マカロニスープ」。
午後12時過ぎ、バオミンさんから電話。
ブライセンベトナム支社の「オートロック」専門会社の
スタッフがダナンから来たとのこと。
食事を途中で止めて、電動バイクでベトナム事務所へ。
1時間ほど、オートロック専門会社スタッフ2名、バオミンさん
で話し合う。合意にいたる。
午後1時半過ぎ、ベトナム事務所から宿舎へ戻る。
引き続き昼食を摂るが、喉を通らない。
若干、昼寝。
午後4時頃、シクロで町に出ているバオミンさんと電話。
ハンさんと電話・・・・・・。
午後6時過ぎ、徒歩で日本料理店へ。
JASSスタディーツアーの皆さんと夕食会。
日本料理店の会食の仕方について一番慣れているのは
冨岡先生。本当に助かる。
冨岡先生の司会で夕食会が始まる。
接客主任のグエットさんが「今日のメニュー」を
説明。
後藤先生もすっかり日本料理店の主になっている。
後藤先生の日本料理店のしごとには感謝している。
何故かこの時間に生ビールの会社のスタッフが来ていた。
生ビールの「水素ガス」の取り換え。
水素ガスの取り換えなどは、午後2時半に出勤した時に
一番最初にチェックし、必要なら業者を呼ぶように言って
あるのだが。お客が来ている午後6時半になって、生ビールの
水素ガス業者を呼ぶところに現在の日本料理店の若干の
問題がある。
生ビールを飲んだが、冷え度「80%」。いまいちの冷え方。
厨房では、佐藤先生、TUOI厨房主任、益子君、中川君が
料理作りに奮闘中。感謝。特に益子君は、何度も日本料理店
厨房に入っているので「その道」の専門家といえる。
現時点では、「薬学」よりも日本料理の方が上手といえる。
今日の料理
空芯菜のニンニク炒め。マカロニ。
ハンバーグ
私は食べられなかった。残ったテーブルを見ると私と
バオミンさんの二人だった。
JASSスタディーツアーのみなさん
私とバオミンさん以外は完食している。料理の質が上がった
といえる。
スタッフ紹介
TUOI(副店長兼調理主任)、グエット(接客主任)
後藤先生(日本語教師)、春口先生(ベトナム事務所に慣れて来た)
益子君と中川君、そして日本料理店の総責任者佐藤先生
日本料理店スタッフの自己紹介
JASSスタディーツアーと日本料理店スタッフの記念撮影
チャンさんは、結婚休暇。ヒエウさんは、目におできができて
途中退場。
午後8時過ぎ、JASSスタディーツアーの第1回目の晩さん会は
終了。
後片付けを手伝い、帰宅。飲酒を全くしていないバオミンさん
のオートバイの後ろに乗り、宿舎へ。かなり運転が「ヘロヘロ」
していた。
午後8時半過ぎ宿舎着。
その後、フダ缶ビールを1本、純米大吟醸「国香(こっこう)」
を冷やしたものを飲む。色々なお酒を飲むが最終的に
行きつくところは、純米大吟醸「国香」と「ラオディー・ブラウン」
で「締め」となる。
ベトナムに住んで一番ありがたいことは、私の飲酒に
ついて、だれも「文句」を言わないことだ。
私は私的には長生きしたくない。好きなお酒を飲んで、
子どもたちや貧しい人たちの支援をできるだけして、
早々にあの世に行きたいといつも念じている。
般若心経は、いつも携帯している。
私は「あの世」を信じていない。信じているのは「この世」だけ。
この世にいる間に自分でできることを最大限して、あの世に
行きたいものである。
この数週間、全く休み時間がない。多くの来訪者が来る。
今日は名古屋の支援者「時田さん」から電話。
元春日野部屋の力士。モンゴルの「鶴竜」を日本に呼んだ
人。鶴竜が優勝した時には、日本のテレビにたくさん出ていた。
朝電話があり、知人の娘さん2人がフエに行くので宜しくとの
こと。
日本各地の支援の心温まる応援は本当にありがたいもので
ある。
2012年08月19日
JASSスタディーツアーの皆さんと
午前6時起床。 高温・多湿。
部屋の掃除。洗濯。机・衣類等の整理。
昨夜、飲みすぎ体がきつい。
午前7時、朝食。チャオバインカインを温め、食す。
その後横になり、ボーッと人生を考える。
この数週間、ほとんど休みなく過ごした。
フエは今が一番暑い時。同時に多湿。
日本の暑さの比ではない。体力を消耗。
バオミンさんから電話。ホーチミンにいる
JASSスタディーツアー(森田さん・加藤さん主導)
のフエ着が遅れるとのこと。
メール受信。必要な送信。
午後12時過ぎ、昼食。料理のセンさんが作ってくれた
サツマイモとかぼちゃのゆでたものを「味をつけず」に
食べる。
午後3時過ぎ、JASSスタディーツアーの皆さんが
宿舎の付近に。一緒に「子どもの家」へ。
先日家庭訪問をした「CHINH(チン)さん」が「子どもの家」
に入所していた。想像以上に早い入所。
「子どもの家」の歓迎会
将来幼稚園の先生になるターオさん(右)
左(ニーさん)、右(ターオさん)
ニーさんは、ダナン経済大学法律科に合格。
右ターオさんは、フエ師範大生物学科に4年生になる。
来年は高校の生物の先生になる予定。
現時点では「子どもの家」最大の「曲者」
JASSスタディーツアー側から歌を歌う。
団長が、ベトナム語で。「子どもの家」の子どもたちは
まさか日本の高校生がベトナム語でベトナムで流行
している歌を日本人が歌うとは思わず、感激。
午後4時半、バオミンさんの引率で王宮見学。
午後6時終了。
私は宿舎へ帰る。スタディーツアーのみなさんと
バオミンさんは、夕食レストランへ。
2012年08月18日
日本料理店大掃除:大掃除反省会
午前6時起床。
午前7時朝食。ブンボー(牛肉米麺)
午前中、多数のメール受信。送信。
午前11時半、昼食。おじや。
午後12時半から1時間昼寝。
午後2時半から日本料理店の大掃除。
ベトナム事務所スタッフ・日本料理店の子どもたち、
佐藤先生・益子・中川君など「総動員」で日本料理店
の大掃除をする。ここに日本料理店を作ってから4年。
初めての大掃除。
佐藤先生が日本料理店の子どもたちと話し合い、
大掃除の計画を立てる。
午後2時半。佐藤先生の大掃除の日程説明。
3つのグループに分かれて大掃除をする。
今日の日本料理店大掃除の手順・任務などを聞く
ベトナム事務所スタッフ、日本料理店スタッフ、
日本から来た若者助っ人。
①日本料理店・トイレ・特別室
②厨房
③食器棚等の倉庫の通路
3つのグループに分かれて作業開始。
日本から来た益子君と友人の中川君。よく仕事をしてくれた。
倉庫などには、私の一番嫌いな「ゴキちゃん」がいる。
ベトナムの「御器ちゃん」は頭を持ち上げて、相手に
歯向かってくる。怖い。
棚の中の整理をしている古賀先生
しまってある食器をきれいに洗う副店長のTUOUさん。
新婚さん。
ベトナム事務所3人美女。湯呑茶碗などをきれいにあらう。
天井の汚れを落とす。今回の大掃除の事務局長のソン君。
実際の労働の中心。
日本料理店内の全ての机などを外に出す。
日本料理店の物置通路の荷物を外にだし、きれいに
掃除をする。
私は一番掃除の得意な場所である「トイレ」掃除の
責任者。便器など徹底的に「白く」する。そのための
道具を日本から持ってきている。
壁、床、その他錆びかかった荷物入れなどのさびを
取る。1時間ほどかかり、徹底してきれいなトイレに
した。(つもり)
札幌からきている日本語教師後藤先生、日本語部長フーン
先生、ソン大掃除事務局長の日越スタッフが協力して
日本料理店内をきれいにする。
きれいに掃除した日本料理店の倉庫通路。
扇風機で濡れた床の水分を取る。
食器をきれいに洗う「フオン先生:通称こんばんわ先生)と
日本料理店のヒエウさん。4歳から「子どもの家」に入所。
ほぼ同年代の日越の若者が協力して掃除
黙々と二人で食器類を洗う益子君と接客主任のグエットさん
きれいになった日本料理店倉庫通路
食器戸棚
大量の「ゴミ」が出る。ごみ収集のベトナム人が来て「品定め」
全ての机等を排除し、清掃が仕上がった日本料理店
一つ一つの机・椅子をきれいに洗う
廃品回収の人たちも掃除に協力してくれる
あまりに暑い。猛暑の中での大掃除で体中の汗が全部出て
しまった感じ。途中で休憩。アイスコーヒーなどで涼をとる。
午後6時まで大掃除は続く。大掃除終了後、参加者全員で
「家庭料理2」のお店へ。
はじめに大掃除実行委員長の佐藤先生の挨拶。
TUOI副店長兼調理主任が「乾杯」の音頭。
春口先生・古賀先生・佐藤先生(元高校の英語教師)
ベトナム事務所スタッフと日本料理店スタッフ、日本人支援者
の協力で大きな仕事が成功したことに子どもたちは、喜んで
いる。
ベトナム事務所スタッフ。前列日本語教師。後ろ、ミスフェリシモ
全力で仕事をした冨岡先生・後藤先生
益子君と高校の友人中川君。
ベトナム事務所・日本料理店スタッフの中では一番力(筋力)
がある富岡先生
豆腐料理
豚肉を茹でて、エビを発酵させ唐辛子・にんにくを入れた
「トム・チュア」を付けて食べる。
揚げ春巻き
鳥のから揚げ
TUOI副店長と春口先生
午後9時「閉会」。JASSを代表して全スタッフ、
日本人の助っ人のみなさんに感謝の言葉をいう。
日本料理店スタッフと
今夜の日本料理店大掃除成功反省会で飲んだ瓶ビールは
34本。多いか少ないか?
午後9時過ぎ、宿舎へ。
ーーー
バオミンさんは、今日の朝7時の飛行機で ホーチミン市へ。
JASS青少年・教育の会のツアーが ホーチミン市に着く、
そのお世話。
大極さん親子は、午後5時フエ発 ホーチミン市行きの
飛行機に乗るため、アンさん(ミスフェリシモ)が、フエ空港
まで見送る。しかし、 ホーチミン市への飛行機が2時間以上
遅れるとのこと。いつものことだが、ベトナム航空の遅延には
うんざりする。
今日は長い1日だったが、日本料理店大掃除、その後の
交流会の大成功に満足感を覚える。
また、日本からの助っ人の若者の真面目な仕事への
態度にも瞠目する。
2012年08月17日
ベトナム事務所で打ち合わせ・大極さんお別れ会
終日雨。蒸し暑い。
午前5時半起床。
午前7時朝食。精進ブン麺。
今日は旧暦の7月1日。フエでは、旧暦の1日と15日には
精進料理を食べて、祖先の霊に感謝する。夕方、フエの
路上・家の前で「迎え火」が行われる。大量の紙を燃やす。
これが個人的には大迷惑なのだ。窓を開けておくと家中に
煙と燃えカス、灰が入り込んでくる。
午前9時、ベトナム事務所でバオミンさんと打ち合わせ。
その後、ブライセンのセキュリティー用の扉作りの
業者を呼ぶ。
ベトナム事務所では、富岡先生が日本語教育の準備を
していた。
今日はブライセンスタッフの日本語能力試験の日だ。
午前11時半、昼食。野菜サラダと魚の揚げたもの、
野菜スープ。脂っこい。
午後2時半。フエ市人民委員会へ。フエ市人民委員会では
元フエ市共産党人事部長のトアンさんと出会う。
若干立ち話。
フエ市人民委員会からの帰り、フエ市の地方警察の
前を通ると「元日本料理店長」のリー君が、オートバイの
自主警備員になっていた。(自分で勝手に腕章を作り
警備員と称している)
その上、勝手に警察のスタッフなどとも公言している。
私は、喉まで「この人が一番危ない人です」と言いたい位だ。
まあ、何とか不安定な警備員暮らしをしている。
オートバイの来訪者があった時に
1台10円程度でオートバイが、取られないように警備している。
本当に一番危ないのは、警備員そのものだ、などとはいわないが。
いつまでこうした不安定な浮き草暮らしをしているのだろうか?
時々、日本料理店の近くの飲み屋でシクロさんたちと午後3時か
4時頃から飲んでいるところをみる。
今のリー君にとっては、うるさい大人がいないで、好きな時に
好きなことが出来る生活ほど、良いものはない。
しかし、こうした不安定な・浮き草生活をしていたら結婚も出来ない。
毎月の収入がいくらか全くその日、その月で「行き当たりばったり」。
彼女のような人は良く連れてくるが、最後は、うまくいっていないのは
リー君のこうした不安定・浮き草暮らしに一因があることを、彼は
理解していない。私は繰り返し彼に忠告しているのだが。
まあ、それでも「長い間リー君がお世話になっている警察前」で
戸籍謄本などを取りに来る市民のオートバイの警備をして、
真面目に生きていることは、立派なことだとは思っている。
警察の門前で仕事をしているので、そんなに悪いことは
しないだろう、とは思っているが・・・・。
リー君と19年間付き合ってきたが、「安心」ということばは
通じない。突然、想像だにしない出来事を起こしてくれる。
リー君がもっと「安定した仕事」につけるように考えている。
午後4時、ベトナム事務所へ。1階の日本料理店では、大きなファン
が回らなくなっているので修理中。合わせていくつかの電気系統
が止まっていたものを電気業者を呼んで修理。
先日から何回か日本料理店会議を開き、電気が切れたらそのまま、
トイレが故障したらそのままという、無責任な仕事の仕方は
いけないと何度か注意をして来ている。
日本料理店の看板の位置を道を通行するお客さんが
見やすいように下げる。JASSの看板に蛍光灯をいれて
日本料理店の看板の隣につける。
JASSの看板を見て、日本料理店を見ると日本料理店の
意味が分かる…これは、先日の子どもたち
との日本料理店会議ででた子どもたちの意見だった。
もっともな意見なので今日、業者を呼んで子どもたちの
意見を取り入れ、改善。
こうして日本料理店の外装・店内の整備をし、明日は、ベトナム事務所員
全員と日本料理店の子どもたち、佐藤先生、益子君と友人など全員で
日本料理店の「大掃除」をする。
日本料理店の子どもたちの目に見える所から改革し、
きれいな店内、トイレ・看板などの諸設備をきちんとして、
子どもたちの目に見えるところから意識改革を断行した。
今日は、午後6時から大極安子さん親子のお別れ会をする。
その件で日本料理店の厨房に入る。
栃木の佐藤先生と子どもたちは、和気藹々と明るく開店の
準備をしていた。益子渓君も料理の下ごしらえをしていた。
午後5時半、徒歩で日本料理店へ。
大極さん親子のお別れ会。今回は以下の所で治療を
してくれた。大極さん親子に感謝。大極さんとは45年前に
同じ大学、同じクラスで出会った「同級生」だった。
まさか、45年後もこうした形で一緒に活動ができるとは
思っていなかった。
大極さん親子を案内したベトナム事務所スタッフを中心に
大極親子のお別れ会を行った。
今回、大極さん親子は、以下の医療施設で施術を行った。
「子どもの家」・ベトナム事務所・フールー小学校・フエ市立
病院・フエ市内フーハウ診療所・スンフー診療所・ビーザー
診療所・トゥエ・テイン伝統医療院。
バオミンさん・ハンさん・春口先生
今日は31人という大変な数の来客があった。
接客主任のグエットさんは、一人で31人の来客の
注文を取り、料理を配膳した。全員が欧米系。
グエットさんは、フランス人・ドイツ人などの
「訛った英語」での注文もしっかりと理解し、配膳している。
たいしたものだ。
大極さん親子 息子さんは、空手の師範であり、
現在は、母親のしてる鍼灸師・小児針をおこなっている。
ミス・フェリシモのアンさん
午後6時から午後10時までに31人の来客があり、厨房は
てんてこ舞い。
厨房のチャンさんが新婚で1ヶ月の休暇をとっている。
新婚でどうして1か月の休暇が必要なのかは
理解できないが、とにかく厨房の料理人は子どもたち3人のみ。
今日は佐藤先生・冨岡先生・春口先生・益子君と友人などの
手伝いが入ったので、何とか31人の注文をさばくことができた。
厨房は、「戦場」であった。
日本の薬科大学で薬学の勉強をしている益子君が、
厨房では、一人前(風)の料理人になって奮闘してくれていた。
「若骨に鞭を打ち」、次から次ぎへと入ってくる「注文」を
調理する佐藤先生。佐藤先生の1か月間の日本料理店支援
がなければ、今日は日本料理店の運営はできなかった。
高校の英語の先生が見事な料理の腕前を見せてくれた。
厨房は戦場である。一時も止まっていない。写真もこのように
しか撮れなかった。これは私の写真の腕前が悪いのではなく、
「戦場マメラマン」としては、戦場の最前線の緊迫感を
あらわしたつもりである。
来客は主に欧米系であるが、アジア系も入りまじっている。
長時間、待たせてしまっていたので、時々、私も長時間待って
いるお客さんに所へ行き、話をした。
午後10時頃、やっと閉店。厨房で食器を洗い終わった
佐藤先生と益子君。長期の闘争が終了し、ほっとした顔を
している。
その後、時間が遅くなったので子どもたちを帰し、日本人の有志
で「反省会」をする。午前0時まで。
大極さん親子送別会で飲んだビール総数。
大ジョッキ(4杯)、小グラス(33杯)
(ただし、午前0時までの反省会は含まない)
午前0時解散。
徒歩で宿舎へ帰る。さすがに遅い時間。街に出ている人も
大分減っていた。
2012年08月16日
ブライセン関連の仕事
快晴 とにかく蒸し暑い
午前7時朝食。フォー・ボー(牛肉米麺)
午前中、当面の諸活動の計画・展望などを調査・考える。
ブライセン本社員訪フエ日程の再調整。
8月18日から8月24日まで来訪する「青少年・教育の会」
の皆さんの日程を再度確認し、調整する。
9月までの諸日程の全体的な調整。
8月18日の日本料理店の「大掃除」、その後の「反省会」の
日程等の確認。
午前11時半 昼食。「マカロニ・スープ」
強い疲労感を感ずる。1時間ほど横になる。
午後2時半。バオミンさんが宿舎にオートバイで迎えに来てくれる。
一緒にブライセンベトナム支社の「セキュリティー」強化についての
対策のため、数軒のお店に行き、注文をするが、気に入った物品が
ない。
更に違う店に行き、特注で作る段取りをする。
午後6時過ぎ、バオミンさんから電話。特注ドアを作れる業者が
見つかったこのこと。
明日、午前中にベトナム事務所へ呼び、業者と打ち合わせ。
再度、8月23日から来訪するブライセン本社員8人が
フエでしっかり仕事ができるよう各種準備・計画を再考。
横浜市公文国際学園国際理解教育委員会」より子どもたちに
「絵具」が届く。感謝。
=========================
枝野経済産業大臣がベトナムに来た。
菅前総理がベトナムに2基の原発を1兆円の
借款で売った。
今回、枝野経済産業大臣は、
ベトナム側と「原子力損害賠償制度整備協力」
で覚書を締結した。
日本国民としてこれほど、ベトナム国民を馬鹿にしている
こともないと思い、恥ずかしくなる。
第1に2基の原発をベトナムに売ったこと自体、異常である。
我が日本自身が、原発のコントロールができず、大変な事故
を起こし、1年半近くたっても原発自体の事故は何も変わって
いないい。いまだに2011年3月11日と同じ状況である。
大量の海水を注入して冷やしているだけである。
自分でコントロールができず、重大な事故を起こした
わが国が、厚顔無恥にベトナムに「原発2基を売る」
などということは、正気の沙汰ではない。
日本大企業(日立・東芝など原発会社)や原発村の
利権にたかっている連中の醜い姿が目に浮かぶ。
第2にベトナムで『原発事故が起こった場合の保障問題』
を指導するとのこと。
一体全体、現在、我が日本は、福島原発の保障をきちんと
しているのかどうか? 日本人の大半の人々は、政府と
東電が情報を隠し、きちんとした『保障」をしていなと思っている
し、事実していない。
原発の管理ができず、保障もきちんとできていない我が祖国
日本が、ベトナムに2基の原発を売り、事故が起こった場合の
「正しい保障」を指導するという。
厚顔無恥・恥知らずと言う言葉を、野田・枝野に投げつけてやりたい。
枝野や野田の言うことは、嘘八百だ。
我が日本人はいつから「自分ではできない事をできるようにいい、
金儲けができれば、詐欺商売をしても恥ずかしくない民族に
なってしまったのか?」。実に情けない我が祖国日本である。
政治家の能力と人間性の程度が低下していることは事実である。
これは、けして政治家にとどまらず、私も含めた日本人自体の
劣化現象を象徴していると思わなければならない。
尖閣列島・竹島問題に対する日本の基本的な戦略がない。
国際政治が大きく変わって来ている現在、国際政治政策
をきちんと持った政治家がいないということだ。
日米機軸と言うワンパターンでは、もうやっていけない
世界政治情勢である。
============
こうして悶々としながら日本とベトナム、アジア情勢を考える。
どうしても「ラム酒ブラウン」を飲まざるを得ない。
この美味しいラム酒を飲むと高校の怪しい同級生の
與芝・五井・北田・清水という名前と更に怪しい顔が浮かんでくる。
私のフエでの生活と活動は孤独である。
せめて「ラム・ブラウン」を飲んで高校同級生、特に
怪しい人物に共感を持ちながら、この怪しい連中が
一番私の活動に共感しているのか、などと勝手に
思いながら、更に「ラム・ブラウン」を飲み続けるので
ある。
(注)心臓の医者から飲酒について厳しく注意を受けている。
私の飲酒の主な責任は、ラオディー会社にある。
あまりにも美味しいラム酒を作ってしまったのだ。
「犯罪者集団」ラオスの
ラム酒会社の「ラオディー」を糾弾する。
2012年08月15日
「子どもの家」入所希望者家庭訪問:自立したフエさん訪問
快晴 夕立あり。
午前5時半起床。
午前7時朝食。肉団子入り「チャオ・バイン・カイン」
午前9時、宿舎の近くにバオミン・春口先生・益子渓君と友人の
車が迎えに来てくれる。
今日は、フエから車で1時間半。市内を出て、フオンディエン郡の
農村へ行く。「子どもの家」入所希望者の家庭訪問である。
家庭訪問をする理由は、
①入所する子どもたちの生活の実態を知ることで子どもを理解する
②時々、貧しくないのに「養育が面倒」という家庭がある。
この種の家庭は、「子どもの家」で子どもたちを大きくする頃に
急にやってきて、子どもを連れて行ってしまい(親権主張し)
働かせ、自分は、楽をしようと言う人がいるからだ。
何度かこの種の親に「騙されて」来た苦い経験の上に
入所希望者の家庭訪問という制度が確立されてきた。
市内から車で30分ほど出るともうベトナムの純農村である。
あたり一面は水田。もう「実りの時期」を迎えている。
フエは「二期作」の農家が多い。
農家は自然のバナナの葉に覆われていた。
至る所に「用水路」「灌漑用水」の沼があった。
自然豊かな田園風景となる。
車で1時間半。やっと入所希望のCHINH(チン)さんのお宅へ。
農民だった夫は、10年前に44歳で「ガン」で死亡。
母親は50歳。1500㎡の農地で「自分の家族で食べるだけの
米を作っている。農作業のない時には、『村の賃労働」(物運び等)
をしている。庭で鶏を飼い、時々売っている。1ヶ月の総収入は
30万ドン(1200円)。
庭で飼っているニワトリ。
となりの家で買っている「水牛」。水牛も暑いのだろう。
横になっていた。
子どもは3人。22歳の長女はフエ市内の縫製工場で仕事を
しているが自分の生活で精一杯。
家には、母親と18歳(高校3年生)の次女。
そして、15歳(中学4年生:日本の中3)の三女。
更に父親の妹(52歳)知的障害者がいる。
「子どもの家」に届けられた入所希望申請書には、
こども4人と書かれていた。事情を聞くと、母親は
文字が書けず、娘にかいてもらったとのこと。
娘は意味が分からず、子ども4人と書いてしまったが、
正確には子ども3人と義理の姉1人ということになる。
母親はベトナム戦争が終わった時は13歳だった。
生まれてから中学に行く学齢期まで、激戦の
フエの農村で生活していたことになる。文字が書けず
読めないことを批判することはできない。ベトナム戦争
の後遺症を直ぐに「枯葉剤」という人たちがいるが、
戦争の影響は、様々なところに残っていることを私たちは
知る必要がある。
●母親の意見
家が貧しいので「CHINHさん」には仕事をさせたいが、
本人は勉強をしたいと言っている。
●CHINHさんの意見
私が学校へ行って、将来は教師になりたい。
そのために「子どもの家」に入り、しっかりと勉強をしたい。
小学校の成績は、最優秀。中学の成績は優秀。
その他、家庭の生活状態、同席している地元人民委員会の
人の意見なども聞く。
ロック寮長、バオミンさんなどと相談し、入所決定する。
母親とCHINH(チン)さんの写真を撮る。
母親はわずかに目に涙を浮かべていた。親としては、つらいことで
ある。長女が家を出て、三女も「子どもの家」に入る。
残るのは、高校3年生の次女だけだ。
推測ではあるが、母親の頭の中には、姉妹で一番頭の良い
次女に教育をつけてやりたいとの強い希望があるように
思われた。
台所などを見させてもらう。
入所を決め、帰る。
左から小山・次女・三女(入所)・母親
益子渓君と友人、春口先生。
日本の若者もこうした家庭を知ることで、自分自身の
生い立ち、家庭、日本社会をもう一度見直してもらえれば
幸いである。
9月から新学年が始まる。CHINHさんは、中学4年生になる。
転校手続きなどをいそがないと、新学年に間に合わない。
CHINHさんが、入る中学校は、「ファン・ソン・ナム中学」。
「子どもの家」の子どもたちが通っている学校である。
CHINHさんは、農村で生まれ生活していた。貧しいが、
家族とともに生活していた。「子どもの家」への入所は人生の
大きな挑戦である。一人になり、「子どもの家」で孤独との
闘いをしなければならない。
どうぞ、頑張って「子どもの家」で生活し、勉強をし志望の
教師になって欲しい、と願わずにはいられなかった。
ーー
この村の近くに「子どもの家」でミシンの研修を卒業した
『フエさん』が、ミシンで洋服を作るお店をやっているとの
話を聞き、立ち寄ってみる。
フエさんは、事情で父親がいなかった。家もなかった。
母親と人の家の軒下に「小さな小屋」を作って生活していた。
「子どもの家」に5年ほどいた。
現在21歳。
村人が布を持ってくる。フエさんが、ブラウスなどに仕上げる。
一枚 45000ドン(170円)位だそうだ。
1日に3枚位のブラウスをつくれすそうだ。1日500円程度の
収入がある。
現在の生活状態を聞く。
親戚の家の前を借りてお店をしている。ミシンでブラウスを
作る仕事をして、母親と二人の生活はできているとのこと。
「子どもの家」を退所する際、日本の里親から退所記念にプレゼント
されたミシンを丁寧に手入れをして使っていた。
店の前には、「MY HUE」(ミー・フエ)と自分の名前入りの
看板がでていた。
こうして様々な事情で親が生活できなきなった子どもたちを
「子どもの家」に受け入れてきた。私たちの願いは、
子どもたちが「自立」し、自分の力で生きて入れるように
なって欲しいという願いである。
フエンさんがミシンを研修し、立派にお店を持ち、切り盛りし
母親の生活の面倒をみられるようになったことは、嬉しい
ことである。フエさんは、近々結婚するような様子だった。
フエさんとお母さんの幸せな人生を祈る。
帰宅。宿舎に着いたのは、午後12時半を過ぎていた。
暑くて食欲がない。春雨麺を半分ほど食べて、横になる。
2時間ほど昼寝。
午後3時過ぎ、ブライセン関連でバオミンさんと電話で
打ち合わせ。
メール受信。送信。
午後5時過ぎ、宿舎を出て、徒歩でベトナム事務所前を
通って、バオミンホテルへ。
大極安子さん親子を案内して、「家庭料理」のお店へ。
本店は、サッカー場の方にあるのだが、最近、
フエ市内のベトナム事務所の近くに「2号店」が
できた。今日は、その味と雰囲気を偵察しながら、
大極さんの今後のフエでの小児針の活動などを
話し合う。
午後8時過ぎ、話し合いを終了。
その後、日本料理店へ。
古賀先生が日本語教育を終わり、夕食を摂っていた。
その後、徒歩で宿舎へ。午後9時過ぎ。
メールの受信。必要なメール送信。
2012年08月14日
「子どもの家」ティン君の16回目の誕生日:地球の歩き方ツアー晩餐会
午前5時半起床。
朝から暑苦しい。
午前7時朝食。「ブン・クア」(カニ団子入りブン麺)
午前8時半過ぎ、電動バイクでベトナム事務所へ。
日本料理店の特別室でブライセンの日本語教育(中級)
3日後に「日本語検定試験」受験。受験のラストスパート。
日本語部長のフーン先生がしっかりと教えていた。
全員の合格を祈る。
ベトナム事務所には、益子渓君と高校時代の友人が来ていた。
2週間ほど、フエに滞在し、ベトナム事務所などに協力してくれる
とのこと。
1時間ほど、益子君・友人とラオス、ベトナムのことなどを話し合う。
ベトナム事務所にお菓子のお土産。私には、直近の新聞。
その後、電動バイクで「子どもの家」へ。
今日は、THINH(ティン)君の16歳の誕生日。
中学4年生を卒業し、高校を受験した。現在、受験結果を
待っているところ。合格することを祈る。
体は小さいが高校1年になる年齢ではある。
午前11時、昼食。昼食の前に「子どもの家」の子どもたち全員
で「ティン君」16歳の誕生日を祝う。10数人の子どもたちは
夏休み中なので親戚などへ帰省中。
ケーキには「8月14日・ティン君の誕生日 おめでとう」と
書かれている。
16回目
病気で長期休業中だった「キム・アインさん」が出勤。
テイン君の誕生祝のお世話をしてくれている。
病気が回復し、再度、一緒に仕事ができるようになって
私も嬉しい。
キム・アインさんとは、1993年10月から「子どもの家」の
仕事をしてくれている。19年になる。長い付き合いである。
「子どもの家」の子どもたち全員が食べられるように大きな
ケーキを3つ用意。里親の上原さんの配慮。
16本のろうそくに点火
ろうそくを「吹き消す」
「子どもの家」の伝統で、誕生ケーキは食事の後、食べている。
私など食事をした後、ケーキなど食べられないが、子どもたち
には、『別腹」のようだ。
今日の昼食 揚げ魚、野菜炒め、野菜スープ
食べ放題の「白米」
一応、この程度の食事なら子どもたちの成長にも影響のない
栄養と食事量となっている。
ティン君も昼食を摂る。
子どもたちの食欲は旺盛。私など暑くて食欲はほとんどない。
最近入所した2人。少しずつ「子どもの家」の生活に慣れてきた。
昼食が終わり、別腹にケーキを。誕生日を迎えた
ティン君がみんなにケーキを配る。
ティン君と小山
「子どもの家」のケーキの食べ方は、箸で食べるという
非常に合理的な食べ方
子どもたちは、ケーキを楽しみにしている。特に女子は。
ティン君も16歳になった。男子の中では年上の一人。
ティン君の誕生会を組織してくれた里親の上原さんに感謝。
午後12時半、宿舎へ。昼食を摂る。
午後1時半から1時間半ほど昼寝。
その後、多量のメール受信。返信。
午後6時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
地球の歩き方ツアー2班(22人+添乗員)の最後の晩餐会
初めに富岡先生の司会で開会。
グエット接客主任の「今日のメニュー」紹介
団長さんが、開会の挨拶。そして乾杯。
今日、飛び入りで日本料理店の手伝いをしてくれた
益子渓君の高校の同級生Aさんと日本料理店の
指導に来てくれた栃木の佐藤先生。
参加者は、「茄子の煮浸し」がおいしいと言う。
中・高生も参加しているので、絶対に飲酒はいけないと
厳しく言う。おいしい「生ジュース」を飲む。
今日は、ピースインツアーの計らいでアルコール類と
ジュース類は飲み放題。
私はグラス10杯のビールを飲んで、子どもたちのための
寄金とした。文字通り、体を張っての子どもたちの支援である。
後藤先生もすっかりベトナム事務所員となっている。
新任教師の春口先生も日本料理店の手伝いをしてくれた。
今日は23人+小山・ミン・後藤の26人の来客。
料理を出すのも大変だった。春口先生の活躍でなんとか
切り抜けた。
午後8時半。日本料理店での晩餐会は終了。
日本料理店の「裏方」のスタッフを紹介。
「子どもの家」の卒業生だけで運営している日本料理店に
参加者は驚く。
後藤先生は、ベトナム事務所のスタッフとして、JASSの活動、
ボランティア活動などについて参加者に説明していた。
感謝。
最後の参加者全員の記念写真
地球の歩き方ツアースタディーツアーの団長さんと記念写真
なかなか心意気のある好青年である。
富岡先生・後藤先生は、JASSベトナム事務所スタッフの
専門家である。
益子渓君は今日の晩餐会の最初から最後までしっかりと
仕事をしてくれた。本当に助かっている。
4人いる日本料理店のスタッフのうち、チャンさんが結婚して
1ヶ月間の休暇に入っている。スタッフは、3人。
渓君と友達の手伝いは本当に助かっている。
春口先生もすっかりベトナム事務所・日本料理店に
慣れてきた。ベトナム事務所・日本料理店の重要な
人間となってきた。今日も色々な分野で活躍してくれた。
午後9時15分、宿舎へ帰る。
更に今日の飲酒を反省し、まだ飲み足りないことを理論的に
解明し、引き続き、「ラム酒ブラウン」と「国香」をほんの少し
舐める程度に飲んだ。
2012年08月13日
小児針の会大極さん親子来訪
相変わらず暑苦しい
午前7時朝食。フォー・ボー(牛肉米麺)
午前8時、ベトナム事務所に「小児針」の大極安子さん親子が
挨拶に。これから1週間、フエで「子どもの家」・診療所・小学校
などの子どもたちや関係者に施術をしてくれる予定である。
今日はベトナム事務所の責任者のミンさんは地球の歩き方ツアー
についているので、ソン君が司会。
大極さんとは、大学1年から4年まで同級生だった。
ベトナム事務所員の自己紹介
日本語部長のフーン先生
富岡先生
財政部長のハンさん
新任教師の春口先生
大極さんは友人から寄金を預かってきてくれた。
大極さん親子は、ソン君の案内で「子どもの家」へ。
私は電動バイクで「子どもの家」へ。
「子どもの家」では、既にバオミンさんの案内で地球の歩き方ツアー
2班(22人+添乗員1人)の皆さんが、手すりの錆を取って、
ペンキを塗るボランティア作業をしてくれていた。
「子どもの家」の子どもたちと一緒に。
蒸し暑いフエの気候の中、地球の歩き方ツアーの皆さんは熱心に
さびた手すりの錆を「ヤスリ」で落とす作業に専念してしていた。
古賀先生もペンキ塗りをしている。ご苦労様。
大極さんが、子どもたち治療を
午前11時半、宿舎へ戻る。
昼食。チャオ・バイン・カイン(小麦粉の手打ちうどん)
猛暑の中、「子どもの家」にいたので相当疲れた。
食後、12時から午後2時まで昼寝。
その後、多数のメールを受信。返信に4時間ほどかかる。
2012年08月12日
日曜日ー春口先生・富岡先生歓迎朝食会
今日も朝から猛暑。湿気が高い。
7月26日にフエを出て、昨日まで本当に色々な活動があり
疲れた
8月4日(土)夜、日本の友人の葬儀を終えて、日本から帰国。
それから昨日まで1週間、毎日、様々な活動があり、相当
疲労の極地に達しているかのような心身の疲労を感ずる。
9日の夜、ベトナム事務所員・日本語教師として赴任した
春口先生、そしてJASSの強い要請で再任してくれた
富岡先生の歓迎会朝食会を今朝、を行う。
午前8時、フエ市内の「カメリアホテル」に集合する。
朝食バイキングを食べながら、お互いの自己紹介などを
行う。
1ヶ月間日本料理店の指導をして頂く栃木の会の
佐藤先生。
広島出身の古賀先生。日本人教師では、一番古くなった。
真面目にきちんと仕事をしてくれている。
安心して仕事を任せられる。
長野県出身の富岡先生。JASSが無理にお願いして
再任してもらった。フエに2日間いて、直ぐにフエ人に
なってしまっている。
新任の春口先生。古賀先生と同年齢なので、二人で相談して
仕事を進めて行って欲しい。春口先生は、良家の子女風の
風貌があり、「上品さ」を売りもの? にしているJASSには
打ってつけの人材。
今日は日曜日。フエ市内の「お金持ち」が家族でやってきている。
多くの親父さんは、ビール腹。子どもたちは小児肥満状況。
「カメリアホテル」のバイキング朝食は、日常の食事では
食べられない野菜、チーズ、ミルクなどがある。
8時から10時過ぎまでゆっくりと食事をし、コーヒーを飲みながら
日本での出来事、フエでの仕事など様々な話をする。
気がつくと、私たち以外に誰もいなくなった。従業員の人たちは
「早く帰って欲しい。迷惑だ」と言わんばかりに「掃除」を
はじめる。
朝食交流を終わり、徒歩で宿舎へ帰る。
その後、受信メールに送信する。
午後12時半から2時間ほど、横になりながら、
本を読む。
『イギリス帝国の歴史ーアジアから考える」(秋田茂著:中公新社)
午後5時、NHKTVでオリンピックのマラソンを見る。
「ほんの少しビールを舐める」。
高校3年間、陸上部に所属した。高体連東京予選にも出たが、
大体、最下位。陸上の成績はぱーっとしないが、それでも
中学では、学校で100メートルのタイムは一番よかったのである。
オリンピックは、日本でどんなに成績が最高でも、更にすごい
人間がいることを実感している。
男子マラソンで6位に日本人が入賞したことは、最高の
素晴らしい成績である。日本のテレビでは、金銀銅をとった
選手しか紹介しないが、女子レスリングの浜口選手など
メダルには届かなかった全ての選手を紹介して欲しい。
メダルを取った人だけが素晴らしいのではなく、オリンピックに
出場したこと自体が素晴らしいのだ。
日本のマスコミ・メディアは、メダルを取った選手の努力を
評価するのではなく、親や家族との「絆」のような「お涙頂戴」
番組にしてしまう。スポーツに義理人情・親子愛などを
入れて欲しくない。スポーツは客観的な人間の行動と闘志だけ
である。
この2週間ほどのオリンピック中は、どの番組にも同じ
メダル受賞者が出演し、同じ質問、同じ回答とワンパターンの
番組に終始していた。うんざり。
日本のマスコミ・メディアの程度の低さを十分「堪能」した。
先日、内田さんかた頂いた「保冷BOX」の中に保冷剤を
入れ、コップに注いだビールの缶を中に入れて、
美味しいビールの冷たさを守るようにしている。
20年前にフエにきて、ビール好きの私は、フエ人が
ビールに「氷」を入れるのを苦々しく思っていた。
邪道を走るフエ人たち・・・・と思っていた。
それから20年。ビールに氷を入れて飲むことは、
実に合理的な飲み方であることを理解する。
現在、私の宿舎の室内は、エヤコンを最冷に
しても室温は、38度。
冷蔵庫で冷やしたビールも数分経つと暖かくなり
美味しくない。氷を入れておけば、一応、冷たい
ビールーを飲むことができる。
保冷BOXは、更に賢いビールの飲み方を暗示している。
ビールをほんの「舐める」程度飲んだ後、「ラオディー・ブラウン」
(ラム酒)に氷と冷水を入れてほんの少し飲む。
2012年08月11日
地球の歩き方ツアー第2班講演会2回
午前6時起床 朝から蒸し暑い
午前7時朝食。チャオ・バイン・カイン
午前9時、JASS日本語学校へ。フオン先生が、ベトナム語講座中。
22人のスタディーツアー参加者は真剣にベトナム語の基礎を
勉強していた。
午前9時半から午前10時半まで私が『ベトナムの歴史と風土」に
ついて話す。
地球の歩き方ツアー第2班(22人+添乗員)
の皆さんに第1回目の講演会。
今回の地球の歩き方ツアーから講演会を午前1回、午後1回と
変更した。
1時間超の話を終え、宿舎へ電動バイクで帰る。
午前11時半、昼食。春雨麺
午後3時、宿舎を出て「子どもの家」へ。
アンさんとソン君が地球の歩き方ツアー第2班の皆さんの
「子どもの家」施設案内を行っていた。
午後3時半過ぎ、私の講演。
「海外支援・ボランティア」について話す。
1時間超の講演会後、「子どもの家」の子どもたちの歓迎の
歌と踊り。
チャウさんの歌
子どもたちの「鳩」の踊り
最後に地球の歩き方ツアー参加者の出し物 歌
最後は子どもたちと一緒に歌を歌う
子どもたちの歓迎会後、庭で子どもたちと地球の歩き方ツアーの
皆さんと一緒遊ぶ。
タン君とティン君
午後5時半。地球の歩き方ツアーの皆さんが帰る。
子どもたちは、夕食。
1日3回の食事という実にシンプルだが一番大事な事を
私たちは、20年近く続けてきた。
最新の入所者の2人も段々「子どもの家」に慣れてきたようだ。
午後6時近く、宿舎へ帰ろうとした時、ハイ君が「子どもの家」に
遊びに来ていた。
「何をしているの?」と聞く。「ロマンスホテルの掃除」とのこと。
「1ヶ月の給料は?」 「60万ドン(3000円程度)」とのこと。
家賃が30万ドン。食事等で30万ドンとのこと。最低限の
生活に思えた。それでも真っ当な生活をしていることを知り安堵。
ハイ君が最終的に『帰る』「居場所」は、「子どもの家」しかない
とつくづくと思った。
自分の力で人生を切り開いて行って欲しい。幸せな人生で
あって欲しいと思わずには、いられなかった。
2012年08月10日
富岡先生・春口先生赴任
快晴
昨日、「京滋YOUの会」スタディーツアーが何事もなく終わり
ほっとしているところである。
暑さで体力消耗。
午前7時朝食。「ブンボーフエ」
午前8時過ぎ、徒歩でベトナム事務所へ。
今日は新しい日本語教師である「春口先生」と2回目の
日本語教師としてJASSの要請で再赴任してくれた
富岡先生の「顔合わせ会」がある。
午前8時半、春口先生・富岡先生がベトナム事務所で
勤務開始。
先輩の日本語教師:後藤先生と一緒に
ベトナム事務所員が自己紹介。
バオミンさん・JASSベトナム運営委員長の「歓迎の挨拶」
ハン「財政部長」の自己紹介。
すっかり「貫禄がついた」観光担当「ソン君」。
貫禄がついた場所が『腹部』なのか「心」なのかは不明
日本語教師の先輩の古賀先生(春口先生と年齢も同じか)
「ミス・フェリシモ」ことアンさん
朝、会っても「今晩は先生」こと「フオン先生」
日本語教師の先輩 後藤先生
春口先生の直接の上司になるフーン先生(JASS日本語部長)
富岡先生からお土産
その後、1時間ほど、ベトナム事務所での仕事の仕方、
NPO法人「JASS]の歴史と仕事内容。
新人日本語教師の任務。
フエでの生活上での諸注意(食べ物・暑さ・・・・・)
フエでの政治的な特別な困難な問題・・・・
私が20年フエに住んで経験したことで、気をつけた方が
よいと思われることを話す。
富岡先生(臨時に税田さんの机を使かわせてもらう)
春口先生の席
春口さんが一番相談するだろう古賀先生とバオミンさん委員長
午前11時半、昼食。野菜サラダ・魚・・・・
半分残す。(食べられない)
午後1時過ぎから2時間ほど昼寝。
午後、たくさんの受信メールを読み、返信をする。
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今年の「子どもの家」の子どもたちの大学受験者は3人だった。
今日、3人の大学の合否結果が発表された。
「子どもの家」の3人の大学受験者は3人とも志望校全てに
合格した。
3人の合格大学一覧
①TRAN HONG NHI (チャン・ホン・ニー) 女子
・フエ医科大学
・フエ師範大学生物学科(日本で言えば京都大学理学部に
あたる)
(ホン・ニーさんは、ベトナム中部(20数県)の理系では一
番難しい 医科大学と フエ師範大生物学科の二つに
合格した。
彼女は、ベトナム中部の最難関高校を理系トップの成績で
入学している。
ホンニーさんは、日本の地方の某国立大学を受験したが
不合格となった。日本の大学はもったいないことをしたものだ。
ホンニーさんの理系の優秀な本当の能力・力を計り知る
ことができなかったのだと私は思っている。能力ある人間を
評価する能力がないということに尽きる。
合格させるか不合格にするかは、大学の専権なので
私たちは何ともいえない。逸材を逃がしたということだけは
事実である。
ベトナムの優秀な理系の若者を日本に呼ぶこと
ができなかったことは残念ではあるが、医師になるか、
理系の大学教授になるかして、ベトナム国家の発展と
ベトナムの若者のために生きていく道を「不合格」という形
でプレゼントしてくれた日本の某地方大学に心から感謝
したい。ホン・ニーさんの姉は今年の9月にフエ医科大学を
卒業し医師になる。姉妹でフエ医科大に入り、ベトナム
の医療に貢献する人材養成にJASSが貢献できたこと
を誇りに思っている。
ベトナムは発展途上国との意見もあるが『高校生数学
オリンピック』でベトナムは世界3位~5位。日本は
10位程度。どちらの理系の水準が高いかは、
誰でもわかるというもの。ベトナムを「後進国」などと
侮っている大学人があるとしたら、無知そのものである。
ホン・ニー姉妹は、母が失踪。父親はシクロ:
ベトナムの人力車の運転手だったが死亡。養育する
両親がいなくなり、「子どもの家」に入所。それから10年
ほどたっている。里親の大里チエ子さんに感謝)
② TRAN THI THUY NHU
(チャン・ティー・トゥーイ・ニュー) 女子
・フエ経済大学
・ダナン経済大学(法律学科ー将来の弁護士)
(ニューさんは、1999年のフエ大洪水;200年に一度
という大洪水だった。フエ市だけでも数百人の方々が
なくなった。
ニューさんのお父さんも洪水で水死。母親は合作社
(農協のようなもの)に勤務していたが、給料が安く、
二人の子どもを
育てることができないと、「子どもの家」にやってきた。
私とセンさんで面接。
姉とニューさんを入所させる。それから13年。
姉は、今年フエ師範大学を卒業し、9月から小学校の先生に
なる。
妹のニューさんは、フエとダナンの文系の大学では最難関の
2つの大学に合格した。その努力に敬意を表したい。
里親の中本さんに感謝)
③ NGUYEN THI NGA (グエン・ティー・ガー) 女子
・フエ外国語大学観光学科
「NGA」は、ベトナム語では、「ロシア」という意味。
ベトナム、特にハノイは1945年から社会主義国。
ロシアは、憧れであり、理想の国。
NGA(ガー)さんのご両親は、憧れのロシア(ソ連)の
名前を娘につけた。
その後、複雑な家庭の事情があり、家庭がなくなり
フエの「子どもの家」に入所。今は、帰る家がない。
「子どもの家」で努力し勉強をした結果は、ガーさんの
人生にもプラスになるものと信じている。
たった一人で生活して行かなければならないガーさん。
観光を学び、自立していきたい。今後、4年間、「子どもの家」
で頑張って生活して欲しい。里親の川向先生に感謝)
私たちは、大きな活動はできないが、一人ひとりの子どもたち
の人生(たった一度のこれ以上ない大切な人生)が、幸せな
ものになるよう微力ではあるが、フエに20年間住んで応援し
ている。
人に対する口だけの批判は容易である。
現地に20年住んで、実際にこうして一人の人間の人生を
有意義なものにするという活動は、批判されるべきものでも
ないようにはおもうのだが・・・・。
私の信条は「口より行動」である。
口では何でも言える。行動は難しいものである。
昔から「言うは易し、行うは難し」という諺がある。かみ締めたい
ものである。
多くのJASS・「子どもの家」の子どもたちへの支援者に
心から感謝したい。こうして数は少ないが、一人ひとりの
子どもたちの一度しかない貴重な人生を有意義に過ごせる
ように支援するのが私の使命。口で大言壮語をしても
何も意味はない。行動をするかどうかが人間には問われて
いる。何も言わず、10年・20年と「子どもの家」の
子どもたちを支援してくれている日本人がいることに感動する。
日本では大津の自殺事件、静岡県磐田市の小学校教師を
自殺へ追い込んだ校長・副校長・研修主任事件など
「慄然とした事件」が起こっている。
しかし、長年、何も言わずに「子どもの家」の子どもたちを
黙々と支援してくれている日本人の人間・生命・人生という
ものへの畏敬の気持ちの強さに感謝もしている
日本人の道義も捨てたものではない。
これからも勉強の好きな子どもたちは、その能力を使い、
絵の好きな子はその道に、手の器用な子どもは・・・と
子どもたちを一律にみずに「子どもたちの個性・人間性
嗜好」を十分尊重し、子どもたちの頭で自分自身の
人生を考えられるようサポートして生きたい。
私たちの願いは、世界中の子どもたちが幸せな
人生を歩んで欲しいということに尽きる。
2012年08月09日
「子どもの家」へ・「京滋YOUの会」見送り
猛暑
午前6時起床。暑さと疲労で体が動かない感じがするが、
何とか頑張らなければならない。
午前7時朝食。フォー・ガー(鶏肉米麺)
「京滋YOUの会」の皆さんは、希望の家訪問・交流。
秋山さんは「子どもの家」でモップの修理。長いすつくり
などを行っていた。
「子どもの家」の子どもたちの食事代の補助金にして欲しいと
1万円を寄贈。感謝
午前11時半、昼食。チャオバインカインと蒸しかぼちゃ。
午後3時半、「京滋YOUの会」の皆さんが帰国。
バオミンホテルに行く。
「京滋YOUの会」の皆さんは途中、日本料理店へ帰国の挨拶へ
午後4時、フエ空港着。見送りは私とソン君。
「京滋YOUの会」の皆さん、お疲れ様でした。
子どもたちも十分満足し、楽しい夏休みを過ごしたことと
思う。
午後5時前、宿舎へ戻る。
バオミンさんといくつかの問題で話し合う。
暑さと疲労で相当消耗している。
午後6時から2時間ほどベッドに横になり休む。
食欲・飲欲ゼロ。
そのまま寝てしまう。
午前2時に起きて日記を書く。
2012年08月08日
「京滋YOUの会」ナムドン山岳地帯へ
快晴 湿度が高く、いるだけで体力を消耗する。
午前7時朝食。チャオバインカイン(小麦粉の手打ちうどん)
午前8時半から午前10時まで、「京滋YOUの会」の皆さんと
ベトナム事務所員との懇談会。
「京滋YOUの会」の皆さんからベトナム事務所スタッフへ
活動上での様々な困難、苦労、喜びなどの質問ができる。
ベトナム事務所スタッフ、一人ひとりが、自らの体験を
語る。
午前10時過ぎ、「京滋YOUの会」の皆さん、ミンさん、私で
ナムドン山岳地帯へ。少数民族カトゥー族の皆さんとの交流へ。
車で2時間半。ナムドン郡の中心部に入る。
午後1時、カトゥー族の皆さんとの交流会。
歓迎のカトゥー族の少女の皆さん
支援物資などを持ち「京滋YOUの会」の皆さんが入場
村長さんから「京滋YOUの会」の一番若いAさんへ
純粋蜂蜜の贈呈
カトゥー族の子どもたち。
子どもたちは元気で明るい。
「京滋YOUの会」から宇野さんのフルート演奏
今本さん姉妹の手品
手品の手伝いをするカトゥー族の娘さん
交流会の最後に日本人・カトゥー族の皆さんとカトゥー族の
伝統の踊りをおどる。
カトゥー族の皆さんと記念写真
「京滋YOUの会」関連者で「こま」の上手なTさんが、子どもたちに
ここま回しを披露し、こまや遊び道具をプレゼントする。
自称87歳の村の最長老とニックネーム「村長さん」の秋山さん
午後3時半、交流会を終了
午後6時半。ベトナム事務所スタッフ全員と「京滋YOUの会」の
皆さんと最後の晩餐会
接客主任のグエットさんの料理の紹介
美味しい「フダ生ビール」で乾杯
美味しい「刺身」が出る
午後9時過ぎ、交流会は終了。
2012年08月07日
「京滋YOUの会」夏祭り
朝から熱風。とにかく風が熱く、湿気が多い。
午前6時起床。
午前7時朝食。 カニ団子入り「ブン麺」
午前中は、受信メールのチェック。必要なメールの送信。
バオミンさんといくつかの件について打ち合わせ。
宿舎のパソコンをウインドウズ7に変えた。
ウインドウズ7は、セキュリティーがかなり厳しく設定されている。
写真を保存する「PICASA」が開けない。
業者を呼んでいくつかの問題を解決してもらうが、解決できない
問題もあった。
2時間ほど宿舎の私の部屋でパソコンの調整をしてくれる。
午前11時半昼食。豚肉入りマカロニスープ
午後3時過ぎ、「子どもの家」へ。
「子どもの家」では、JASS東京の会の秋山さんが子どもたちの
ための椅子や机を子どもたちと一緒に手作りで作っていた。
「京滋YOUの会」の皆さんは、子どもたちと暫時遊ぶ、
バンブーダンス。
「京滋YOUの会」事務局長が長い間里親として支援していた
ヒエウさんが結婚し、お子さんが生まれ2歳になる。
JASSの真骨頂である子どもたちを時間をかけて育て自立させる
という典型的な例といえる。
藤井さんの長年のご支援に感謝している。同時に里子の
ヒエンさん(様々な家庭の問題を抱えていたが)が、里親の支援に
応え努力し、今日の幸せな人生を掴んだといえる。
長い間の藤井さんのご支援に感謝している。
今年2月訪日した寮母のニエンさんと子どもたち
夏祭りの開始を楽しみに待っている子どもたち
午後5時前、バオミンさんの通訳で「夏祭り」が始まる。
夏祭りを支えるベトナム人スタッフ
夏祭りの成功のため奮闘している警備員と「子どもの家」
専属の医師
夏祭りを楽しみに待っている子どもたち
フエ省立高校に合格チュン君
「子どもの家」スタッフ。キムアンさんは、病気で長期療養していたが、
病気が回復し、「子どもの家」の仕事に復帰した。本当に嬉しい。
今後も長く仕事を続けて欲しい。
キクアンさんとは、1993年10月から子どもたちを守る仕事を
一緒にしている仲間。
いよいよ夏祭りが始まる。
子どもたちが一番好きな「ソース・センベイ」
ダーツ。何故かあたらなくても景品をどんどんあげている
子どもたちの人気「輪投げ」
ターオ・チャン姉妹。「子どもの家」での生活も10年以上になる。
先日の家庭調査で入所を決めた二人。夏祭りを楽しんでいた。
まだ「子どもの家」に慣れていないようで、終始二人で行動していた。
セン委員長など「子どもの家」のスタッフの皆さんも
夏祭りを楽しんでいた。
すべてのゲームが終わった子どもたちに「お菓子セット」が贈られる。
セン委員長と小山
夏祭りのメイン・イヴェント すいか割り 子どもたちが
一番盛り上がる瞬間
ベトナム事務所・「子どもの家」のスタッフと「京滋YOUの会」の
参加者Tさん
午後6時過ぎ、日が落ちてきた。
これからフォークダンスそして、楽しみの「花火大会」と続く。
9月から小学校の先生になるニーさん
午後8時、夏祭り終了。
その後、場所を変えて、日本料理店で「反省会」
午後9時半過ぎ、反省会終了。
その後、チュンビット(ホビロン:アヒルの有精卵のゆで卵)
を食べに行く。
2012年08月06日
「京滋YOUの会」子どもたちとの交流会:日本料理店会議等
「京滋YOUの会」の皆さんはフエに来る前にホーチミン市に滞在していた。
ホーチミン市は、ソン君が案内した。
クーチ・トンネルを視察
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
午前6時起床。
昨夜午前2時まで火炎樹日記を書いていたので、睡眠時間は
4時間。
今日は終日高温・高湿度。日本では熱中症になる気象条件。
午前7時朝食。フォー・ボー(牛肉の米麺)
午前7時45分、ベトナム事務所へ。
8月4日、ブライセン本社で研修をしていたVU・PHAP・
LINHの3人がフエへ帰国。
帰国の挨拶と日本からのお土産を持ってきた。
昨夜フエに到着した「京滋YOUの会」と茨城・東京の皆さんが
ベトナム事務所を訪問。
バオミン・ベトナム運営委員長の歓迎のあいさつ
歓迎の挨拶をするベトナム事務所員
京都と茨城のお土産を頂く。
「京滋YOUの会」等の皆さんは、ベトナム事務所での挨拶を
終わり、シクロで「子どもの家」へ。
午前9時過ぎ、日本料理店の指導に来てくれている栃木の
佐藤さんとバオミンさんの3人で、今後の日本料理店の
運営等を話し合う。
午前9時45分、バオミンさんのオートバイに乗せてもらい
「子どもの家」へ。
「子どもの家」では「京滋YOUの会」等の皆さんが、
子どもたちと交流会を始める。
先日、入所を希望している農村の子供の家を訪問し
実態調査をした。2人の子どもたちの入所を認めた。
二人の子どもたちは、既に住所変更・転校届をすませ、
子どもの家に入所していた。
交流会の冒頭、セン委員長の挨拶があった。
高校入試に合格したチュン君
高校2年生になる(左)とフエ師範大学4年生になる(右)の
二人ともよく勉強をしている。
子どもたちの歓迎の踊り(山岳少数民族の踊り)
何故かバオミン委員長は、今にも2階から落ちそうな態勢になっている。
なにかストレスがあるのか? 人生に悩みがあるのか?
単なる高所好きなのか?
続いて、「京滋YOUの会」のあいさつと出し物
「京滋YOUの会」藤井事務局長の挨拶
今本さんの挨拶
毎日元気に「研修」に通っているタン君。1993年から
子どもの家に入っている。
「京滋YOUの会」の出し物
Uさんのフルート演奏
日本の歌、ベトナムのチンコンソンの歌などを上手に演奏。
M野さんの大型絵本読み聞かせ
コマ遊びを披露
10年近く、衣類を寄付してくれて、「京滋YOUの会」の
バザーを支援している今本さんに長年のご支援に対する
感謝状を贈呈する
副賞として子どもたちの描いた絵を贈呈
今本さんの挨拶
北海道の「飛んでけ 車いす」から送られた衣類を
山西さん経由で「京滋YOUの会」が贈呈。
午後2時過ぎに子どもたちと一緒に昼食を摂る
午後3時。日本料理店会議。
メニューのこと、給料値上げのこと、大掃除のことなどを
話し合う。
午後6時半。フォンザンホテルのレストランで「京滋YOUの会」等の
みなさんと夕食会。
午後9時半終了
その後、バオミンホテルへ。
さらに日本料理店を訪問。
長い一日であった。
2012年08月05日
亡母「小山まつ」一周忌:「京滋YOUの会」との交流会
フエは、快晴。 A10 気温38度 湿度52%(日陰)
午前7時起床。昨夕買った「ベトナムほか弁」の残り半分を食す。
午前中、メールの受信・送信。
新しくパソコンに入れた「ウインドウズ7」にSKYPEをインストールする。
午前中は、洗濯と部屋の掃除。荷物の整理。
8月、9月、10月のスタディーツアーの確認・調整を行う。
昼食の食欲がなく、摂らず。
午後も第2回目の洗濯。
読書「マルティン・ルターー言葉に生きた改革者」
(徳善義和著:岩波新書)を読了。
キリスト教のプロテスタントがどのような歴史と基本原理で成立した
のかを知りたくてこの新書を読む。
ルターが、当時、最高の学者だったことが分かる。
「プロテスタント」という言葉自体は、カトリック系学者が
「何でも反対する奴等」といい、否定的な意味合いで使われ
始め、後にルター派自身も使うようになったとかかれていた。
ルター自体は、裕福な家庭としてドイツのザクセン地方で
育ち、当時の最高学府で宗教博士となる。
唯一絶対の権力と「理論解釈権」を持っていた教皇に
対して「95箇条の提起」を行い、異議申し立てを行う。
宗教論理と時の政治。特にキリスト教支配・ローマカトリック
支配地域の国王や領主とローマ教皇との戦いもその裏には
あった。一読の書ではある。
午後3時半、ホーチミン市に「京滋YOUの会」ツアーを出迎えに
行っているソン君から電話あり。
今日午後8時半ごろ、「京滋YOUの会」の皆さんはフエに着くが、
その後、レストランで食事をするので一緒に食事をして欲しいとのこと。
しばらくメール等の整理を行う。
ーーー
午後9時20分「今、フエ空港からレストランへ行く」との
電話がソンくんからあった。宿舎を出て、市内の「レストラン」へ行く。
「京滋YOUの会」の皆さんとフエ市内のレストランで
合流、夕食・飲み会。
今本さんたち「京滋YOUの会」のみなさん
中条さんご夫妻
茨城から参加。何年間も日本料理店に箸の包み紙を
寄贈してくれている大沢さん。
前回も参加した京都「T旅行」の娘さん
東京から参加した秋山さん。
「京滋YOUの会」のMさん、Uさん
左 「京滋YOUの会」事務局長の藤井さん
「京滋YOUの会」の皆さんと飲みながら「母親」の一周忌を
一人、心の中で行う。
午後11時過ぎ、「京滋YOUの会」との夕食会は終了。
宿舎着、午後11時半。
その後、火炎樹日記を書く。
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1912年8月5日生まれの亡母は、昨年8月5日に99歳で
死去した。今日は、亡母の一周忌。
私の仕事の関係で、7月・8月・9月は多くのスタディーツアーの
皆さんが「子どもの家」などへ来訪される。その案内等で忙しい。
亡母の一周忌法要は、既に6月に行っている。少し早めでは
あったが。
亡母が生きていたら今日で丁度、100歳である。長生きと
いえる。亡母の父親(私の祖父)は、1854年、日米和親条約が
結ばれた江戸時代末期に生まれている。明治維新(1868年)
のときは、14歳であった。母親は江戸時代の空気と人間の
生き方をしっかりと身につけていたと思える。
その後、明治の精神、大正デモクラシーの精神も庶民と
して自然に影響を受けている。
第2次世界大戦・アジア太平洋戦争にも関係し中国で生活。
長男を引き上げの途中で亡くすという大きな時代の流れに
飲み込まれてきた。
戦後の復興と工場の倒産、隣の家の失火で家が全焼する
という経験もしている。兄の後、1964年7月東京オリンピックの
3ヶ月ほど前に夫(私の父)を52歳でなくす。1966年11月には、
高校1年の3男(私の弟)を急性白血病でなくす。
といった「時代」の影響を受け、時には、翻弄され、戦後の
高度成長期の恩恵も多少は受け、孫を育てるという経験もし
人生を終わっている。
私は亡母の人生から第1に「戦争には絶対反対」という精神を
学んだ。戦争をして死んでいくのは、庶民である。偉そうに
お説教をたれている高位高官の面々は、土壇場でみんな
逃げていった。
陸軍大臣だった東条英機は「戦陣訓」をつくり
「死して虜囚の辱めを受けず」と軍人や若者を教育した。
多くの国民は、「白旗を揚げて降伏」をせずに、自刃・自死している。
戦後、東条英機は、極東軍事裁判に訴追されたと知るや
ピストル自殺を「敢行」したが、致命傷にならなかった。
東条英機の作った「戦陣訓」でどれだけ多くの兵士、一般市民が
自死したり「自死を強要」されたかを考えると、戦争は何があっても
絶対反対である。
亡母から学んだ第2の教訓は、どんな困難な環境であっても
あきらめずに「コツコツ」と努力しよう、すべきだとの考えである。
第3番目は、「貧しい人」「困っている人」に寄り添い生きていくと
いう庶民の人生観である。
今日、ベトナムに住んでこのような活動をしているのも
損得ではなく、亡母の無言の「遺訓」を実践しているだけ、と私は
思っている。
そして、近いうちに亡母のいる「彼岸」「西方浄土」とやらへ、私も
行くことになるのである。現在は、西方浄土に行く準備中といっても
過言ではないと思う。
亡母は、夫を亡くし、かわいい長男・三男を亡くしている。
残った男子は、私だけである。亡母が、橋下大阪市長に
禁止されている
「刺青」を腕にするのなら「道夫命」と彫るのだろうな、などと思っている。
私の人生と成長に大きな期待を持っていたと今では推測できる。
私が母や父の期待した人生を歩んでいるのかどうかは分からない。
勝手な人生を生きているというのが正解かもしれないが、
それでも多少は父母の思いの一部ではあるが、その期待する
生き方をしたいるのかも知れないというかすかな気持ちを
持っている。
などと書きながら、更に宿舎での飲酒が続く。既に午前0時半。
ラオディーの「ラム酒ブラウン」を『適量』(自分の判断だが)飲んでいる。
おいしい。この味を経験できない読者の皆さんには申し訳ない。
最後の仕上げは、静岡県袋井市の「国香」。
これを飲まないと1日が終わらないのであるが、それは贅沢という
もの。毎日飲めるほど、ベトナムには、「国香」はない。
「韓国のり」が何ともいえない味を出している。
明日は、午前8時からベトナム事務所で「京滋YOUの会」の
皆さんとベトナム事務所員との顔合わせがある。
亡母の無言の「遺訓」をわが子どもや孫たちがどれだけ受け止めて
いるのか? 時代は変わっても人間の本質と生き方の根本は
変わっていないと信じたい。
「亡母一周忌に思う」心の一端であり、盛大な行事をしなくても
心の中で追悼の気持ちを持っている証しとしたい。
就寝午前2時。