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2012年08月17日

ベトナム事務所で打ち合わせ・大極さんお別れ会

終日雨。蒸し暑い。

午前5時半起床。

午前7時朝食。精進ブン麺。


今日は旧暦の7月1日。フエでは、旧暦の1日と15日には
精進料理を食べて、祖先の霊に感謝する。夕方、フエの
路上・家の前で「迎え火」が行われる。大量の紙を燃やす。
これが個人的には大迷惑なのだ。窓を開けておくと家中に
煙と燃えカス、灰が入り込んでくる。


午前9時、ベトナム事務所でバオミンさんと打ち合わせ。

その後、ブライセンのセキュリティー用の扉作りの
業者を呼ぶ。


ベトナム事務所では、富岡先生が日本語教育の準備を
していた。

今日はブライセンスタッフの日本語能力試験の日だ。


午前11時半、昼食。野菜サラダと魚の揚げたもの、
野菜スープ。脂っこい。


午後2時半。フエ市人民委員会へ。フエ市人民委員会では
元フエ市共産党人事部長のトアンさんと出会う。
若干立ち話。


フエ市人民委員会からの帰り、フエ市の地方警察の
前を通ると「元日本料理店長」のリー君が、オートバイの
自主警備員になっていた。(自分で勝手に腕章を作り
警備員と称している)

その上、勝手に警察のスタッフなどとも公言している。
私は、喉まで「この人が一番危ない人です」と言いたい位だ。
まあ、何とか不安定な警備員暮らしをしている。
オートバイの来訪者があった時に
1台10円程度でオートバイが、取られないように警備している。
本当に一番危ないのは、警備員そのものだ、などとはいわないが。
いつまでこうした不安定な浮き草暮らしをしているのだろうか?
時々、日本料理店の近くの飲み屋でシクロさんたちと午後3時か
4時頃から飲んでいるところをみる。
今のリー君にとっては、うるさい大人がいないで、好きな時に
好きなことが出来る生活ほど、良いものはない。
しかし、こうした不安定な・浮き草生活をしていたら結婚も出来ない。
毎月の収入がいくらか全くその日、その月で「行き当たりばったり」。
彼女のような人は良く連れてくるが、最後は、うまくいっていないのは
リー君のこうした不安定・浮き草暮らしに一因があることを、彼は
理解していない。私は繰り返し彼に忠告しているのだが。
まあ、それでも「長い間リー君がお世話になっている警察前」で
戸籍謄本などを取りに来る市民のオートバイの警備をして、
真面目に生きていることは、立派なことだとは思っている。


警察の門前で仕事をしているので、そんなに悪いことは
しないだろう、とは思っているが・・・・。
リー君と19年間付き合ってきたが、「安心」ということばは
通じない。突然、想像だにしない出来事を起こしてくれる。
リー君がもっと「安定した仕事」につけるように考えている。


午後4時、ベトナム事務所へ。1階の日本料理店では、大きなファン
が回らなくなっているので修理中。合わせていくつかの電気系統
が止まっていたものを電気業者を呼んで修理。


先日から何回か日本料理店会議を開き、電気が切れたらそのまま、
トイレが故障したらそのままという、無責任な仕事の仕方は
いけないと何度か注意をして来ている。

日本料理店の看板の位置を道を通行するお客さんが
見やすいように下げる。JASSの看板に蛍光灯をいれて
日本料理店の看板の隣につける。

JASSの看板を見て、日本料理店を見ると日本料理店の
意味が分かる…これは、先日の子どもたち
との日本料理店会議ででた子どもたちの意見だった。
もっともな意見なので今日、業者を呼んで子どもたちの
意見を取り入れ、改善。


こうして日本料理店の外装・店内の整備をし、明日は、ベトナム事務所員
全員と日本料理店の子どもたち、佐藤先生、益子君と友人など全員で
日本料理店の「大掃除」をする。

日本料理店の子どもたちの目に見える所から改革し、
きれいな店内、トイレ・看板などの諸設備をきちんとして、
子どもたちの目に見えるところから意識改革を断行した。

今日は、午後6時から大極安子さん親子のお別れ会をする。
その件で日本料理店の厨房に入る。


栃木の佐藤先生と子どもたちは、和気藹々と明るく開店の
準備をしていた。益子渓君も料理の下ごしらえをしていた。

午後5時半、徒歩で日本料理店へ。

大極さん親子のお別れ会。今回は以下の所で治療を
してくれた。大極さん親子に感謝。大極さんとは45年前に
同じ大学、同じクラスで出会った「同級生」だった。
まさか、45年後もこうした形で一緒に活動ができるとは
思っていなかった。

大極さん親子を案内したベトナム事務所スタッフを中心に
大極親子のお別れ会を行った。

今回、大極さん親子は、以下の医療施設で施術を行った。

「子どもの家」・ベトナム事務所・フールー小学校・フエ市立
病院・フエ市内フーハウ診療所・スンフー診療所・ビーザー
診療所・トゥエ・テイン伝統医療院。


バオミンさん・ハンさん・春口先生

今日は31人という大変な数の来客があった。
接客主任のグエットさんは、一人で31人の来客の
注文を取り、料理を配膳した。全員が欧米系。
グエットさんは、フランス人・ドイツ人などの
「訛った英語」での注文もしっかりと理解し、配膳している。
たいしたものだ。



大極さん親子  息子さんは、空手の師範であり、
現在は、母親のしてる鍼灸師・小児針をおこなっている。


ミス・フェリシモのアンさん



午後6時から午後10時までに31人の来客があり、厨房は
てんてこ舞い。

厨房のチャンさんが新婚で1ヶ月の休暇をとっている。
新婚でどうして1か月の休暇が必要なのかは
理解できないが、とにかく厨房の料理人は子どもたち3人のみ。

今日は佐藤先生・冨岡先生・春口先生・益子君と友人などの
手伝いが入ったので、何とか31人の注文をさばくことができた。

厨房は、「戦場」であった。

日本の薬科大学で薬学の勉強をしている益子君が、
厨房では、一人前(風)の料理人になって奮闘してくれていた。

「若骨に鞭を打ち」、次から次ぎへと入ってくる「注文」を
調理する佐藤先生。佐藤先生の1か月間の日本料理店支援
がなければ、今日は日本料理店の運営はできなかった。
高校の英語の先生が見事な料理の腕前を見せてくれた。



厨房は戦場である。一時も止まっていない。写真もこのように
しか撮れなかった。これは私の写真の腕前が悪いのではなく、
「戦場マメラマン」としては、戦場の最前線の緊迫感を
あらわしたつもりである。


来客は主に欧米系であるが、アジア系も入りまじっている。
長時間、待たせてしまっていたので、時々、私も長時間待って
いるお客さんに所へ行き、話をした。


午後10時頃、やっと閉店。厨房で食器を洗い終わった
佐藤先生と益子君。長期の闘争が終了し、ほっとした顔を
している。



その後、時間が遅くなったので子どもたちを帰し、日本人の有志
で「反省会」をする。午前0時まで。

大極さん親子送別会で飲んだビール総数。
大ジョッキ(4杯)、小グラス(33杯)
(ただし、午前0時までの反省会は含まない)

午前0時解散。

徒歩で宿舎へ帰る。さすがに遅い時間。街に出ている人も
大分減っていた。

投稿者 koyama : 2012年08月17日 18:13

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